生きているのだろうか。 死んでいるのだろうか。 いや もしかしたら生かされているだけなのかもしれない。 「life」 「大丈夫ですか?」 「まあ…」 早朝。 昨日の雨もいつの間にやら過ぎ去って、雨露を乗せた草原が妙に輝いて見えた。 幻想的で明るい朝の清々しい光景。 しかしながらまだ陽も昇りきらない朝方に叩き起こされた悠治は、今の今まで郁の料理教室に付き合わされていたわけで。 「郁はスパルタですからね」 「あの丸っこいので何度も殴られた」 「これはお玉!そんなことも忘れちゃったの?」 こいーん、と独特な音を立てたそれを横目に、はあっと見事なため息を漏らした悠治は、同時に出汁の取り方をも脳内から取り零した。 「もう…先が思いやられるわ…」 ぐったりと机に伸びる彼の背中に愚痴を注ぎ、完成した朝食を運ぶ郁は悠治と正反対に元気そうである。そんな二人の空気を視界の隅に、眼鏡を拭き終えた楓がテーブルに付いた。 揃って朝食を開始したのも束の間、立ち直り切れていない悠治を郁の追い討ちが襲う。 「今日は外回りに行くわよ」 「外回り?」 「挨拶よ、挨拶!新しく仲間になりましたーって、みんなに顔見せに行くの」 「何故?」 「何故って…これからお世話になるんだから、当たり前でしょう?」 だいんとテーブルを叩いて身を乗り出した郁は、訝しげな悠治の目の前に顔を突き出した。高速で近寄ってくる怒ったようなその眼差しを避けた悠治の不服顔に、楓が笑顔で釘をさす。 「この国には通貨がないんで、物々交換が主流なんです。持ちつ持たれつですから、面倒でも仲良くしてくださいね」 「持ちつ持たれつ…?なら俺達も何かを作らないといけないのか」 「まあ、確かにその通りなんですけど…僕らは少し特殊でして」 ため息混じりに吐き出された見解に、楓は複雑に表情を歪ませた。 郁は静かに席に付くと、箸を持ち直して説明する。 「私達は入国者を導く役割を担っているの。生産は二の次、後回しで良いって特例をもらってるわ」 「入国者…?」 「先日の君のような人のことです」 「そ。新しくこの国に来た人が迷わないように、案内するのが私達の役目」 「とは言っても、滅多にないですけどね」 「数年に一度、あればいい方かしら?」 沢庵に豆腐の味噌汁、白米に目玉焼き。ポテトサラダと鳥ハムと、林檎をデザートに進む朝食上を会話が滑っていった。 歪な形の鳥ハムを箸でつつきながら、説明を聞いていた悠治はふと疑問を口にする。 「俺は何処から入ってきたんだ?」 ついでにどうして、この広い草原の中から自分を見付けることができたのだろう。そう思いながら、悠治は二人の答えを待った。 すると楓が茶碗を置き、空を指差し小さく答える。 「扉、です」 「扉…?」 「そうよ。入国が有るときには必ず空に細長い扉が浮かび上がるの」 「僕達はそれを目印に、入国者を探し当てるんですよ」 次の質問も同時に解決したことで、悠治は頷きと共に鳥ハムを口に放り込んだ。その顔を覗き込み、郁は眉を歪ませる。 「やっぱり驚かないのね?」 尖らせた口で味噌汁を啜った彼女は、呆れたようにこう続けた。 「普通、空に扉が浮かんでる、なーんて聞いたら…ビックリして腰抜かしちゃうと思うけど」 「抜かしたんだ?」 「抜かしてない!喩えよ、喩え」 ふーん、とどうでもよさそうに返されて、激昂した郁はふいっとそっぽを向いてしまう。悠治はそれ幸いとでも言わんばかりに、白米を頬張りながら新たな疑問を投げ入れた。 「すると、入国者が来るまではのらりくらりしてるってことになるのか?」 「そんなわけ無いじゃない。裏の畑を手入れしたり、他の集落を回っては情報交換したり、不正入国者を追い返したり…」 「不正入国者?」 被せられた苛立ちに任せて仕事を並べ立てた郁の言葉の中から一句を拾い、悠治はくるりと首を捻る。 郁は無意識のうちに振り回していた箸に気付いて収めつつ、咳払いの後解説を始めた。 「この国…ウイングとメトロはね、隣り合わせになっているのよ」 彼女の説明によると、昨日広げた地図の山側は先に陸地が続いており、その山脈の向こう側にメトロがあると言う。 しかしながら国境を越える行為自体が禁止されているので、二人とも実際に行って確認したことがあるわけではないらしい。 「向こうの国には植物が少ないと聞くわ。恐らく、こちらの国の資源を狙ってやって来るのでしょうね」 「そんなことをしなくても、何もしないで生きていける筈だろう」 「そうとは限らないのかも…しれないですね」 ずっと黙っていた楓が口を挟むと、悠治は端から分かっていたような顔付きで一つ頷いた。 降りてきた堅苦しい空気を払うように、郁は箸を上に向ける。 「どちらにせよ、私達はメトロからやって来る不正入国者を追い返さなきゃいけないの」 「こっちは最近頻繁になってきてます。とは言っても月に一度くらいの割合ですけど」 「だからって暇な訳じゃないのよ?なんたって此処には三人しか居ないんだから」 念を押すようにアクセントを強め、言い終えた郁は大きなため息を付いた。 彼女が固焼きの目玉焼きを切り崩す間に、沢庵をボリボリかじりつつ悠治が問う。 「他の人は歳を取ったから、別の集落に移り住んだんだな?」 悠治的には何気ない質問のつもりが、またも二人の空気が沈んだ。困ったように眉を寄せながらも、笑顔の二人を前に彼は食事を続ける。 「…そうではないのよ」 「この国の人間は、歳を取らないんですよ。悠治くん」 ぼかした郁の発言を追って、楓がハッキリと回答を示した。それを聞いても驚かない悠治に落胆したのか感心したのか、開き直った郁が伏せ目がちに説明する。 「元々高齢で亡くなった人は一律30代の時の姿でこの世界にやって来る。だからこの国の殆どの人はそれくらいの年代に属するわ」 「死亡率は若者よりも年輩者の方が高いですし、若者は自然よりも機械や怠惰に興味があるでしょうから。必然的にこの国の若者は…この通り、稀少と言うことになります」 そこまで聞いて、また新たな疑問を抱いた悠治が箸を止めて固まった。 「この国に居るのは死んだ人間だけ…なのか?」 「そうです。僕らから新しい命が産まれることはありません」 「高齢者は先に言ったように若返るけど、赤ちゃんや…十歳未満の子は輪廻転生するって噂だしね」 「だから此処にはこれしかいない、と」 そう言って室内を見渡す悠治に、郁と楓は頷いて顔を見合わせる。 「楓も本当は一つ上のグループに配属される筈だったんだけど…」 「当時郁と生活していた方が、不慮の事故で亡くなりまして…急遽一番年の近い僕が、此処に住むことになったんです」 「悪い、少しいいか?」 「天国に来てまで死ぬことがあるのか、ですか…?」 手を突き出してまで話を遮った悠治の質問を、楓が先回りで口にした。そうして彼は、徐に苦笑する。 「残念ながら、あるんです」 それは仮定でも何でもない、断言だった。いつも穏やかな彼の口調がやけにリアルに響く。 「現世と違って、此処には病も無ければ天変地異もありません。不老なので老衰の心配もありません。でも、他者の干渉による事故までを防ぐことは出来ないんです」 「不正入国者…」 悠治が呟くと、楓は黙って首肯した。 「他にも、動物との生存競争や作業中の事故なんかもありますが、前述の通り病の類いは存在しないんで、致命傷でも負わない限りは比較的生き延びやすいんですよ?」 そうフォローして話を終わらせた楓は、その証拠にミニトマトを口に入れる。その間にも食器を重ねた郁が、立ち上がりがてら手を叩いた。 「さて、今日の質問はこれでおしまい。昨日のんびりした分、今日からがっつり働いて貰うから覚悟なさい?」 「働く?」 「啓示の言葉、忘れた訳じゃないわよね?」 未だモゴモゴと食事を楽しむ悠治に顔を寄せて、郁は声を低くする。 「この国では働かなくては…」 「…生きていけない」 「正解。さ、行きましょう?」 ほれほれと完食を促してかっ込ませ、飲み込むや否や彼の腕を掴んだ郁は、早朝同様有無を言わさず外に引き摺って行った。 生きる、とは何だろう。 俺は死んだのではなかったか? それに、さっきの話も曖昧だ。 死にはするが病気にはならない、それなら自ら死のうとしたら…?一ヶ月飲まず食わずなら…? やはり死ぬのだろうか。 死んだら今度は、何処に行くのだろう。 死ななければどうなるのだろう。 このまま此処に生き続ける意味は何だろう。 おかしい。 俺はただ、満足していた筈なのに。 風があるこの場所に。 |