歩いても、歩いても、歩いても。


 広がる緑は絶えることなく、どこまでも空と繋がって。

 流れていく。風と共に。


 


「revelation」




 爽やかな風が吹く大草原の真ん中に、ポツンと佇むログハウス。

 それは幾つもの丸太を重ねて作られた一つの箱の内部を、複数の板で区切ったような構造をしており、立派なことに入って直ぐにリビングキッチンと呼べそうな空間が、更に奥には小部屋が3つ据えられていた。
 それこそが楓と彼女の暮らす家だと説明された悠治は、もの珍しそうにきょろきょろと顔を動かしながら、入室して勧められた椅子に付くなり一言。
「…夫婦?」
「開口一番それ?本気で人格疑うわ」
 率直な質問を繰り出す悠治の真顔に、緑茶を運んできた少女の顔がテーブル越しに近寄れば、楓は左手を上げるだけでそれを制した。
「まあまあ、郁…」
「え?何処に?」
 今着いたばかりなのに…と言わんばかりの顔つきで言い放つ悠治に、離れかけていた彼女の顔がまたしても向けられる。
「もうボケないで頂戴。いつまでたっても話が進みやしないわ」
 悠治の両頬を掴んで言い捨てて、ドカリと椅子に座り直す彼女を掌で示し、楓が小声で補足した。
「郁は、彼女の名前ですよ。悠治くん」
「ああ…」
 悠治は腫れたほっぺたもそのままに小さく頷くと、手に取った木のカップを傾けて半ば無感情に呟く。
「美味いな。これ」
「楓?もうこいつとのまともな会話は諦めましょう」
「まあまあ…。それで、悠治くん。話さなきゃならないことが沢山あるんですが。まずは君の方から、何か質問はありますか?」
 妙に味わいながら緑茶に口を付けていた悠治は、楓の質問を受けて顔を上げた。そして木の香りが漂う室内を見渡して、最後に背後の窓を振り向くと、風に流れる緑の海に向けて問い掛ける。
「ここは何処だ?」
 小さな間。その間に二人を振り向いた悠治は、呆然とする二つの顔を見て目を瞬かせた。
「は?」
「ここは何処だ、と聞いたんだ」
 短い問い返しに直ぐ様応え、肩を竦める悠治を見て。サッと顔色を変えた郁は、俯いた先にあったカップを手に曖昧な笑顔を浮かべる。
「…おかわり、いる?」
 返事も待たずに背を向けた彼女を見送りながら、不思議そうに瞬きを繰り返す悠治の視界の片隅で、楓の首が俄に傾いた。
「覚えてないんですか?」
 その問いに、悠治はただ首肯する。
 ふむ、と一息付いた楓が暫しの間を持って口を開く手前、郁が戻ってテーブルの上にお茶入りのカップを乗せた。
「悠治くんは、どうしてこちらを選んだんですか?」
 唐突に変化した質問内容に、悠治の首も傾いていく。
「選んだ…?」
「それも忘れちゃったの?」
 呆れた、とでも言いたげな郁に続いて、楓も困ったように眉を下げた。
「この国に来る前に、啓示があった筈なんですが…」
「国?」
 悠治は問う。霞かかった頭の中から記憶を呼び起こすようににして。
「そうよ。ここは風の国、ウイング」
「もう一つが、機械の国…」
「メトロ…」
「なんだ。覚えてるんじゃない」
 二人の説明の合間に思い出した名を呟くと、郁が安心したように息を吐いた。




「全ての物が自給自足。働かなくては生きることもできない、自由と風の国、ウィング

 全ての物を機械任せに。何をすることもなく生きていける、科学と機械の国、メトロ

 あなたは、どちらを選びますか?」




 確かに、そんな声を聞いた気がする。
 聞こえて、思考が答えを出した瞬間、目映い光に包まれた。

 …郁の声が聞こえたのは、その直ぐ後の事だ。

「それで、此処はウイングと言う国で…これが君達の家で…」
「そうです。君には、話さなきゃならないことがたくさんあるんですよ」
 相変わらず表情は薄いが、悠治の顔には「分からないことだらけだ」とハッキリ書いてあった。
 首を傾げて質問を促す楓を見て、彼は短い思案の後に問い掛ける。
「…他に人は?」
「勿論居ます」
「じゃあやっぱり君達は…」
「そんなに気になりますか?僕らの関係…」
「いや、そうなら他を当たらないといけないと思って」
 今日泊まる場所を。続いた悠治の真面目腐った返答に、笑い声を漏らした楓は息を整え一息に説明した。
「心配要りませんよ。僕らはそんな大それた仲じゃないです。それに、君には当分の間…この家で寝泊まりして貰うことが確定してますから」
 ではどういう仲なのか、確定とはどういう意味なのか…戸惑う悠治を他所に話は進む。
「兎にも角にも、今日明日とゆっくり休みながら、この国について説明していきますから。安心して寛いでくださいね」
「そうね。今日明日はゆっくりするといいわ。でもね、ツリ目!説明が終わったらたっぷりコキ使ってやるから、覚悟なさい?」
 続く捲し立てに目を瞬かせていた悠治に郁が釘を差すと、隣の楓がサッと顔を青くした。
「ご…ごめんなさい、これは郁の癖で…直ぐに変な渾名を付けてしまうんです」
 弁解を聞いて思い直すと、確かに今ツリ目と呼ばれた気がする…。悠治が怒るでもなくそう考える間にも、目付きの悪さに怯えた楓が郁に無言の抗議をしている。対して郁は構うどころか自信有り気に腕を組んだ。
「癖って言うか、特技なんだけど」
「とても誉められた特技じゃないです」
「因みに楓の渾名は童顔よ。こう見えて二十歳なんだから、ぴったりでしょ?」
 言いながら、郁は楓の頭に手を乗せる。悠治はそんな二人と、そして記憶の中の自身の顔とを見比べて目を丸くした。
 確かに楓はこの中で一番年下に見える。大きな眼鏡のせいもあるかもしれないが、それがなくとも幼顔であろう印象を受けた。
 ポカンと驚く悠治を見て肩を落とし、郁は盛大にため息を付く。
「驚いたならもっと大袈裟なリアクション取りなさいよ…つまんない男ね」
「因みに悠治くん、自分の歳は覚えてますか?」
 膨れる郁を他所に問う楓に、悠治は頷いて短く答えた。
「18」
「へー。私の一つ上ねー」
 何処か不服そうに目を細め、悠治の顔をしげしげと眺める郁の隣で、笑顔を強めた楓が小さく肩を竦める。
「そうなると、君とは長い付き合いになりそうですね」
「こんなわけわかんない男と…?先が思いやられるわね…」
 二人の対照的な反応を虚ろに眺めていた悠治は、不意に思い出したように外を振り向いた。そこでは未だに草木が躍り、柔らかな風が吹いていることを知らせている。
 数十秒後、彼が振り向くのを待っていた楓が控え目に話を元に戻した。
「話は逸れましたが、他に質問はありますか?」
「ああ」
「やっぱりこれからのことを…」
「…眠い」
 これ以上脱線しないようにとレールを引きかけた郁の言葉の合間、結論を口にした悠治に鋭い視線が突き刺さる。
「…殴ってもいい?」
「まあまあ、郁…部屋に案内してあげてください」
「でも…」
「細かいことは明日でも問題ないでしょうから」
 握り拳を震わせる郁を宥めすかし、なんとか納得させた楓は二人の険悪な空気を見送りながら、ふっと笑みを溢した。
「良くも悪くも、動じない人ですね…」
 殊更可笑しそうに呟いて、楓は一人緑茶を啜る。


 そうして部屋に案内されるなりぐったりと眠りに付いた悠治が、その日のうちに目を覚ます事は無かった。









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