全ての物が自給自足。働かなくては生きることもできない、自由と風の国、ウィング

 全ての物を機械任せに。何をすることもなく生きていける、科学と機械の国、メトロ



 あなたは、どちらを選びますか?





「prolog」



「ちょっと、君」

 誰だろう、と。彼は思う。

「ちょっと。ねぇってば……」

 しつこさに負けて、返事をしようと喉を動かせば微かに声が漏れた。

「もうっ!起きてるなら早く目を開けなさいよっ!」

 目を。そう言われて感覚を探る。直ぐ様見つけたそれを手繰り寄せ、無意識に神経を繋げると、途端に瞼が開かれた。


 眩しい。


 目を開いた直後、彼の脳内を支配したのはその一言だった。しかしその感覚が薄れる前に、別の痛覚が容赦無く発動する。同時に気持ちのよい音の一つも響いたかもしれない。
「いっ……」
 鈍痛に額を押さえると、今度は後頭部にまで痛みが走る。先の重い音とは違う、スパーンと言う軽快な音のオプション付きで。
「いったいわね!何してくれてんのよ!何で急に起き上がるわけ!?」
 甲高い声。首を回し、眩しさを堪えて僅かに開いた彼の目に映るのは、額を押さえてむくれる少女の姿だ。
 丸く輝く茶の瞳を潤ませて、彼の隣に座り込む彼女は尚も小言を続けている。所々外側に跳ねた明るい茶髪は、背景となる空と良く調和していた。
 くるりと辺りを見渡すと、広がるのは見渡す限りの青い空。そして、目映い緑の草原だ。
「ここは…」
 どこまで歩けば突き当たりまでいけるのだろう。彼が始めに抱いた感想の次に漏らした言葉は、少女によって遮られた。
「ちょっと!聞いてるの?」
 しかしながら少女の抗議も何処吹く風。振り向く所か、瞬きも忘れて自身の置かれたその場所を見据え続ける彼の様子に、彼女の口から大きな溜め息が漏れる。
「目の前の私より、この草原が、そんっっっっっなに気になるわけ?!」
 続けて響いた大声すら、彼の耳には届かなかったようだ。辛うじて意識はあるように見えるが、青年は未だ呆然と景色に瞳を泳がせ続けている。
 それもその筈、彼の瞳にとってこの光景は、初めて映し出される景色だったのだから。
 来たことが無い場所。見たことのない場所。いや、それ以前に…。
 言いようのない感慨深さを探るようにして、空の青と踊る緑を網膜に焼き付ける彼の脇で、少女の口からまたため息がもれた。するとそれに反応したかのように、しかし彼女と逆の方角を見詰めたまま、彼は自身の中だけで生まれた疑問を小さく声にする。
「…風?」
 確かに、丁度風が吹いていた。だからと言ってその風に特別な点は見当たらない。
 少女は四つん這いで青年の正面に回ると、その瞳に向かって真っ直ぐに問い掛けた。
「無視…?ねえ、無視?」
「…誰?」
「…遅いわよ。反応が鈍すぎて話にならないわよ!」
 ぼんやりと、それでいてまじまじと少女の顔を見据えた彼がぼそりと呟けば、少女の顔がたちまち彼の鼻先まで近付いた。
 今にも鼻と鼻がくっつきそうな距離。それでも多少仰け反る程度で、動かず瞬きを続ける彼から離れ、彼女は大仰に腕を組む。
「…名乗るなら自分から名乗りなさいよね!それがせめてもの礼儀ってもんでしょ?」
 ふいっとそっぽを向きながらそう言ったのも束の間。相手の首もふいっとそっぽを向いてしまうのを横目に認めた彼女の顔が、みるみるうちに怒りに染まる。
「また無視…?もー!こっち向きなさいよこのー!」
 ぽかすかぐいぐいゆっさゆっさと一通りの手段を試みるも、一向に振り向かない青年を諦めた少女は、ため息に合わせて自らも周囲を見渡した。
 遠く見える森を背中に、やはり遠くに見える山側を眺めていた彼女が、遠目に目的の人物を認めて立ち上がる。
「楓ー!こっちこっち!早く来てー、日本語が通じるのに話が通じないのー!」
 持っていた麦わら帽子ごと、ブンブンと手を振る少女を尻目に。青年は思い出したように赤くなった額に触れると、視界の端で揺れる白いロングスカートの向こう側を覗いた。
 彼女が必死で呼ぶ先から、また別の人物が歩いてきている。
 まだ豆ほどの大きさにしか見えないが、栗色のショートヘアに白い服。顔の辺りで光が反射することから、恐らく眼鏡をかているのだろう。
 どんなに手を振っても向こうの足取りが変わらないので、少女はやはり諦めて腕を休める。ついでに零れたため息の後、不意に青年が返答した。
「悠治」
「はい?」
「名乗れと言っただろ」
「あなた、一度自分の体内時計を修理した方が良いんじゃない…?」
 驚愕と飽きれと苛立ちと、様々な感情の籠ったツッコミも虚しく流され、少女はぐしゃぐしゃと頭を掻く。

 そうして彼女が丁寧に髪を整え、帽子をかぶり終えてから数分後。やっとのことで到着したのは、青年の予想通り眼鏡をかけた少年だった。

「はじめまして、僕は楓…ここの住人です。…えーと…」
「悠治だって」
 少女の怒りをなあなあに宥めて自己紹介を開始する少年に、ぶっきらぼうな彼女の補足が入る。
 険悪な空気に困ったような笑顔を浮かべ、対照的な二人の顔色を比べた楓と名乗る彼は、とりあえずぼんやり顔の悠治を振り向き片手を広げた。
「悠治くん、ですね。こちらへどうぞ」
 未だ座り込んだまま腑に落ちない顔を持ち上げた彼に、楓は真っ直ぐに掌を差し出す。
「立ち話も難ですし、僕らの家まで行きましょう」
 提案を断る理由もなければ、他にやるべきことも見当たらず。

 悠治は疑問をそのままに、草原を進む二人の後に続いた。








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