本当のことが知りたければメトロまで来ると良い。
 知りたくなければその場に留まれ。

 どちらを選ぶも君の自由だ。

 どちらを取っても、誰も責めはしないのだから。



「confession」



 翌日の早朝。

 牧場での集会を終えた柏原が結論を伝えにきた。
「昨日言った通りになった」彼はそれだけ言うと、遺体の処理をするため持参したスコップを持ち上げる。
 しかし迎えた三人は顔を見合わせて渋い顔をするだけだ。
「どうした?」
「それが…」
 流石の柏原も訝しげに眉を歪めるが、次の楓の一言で納得せざるを得なくなる。
「遺体が消えてしまったんです」
 恐らくは、メトロの人間だからだろう。楓と柏原が見解を合わせたことで、そう結論付けられた。

「無くなったものは弔いようがないからな、次の仕事にかかるとしようか」
 柏原がため息で思考を切り替えそう言うと、俯いていた郁の顔が上がる。彼女が部屋を見渡すと、丁度楓と悠治が振り向いた。
「準備は出来ているね」
 柏原は問う。三人は無言で頷いた。
「くれぐれも気を付けること。啓示があったとは言え、何があるかわからんからね」
「分かりました」
 そうして了承する楓に何度か念を押した柏原は、最後に手に持った包みを押し付ける。
「これ、みんなから。途中で食べると良い」
 中身はおにぎりやサンドイッチ、そしてお茶の入ったポットだった。
 柏原に礼を言い、三人は外に出る。その途中、柏原に呼び止められた悠治が一度室内に戻った。

 二人は軒先で悠治を待つ。包みを抱え、空を見上げた楓の瞳が眩しさで細くなった。
 郁はその横顔を見上げ、小声で問い掛ける。
「まだ、忘れられないの?」
 質問の意図を確認するためか、暫しの間を置いて楓は答えた。指先で鼻を摘まみながら。
「そんなことないですよ」
「嘘」
 間髪いれずに郁が言う。思わず振り向いた楓に、彼女は人差し指で指摘した。
「鼻」
「ああ…」
 楓は直ぐ様鼻を弄っていた手を引っ込めて、ばつが悪そうに苦笑する。
 そこに悠治が舞い戻り、二人に幾つかの手拭いを差し出した。
「暑いだろうからって」
「柏原印の手拭いかぁ」
「わざわざ作って貰ってるんですよね。布屋さんに」
 微妙な顔をしつつも受けとる二人に、悠治は肩を竦めて補足する。
「洗ってあるから心配するなって」


 そうして三人は、朝も早くにメトロに向けて出発した。
 まず目指すは遠く見える山の梺。草原を横切り、森を抜けたその先だ。
「ねえ、ツリ目」
 森に差し掛かる手前、意を決したような郁の呼び掛けに悠治が振り向く。彼女は彼の視線だけを確認して、地面に向かって問い掛けた。
「あの人、言ったじゃない…?お前みたいな奴…って…出来損ない…って…」
 言いながら苦い顔をする郁の隣に楓が並ぶ。色素の薄い二人の髪が揃って後ろに靡いた。
「どうしてあんなこと言ったのかしら…ねえ、本当に心当たりないの?」
 顔を上げ、風に逆らうように声を出した彼女をまっすぐ見据え、悠治は短く返答する。
「さあな」
 そうして前に向き直ると、彼は悲しむでもなく言い放った。
「どちらにせよ、ろくな人生では無かったんだろう」
「どうして…そんなこと…」
「そうでなければ、ここに来たことをもう少し悲観するだろうと思って」
「でも、死んだことを喜んでいる訳ではないんですよね?」
「それが…ハッキリしない」
 悠治は楓の問いに今一度振り向いて、背後の草原を見渡す。
「ハッキリしない事が多すぎて、どんどん埋もれていってしまう」
 立ち止まり、空を仰ぎ。目を細める悠治と二人が向かい合った。悠治は楓を、郁をサラリと見据えた後、何処にともなく本心を打ち明ける。
「俺は此処に来ることができて、凄く嬉しいんだろうと思う」
 そうして自身の掌の上に、不服を落とした。
「だが、嬉しいのを手放しには喜べない。…ハッキリしないから」
「ハッキリしない、か…」
 郁が復唱する。その隣で楓が僅かに首を捻った。
「どうしてでしょうね?」
「それは…」
「いえ、どうして記憶喪失になったりしたんでしょうか」
 郁の回答を先読みして補足を加えた楓は、立ち尽くす二人に前進を促す。郁はそれを受けながら話も前に進めた。
「死んだときのショックじゃないの?」
「本当にそれだけですかね?」
「…楓は、違うと思ってる?」
 そう問うも、楓は明確な答えを示さない。しかし郁は何かを理解したようで、一人勝手に頷いた。
「…そうね。どうせ道中長いんだし…」
 呟いて、悠治を見上げた彼女はある提案を持ち掛ける。
「ねえ、つり目。私達の話を聞いてみない?」
「話?」
「私達が生きていた頃の話…」
 ふわり、と。何かが揺れた。
 振り向いた形のまま固まる悠治に、郁は肩を竦めて見せる。
「何かの切っ掛けになるかもしれないでしょう?」
「どうしてそんなに…」
 悠治は先日の柏原との会話を思い出し、それも彼女の計らいであることを悟った。
 そうして訝しげな表情を見せる彼に、彼女は当たり前のように答える。
「どうしてって…あなただってこのままで良いとは思っていないんでしょう?」
「まあ…」
 頷いて、自分の感情を理解して。悠治はそれを口にした。横に広がる草原に向けて。
「でも、やっぱり不思議だ」
 それは風に流されて二人の耳に伝わる。悠治は改めて背後を振り返ると、至極真面目に問い掛けた。
「どうしてそんなに?俺のことなんか放っておいても問題ないだろう」
「あなたこそ、どうしてそんなに…そう言うとこだけ他人行儀なの?普段はものすごーく図々しいのに」
 自覚していなかった事実を突き付けられて、固まる悠治の目の前まで足を進めた郁は、悲し気に瞳を歪ませる。
「…生きてるときに、そんな経験ばかりしてきたってこと?ねえ…つり目…」
 彼女は呼び掛けながら、俯き気味に彼の手を取った。
「私はあなたが心配だわ」
「心配…?」
 握られた両手を背景に、郁の頭を見下ろして。呟いた悠治に郁は告げる。
「生きていた頃の私に良く似ているもの」
 静かな声が、悠治の思考を揺さぶった。彼女は大きく深呼吸して、次に目一杯爪先を立てる。
「四の五の言わず、聞きなさい。いずれ話すつもりだったんだし、時期が早まっただけだわ」
 近付いた鼻先を避けて、空を仰ぎかけた悠治は一歩下がって元に直った。そうしてため息混じりに問い掛ける。
「…二人は互いに知っているんだな?」
「はい」
 楓が頷くと、悠治の口からはまたため息が漏れた。
「俺には話せることがないが」
「思い出したら聞かせてください」
「そうよ。ずっとこのまま、なんてこと…無いんだから…」
 明るく同意を促した郁が先を歩く。悠治はその足取りと指先の震えから僅かな緊張感を貰った。


 いつの間にやら目前に迫った森が落とす、無数の木漏れ日に足を踏み入れながら。


 過去の語りは紡がれる。

 見ることの叶わぬ未来の過去に向けて。









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