メトロは滅んだ。
 有害物質は除去してある。あとはどうしようと、君達の自由だ。



「God」



 部屋の扉が開かれた。
 神妙な顔を覗かせて、静かに首を振った柏原に楓が訊ねる。
「駄目、でしたか…」
「ああ」
「…聞こえましたか?」
「勿論だ…」
「今のが…?」
「そう、啓示だ」
 悠治の問いにも頷いて、柏原は顎に手を当てた。
 今しがた頭の中で響いた声を…言葉を、きちんと噛み砕く。


 メトロは滅んだ。
 有害物質は除去してある。あとはどうしようと、君達の自由だ。


 柏原の見解は的確だったらしい。
 三人の視線を受けた彼は、部屋の戸を横目に呟いた。
「時々こうして干渉してくることはあったが…今回はまた、特別らしい」
 室内は相変わらず静まり返っている。風の音一つせず、耳が痛くなりそうだ。
「…あの人が言ってたこと…本当なのかしら…?」
 そんな中、郁がポツリと漏らした言葉に柏原が反応する。
「そうだとしたら、私たちもうかうかしていられないかもしれないな」
「この国でも同じことがある、と…?」
「有り得なくは…ない話だろう」
 そう言って、柏原は苦笑を浮かべた。複雑な顔を俯かせる楓を他所に、悠治は嘲笑混じりに吐き捨てる。
「本当に神が居るならな…」
 反論が出るかと思いきや、誰も何も言わなかった。視界に入ったみんなの顔は、一様に暗く冷たく見える。
「…どうするんだ?」
 悠治が問う。
「そうだな…彼のような生存者がいる可能性もある。それに、彼の言葉も気にかかる…」
「様子を見に…?」
「ああ。集会を開いても、どのみちそう言った結論になるだろう」
 楓は柏原の意見に同意して、次にハッキリと言い放つ。
「僕が行きます」
 思い詰めたようなその背中に、郁が時間差でため息を浴びせた。
「僕達、の間違いでしょう?楓」
 肩を叩き、笑顔を向けて。彼女はくるりと首を回す。
「あたなも来なさい、ツリ目」
 前触れも無い命令に、悠治は躊躇うことなく頷いた。
「ああ」
「…やけに素直ね」
「呼ばれただろう?」
「え?」
「…いや、何でもない」
 訝しげな返しに首を振り、悠治は窓の外を見据える。陽はすっかり落ちて辺りは真っ暗だ。
「メトロまではかなり歩くわよ?」
「ゆっくり向かいましょう。どのみち数日はかかります」
 呆れたような郁の声に、楓の柔らかい声が続く。
「どちらにせよ、出発は明日がいいだろう。彼のことも明日に回して構わないかな?」
「ええ。もう暗いですから…」
「それじゃあ、また明日」
 柏原は全てを了承すると、松明を借りて高台へと帰っていった。

 リビングはまた、静まり返る。
 用意されていた夕食を消化する間も、会話は弾まなかった。
 それぞれが食事を飲み込みながら考え事をするような…しかしながら実際に考えが捗ったわけでもなく。
 ただ、明るい声を出す空気ではなかったし、そもそもその気力も残っていなかった。ただそれだけのことなのかもしれない。

 そうして森も、草原も、空に浮かぶ月と星以外が眠りについた頃。
 三人も眠りの準備を整える。

 部屋を男に占領されてしまったので、悠治は楓の部屋で眠ることになった。
 遠慮したのだが無理矢理ベットに押し込まれ、悠治は気まずいながらも床に寝そべる楓に問い掛ける。
「メトロまでどれくらいかかるんだ?」
「どうでしょう。山を幾つか越えないといけないみたいですけど…実際に歩いたことはないのでなんとも」
「山を幾つか…か。…遠いな」
 暗闇の中、微かに見える天井にその距離を思い浮かべて苦笑する。そんな悠治に笑みを浮かべ、楓は冗談混じりに呟いた。
「空を飛べたらいいんですけどね」
 その響きに思うところがあったのか。頭の下に組んだ手をそのままに、悠治は楓の方を覗き見る。彼はうつ伏せに枕を抱いて、悠治の視線を振り向いた。
「前にも思ったんだが。楓は鳥が好きなのか?」
「いいえ」
「それなら、空が好きなのか」
「それも違いますね」
「飛ぶことに執着している」
「そうでもないんですよ」
「難しいな」
「そうでしょうね」
 楓はフッと息を漏らして視線を落とす。半分だけ枕に埋もれた口元が悠治に問い掛けた。
「君は僕の事を、どれくらい知ってますか?」
「殆ど知らない」
「はい。だから、難しくて当たり前なんです」
 相変わらずの体勢で首を捻った悠治に顔だけ向き直り、楓は小さく肩を竦めて見せる。
「君も自分の事を突き詰めていけば…」
「柏原にも同じことを言われた」
 悠治は楓のアドバイスをため息で遮って、眉の根本にありったけの皺を寄せた。その顔は一見して怒っているように見えるが、彼はただ悩んでいるだけである。
「だが、俺には分からない。突き詰める、と言う行為自体がなかなか難しい」
「そうですね。確かにその通りかもしれません」
 楓は直ぐに同意を示すと、床に向けて持論を解いた。
「今の君は実年齢…18歳ですよね。でも僕は実年齢プラス20年、つまり40歳くらいの人と同じだけの経験があります」
「何の?」
「人間の、です」
 彼はうっすらとした笑みで悠治を振り向く。目が合うも、それは直ぐにそらされた。
「個人差はあるでしょう。でも、僕はいつも考えてきました。自分について、周囲について、生について、死について…色々なことを、考えて生きてきました」
 そこで小さな息が溢れる。ため息、と言うよりは息継ぎに近いそれが、悠治が考えを纏める僅かな間を作った。
「それが僕の40年分の経験です」
 楓はそう言って、枕に顔を埋める。閉じた瞼が丁度眼鏡のフレームに隠れて、悠治がいる位置からは表情が窺えなかった。
 楓はそのまま数十秒休むと、不意をついて口を開く。
「だけど未だに分からないことがあります。それこそ一つに留まらず、星の数ほど存在するような気になるほどに」
 細く儚いその声は、独り言のように部屋に響いた。悠治はそれに構わず質問を投げ掛ける。
「だから、翼が欲しいと?」
「え?」
「あんな翼があればもっと遠くまで行ける。移動も速いしな」
「そう思いますか?」
「違うのか?」
 寝ながら首を傾げた悠治に微笑んで、楓は自身に嘲笑した。
「やっぱり、君はまだ若いんですね」
 一人含み笑いを幾つか溢し、咳払いでもするように肩を揺らした彼は、声量を落として独り言を漏らす。
「こんなことで自覚するなんてなぁ…」
 それを聞きそびれ、更に顔を傾けた悠治に、楓は自分の見解を示した。
「人間は貪欲なものです。それこそ、自らの望むものに対しては」
「お前は何を望んでいるんだ?」
「それは僕にも分かりません」
 えっ、と。目を見開いた悠治に構わず、楓は独り言を続ける。
「だけど、それを知ってもきっと僕は…」
 呟いて、微笑み。楓はそっと眼鏡を外した。そして素顔を悠治に向けると、複雑な笑顔を浮かべて小首を傾げた。
「神様って、何なんでしょうね?」
 突然の問い掛けに、悠治はピタリと固まると、暫く思案して肩を竦める。
「少なくとも、実在するものではない気がするが」
 言いながら断定しかねて天井を仰ぐ悠治に、楓は俯き同意した。
「そうですね」
 言いながらそっと触れた鼻を二度つまみ、その手を枕の上に戻す。その間に降りてきた悠治の視線を振り向かず、楓は続けた。
「そして少なくとも、願いを叶えてくれるような都合のいい存在でもないでしょう」
「何故そう思うんだ?」
「君こそ。どうして居ないと決め付けるんですか?」
 問い掛けに返された振り向き様の問い掛けに、悠治は答えられなかった。誤魔化すような楓の笑顔を見ているうちに、はぐらかされたような気になって。悠治はついっと視線を流す。

 楓はそんな悠治に微笑むと、一方的に話を切った。

 おやすみなさい、また明日。と。









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