俺はそれを否定できなかった。
 だからと言って、その理由も説明できなかった。




「reason」




 沈黙が、静寂を呑み込んだ。
 代わりにざわめくのは心の声。そして、言い様のない何か。

 最初に口を開いたのは、楓だった。
「消滅した…?」
「そんな…だってあっちには…凄い数の人が…」
 続けて郁が呟くと、辺りに音が戻ってくる。
「詳しくは分からない。だが、高台から見る限り…」
「あそこからはメトロが見えるのか?」
「君にはまだ案内していなかったな。高台の上に見張り塔があるんだ」
「そこからなら、ある程度が見渡せるわ。とはいっても、メトロは広いから…全部が見える訳じゃないけど」
 悠治は説明に頷くと、背後を振り向き足早に男に近寄った。
「何があったんだ?」
 見えないながらも、流石に自分へ投げられた質問だと察したのだろう。男は直ぐ様首を振ると、低い声で答えた。
「…分からない」
「なら、あなたはどうして此処まで逃げてきたの?」
「たまたまさ…」
 続く郁の質問に、男は笑い混じりの返答をする。
「たまたま、聞いてしまったんだ。神様の声をな…」
 半笑いで続けられた言葉に、悠治の顔が複雑に歪んだ。
「頭でも打ったのか…?」
「この人もあなたには言われたくないでしょうね」
 郁の茶々に振り向くと、隣の楓が無表情に補足する。
「現世のような宗教的なものとは違って、この世界には実在するんですよ」
 男を見ていた楓の目が、素早く悠治を捉えた。そのうちの片方は、眼鏡が反射する光で見えない。
「神様と呼ぶべき存在が」
 楓がそう言うと、妙に説得力があった。悠治は俄に信じられないそれに瞬いて、扉近くの柏原に顔を向ける。
「実際に姿を見た者が居るわけではない。だが、声を聞いた者は万といるだろう」
「あなたも聞いている筈よ?」
「俺も?」
「最初、この世界に来たときに」
 柏原、郁、楓へと。ぐるりと首を回す間に答えが見えた。
「啓示…か」
 悠治が呟くと、柏原が深く頷いて補足を始める。
「他にも諸説あってな。世界に天変地異が無いのも、病が無いのも、成長が止まるのも…つまりはこの世界の仕組みそのものが神の力なのではないか、と言われている」
「で?その神とやらが何て言っていたんだ?」
 納得した悠治は、言いながら男を振り向いた。彼は俯いたまま、聞き取りにくい声で応答する。
「メトロを滅ぼす…と」
 その言葉は、室内に音のない波紋を巻き起こした。それが広がり切るのを待たず、男は声を荒げる。
「だからおれは逃げてきた。必死で走って、隣にあるというこの場所を目指して…」
「一人で…ですか?」
 楓が静かに呟いた。男はバツが悪そうに首を回す。
「仕方がないだろう…そんな話を、信じる奴なぞ…そうそう居やしない…」
「でも…何人かは居てもいいはずよ!ねえ、他にも声を聞いた人は…」
「知るかよ…他人のことなんか…」
 詰問を遮り、舌打ちと共に吐き出された言葉を聞いて、郁は自らの掌を握り締める。彼女の鋭い眼差しは、目の見えない彼には届かなかった。
 男はまた、咳を始める。目立って怪我をしているのは足だけだと言うのに、どうにも苦しそうだ。
「…大丈夫か?あんた…」
「大丈夫じゃねえよ。もう良いだろう?話は済んだ。早いとこちゃんとした治療をしやがれ…」
 悠治の問いに怒鳴り散らし、体を起こした男は腕を振って抗議を続ける。
「聞こえねえのか?医者はいるんだろ?手術室へ連れていけ。オペをしろよ…!」
 ぜえぜえと乱れた呼吸が連なる中、沈黙が間を繋いでいた。
 男が痺れを切らせて口を開きかけるのを邪魔するように、楓が淡々と言葉を並べる。
「…残念ながら、この国の技術ではこれが限界です」
「そもそも…どうしてそんな怪我を…?爆発があったとき、あなたはツリ目と一緒にいたはずじゃ…」
 郁が一息に疑問を投げ掛けるが、どうやら男の耳には届かなかったらしい。固まった彼は震え、俯き、小さく呟く。
「…ふざけるなよ…」
 わなわなと、続いた緊張を破るように男は叫んだ。
「こんなことがあるかよ…折角一人、助かったと思っ…くそっ!あそこで変な罠にはまらなければ…」
「罠…?」
「お前たちだな…?」
 楓の疑問符に、男の疑惑が被せられる。
「お前たちが…罠を…」
「この国にそんな技術はないと思うが」
 言葉を遮って発言したのは悠治だった。男は感覚だけで悠治を振り向き、怒りに任せて言い放つ。
「そんな技術…?まるでおれがどんな罠にかかったか、知っているような口振りだな…」
「知っているも何も…防犯用に良く使われる奴だろ?目潰しに足潰し…あと神経毒だっけ?」
「あなた…何でそんなこと知って…」
 郁が合間に呟くが、悠治はそれを無視して続けた。
「麻酔もないこの国に、そんなものがあると思うか?」
「悠治くん…」
「……悠治……?」
 楓の呼び掛けに反応したのは、悠治ではなく男の方だ。彼は、集まる視線の中で眉を歪める。
「何処かで聞いた声だとは思っていたが…まさか…樫園悠治か…?」
 静かな問い掛けに戸惑いながら、流れてくる視線を見渡して、悠治は頷いた。
「…そうだが…」
「何故…!お前は何故無事なんだ?!お前みたいな奴が…何で…」
「おい…」
「くそっ…お前が…お前みたいな出来損ないが生きて…おれが…死ぬ…だと…?…はっ…はははは」
 ベットを殴り付け狂ったように暴れる男を押さえ付けながら、悠治はその顔を覗き込む。
「おい…お前は…」
「ふざけんな!ふざけんじゃねえぞ!くそったれがぁああぁあ」
 男は勘だけで悠治の胸ぐらを掴むと、血走った眼を持ち上げた。そして悠治に、見えぬ周囲に向けて、悪意を放つ。
「この国の人間も…全員…くたばれ…」

 抜けていく力。
 男はその言葉を最期に動かなくなった。

 悠治は自分のベットに男を寝かせると、無造作に布団を被せる。その後柏原が三人を追い出して、最後の診断を始めた。


 揃ってリビングに出ると、先頭を歩いていた楓が立ち止まり、徐に問い掛ける。
「悠治くん。もう一度尋ねますが」
 振り向いた彼の目は、何時になく真剣だった。
「まだ思い出せませんか?」
「ああ…」
「あの人に見覚えは?」
「あったらとっくに言ってる」
 受け止めた悠治も真剣に、しかし落ち着いた調子で返答する。そこに郁が割り込んで、悠治の両腕を掴んだ。
「あなた、記憶がないのよね?それならどうして、罠のこと…」
「記憶が無いとは言ったが、知識まで失った訳ではないと思う」
「…つまり、彼のかかった罠は君の生きた時代に存在した…と」
「そうだろうな」
 悠治は頷く。曖昧に、しかしハッキリと。
 また、沈黙が訪れた。暫くの間続いたそれは、楓の呟きによって破られる。
「悠治くん…思い出してください」
 郁と、悠治の顔が上がった。二人の顔を交互に見据え、最後に悠治に向き直り、彼は続ける。
「あなたはどうして…死んでしまったんですか?」


 その質問に、悠治は答えることができなかった。









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