その日は妙に明るかった。 毎日のように薄暗い森の中に、相も変わらず王都に向けて進行を続ける4人の姿がある。 彼等は軽い昼食を取る為に、少し開けた空間に腰を据えた所だ。開けたとは言っても見上げた先には大量の枝が見えるだけで、遥か上方から差し込む光の強さも薄らいでしまう程、木々の密集した場所なのだが。 「エニシアさん。ライ麦パンと玄米パン、どちらがいいですか?」 「どっちでも」 「じゃあ、ラム酒とぶどう酒は…」 「どっちでも」 右隣から注がれ続けるムーンの質問に対し、素っ気なく同じ返答をし続けるエニシア。ムーンはエニシアの返答を受けて、手に持ったパンと酒を見比べて唸り始める。 「相変わらずの優柔不断っぷりじゃのう」 「仕方ないなぁー。わたしが選んであげちゃうー」 ジャッジもティスも、それぞれ既に食パンとウイスキー片手にもそもそと口を動かしていたわけだが、合間に混ざった会話を見兼ねて助け舟を出した。 「エニシアさんも優柔不断なんですか?」 「いや。どっちも同じ食料だから選ぶ気が起きないだけ」 「味の違いにこだわりはないんですか?」 「胃に入っちゃえば一緒だからね」 「嫌いな食べ物とかないんですか?」 「君さ」 ティスがほいほい2人にパンと酒を振り分ける傍らで行われていた会話は、エニシアの溜息と共に一時中断される。 「どうしてそう質問が多いんだ」 「分からないですか?」 一息付く間も与えぬかのように、即座に返答するムーンと向き合いながら、エニシアは然も面倒くさそうに顔を顰めた。 「気になるからです。あなたが」 ムーンはにっこりと微笑むと、エニシアを指差して首を傾ける。 「僕は誰かを尊敬することで自分を保っています。でも、誰も尊敬しないあなたのような人も居る」 回答はこれ以上無くハッキリと聞こえる声で提示された。初めて顔を合わせたときの気弱さがここまで薄れたのは、単に馴染んだからだろうか。エニシアはそんな事を頭の片隅に、ムーンの話を耳に入れる。 「そういう人が、どうやって自分を維持しているのか、凄く気になるんです」 「何かに依存しすぎなんじゃない?」 「そうです。僕は僕だ、と。言える様になりたいんです」 「勝手に言えばいいじゃないか」 「あなたは心からそれを言っている訳ではないんですか?」 「さぁ。どうだろう」 「どうして隠すんですか?」 「まだ迷っておるからじゃろう」 「思い出したくないことに触れてしまうのが怖いのかもね?」 「ほんと、勝手言ってくれるよね。君たちは」 最終的に答えられなくなった所で恒例となったジャッジとティスの茶々が入り、エニシアの肩が上下した。ムーンはそんな状況にも怯まずにこにこと笑顔を浮かべるだけだ。 そうしてやっとのことで、エニシアがワインに口を付けようとしたその時。 「やっと見つけたと思ったら」 ザッと言う足音と共に、女の声が大きく響く。それはティスの持つ特徴的な間延びした声とは正反対の、鋭くハッキリとした良く通る声だった。 エニシアが嫌な予感と共に顔を動かすと、ムーンと反対方向に仁王立ちする女の姿が目に入る。 「久しいのう」 「お久しぶり〜。サンちゃん」 似たやり取りも既に何度目か。ジャッジとティスが何時ものように挨拶を飛ばすと、それを受け取った人物はふっと微笑んで2度頷いた。 「あなたたちは相変わらずいい感じね。でも」 不意に厳しい表情を携えた女の顔は、そのままエニシアへと向けられる。細められた橙色の眼差しからは、心なしか蔑みが滲み出ていた。 「あなた、尊敬してる人間がいないんですって?」 「そうだけど」 エニシアはワインを胃に流し込む片手間にサンと呼ばれた彼女に返答する。 「その癖、自分は自分だとも言い切れない」 「だから何?」 早いところ結論に辿り着きたいのだろう。急かすように流し目を向けたエニシアと、サンの瞳がぶつかった。 「じゃあ軽蔑するものはなに?」 「さぁ。考えたことも無い」 「人間そのものじゃないの〜?」 素っ気ないにも程があるエニシアの回答に、ティスの声が続く。エニシアは小さく肩を竦めると、パンをかじりながら覇気も無く呟いた。 「軽蔑って言うとさ、まだ救いようあると思わない?」 言葉を吐き出す代わりに口の中の物を飲み込んで。 「救いようがないものを軽蔑なんてしない」 言い切ったエニシアを見下ろしていたサンは、あからさまに顔を顰めて声を落とす。 「あなたはあなた自身を救いようがあると思うの?尊敬するものもなく、自分に納得もしていないのに」 「救う気なんてないから」 「出たわね」 最後の一言と共に、周りの空気が変化した。当然、エニシアは反射的に身構えてサンを見上げる。 「あなたみたいな辛気臭い人って大嫌い」 憎悪か、嫌悪か、惜しげもなく放出される感情を一心に受けながらも、エニシアは顔色一つ変えることなく警戒を続ける。 「どうしてそう、世界を負のオーラで満たそうとするわけ?この国の人間はみーーんなそう!全部焼き尽くしてやりたいわ!」 「やればいいんじゃない?」 「そうやって直ぐに投げ出す!」 冷めた空気と熱い空気がぶつかり合う様子を眺めていたジャッジとティスが、サンの咆哮を受けていそいそと後退し始めた。 「私はあんた達みたいなのとは違うの!」 サンはエニシアだけを視界に納め、思いの丈をぶちまける。 「変えてみせるわ。全ての人間を明るい方向へ!」 その瞳は…いや、体中で表現される感情は真剣そのもので、聞く人が聞けば感化されること間違いないであろう迫真さを備えている。しかしこのエニシアという男には、それすらも無意味だ。その証拠に、彼は溜息と同時に食事を再開し。 「うざいな…」 彼女の全てを否定するような言葉を口にする。 「ほんとに太陽みたいな…」 「サンを悪く言わないでください」 皮肉の言葉は不意に遮られ、更にはエニシアの体に当たっていた光も遮断された。理由は明白。彼の隣に座っていたムーンが立ち上がったから。 なんとなしに顔を持ち上げたエニシアには、今までのムーンからは想像もつかなかったような鋭い眼差しが注がれている。それを目視したエニシアが、思わず一言。 「……誰?」 と、漏らしてしまうほどに。 「ムーンじゃよ」 「太陽に照らされて満月になったムゥちゃんよー?」 「………………多重人格?」 「そんなものだと思って割り切るんじゃな」 離れた位置から助言するジャッジとティスに適当な返事を返し、エニシアはサンの隣に移動したムーンに問いかける。 「君の尊敬する人って、もしかして」 「サンですよ」 「じゃあ聞くけど。そっちの君はさ。君が居ない時のコレの性格は知ってるの?」 「勿論。だけどムーンはあなたみたいに後ろ向きじゃないわ!」 相変わらず仁王立ちのままエニシアを見下ろし続けていたサンが、隣に佇むムーンに柔らかい笑みを注いだ。 「自らを軽蔑して、誰かを尊敬して、前向きに生きようとしてる。それだけで十分じゃない」 「意味が分からない」 お決まりのセリフを最後に、今度こそ食事に戻ろうとするエニシアのその行動が。 「辛気臭いなら辛気臭いなりに…」 見事、サンの逆鱗に触れた。 「前向きになってみせなさいって言ってんのよ!」 渇と共にあふれ出した光の意味も知らぬまま、エニシアはただその場に座り込んでいた。 |