翌日の昼間。 宿を出た彼等は相変わらず森の中を進んでいた。 歩いても走っても立ち止まってもあまり変化の見られない景色に飽き飽きしていたエニシアであったが、彼はそれ以上に不服そうな面持ちでティスの後ろを歩いている。更に後ろに続くジャッジが不意に足の回転を緩めると、同時に先頭のティスが歩みを止めた。 「一杯来るみたいねー」 彼女がにこにこと呟く傍から、普通なら沈黙を保ち続ける筈の地面が微かに揺れ始める。続けて耳に優しくない騒音が辺りに木霊し始めた。 「面倒だな。やり過ごす?」 「エサを求めての移動なら無意味じゃろうて。変に隠れるよりは迎え撃つが吉と見るがのう」 冷静にそんなことを呟くジャッジであったが、彼は手伝う気などさらさら無い様で、相変わらず荷物を持ったまま道の先を見据えるだけ。ティスに助け舟を求めるも敢え無く頷かれてしまい、心の中で項垂れるしかないエニシアであった。 「っていうか。君は何か出来ないの?」 先ほどから身を縮めてジャッジの背後に佇んでいる人物に向けて、エニシアが半ば八つ当たり的な言葉を飛ばす間にも、野獣の群れは迫ってくる。 おろおろと揺れる地面に対応していたその人物は、俯いたままヨロヨロと前に出た。 「僕がやってしまってもいいんですか?」 「わし等はその方が楽じゃが、無理はせんでいいぞ。ムーン」 「いえ。仕方が無いことは分かっているので。かわいそうですが…」 哀愁漂う眼差しのまましっかりと眼鏡をかけなおしたムーンは、目視出来た野獣の群れの通り道に立ち止まる。ティスが先頭を明け渡して後ろに下がった頃には、既に群れの先頭が直ぐそこまで迫っていた。 エニシアはこの緊迫している筈の中、にこにこにやにやと佇む両脇の2人に違和感を覚えると共に、以前にも感じた事のある寒気を覚える。 彼が羊と牛が融合したようなものから、ヘビとウマが合さったようなものまで、様々な四足歩行の獣を間近に捕らえた瞬間。 「すみません」 ムーンの小さな小さな言霊が、大量の足音の中で確かに響いた。 彼の声が呼んだのは強大な魔法陣。白く輝くそれは野獣の群れの丁度中心から、全てを包み込むように広がっていく。 驚いた獣たちがバランスを崩すなどして進行を乱した直後。ムーンは、右手で眼鏡のフレームを支えた。 「ようこそ。認識されない世界へ」 彼の囁きが森に拡散される。 同時に全ての音が、周囲から消え失せた。 それに気付くと同時、消えてしまったのは音だけではないことを認識する。 声も無く、周囲を見渡すエニシアの視界に映るのは、風に揺られる木々の姿。そして、獣の集団の織り成していたであろう影だけだ。 地を這うように蠢いていた大量のそれも、ムーンが振り向くと共に風に攫われて行く。 「お待たせしました」 そう言って悲し気に微笑んだムーンの瞳の上。彼の顔の半分を覆う丸眼鏡の右レンズから、淡く光る魔法陣が消失した。 「それが君の力?」 「はい」 半ば呆気に取られた状態で問いかけるエニシアに対し、ムーンは申し訳無さそうに声を低くする。 「ムーンの道具はその眼鏡じゃ」 「じゃあ、あんたは?」 「わたし〜?わたしはコレ〜」 ご指名を受けたティスが片手に持ったサーベルを持ち上げて見せると、エニシアの眉が微かに歪んだ。 「カードによって、使える能力は様々じゃ」 「へぇ。じゃあ、ファンとか言うのが出した防御壁も?」 「応」 「ハングとか言うのが空飛んだのも?」 「その通りじゃ」 「世も末だね」 「お主が吐ける言葉ではないと思うがのぅ」 会話の合間に剣を仕舞いかけたエニシアの背を叩き、ムーンを後退させたジャッジは、エニシアに元の配列に戻るよう促す。 「従わないとどうなる?」 「呼び戻してもらうか?先の野獣共を」 「遠慮しとくよ」 溜息のようにそう言って、エニシアはしぶしぶ戦闘員としてティスの後方に戻った。 それからまた数日後。 底を尽きた食料を補充する為に街道の街へ出た4人は、食べ物屋と宿を探しながら表通りを歩いていた。 彼等がきょろきょろ町を彷徨っていると、数日前さながらの…しかし趣の異なる足音が前方から迫って来た為、道の端に寄って歩みを止めることになった。 同じ色の服に帽子、肩に担がれた槍や、腰に下げられた剣。そして、彼等が運ぶ馬車の中に混じる巨大な大砲。奇妙なまでに揃えられた足音が耳から離れるまでざっと15分。長蛇に渡る列はそのまま北に向けて進んでいく。真っ直ぐに、真っ直ぐに。 「また、戦争ですか」 ムーンは獣の群れを消滅させた時と同じような色を持って、行列の最後尾を見送る。エニシアは寄りかかっていた壁から背を離すと同時に、呆れたように声を出した。 「またも何も。毎日やってるじゃないか」 「え……?あ、ああ。そう、ですよね」 一呼吸後、3人の進行に気付いたムーンがそれに続く。そしてだらだらと前の二人を追うエニシアに並んだ。 「貴方は戦争についてどう思いますか?」 「どうもこうも、勝手にやってればって感じ」 向き合わないまま返答するエニシアに、ムーンの問いかけが続行される。 「人が沢山死ぬことは、貴方にとって嬉しいことなんじゃないんですか?」 「別に。僕が斬るわけじゃないし」 「戦争には参加されないんですか?」 「したことあるよ」 言いながら無意識にムーンを振り向いたエニシアは、彼の表情を見て若干の違和感を覚えた。それでも首を傾げたムーンに促され、自分の話を繋げる。 「でもね、一番ムカツク奴を斬るなって言われて」 「部隊ごと全滅でもさせたか?」 この喧騒の中、地獄耳を持って話に割り込んだジャッジの皮肉。 「良く分かったね」 瞳を細めてそれに答えたエニシアは、隣のムーンが卒倒するのではないかと思わず足を止めた。しかし停止したのはエニシアだけで、他の3人は当たり前に前進する。エニシアが先ほどの違和感を強めた傍から、更なる違和感が被せられることとなった。 エニシアを振り向いたムーンが、気弱そうな笑顔を浮かべておらず。 「良くお尋ね者になりませんでしたね」 そう言って、にっこりと微笑んだのだ。 訝しげな表情で進行を再開したエニシアは、やはり笑顔で返答を待つムーンに向けて適当な答えを探す。 「全員敵にやられたってことになってるんじゃない?」 「やっぱり、忌み嫌う人間には従えませんか?」 「さぁ。余り従う気がないからな」 「この人の言うことなら聞けるってこと、なかったんですか?」 「ああ。面倒だからね」 考えながら考えて。エニシアはなんと無しに浮かんだ事をそのまま口にした。 「誰かの為に、とか。そういうの」 そうしてもう一度、エニシアはムーンの表情を盗み見る。 「貴方は貴方だから、ですか?」 「さぁ。でも、人は自分の為に生きているんだろう?」 「誰かの為に生きようと思う人もいると思いますよ?」 「…そうかもな」 そこまで来てエニシアは気付いた。ムーンの声が、この喧騒に負けぬほどの音量で発せられている事に。 「貴方の考え方は凄く素敵だと思います。でも…」 何時からだろう。何時からだっただろう。 「貴方は自分の中に生まれた矛盾から逃げている」 ムーンの言葉の合間に答えを探していたエニシアが、更なる追い討ちを喰らって足を止めた。 「違いますか?」 そう言って小首を傾げたムーンを真っ直ぐに見詰め、エニシアは固まる。 「その矛盾と向き合うことで、今の貴方から脱却できる、そうでしょう?ジャッジさん」 ムーンはエニシアの内心を知ってか知らずか、無邪気にジャッジを振り向いた。 「ムーンの言う通りじゃよ。エニシア」 何時も通り、皮肉な笑みを浮かべるジャッジが頷くのを前に、「やっぱり」と嬉しそうに笑うムーンを見て。 「なんか」 「雰囲気が変わったか?」 「近いんですよ」 ジャッジの問いにエニシアが頷くと同時、ムーンは直ぐに答えを提示した。 「太陽が」 |