白に反射する赤が薄らいで、周囲の色合いが微かに淡くなる。 視界に広がる薄らぼやけた景色。空を見上げずとも認識出来る空気の変化。 そろそろ日が暮れる。 人によってはただそれだけの事象。人によってはただそれだけでは済まされない事象。人によっては感情を動かされる事象。 しかしやはり、ただそれだけのこと。それぞれの心情などお構い無しに、時は刻まれていくのだから。 街の中央に佇む白い建物を見上げながら、薄汚れた裏町を進む3人の人影。その中の一人にとっては、日が落ちていく情景など「どうでもいいもの」に他ならないのだが、他の2人は困ったように溜息を漏らした。 「またも宿が見つからんとはな」 「困ったね〜?どうしようか〜?その辺の路地裏にテント張っちゃう〜?」 皮肉な呟きに、ほわほわとした声が如何にも「それはどうだろう」と思える返答をする。それすらどうでも良さそうに周囲を見渡す青年は、人気の無い道を歩く学生服の少年を目視した。 その服は正に、先ほど彼が見上げていた白い建物に通う者であることの証。しかしその建物に出入りする学生が、こんな裏町を「買い物帰りです」と言わんばかりに紙袋を抱えて歩いているのも可笑しな話。何故なら例の場所は「魔道学校」。主に金持ちが持て余した大金を叩いて通う、それはもう豪勢な施設なのだから。 だからこそ、白い学生服を身に纏う少年の姿は、青年…エニシアの普段から薄い表情の中に微かな変化を呼び起こさせた。 少年はエニシア達を気に止めることなく歩みを進めていたが、何があったわけでもないのにバランスを崩し、抱えていた手荷物を盛大に道端にぶちまける。元から彼を見ていたエニシアだけでなく、困り果てていた連れの2人も音に驚いて振り向くこととなった。 土埃舞う薄汚い地面を、鮮やかな赤が転がっていく。それは偶然にもエニシアの足に進行を中断された。 「あ、すみません…!」 散らばった食材を拾い上げながら、りんごの到達した先に佇むエニシアを見上げた少年は、気弱な笑みを浮かべて謝罪の言葉を放つ。 足元のりんごに気付いていながら棒立ち状態のエニシアに見兼ねたジャッジが、代わりに拾ったりんごの汚れを服の袖で拭った。 「あれ…?」 りんごを差し出すジャッジに駆け寄ってきた少年が、不意に速度を落とす。不思議そうな表情で見詰められたジャッジが子供らしからぬ妖しい笑みを漏らすと、少年の眼差しに宿る疑問の色が濃くなった。 「ワシの顔に何か付いておるか?少年よ」 「いえ、すみません。少し、似ている気がしたんです」 受け取ったりんごを袋に収め、俯き気味に返答した少年に対し、笑みを強めるジャッジの背後から、ティスが朗らかに問いかける。 「あなたの知り合いに?」 「………はい」 彼女を見た少年は、ジャッジを見たときと同じように、やはり不思議な表情を浮かべた。そのやりとりを見ていたエニシアは、次のジャッジの一言で気付かされることになる。 「姿形が、と云う意味では無さそうじゃのう」 その少年が、何者であるのかを。 エニシアの瞳に淀みが宿ったと同時、少年は肩を竦めて微笑を浮かべる。そして。 「……こんなことを言っては笑われてしまうかもしれませんが…」 そう前置きして表情を緩めると、鋭い眼差しをジャッジに向けた。 「雰囲気と、魔力が」 優し気な表情に似合わぬ眼光がエニシアの脳裏に刻み付けられる。それを無視して深く頷いたジャッジは、少年を見上げなければならない位置まで歩みを進めた。 「あながち、間違ってはおらんであろう」 「あなたのパートナーは、だあれ?」 小首を傾げたティス、そして自らを見上げるジャッジを交互に見据え、少年は確かに緊張を緩める。 「パートナー…じゃあ、やっぱりグスさんの!」 明るい声で体を弾ませた少年に違和感を覚えながらも、エニシアは小さく溜息を漏らした。ジャッジはやはりエニシアのそれを他所に、親指と人差し指を顎に当てて大きく唸る。 「グスか。うーむ。あやつは少々やり難いからのう」 「大丈夫よ〜。根は優しい子だもの。きっと泊めてくれるわ〜」 ふわりと足を前に出したティスの一言に、当然首を傾げた少年を手招いて、2人は裏町を進み行く。 残された少年がエニシアを振り向き、元から少年を見ていた彼と視線を交わした。 「君さ」 前を行く2人に続き、少年に進行を促しながら。 「どうやって”そいつ”に会ったの?」 エニシアは少年に詰問を始める。 「そいつ」とは誰を指すのか。数秒間悩んだ挙句、エニシアが見据える先に存在する2人を見て答えを導き出した少年は、一つ頷いてエニシアを見上げた。 「占って貰ったんです。凄く綺麗な女の子に」 「やっぱり」 答えを聞くや否や呟いて、エニシアは声のボリュームを若干上げた。 「他にも居るんじゃないか。犠牲者」 少年は真っ直ぐに前方を見据え続けるエニシアと、前を行く凸凹を形作る2人を見比べる。その数秒の間を置いて、ジャッジが妖しい笑みを振り向かせた。 「そう思うか?エニシアよ」 「思うも何も、そのままじゃないか」 「あの…一体何のお話ですか?」 痺れる空気に耐え兼ねて言葉を割り込ませた少年に、エニシアの濁った眼差しが降り注ぐ。 「君はアイシャに何を取られた?」 言葉と噛みあわない色合いの瞳を見上げながら、少年は…シエルは思う。彼も、”彼女”に占われたうちの一人なのだと。 「大事にしていた銀貨ですよ。昔の通貨だから価値なんて殆ど無いはずなのに…どうしてでしょうね?」 何処か嬉しそうにそう語るシエルを訝しげに見下ろして、エニシアは短く問いかける。 「腹立たしく無いのか?」 「どうしてですか?」 え?と顔を上げたシエルは、エニシアの瞳の奥に宿る嫌悪に気付いて、悲しげに微笑んだ。 「僕は、彼女のお陰で道が開けそうなんです。あんな価値の無いものと引き換えにしてしまって申し訳ないくらいに…」 聞き終えたエニシアは、いつものように「意味が分からない」と言った風に溜息を付いたが、前方を振り向いた時にハッとする。 何故なら、ジャッジの妖艶な眼差しが未だこちらを向いていたから。 「分かったじゃろう。エニシア」 ジャッジは呟く。 「アイシャが強盗なんぞでは無いと言うことも…」 シエルを横目に。 「お主が、「大切なモノ」を奪われて憤る事のできる立場では無いと言うことも…」 最後に、エニシアの思考を貫くように。 シエルはジャッジの言葉の意味を理解し兼ねて2人の顔を交互に見据えた。その間も、エニシアとジャッジは視線を交わしたままだ。 困ったシエルが最終的にティスへ目を向けると、彼女は楽しそうに肩を竦めてまた前を向いてしまった。 「それもそうだな」 そこに響いたエニシアの声。シエルが彼を見上げると同時、ジャッジも前方に向き直る。 「だけど反省はしないよ」 言いながら、歩調を速めてジャッジに追いついたエニシアは、瞳だけでジャッジを見下ろしていつもの疑問を口にした。 「それに、それなら尚更…僕は死ぬべきなんじゃないのか?ジャッジ」 「頑固じゃのう。お主は」 「どうして君は、そうまでして僕を生かしておきたいんだ?」 強い口調にジャッジの口元が緩む。彼は何も答えずに、ただ前を見詰め続けるだけ。頑なに返答しない姿勢を見せたジャッジに呆れの溜息を浴びせ、エニシアは覇気も無く呟いた。 「僕が更生するなんて、最初から思ってないでしょ?」 「そうじゃのう」 「じゃあ、何故だ」 荒げかけた声を無理矢理軌道修正したように吐き棄てたエニシア。2人のやりとりを背後から見守るシエルが、腕の中の紙袋を抱えなおす。 「わしも是非聞きたいのう。お主が早々に死にたがる理由を」 「言っただろう?絶望したからだよ」 「人間で居ることに、じゃろう?」 ジャッジが呟くと、ティスは身を翻してシエルの横に並んだ。彼女が荷物持ちを手伝うことを進言する間に。 「今のお主は、果たして人間かのう?」 ジャッジはそう問いかけた。 「人間だよ」 エニシアは即答する。自らの体が「普通の人間」とかけ離れていることを理解して尚。 「こうやって無駄な事を考えて、話して居る限りは…」 「と、言うことは。わしも人間か?エニシアよ」 「そう。君だって人間だ」 軽蔑か、嫌悪か、複雑で読み取ることすら叶わぬ様な。…だからこそ「やる気のない」眼差しに見えるのだろうか。エニシアはそんな色を持ってジャッジを見下ろし続ける。彼の微かに細めた瞳には、夜の闇より深い黒が宿っているように見えた。 「例え、殺せなくてもね…」 鼻で笑い飛ばすように皮肉を吐き出したエニシアは、また諦めたように前を向いて歩みを進める。 それが今の自分に出来る唯一の事だと主張するように。 「本当は分かっておるじゃろうに」 前に出た彼に聞こえないように。 「いい加減、向き合う覚悟も出来たものだと、思っておったが…」 「結構臆病なのよねー?エニーったら」 「なぁに」 シエルの持つ荷物から林檎を攫い、軽く放り上げ。 「嫌でも気付かせてやろうじゃないか」 落ちてきた林檎を受け取りながら、ジャッジは皮肉な笑みを浮かべた。 |