Act.7:[ストレングス]







 作られた緑が花を咲かせ、はしゃぐ声に喜ぶように身体を揺らす。
 白い天井に不規則に並ぶ四角い窓からは疎らに光が漏れていた。嵌め込まれたガラスの持つ色彩が地に映し出され、小さな池の様にたゆたっている。
 全てが淡く輝いている様に見えて、思わず瞳を細めた一人の少年に向けて。木陰で寝そべる人影が、うっすらと微笑んで見せた。
 そこは魔道学校の庭園。
 昼休みも終盤。殆どの生徒が教室に足を向ける中で、少年と人影はぼんやりと虚空を仰ぐ。
 少年の鉛色の髪が微かな風に靡き、遅れて届いた風が青年の金髪をゆっくりと撫でて行った。
 二人の色違いの眼差しには正反対でいて、似たような色が宿っていたが、お互いはそれに気付いてすら居ないようだ。
「いいのか?行かなくて」
「次の授業、休講なんです」
 青年の問いに少年が答える。頷いた青年は空に視線を戻した。
 鐘の音が響く。知らせのチャイムは断続的に響き、最後に伸びた高音を残して宙に拡散された。少年…シエル=トワは、視線を虚空から天井にまで持ち上げてぼんやりと考える。

 この先のこと。
 これからのこと。

 ここは国が設立、管理する魔道士を育成する学校であり、通常入学する為には多大な資金が必要となる。
 勿論一般人にそんな大金が用意できる訳は無く、大抵の生徒達は金持ちの子供であることが多かった。
 シエルの家はとても貧乏で、片親は亡くなっており、様々な事情で現在は病気持ちの祖母と2人暮らし。そんな彼が何故この学校に身を置いているのか。
 何故なら。「素質」を持つものには特例が発行され、全ての学費が免除になるのだ。
 シエルには素質があった。この国が必要とする「魔道士」になるだけの素質が。
 そしてその「魔道士」になることさえ出来れば、多額の借金を返すだけの稼ぎが得られることも。シエルは良く心得ている。

 魔道士になる為には、2つの試練を突破しなければならない。
 一つはつい最近になってクリアした。しかしもう1つの事情がシエルを悩ませていた。

「魔道士」とは。
 戦争で大量の人間を殺す為の兵器として量産されているモノ。
 厳密に言えば、それは「白魔道士」と呼称される人々の事を指す。しかしシエルはそれになりたい訳ではないのだ。
 だからと言って、もう1つの道を選べば「稼ぎ」は無くなる。守りたいモノが守れなくなってしまうのだ。

 シエルは悩んでいた。

 自身の潔白を守るか。

 守るべきモノを守るか。



 ふう、と息を吐き出したシエルは、視界の片隅に入り込んだ人影に眉を顰めた。
 複数人のそれがシエルの周囲を覆いつくすと、明るかった筈の天井が酷く醜く見える。
 後ろ手に座り込んだまま、シエルは上方から見下ろす級友達の眼差しを捕らえた。
「この間は良くも…」
 拳をパキパキと鳴らしながら、顔に眼帯を貼り付けた男が呟く。それに併せてじわじわとにじり寄ってくる10人の男子生徒達。
 シエルはゆくっくりと立ち上がり、リーダー格である眼帯の少年をしっかりと見据えた。
「僕はただ、抵抗しただけです」
 濁りの無い真っ直ぐな眼差しが、眼帯の少年の眉根を歪ませる。
「落ちこぼれの分際で抵抗するなんて、生意気だって言ってるんだよ!」
「でも、抵抗しなければ…また僕が傷付けられた」
「満足に魔力も制御出来ない奴が、偉そうなこと抜かしてんじゃねえ!」
 ほんの1ヶ月前まで。抵抗すら出来ずに居たシエルが。
 ほんの数週間前まで。彼の言うとおり、落こぼれだったシエルが。
「僕はもう、昔とは違う」
 強い意志を持って。強い力を持って、場の空気を変化させる。
「落ちこぼれなんかじゃ、ないんだ!」
 シエルから湧き出した魔力が地を走り、間近に居たクラスメイトを後退させた。
 自然と後ずさるのも無理はない。彼等も魔道を学ぶ者の端くれ。その強さを、効果を、体で覚えているのだから。
 シエルは円状に5M程離れた彼等をぐるりと見渡して緊張の色を読み取ると、魔力の波動をそのままに、冷静な一言を漏らす。
「分かったら、もう関わらないで下さい。無駄な争いは嫌いなんです」
 それを聞いた少年達は、数日前シエルに返り討ちにされた際に負った傷跡を押さえつけながら、歯を食いしばり庭園を後にした。
 何処か縮こまったその背中を見送って、シエルは体中の力を抜く。ふうっと。吐き出した溜息が魔力を収納するのを認識しながら、悲哀の眼差しを無理矢理空に流した。
 そこに響いたのは軽快に手を叩く音。木陰に隠れていたであろう青年が、元の位置に座り直しながらシエルに肩を竦めて見せる。
「なかなか板に付いてきたな」
 言い終えて動作を止め、大きく伸びをして。
「今のはちょーっと、かっこよかった」
 不適に微笑んだ青年は、両手を頭の後ろへと回した。
「そんな。貴方のお陰ですよ。グスさん」
 シエルは曖昧な笑顔を青年に向ける。

 上手く制御することすら出来なかった魔力。
 それが今は、自分の思うままに扱えるようになった。
 シエルの瞳に宿る光が、グスの半開きの瞳に映る。

「俺は力を制御する方法を教えただけ」
 それが2人の契約。
「あとは君の好きにしな。俺も好きにやらせてもらう」
 それがグスの望んだもの。

 言葉の後、ゆったり過ぎるほどの低速で立ち上がったグスは、シエルに背を向けて歩き始める。
 彼が普段何をして過ごしているのか。彼が一体何を考えて、何を思うのか。シエルは知らなかった。
 それでもグスはシエルにとって、大切な恩人なのだ。
「夕飯、何が良いですか?」
 去り行く背中に声を注ぐと、グスは振り向き気味に笑顔を浮かべる。
「そうだな。キッシュがいい。ホウレン草の」
「分かりました。じゃあまた、夜に」
 満面の笑みで答えたシエルに、グスの掌が翻り。
「ああ。夕方には帰る」
 最終的に2本の指で別れを告げて、彼は学園を後にした。
 シエルはその背中が見えなくなるまで見送って、大きく大きく伸びをすると、また思い出したように空を見上げる。

「空って、こんなに綺麗だったんだ…」

 彼の美しい紫の瞳に、薄っすらと浮かぶ涙の意味を知らぬまま。
 空はゆっくりと時の流れを示してゆく。

 青く青く澄んだ空。
 その色は全ての人間を否定するかのように美しくて。
 …ただ只管に美しくて。

 だからこそ切なくなる。
 きっと僕はもう、そこには戻れないから。

 戻ることが許されないから。

 シエルが頭の中の言葉を切って、再び思考を切り替えた時。
 遠く離れたその場所で、青年の独り言ではない独り言が空に昇る。

「今日も無事帰れそうだ」

 聞き届けたのは彼の主人。そして反りの合わぬ同士。

「まぁ、命令には従うよ」

 面倒臭そうに呟いて、グスは大きく息を吸い込んだ。そしてそれを吐き出さぬまま妖しく微笑むと。

「彼がその力に自惚れないうちは…な」

 皮肉の言葉を瞳に宿し、風の誘うままに歩みを再開した。

 彼の望んだ自由のままに。
 彼の思う信念のままに。

















Act.6:[ハイエロファント]-3topAct.7:[ストレングス]-2