辿り着いたのは小さな小さな小屋だった。
 我が家の前で立ち止まったシエルは、道を教えたわけでもないのに迷うことなくこの場を目指した3人を不思議そうに見上げ、更にはティスの厚かましいまでの発言に目を丸くすることとなる。
「今日泊めてくれないかなー?宿が見つからなくてね〜?」
 ふわふわと詰め寄られ、更に彼等はグスの友人であるのだから断るわけにもいかず、シエルは苦笑交じりに3人の申し出を受け入れることにした。
 彼が常日頃からそうしているように、ズボンのポケットから小さな鍵を取り出して南京錠を開ける間。ジャッジ、ティス、エニシアの3人は、シエルの荷物片手にそれを見守った。
 鈍い音と共に錠が外れ、鍵の意味すら無さそうな古い木造の戸が開かれる。
 外観から想像出来る通りの狭いワンルーム、その奥に据えられた小さなベットの上に人が横たわっていた。
「ただいま。お婆ちゃん」
 シエルが笑顔で声をかけるも返答は無く。それでも彼が躊躇うことなく3人を通した事から、”お婆ちゃん”と呼ばれた人物は意識が戻り難い状態なのであろうことが窺えた。
「狭くてすみません。適当に寛いでいてください。今、お茶入れますね?」
「お構いなく〜」
「宿泊料くらいは置いていくからの。安心せい」
 台所に立ち、振り向き気味に言ったシエルだったが、既に各々のスタンスで寛ぎモードに突入している3人を見て微かに頬を緩める。
 そうして3人がシエルに入れて貰った薄いお茶を啜りながら、せっせと夕食作りに追われるシエルの背中を眺めていると、何の前触れも無く玄関が開かれた。
「あ」
「久しぶり〜グっちゃん」
「元気にしておったか?」
 扉を開いた張本人が3人の姿を発見するやいなや、ぽかんと口を開けて間の抜けた声を出すのにも構わず、ティスとジャッジはマイペースに挨拶を飛ばす。
「お帰りなさい、グスさん」
「お帰りじゃないよ。何でこいつらを入れたんだ?」
「え。まずかったですか?お友達だと仰っていましたし、宿がないって…」
「友達ではない。ただの…ああ、なんだ?っていうか宿って。もしかして何?」
「一晩泊めて貰う事にしたのー」
 シエルに詰め寄っていたグスは、ティスのその一言で大きく溜息を漏らした。あわあわと状況を見守っていたシエルが、グスが手を払う仕草に頷いてキッチンに向き直る。
「全く。相変わらずやってくれるな」
 どかりと床に腰を据え、まだ手をつけていなかったエニシアのお茶を飲み干したグスは、ジャッジとティスの浮かべた微笑に眉をつりあげた。
「こやつはストレングス。力を司りしカードじゃよ。エニシア」
 クッションを抱きかかえるジャッジが茶を啜る片手間に説明すると、壁に寄りかかったまま微動だにしなかったエニシアが面倒くさそうに顔を動かす。先ほどから視界に入り込む色合いに、何処か違和感を覚えていた彼が眉を顰めると、グスは瞳を細めて息を吐き。
「あんたがエニシアか。成る程ね」
 独り言のようにそう呟いた。
 エニシアは自分に注がれる赤とオレンジの中間辺りの色合いの眼差しを見詰めながら、グスが身に纏う服を指し示す。
「それって、軍服じゃないの?」
 エニシアの言葉通り。グスはこの国の軍人が着るベージュの軍服を身に付けていたが、それはとても簡素に見えた。普通なら「これでもか」と見せびらかして歩くべき勲章やワッペン、マントや腕章などの飾りの全てが抜け落ちているせいだろう。
「落ちていた服を拝借したんだそうですよ」
 シエルが追加のお茶を片手に代わりの返答をすると、エニシアは納得したのかしていないのか、微妙な相槌を返した。
「ほんと、物好きだなジャッジは。また嫌いそうなタイプをパートナーに選んで」
「選ぶのはワシじゃないじゃろうて」
「ま、そうなのかもしれないけど。っていうか何でティスが居るんだ?」
「面白そうだったから付いてきたのー」
「……あ、っそ」
 ティスを横目に頷いて、グスはシエルを振り返る…ふりをしてジリジリと場所を移動し始めた。何故ならティスがグスに近付いて行ったから。
 最終的に追い詰められたグスが、ティスに張り付かれて盛大に顔を歪めたところに夕食完成の声が響く。
 その後もティスを避けるグスの挙動からして、彼は彼女が苦手なのだろうことが窺えた。現に隣でも対面でもなく、斜め前と言う微妙な位置取りをしたグスは、もそもそとキッシュを口に入れながらもティスとは逆側を見据えている状態にある。
 その様子を可笑しそうに見守っていたシエルは、早々に食事を終えたエニシアの遠い眼差しを見て表情を変えた。
「そう言えば、あなたは何を対価に占ってもらったんですか?」
 遠慮がちな微笑を携えて問いかけるシエルを、エニシアは細めた瞳で見据える。
「こやつの対価はモノではない」
「と、言いますと?」
「左の瞳をアイシャのモノと交換したのじゃ」
 ジャッジの代弁に目を丸くしたシエルは、エニシアのオッドアイと記憶の中のアイシャの眼差しを比べて微かに顔を赤くした。
「それで瞳の色が違うんですね」
 何かを誤魔化すように頷いたシエルに溜息を浴びせ、エニシアは小さく独り言を漏らす。
「あの女、一体何を基準にして盗品を選んでるんだ」
「あなたの瞳が綺麗だと思ったんじゃないですか?」
「それはどうか分からないけど」
 シエルの反応に嘲笑を浮かべつつ、会話に割り込んだグスがエニシアに視線を流した。
「何か知っているんですか?グスさん」
 楽しそうに問い返すシエルに肩を竦め、彼はジャッジに言葉を投げかける。
「アイシャはあれだ。あいつの目に憧れてたろ?」
「良く言ってたよねー?ファンのオッドアイが綺麗だって」
「羨ましいとも言っておったのう」
「そんなくだらない理由で?」
 ティスとジャッジの返しを聞いて呆れたような声を漏らすエニシアに、ジャッジの皮肉っぽい笑みが向けられた。
「理由と言う物はのう。他者から見れば「どうでもいいこと」であることが殆どじゃ」
「まぁ、確かに。共感出来ない限りは至極どうでもいいよな」
「だから、お主が持つ理由も、ワシ等から見ればどうでもいいことなのかもしれんのじゃよ」
 貫くような上目遣いを受けて顔を引きつらせたエニシアは、搾り出したような声を出す。
「なら、聞くなよ。理由なんて」
「聞いてみないと分からないから聞くのよー?」
 そこにティスの柔らかすぎる言葉が響いたことで、全てが仲裁された。
 暫しの沈黙。
 それを破ったのは、意を決したシエルの震えた声。
「あの」
 みんなの視線が集まったことで身を縮めたシエルは、エニシアに視線を固定して言葉を続ける。
「あなたは、あの噂の殺人鬼…ですか?」
「そうだって言ったら?」
「お聞きしたいことがあるんです」
 先ほどまで弱弱しかった声に強さが戻ったことで、エニシアの瞳もシエルを向いた。
「どうして人を殺すんですか?」
「趣味で」
「人を殺すのが好きなんですか?」
「そうかもしれない」
「どうして好きになったんですか?」
「さぁ」
「剣を振るのが好きだったからですか?」
「いや。殺しを始めた方が先」
「殺人鬼をするうちに、強くなったんですか?」
「そうだな」
「逆に殺されてしまうかもしれない、と思ったことはなかったんですか?」
「そう思ったから強くなったんじゃない?」
「死にたい訳ではないんですね?」
「昔はね」
「…初めて人を殺したのは、何時ですか?」
「覚えていない」
「初めて人を殺した時。…貴方は、何を思いましたか?」
「どうしてそんな事を聞くんだ?」
「どうして、平気で人を殺せるんですか?」
 最後には椅子から立ち上がり、食い入る様にエニシアを質問攻めにするシエルの眼差しは真剣そのもので。それでもエニシアは流すように、面倒くさそうに、溜息同等の素っ気なさで返答する。
「さぁ」
「きちんと答えてやってくれよ」
 前のめりになるシエルを座らせて、正面のエニシアを促したグスは、彼が3人のカード達の瞳を盗み見るのを認識した。
「……敢えて言うなら。人が嫌いだから」
 エニシアは観念したようにそう零すと、そっぽを向いて頬杖を付く。シエルはその横顔を見据えながら、うわ言のように呟いた。
「人が…?」
「そう」
「僕も?」
「ああ」
「彼等も?」
「そう」
「そこに寝ていることしか出来ない、おばあちゃんも?」
「そうなるな」
「…あなたは、人に何をされたんですか?」
 殊更低い一言が、エニシアの瞳に変化を呼ぶ。
 貧困の中に生き、同級生に虐められて尚その感情が呼び起こせないシエルの中に巻き起こる疑問は尤もで。しかしエニシアは数分経っても口を開こうとしない。ただ沈黙に抗うことなく身を固め続ける彼に、シエルの眼差しが注がれ続けた。
「最後に、一つだけ聞かせてください」
 最終的に折れたシエルが呟くと、エニシアの瞳だけが彼を向く。
「あなたは、自分のことも嫌いですか?」
「そうだな」
 即座に示された肯定。シエルの身がピクリと揺れた。
「人であることに、変わりは無いから」
 言葉を吐き出す間に正面に向き直ったエニシアは、自らの中に宿る深い闇をシエルに提示する。特別何をした訳でもないのに溢れ出す殺気は、その場に居た者に寒気を与えた。それでも、シエルは問いかけを続ける。
「それなら、その力で自分を殺そうとは考えなかったんですか?」
「自分で自分を殺すくらいならさ。誰かに自分を殺させて、苦しませる方が効率的だろう?」
「ってことは、あんたも苦しんでるわけか」
 くだらないと言わんばかりに吐き出した持論に対し、不意に割って入ったグスの一言。エニシアは眉根を寄せて問い返した。
「何に?」
「人を殺したことに」
 グスの浮かべる薄笑いから漏れた言葉を否定するように、立ち上がったエニシアはそれでも動じない周囲を見渡す。まるで威嚇でもするかのように。
「そうじゃなきゃ、「苦しむ」なんて言葉…出ない筈だ」
 両手を広げてそう続けたグスは、何処か苦し気なエニシアの表情を見て身を乗り出した。逆にエニシアは全てを投げ出すように椅子に座ると、大人しく湯飲みを手にする。
「すまんのう。グス。こやつは心を殺しておる最中なんじゃ」
 これから議論が白熱するかと思いきや、早々に終ってしまったことに目を丸くしたグスは、ジャッジの弁解に苦笑を浮かべた。背もたれに身を預け、頭の後ろで手を組み。エニシアが湯飲みを置いたのを確認して、グスはぽつりと呟いた。
「でも、望んでいるわけじゃ、ないんだな」
「何を?」
「一緒だな」
「何と?」
「俺と」
「意味が分からない」
「今は分からなくても、そのうち分かるさ」
 視線が交わらないままそんなやりとりをする2人を、シエルの視線が行き来する。グスはシエルの頭に手を置いて、エニシアを振り向いた。
「あんたには悪いけど。俺はあんたの意思を邪魔させて貰うことにするよ」
 その言葉に惹かれるように、エニシアの両目が動く。
「仲間は多い方がいいからな」
 妖しい笑みでそう言い切って、グスはふっと眼光を閉ざした。
「最後に、教えてやってくれよ」
 瞳を閉じたままのグスを見据えるエニシアは、瞼が開かれる過程を見据えながら言葉の続きを待つ。
「シエルに。そうやって、心を殺す方法を」
「…君さ、言ったよね?僕と君は一緒だって」
 エニシアの返答にグスが頷く。
「それなら君が教えてあげたらいい」
 そう言い捨てたエニシアに首を傾げ、グスは薄く微笑んだ。
「残念ながら、俺は「何かを殺す方法」を知っている訳じゃない」
 強く断定し、それが伝わったことを確認してから、グスは自らの見解を示す。
「俺が知ってるのは、「力の使い方」。それで何をするのかを決められるのは、教わった側だけだろう?それに、心だけを殺すことが出来る力なんて…何処にも無いからね」
「あるよ」
 エニシアから漏れた一言が、グスの薄笑みを僅かに濁らせた。
「何?」
「感情」
 短くそう言って、エニシアはまた、湯飲みを傾ける。グスはふっと息を吐き出すと、独り言に似た率直な感想を漏らす。
「………深いな」
「そうねー。深いわねー」
「どうじゃ?少年よ。少しは悩みが解消されたか?」
 思い出したように頷くティスとジャッジ。
「はい」
 問われたシエルはやはり薄く微笑んで固い頷きを返した。


「やっぱり、僕が変わらなければ意味がないんですね」

 俯き気味にそう囁いて。

「生かすも殺すも、僕次第なんですから」

 シエルは、悲し気な笑みを喋らぬ家族へと向けた。








Act.7:[ストレングス]-2topAct.8:[ムーン]-1