Act.16:[デビル]







 焚き火の火も冷えた頃。
 明るみ始めた空の青は微かに残った星の光でも吸収しているのか、いつも以上に透き通って見えた。その下方に広がる黒い森の中、寝静まった連れを横目に一つの人影が立ち上がる。
 たまたま目が覚めた、と言うよりは何かの気配で目が覚めた。そんな気になって辺りを見回すも、木々の他に影はない。
 エニシアは浅く吸い込んだ息をそのまま吐き出しながら、とりあえずと言う思いでその場を離れ、ぼんやりと空を仰ぐ。前後左右、どの方角に意識を集中させても、人の気配は愚か獣の匂いもしない。しかし消えない違和感は、数分歩いたところまで付いてきた。
 不意に消えた違和感を不思議に思ったエニシアが足を止めた瞬間、背後に現れる気配に漂う緊張が色濃くなる。エニシアは剣に手をかけ振り向いた。
 そこに立っていたのは樹木に似た男。薄汚れた風にも見える黒とグレーの洋服が幹のように。緑色の髪が中途半端に伸びて、俯き気味の表情を僅かに隠している。
「君、誰?」
 相手から殺気を感じないことで、無意識に強めていた気を緩めたエニシアが問うと、男はニタっと笑って意気揚々と応えた。
「あんたが「良く知る存在」のうち1人ってとこだ」
「…もしかして、カード?」
「ご名答」
「ふーん。あの女の差し金?」
「差し金って程じゃねーけどな。ま、ちょっと助言に来てやったわけよ」
「助言、ね」
「そうだ。有り難く聞くこったな」
 くっくっ、っと堪え切れなかった笑いを漏らすように話す男に、エニシアの訝しげな顔が向く。その手は未だ剣の柄を握ったままだ。
「なんか、胡散臭いんだけど」
「そう言うなよ。釣れねぇなあ」
「こんな時間に、わざわざ僕だけをおびき寄せるような真似する人を、信じろって方が難しい気もするけど?」
「オレはあんたに教えてやりたいことがあるんだ」
「教えたいこと?」
「そう、凄く良いこと」
「良いこと、ね」
「聞いておいて損は無いと思うぜ?」
「まぁ、いいけど…で、何?」
 じりじりと近寄ってくる男。手の位置を変えぬまま垂直に立ち直すエニシア。2人はお互いがお互いの顔が良く見える位置を取り、会話を続行する。その間にも、空は白くなりかけていた。
「あんた、今まで何人かのカードに会ったな?」
「うん」
「で、色々と質問されたろ?くだらねー質問」
「それが何?」
「”どうして僕にそんなことを聞くんだ?”…そうは思わなかったか?」
「ずっと思ってたよ。だけどそれを無視すると話が先に進まないってことは分かってたから」
 話すごとに舞い上がる白い息。煙に巻くようなそれを払うように、男は片手をエニシアに向ける。
「あんたは現在進行中で審査されている」
「審査?」
「そうさ。適正審査だ」
「…何の話?」
 真っ直ぐに突きつけられた人差し指、その先にある男の顔を見据えながら、エニシアは眉を顰めた。男は耐え切れないと言った感じに短く笑った後、核心となる台詞を口にする。
「あのじじい、あんたをカードにするつもりだぜ?」
 抜けていった風を追いかけるように静寂が去り、男の笑い声が明るい空に昇っていった。
「僕を?」
「ああ」
「カードに?」
「そうさ。こうしてカード巡りをさせられてるのも、その一環ってこった」
 エニシアは起きた直後のようにぼやけた脳内を無理矢理動かして言葉の意味を理解する。
 じじいとは、ジャッジのこと。カードとは、彼等のような存在。彼等は、不老不死…いや、死ぬんだっけ?そこまで考えるのに数十秒。その間も目の前の男は楽しそうに笑い続けていた。
 本気にしろ冗談にしろ、何がそんなにオカシイのか分からない。ずっと知りたかった疑問への答えを提示された筈なのに、今目の前にある奇怪な現象の方が気になってしまう自分の頭を疑いながら、エニシアは話の続きを聞いた。
「全てのカードにあんたの人柄を確認させ、みんなで判断するのさ。あんたがカードとしてふさわしいかどうかを」
 男の話に筋は通っている。それだけは理解し、飲み込んだ。そして目の前の彼が自分の反応を笑っているのではなく、この状況自体を楽しんでいるのだろうと言うことも、なんとなく理解した。その時。
「ちょっと待った」
 男の背後から聞きなれた声が割り込んだ。エニシアは首を傾けて、木陰から顔を出したカナタを見据える。
「もう聞いちゃったよ」
「ああ。でもな、そりゃ言い方が悪いだろ?ビル」
 朝靄も晴れた上、知った顔も出現したことにより、話の現実味が増した。そうしてエニシアの思考が夢から遠ざかる間、ビルと呼ばれた男は舌打ち交じりにカナタを振り向く。
「本当のことだろう」
「ジャッジは確かに、エニシアをカードにしようとしてる。でもそれはジャッジだけの意思じゃないってことさ」
 カナタの言い訳の数秒後、エニシアはビルに近寄りながら質問した。
「君やティスも絡んでる、そう言いたいの?」
「いや」
 カナタは即答を返すと、徐に身体を振り向かせる。
「もういいだろ?ジャッジ」
 名を呼ばれた本人は、返答の代わりとして姿を露にした。そう遠くない草の間から顔を出した彼に向けて、カナタは言葉を繋げる。
「エニシアはきっと分かってくれる」
「…何の話?」
「こいつはあんたが思ってる以上に、あいつに影響を受けてるだろう」
 固有名詞が伏せられていることで、状況を把握しきれないエニシアを他所に話は続けられた。嘲笑を浮かべたまま何も口にしないが、ジャッジはカナタに同意しているようにも見える。それを認識したカナタは、不服そうに瞳を細めたエニシアに向き直った。
「エニシア」
 エニシアは熱が籠った視線を受け、更に瞳を細くする。
「あんたが思ってる以上に、ジャッジもあいつを思ってるってことを知って欲しい」
「あいつって、誰?」
 カナタの強い口調に単調な響きを返すエニシア。彼の耳に、聞き慣れた名前が届いたのはそれから数秒後の事だった。
「フルーレ=クライムアーク」
 その名を口にしたのは、他の誰でもない。今しがたエニシアの目の前に現れたばかりの、ビルだった。
「何で君がその名前を?」
「だってあいつは、つい最近まで仲間だったからなぁ」
 当然の疑問に、当然のように返されて。思わず固まるエニシアの視界の片隅で、小柄な人影が動きを見せる。
「ビルの言う通りじゃ」
 幼い声は、悪魔の言葉を呆気なく肯定した。
「お主の知るフルーレという女人は、わし等と同じくカードとして生きる人間じゃった」
 ゆっくりと、エニシアに歩み寄るジャッジの眼差しは真剣そのもの。口元に張り付く皮肉の薄笑みは、哀愁に良く似ていた。
 目の前に差し迫った表情を細めたままの瞳で見つめるエニシアに、ジャッジはハッキリと言い放つ。
「お主が、あやつを殺すまで」


















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