「黙って」
 歯切れの良い言葉が狭い部屋に響く。その柔らかくも鋭い声は、先刻まで言葉を放ちっぱなしだったチャーリーの口を見事に塞いだ。
「落ち着きなさい、フー」
 溜息を付くでもなくアイシャが宥めた若干興奮気味の人物は、真っ白なパジャマを身にまとう金髪の少女だ。頭にはアイマスク、手には耳栓。そして極め付けに放たれたのは、彼女特有の口癖。
「今から眼を閉じる、耳を塞ぐ、だからそれまで黙って」
 フーがそうまでして頑なに拒否するのは何故なのか。いや、理由を知ってはいるのだが、それでも困惑を隠せずにおたおたするチャーリーの説得は続く。
「い、いやしかし!今から大事な話をするとこで…。耳を塞がれちゃこまりやすぜ」
「やめて。僕は何も知りたくない」
「どうしてそう頑固なんっすか、フーさんは!」
「あなたなんか知らない、知りたくも無い。世の中には知らなくていい事のほうが多いの。知らないほうがいいの、知っちゃだめなの」
「そんなのあんまりですぜ。以前きちんと自己紹介したじゃねぇですか」
「記憶に無い、記憶したくない。黙って」
 取り付く島も無いとは、まさにこう言う事を言うのだろうか?いや、少し違う気もするが、兎にも角にも困り果てたチャーリーは、諦めてアイシャを振り向いた。
「お嬢…なんとか言ってやってくだせえ」
「あら。この子はこの子なりの意見を言ったまででしょう?私が言うべきことなんて何もないけれど」
「お嬢までそんなことを…」
 続く言葉の応酬の中、悠長にマドレーヌを頬張っていたアイシャに、チャーリーの力ない溜息が注がれる。
 夕暮れ時の不思議な空気が、真っ白なベッドと、未だ耳を塞いだ状態のフーを照らし出していた。
 ここはいつもの如く、とある町のとある宿の一室。今回の部屋は、どちらかと言えば病室のような造りをした簡素な内装をしている。所々煤汚れた空間の中、仄かに漂う甘い香りが何処か不似合いに思えた。
 一つしかないベッドを占領して我侭を貫く少女と、一つしかないテーブルセットで優雅なティータイムと洒落込む少女と。マイペースな2人に挟まれたチャーリーが「どうしろてんでぇ」などと不平を漏らしていると、不意にフーの顔が上がる。
「何も知らないあなたが愚かなわけじゃない」
「おめえさんにそう言われてもなぁ」
「寧ろ、あなたも僕と一緒で懸命な方だと思う」
「そりゃあ…褒めてんですかい?貶してんですかい」
 遠まわしに「物知らず」若しくは「お馬鹿」と言われたことに薄々ながら勘付きつつも、怒っていいのか笑っていいのか、判断しかねて顔を引きつらせたチャーリーの背後にアイシャが立った。
「フー?すぐに忘れていいから、聞くだけ聞きなさい?」
「そんなに聞かなきゃ駄目なこと?」
「そうよ」
「仕方ないな」
 ぷうっと頬を膨らませ、ベットにベタ座りのままアイシャに向き直ったフーは、額に乗せていたアイマスクを上のほうへとずらす。アイシャは彼女がそうする間に椅子に座り直すと、地べたに座り込むチャーリーの頭を撫でながら話を始めた。
「もうすぐ一つ、事が動くわ」
「そう。それが終わったらまた忘れていい?」
「あなたが置かれた状況以外はね」
「わかったよ。じゃあそれまでは僕も起きてた方がいいわけだ」
「そうね。私はその方が助かるわ」
「じゃあそうしたい…所なんだけど、なんだか体に力が入らないんだ」
 こくりと頷いた頭はそのままベットに墜落し、不思議な形状にへたりこんだフーを見て、アイシャはふっと息を吐く。
「チャーリー。この子に何か食べるものを」
 その言葉にぎょっとしたチャーリーは、荷物の中から手ごろなものを探し始めた。
「空腹すら知らないとは…おめぇさん良く生きてんなぁ」
 言いながら放り投げられたそれは、フーの真横でぽすんと音を立てる。力なく拾い上げ、不信そうにそれを眺めながら、彼女はチャーリーに問いかけた。
「食べても平気なものだよね?このままかじればいいの?」
「…そりゃあ林檎だからな。そうするしかねぇだろうよ」
「名前とか知りたくないから。余計なこと言わないで」
 チャーリーの当たり前な肯定を一刀両断し、寝転んだまま林檎にかじりつくフーを温かく見守った後。アイシャはテーブルに乗せてあった水晶玉に手をかざす。透明の球体の内側とも表面とも取れる位置にぼうっと浮かぶ鈍い光の正体は、観察対象の映像だ。
「パートナーを置いて、何処へ行くのかしら?」
 アイシャが肩肘を付いてそう問いかけると、水晶の中に映し出された人物が立ち止まる。そして、虚空に向けて答えを上げた。
「見てたの?」
 あっけらかんとした声に跳ね上がったのは、呆れた様子でフーを眺めていたチャーリーだ。彼はあっという間に水晶に取り付くと、カッと眼を見開いて覗き込む。右斜め後ろ、上空から見たグスの姿を捕らえ、声を荒げた。
「当たり前だろうが!またお嬢に迷惑かけやがって…」
 ぺちっ、大声を止めた可愛らしい音にチャーリーの眉が下がる。叩かれた額に手を添えて、渋々引き下がる彼の背中を横目に、アイシャはグスに呼びかけた。
「行き先は?」
「ちょっと墓参り」
「そう。貴方が何を考えてるかは、なんとなく分かったわ」
 含みのある薄笑い。僅かな間にフーが林檎を噛み砕く音が混じる。
 アイシャは一つ頷いて、水晶の中で再び歩き出したグスの背中に助言した。
「でも、あの子じゃ役不足だと思うわよ?」
「それは俺でも同じことなんじゃないか?」
「あら、貴方ほどの適任はそう居ないと思うけれど」
「褒められても御免だな。こんなのは」
「そう。ま、どんなに願っても貴方の思い通りになることは、ないでしょうけど」
「…そうかもな。まぁ、用事が済んだら適当に戻るから」
 あしらうようにそう言って、グスは見えない話相手に片手を翻す。その様子に怒り心頭なチャーリーを片手で抑えながら、アイシャは最後に一言添えた。
「彼に宜しく」
 ピタリと、グスの足が止まる。彼は空を仰ぐと、曖昧に微笑んで返答した。
「ああ。…チャーリーからは?」
「もう顔も見たくねえ。二度と起きて来んなって伝えろや」
「気が向いたらね」
「なら聞くなやど畜生が!」
 左手を振り、進行を再開したグスの映像は、チャーリーの怒号に見送られる形で途絶える。元の透明さを取り戻した水晶の表面に、眉の釣りあがったチャーリーの顔が歪んで映った。
「…ったく」
「…君、煩い」
「フーの耳栓でも遮れない大声を出すんじゃないの」
「す、すいやせん…」
 振り返れば手で耳を塞いだ状態の2人の少女。面目ないと言わんばかりに頭を垂れたチャーリーは、まるで叱られた大型犬のようだ。アイシャはいつものようにその後頭部を撫でながら、自分の見解を口にする。
「心配しなくても、あの子は時間通り戻ってくるわよ」
「どーですかね」
「根は真面目だから。じゃなきゃ、墓参りなんてしないわよ」
 そーなんですかね、と納得いかなそうに独り言を続けるチャーリーを見て、林檎の芯と格闘を続けていたフーが一言。
「世の中には知らないほうがいいこともあるの」
「知らないほうがいいことばかりだって言ってやしなかったかい?」
「その通り。だから気にしたら負けだよ?大きい人」
 諦めて放り投げられた芯。空中を漂った後落下するそれを真顔で受け取る、大きい人の一言。
「チャーリー」
「黙って。聞きたくない」
「ぬあああああああ」
 もう好きにしてくれ、と床に雪崩れたチャーリーの情けない姿に、フーとアイシャの笑い声が注がれるのだった。



















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