忠告






 
 早朝。
 まだ日も昇りきらない午前4時。
 自室から顔を出した二人がそれぞれの飲み物を用意する。
 王座の間の見張りがてら、深夜から読書をしていた結に礼を言い、デスクに付いた沢也がパソコンの電源を入れた。
 電気ポットに水をいれて戻った蒼が、茶器とカップをデスク後ろの棚から出したり。崩れ落ちそうな書類の束を仕訳したりしている間に、お湯が沸く。
 コーヒーメーカーとティーポットにお湯を注ぎ、一緒に持ってきた水差しの水をポットに移していると、沢也がカップを持って長テーブルの側まで来た。
 二人は時間を確認した後、コーヒーと紅茶片手に立ったまま報告会を始める。
 先に話を切り出したのは蒼だった。
「進展はありましたか?」
「忘れる薬については何も。捕まえた二人を絞ってみたが、何とも要領を得なくてな。どうやら本家も手を貸しているらしい」
「本家…つまり、秀さんのお義兄さんですね」
「そう。証拠を潰して回っているようで、証言と一致しない部分が増えてきた」
「二人とも脅されて薬を作らされたと見て間違いないんですか?」
「いや、どちらかと言えば「秀との接触」を伏せることに躍起になっている。それを喋るとアウトなんだろうな」
「具体的にどうアウトなんでしょうか?」
「当人達について調べてみたが、周りの人間に標的になるようなのも無く、それぞれの性格が自己中心的だと言うことからしても、釈放後に命を奪われる…辺りが妥当じゃねえか?秀に荷担した理由なんて、考えなしに求めた金だか野望だかで説明が付けられそうだし。ま、もう暫く粘ってはみるが…正直そっから秀を捕まえられるまでには至らないだろう。どっちかってーと海羽の回復のが早そうだ」
「海羽さんが回復してしまえば、彼に後がなくなると…」
「そー言うこと。だから、あっちより海羽の周辺保護優先で進めとく」
「強化剤製作の本拠地についてはでうですか?」
「最近動きが活発になっているそうだ。しかし頻繁に搬入があれど、搬出は少なく。ついでに先日の事件から見るに王都への支給が無くなったと考えられる」
「製作は活発、販売は中止…ですか?」
「正確には「中止」ではなく大規模な「値上がり」だろうな。だからこそ国から金を巻き上げようとバカな真似する連中が湧いたと。そっから言っても、王都を拠点としていた中毒者は、今回恐喝に参加したので全部じゃねーかと踏んでいる。まあ、どんだけ値上がりしたかわかんねぇから、運良く薬手に入れて潜伏してるのも居るかもしれねえが…」
「値上がりした理由に心当たりはありますか?」
「一つは原料の高騰。元々そう出回っていなもんをがつがつ使っていたってのもあるが、こっちで手を回して買い占めたせいもあるかもしれない。どちらにせよ、作られていないのならそれに越したことはなかったんだが…工場は動いているからな。恐らく材料を確保する為の極秘ルートが存在するんだろう」
「二つ目は…」
「単純な話、搬出されていないってことは、工場内に大量に溜め込んでいると言うことになる。ま、裏口や魔法の類いを使っていなければの話だがな」
「溜め込んで、悪いことをするつもりなんですね?」
「多分な…。諜報部には引き続き見張りを頼んである。近々リーダーも引っ張り出して、念入りに調べさせるつもりだ」
 最後に溜め息で区切りを付けて、沢也は横目にテーブルの中央を見据えた。
「で。どうするつもりなんだ?」
「どうしましょうね?」
 コーヒーを飲む片手間の問い掛けに、蒼はにこにこと首を傾けるばかり。沢也ははぐらかされないようにと、手を伸ばして目的の物を引き寄せた。
 彼が無造作に広げたのは昨日の夕刊だ。問題となっているのは見出しに大きく出ている記事である。
「このゴシップ紙、なかなかお暇なようですね」
「殆ど出資元と言っていい奴から依頼されてんだ。これくらいは調べんとまずいだろ」
「それは…珍しく誉めてますか?」
「いいや。証拠もねえのに堂々と載せてくるところに呆れてる」
「証拠はなくとも、事実ですけどね」
 そう言って蒼が笑顔でなぞるのは、「女王陛下候補、誰にも知らされぬまま決定する」の見出し文字。更に下には「早速不仲説浮上」とまで書かれている。
 門番達から城の周りをうろうろしては、職員や来客に突撃取材を仕掛けている記者がいるとの報告は上がってきていたが、秀の話と数少ない証言だけで言い当てられるほどには、確かに二人は絡んでいない。それどころか殆ど会話もしていないのだから、あの秀にさえ勘づかれてもおかしくないのが実情だ。
「下手な鉄砲数打ちゃ当たる…。問題はこれを信じるやつがどこまでいるか、だよな…」
「半々じゃないですか?こう言った記事はある種好まれますからね」
「随分楽しそうだな」
「そう見えますか?」
「見えんこともない」
「そうですね…楽しくはないですが、ほんの数日でこうも的を射た記事を書かれるとは、思いもしませんでしたから」
「そんだけあからさまだって事だろ」
「では隠すだけ無駄だと言うことですね」
「否定しないつもりかよ」
「否定したところで無意味でしょう」
「無駄だとしても否定はしてくれ」
「不仲だと問題ですか?」
「知らねえぞ?それに託つけて貴族の娘共から熱烈なアピール合戦受けても」
「それは困りますね」
「だろ?奴等、不倫だろうが愛人の座だろうが隙あらば狙ってくるに違いねえ」

 そんな沢也の憶測が、きちんと形となって彼等の元に届いたのが3時間後のこと。

 山と積まれたプレゼントボックスを見上げながら、隣の蒼を振り向く事無く沢也は呟く。
「ほらな」
「泣いてもいいですか?」
 笑顔ながらの困り顔で本音を口にする彼に、沢也も苦笑で返すしかない。
 門松が朝一で届けにきた事からして、昨日の夕刊を見てすぐに準備、集荷が終わったことなど構わず押し付けに来た貴族がこれだけ居たと言うことになる。翌朝までに配達しろと、貴族に威圧的な命令をされた集荷場は溜まったものではない。
 それでもこうして早朝に届けられたと言うことは、つまりそう言うことなのだ。
 珍しく寡黙の苦笑いで去っていった門松の背中を思い出しながら、二人は揃って溜め息を吐く。
「これは適当に片付けといてやるから、泣く前に目の前の問題をなんとかしろよ」
「何とかと言われましても…」
「話し合うくらい出来るだろ?今日は会議もねえし」
「判子押しが山のように」
「先伸ばしにしても良いことはねえぞ?」
「少し考える時間を下さいよ」
 指し示した先に歩み寄りながら、蒼は困った笑顔を傾ける。沢也はそれをからかいぎみに振り向いては声だけで追い掛けた。
「ほー。作戦会議か?」
「はい。脳内で一人会議です」
「最早会議中毒だな」
「僕だってやりたくてやってるわけじゃないです」
「んなことは分かってる。さて、どうにかして送り返してえが…無駄だろうから後回しにして。先に郵便課に詫びいれとくか…」
「お手数お掛けします」
 独り言に丁寧に頭を下げた蒼に苦笑して、沢也はヒラリと手を翻す。


 彼がルビーに収納したプレゼントの山をセキュリティの先に放り込み、散歩がてら廊下や南棟に足を伸ばし、携帯片手に各方に連絡し終えた丁度その頃。


 時刻は10時を少し過ぎていた。

 噴水広場で行われているイベントのおかげで、いつも以上に賑わう町の中。
 さてひとまず交代だと、広場の警備から外れた帯斗を呼び止める者があった。
「ねえ、君」
 肩を叩かれ振り向くと、既に懐かしいぐらいの知り合いに腕を捕まれる。
「えっと…」
「雫よ。覚えててくれたみたいね?」
 帯斗の反応を見て嬉しそうに肩を揺らした彼女は、道の端まで彼を引っ張って壁と向かい合う。
 そうして屈んで目線を合わせると、まるで内緒話をするかのように勝手に話を始めた。
「陛下に結婚候補者が出来たとかって」
「ああ、はい…記事になってましたね?ゴシップ紙でしたけど…」
「そこのところ、詳しく知りたくて…」
 語気が、圧力が、強くなる。
 帯斗は思わず身を引くが、そう簡単には逃がしてくれなさそうだ。何故ならがっしりと腕を捕まれたままだから。
「未練がましいかもしれないけど。あの記事が本当なら、見過ごすわけにはいかないわ…」
 一人勝手に意気込む雫を前に、どうも面倒ごとに巻き込まれたようだと頭を抱える。
 そんな彼の内情などお構いなしに、彼女は顔の前に片手を立てて見せた。
「だからお願い。手伝って?」
「はい?!」
「近衛隊はお城の中にも入れるんでしょう?どうにかして、私を連れていってくれない?」
「はぁ…いや…それは流石に…」
 上半身を後ろに倒して片手を上げ、口を引きつらる帯斗の顔面に雫の顔が寄ってくる。
「知りたくないの?」
「…例え知りたかったとしても、そのお話には乗れないっす」
 負けるわけにはいかないと、更に増した圧力に抵抗する彼に溜め息が浴びせられた。
 それを合図に垂直に直った雫は、背の低い彼を見下ろすように腕を組む。
「思ったよりずっとヘタレね」
「へ…」
「ヘタレで結構」
 言い返そうと前のめりになった帯斗を後ろから引いたのは定一だった。
 彼は帯斗の肩に両手を置いたまま、困ったように雫と向き合う。
「うちの若いのを拐かさないでもらいたいなぁ…お嬢さん」
「拐かしてなんかないです。おじさんは黙っててください」
 雫は面倒ごとに巻き込まれた時の定一の威圧にも負けず、それどころかしらばっくれてそっぽを向いた。
 怖くて身動きが取れなくなった帯斗の頭上に、またも溜め息が注がれる。
「なら、教えてあげる」
「え?」
「陛下の近況が知りたくてそんなマネしようってんでしょう?うちの隊員にそんな問題起こされちゃたまらないからね。特別に教えたげるよ」
 棒読みで説かれる定一の話を聞きながら、二人の脳裏には「地獄耳」の文字が過っていた。何故ってこの喧騒の中、こそこそ話を離れたところから聞いていた事になるのだから。
 定一は驚く二人の丸くなった瞳からその内情を読み取りながらも、敢えて無視して話を繋ぐ。
「君が読んだあの記事はウソっぱち。女王陛下の候補が出来たことは間違いないみたいだけどね。仲が悪い事にしたがってる人間なんて山といるってことさ」
「証拠は?あるんですか?誰から聞いたんです?」
「陛下のお友達だよ」
 即答に、前のめりになったまま固まった雫を見て、定一の口角が微かに上がった。
「心当たり、あるみたいだね?」
「あります…じゃあ、確認して問題ありませんね?」
 満足げに、そして威圧的に。微笑んだ雫の質問を聞いて、定一の眉がピクリと歪む。
「はい?」
「その方にです。駐屯地に行かれるんでしょう?待たせて頂きますね」
 有無を言わさず、帯斗を引き摺り道の先導を開始した彼女の背中、呆れの眼差しを注いでいた彼は短く溜め息を付いた。
「…好きにしたら?」
 返答しながら足を進め、同時に携帯のメール画面を開く。

 そうして彼が作った短いメールが、5分後に義希の携帯を鳴らした。

「ん?いっさんからメールだ…珍しい」
「事件?」
 中番の出勤前に王座の間で寛いでいた義希の呟きを、たまたま通り掛かった有理子が後ろから拾い上げる。
 開かれた定一のメールは、ある種の皮肉を纏いながら事実を正確に告げていた。
「あらあら」
「ど…どうするべ…」
「いっさんって本当に優秀よね」
「うんうん、本当…って、いやいや、今はそんな感心してる場合と違うんじゃ…」
 いち早く状況を読み解いた有理子の呟きに、遅れて把握した義希がノリツッコミをかます。
 そうして狼狽える義希を他所に、徐に腕を組んだ有理子が虚空に思考を漂わせた。
「あんたや小太郎がうまく誤魔化せるとは思えないし…だからって倫祐じゃ色々と…」
「こんなとっから弊害が」
 彼女の独り言を遮った沢也の声を、二人が一斉に振り返る。
「沢也…!」
「ちょ…覗くなし?いやでも助けて!」
 携帯を一度引っ込めまた直ぐ提示して、すがりつく義希を煩わしそうにしながら沢也は叫んだ。
「おーい、蒼」
「うわぁあぁ!バカバカ!蒼に言ったらダメじゃんか!何を考えてんだよぉお!」
「うるせえ。あの雫が、ちょっとやそっとで納得して引き下がると思ってるのか?お前や小太郎じゃ速攻嘘がバレて終わり。俺が出向いたところで、これ幸いとばかりに本人に会わせろって聞かないと思うぞ?なら最初から本人になんとかさせるのが…」
「了解しました」
 義希への説得を聞き付けた蒼が、扉から顔を出すなり了承する。良く通る声だと言いたげな有理子と義希の眼差しが沢也を振り向いた。
 蒼は彼等の心配を苦笑で流して、沢也に人差し指を回して見せる。
「門番さんに連絡しておいて頂けますか?支度したら直ぐに降りますから」
「お待ちください」
 きちんと扉から出ずに話す彼の後ろから声が響く。蒼が道を開けると、いつもと変わらぬ雰囲気の彼女がゆっくりと出てきた。
「乙葉ちゃん…」
「お話は聞かせて頂きました。憶測で恐縮ですが、昔の彼女が押し掛けてきていると言うことで間違いありませんか?」
 姿勢正しく三人に向き直り、小さく小首を傾げる乙葉を前に、義希と有理子が冷や汗を滲ませる。
「ちょ…」
「察しが良すぎるのも困りもんだな」
「あんたが大声で話すから!」
「俺は音量を上げたつもりはねえよ」
「はい、間違いありません」
 一人冷静な沢也の声の後、蒼の柔らかい肯定が王座の間に響いた。
 振り向き、硬直、数秒後に義希が飛び上がる。
「蒼!ばっ…お前…」
「しかし、あなたの手を煩わせる程の問題ではありませんから」
 蒼は義希を制するように、乙葉を見据えたまま笑顔を竦めた。
 何処と無く威圧のあるそれを正面から受けながら、それでも彼女が引く気配はない。作ったような笑顔を綺麗に傾けて反撃に出た。
「十中八九、あの記事をご覧になったのでしょう。でしたら、その方が用があるのは私の方ではありませんか?」
「そうかもしれません」
「でしたら、私が出向きます。丁度下町に下りたいと思っていたので。チョコレートの噴水も是非拝見したいですし」
 含みのある笑顔が向かい合う。端からそれを眺める三人のうち二人が密かに固唾を飲んだ。
 更に冷や汗を増殖させながらも、その空気に堪えきれずに義希が口を挟む。
「それなら、ほら。えっと…変装でもしてさ?一緒に行ってきたらどうだ?蒼も午後まで会議とかないんだろ?」
 視線が一斉に集まった。しかし誰からも返答がなく、義希はそれぞれの顔を目だけで見渡しながら、辛うじて苦笑いを制作する。
「あ…いや、えーと…やっぱそれは流石に…色々とマズイ…か、な?」
「僕は構いませんが…」
「公衆の面前で修羅場はまずいだろ。乙葉は事が片付いてから行け。どうせそうかかりやしない」
 蒼の控え目なフォローの後、沢也が勝手に纏め上げた。名指しされた彼女は不服そうに頷いては視線を逸らす。
「じゃあ、オレは一足先に仕事に…いっさんにはちゃんとメールしとくよ」
「わたしは服を探してくるわ。出来るだけ乙葉ちゃんらしくないヤツ…何かあったかしら?」
「僕も支度をしてきます。また後程連絡しますね」
 義希、有理子、蒼とが順に退出する中、沢也も携帯を取り出して門番にメールを送信した。
 残された乙葉が部屋の片隅で溜め息を付くと、すかさず沢也が反応する。
「不服そうだな」
「…そんなことはありません」
 意地悪そうに笑う沢也を横目に見据えた乙葉は、否定と同時にそっぽを向いた。沢也は携帯をポケットにしまう片手間、テーブルに寄り掛かり新聞を持ち上げる。
「そんなに嫌か?あいつと居るの」
「私が何時、そう言いましたか?」
 囁くようにそう言って、僅かに顔をしかめた彼女は、そのあとすぐに有理子に呼ばれて変装を施された。


 義希が定一のメールを受けてから30分後。



 クリスマスに正月、バレンタイン、見合いに会議にホワイトデーと過ぎ去った4ヶ月。
 久々の駐屯地を前にかつらの横髪を確認した紫は、小さな深呼吸の後深緑色のドアをノックした。
 気の抜けるような返答の後、定一がゆっくりと扉を開く。
「ご迷惑お掛けして申し訳ありません」
「いえ、こっちは何も」
 顔を見るなりの謝罪に対し、若干戸惑ったような定一の声が答えた。
 その間室内で立ち上がった雫を振り向き、紫はいつもの笑顔を傾ける。
「お久しぶりです」
「…お久しぶりです」
「少し歩きましょうか。噴水広場でチョコレートでも食べながら、ゆっくり話しましょう」
 穏やかな提案に頷いた彼女は、帯斗の腕をがっしり掴んで彼のあとに続いた。
 半分諦めて引き摺られていく相棒を見送った定一は、欠伸と共に扉を閉める。
 備え付けの小さな冷蔵庫からパックのオレンジジュースを取り出して、上の空に付属のストローをくわえ。収納されていた部分を左手で引っ張り、手応えがあった所で力を抜いた。
 プスリと差し込み、天井を見上げたままじゅるじゅる吸う。そろそろ中身が無くなるかと言った頃合いには考えが纏まって、一人静かに納得した。
 と、そこにノックが響く。
 随分と早い帰還だなと短く思いながら、定一は先と同じようにして扉を開いた。
「あの、突然申し訳ないのですが…」
「おや、煙草屋の」
 予想が外れて驚いたものの、直ぐに納得して苦笑した定一を見て、息を切らせた千世が申し訳なさそうに瞳を細める。
「…雫、お邪魔したようですね」
「その様子だと、連れ戻しにきたのかい?」
「はい…今、あの子は何処に?」
「ついさっき、紫くんが連れていったよ。僕の相方が引っ張られて行ったから、聞けば居場所も分かるけど」
 何でもなさそうに説明した定一は、僅かながら目を丸くした彼女の呼吸が落ち着くのを待った。
「…わざわざ出てきて下さったのですか」
「そうみたいだね」
 独り言のような呟きに定一も同意する。一度だけ深く深呼吸した千世は、いつもの調子を取り戻して問い掛けた。
「あなたもご存知だったのですね」
「いや、気付いたのはさっきだよ。そう言われてみれば良く似ているなぁなんて」
「…このまま待つべきでしょうか?お任せしても大丈夫かしら…」
「お茶でも淹れようか?冷たいの、あるから」
 欠伸混じりの定一の提案に、考えを纏めきれなかった千世が反応し損ねる。定一は彼女の答えを待たずに室内への道を開けた。
「ちょっと散らかってるけど」
「ありがとうございます」
 誘導に有り難く従って、千世は雫が戻るまでの間駐屯地で待つことにする。

 一方噴水広場に到着した紫と雫は、イベント中の噴水からチョコレートを貰うでもなく、人の密集していない木陰に背中を据えた。
 この喧騒だ。至近距離でなければ他人の会話を聞き付ける人などそうそういないだろう。…定一のような地獄耳の持ち主なら別として。
 雫は賑わう広場の一部を凝視したまま、隣に佇む紫に問い掛ける。
「早速ですが、あの記事は本当ですか?」
「ええ。本当です」
「それは一字一句違わず全て、と言うことで間違いありませんね?」
「そうですね。今回に限っては相違ないと思います」
 対して広場を行き交う人々の様子を笑顔で観察する紫は、調子を変えずに淡々と答えた。
 雫は否定の欠片も見せない彼に、怒りと悲しみが混じったような顔を振り向かせる。
「何故…そんな女性と結婚なんか…」
「優先順位、と言うものがありますよね」
 紫は相変わらず彼女を振り向かないまま、言葉を遮り前置いた。
「僕にとって、その先頭に来るのがこの国なんです。その為には仲間を犠牲にしなければならない時もある。そんな非道な職業に付いているわけです」
 滑らかに流れた声は直ぐ様喧騒に紛れていく。
「あなたも、その犠牲者の一人ですね」
 顔だけで雫を振り向いて、紫は申し訳なさそうに笑顔を傾けた。
「今僕の周りに居るのは、それでも構わないと言ってくれる方たちだけです。彼女もその一人なんですよ」
 続けて再度人の流れに目線を戻しながら、彼は静かに言葉を結ぶ。
 雫はその横顔を恨めしそうに見据えたまま、思ったままを口にした。
「…逃げ出したのは私だと、言いたいんですね?」
「…はい。相変わらず直球ですね…あなたは」
 肯定と、まるで緊張を紛らすような…懐かしげな声を聞いた雫は、顔を逸らして俯かせる。
 直ぐにそんな話をしたのは、彼に後悔がない証拠だ。それなら何故、わざわざここまで出てきたりしたのだろう。雫は喧騒に邪魔されて働かない頭を無理に回転させながら、次の言葉を探していた。
 紫はそんな彼女を見下ろしてふっと笑う。
「心配してくださってありがとうございます」
 ピクリと雫の身が揺れた。
 彼がここまで来てくれた理由は、それを伝える為なのだと瞬時に理解したから。
「違う…」
 確かに、新聞を見て居ても立っても居られなくなった。けれど、翌日にここまで来られたのは、たまたまイベントをやっていた関係で王都行きの馬車が増便していたからだ。
 それに、本当は心配したからじゃない。心配をしている風に見せたかっただけ。
「違うんです…私は…」
 ただ、許せなかっただけだ。
 私を選んでくれなかったくせに…
 私には、優しくしてくれなかったくせに…
 あんなに愛情を、注いだ筈なのに…どうしてって…
 まだ、諦めきれなくて。
 雫は頭の中に流れた声を胸中に止めたまま、恐る恐る顔を上げた。
 黙って彼女を待つ紫は、昔と変わらぬ笑顔を保っている。
 もしかしたら、彼は全て分かっているのかもしれない。
 それでも彼がここに居るのは紛れもない事実だ。
「離れてみて、はじめて分かることもあるものですね」
 雫は震える声を無理に建て直し、なんとか笑顔を制作する。
「あなたはやっぱり優しいです。紫さん」
 泣きそうな声でそう言うと、紫は困ったように微笑んだ。その後ろ、人混みの合間からこちらを凝視する人を見て、雫は確信する。
 雫の視線がずれたことで、紫も背後を振り向いた。雫はその横から顔を出し、腹の底から声を出す。
「もっと、ちゃんと見てあげてください。彼の事」
 自分が言えたことか、と頭の中で声が響いた。ついでに相手がピクリとも反応しないことに気付きながらも、彼女は続ける。
「私の分まで、愛してあげてください」
 広場の数人がこちらを振り向くのが分かった。紫もまた、雫を見下ろしている。
「そうじゃなきゃ、許しませんからね」
 言い捨てるだけ言い捨てて、相手の顔をしっかりと目に焼き付けて。雫はくるりと踵を返した。

 途中、待たせていた帯斗を勢い任せに回収した彼女は、人混みの中を無心に走り抜ける。
 引き摺られる彼からしたら溜まったものではないが、彼の方が足が早いので、実際のところそう苦ではなかった。
 何より、彼女の心理が理解しきれずに悶々とするばかりである。
 そうこうするうちにも、雫がバタンと開いたのは近衛隊駐屯地の扉だった。
「おや、おかえりなさい」
 のんびりと欠伸する定一の出迎えに振り向いた帯斗は、雫が飛び込んでいった先を見据えて硬直する。
「ち…千世さん…」
 アワアワと分かりやす過ぎる程に狼狽えた彼を置き去りに、千世に受け止められた雫が涙声で言った。
「また振られちゃった…」
「そう」
「もぉ…冷たいんだから!もう少し慰めてくれたっていいじゃない」
「あなた、どれだけ迷惑をかけたか分かっているの?」
「分かってるわよ…」
「危うく紫さんがこの町に来られなくなるところだったのよ?分からない?」
「わ…わかって…」
 そこで初めて気付いたのだろう。帯斗以上に分かりやすい反応に、千世の口から深い溜め息が漏れる。
「…勿論、それだけじゃないけれど。あなたは思い込むとすぐに周りが見えなくなるんだから…気を付けなさいと言ったばかりじゃなかったかしら」
「ごめんなさい…」
「ほら、お二人にもしっかり謝って」
 促しに、振り向いた雫は定一と帯斗を交互に見据えて頭を下げた。
「すみませんでした」
「いえ…別に…」
「気は晴れたのかい?」
 はっきりしない帯斗の声の後、欠伸混じりの定一の問い掛けに、雫は何とも言えぬ微笑を返す。
 千世はその横顔を横目に捉え、すぐに席を立った。
「ありがとう。お菓子とお茶、美味しかったです」
「いいや。どのみち頂き物だから。また遊びにおいでね。今度は押し掛けなしで」
 穏やかな挨拶が終わると、千世が出口に向かっていく。帯斗が道を開けた所で、雫も彼女の後ろに付いた。
 開いた扉の先で揃って頭を下げ、町に消えていく二人を見送る。
 そうして扉を閉めた定一の目に、心臓の辺りを押さえる帯斗の姿が映った。
「全く、君は分かりやすいったらないね…」
「…だ、急に居るから…そんな…」
 ぼやき的なからかいに不貞腐れた彼の目の前、ヒラヒラと白が翻る。
「彼女の住所と電話番号。欲しくないのかなぁー?」
「ほ…欲しいっす…」
 逃げ行くそれをジャンプで回収し、瞳を輝かせる帯斗の頭に定一の掌が乗った。
「素直で宜しい」
「あ…ありがとうございます…」
 子供扱いされていることにも構わず感動で震える彼を、丁度外から戻った諸澄と圓がそれぞれに見据える。
「ほんと、これだからな…こいつは」
「微笑ましいですね」
 義希に言われて交代に来た二人の感想は、帯斗をまた一頻り慌てさせた。
 定一はそれを宥めながら更なるからかいにかかる。
「そう言う君はどうなのさ?あの金髪の子と」
「え?ぼ、僕ですか?」
「ダメダメ。圓は色気より食い気だから。会っても食ってばっかで話になんねえ」
「え?いけませんか?この間も凄く美味しいラーメン屋さんが…」
 逸れた話題をそのままに、赤面する帯斗の背を押して外に出た定一は、晴れ渡る空を路地から認めて小さな息を吐いた。
「全く…今日も平和だねぇ…」
 呟きは欠伸にかきけされ、ついでに帯斗の同意を呼ぶ。
 二人は一人でイベント会場の警備に当たっているであろう隊長の元へ、急ぎ足に向かっていった。







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