空と海と雲と。
 大理石の床と青い絨毯と。
 それに馴染む色合いのまっさらな布地と。
 会議を控えた正装姿の蒼と。
「どうだ?うちの人の服は」
 王座に腰掛けドレスを受け取る彼に、満足げな笑みを注ぐボスと。
「はい、とても素敵だと思います」
 白をメインに、綺麗な青色とサファイアをアクセントにしたシンプルなデザイン。蒼の着る礼服と揃いのアシメントリーが、彼と並ぶことで美しさを際立てそうだ。
 蒼がいつもの笑顔で返答するを横目に、沢也は徐に頬杖を付く。
「しかし気が早くないか?まだ正式に決まった訳でもねえのに…」
「何を言う大臣。こういうのは早いに越したことはない。後から急いで拵える身にもなれ」
「それはそうだが…無駄になるかもしれんぞ?」
「ハハハ、そんなことを心配していたのか?こっちが勝手に持ってきたんだ。お偉いさんはお偉いさんらしく、ふんぞり返って受け取ったらいい。違うか?」
 縫い糸の一つ一つを見れば、どれだけ丁寧に作られたかはすぐに分かった。だからこそのぼやきなのだと理解した蒼が、一人密かに笑みを漏らす。
「気に入ろうと気に入るまいと、もう何パターンか用意するつもりでいる。女性の衣装は多い方が良かろう。ついでに陛下の礼服もバージョンアップするか?」
「だから、それは正式に決まってからにしてくれ。こっちも予算捻出しねえと…」
「金は何時でも構わん。お二人に着ていただくのが何よりの目的だ」
「宣伝効果狙いなんだろうが…他の呉服屋の手前そう言うわけにもいかんだろう」
「ふむ、一理ある。だが前向きに検討してはくれんか」
「それは勿論、金に余裕が出来たら幾らでも」
 継続された沢也とボスのやり取りが途切れると同時。カツカツと例の足音が聞こえてくる。
 入り口付近でにこにこと仕事をしていた八雲と、元より無表情で書類を捲っていた亮の動きが揃って硬直した。
「海羽さん!本日は超高級なアクセサリーでも仕入れに…」
 勢い任せに開かれた両開きの扉の揺れが収まるよりも前に、開いた張本人である秀の言葉が止む。
 ただでさえ水曜日…突然の来訪であるにも関わらず、我が物顔で城を練り歩く彼を見て亮の眉がつり上がった。茂達からの報告が時間差で八雲の携帯に届いた事からも、わざわざ駆け足でここまでやって来たのだろう。
 息を切らせ気味に、しかし見開いた瞳を輝かせた秀の口から笑みと言葉が同時に零れた。
「とうとう尻尾を出しましたね?」
「会議はどうされたのですか?」
「またその話か。この私がそんなもので誤魔化されるとお思いか?」
 横やりを入れた亮に激しくがなり返し、舌打ちと共に王座と向き合った秀の足が踏み出される。
「それは女ものでしょう?それともなんですか?あなたが女装でもなさるのですか」
 最初はゆっくりと、次第に早足に蒼との距離を詰めた彼は部屋の中央で足を止め、両腕を軽く広げて見せた。
「何時の間に女王を決めたのです?陛下のプレイボーイ振りには呆れますね」
「スキャンダルでも掴んだつもりですか?騒がれぬよう、内々に話を進めることの何が悪いのか…大体方々から結婚を急かされている現状、陛下をプレイボーイ扱いなさるのも如何なものかと」
「五月蝿い。こそこそしなければならんような理由があるのだろうと言っている!そうでもなければ直ぐにでも公表できるはずだ!違うか?」
 秀が淡々と正論を口にする亮を振り向き反論する間に、騒ぎを聞き付けた海羽が調理場から顔を出す。
「秀さん。あの、あれは…」
「海羽さんまでこの私に嘘をつかれるのですか?ああ、嘆かわしい…」
「あー、めんどくせぇ…」
「何か仰いましたか?大臣」
 率直な感想を地獄耳で聞き付けた彼は、続く沢也のため息と目逸らしと耳ほじりを忌々しげに睨め付けた。
 そんな彼を笑う声が、静まり返った王座の間に響く。
 集まった注目に臆することもなく、いつものように蒼はふわりと微笑んだ。
「折角ですから、試着して頂きましょうか」
「私の話を聞いていましたか?あなたは」
「はい、ですから」
 片眉を歪めた秀に頷いて、蒼はゆっくりと席を立つ。
「お披露目はその後でも問題ないでしょう?」
 彼の余裕な笑顔が秀の顔を盛大に引き吊らせた。
 確かにそろそろバレても差し支えがないくらいには、乙葉も環境に慣れているし、貴族に対する耐性も確認しておきたい。加えて乙葉本人が、もっと仕事を覚えたいと言い出す頃合いでもある。
 沢也が蒼の考えを読み解く間にも、衣装を持った彼が乙葉の部屋へと消えていった。それと同時にボスがやっと立ち位置を変えて、沢也の隣にやって来る。彼女はあちらに入れないので、着付けは有理子に任せる事にしたのだろう。
 秀と亮が再び口論を始めるのに合わせて、ボスは小さく肩を竦めた。
「逆に悪いことをしたようだな」
「いや、そうじゃねえ。あの嬉々とした顔、見てみろよ。あしらう気も失せるだろ」
「同感だ。何をそんなに喜んどるのか理解に苦しむ」
 あからさまに不機嫌そうな沢也にそう呟いて、彼女はがしりと腕を組む。その横目が向かう先は、笑いを堪えることが出来ないと顔に書いてある秀の横顔だ。
「見物ですね。どんな不細工でしょうか?それとも可哀想な頭の持ち主ですか?はたまた素行が悪くて躾ているとか…」
「どうしてそうなるんですか?」
「何を仰る。わざわざ厳重に隠すくらいです。その女性に問題があると考える他ないではありませんか」
 不思議そうに呟く海羽への返答は、然も当然だと言わんばかりに。
 自分が害を及ぼすからだとは微塵も考えない秀に呆れたのは、恐らく沢也やボスだけではないだろう。
 海羽も続く憶測話を聞き流す事にしたようで、瞳だけが何処か遠くを見据えていた。

 そんな彼女のぼんやりは、扉が開いて乙葉が顔を出すまで継続される。
 振り向いた計5人の視線を受けながらも、顔色一つ変えない乙葉の仕草は面白いくらいに秀の表情を変化させた。
「良いじゃないか。想像以上だ」
「ありがとうございます。こんなに素敵なドレスを着たのは初めてです」
「嬉しいことを言ってくださる。帰ったら主人にも伝えとくよ」
「是非宜しくお伝えください」
 ボスと乙葉、和やかな二人の会話を秀の咳払いが遮る。自分を無視するなとの抗議なのだろうが、その場に居合わせたメンバーは呆れた眼差しで彼を振り向くだけだ。
「こちらが女王候補の乙葉さんです」
「はじめまして。ご紹介に預かりました、乙葉と申します。あなた様のお噂は予々うかがっております」
 蒼の言葉を受けて頭を下げた彼女の整った仕草や言葉遣いに、秀は皮肉を吐くこともままならず顔を逸らす。
「…何処の家の者か知らないが、せいぜい無駄な努力をするのだな」
 仮の正装に身を包んだ彼女は美しく、先程散々酷い憶測をしていた彼に直視しろと言う方が酷だろう。やっとそれだけ言い放ったかと思えば、挨拶もなく踵を返した。
「今からでも遅くはありません。会議場にお急ぎください」
「ふん。貴様に言われる筋合いはない。…海羽さん、私は少し用事が出来ましたので。今日はこれで失礼致します」
 亮の嘲笑にわざわざ言い返しながらも、早口に海羽に言い訳をして去って行く秀の背中を、口を開けた数人が見送った。
「何はともあれ、これで缶詰の蓋が開いたな」
 やれやれと言った調子で体を伸ばす沢也の呟きを乙葉が拾い上げる。
「仕事の幅が広がると言うことですね?」
「ついでに厄介なストレスが流れ込んでくるがな」
「問題ありません。皆さん良くしてくださいますから」
 にこりとするでもなく瞬いた彼女にため息が注がれた。その間にも有理子がお茶のセットを乙葉の部屋から持ち出して、長テーブルの作業環境を整えていく。
「乙葉さん。ご無沙汰しております」
「亮さん…」
 部屋の隅から移動してきた彼が、今まで顔を会わせずに居た彼女に手を差し出した。
「あなたのことは、父が常々心配しておりました。またこうしてお会いできて光栄です」
「こちらこそ。その節はお世話になりました」
 成る程。元々面識があってもおかしくはない二人の再会に周囲が納得する中、沢也が淡々と釘を刺す。
「その話、念のため表でしてくれるなよ?またあの馬鹿がゴシップ紙に載せてくれちまうかもしれねえから」
「心得ております」
 乙葉は沢也を振り向いて頷くと、また亮に向き直りゆっくりと握手を中断した。
「孝さんの後を継がれるそうですね?」
「ええ。こちらにはその勉強に」
「では私と同じですね」
「お手柔らかにどうぞ」
「こちらこそ」
 丁寧に頭を下げあった二人は、それぞれ珍しく穏やかな笑みを浮かべている。そんな彼等を物珍しそうに眺める沢也が横やりを入れた。
「お前、八雲とも初対面か?」
「一度民衆課でご一緒したことはありますが、ご挨拶はまだかと」
 彼女が城内を移動していたとなると、残業中の事だろう。沢也が八雲に視線をやると、彼は頷いて自己紹介をする。
「八雲と申します。近々大臣の補佐に就任する予定です」
「彼も没落組ですよ。つい最近まで貴族だったんです」
「そうだったのですか」
 亮の補足に酷く納得した乙葉は、また頭を下げて言葉を繋げた。
「先日はお忙しい中お邪魔してご迷惑をおかけしました」
「いえ、こちらこそ。あのクレーム対応の完璧さと言ったら…本当に助かりました」
「きちんと挨拶もなく退出してしまったので、こうしてまたお会いできて嬉しいです」
 と、つつがなく進む挨拶を見守っていた数人が密かに仕事に戻る中、有理子にこそっと呼ばれたボスが服の改善点をメモし始めた。
 もう少しだけ歩きやすいように、とか。蒼と並べた時に見劣りしないよう、もう少しシンプルにとか。出来ればヘッドドレスももう少し軽く、とか。そうこうするうちに色々と気になり出したのだろう。ボスは乙葉を手招いて有理子の部屋を示した。
「少しバランスを見させて欲しい。忙しいなか申し訳無いが、お付き合い願えんか」
「承知しました。宜しくお願い致します」
「ついでに陛下も。まだ少し時間はあるだろう?」
「あ、はい。資料を準備したら直ぐに伺います」
 パタパタと部屋の空気が動く。
 厨房に戻る海羽を含め、揃って隣室に移動した女性陣を見送るなり、沢也が短いため息を付いた。やっとのことで騒がしさが薄れ、安堵した証拠だろう。
「これで午後までゆっくり出来ますね?」
「どうだか…」
 蒼の茶々に適当に相槌して仕事に戻った沢也は、そちらに集中する意思表示としてモノクルを眼鏡にかけ変えた。
 それに肩を竦めた蒼に、部屋の中程から亮が声をかける。
「陛下は一日中会議でしたね」
「はい。時間がありましたら、幾つか同席なさいますか?」
「宜しいのですか?」
「午後からは孝さんもいらっしゃいますし、問題ないかと」
「承知しました。では午前中に下町の仕事を済ませてしまいます」
「チョコレートの件ですね?楽しみにさせて頂きます」
 蒼の微笑に微笑を返し、亮もまた王座の間を後にした。分厚いファイルを手に出掛ける彼を見送ると、室内はまた静かになる。
 そこに隣室からボスの声が響いて、タイミングを計る蒼を呼び寄せた。
「会議前に喰われるなよ?」
「善処します」
 お返しだと言わんばかりの茶々に苦笑した蒼は、会議で使う資料を手に有理子の部屋の戸をノックする。


 その後は平和に時が流れ。
 丁度三時が近付いた頃に、大量のシュークリームを焼き上げた海羽が有理子と共に王座の間に戻ってきた。
 二人は乙葉や椿の元にそれを運び込み、飽きもせずまたお茶会を開こうと言うではないか。午前中にも同じように茶を飲みながら仕事をしていた筈なのに…と、半ば呆れ気味に見送った沢也の元には、最初の量のうち半分のシュークリームが残される。
 勿論彼がそれに手を出す訳もなく、ため息と共に立ち上がりコーヒーを淹れに長テーブルに近寄った辺りで大扉が開かれた。
「来たか」
「ごめん、遅くなっちった。あ!シュークリームうまそう食べていい?」
「知らん。いいんじゃねえか?」
「んじゃ、まあ。いただきまー」
 入ってくるなり手も洗わずシュークリームを手にしたのは義希である。
 呼び付けてあった彼を先と同じ呆れた目で眺めつつ、定位置に戻った沢也の口から再度ため息が落ちた。
 義希はそんな彼の仕草を、事件の捜査状況と絡めたようである。
「まだ進まない感じ?」
 そう言って表情を曇らせては小さく首を傾げて見せた。沢也も沢也で弁解や否定をする訳でもなく話を繋げる。
「ああ。考えなしにあんな事件起こしたくらいだ。血液中の薬品濃度も相当なもんだった。一番重い奴なんか、あの半機械男並に薬漬けだ」
「じゃあ、薬が抜けるまで聴取はお預けかぁ…」
「しかも人数が人数だ。何人かはリリス送りになるか、あっちからヘルプを頼まないと厳しいかもな」
「本島の方はどうなん?」
「あっちもあっちで動きがおかしいらしいから、出来れば余り人を動かしたくはないんだが…」
 コーヒーを啜っては曇った眼鏡を外し、沢也は義希が2つめのシュークリームを飲み込むのを待った。
「ってかそもそも、あいつらって本島から来たんじゃないん?」
 町の西側から…つまりは橋の方面から歩いてきたのを思い出しながら、義希がパタリと首を倒す。沢也はそれに頷きながら、パソコンに向き直り調査書を開いた。
「住民カードを調べてみたが、半々だったな。だが監視カメラの映像を見た限り、ここ数日で本島から入ってきたのはほんの数名。奴等の本拠地はこっちだったんだろう」
「じゃあ、なんだろ?後がないって言ってたんだけど…最近特別なコトはしてないし。犬の事件が今更効いてきたかんじ?」
 三つ目を手に持ちながら反対側に首を傾けた義希の発言を聞いて、沢也はネクタイに手をかける。
「後がない…か」
「うん、確かにそう言ってた」
 義希の頷きを受け暫く思案して、溜め息で考えを中断した彼は不機嫌そうに話の流れを戻した。
「どのみち警戒するに越したことはない。今んとこパトロール強化するくらいしか対策が打てねえが…」
「うん、伝えとく」
「どんな小さな事でも構わない。何かあったら報告書上げるように」
「りょーかい」
 ピシッと敬礼してシュークリームを口に持たせ、更にもう二つをわし掴み、義希はふわふわと外に出る。


 今日も今日とていい天気。
 本当に梅雨がやって来るのかと疑いたくなる程の晴れやかな日々。
 町に辿り着く前にシュークリームを消費して、南側の通りに入る。
 パトロールがてら手芸店の前を通り、八百屋の前を通り、うどん屋や駄菓子屋、ボスの店などを通りすぎ、通りから少し外れた場所にある公園の側を歩いていると、中から明るく高い声が響いた。
「あ。近衛隊のお兄ちゃん!」
 愛らしいそれに足を止めた義希の元へと駆けてくるのは、人質になっていた少女である。
「おお、この前の…もう遊んでて大丈夫なん?」
「うん。お怪我してないもん」
 中腰になって問いかける彼に、少女は笑顔でくるりと回って見せた。
 だけど、怖い思いをしたのは確かなんだから…と考えて辺りを見渡すと、公園の奥で他の奥様方と井戸端会議をする彼女の母親が手を振っている。少女と一緒に義希も手を振り返すと、あちら側が俄に色めき立った。
 母親がまた話に戻るのをしかと見届けて、少女はぐっと背伸びをしてはこそりと呼び掛ける。
「あのね、お兄ちゃん…」
「ん?」
「黒いお兄ちゃん…お友だち?」
 真剣な眼差しを注がれて、くすぐったい程近くで小声に訊ねられたその内容に、義希の目が丸くなった。
「黒いって…髪の毛が?」
「うん、助けてくれた大きなお兄ちゃんだよ」
 当然のように頷いた彼女は、続けて背中のリュックに縛り付けてある、小振りの風船を指し示す。
「この前ね、高いとこいっちゃった風船も取ってくれたの」
「そっか。うんうん、あいつはオレの大事な友達」
「ほんと?」
 回答を得て興奮した少女が、自分が出した大声に驚いて「しー」と人差し指を立てた。
 義希はその様子を笑いながら、背の低いコの字型の柵に腕を付いてしゃがみこむ。
 少女はその柵越しに、近くなった義希の耳元へ顔を寄せてこしょこしょと話した。
「あのね、お兄ちゃん…優しいのに、お話しすると、お母さん、怒るから…」
 子供特有の小声でそう言って、ポシェットの中身を探した少女が、目的を見付けて顔を上げる。
「これね。ありがとうって、渡してほしいの」
 差し出された小さな掌には、袋に入った真っ白なマシュマロが一つ、乗せられていた。
 義希はそれを見て瞳を揺らがせる。
「お兄ちゃん…?」
 固まってしまった彼を少女が心配そうに覗き込んだ。義希は腕で滲んだ涙を払い、満面の笑顔で頷いて見せる。
「うん…うん!任せろ?ちゃんと、絶体渡しとくから!」
「ほんと?ありがとう!」
 力強い言葉にはしゃぐように飛び上がり、少女は義希の手にマシュマロを乗せた。義希は大事そうに渡されたそれを、潰したり無くしたりしないようにポケットルビーに収める。


 それから数時間が経過した夕食時。
 噴水広場で行われるイベントの打ち合わせの為、残業に駆り出された面々が駐屯地に揃う。
 片付けられたテーブルに広げられるのは、三つの報告書と取り皿の山。それと、各々自前の箸である。
 部屋の一番奥の席で報告書を仕上げていた諸澄が、思い出したように話の種を放り投げた。
「噂、酷くなってません?」
 何の?とは誰も問わない。代わりに連なるのは、振り向く前と同じ作業に戻りながらの首肯と同意。
「俺もそう思うっす」
「元々そうですが、更に無理のあるものが増えましたよね?」
「必死だねー。あちらさんも」
 帯斗、圓、定一とが順に呟くと、一番始めの諸澄がまた疑問を投げ掛ける。
「あちらさんって、なんすか?いっさん」
「ああ、こっちの話…っていうか君達は、彼のロボット説に肯定的じゃなかったかね?」
 ペンの先で示された二人は、気まずそうに目を逸らしては口を尖らせた。
「あんだけ血が流れてんの見ちゃうとな…」
「この前のはなんか、人間っぽい反応に見えましたし…」
 むいむい呟く諸澄と帯斗に、それぞれの隣から圓と定一の瞬きが浴びせられる。
「それに、普通に飯食ってるし。普通に飯作ってくるし」
「家庭的な味がしたっす」
「圓は花形さんから子供の頃の話聞いたとか言うし」
「成長するロボットなんて聞いたことないっす」
「何はともあれ?疑いが晴れて良かったよ」
 並べ連ねられる言い訳を遮ったのは、お誕生日席に座る義希だ。彼の能天気な笑顔を振り向いた二人がじとっとした目を細くする。
「え?ちょ…何その反応?」
「唯一気に食わないのは…」
「あの超人的な強さっす…」
 けっと上を向き諸澄が、むすっと下を向き帯斗が愚痴を溢すと、ふはっと定一から笑いが零れた。
「嫉妬乙だねー」
「いっさんは悔しくないんすかぁぁあ?!」
「あははは。無い物ねだりとはまた、若いよねぇ…」
「しみじみ言ってんなっつの!」
「そんな事言ってる間に正座待機になった圓さんがですね?」
 それぞれの激昂の最後に義希が指摘すると、視線は自然とそちらへ流れる。
「どんだけ楽しみなんだよ!」
「そろそろ来るはずだし、報告書早くやつけちゃおうな」
「てか、まだ終わってないんすか?」
「え?オレだけ?いつの間に!」
 諸澄のツッコミと義希の間の抜けた声の間に、定一がぐいっと首を突っ込んだ。
「義希くんは相変わらずだねぇ。古文書でも作ってるの?」
「酷いやいっさん…これでも丁寧に書いてるのにっ…!」
「大臣、良く解読できますよね…」
「帯斗までっ…うぐぐ…」
 涙目で仕事に戻る義希を他所に、他の四人は纏めた報告書を後ろの棚に乗せる。
 この四人が良く駐屯地で一緒になるのは、単に運良くローテーションが被っているだけなのだが、それを良いことに休憩を合わせて昼食を共にすることが多くなったようだ。そうなれば倫祐の週一弁当にも当然目が行くわけで、既に何回かは6人で昼食を食べている。
 因みに今回は、残業に託つけて夕食代わりの弁当会が開かれる手筈となっているわけだ。
 義希がなんとか報告書を仕上げた辺りで、丁度倫祐が顔を出す。
 彼はそれぞれの出迎えに小さく頭を下げた後、テーブルの空いた場所に重箱と紙箱を呼び出した。
 今日のメニューは揚げ物各種とおにぎり各種。
 カニクリームコロッケ、海老フライ、唐揚げ串にアジフライ、ジャガイモやニンジン、獅子唐の素揚げに一口カツ。おにぎりはロシアンルーレット風で、一見して中身は分からない。
 タルタルソースにサルサソース、ウスターソースに醤油、オーロラソース、他にも幾つか並べられた瓶入りソースと共に、各自獲物を取り皿に盛って行く。
「よっし!ツナマヨだぁい」
「梅オカカとはまた…あ。シソが爽やかだね」
「辛口唐揚げ…!」
「こちらは天むすです!」
「高菜か。悪くねえ…」
 そうしてそれぞれがおにぎりの具を報告する中、一人もさもさと口を動かす倫祐は、カニカマとマヨネーズの入ったおにぎり片手に弁当箱に揚げ物を詰めていた。恐らく前回ごねた小太郎の分だろう。
 諸澄と帯斗が海老フライの取り合いをする間に定一が漁夫の利を行使したり、圓があちらの世界に行ったまま帰ってこなくなったり、皿に盛りすぎた義希がブーイングを受けたりと、一通りのお約束を終えた頃には重箱はすっかり空となっていた。
 それでも当然のように食べたりない義希が、付属の紙箱に手を伸ばす。
 倫祐は彼の流し目に頷いて、手早く包装を解いた。
 出てきたのはふわふわの皮に抹茶あんが詰められた饅頭と、三種の最中の詰め合わせ。
 早速一つを頬張った義希が、目を見開いて倫祐を振り返る。
「これ、うますぎ!どこで買ったん?」
 後続の諸澄も珍しく感嘆を漏らすなか、倫祐は頷いて近場の紙を引き寄せた。
「ああ、地図はいいから。今度連れてって?」
 といたばかりの包装紙にペンをあてかけていた彼は、義希の言葉に躊躇いがちに首肯する。
「たいちょー。俺らの分も買ってきてくださいよ?」
「分かってるって。じゃ、そろそろ広場の様子見て来るかな」
「うん。よさそうならケータイに連絡ちょうだい?おなか休憩させとくから」
「おっけ。ほら、倫祐も。煙草吸いがてらさ」
 最中と饅頭とを二、三個わし掴んでルビーに収め、煙草をくわえかけた倫祐の背を叩いた義希が食器を手にするのを見て、横から圓が手を伸ばした。
「片付けはお任せください」
「お、まじで?ごめんなー」
「いえ。美味しく頂きましたから」
 義希と倫祐の皿を回収した彼が流しに向かうのを見届けて、二人は静かに外に出る。

 早くも春が過ぎ去って、初夏に突入したのだと実感できるほどには陽が長くなった。
 ついこの間まで、6時を回ると真っ暗だったのにと思いながら、薄闇に染まりつつある大通りを見据える。
 通りの明るさが浮かぶ程に暗い路地の中、一際色濃く闇に馴染む彼の背中を義希が呼び止めた。
「倫祐」
 半分だけ振り向いた彼の隣に並び、胸ポケットにライターをしまったばかりの右手を取る。
「あの子から。ありがとうってさ」
 半端に開いた手の中に真っ白なマシュマロを落とすと、倫祐の瞳に影が落ちたように見えた。
 義希は俯く彼の、開いたままの掌に向けて言葉を落とす。
「風船も」
 呟くと、倫祐が顔を上げた。
「助けてくれたのも」
 続けると、倫祐の左手が煙草を掴んだ。
 彼は夜になろうと色を変える空に向けて煙を昇らせる。そうしてまた、マシュマロに視線を落とした。
 義希はその仕草をなんとなしに見据えた後、答えも聞かずに踵を返す。
 倫祐もまた、何も言わずに彼の後に続いた。






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