大臣の憂鬱2






 本島に繋がる長い橋を正面にして立つ。
 向かって右手の塔の天辺には鐘が。左手の塔の天辺には時計台が。
 それぞれ別々に、しかし連動して設置されている。
 民衆の間で王都の入り口とされるその場所は、城に勤める職員の間では監視塔と呼ばれていた。
「此処は人の出入りが激しいので、常に監視カメラを作動させています」
 鐘の真下で橋の入り口を見下ろしてから、八雲は塔の中腹に据えられたカメラを指し示す。頷きと同時に景色から視線を戻した亮が、双眼鏡片手にそれを覗き込んだ。
「カメラ以外にも時々、民衆課か近衛隊が立って見張りのような事もしますし、メンテナンスの為技術課の職員が滞在することもありますが。基本的には専属の監視員が決まった時間…早朝と夕方にやって来て、積み荷や通行人のチェックをしています」
「監視員の配属は鑑定所ですか?」
「正解です。なので危険が迫った場合には避難して頂く事が殆どですね」
「カメラの映像はどちらで?」
「鑑定所で常にチェックを。ログの保管は全て技術課が」
 聞き終えるなり、ふむ、と言いつつ垂直に直った亮の横顔が、何時もに増して厳しく見えたのか。八雲は日頃から頭にあった問題を口にする。
「基本的に出入りは自由、一般人の鞄の中身までチェックをしていられる程の人員も予算もありません。強化剤等の危険物が持ち込まれてしまうのも仕方がないと言えるでしょうね」
「それは本島のどの町に置いても同じ条件です。対策を取るなら根本を潰す、今のやり方に問題はないかと」
 真上にある鐘の中身を凝視したまま呟く彼に、八雲の瞬きと意外そうな声が向けられた。
「亮さんもそのタイプでしたか」
「勿論未然に防ぐやり方も否定はしません。現状を考えた時にはそれが最善だと言うだけの話です」
 亮の見解に納得と感心を同時に詰め込んだ相槌を吐き出して、八雲は次の目的地に向かうべく階段に足をかける。

 三月最終日の本日。二人はこの場を出発点として、城下町の視察をする予定となっていた。

 時計台の隣、新たに完成した展望台を経て、ゆっくりと中央通りを観察しながら歩く彼等は、一見してただ休日を楽しむ友人同士に見える。
 このいい日和に制服を来てきびきび歩くのも難だから、と。有理子からの提案で私服のまま仕事をしている訳だ。
 八雲は専ら案内役、亮の目的は王都に置ける民衆と行政の繋がりを間近で確認する事だろうか。
 本島を治める第二支部と、王都を治める第一支部とは勿論繋がりがある。が、本島にある町村と、王都での管理システムはかなりの違いがあった。
 まず一つ、自衛団…つまりは近衛隊が完全に王国管理なこと。本島でも第二支部が人員を集めて割り当てるが、後は団長と町村の長に一任されている。
 それともう一つ、鑑定所の大本となる民衆課が街と密接な繋がりを持っていること。本島でも民衆課の下の部署となる「町村課」が存在するが、その本拠地は小次郎が在中するリリスにしかない。他の町村には、そこから数名が派遣されて勤務している事になる。
 本島の末端から町村課に集まったものは全て、第二支部を経て民衆課にも報告される。民衆課はその全てを確認し、必要なものは更に上に報告しながら、王都の問題も解決しなければならない。
 つまるところ多忙を極めるため、民衆からの要望、要請、報告等を一手に受け付け、報告してくれるシステムが採用されているのだ。
 ややあって、鑑定所に入った二人がそのシステムの側で立ち止まる。
「広場で屋台や出店を出したい人達は此処から申請します」
 八雲が示したのは、タッチパネル付きの中型装置だ。丁度操作中の人物が居たので後ろから様子を見ていると、住民カードを翳した後に、パネルに文面を打ち込んでいく。他にも音声やファックス等、送信方法は幾つかあるようで、マイクや細い溝があるのも確認できた。
 住民カードを呈示しなければ使用できないのであれば、悪戯やデマ等もそうそう送られて来ないだろう。
 そこまで話し合った辺りで機械が空いた為、後ろに列が出来ていない事を確認し、直接触ることにした。
 八雲が指先で幾つかの項目を適当に捲りながら続く解説をする。
「近衛隊への依頼や情報提供なども全てこれで」
「技術課はかなり優秀なようですね」
 亮にパネルを譲ると、彼は興味深そうに色々な箇所を詮索した。八雲は目まぐるしく動く指先を横目に補足する。
「加えて大臣と、郵便課の一部も機械には強いですからね」
「本島に導入しないのは、信頼できる人員が居ないからですか?」
「居ないと言うよりは足りないんだと思いますよ?各地に設置しないといけないものですから。専属のメカニック…しかも個人情報に関する作業に携わるとなると、なかなかね」
 確かに、と納得を示しながら。亮は一つの項目を選んで住民カードをセンサーに翳した。
「何か出店を?」
「面白そうなので」
 八雲の問いに答えながら、短くも実のある提案書を即興で打ち込んでいく。亮の生み出す文字列が示すのは、広場でのチョコ噴水イベントだ。
「成る程」
「許可が下りたら手伝って頂けますか?」
「勿論。皆さんも面白がって手伝ってくれますよ。きっと」
 衛生管理の為噴水を魔法でコーティングだとか、フォンデュする食材は持参だとか、持ち帰り不可だとか、キグルミで限定フォーク配布だとか。画面上に並ぶアイデアの数々に思わず笑顔になりながら、八雲は亮の作業を見守った。

 二人はその後、鑑定所の書類関係を視察した後、ランチを兼ねた休憩を取ることにする。
 知らぬ店を開拓しても良かったのだが、少し気を抜きたいと言う事で馴染みの店に足を運んだ。
 路地の奥まった場所にある喫茶店に入店してはカウンター席に付き。
 八雲がタンポポオムライス、亮がビーフカツレツのセットを注文して、無事食事にありついた数分後。
 ギャルソン姿の時田が二人の前に立ち、なんとなしに問う。
「どうですか?大臣の補佐は」
「ビックリの連続です」
 スプーン片手に水を飲んでいた八雲は、一息付いて苦笑まじりに先を話した。
「仕事は山ほどあると言われていましたし、知っているつもりでしたが…まさかあれほどとは」
「ワーカーホリックとは彼のためにある言葉でしょうね」
「それは亮さんも、人の事は言えないと思いますけど」
 切り分けていたカツレツを口にする手前、真面目くさって呟く亮に八雲が苦笑する。そんな二人の正面でグラスを磨きながら、時田が柔和に問い掛けた。
「亮さんの方は如何です?コネは出来ましたか?」
「お陰さまで」
 亮の簡潔な答えは、隣の八雲により補足される。民衆課だけでなく、司法課等様々な部署に顔を出しては挨拶し、気になる仕事があれば後日ヘルプとして参戦する…そんな日々を送っていれば、自ずと知り合いが増えるものだ。しかも城内だけでは飽き足らず、下町にも手を伸ばそうと言うのだから恐れ入ると、そんな感じの内容をつらつらと並べ終えた八雲は、その間に半分になったオムライスを整頓する作業に直る。
 納得した時田が黙々と食事を味わっていた亮を振り向くと、彼は謙遜するように肩を竦めて見せた。
「やはり半端では勤まらないのですね。私には真似できません」
「なに、僕は父の仕事を継ぐだけです」
「築き上げるのと、維持するのとではまた苦労も違うものですよ?」
 苦笑に苦笑を重ねた二人の横から八雲が更なる苦笑を被せ、朗らかな声で流しにかかる。
「まあまあ。この人がそう言ってるんですから、そうなんでしょう」
「成る程。肝に命じておきましょう」
「いえ、私には果たせなかった事ですから…」
 何処か悔しそうに笑う時田を前に、表情を引き締めた亮が箸を休めて言葉を吐いた。
「僕は今まで好き勝手やらせて貰っていましたから。それがそんな大仕事を任されるなんて、周りから見たらさぞかし不安なのでしょうね」
 自嘲めいた微笑に注目が集まる。二人の微妙な反応に気付いた亮は、笑みを強めて言い分けた。
「失礼、皮肉ではなく正直な感想です。何より僕自身が一番実感しています」
 普段から弱味を見せない彼の内情を聞いて、八雲が安心したような笑い声を漏らす。
「大丈夫ですよ。何たって、あの大臣様も、更には陛下まで付いてらっしゃるんですから」
 そう言った彼の正面では、時田も迷いなく頷いていた。亮は手元に残った最後のカツレツを口に放り込むと、言葉と共に噛み締める。
「見放されないよう善処します」
 たっぷり数秒かけて返された答えに、八雲と時田が揃って微笑を竦め返した。


 一方その頃。


「報告書、持ってきてやったぞ?愚弟」
「そりゃどうも」
 王座の間で実の姉、左弥を迎えた沢也は、ふんぞり返る彼女の手から数枚の紙を受け取った。
 左弥は結婚した後も放浪兼占い業を続けているが、それとは別に時々沢也から「人事相談」を請け負っている。要は、沢也と蒼の判断が正しいかどうか、もっと他の意見がないか。二重面接を行っていると言う事になるか。
 最近では元ハンターの数名、そして先日は乙葉に面会してきて貰った。本日左弥が持ってきたのはその報告書である。
 しかし彼女がわざわざ出向いたのはその為ではなく、現在下町を視察中の亮と面会するためだ。
 彼が帰宅するまでまだ時間はある。それまではゆっくり双方の近況報告でもする事になろうか。
 とにもかくにもと、数秒で報告書を読み終えた沢也は、デスクから封筒を取り出して左弥に差し出す。しかし左弥は受け取る素振りも見せず、見透かしたように笑顔を強めた。
「生活費の足しにしろと?」
「笑顔が怖い。単なる報酬だ。お前だってボランティアでやってる訳じゃないだろ?」
「ならば渡し方と言うものがあるだろう」
「ご苦労様でした。また宜しくお願いします」
 呆れの台詞の後に続いたのは、隣室から顔を出した蒼の声だ。左弥は律儀に礼をしながらも、沢也に対する皮肉を続行した。
「これは陛下。代弁感謝する」
「こちらこそ、御足労頂き恐縮です」
「なぁに、恐縮する必要などない。あれも久々に貴様らに会いたがっていたところだ」
 真面目モードを一瞬で仕舞うと同時、沢也の手から封筒を拐う左弥に、今度は弟からの呆れ声がかかる。
「で、そのあれとやらは?」
「咲夜の所だ。そのうち連れ立って来る」
「それはまた御苦労なこった」
「また悪巧でもしているのだろう。せいぜい感謝するんだな」
 あれ、とは即ち彼女の相方の事だ。彼は趣味や仕事で採掘もする為、咲夜との相性もいいのだろう。時折二人で鉱石や魔法のあれこれをこねくり回して、新しいものを開発しようと目論んでいるらしい。
 沢也は未だその恩恵を受けた覚えこそ無いものの、左弥の夫、大地には度々世話になっている為、反論せずに頷くだけに止めておいた。
「ところで、私が見繕った隊員候補はどうなった?」
 長テーブルに付属された椅子に座り、足を組んでは札を数えながら、左弥は世間話程度に話を振る。書類共々彼女の正面に移動する沢也も、軽い調子で答えた。
「滞りなく手続き中。うち一人は轟の目に止まってな」
「それは何より。その一人、ずばりあの若造だろう?」
「言うまでもなく」
「なかなか面白そうな素材だ。無理もなかろう」
「二人の会話が何だか怖いよう、蒼ちゃん」
 最後に割り込んだ沙梨菜の声に、二人のやりとりをにこやかに眺めていた彼が振り向き立ち上がる。
「おはようございます、沙梨菜さん。昼食は如何されますか?」
「蒼ちゃんに言わせちゃうとは恐縮です。頂きます」
 自室から出てきたばかりの彼女が萎縮して頭を下げると、体半分振り向いた左弥が意地悪な笑みを浴びせにかかる。
「社長出勤か?」
「昨日レコーディングが夜中までかかっちゃって…」
「夜更かしは美容に悪いわよ?沙梨菜ちゃん」
 なはは、と言い訳る沙梨菜をたしなめたのは、王座の間の大扉を潜る咲夜だった。その後ろには大地も控えている。
「揃ったな」
 二人の姿を見るなり会議体勢になった沢也と、食事を取りに向かわんとする蒼とを見比べて沙梨菜が尋ねた。
「えと、沙梨菜は席をはずそうか?」
「遠慮はいらん。そこに座って食べていけ」
「そうよ。ゆっくり食べなさい?」
「オレたちは食べてきましたから。どうぞごゆっくり」
 沢也が頷くより早く捲し立てた姉二人プラスアルファに押されるまま、沢也の隣に座った沙梨菜は何とも言えぬ表情である。
 ここでごねても良いことは無いと、早々に諦めた沢也がため息一つで話を切り替える。
「お久しぶりです」
「お久しぶり、弟くん。ついでのようで難ですが、陛下も」
「お変わりないようで安心しました」
 きっちり礼をしては柔和に微笑む大地に、二人は丁寧に頭を下げて応えた。見た目からして逞しい彼を左弥の隣に座らせた咲夜が、食事を取りに行くと言う蒼に紅茶を注文する。
 王様を顎で使うなだとか、だったらあんたがやりなさいよだとか、一通りのやり取りが済んだ辺りで飲食物が持ち込まれ、やっと場が落ち着いた。
「早速で悪いんだが、調査結果を頼む」
「はい、ここに纏めておきました」
 雑談を押しやって切り出した沢也の催促に、大地が紙の束を持ち出しては提出する。その表紙には簡潔に「環境調査に関する報告」と表題されていた。
 沢也は受け取ると同時にパラパラと書類を捲る。それに合わせて大地が口頭で補足を始めた。
「郵便課の皆さんとも意見は一致してます。もう暫く手を掛けた方が安心かと」
「そう言う割りに人員は半分に削ると?」
「作業に慣れてきてますから。問題はないでしょう」
「分かった。悪いがもう暫く一任させてくれ」
「光栄です」
 横目にチラッと見ただけでもグラフやら細かな数値やらがびっちり記載された書類がありながら、ものの数秒で終息した報告をポカンと眺める沙梨菜の正面。いつも以上に強い笑顔で身を乗り出した咲夜が小さく手を挙げる。
「で、沢也?」
「何だ?」
「そっちの予算と人員削れるなら、少しこっちに分けてくれない?」
「何するつもりだ」
 有無を言わせぬ威圧に嫌な予感を隠し切れずとも、沢也は話の先を促した。
「まるいち、薬学についての知識強化の為、薬学に詳しい人材寄越せ」
「要求通り越して命令かよ」
「まるに、地学も叩き込みたいから設備投資しろ」
「酷い脅迫だな」
 率直な感想にも、咲夜は終止笑顔である。普段なら面倒で折れるところだが、仕事となるとそうも言ってはいられない。沢也は真っ正面から受けて立つことにした。
「呑んでやりたいのは山々だが、それをしたところでどんだけ利益が出せるんだ?そこんとこのプレゼンも、勿論持ってきてるんだろうな?」
「あら。人材育成に投資出来ない国は直ぐに滅ぶわよ?それくらいあんただって分かってる癖に」
「財政難でもなけりゃそうしてる。だからせめて優先順位が高いと言う事実を示せ」
 良くできた書類の後のごり押しに呆れのため息を吐き出すと、咲夜はむむむと眉をしかめる。沢也の反撃が珍しかったのだろうか。出来上がった空白を埋めるようにして、蒼が控え目に言い訳をした。
「すみません、咲夜さん。街と防風壁の修繕工事で思わぬ出費が嵩みまして…」
「近衛隊や技術課も言う程人足りてねぇしな。八雲の分、民衆課にも数人補充してえし」
「そう言う事なら話は早いわ」
 二人の言葉にうん、うんと頷いて。更には笑顔を強めた咲夜は、ついっと沢也を指差した。
「あんたがやれ」
「殺す気か」
 どうやら、と言うかやはりと言うか。彼女に仕事の事情は関係ないらしい。あくまでも姉が弟に命令するスタンスを貫き通すつもりだろう。ふんぞり返って鼻を鳴らした。
「何よ。そんだけ働いてるんだから逆に問題ないでしょう?」
「ただでさえ時間足りてねえのにこれ以上どう捻出しろってんだ」
「そこを何とかするのが大臣様のお仕事でしょう?」
「ふざけるな。俺は門松の馬鹿と違ってお前の口車に乗せられたりはしないからな」
「まあまあ、ご姉弟」
 激化していそうで淡々とした言葉の応酬を遮った大地は、二人を交互に見比べては親指で自らの胸を指す。
「それならオレが協力しよう」
 申し出を受けて固まった彼等は、無意識のうちに姉の様子を窺った。すると待ち構えていたかのような嘲笑が返される。
「構わん。寧ろ何か問題か?」
「そう無理をさせなくても」
「好きでやってるんだ。無理も糞もない」
「でもあの課は変わり者の集まりだし…」
「それなら尚更だ。他所から人を呼ぶよりよっぽどいい」
 左弥が沢也、咲夜と順に黙らせると、身を乗り出した大地が一言。
「決まりだね?」
 こうなっては遠慮もひたすら無駄になるだけだ。何も言えなくなった四人を他所に、夫婦は楽しげに話を進めていく。
「そうとなれば当面郵便課で世話になるか。宿代も浮くしな」
「一石二鳥だね」
「どちらでも構わん。先方に許可を取っておいてくれ」
「多少の金銭と労力は提供するからさ」
 左弥の威圧的な笑みと、ただでさえ大きな大地に上から笑顔を注がれた二人は、どちらともなく了承して携帯を取り出した。



 その夜のこと。


 無事亮との面会を果たした左弥が、大地と咲夜を連れて門松操る飛竜で飛び立ったのが数時間前。
 そろそろ日付も変わるだろう頃合いの王座の間で、一人仕事を続けていた沢也の元に烏羽が訪れる。
「…どうした?その頬」
「察してくれ」
 蒼が明日に備えて早めに寝たのを見計らって出てきたのだろう。赤くなった左頬を擦りながら、彼は参ったとでも言わんばかりにため息を付いた。
 沢也は書類片手に苦笑して、軽い調子で詮索にかかる。
「とうとうバレたのか?」
「流石はエスパー。恐れ入った」
 蓋のされたインクに腰掛けて、目を丸くするでもなく肯定した烏羽は、反省する様子もなく淡々と説明した。
「おかしなところに湿布を貼っているもので、つい口が滑ってしまった」
「桃か」
「やはり恐ろしいな。貴方は」
 頬を叩いた相手までをも言い当てた沢也に、称賛の拍手が贈られる。

 そうして小さな手を鳴らす彼は妖精であり、妖精であると言うことは勿論「個性がある」と言う事だ。
 今は眠ってしまっているが、結に「人の強い思いを感じる」個性があるように、烏羽にも口外したくない個性がある。
 彼の個性は「透視」。つまりは物を透かして見ることが出来ると言うものだ。
 言ってしまえば、妖精の部屋にある泉に映し出される階下の映像も、烏羽の能力の一つなのだが。他の妖精達には、沢也が作った機械だとの説明がされている。
 烏羽が言うには、壁の四、五枚は透かして見られるし、服の下、更にその内側の体内まで透視することが可能だそうだ。勿論日頃から意識して見ているわけでは無いのだろうが、たまたま見付けてしまった物は致し方がないとも言える。口が滑った滑らないは、別として。
 要はこんな風に、服や体の中を覗かれているかもしれないと、周りのみんなが普段から懸念して生活しなければならなくなることを、烏羽は心配していたのだ。
 だから、彼の個性を知っているのは、今のところ沢也と結だけ。しかし烏羽の様子からして、桃にも大方ばれているだろう。

 拍手が止んで暫くしてから、仕事の手を休めた沢也が何と無しに問い掛けた。
「他には話さないのか?」
「俺が話さずとも桃が話すだろう」
「それはどうだろうな」
「あれだけ怒っていたのだ。そうあっても仕方がないだろう」
 冷静でありながら何処か気もなく呟く烏羽の内情を探るように、沢也はため息に似た言葉を落とす。
「事情こそ違えど、誰しも何かしらの隠し事は持っているものだ」
「そうかもしれん。だが、隠し通せなければ意味などない」
 不甲斐なさ、居心地の悪さ、今後の不安。全てを含めたため息からは、若干ながら不機嫌と諦めが滲み出ていた。
 沢也は感情を脇に押しやって、カップにコーヒーを注いで一息付くと、率直な意見を口にする。
「お前ら妖精は特に、隠す理由がはっきりしている分、摩擦も少ないもんだと思ってるんだが」
「そうだろうか?確かに説明するまでもないが」
「人間だとそうはいかない」
「そうだろうか?」
「大抵はそうだろう」
 そして説明したところで、分かってくれるとは限らない。納得いかなそうな烏羽を眺めたまま脳内で呟いた沢也は、一拍置いて諭すように問うた。
「だからと言って、隠す事そのものが悪い訳じゃない。違うか?」
「…分かってくれると?」
「逃げ場もないのに何時までも衝突を続けるほど、元気じゃないだろ」
 沢也の言葉から真意を悟ったのだろう。烏羽は口を閉ざして天を仰いだ。
 種族が絶滅しそうな現状、こんなことで何時までもいがみ合って居るほど暇ではないし、互いにそこまで馬鹿でもない。過大評価かもしれないが、烏羽自身にもその自覚はあった。
 このままあの部屋を抜け出そう等と、浅はかな事を考えていた訳でもない。単に話を聞いてほしかっただけなのだろう。
 ごちゃごちゃした考えを短く纏め上げ、烏羽が苦笑を竦めたところに声が届いた。
「話したのですね?」
 開けっぱなしの扉の隙間から顔を出した桃が、不機嫌そうに問い掛ける。
「彼は元々知っている」
「そうではなく。私とのいざこざについてですわ」
 冷た気な烏羽の返答に頬を膨らませ、桃はふいっとそっぽを向いた。
 扉の向こうからこちら側に入って来はしたものの、宙に浮いたまま半端な位置で停止する彼女の横顔に、彼の口からため息が注がれる。
「怒っているのだろう?」
「当然です」
「ならばどうする?」
「どうもしません」
 思いがけない返答だったのだろう。硬直した烏羽を振り向いた桃が、瞳を潤ませ懇願した。
「ですから、これからは隠し事をしないで欲しいです」
 短い間が出来上がる。短時間ながらも考え込んでいた烏羽が、声も低く回答した。
「それは難しいな」
「何故…何故なのですか?」
「纏まらないよ。君達じゃ」
 冷たい返しに熱を上げた桃の背後、ため息混じりに割り込んだ声を三人が振り向く。
「翡翠」
「何故あなたにそんなことを…」
 烏羽と桃が順に反応すると、肩の力を抜いた翡翠が横目に沢也を見据えた。
「こっちに振るなよ」
「適任だと思って」
「そりゃどうも」
 皮肉にも似た指名に渋々了承して、沢也は長いため息の後指摘する。
「お互い、価値観が違いすぎるんだよ。お前らは」
 二人の瞳が瞬いた。唯一頷いた翡翠に肩を竦め、彼は続ける。
「烏羽は「能力」を使ってしたことに対して、桃が怒っていると考えている。対して桃は、烏羽が「能力」について隠していた事について怒っている」
「それはそうだろう。このような能力を持っている等、知らずにいた方が幸せだ」
「当然です。長い付き合いなのに、私は今まで知らずに…一人で抱え込むなんてずるいですわ」
 同時に始まった二人の話は、見解どころか焦点までずれていた。思わず顔を見合わせた二人を交互に見据え、沢也は結論を突き付ける。
「な?噛み合わないだろ」
 すると桃は俯き、烏羽は腕を組み、気まずそうに視線を泳がせる始末だ。
 翡翠が再びこちらを見たのを確認して、書類を手に取った沢也は、いざこざから抜け出すための台詞を口にする。
「あとは翡翠に間に入ってもらえ。どうしても難しくなったら結を貸してやるよ」
 言ったきり、仕事に戻ってしまう彼を諦めて、小さな三名はそれぞれに上階へと戻っていった。





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