適任者 殆どの人が朝食を済ませ、ゆるやかな時が流れる城下町。 そのうちの南通りにある八百屋の前に、ふわふわと立ち止まる海羽の姿があった。 彼女を見付けるなり、店頭で野菜の整理をしていた年若い男がにこりと微笑み声をかける。 「いらっしゃいませ!今日は何にします?」 犬に似た人懐っこい笑顔につられて、海羽も微かに顔を綻ばせた。 「あの、いい根菜があったら…」 「でしたらこちら。新ニンジン。甘くておいしいですよ!」 海羽は早速勧められた、緑の縁浅い籠に盛られたそれを覗きこむ。 「綺麗な色…」 鮮やかなオレンジは陽に照らされて輝いて見えた。 青年は青年で、ニンジン越しに海羽の顔を眺めては小さく呟く。 「あなたに料理されたら、この人参も幸せでしょうね」 「え?」 「いえ、なんとなくそう思っただけで…」 聞きそびれた台詞を誤魔化された海羽は、そのまま流して注文に入った。 「じゃあ、人参と大根と…あと白菜を」 「まいどあり!分量はいつも通りで構いませんか?」 「はい。二時までに届けて貰えたら助かります」 「お任せください」 青年は「水曜日の午前中」にのみ訪れる上客に頭を下げて伝票を切る。 海羽はそれを手に橋方面へと歩いていった。 青年は彼女の背中を見送ってから仕事にる。 その背後から彼女を見送った影もまた、音もなく仕事へと戻った。 そんな風に、海羽が一人気儘な買い出しに出向いている丁度その頃。 静かだった王座の間の扉が突如ばたこーん!と開かれる。 幸い会議や来客は無く、部屋に居るのは何時もの二人と沙梨菜だけだ。 勢いのまま部屋に転がり込んできた人物は、進行も半端に話を開始する。 「ささささささささ沢也さんっ!き、きききききききき聞きましたよ!」 「何をだ?」 「八雲さんを…み…右腕に…!」 相変わらずの吃り口調に加えて息切れした仁平の言葉を苦もなく聞き入れて、頷いた沢也が溜め息混じりに肯定した。 「右腕かどうかは知らんが、民衆課からこっちに移動…」 「そ…そそそそそそそそそんな!ずっ…ずるいです!」 沢也は道半ばで行き倒れたようにへたりこんでしまった仁平を、呆れたように見据えて呟く。 「ずるいって…お前なぁ…」 「まるで浮気が発覚した修羅場みたいだね☆」 「さ…沙梨菜さぁん…」 その傍らで明るく言ってのける彼女に涙目(かどうかは実際ゴーグルのせいで分からないが)ですがり付かんとする彼に、すかさず沢也のフォローが入った。 「畑が違うのにそんな事言われても困る。お前はお前で技術課の統率を…」 「ぼ…ぼく…ままままままままだ諦めてませんから…」 仁平は聞く耳持たんとでも言いたげに、口端をヘラヘラさせたまま、しかし重いオーラを放つ。沢也はそれにも頷いて宥めにかかった。 「分かってる。そもそも八雲にそこまで教えるかどうかは…」 「そそそそそそそそんな!それでもそのうち教えるかもしれないって、ここここことですよね?ね?」 「もう、仁平ちゃんったらヤキモチ妬かないの。どう足掻いても、沢也ちゃんは永遠に沙梨菜のものなんだか…」 ゴスッと。鈍い音が割り込んできた沙梨菜の明るすぎる茶々を切れさせた途端、おかしな静寂が訪れる。沢也は溜め息を落とす事で嫌な空気を追い払った。 「心配せんでも、お前がそうして執着し続けてれば、そのうち教えることにな…」 「ほ…本当にですますか!?」 溜め息に溜め息を重ねた沢也が、身を乗り出した仁平に苦笑を注ぐ。 「食いぎみだな。今日は」 「興奮覚めやまにきまたあきはらを」 「壊れた!壊れたよ沢也ちゃん!」 意味不明な言語に慌てた沙梨菜が沢也の腕を掴んでゆさゆさ揺すった。当然制裁に出る沢也の表情までもを一頻り楽しんだ蒼が、笑い混じりに口にする。 「仁平さんは本当にお好きなんですね」 「はい、だだだだだだ大好きですとも!」 勢いもそのままに大いに肯定し、仁平はふにゃりと腰を上げた。 「それでは、あ…あの…おおおおおおおお騒がせしましてまして…し、失礼します…」 勝手に納得して勝手に礼をして勝手に去っていく彼の丸まった背中。三人はそれぞれにそれを見送って息を付く。 「沢也ちゃん、もてもてだね…」 一息付いたのも束の間、沙梨菜のじっとりとした眼差しを受けた沢也が舌打ちと共に彼女を振り向き。 「はぁ?」 「そんな目で見下さないで?ドキドキしちゃうから」 汚物でも眺めるかのように冷めた目を光らせた。 しかしそれでも一歩も引かぬ沙梨菜を諦めて、彼は目の前のパソコンに向けて呟きを落とす。 「あいつが好きなのは俺じゃなくて」 「機械、ですね」 蒼からもたらされた答えに頷いた沢也が、目を丸くする沙梨菜を振り向く事なく先を繋いだ。 「その扉のシステム作るのに技術課に手を借りなかった事、根に持ってんだよ」 「加えて僕みたいな素人には仕組みを教えて、自分には教えてくれなかったと…相当ご立腹の様子でしたよ?」 「なるほろ。仁平ちゃんらしいね…」 蒼の部屋や書庫へと続く扉を見据えたまま、三人はそれぞれの調子で呟く。止まらない沢也の溜め息。くるくる回る蒼の指先。パヤパヤした沙梨菜の空気。 その全てが、何事もなかったかのように室内を正常な状態へと導いていく。 しかしそれも長くは続かなかった。 民衆課から呼び寄せた亮が入室したり直後。 何の前触れもなく訪れた秀が、扉を開くなり訝しげに眉を歪める。 「何故あなたがこちらに…?」 「先日よりこちらでお世話になっております。あなたこそ何故こちらに?本日は定例会の筈では?」 ピリピリと空気が痺れた。 不思議と顔を合わせることなく済んでいた二人の接触が、想像以上の不協和音を呼ぶ。 秀は蒼や沢也に無言の抗議を終えると共に、亮に向き直りスーツを前に引っ張った。 「兄に代わって頂きましたので」 誇らしげな一言が嫌みったらしく場に響く。対して亮は無言で携帯を取り出し操作を始めた。 「何をするつもりです?」 「苦情を言うだけです」 「何故あなたが」 「こちらもあの会には出資しているのでね。きちんと機能しないのであれば、文句の一つでも言ってやらないと気が済みません」 「ならば出資など断ってくれて構わない」 「そうなると、困るのはあなたのお父上ですよ?」 力強い秀の言葉に、呆れたような亮の声が返される。細く長い溜め息で溝を埋めて、無感情に亮は言った。 「こちらは構いませんがね。他にも会に参加したいと言う家は沢山あります。情報交換の場は、それほど重宝されているのです。それを無下にする人間から参加資格を奪うくらい雑作もないこと」 「黙れ。たかが養子のくせに」 殊更低い秀の声は威圧を帯びてはいたが、あからさまに震えている。それを取り繕うように胸を張り、ピッと指先まで伸ばした腕を亮に向けた彼は、引きつり笑いで先を続けた。 「各方で顔を効かせているそうだが、そうでかい顔をしていられるのも今のうちだ。なにせ、この私を敵に回したのだからな!」 勝手に見下し、勝手に敵認定し、くるりと踵を返す。 「今に吠え面かかせてやる。楽しみに待っていろ!」 最後にそう言い捨てて、秀はさっさと帰って行った。 勢い良く閉められた扉が立てた騒音の余韻が収まった辺りで、再び亮の口から溜め息が落ちる。 「これで少しは大人しくなるでしょう」 「そうだといいが…」 「先の被害を懸念するのも分かりますが、いつまでも野放しにさせておくわけにもいかないのでは?」 「今の、見ただろう?」 呆れにも似た沢也の呟きに対する反論は、同じ調子の質問となって返された。 「ただの負け犬の遠吠えで済むなら、こうも苦労はしない」 片眉を歪めた亮に肩を竦める沢也の口からも溜め息が零れる。他に居合わせた二人の苦笑いからしても、それが及び腰のせいではないと気付いた亮が肩の力を抜くのを見て、彼は更なる言い訳を口にした。 「如何せん…えげつないんだよ。あいつの手段は…」 「…余計なことをしましたか?」 納得して微量空気を変化させた亮の問いに、沢也を初めとした面々は緩く顔を綻ばせ。 「いいや。正直スッキリした」 「ほんと。凄いスッキリ」 「はい。なので、後は今後の動向に気を付けるだけです」 本当に気の抜けるような声色を連ねては、ピシッと親指を立てて見せた。 面食らった亮が目を丸くするのにも構わずに、沢也は目一杯体を伸ばしにかかる。 「何よりこれで、こっちもゆっくり定例会開ける訳だしな」 「何だかんだで久々になってしまいましたからね」 「亮さんもどうぞご一緒に。後から八雲さんも来ますから」 そう言って席を勧めた有理子は何処からともなく大量のプレゼントボックスを運んできており、部屋の一角は亮が頷きながらも顔をしかめるのも無理もない状況となっていた。 「既製品とそうでないのと、外装で判断して仕訳しとけよ?」 「分かってるけど…これで全部じゃないわよ?」 既に有理子の背よりも高く、巨大なシートの上に堆く積まれたチョコの山。思わず硬直した沢也の代わりに蒼がクスリと声を立てる。 「前回の記録、更新した感じですか?」 「まぁ…どっこいどっこいって感じかしら?」 「流石に心配ですね。主に義希くんと倫祐くんの血糖値が」 「溶かして巨大な噴水でも作ってはどうですか?」 不意に割り込んだのは亮の声だった。無感情なそれから考えられぬような内容に、有理子の口から笑みが零れる。 「随分とファンシーな提案ですね」 「義父が昔」 「あはは。孝さん、そう言うの好きそうですよね」 「考えただけで胸焼けがする…」 それぞれの感想と妄想は最後の沢也の台詞に打ち消された。 それから暫くして集まった何時もの面子のうち。 手作りらしき品々を義希と倫祐が、その他既製品ながらに要らぬアピール満載の品々を小太郎と沙梨菜が順々に平らげ。その他保存して茶菓子に回せそうな物を有理子と海羽で選りすぐり、箱やタッパーに収めていた。 豪華な城内で行われる何とも貧乏臭い作業を横目に、司会進行を担う沢也が資料を配る。 今回の主題は強化剤本拠地に関する情報整理と、亮と孝の相続に関して、それから八雲の移動と、蒼の見合いについてになるか。 小太郎の両親の都合で不参加なくれあを除く八名は、資料と沢也とチョコとの間で視線を右往左往させながら、話を頭に仕舞っていった。 強化剤本拠地ではないかとされている場所を、地図を元に説明していた沢也の口が止まったのが開始から数分後の事。この先はまだ本島の人間に調査を委ねる他ないというところで話が途切れる。 「八雲さんの移動は何時になりそうなの?」 小太郎がギブアップしたうちのひと欠片を口に運ぶ八雲を目で示し、有理子が短く問い掛けた。 「少なくとも亮の研修が済んでから。それまではあっちの引き継ぎとこっちの研修でうろうろしてもらう事になるか」 「やっぱり一番の問題は秀さんの件ですかね?」 沢也に続いた蒼の補足に同意の声が連なる。 「それについては亮に色々聞いといてもらうつもりではいる。あとはあいつが居るときに避難できるような場所でも作っとくか…まあ、正式に移動になるまでに何とか対策するっきゃねえな」 急に話が出たばかりなだけに、まだ纏まっていない方針に、小太郎が続く茶々を入れた。 「因みにどんな仕事すんだ?」 「主に事務」 「近衛隊との連絡役とかは?」 「これまで通り俺が。まあ、言っちまえば有理子の代わりみてえなもんだ」 「その分わたしが蒼くんの補佐をする事になると」 有理子が話を纏めると、気のない小太郎の相槌が響く。 「財務課はどうなったの?」 「民衆課と人員トレードして、有理子と副課長でなんとか監修してるとこ」 「それ、民衆課は平気なのか?」 「問題ありませんよ?皆さん優秀ですし、私の方も行き来することになりますから」 沙梨菜の問いには沢也が、小太郎の疑問には八雲が答えた辺りで、海羽の持つタッパーが満タンになった。 「今度のお見合いには使わない方がいいよな…?」 「使い回しがバレたら面倒だしな…」 「じゃあこっちの溶かして使えよ…」 「うむぅ…流石におにゃか一杯らぉう…」 小太郎と沙梨菜が満身創痍に「陛下ラブ」だの「愛を籠めて」だのとデコられたチョコを押し返す。 「ただのチョコならいいんだけど…ケーキだったり、色々混じっちゃってると…」 「再利用は難しいのよね…」 唸りながら顔を見合わせた海羽と有理子の背後、開始から無言で手作りチョコを貪る二人を亮と八雲が振り向いた。 「お二人とも、みなさんの心配が集中しておりますので、出来れば感想など頂けると…」 控え目に蒼が問うと、真顔の義希がスッと振り向きぽかんと口を開ける。一方の倫祐も何時もの無表情で蒼に視線を送った。 「ばらのかほりがするのとか」 ポツリと義希が呟く。続けて倫祐がスッと、ぐちゃぐちゃな紙切れを差し出した。チョコにまみれたそれには、呪文のような何かが綴られている。 「コーヒー豆っぽいのがガリガリしたりとか」 義希の棒読みと、倫祐が差し出した貴金属と。 「よくわからない薬みたいな味のとか…」 消え入りそうな義希の声と、倫祐の手に握られたビーズとスパンコールまみれのマフィンと。 「すみません、もう食べなくて良いですから…」 顔面蒼白な蒼の微笑と、言葉もなく頭を押さえる沢也と、顔を反らした小太郎との丁度真ん中辺りで沙梨菜が一言。 「みんなおまじないの類いなんじゃない?」 のほほんと言った事により、何とも言えぬ沈黙が訪れた。 「一番の問題は、陛下の見合いのようですね…」 的を得た亮の呟きに、その場にいた一同は同意せざるを得ず。 「おまじない禁止令でも出しましょう?割りと真面目に…」 加えて呟いた八雲の最初の仕事がそれに決まらぬようにと、密かにプレッシャーを感じた蒼であった。 その後、チョコレートの山は取り合えず片方を放棄。もう片方のうち、まともなものをくれあへの土産にするなどして、どうにかこうにか片付ける事に成功する。 しかしながらそれぞれが受けたダメージは甚大で、義希に至っては副作用で夕食をいつもの倍食べた程だった。 亮の言った「チョコの噴水」作戦を真面目に検討し始めそうな事態に頭を抱えつつ。解散した彼等は、少人数で今後の打ち合わせを詰めてゆく。 いつしか夜も更けて。 蒼からの電話で亮に関する報告を受けた孝は、ほっと息を付いては窓の外を見据えた。 二階の窓から見える森は深い闇に染まり、孝の中にある別の心配事を掻き立てる。 何を隠そう、明日は蒼の見合いの日。孝が推薦した彼女も、あの白くて青い城に足を踏み入れる手筈となっているのだから。 孝は数ヵ月前に、今彼が居るのと同じ場所に立った女性の横顔を思い出す。 彼女は年末の調整が一段落した頃の、雲一つない晴れた日の昼に訪れ、孝にこう切り出した。 「私はこの国を変えたいんです」 窓の向こうに未来を見るように。呟いた彼女はゆっくりと振り向いて、孝に厳しい眼差しを注いだ。 「高いところに居座っていると見えない部分まで、全て」 陽を背にした彼女の表情は美しく、しかし苦々しげに歪んでいる。 それは彼女の住む場所が、例の「自然破壊被害地域」に近く、同時に王都から遠い所にある事が理由の一つとして上げられるだろうか。 同時に彼女の生い立ちが、王族に対する感情を悪いものへと変えてしまうのだろう。 それでも彼女は馬鹿ではない。この国そのものを恨むほど愚かでもない。 だからこそ。 彼女の中にある大切な物を守るために。 「それができるなら、結婚でもなんでもします。だからお願いです、孝さん…」 強い眼光が孝に語りかけるように注がれ続けた。頷くどころか、相槌すら打たない彼に向けて、彼女は決意を口にする。 「私を女王に推薦してください」 「そうですね」 全てを受け止めて、孝は直ぐ様返答した。 「…いいんですか?」 「ええ」 「てっきり、もっと渋られるものかと…」 孝は驚愕と気抜けで呆然とする彼女に微笑むと、深く頷き紅茶を啜る。 「彼ならば、大丈夫でしょうから」 「大丈夫…ですか…?」 「あなたのその偏見を、ねじ曲げるだけの素質があると言うことですよ」 「…偏見などではありません」 指摘に僅かながら口を尖らせる彼女の横顔は未だ厳しく。それでも孝は背中を押した。 「心行くまで見定めてきなさい、彼の本質を」 大丈夫だと分かっていながら。 自分が避けた道だからこそ、溢れそうになる心配を押し殺して。 孝は全てを蒼に託す。 期待と好意と、願望を籠めて。 翌日も快晴だった。 雪解けの季節に相応しい穏やかな風が、まだ肌寒い空気を僅かに和らげる。 息の白さも数日前より薄まって、鼻唄混じりに散歩でもしていたいこの日和に。城に籠って沢山の見合いをこなさなければならない彼等を気の毒に思いながら、正宗と茂達は着飾った女性達を次々と迎え入れた。 今回も複数人を王座の間に招き、一人一人と面会すると言うのだから恐れ入る。人数分の車が城門脇に止まり、お付きの者がきちっと並ぶその様子は、門番達にとっては居心地が悪く、しかし同時に壮観でもあった。 これが数時間続くんだよなぁ、と。脳内で小さな愚痴を溢す正宗の細い瞳に、丘を登ってくる小さな影が映る。 先程からやってくる高級車とは、スピードも音も、趣すらも違う。ただいつも目にしているのと同じ、歩いて丘を登る人々のように。 最初こそ急な来客かと疑った正宗であったが、隣の茂達が持つ名簿にはまだ空白が一つある。それに、ただの来客にしては着ているものが清楚過ぎる気がした。 何より彼の勘が、彼女が最後の来客であると告げている。 お付きもなく、一人丘を踏み締めて城門の前に立ったのは、ショコラブラウンの髪を持つ、凛とした雰囲気を持つ女性であった。 脇に控える貴族の使用人達がひっそりと目配せを交わす中、女は意に介さずバッグから招待状を取り出し、茂達に提示する。 茂達は封筒の中を改めて小さく頷いた。 「乙葉(おとは)様ですね。どうぞ、中で係の者が承ります」 合図を受けた正宗が城門を開く。乙葉と呼ばれたその女性は一つ礼をして、音もなく城内に吸い込まれて行った。 エントランスで待機していた有理子が、扉を開いた乙葉の背後から門番たちの目配せを受ける。それに短くウインクして、有理子は直ぐ様営業スマイルを浮かべた。 「お待ちしておりました、ここからは私がご案内致します。お荷物は…」 「これだけです。このまま持っていけますか?」 「はい。問題ありません」 貴族であればそこで、荷物を有理子に差し出してくるのだが、乙葉はその素振りを見せない。門番二人の微妙な表情に納得した彼女が先行すると、乙葉も黙ってそれに続いた。 他の来客者は揃って城を褒めたり王の様子を詮索したりしてきたが、後ろを歩く彼女は真っ直ぐに前を向いたまま、口もきかずに付いてくる。それは凄く新鮮であり、楽でもあったが、若干ながら不安も覚えた。 「あの、この先には他の見合い希望の皆様が…」 「心得ております。その方々が貴族であることも存じ上げておりますので、どう反応されるかも想像できます」 冷静で淡々とした対応に、何処と無く沢也を連想してしまった有理子は、頬を緩めて首肯する。 「要らぬ心配でしたね」 「いえ。お心遣い、感謝します」 本当に微量だったが、確かに柔和な笑みを浮かべた乙葉に、有理子は密かに安心して、小さな小さな息を吐いた。 応接間に着いてみると、やはり想像に違わぬ反応が顕著に現れる。 お付きもなしに、とか。あんな簡素な服装で、とか。あれは貴族ではない、そうであっても貧弱な、出来損ないに違いないだとか。 有理子からそんな報告を聞いた沢也は、蒼の準備が整う前にカードを入れ換える。わざわざそんなストレスがたまる場所に置いておいて、一番話がしたい人物と話をしにくくする必要はないだろう。 蒼が持ち込んだこの話は、沢也にとっては正直意外だった。何故なら前回の件で、偏見のある相手には懲りたものだと思っていたから。 だからと言って、孝の紹介だから断れなかったと言う訳では無さそうだし。単に会ってみて考えたいと言う、蒼なりのやり方なのかもしれない。 そもそもがつまらぬ貴族とのお茶会なのだ。蒼が変わった物を持ち込みたがるのも分からなくはない。しかしそれが善と出るとは限らぬことも、経験から承知している。 あとは面倒なことにならないよう、祈るだけ。 そうして一番手に乙葉を招いた沢也は、蒼が来るまでの間彼女の相手をすることにした。孝がどんな人物を紹介してきたのか興味があったのと、ここから先の苦行を越えるための前座として、なんとなしにそんな気になったのである。 沢也は「暫くお待ちください」と前置いて、有理子が用意して行った紅茶を提供した。乙葉はそれに頷いて正面を見据える。 「随分と豪華なお城ですね」 高い天井の天辺付近まである、巨大なステンドグラスを目で示し、彼女はハッキリと呟いた。 沢也もそちらを振り向きながら、皮肉に微笑み問い返す。 「そう見えますか?」 「…想像よりは装飾品が少ないようにも思いますが、何か理由がおありですか?」 「新聞は読みますか?」 「ええ。つまり、財政難が理由と受け取っても?」 「それは勿論。もう一つ理由を付けるなら、王が余り派手なものを好まないせいもあるかもしれませんが」 淡々と続いた問答は、乙葉が紅茶に口を付けた事で途切れた。 「その割に、この紅茶は随分と高価なものですね」 「来客用ですよ。此処に訪れる人間は変に味に煩いですから」 「難なら、僕が普段飲んでいるものをお持ちしましょうか?」 割り込んだのは穏やかな蒼の声。振り向いた二人のうち、沢也が短く肩を竦めて頭を下げる。 「…では、俺はこれで」 そう言って奥のデスクに彼が座るのと、乙葉の目の前に蒼が座るのとがほぼ同時だった。 乙葉は蒼が紅茶にミルクと砂糖を加える様子を眺めながら、無感情に問い掛ける。 「紅茶は結構。それよりも幾つか伺いたいことがあります」 「はい。どうぞ」 「環境問題について、どうお考えですか?」 間髪入れずに返してくる乙葉の表情を、何時もと変わらぬ蒼の微笑が捕らえた。切り揃えられた彼女の前髪と横髪が、瞳と同じ鋭さを宿しているように思えてくる。 無言の訴えはしかと受け止めた。それでも蒼は暫しの間を持って、はぐらかすように問い返す。 「孝さんから聞いていませんか?」 「粗方うかがって居ます。それが本心なら何故あのような状態に?」 「僕の力が及ばなかったからです」 「貴族のせいにはなさらないのですね」 「それを抑えるのが本来、僕の役割ですから」 言い訳もなしに素直に非を認めた彼を前にして、乙葉は微量眉根を寄せた。 「思っていたよりお若いですね」 「童顔なだけで、あなたより歳は上ですよ」 話題どころか声色をも変化させてみるも、蒼のペースを崩せずに。瞬きで表情を切り換えた彼女の作った笑顔がふわりと傾く。 「資料、読んで下さったのですか?」 「はい。なかなかきちんとしたものは拝見できないものですから。楽しませて頂きました」 色の違う、しかし探りあうような二人の笑顔が不自然な間を作り上げていた。今まで経験した中でも風変わりなやり取りを遠くから眺める沢也と結が、居心地の悪さにそっと身を縮める。 数秒後。先に目線を反らした乙葉が、応接室を横目に短く言った。 「貴族は相変わらずのようですね」 「生憎僕は最近しか知りませんが」 「王族なのに、ですか?」 「暫く離れていましたから」 ゆっくりとしながらも単調な会話が不意に途切れる。勿体ぶるように紅茶を楽しみ、音を立てぬようにテーブルに置いて、乙葉は笑顔で問い掛けた。 「離れて、何を?」 「悪いことを」 蒼は臆する事なく答えを終える。最初から微塵も変わらぬ笑顔のままで。 「隠さないのですね」 「隠しても良いことは無さそうですから」 にこにこと交わされる言葉は冷たさと暖かさをぶつけ合うように。次第に何かに納得した様子で頷いた乙葉が妖しげに口元を緩めた。 「では私も正直にお話します」 笑わない瞳が鋭い光を帯びる。 「私はこの国を変えるために此処に来ました」 それはハッキリとした嫌悪を滲ませた宣言だった。場の空気を変えようと、プレッシャーを捻出する彼女の声が殊更低くなる。 「この城に入り浸り、のうのうと暮らしていては分からないでしょうが…街では今も、問題が山とあるのです」 忌々しい物でも見るような眼差しを受けながら、蒼は乙葉に優しく問い返した。 「それをなんとかする為に?」 「そうです」 「嫌いな王族と結婚なさると」 ピクリ、と。微かに乙葉の眉が歪む。彼女は紅茶で気を落ち着かせ、溜め息を吐き出すように聞いた。 「…孝さんですね?」 「はい。少しだけうかがいました」 未だ微笑を崩さぬ蒼の様子から何かを盗み見ようと。しかし真意が掴めなかったのだろう。乙葉は長い息を吐いて自身の話を終わらせた。 「私が言いたいのはそれだけです」 「分かりました。では、二次審査についてお話しても宜しいですか?」 小さな間が訪れる。 見開かれた乙葉の瞳が呆然と蒼を捕らえていた。 「私の話、聞いていましたか?」 「はい」 「では何故…」 「覚悟があるとお見受けしました」 質問を遮って、しかしハッキリと答えた蒼は、固まる乙葉の真顔に笑顔を注ぐ。 その間で回ったのは彼の人差し指。 「あなたは女王になるとはどう言うことか。全てを理解した上でいらっしゃったのでしょう?」 問い掛けに対し、当然だと視線で訴えてくる彼女に頷いて。 「それだけで充分です」 満足気にそう言った蒼は、半端に納得を示した乙葉に書類を差し出し、ゆっくりと先の説明を始めた。 cp71 [相棒]← top→ cp73 [ホワイトデー] |