in the star


 
 甘い香りが城内を満たす。
 この時期になると決まって訪れるテロ行為を苦々しく思う沢也を他所に、世間にはそわそわとした空気が漂っていた。
 本番はまだ数日先だと言うのに、王座の間にまで持ち込まれた何とも言えぬ雰囲気は、拭えぬ所か増殖するばかり。
「今年は何作ってくれるんだろうな?」
 そうウキウキ話すのは何の心配もない義希だ。
「本当…何作ってくれるんだろうな?」
 そう意味深なオウム返しをするのは勿論、ある種の不安と苛立ちにまみれた沢也である。彼は苦手な匂いに気分も機嫌も害した状態で一人仕事に打ち込んでいた。
「いいじゃないですか。愛があるだけ」
 そう皮肉を口にした蒼は、早くも大量に贈られてくる本命でいて義理なチョコレート対策に苦心している最中である。
「あーあ…どいつもこいつも、愛もゴミも要らねえから大人しくしててくんねぇもんか」
「あはは、沢也は相変わらずだなぁ。オレは欲しいぞ?愛もチョコも」
「そうですね。このイベントのおかげで経済が回るのも確かですし」
 三者三用の見解を口にした彼等が視線を向けた先は、王座の間の大扉の先にある厨房だ。
 朝食を終えた現在、なんとか揃って半休を取った女性陣がバレンタイン用のお菓子を拵えているのである。
「欲しがるのは自由だが。お前…返すあてはあんのか?」
 パソコンに向き直りながら問う沢也に、義希が緩く頷いては苦笑した。
「大丈夫。有理子の性格くらい分かってるつもりだし」
「義希くんより僕の心配をして下さいよ、沢也くん」
 同じく苦笑した蒼のちょっかいに溜め息を吐きながら、沢也は高速で文章をタイピングしてゆく。
「何が心配だ。お前は適当にニコニコしときゃあ問題ないだろ?どうせあっちの自己満足なんだし」
「因みに毎年どんくらいくるん?」
「見合い写真の山、ご覧になりましたよね?」
「まぁ、あれの数倍だな」
「す…数…」
「何を隠そう、昨年から一般の方からも贈られてくるようになりまして…」
「大丈夫だろ。今年は倫も義希も居るし」
「いやいや、待って?沢也自分が食べらんないからってそんな…」
「大丈夫ですよ、何も全て数日で片付けろとは言いません」
「ルビーに入らなかった分だけ、賞味期限内に片付けてくれりゃあいい」
「だーかーらー!それ、ほんとにこの城だけでなんとかするん?!色々やばくね?血糖値とかさぁぁあ!」
「義希くんの口から血糖値という単語が出てくるとは思いませんでした」
「市販品であれば、名入でない限りは来客用の茶菓子に回せるが…手作りだったり変なアピール山盛りの特注品だったりするとな…」
「ってか、それって食べても大丈夫なやつ…だよ、な?」
 戦々恐々な義希の質問の後、続いていた問答に長めの沈黙が訪れる。義希がたまらず再び口を開きかけたところで、蒼の微笑が僅に傾いた。
「大丈夫ですよ?」
「その間はなに?!」
「食えそうなもんから下に回すからそのつもりで」
「やっぱり毒味役なんじゃん!毒味役なんじゃんんん!」
 オブラートに包まぬ沢也の命令を聞いて、広い室内に義希の悲鳴が木霊する。

 その独特な響きは廊下を挟んで斜め向かいにある厨房にも聞こえていた。

 沙梨菜の苦笑いと有理子の溜め息とが重なる中、一人にこにこと作業をしていた海羽が、綿棒を置いて型抜きを手にする。
 それを見ていた有理子が脊髄反射に声を出した。
「こら海羽、それが最後なんでしょ?」
「へ?」
「生地よ。生地!全部星で抜いちゃダメじゃない」
 ぽかんと首を傾ける海羽の手元を指し示し、星形の型抜きを取り上げる。そんな有理子の行動に困惑した海羽は、わたわたと空いた手を泳がせた。
「えと…どうして…?」
「どうしてって…ほら」
 星形を作業台に置き、代わりにハート型を持ち上げて。有理子は輝く笑顔で回答する。
「倫祐の分」
「え…」
 ぼすん、と。海羽の頭から湯気が昇った。ついでに耳まで赤くした顔を左右に動かしながら、彼女は慌てて断りにかかる。
「あの、そ…それはちょっと…その…」
「沙梨菜はぜーんぶハートなんですけど」
「沙梨菜はいいんだ。沙梨菜は…可愛いから!」
 焼く前の生地を挟んで声を大きくした二人が、対照的な表情で有理子を振り向いた。
「有理子…笑わないでよ…」
「ごめんごめん。恥ずかしいなら、ちょっと出てくるから」
「そだね。その間に抜いて焼いちゃってね?海羽ちゃん♪」
「え…ちょ…まって…」
 家庭用の小さなオーブンに自分の分を押し込んで、沙梨菜も有理子と厨房を出てしまう。
 残された海羽は去り際に押し付けられたハートの型抜きと、台の上の生地と、対岸にある星の型抜きとを見比べては瞬きを繰り返した。
「……」
 静まり返る厨房に響くのは、先発の星形クッキーが焼ける音。甘い匂いは充満し過ぎて城外にまで流れ出ていることだろう。
 無意識にそんなことを想像しながら、密かに考えを纏めた海羽は、深呼吸の後ゆっくりと作業を再開した。



 そして訪れたバレンタイン当日。


 お菓子屋さんというお菓子屋さんがが総出で客引きに挑む城下町。

 やっと完成が見えてきた防風壁の修繕作業の合間、昼休憩でテイクアウトした弁当を貪る帯斗と諸澄が駐屯地のソファを陣取っている。
 他に同じ弁当を食べる圓と定一が、それぞれに報告書や欠伸を量産しながらデスクに付いていた。
 そこに控え目なノックが響く。
 隊員であればノックなどしないし、来客など殆ど無いこの駐屯地には珍しい事態に、四人は思わず顔を見合わせた。
「おや…誰だろう」
「何言ってるんっすかいっさん!今日はバレンタインすよ?」
「きっと誰かにチョコレートを渡しに来た可愛い女の子だ!そうに違いない」
 若者二人の色めき立った小声に乾いた笑いを注ぎつつ。よいこらせと一番近くに座っていた定一が扉を開く。
「はいはい、まさかまさか」
 そう密かに呟きながら見据えた先には、まさかの事態が待ち受けていた訳で。やはり思わず固まった定一は、目の前で瞳を泳がせる彼女が頭を下げる様を視線だけで追い掛けた。
「こ、こんにちは…」
「あ…ああ、はい。こんにちは」
 つられて挨拶した定一がもさもさと頭を掻く間にも、女子の声に引かれて若い衆が顔を覗かせる。
「あ…あの…えっと…」
「海羽から良い匂いがする」
 動揺する彼女の後ろからひくひくと鼻を動かしつつ登場した人物に、本人は勿論、定一の背後の三人も肩を跳ねさせた。
「よ…義希…!良かった、会えて…」
 そのままふうっと肩を下ろした海羽は、ポケットルビーから赤い紙袋を取り出して彼に手渡す。
「わざわざ渡しに来てくれたん?」
「あ、うん…あと、あの…」
「倫祐だろ?もうちょっとで帰って…」
「わー!あの、その、これが小太郎ので…それから、あの…えっと…」
 当たり前のように某人物の名前を口走る義希を振り乱した手で隠し。黄色い袋を義希に押し付けた彼女は、息を整え定一に向き直る。
「み、みなさんにも…」
 そう言って海羽が取り出したのは大きめの丸箱だ。
「え!」
「マジ?」
 スササササ、と寄ってきた帯斗と諸澄に取られるより前に、すっと箱を受け取った定一がふにゃりと笑って肩を竦める。
「まとめてでも嬉しいよ。ありがとう」
「すみません…正確な人数が分からなくて」
「あ、ごめん。皮肉のつもりはなかったんだ」
「いっさんが余計なこと言うから!」
「有り難く頂くっす!」
 失言を訂正している間にも奪われた箱は、帯斗によってデスクに運ばれ、諸澄によって蓋を開けられた。
 早くも星のクッキーを取り出してはわいわいむしゃむしゃする彼等を前に、苦笑を向かい合わせた海羽と定一は、唐突に動いた義希にまたもびっくりさせられる。
「あ!倫祐」
 どきり、と効果音が付きそうな勢いで跳ねたのは海羽本体だった。
 振り向く事も出来ずに固まる彼女と、義希に腕を掴まれてこちらにやって来る倫祐とを見比べて、定一は一つ瞬きをする。
「甘い香りに誘われて帰ってきたな?」
 そう満足そうに言う義希ではあるが、倫祐は大通りの方を気にしながら歩を進めており、定一の目には何かしら理由があって角を曲がってきたようにも見えた。
「あの…」
 と、控え目過ぎる声の後、注目が集まった事で慌てる海羽の手に黒い紙袋が現れる。
「こ…これ…」
 他の二人と同じ、シルバーの封印シールで封のされたそれを差し出す彼女の旋毛を眺めながら。倫祐はゆっくりと小首を傾げた。
「おやつに食べて…くれたら…その…」
 言いながらも、赤くなりすぎた顔を上げられずにいる彼女を遠くで呼ぶ声がする。
 倫祐が頻りに気にしていたのはそれだったのか、と義希が気付くのと同時。
 声に急かされたかのように袋を受け取った倫祐は、海羽が通れるようにと道を開けた。
「じゃあ…」
「ああ。あんがとなー?」
 ほっとしたように微笑んだ海羽が、手を振りながら駆けていくのを見送って、義希は倫祐と定一を室内に押し込み袋を掲げる。
「よし、食おう!」
 万歳にも似た仕草でくるくると回る彼は、倫祐の手元から袋が消えるのを見て目を丸くした。
「食わないの?」
 問いながら、義希は赤い紙袋から取り出した星形のクッキーを丸ごと口に放り込む。問われた倫祐はただ頷いて直ぐに外に出てしまった。
 義希はそれを慌てて追い掛ける。
 残された四人はそれぞれに席に座り直すと、それぞれの反応を顔に出した。
「なんすか。あれ」
「礼も言わないとかどんだけだよ」
 不満げに口を尖らせたのは帯斗と諸澄だ。二人は尖らせた口にクッキーを添えながら恨めしそうに扉を見据えている。
「はいはい、全く若いねぇ…君達は」
「へ?」
「はぁ?」
 呆れたような定一の声に、彼等はすっとんきょうでいて不服そうな返事をした。しかし定一は慣れた調子で流しにかかる。
「いいからほら。そろそろ時間じゃないの?」
「あ!まじっす。あああ、クッキー残しといてくださいね?」
「バカ帯斗!こーゆうのは先に確保しとくんだよ!」
 諸澄がテイッシュに二人分のクッキーをくるむのを待って、帯斗は駆け足に仕事へと戻っていった。遅れて駆けていく諸澄の声が聞こえなくなった頃、定一が独り言のように口にする。
「僕にはもっと複雑そうに見えたんだけどね」
「複雑そうに、ですか?」
「君はどう思った?」
「えっと…僕、こう言うの鈍いので」
 相槌を打った圓が切り返しに慌てて言い訳をすると、定一は頷くだけで先を促した。
 困った圓はしどろもどろに自分の考えを話しはじめる。
「でも、あの…帯斗くんも諸澄くんも、あの子の気持ちに気付いたからこそ、ああして気を悪くしたんじゃないですか?」
「そうさね。そこに気付ければ鈍いとは言わないと思うから、ほら。もうちょっとおくれよ、君の見解も」
 まるで暇潰しでもするかのような口調に、何となく安心した圓は緊張を解いてペンを持った。そして作業ながらに回答する。
「…本隊長さんは受け取らないつもりでいたように見えました」
「僕もそう思うよ」
「…あのストーカーさんのせいでしょうか?」
「どうかな…。まぁ、あのストーカーが面倒だって事は知ってるみたいだったけど」
 定一がそう言うと、圓も同意して頷いた。しかしそれ以上は考えが纏まらないのだろう。もやもやを周囲に撒き散らしはじめた圓の旋毛に、定一の見解が静かに注がれた。
「僕には好意にしか見えなかったよ」
「え?」
「だけどあの角度じゃ気付けないんだろうね」
 曖昧なそれに首を傾けた圓に対し、定一は何処か遠くを眺めながら、やはり曖昧に呟く。
「彼女の顔、見えないだろうから」
 それを聞いて、圓は先程扉の向こうで行われていたやり取りを思い出す。そしてもやもやの半分ほどを納得に変え、残りのもやもやを密かながらに定一と共有した。



 街の賑わいが消えぬまま、陽が暮れて星が昇りはじめた頃。

 何もない自室に帰ってきた倫祐は、脱いだ上着を椅子にかけて直ぐにタバコをくわえる。
 そのままベッドに座って火を付けると、逃げ場のない煙が室内を漂い始めた。
 彼は暫くそれを眺めていたが、飽きたのか煙たくなったのか、背後にある窓を開く。すると白が一目散に逃げていく様が良く見えた。
 あのあと義希に再三促されたものの、未だ手をつける気になれないのは単純に。
 まだマフラーのお礼だってしていないのに、貰ってしまうのが心苦しいからだ。
 だからと言ってあそこで受け取らないのも二重三重の意味で良くないだろうし。しかし食べてしまって良いものかと、勝手にもやもやしているのである。
「倫祐ー!海羽にクッキー貰った?貰ったよな?僕もほら見て…!」
 そのもやもやの中に現れたハルカがテンションも高く捲し立てるのに、瞬きだけで答えた倫祐はタバコを一口吸い込んだ。
「…もしかしてもう食べちゃったの?」
 クッキーどころか袋の存在すら見当たらぬ現状に、目を丸くして問い掛ける彼に首を振った彼は、手の中に黒い紙袋を呼ぶ。
「開けてすらないじゃん!早く食べなよめっちゃ美味しいよ?」
 輝かせた目と振り乱される尻尾、更には口にくわえられた星形クッキーの甘い香りに押され気味になりながらも、倫祐は首を縦には振らなかった。
「また勿体ないとか言うの?」
 不貞腐れて鼻息を荒くするハルカに否定を返そうとするが、それを遮る勢いで彼は言う。
「美味しいって言ったら、また作ってくれるってさ。さっき材料発注してた」
 仕舞いかけた袋をがっしり抱えられ、自分事押し付けてくるハルカを見た倫祐は、密かに覚悟を決めた。
「ほら。食べなって!次ありつけたら倫祐のも確保しといたげるから」
 説得が食べるまで終わらないであろう事も。それが義希やハルカの気遣いであることも悟りながら、彼は渋々頷いては袋を開ける。
 ハルカがじっと見守る中。くわえていたタバコを灰皿に置いて、一枚の星を取り出した倫祐は、それをゆっくりと口に運んだ。
 欠けた星が二人の目に映る。もぐもぐと小さく口を動かす倫祐に、ハルカが静かに問うた。
「美味しい…?」
 彼は当たり前に頷いて答える。
「だよねー?」
 そう言って猫なりに笑ったハルカは、くるりと身を翻して明るく言った。
「海羽に報告してくる」
 その言葉に慌てた倫祐が、ハルカの尻尾を鷲掴む。驚いた彼が抗議の眼差しを振り向かせると、倫祐の首が左右に振られた。
「美味しいって。倫祐が言ってたって、言ってくるだけだよ?」
 何が駄目なのかと言いたげなハルカと。そんなこと報告してどうするのかと言いたげな倫祐と。
「別にいいじゃんそれくらいー」
 ハルカがそう叫ぶも、倫祐は困ったように首を振るだけで了承しなかった。
 仕方なく暴れて抜け出したハルカは、また捕まる前にと裏の世界に逃げていく。その間際。
「ダメって言われても言うからね!この頑固倫ー!」
 そんな暴言を吐かれながらも、納得できない倫祐は小さく溜め息を付いた。
 それを言ったところでお礼にはならないし。そもそも直接言うべきことなんだろうし。ハルカのことだから「また作ってやってくれ」とか、変な気をきかせてしまうかも知れないし。
 それよりなにより。

 俺には返すあてがない。

 その事実を再認識しながら、彼は持ったままだったクッキーを口の中に仕舞いこみ、その勢いで手の中に残された袋を覗き込む。
 無意識のうちに伸びていく手を黙認し、もう一つの星を口に運ぶと、甘い香りが広がった。
 当たり前に美味しいそれが、妙に懐かしく感じるのはどういう了見かと自分自身に問い掛ける。しかしやはり答えは出ず、代わりにまた手が伸びた。
 袋を見ぬまま取り出したそれを、顔の前まで持ってきてハッとする。
 正面を向きしっかり確認すると、それは確かにハート型をしていた。

 何処から紛れ込んだのだろう。

 数回の瞬きを浴びせたそれを、一度袋の中に戻す。続けてキッチンから持ってきた皿に袋の中身を広げるも、それ以外は全て星形だった。

 義希は最後の一枚までを目の前で食べていたけれど、星以外の形は無かったし、そのあと届けた小太郎の袋も、くれあが広げて二人で食べていたから星形しか無かったのを知っている。
 隊に届けられた丸箱にハートが入っていたらちょっとした話題になるだろうけど、それもなかった。
 倫祐はクッキーを袋に仕舞うと、他のみんなから貰った品物を一つずつ開けていく。
 沙梨菜から貰ったものはハート型ではあるけれど、無糖のビスケットで見た目の雰囲気も全く異なった。
 有理子のはチョコレート。手作りの詰め合わせで高級感はあるが、ハートのクッキーは使われていない。
 くれあからは訪問時にブラウニーをご馳走になった。
 ついでに義希から聞いた話によると、他に一緒に作業をした人は居ないらしい。

 推察に行き詰まってタバコを見やると、既に全てが灰になった状態だった。仕方なく新しいタバコに火を灯し、一息付いては沙梨菜のビスケットを口に入れる。
 あれだけ返す訳にもいかないのだから、食べてしまって差し支えはないだろう。しかし、元からの躊躇いともやもやが重なって彼の頭を支配していった。

 他に考えられるとすれば。

 秀にあげたのが混ざってた、とか。

 とにかく別口で製作した分の一つが紛れ込んでしまったのだろうと結論付けた彼は、有理子のチョコレートを一つつまんで、紅茶を淹れにキッチンに立った。



 その翌日。
 偶然か必然か、倫祐は城に出向く事になる。

 街全体の動き、及び某所の見張りやら、どこぞのスパイの動きなどをこっそり窺っていた…その報告書を要請されたのだ。
 倫祐は伝令のハルカを伴い、昼には全てを完成させて城門へと辿り着く。
 何時ものように門番と簡単な手続きを踏んでいる最中、城内から歩いてくる二人の姿が見えた。
 避けようにも避けられぬ事態、とにかく早く立ち去ろうとした倫祐を呼び止めるようにして会話が開始される。
「海羽さん、クッキー美味しかったですよ!」
 唐突な大声に、ビクリと身を揺らした海羽がしどろもどろに答えた。
「あ…はい、それなら良かったです…」
「流石あなた様、名店も顔負けですよ。ああ、しかし何故星形なのですか?」
 茂達にペンを返しながら、足を伸ばした倫祐の瞳が微かに揺れる。
「普通バレンタインと言えばハート型でしょう。特に私のようなものに対しては」
 恭しく問いただす秀の矛先は、すれ違い様に倫祐へと向けられた。
「君は貰えなかったのだろう?悲惨なバレンタインだったな。まぁ、ロボットには関係のない話か」
 背後で高笑いが響く。
 しかし振り向けぬまま前に進む彼の耳に、それは届かなかった。

 気にしないようにと念を押しても、どうにもならないくらいに。
 頭の中で繰り返されるのだ。

 秀じゃないのなら、誰だろう

 誰に…あげたのだろうか、と。


 何時までも答えの見つからない質問が。





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