修繕 6歳の頃。 飼っていた金魚が死んだ。 長いこと餌をやる習慣があって。その日も普通に餌をやって。 だけど遊びから帰ってきた時には、水面に浮いていた。 どうしてしまったのかと母親に訊ねると、悲しそうな顔で説明してくれて。もう動かないのだと分かって。 言われた通りに地面に埋めて。 それから何日かが過ぎて。 それでも俺は、忘れることなどできなかったのに。 悲しくて悲しくて、食事もろくに取れなくなった俺と。 金魚が死んだその日にも、笑顔で食事を取る家族と。 言い知れぬ違和感に任せて、納得できない思いを拭い去ろうと、俺は墓を掘り返した。 しかしそこに金魚の姿はなく。 母に問い質すと「野良猫にやられたのかしら」と短く言って、困ったように肩を竦めた。 きっと猫に掘り起こされて、何処か別の場所で、また泳ぎはじめたのだろうと。 そうして悲しみを押しやって、俺はなんとか日常にもどる。 しかしその翌日。 夕食にサンマの姿焼きが出された。 俺はふと疑問に思う。 俺が食べようとしているこれは、なんなのかと。 俺が何時も食べているものは、なんだったのかと。 考えた結果、急な嘔吐と同時に理解した。 金魚もこのサンマと同じだったのだ。 猫に掘り起こされて、食べられただけに過ぎないのだと。 それからと言うもの。 頭の中に押し寄せる疑問が俺を食い潰した。何も食べる事が出来なくなったのだ。 食べていいもの、食べてはいけないもの。食べられないもの、食べられるもの。食べるもの、食べられるもの…。 幾日も答えが出ずに、だけど普通に腹は空く。 動けなくなって、母親に口に押し込められた粥は、当たり前に旨かった。 美味しくて、美味しくて、涙が出た。 だけどどうしても割り切れなかったから。 俺は思考を殺すことにした。 何も考えないように努めることにしたんだ。 死んでしまった猫のシロも。 鳥に喰われた蛙のケロも。 モンスターにやられた友達も。 自分が日々糧にしているものですら。 全部、目をそらして生きることにしたんだ。 そうじゃなきゃ、そうでもしなきゃ… ぶっ壊れてしまいそうだったから。 海は不気味な程に静かだ。 夏のような鮮やかさが抜け、黒く深い青に変化した水面を、微かな白が流れていく。 押し寄せる波に合わせて聞こえる僅かな水音がやけに寂しく感じた。 破壊された暴風壁の中腹辺り。比較的広めの足場で金槌片手に板と向き合っていた帯斗は、一息ついでに顔を持ち上げる。 少し遠くで電動ドライバーを両手にぶら下げた諸澄が、ぼんやりと海を眺める様子が見てとれた。 その眼差しは酷く朧気で、まるで瞳に曇りガラスでも被さっているかのようだ。 きっと自分も同じような目をしているのだろうと自覚しながら、彼は重い腰を上げる。 「ズミ!こっちも頼む」 「ああ」 諸澄は直ぐに気のない返事をして、ため息の後に前に直った。 ふわふわと歩く彼の足元を気遣いながら、帯斗はそっと場所をあけて新たな板に着手する。 二人の口から同時に白い息が昇った。冷たい海風に拐われていくそれを見送る彼等を、下から定一のやる気ない声が呼ぶ。 「ちょいと降りてきなよ。報告がてら、休憩に」 顔を見合わせるでもなく彼に頷いて答えた二人は、そろそろと足場を降りては地面に立った。 定一は覇気のない彼等を引き連れて、ゆったりと足を進める。 そうして三人が辿り着いたのは南通りのうどん屋だ。 流れてくる出汁の香りに思わず鼻をひくつかせる若者二人を振り向いた定一が、扉を開いて席を探す。昼飯時にも関わらず、中には選べるほど座れる椅子があった。最近メイン通りに安い立ち食い蕎麦屋が出来たせいだろう。 定一が奥の席に落ち着くのを待って、帯斗と諸澄も椅子を引いた。一人長椅子に座る定一が、馴れた手付きでメニューを開く。 「どうやら薬が抜けたらしいよ?」 「え?」 「追いかけられていた方の子のね。だから聴取が進んだって話をしにきたのさ」 早々に注文を決めたのか、欠伸ながらにメニューを押し付けた定一は、二人が顔を上げるのを待って店員に合図した。 定一がキツネうどん、帯斗がかき揚げうどん、諸澄が海老天うどんをそれぞれ頼むと、出された番茶を啜りつつも話が再開される。 「追いかけられていた子が少量ながら薬を常用してたって話はしたよね?」 「聞きました。だから薬の効きが早かったとかなんとかって…」 「そう。だけど本当はね、もっと当てがわれてたらしいよ」 「当てがわれて…?」 帯斗の疑問に頷いて、定一は一つ欠伸をした。 「つまり、薬を配る役割を担った人間は、一定量自分用の薬を貰えるってことになるかな?」 「ん?ならもっと薬漬けになってないとおかしいんじゃないか?」 「そう。諸澄くんにしては冴えてるね」 ぼやぼやした解説に茶々を入れた彼は、指を指されて微かに口を尖らせる。定一はそれに構わず指ごと身を乗り出してはこそりと言った。 「そもそも何で配分係り用に薬を渡すかって言うとね?逃げられないよう、薬漬けにする為なんだそうだよ」 「じゃあ、逃げてた人はそれを恐れて…」 「あー、うん…。そうだったら良かったんだけどねぇ」 のったりとそう言って、定一は真剣な眼差しを向けてくる帯斗から目をそらす。彼の視線の先にあったサイドメニューに二人が気をとられかけたところに、回答がもたらされた。 「横流ししてたのさ。例の飼い主に」 気だるさが何処かに消えて、やるせないとでも言わんばかりに遠い眼差しをする定一に、二人は無言で先を促す。 「飼い主はきっちり中毒だった。自分の分は自分で使って、売るべきものもきちんと捌いていたのさ。そうして得た金を、犬への投資に使った」 「投資って…」 帯斗の声が僅かに震えた。定一はふっと微笑んで、困ったように補足する。 「成功すれば大躍進だからね。オブラートに包みつつ、悪い言い方をするとそうなっちゃうかな」 現実を受け止めようと押し黙った二人を前に、定一はのんびりと先の話を紡ぐ事にしたようだ。手元の湯飲みを揺らしながら、その上に言葉を落としていく。 「逃げてた子は、例の飼い主に自分の薬を売ることでお金を稼ぎ、住民カードを偽装したり売ったりしながらお金を稼ぎ、お薬配って広めてお金を稼ぎ、更には例の追いかけてた側の男の薬を抜き取ったりしてまでお金を稼ぎ…まぁ、最終的に得た金は全て女の子に貢いでたってオチさね」 「…くっだらねぇ…」 「ねぇ?流石の大臣も呆れてたよ」 思わず舌打ちした諸澄に相槌を打つと、泣き出しそうな顔が定一を向いた。それを受け入れた彼は尚話を続ける。 「それでまぁ、飼い主は飼い主でどうやら口が上手かったらしい。逃げてた男を言いくるめては格安で薬を手にいれて、そこらの動物に試したり売り付けたりしてたんだと。そんな体の良い調達先が無くなったら困るからって。ああして犬に薬を運ばせたそうだよ」 「あのビルの裏手にあった、いっさん達が回収した薬ってのは…?」 「逃げてた男の薬の隠し場所。彼はどうも要領が悪いようで、追いかけてた彼にも、飼い主にもそれがバレてね。逃げ回りながら回収しようにも、結局どうにもならなくなったからって言うんで、売人に頼って例のポストに新しい薬を運ばせたたらしいんだ。まぁ、どちらにせよ僕らがマークしちゃってたし。ついでに追いかけてた彼に「横流し」がバレた時点で、もう大分アウトだったみたいだけど」 途中で俯いた諸澄からの質問にも答え終えると、今度は帯斗から声がかかった。 「追いかけてたのって、あの半分ロボの男っすよね?なんであんなに怒ってたんすか?」 「彼は薬が無くなると困る体質だからね。同じ地域に不正してる子が居るせいで、大元から薬を送ってもらえなくなったら困るじゃない。まぁ、もともと変な風に正義感的なものが強いタイプだから…ってのもあるみたいだけど」 長々と答えた定一は、欠伸がてらうどんを運んでくる店員と向き直る。二人も遅れて届いたうどんを受け取って、三人揃って手を合わせた後には麺を啜る音が響いた。 その余韻が消えてしまう…もとい話の腰がしっかり折れてしまう前にと、諸澄が続く質問を投げ掛ける。 「売人はどうなった?」 「売人ね。うん、彼からは薬物が検出されなかった。つまり、もっと末端の人間か…その逆と言うことになるんだけど」 つるつるぽん、と。目の前で消えていったうどん一本が定一の胃の中に収まるまでを見届けた二人は、次に彼が口を開くのを待ってかまぼこを消費しはじめた。 「今回に関してはどうやら新人だったみたいでね。試しに薬の配達を請け負っていた、彼等の同僚だったってわけ」 「ってことは…そいつからは収穫なしっすか?」 「まあ、そう言うことさね」 だから一番最初に捕まったのか、と妙に納得した帯斗は、半分かじったかまぼこをむぐむぐと口に押し込める。 「それで、大元ってのは分かったのか?」 「まぁ…本部が本島にあるってことだけはね。あとはまだ調査待ち」 諸澄が突いた核心を曖昧に流し、七味をふりかける定一の視線がうどんに固定された。 「あとね。これも言っとかなきゃいけないことなんだけども」 赤くした鼻を啜り、静かに彼は前置きをする。その言葉尻に正面で顔を上げた二人の口にうどんが吸い込まれていった。 「本島で犬や猫の亡骸が浜辺に打ち上げられたと報告された件数が、やけに多かったらしくてね」 ずるると見事に間を繋いだうどんを味わいながら、定一は硬直する二人の空気を感じ取る。 「出来うる限り死因を調べてみたところ。やっぱり薬のせいで亡くなったものだったそうだよ」 続けて、また箸を持ち上げて。その間も目線を上げない定一のうどんが減っていく様を、帯斗と諸澄は無意識的に眺めていた。 「あの飼い主以外にも、そうして動物を凶暴化しようとしている輩が、幾らかは居るんだろう」 いつも以上に覇気のない声が寂しげに締め括る。 それ以降はそれぞれうどんを消費するだけで、表面上の会話はなかった。 かき揚げを切り崩しながら思考を巡らせる帯斗は、定一の頭を見据えたままぼんやりと回想する。 犬の最後を伝えた時のことだ。 少なからず接触のあった隊員達は、みんな一様に慰めや励ましの言葉をかけてくれて、みんな一様に寂しげに笑っていたのを覚えている。 しかし定一は「そうか」と短く言うだけで、それ以上何かを言うこともなければ、行動にもこれといった変化が見られない。 こうして一緒に食事をしていても…そう。後は自分らで考えなと言われているような気がして、だからこそ今も踏み込む事が出来ずにいる。 同じく犬の存在を強く認識していた圓も、「そうですか…寂しくなりますね」と、やはり短く言った。諸澄が「本当はどうでもいいんだろ?」と怒り出しそうでひやひやしたが、彼は黙って俯いているだけだった。 あれから、数日が経過したと言うのに。 俺にはまだ実感がないのだ。 また動くんじゃないかと、まだ思っている。 こんなことを言ったら呆れられるだろうか。 怒られるだろうか。バカにされるだろうか。 そう思うと、何も言えなかった。 何も言えぬまま、諸澄の隣に居ることを不自然に思いながら。 それでも俺は、轟さんの指示に従い建物を直していく。 ああ。これと同じように、犬も治せる筈なのに…と。 密かに思いながら。 先程昼食を終えたばかりなのに、早くも日が傾き始めた。冬の日の短さは異常だと呟いたのは昨日の諸澄である。 二人は若干急ぎ気味に今日終わらせるべき作業を進めていた。 木製の枠組みにセメントを流す。固まったその上の一部にまたセメントを塗り、指定された通りに煉瓦のタイルを並べれば、一段完成。それを繰り返して階段を作り、新たに設置された展望台へと導いていく。 展望台の方は、まだ土台が完成しただけののぺっとした状態だが、この階段が完成すればもう少しましなものになるはずだ。 今現場に二人しか居ないのは、北通りの作業が大詰めにかかっており、先にそちらをやつけてしまおうと大半の人員を投入したから。 「昼前に型組み終わらせられたのが大きいか。キット作ってくれた鋸野郎さんに感謝だな」 「このままいけば半分くらいは終わるだろ」 「半分?バカ言うな!今日中に終わらせるぞ!」 まったりとした会話に割り込んだ大声の主は、脇におかれたままになっていたセメントをまぜくりながら拳を握った。 「おま…あっちはどうしたんだよ!」 「心配ない。あと少しで完了だ」 「じゃあ手伝いが来てくれるんすね?」 「ははは!そうは問屋が卸さねぇ。助っ人は俺だけだ!」 それぞれの質問に明るく答えるも反応が悪く、轟はぶんと金槌を押し出してはにかりと白い歯を見せる。 「何をしけた顔してる。百人力だろう?」 「うっす…百人力っす…!」 「ほんと…お前の性格が羨ましくなるぜ」 何があっても挫けなさそうなその元気さを、諸澄が然も恨めしそうに眺めた。 轟は二人が作業している上の段にセメントを塗りこみながら、いつもの調子で問い掛ける。 「犬の事か?」 「他に何があるんだ」 「お前ら若いからな。他にも色々あるだろう」 舌打ちにもめげずに笑い飛ばす彼の勢いに飲まれぬようにしているのだろう。諸澄は半ば無意識的に食ってかかった。 「お前に何が分かるんだよ。そもそもなんで俺らをこっちに回した?別に元の通りパトロール班でも…」 「そうだなぁ。確かに何も分からんし。これも俺の押し付けだ」 よいせ、とスコップをセメントの海に突き立てて、ぐりぐりと掻き回す。そうして煉瓦やタイルを手にした轟は、意識の半分を作業に注いだまま前置いた。 「押し付けだからな。どう受け取って貰っても構わんよ。食うも捨てるも自由さ」 相変わらず明るいながらも、何処と無く変わった空気にまんまと流されて、若者二人はちらりと顔を見合わせる。 「お前ら、知らねえ所で人や牛が死んでても、悲しいだとか可哀想ってだけで済ますことができるだろ?」 不意な問い掛けに振り向くも、轟は彼等を見ておらず、黙々と段差の模様を作り上げていた。 諸澄が条件反射のように反論しようと口を開いたところに、次の言葉が紡がれる。 「だけどよ、関われば関わっちまった分だけ、悲しいってだけじゃあ済まなくなる。人間ってのはそーいうもんだ」 二人があっと言う間に完成した一段と、語りの内容に少なからず驚いている間にも、轟は次の段を作らんとセメントを盛り込んでいた。 「こうして自分が関わったんだ。建物にだって愛着ってもんが沸くだろう?」 負けじとタイルを並べはじめた二人の頭上に笑顔が注がれる。彼はまたスコップでセメントを掻き回しては、半端なままの展望台を振り向いた。 「これが完膚なきまでにぶっ壊されてみろ?なかなかに辛いもんだぜ」 見上げると、轟はいつもの笑顔を二人に向ける。そしてまた、タイルを手早く並べはじめた。 「俺はな、自分で必死こいて作った代物を、蔑ろにされたりぞんざいに扱われると頭にくるんだ。それこそぶん殴ってやりてえくらいになぁ」 ピシッと音を立てたのは、轟が持っていたタイルのうち何枚か。おっといけねぇと呟きながら、セメントで補修したそれも模様の一部にしてしまう。 帯斗も、諸澄も。その様子から彼の言葉の本気を感じ、密かに身を震わせた。 轟はそれに構わず、いや。気付かぬまま話を進める。 「だけどよ、俺は大工だ。物作るのが仕事だ。頼まれて作ったもんで金を得て生活してりゃあ、頼んでくる奴等を殴っちまうわけにはいかねえ」 ずびっと鼻を啜り、踵を返してセメントを継ぎ足し始める彼の気配を追い掛けて。諸澄と帯斗は最後のタイルを嵌め込んだ。 「誰かに当たるわけにもいかず。悲しいからって何時までもメソメソしてちゃ生きてけねえ。何時かは自分で見付けねえとならんのだよ。落とし処をな」 二人が彼の手伝いに向かう途中でそう言った轟は、次に懐かしそうに空を仰ぐ。 「俺も随分かかったさ。暴れて喚いて、閉じ籠ってな。けどほら、今は平気だろう?」 ぐるんぐるんとスコップを回してセメントを飛び散らせる彼を宥めると、いつも以上に豪快な笑い声が響いた。 「お前等は大人しいくらいだが。今正に、暴れてる最中なんだろう。暴れたいだけ暴れたらいいじゃないか」 セメント攻撃のとばっちりをぺしぺしと弾いていた二人が、突然背を叩かれて身を縮める。 「幸いここには、きっちり受け止めてくれる人材が揃ってるみてえだしよ」 抗議もままならず、満面の笑みで心配を表されては敵わない。 ぐっと唇を噛み締めた諸澄と、困ったように笑う帯斗と。 二人を交互に見据えた後、轟は何事もなかったかのように作業に戻った。その途中。 「恵まれてんなぁ。俺達は」 と、短くしみじみと、しかし豪快に呟きながら。 俺はずっと、腑に落ちずにいた。 どうして俺だけが答えを見付けられないのかって。 俺がおかしいのだと思っていた。 みんな普通に分かっていることを。 俺だけが分からないのだと思っていた。 だけど、違うんだな。 形は違えど、みんな何かしら考えている。感じている。 その上で答えを見付けたから、普通にしていられるんだ。 俺がそうできないのは、考えてこなかったからだ。 考えることから、逃げていたからだ。 苦しいからって逃げるばかりでは何も分からない。向き合わなければならない時も、あるんだ。 誰かに聞けば分かるような事ではない。 だけど、聞かなければ気付けぬ事もあると知った。 俺は、俺なりの答えを探せばいい。みんなと同じ答えである必要はないのだ。 それが「考えること」の意味。 考えなければならない理由。 今の俺に必要なこと。 二日後。 作業の合間に揃って呼び出された二人は、城側の街外れで義希が来るのを待っていた。 雪はすっかり溶けているものの、他の季節に比べて丘が色褪せて見える。 隣でそれに似た雰囲気を醸し出す彼に、帯斗は静かに問い掛けた。 「ズミ、なんだか落ち着いたな」 「そうか?…ああ、まぁ…そうかもな」 最初こそ怪訝に、しかし思い直して同意した諸澄は、帯斗を振り向く事すらぜずに口の中で続ける。 「あいつのことも、目をそらしちまうんだろうと思ってたんだけどな」 寂しげな声は酷く棒読みに響いた。けれどそこには沢山の感情が詰まっているように思えて、帯斗は思わず目を細める。 「あんなこと、他人に相談する機会も無かったし。だからこそ、話してみて色々分かって…考えることが出来るようになった」 「そっか。なんか、先越されちゃったな」 「馬鹿。考えられるようになっただけで、分かった訳じゃない」 空元気に笑った帯斗をやっと振り向いて、諸澄は苦笑に似た微笑を浮かべた。帯斗はそうして目をあわせるも、結局またそっぽを向いてしまった彼を困ったように見据える。 「これから互いに、分かっていくんじゃないのか?」 「そうかな…」 興味なさそうに呟いた諸澄は、不安げな帯斗の旋毛を上から眺め。何かを言いかけて口をつぐんだ。 そこに遠くから手を降る義希の呼び声が聞こえてくる。 互いに歩み寄ったことでやっと二人の目の前まで来た彼は、丁度楽に抱えられるくらいの大きさの麻袋を抱えていた。 「終わったからって」 二人に聞かれる前に、義希は言う。何が?とは、二人も聞かなかった。 「抱えてみな」 義希は帯斗に袋を差し出す。帯斗は促されてなお躊躇った。 「大丈夫。ちゃんと縫い合わせてくれたから」 寂しげに呟いて、義希は帯斗に袋を持たせる。帯斗も拒否する事なく受け入れた。 生きていた頃と同じように。胸の前で抱き抱えたそれは、当時とは全く違って。 「…冷たい…」 「うん」 「石みたいに…」 「うん…」 義希の相槌が短く響いた。帯斗は小さな間を置いて、消え入りそうな声を出す。 「もう…」 袋を見据えていた彼は、顔を上げてしっかりと義希の瞳を見た。 「動かないんすね…?」 「ああ」 「遊べないんすね…?」 「そう、だな…」 曇った瞳に涙は浮かばない。しかし彼が理解した事を見届けて、義希は提案する。 「埋めてやろう」 それを聞いた帯斗の身が震えた。それでも義希は踵を返す。 「丘の上なら、静かだろうから」 中腹辺りで落ち合った三人は、城の左手に向けて登り始めた。右側には桜の木があるが、そこは意外と来客が多く、墓を作るには向かない。 「やっぱり薬のせいだったんすか?」 「ああ。他の動物との中毒症状と同じだったって。体が耐えられなくて急に…ってのが大半だろうって」 沢也が言ってた。と、そう締め括った義希は、俯く帯斗と諸澄から正面に向き直る。松林を抜けた先にある小高い場所に立つと、崖下の海がよく見えた。 義希は掘っても大丈夫そうな位置にスコップを突き立てる。諸澄がそれを借りて穴を掘り、義希は木の枝で目印をこしらえはじめた。 なるべく深く、狭い穴を掘り終えた諸澄は、帯斗の手から袋を受け取り底に置く。 二人でゆっくりと土を被せながら、なんとも言えぬ表情を向かい合わせた。 「泣かないのか?ズミ…」 「お前こそ」 「どんな顔していいか、分かんないな…」 「そうだな。俺も今でも分からない」 しっかりと埋めて、その前に立っても。二人は同じような顔で土を眺め続ける。そこに戻ってきた義希が手作り感満載な十字架を添えると、なんとか墓らしく見えた。 「義希さん、不器用」 「う…ごめん…」 「いいじゃないっすか。味があって」 諸澄のツッコミを帯斗が宥め、俄に笑いが巻き起こる。しかしその明るさも自然と直ぐに萎んでしまった。 風が抜けていく。当たり前に冷たすぎるそれに鼻を覆い、ついでに掌に息を吹き掛けた。 今はこんなに冷たいけれど。春になれば…暖かくなれば…また、会えるんじゃないか? 「これでもう…会うことも出来ないっすね…」 考えていることとは全く逆の台詞が口から出ていくのに違和感を覚えながら、帯斗は誰かの相槌が来るのを待った。しかし両脇の二人は何も言わずに墓を見ているだけで。 しかしその理由に気付いた彼は、震える声で呼び掛ける。 「…義希さん」 「あ…ごめん…」 心配そうな帯斗の顔に謝って、溢れ出る涙を袖で拭いながら、義希は無理に笑って見せた。 「やっぱ駄目だな…いくつになっても」 裏返った声を詰まらせながら、墓を見据える義希の口から力無い言い訳が漏れる。 「こう言うのは、苦手で…」 そのまま嗚咽混じりに、再度微笑を浮かべた彼が、顔を持ち上げるなり僅に表情を変えた。 一瞬だけ驚いたように。次に安心したような、しかし心配そうな笑みを携え、今度は義希が彼に呼び掛ける。 「帯斗…」 「あれ…なん…俺…」 呼ばれて初めて、帯斗は自分の目から涙が溢れている事に気が付いた。ポロポロと、大粒の雫が頬を伝って流れていく。 「馬鹿だな…お前」 戸惑う彼の肩に諸澄が手を乗せた。彼は帯斗を墓に向き直らせ、そっと身を屈めさせる。 「ちゃんと、分かってんじゃねえか…」 そう言って手を合わせた諸澄に倣って、義希と帯斗も目を閉じた。 強く吹き抜ける風の音だけが響く中。思いを捧げる彼等の声は音もなく。 cp67 [file9”犬”:後編]← top→ cp69 [in the star] |