file9”犬”:後編


 
 御用となった犬の飼い主は、薬の中毒の為か暴れまわって鎮静剤を投与する次第となった。
 押収した強化剤の全ての成分分析やら、男と犬の血液検査やら、現場周辺の指紋などの痕跡を取らねばならず、技術課の鑑識班は今日もてんやわんやの大騒ぎである。
 その片棒を担いでいる沢也が、疲れた顔と犬を連れて王座の間に戻ってきては、今後の調査日程や現在分かっていることをつらつらと説明した。
 それが一段落した所で、やっと出されたコーヒーに口を付けた帯斗が、その冷たさにピクリと身を縮める。その隣では、説明ながらに諸澄に狂犬病の注射を打ち込む沢也が、困ったような溜め息を吐いた。
「あとはそいつをどうするかだな」
 彼が目で示したのは、包帯と絆創膏まみれの諸澄ではなく、有理子に抱えられたダックスフントである。
「城で見とく?」
「俺等は良くても、来客がな」
「そうなんですよね。アレルギーが出た日には後が怖いですし…」
 有理子の提案に沢也と蒼が難色を示すと、諸澄が怪訝そうに眉を歪めた。
「…それは?」
 彼が指し示したのは蒼が抱える白いもふもふである。帯斗も同じように不思議そうな目を彼に向けた。
「ハルカは厳密に言うと猫じゃねぇから」
「不思議と毛がついたりしないんですよね」
 沢也と蒼の説明の後、にゃーと鳴いては二人を見据えたハルカの圧力に負けたのか。なんとか納得して犬を振り向いた諸澄が、軽い調子でに口にする。
「なら帯斗に任せりゃいい」
「え?」
 対して驚きをそのまま口にした本人は、諸澄の流し目に不服そうな眼差しを返した。
「なんだよ。丁度良いだろ?」
「まあ、そりゃ…そうだけど…」
「俺んとこはペット駄目だし」
「確かに俺のとこは他にも飼ってる人居るけど…」
「じゃ、決まり」
 沢也に解放された諸澄は、渋る帯斗を置き去りに決定を下す。痛々しい外見にも関わらず、臆することなく犬を呼び寄せた彼の頭上に帯斗は訊ねた。
「…ズミ、手伝ってくれるんだよな?」
「ま、何も知らないお前に任せっきりじゃ、犬が気の毒だからな」
 不機嫌そうに言いながらも、優しく犬を撫でる諸澄の様子に安心したのか。帯斗もきちんと同意したことで、二人で犬を預かることになった。


 帯斗の住むアパートは駐屯地と城の中間地点、メインストリートから小路に入った場所にある。
 小路と言っても他のものよりは広く、建物自体も陽当たりが良い。
 少し前まで義希が借りていたものよりも綺麗な作りの部屋は、男の独り暮らしにしては小綺麗に片付けられていた。
 ダンベルやカルシウムブロック、プロテイン等をいそいそと端に避ける帯斗を放置して、犬を抱えて上がり込んだ諸澄がバスルームを探す。
「おいチビッ子。まずこいつ風呂入れるぞ?」
「ああ、そうだな。タオル準備しとくから適当に…って誰がチビだ!」
「ってかお前がやれ。俺、これだぞ?」
「…あ、そっか」
 包帯の巻かれた腕を提示され、頭を掻いた帯斗が犬を抱えて風呂場を開けた。そのあぶなっかしい様子をひやひや眺めつつ、諸澄はタオルを探しにかかる。
 アムアムされたりガブガブされたりガジガジされたりしたものの、なんとかアワアワし終えた二人はずぶ濡れになった犬を拭いては服を着替えた。
 元より大きめの帯斗の服をちょっと小さいと言いながら着こなす諸澄は、犬にドライヤーをかけながら不貞腐れる帯斗にドッグフードを飼いにいかせる。パシられた帯斗は二人と一匹分の遅い昼食を調達して戻るなり、愚痴を溢しつつ煮干しをかじった。
「ってかこれ、休憩終わったらどーすんの?」
 当然のように犬を抱えたまま食事を始める諸澄に、帯斗は素朴な疑問をぶつける。
「そろそろ夕方だし、散歩の時間だろ?」
「いやいやいやいや、そうじゃなくて!」
「報告なら俺がしとくから、一緒にパトロールに連れてってやれよ」
 思いの外まともな返答に閉口した帯斗は、もさもさとバケットサンドをかじる諸澄にじとっとした目を向けた。
「心配するな。今日は泊まりがけで手伝ってやる」
「ズミ、ただ犬と戯れたいだけじゃん!?」
「なんだよ。悪いか?」
「悪いよ!俺をダシに使って!」
「いいだろ?減るもんじゃないし」
「減るから!出汁に使われたらきっちり抽出されるから!」
「そしたら煮干しで補充しろ」
「あ、そっか…って、いや、そう言う問題じゃないから!っぁああ!何でズミと居てもツッコミしてるんだ俺はー!」
「対抗して吠えるなよチビッ子」
「誰が吠えてるか!てかチビ言うな!」
 ちょいちょい挟まれる漫才のような何かをこなしながらも、食事を取った二人は犬と共に残りの業務へ出向いていく。
 半壊した駐屯地に着くなり椅子から動かなくなった諸澄を圓に預け。帯斗は来る途中で買ったリードを犬の首輪に設置、街の何処かにいると言う義希を探してメインストリートに出た。
「ったく…なんだかんだマイペースなんだよな…ズミは…」
 てってと駆け足気味に歩く彼の口から自然と愚痴がこぼれ落ちる。すると同意するかのように、前を行くダックスフントが振り向いた。
「ん?お前もそう思うのか?」
 問うと、犬は走りながらくるりと回って帯斗を見る。帯斗はゆっくりと足を止め、しゃがんで目線を犬に合わせた。
「お前、もしかして人間語が分かるのか?」
 もふっと頭に手を乗せると、先程とは違う感触が印象に残る。
「ふさふさになったな…」
 最初はごわごわだったのに。そう思って抱き抱えた帯斗の口に、思わず笑みが浮かんだ。
「綺麗になって良かったな」
 そう言うと、犬は嬉しそうにワンと鳴いた。
 帯斗もつられて嬉しくなって、業務を忘れる勢いで散歩を再開する。


 その日からはあっと言う間に日が過ぎた。
 仕事を終えて帰宅した帯斗の元に、いそいそとやって来た諸澄が包帯や絆創膏を含めたお泊まりセットを持ち込んだり。
 こっそり日課にしている早朝マラソンが犬の散歩に成り代わったり。
 犬のお陰でパトロール回数がやたらと増えたり。
 夜の湯タンポ代わりに犬を取り合ったり。
 ガリガリだった犬が、次第に沢山食べるようになって多生なりとふっくらしてきたり。
 気付くと家に犬用アイテムが増殖していたり。
 何時までも「犬」と呼ぶのもどうかと、名前を考えるも結局「犬」で落ち着いたり。
 いっそ近衛隊のマスコットにしてしまおうかと、密かに同僚に売り込んでみたり。


 二人がそうこうするうちに、捜査にも幾つか進展があった。
 そのうちの一つとして報告があると、犬共々二人が呼び出されたのが三日後のこと。
 王座の間にて沢也と対面した彼等は、獣医宜しく犬の診察を始める彼を緊張の面持ちで見守った。何故なら未だに沢也が怖いのである。
「血液検査の結果、少量だが強化剤の成分が検出された」
 聴診器を当て終えた沢也の口からさらりと出たのは、ぎょっとするような内容の報告だった。それによって更に体を固くする二人に対し、沢也は犬に注視したまま先を続ける。
「今のところ禁断症状のようなものも見られないし、これと言っておかしな所もないから何とも言えないが…」
 体を撫でられて喜んだ犬に鼻を舐められながら、彼は久方ぶりに二人を振り向いた。
「どのみち何があるか分からない。こっちで引き取ろうかと…」
「いやっす!」
 結論を遮った帯斗は、ハッとして伸ばしに伸ばした身を縮めていく。
「あ、すみません…でも、仲良くなれたんで…」
 言い訳を口にするも返答がなく、先を促されているように感じた彼はきちんと胸のうちを晒した。
「動物と仲良くなるなんて初めてなんすよ。だから、離れるのは辛いっす」
 帯斗の声が途切れると、数秒の沈黙が訪れる。諸澄が俯く帯斗から沢也に視線を流したのと同時に、小さな溜め息が吐き出された。
「分かった。もう暫く任せるから、良く様子を見ておいてくれ」
「分かりました!任せてください」
 承諾に笑顔を浮かべた帯斗の元、飛び込んだ犬はバタバタと尻尾を振り乱す。擦り寄る犬を抱えて退出しようとする帯斗の背中を、複雑な表情で見据える彼に沢也が言った。
「ちゃんと見ておけよ?」
「…分かってる…」
 舌を打つも威勢はなく、踵を返した諸澄の背中からは言い知れぬ哀愁が漂う。
 二人を見送った沢也は、集まりはじめた各地の報告書を纏めながら、やはり重い息を吐いた。


 それからまた、1週間が経過した。


 その間、二人と一匹で組になりパトロール強化班に割り当てられた彼等は、万引き犯逮捕や探し物捜索等幾つかの小さな事件を解決し、充実した日々を送る。
 帯斗と犬は幼馴染みのように終始じゃれており、楽しげな空気は見る者に和みを与えていた。
 諸澄と犬は、怪我をさせた経緯があってか上下関係が確立していて、犬は常に彼の命令に忠実である。
 諸澄の怪我も深いところが浅くなる程には良くなって、二日ほど前から走り回れるようにもなったようだ。
 仮補修ながらに建物の体を取り戻した駐屯地には、相変わらず圓が常駐するばかり。街の補修や鑑識の手伝い等々、休む間も惜しむ程に働く隊員達は、犬の姿を時折目にする程度であった。
 鑑識の方は何とか落ち着いたが、やはり大規模に壊された橋側の街並みを直すのに苦戦しているようで、まだ暫くはかかるだろうとの報告が上がってきている。
 事件の詳細も徐々に明らかになっているらしく、全ての説明こそないものの、時折沢也からの指令や指示が飛んできた。


 その日も何時もと同じように、帯斗と犬は早朝散歩に出かけた後に出勤した。
 駐屯地で諸澄と合流して、城方面にパトロールに出掛け、鑑定所で必要書類を受け取り、圓に届け。ついでに捜索願いの出ている猫を探し当て、ほくほく気分で飼い主に届けにいく。
 時間も程よく過ぎ去って、圓のメールに従い休憩を取ることになった。
 駐屯地で休んでも良かったのだが、新しいオモチャがあるからと帯斗の家で昼食を食べる。
 適当に作ったインスタント麺と、缶詰のドッグフードとを平らげて、食後の運動とばかりに遊び倒すうちに、ふわりと欠伸が溢れ出た。
 諸澄が洗い物をする間、ちょいと失礼してうとうとする帯斗に並んで、犬も大人しく横になる。
 宙を漂うような眠気の中で、夢現と付かず離れずたゆたう帯斗は、諸澄の流す水の音に合わせて頭の中に言葉を浮かばせた。
 こんなに一日が早く過ぎるのなんて、どれくらい振りだろうか。子供の頃、街の公園を駆けずり回ったのとよくにている。
 これだけ楽しいのにどうして渋ったりしたのだろうかと、数日前の自分を叱りたくなった。
 それほどに、感謝しているのだと自覚しながら、なかなか伝えられずにいる気持ちを押し込めて、帯斗はゆっくりと目を開ける。
 水の音はまだしていたけれど。あまり深く眠ってしまうと、起きられなくなると踏んだから。
 目を閉じていたのは時間にして10分程度だろうか?時計でそれを確認した帯斗は、隣に寝転ぶ犬を呼ぶ。
「おーい、起きろ。そろそろ行くぞ?」
 明るい声に、答えは返って来なかった。声が小さかったのかと思い、大きめの声で呼ぶも反応はなく。ゆさゆさと体を揺すってみても、目が開く気配すらない。
「おかしいな…何で起きないんだ?」
 困り果てて頭を掻いた帯斗の背後、濡れた手を拭かぬまま佇んでいた諸澄が、震えた声で彼を呼ぶ。
「バカ帯斗…」
「は?なんだよいきなり…」
 振り向いた帯斗の抗議は、タオルを持った諸澄の行動に遮られた。
「大臣のとこ、連れてく」
「え?」
「一応見てもらった方がいい」
「何を…?」
 静かすぎる室内に、諸澄の沈んだ声と、普段通りの帯斗の声が響く。
 諸澄は答えを言わぬまま、タオルでくるんだ犬を抱えて城を目指した。

 帯斗には彼の真意が分からなかったが、いつもと違う空気に従い指示をこなす。
 休憩の延長申請を出したり、沢也にアポの連絡を入れたりする間にも、城は間近に迫ってきた。
 諸澄は相変わらず振り向かない。前に回って顔を覗き込む事も出来たが、それも憚れた。
 門の前まで来ると、正宗と茂達が微妙な表情で迎えてくれる。帯斗はそれを不思議に思いながら、さっさと入城してしまう諸澄の背中を追い掛けた。
 青い絨毯を踏んで、階段を上り。廊下を歩いている時も、犬が動く様子は見て取れない。それは王座の間に到着し、沢也の手に渡ってからも同じであった。
「急だったのか?」
 犬を受けとるなり、沢也は短く問い掛ける。
「見ていた限り、変なとこなんてなかった」
「ついさっきまで一緒に遊んでたんすよ。俺とうとうとしてただけなんすけど…その後起きなくなっちゃって」
 諸澄の静かな答えと、困ったような帯斗の答えと。
 両者を聞き終えた沢也の顔が、真っ直ぐに帯斗へと向けられた。
「本当に気付いてないのか?」
「え?」
「触れただろう?」
「はい。揺すっても起きなくて…」
「その後、抱えてみたか?」
「…いえ…」
 返答を受けて、沢也は立ち上がる。そして動かぬ犬を、帯斗に差し出した。
 帯斗はそれを横から眺めるだけで、受け取ろうとしない。
「抱えてやらないのか?」
 直ぐ様促す沢也の声に、彼はビクリと肩を揺らす。
「…何すか?どう言うことっすか?また直ぐに遊べますよね?」
 泳がせた瞳を最後に沢也に固定して、帯斗は繰り返し訊ねた。
「遊べますよね…?」
 迷いのある声に、震える彼の掌に、小さく息を吐き出して、沢也は静かに踵を返す。
「おい、そいつ…」
「解剖して死因を調べる」
 呼び止める諸澄への回答は率直に。それに返された諸澄の眼差しには曖昧に。
「そんな目をするな。今後の為だ」
 なんでも無さそうに呟いた沢也は、犬を抱えたまま室外へと消えて行った。
 扉が閉まるのと同時に、長テーブルの端が嫌な音を立てる。僅かに凹んだテーブルと、血の滲み出す諸澄の拳とが、音もなく痛みを訴えていた。
「諸澄くん」
 声は、二人の左側から聞こえてくる。重たそうに顔を持ち上げた彼等に向けられるのは、何時もより寂しげな蒼の微笑みだ。
 彼は諸澄の手にハンカチを巻き付けながら、落ち着いた調子で諭しにかかる。
「あなたの言いたいことは分かりますが、それはちょっと誉められた行為ではないですね」
 白に赤が染みて行く。それは青さの強いその場所に酷く不似合いに思えた。
 それでも諸澄は、止められなかった思いを声にする。
「今後の為って何だよ…」
 震えた言葉を、傍らの帯斗も振り向いた。
「今後の為なら、あいつは切り刻まれても良いってのか…?」
 聞こえてくる感情を、処理しきれないまま。帯斗は諸澄の横顔を、溢れ出す涙の色を、呆然と眺め続ける。
「死んじまったら…何されても…」
「今後、同じような動物が見付かった時」
 苦し気な台詞を遮ったのは、低く沈んだ蒼の呟きだった。諸澄が声に出せなかった疑問符を、一拍遅れて帯斗が口に出す。
「え?」
「また同じように死んでしまう動物が、この先どれだけ現れても」
 窓に向けて語られる言葉は、最後には質問となって諸澄に向けられた。
「あなたは何もしないんですか?」
 非難とか、嫌悪とか、辟易とか。そう言った負の感情を感じなかったからこそ受け入れられたそれに、諸澄は答えられずに下を向く。
 同じく帯斗も、心がざわめくのを理解しながら何も言えずに息を飲んだ。
「難しい問題ですよね。あなた方の気持ちも良くわかります」
 蒼はやっと何時ものように微笑んで、しかし直ぐに悲しそうに首を傾ける。
「だけど、その気持ちだけで、彼を責めたりしないであげてくださいね」
 ふわりと柔らかな香りが舞った。それが蒼の移動を意味することに気付いたのは、振り向いた背後の扉から前に直ってからのこと。
「彼には彼なりの考えがあって。だけど同時に、あなた達と同じような気持ちも持っているんです」
 デスクに座り、書類を手にした蒼は、固まる二人に念を押すように問い掛ける。
「分かりますか?」
 再度傾いた蒼の顔を歪んだ瞳で眺めつつ、帯斗が掠れた声で言った。
「なら何で…そんな酷いことが出来るんすか…?」
「どうしてだと思いますか?」
「やめろ」
 蒼の問い返しの直ぐ後に、諸澄から大きな声が出る。驚いて振り向いた帯斗は、俯き震える彼の口から小さな続きの言葉を聞いた。
「止めろよ。もう止めろ…」
「…何でだよ…ズミ」
 呆然と、訳がわからずに問い掛ける帯斗の腕を引き、諸澄は俯いたまま踵を返す。
「帰るぞ」
「なん…ちょっと待てよ!俺はまだ、納得して…」
「お前は、いつも何食って生きてる?!」
「…え?」
 制止を試みる帯斗に返ってきたのは、思いもよらぬ問いだった。
 裏返った声の内容に驚いて、固まる帯斗を揺さぶりながら。諸澄は苦し気に詰問を続ける。
「お前が、今日の朝食ったベーコンは何だ?昨日食ったハンバーグは何だよ…!俺が食ったステーキは?ソーセージは?あの定食に付いてくる魚は?」
「ズ…ミ…?」
 言葉の波に飲み込まれた帯斗が思考を停止したのに気付いたのか、呼ばれた彼は密かに涙を払った。
「考えたくなんてなかった。だからずっと考えないようにして生きていた。考えちまったら…こうなるって分かってたから…」
 呟きが静かな王座の間に落ちる。
 蒼はそっと息を潜め、頑なに口を開こうとせず。未だ追い付けずにいる帯斗が、おろおろと諸澄の腕を支えた。
「答えられるか?帯斗」
「え?」
 帯斗が動いた事で、彼は話を先に進めるつもりのようだ。涙の浮かぶ瞳を上げて、目の前の彼を凝視する。
「何でハンバーグは食えるのに、あいつは食っちゃいけないんだ?」
「え?」
「何でハンバーグになる牛は解体されてても平気なのに、あいつは解剖されちゃ駄目なんだ?」
 ああ、と。帯斗は思う。
 轟の言葉の真意も。諸澄があれだけはぐらかしていた理由も。今問われている、疑問の意味も。
「同じ生き物なのに、何が違うんだ?どうして違うんだ?何なんだ?」
「落ち着け、ズミ、分かった。お前が言いたいことは、分かったから…」
 自身の落ち着きとは反対に、次第に混乱してきた諸澄を何とか宥め。一息ついた帯斗は、静かに答えを呟いた。
「俺にも答えられないよ。だから、帰ろう…」
 戸惑いは残ったまま。頭を下げて退出する二人を引き留める事もなく。同じく頭を下げた蒼は、二人の背中を見送った後、そっと携帯電話を取り出した。


 帯斗と諸澄は無言のまま城下町に戻る。
 俯き気味にとぼとぼと歩く二人の行き先は、当たり前に駐屯地であった。
 何故って、どんなことがあろうともまだ勤務中であり、ただでさえ休憩を伸ばして貰っているのだから、そうのんびりもしていられない。
 しかしこのまま戻って他の隊員に心配をかけるのもどうだろうかと、暗黙の了解のうちに、帰路を利用して気持ちを立て直そうとしているのだ。
 何とか顔を上に向け、雲一つない空を仰ぐとやたらに目に染みる。再び溢れてきそうになる涙を飲み込むやら押し止めるやらする二人は、駐屯地に続く小路の入り口に立つ人物に気が付いた。
「おう、来たな?」
 二人の姿を見るなり煩すぎる声で呼び掛けた彼が、何時もの調子で手を振りながらにこにこと近付いてくる。
「…轟さん?」
「んだよ。補修作業はどうしたんだ?」
 ポカンと目と口を開けて名を呼ぶ帯斗と。泣き顔を見られては溜まらぬと慌てる諸澄と。
「さあ行くぞ!」
「は?」
「え?」
 二人の腕をがっしりと掴んだ轟は、戸惑いのあまりおかしな声を出す彼等に構わず白い歯を見せた。
「そう言うときこそ、もの作りだ!」
 キラリと眩しい光に思わず目を眩ませた二人は、次の瞬間引き摺られていく自身に驚き大きな声を出す。
「ええ?」
「はぁぁ?」
 訳の分からぬまま連行される二人の抗議は、残念ながら最後まで受け入れられることは無かった。





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