file8”同僚"前編



 
 薄暗い路地に響く自らの呼吸音を大きく感じながら、男は必死で足を回転させた。
「やばい…ヤバイ…」
 呟いている場合ではないのに、呟かずには居られぬ彼の声は響くことすらなく消えていく。
 迫り来る足音は男を探すように動いており、何時見付かってもおかしくはない状況だ。
「殺される…」
 息も絶え絶えに確信を口にした彼は、すがる思いで一つの希望に向けて走り始めた。



 一月も半ば。

 白い息が青空に昇る。
 真っ白い城を背にその様子を眺める諸澄が、門を挟んで反対側に立つ人物に問い掛けた。
「…何で俺とお前がこんなことしてんだ?」
 気だるそうなそれに。入退城表を眺めていた圓は、不思議そうに顔を持ち上げては問い返す。
「あれ…聞いてなかったんですか?」
「聞いてた!聞いてたけど納得できねえから聞いてんだろ?」
「す…すみません…」
 憤慨して舌を打つ諸澄に、圓が申し訳なさそうに頭を下げたところで、背後の扉が開かれた。
 二人は議論を放置して、帰宅する来客に退城のサインを貰い、丁寧に頭を下げて見送る。
 客人の背中が見えなくなると同時に溜め息を吐く諸澄の言う通り、何故この二人が門番の仕事をしているかと言うと。圓の言葉通り、朝礼で沢也に説明された理由が全てとなる。
「でも…門番さん達の視察の為に交代してるだけですよ?そんなに納得できませんか?」
「そうまでして見たいもんか?あの本隊長とやらの活躍を」
「僕達とは違って、お二人には直接的な上司に当たる方ですからね。真面目な彼等なら気になるのは当然かと思いますけど?」
 と、会話が示すままの通達があり、通勤するなりジャンケンで交代メンバーとなった二人は、朝から城門の前に立ち尽くしているという訳だ。
 倫祐は先日本島の出張から戻ったばかりで、しかし何時まで落ち着いて居られるか分からぬ現状。出来るときにやってしまおうと強行手段が取られたのである。
 ちなみに何時もの二人が非番の時には郵便課から助っ人がやって来るらしいのだが、今回は非番ではないので単にトレードになったとのこと。
 圓の説得の合間に欠伸を漏らした諸澄は、頭の片隅で繰り広げられていた回想を中断して頭を掻く。
「ま、このポジ暇だから良いっちゃ良いけど…流石に暇過ぎっつーか…」
「諸澄さんは文句が多いですね…」
「あ”?」
「それでもきちんと仕事していて偉いと思います」
 急激な反抗に反論しかけたものの、振り向いた先で笑顔を注がれては敵わない。固まった諸澄は右手で覆った顔をあからさまに俯かせた。
「…何で急に褒めるんだよ」
「え?い…いけませんでした?」
「別に…」
 不機嫌そうにそっぽを向いてしまった諸澄に肩を竦め、圓は正面に向き直る。空を見上げて赤くなった鼻を擦り、諸澄が小さく呟いた。
「ったく…圓と二人とか、調子狂うぜ…」
「たまには良いと思いますよ?気分転換にもなりますし」
「お前なぁ…それわざと?何で微妙に話ずらすんだよ」
「え…ずれてますか?」
 丸くした目を振り向かせる圓を横目に、長い長い溜め息を吐き。
「もういい…」
「はい。がんばりましょうね」
 呟いてみるも明るく流されて。どうにもならないと悟った諸澄は、諦めて大人しく門番業務に勤しむ事にした。


 一方その頃駐屯地では。


 整頓された机の上に、両手で頬杖を付く帯斗の口から小さな心配が漏れる。
「大丈夫っすかね…ズミ」
「大丈夫じゃないかい?」
「だっていっさん。門番っすよ?門番!絶対なんか揉め事起こしますって…」
「あはは。諸澄は口が悪いからねぇ」
 向かい合って座る二人に茶々を入れたのは、何時の制服ではなく近衛隊のジャケットを羽織った正宗だ。彼は定一の隣に座って軽く笑い、細い目を更に細くする。
 その正面で能天気な擬音を発する義希が、隣の帯斗の背中を叩いた。
「そう心配するな。そこは圓がカバーしてくれるってー」
「いやいやいや、圓さんすよ?」
「大丈夫じゃないかな?」
「もう!いっさんはただ面倒なだけなんじゃないっすか?!」
「あははは。まあ帯斗の心配も分かるよ。圓は挙動不審気味だからな」
 帯斗と入れ違いに片手で頬杖を付いた正宗の相槌を、他の三人が振り返る。中でも帯斗は呆然とした様子で彼を見据えて呟いた。
「正宗さんから漂うリア充感、半端ないっす…」
 誰側に寄せるでもなく、綺麗に中心に落ちるような話の纏め方に感心する三人を他所に、帯斗の恐ろしげな眼差しを受けた正宗は、納得いかなそうに肩を竦める。
「えー。特別な事はしてないのに何で引かれちゃうかなぁ…」
「違う違う、帯斗くんは妬いてるんだよ。君のリア充っぷりに」
「ちょ…いっさん!」
「でもやっぱ流石だよなぁ。聞き上手ってやつ?」
「伊達に門番やってないよねぇ」
「ちょ…無視しないで欲しいっす!」
 むくれる帯斗をなあなあに宥めた辺りで、義希はずっと放置していた人物を振り向き眉を下げた。
「それはそうと茂達ー?頼むからそんななめ回すように駐屯地を見詰めないでー?」
「特に面白いものは落ちてないと思うよー?」
「いえ。なかなか興味深いです」
「えっ!何が!どの辺すか?」
 棚やファイルをはじめ、掃除用具から床の隅々までもを観察する茂達の言葉に、食い付いた帯斗が答えを待つ。しかし何時まで経っても返答はなく、とうとう勢いがしぼんでストンと椅子に腰掛けた。
 困ったように苦笑する義希と定一を横目に、正宗が一人緩い笑い声を発する。
「まぁ、ああいう奴だけども?悪いことはしないから安心してくれよ」
「ミステリアス過ぎますって。てか俺、何でこんな怒濤のツッコミ入れなきゃなんないんすか?ズミの心配してる場合じゃなかったっす…」
 フォローに肩を落とした帯斗は、頭を抱える勢いでテーブルに上半身を預けた。対してそんな彼に和む周囲は好き勝手に談笑するばかりである。
「今日は小太郎も居ないしなぁ」
「ボケばっかだねぇ」
「あれ?それって俺も数えられちゃってる系ー?」
「ボケとツッコミの役割はその場に居合わせたメンバーにより変動するものです。私のデータからして、本日ツッコミの役を担うのは帯斗君が80%、残りの20%は私と正宗、それと義希隊長に分散されると予想されます」
「それはボケっすか?ボケと取っていいんすか?!」
「いえ。事実を口にしたまでです」
 顔色一つ変えずに眼鏡を光らせた茂達に、続くツッコミを繰り出す気力すら奪われた帯斗が、会話も半端に頬杖を付いた。
「因みに隊長。本隊長の属性は?」
 にこにこと穏やかに問う正宗を振り向き、義希も朗らかな笑顔を見せる。
「確実にボケだな」
「まじっすか?」
「まじです」
 八割がた信用していない風の帯斗の眼差しにドヤ顔を返すと、定一による欠伸混じりの促しが行われた。
「ほらほら義希くん。そろそろ本題に入らなくていいのかい?」
「そだな。倫祐もそろそろ来るだろうから、今のうちにスケジュール決めちゃおうか」
 言いながらいらない紙のはしっこにアミダくじを作る義希の旋毛に、正宗の微笑が問い掛ける。
「スケジュール、と言うことは。俺らのうちどちらかが本隊長と組むって事かな?」
「そうなるな。その間もう一人は、折角だから他の誰かと交代でペア組んでもらおうかと」
「願ってもない条件です」
 その背後で眼鏡を持ち上げた茂達の口元も、心なしか笑っているように見えた。
 上下に並んだ門番二人を斜めから認めた帯斗が、隣の義希にこそこそと耳打ちする。
「隊長…どうするんすか。茂達さんに火がついちゃったじゃないっすか」
「え?オレのせい?」
 アミダくじを差し出しながら肩を跳ねさせた義希は、続く物音にも驚いて大袈裟に飛び上がった。
「あ、なんだ倫祐かー。お疲れお疲れ!出張はどうだったん?」
 姿を見るなり安堵の息と共に問い掛けてくる彼に、入室した倫祐は一つ頷いて見せる。するとその様子を眺めていた四人が一斉に義希を振り向いた。
 合わせて10個の瞳に囲まれた義希が倫祐を見ると、彼は困ったように首を掻く。同じく困った義希は苦笑まじりに項垂れた。
「…今ちょっと、沢也の気持ちが分かった気がする…」
 ぼやきをそれぞれに受け止めて肩を竦め合ったメンバーが息を付く合間に、咳払いで仕切り直した義希が倫祐に問い掛ける。
「話は聞いてるよな?」
 彼がまた首肯で答えるのを見届けて、義希は答えの出たアミダくじを全員に提示した。
「今日は茂達と。明日は正宗とペア行動な?」
 倫祐はまたしても頷く…と思いきや。
「…何でそこで首が傾くん?」
「隊長ー。早くもぐだぐだですけど大丈夫なんすかー?」
 想定外の反応に驚愕する義希を前方から帯斗が支える。
「初めてだから」
「ん?」
 不意打ちの呟きに全員が目を見開く中、唯一疑問符を発した義希を振り向き倫祐は続けた。
「ペア」
 短すぎる回答に考察の間が訪れる。
「…あ。そっか」
「君はいつも単独行動だったねぇ」
 義希と定一が答えに行き着き言葉にすると、倫祐は控え目に頷いた。
 他の三人が納得するのを待って、義希はまた質問する。
「一応聞いておくけど、倫祐はいつもどうやって見廻りしてるん?」
 回答は簡潔に、人差し指が上を向いたことで義希は直ぐ様理解した。
「やっぱしか」
「ん?」
「へ?」
 複数の声に温くて微妙な笑顔を向けた義希の口から、疑問系の答えが吐き出される。
「屋根伝い…?」
 それに首肯した倫祐を見て。
「どうりで見かけない訳だ」
 定一が唸りを上げ。
「猫っすか?猫なんすか!?」
 帯斗が驚愕し。
「それはなかなか厳しいね。茂達」
「多少は持ちますが一日は不可能かと」
 門番二人が冗談とも取れる見解を示した。
「しかもやる気でいるんすか!?」
 続けて帯斗のツッコミが決まったところで、倫祐がテーブルの上に地図を広げる。
 なにも言わぬ彼の代わりに、城下町を区画毎に区切ったそれを見下ろした正宗が推察した。
「どのルートで回るのかって話じゃないか?」
「確かに。私達には詳しい経路が分かりませんからね」
 茂達も同意すると、倫祐もまた肯定する。三人が残りの三人に答えを促せば、きょとんとした表情が返された。
「てきとー?」
「だねぇ」
「決まってないっす」
 それぞれに気の抜けるような口調で言う彼等に、呆れたような正宗の声がかかる。
「ちょっと大丈夫ー?近衛隊」
「効率化するよりも足で稼ぐスタイルですか?」
「考えてはいたんだけど、余裕無かったって感じかなぁ…」
 茂達の質問に苦笑した義希が、ゆっくりと壁の表に視線を流した。歩合制の細かな点数が記されたそれを見て理解を示した門番二人を前に、帯斗が話の流れと関係のない素朴な疑問を口にする。
「そーいえば、門番さん達はどうなってるんすか?給料」
「ん?俺らは一律幾らで時給制」
「昔と変わらずってことか。まぁ仕方ないよねぇ」
「こちらに居る間は歩合給と聞いています」
「お。じゃあ運が良ければ稼げるんじゃん?」
「ボーナス、ボーナス」
 乗りに合わせて手を打った正宗に、無表情の茂達が便乗した。ボーナスコールで一頻り気力を補充した彼等に和みつつ、義希がのそっと立ち上がる。
「てなわけで。てきとーでよろー」
「うわー。緩いなぁもう…」
「若干の不安が募っていきます」
「大丈夫大丈夫。何かあれば隊長さん方が頑張ってくれるさね」
「そいじゃそろそろ出発しますよ?って、なんで俺が仕切る流れに…」
 項垂れる帯斗の肩を叩き、振り向いた義希がまたも緩く問うた。
「正宗はどーする?」
「じゃあまずはボヤきまくりの帯斗とデートしようかな」
「でっ…」
「そう頑張ってボケなくても、此処にはボケしかいないのに」
「ボケてないですよ。なぁ茂達」
 定一の茶々をかわして同意を求めた正宗は、振り向いた瞬間に笑ったまま硬直する。釣られて振り向いた帯斗と定一も同じように固まる中、義希が驚きの声を発した。
「ちょ…いないし!」
「おやまあ、いつの間に」
「茂達は真面目だからね」
「なんかもう、二人の間に流れる静寂がガッツリ想像できるっす…」
 いつの間にやら出発してしまった二人の様子を想像した帯斗の一言に、三人は思わず苦笑して密かな同意を示す。


 さて、その予想が正しいのかどうか。


 一足先に街に繰り出した倫祐と茂達は、縦に並んで大通りをゆっくりと歩いていた。
 倫祐の後ろを歩く茂達は、周囲から向けられる指先に気を取られる事なくペンを走らせる。
 片手に持った手帳に何やら書き終えて、こそこそ話を一瞥し。路地に入ったのを見計らって、彼は話を切り出した。
「去年より酷くなりましたか」
 唐突な問いかけに首だけを振り向かせた倫祐に、茂達は続ける。
「噂です。また新たな種がばら蒔かれた上に、例の新聞ですからね」
 表情どころか空気すら変化のないまま歩みを進める上司の背中。それでも茂達は会話を引っ込めようとはしなかった。
「だからあまり乗り気でなかったのですか?」
 二つ目の問いにも、振り向いたのは首だけ。茂達はそれを凝視して言葉を繋ぐ。
「私とペアを組むことです」
 変わらぬ速度で進む進行と、会話と。不意にそれが途切れたのは、薄暗い路地の半ばで倫祐が体ごと振り向いたせいだ。
 併せて立ち止まった茂達は、眼鏡を押し上げて薄笑みを浮かべる。
「肯定と受け取らせて頂きます。しかし心配は無用。私が興味があるのは真実だけですから」
 そう言うと、倫祐はまるで困ったとでも言わんばかりに首を掻いた。そしてそれが収まると同時に短く口が開かれる。
「行きたい所」
「あるにはあります。しかし初順はお任せしたい」
 簡潔な問答はそれで終了した。
 首肯で了承を示した倫祐に、手帳を持った茂達が続く。
 路地から南通りに出て、小太郎の家の側を通り、最南端の暴風壁に程近い、一際細い裏路地に入っていく倫祐の背中に。またも唐突に茂達が訪ねた。
「何処で知ったのですか?」
 見渡すでもなく、しかしピタリと足を止めた倫祐が、半端に振り向いたのを見据えて茂達は言う。
「この場所の事です」
 聞きながら、彼の「行きたい所」と言うのもこの場所だったのだろうと推測した倫祐は、黙って続きを促した。
「私は知り合いに聞きました。この辺りで怪しい動きをしている連中を見たことがあると」
 茂達が先に情報を提示すると、倫祐は頷く代わりにタバコをくわえる。
「隊に流すべき情報かどうか、この目で確かめておきたかったのです」
 周囲に意識を移しながら、煙の漂う様を見据える茂達の眼鏡の上を光が滑った。
「あなたは予めこの場所を?」
 ゴミ箱や段ボールが散乱する小汚ない道を示す彼にかからぬよう、空に煙を吐き出すついでに倫祐は一言。
「出張中」
 実に手短に呟いた。
「本島で聞いたのですね?」
「買ったらしい」
「此処で、と言う意味で間違いありませんか?」
 続く質問に頷いて答えた彼は、タバコを手に持って視線を流す。茂達もその後を追うと、通りからこちらを覗く人影が見えた。
 歩みを再開する倫祐に茂達も続く。彼はそれに気付いた影が動きを見せる前に、先手を取った。
「どうかなさいましたか?」
 声を掛けられて、無意識に肩を跳ねさせたのは挙動不審な男だ。背を向けたまま立ち止まり、意を決したように振り向いた彼はしどろもどろに問う。
「いえ…オレは何も。…何かあった…んですか?」
「いいえ。少々状況の整理をしていただけです」
 茂達が真顔で答えると、男の顔が僅かに綻び、そして歪んだように見えた。しかし最後には複雑な表情を無理矢理笑わせて、踵を返す。
「ご…御苦労様です…では…」
 慌ただしく頭を下げて駆けていく男に覚られぬよう、茂達は正面を向いたまま倫祐に訊ねた。
「つけますか?」
 その言葉に、彼は答えない。代わりに脇に落ちていた何かを拾い上げる。
 薄っぺらいそれを倫祐から受け取った茂達は、眼鏡をずらしてしげしげと確かめた。
「住民カードですね」
 見間違う事もなさそうな物ではあるが、念入り過ぎる確認を継続しながら呟いて。茂達は横目に倫祐に訊ねる。
「照会を?」
「沢也に」
「了解しました」
 彼は短い指示に頷くと、携帯を取出し通話を繋げた。



 茂達の報告があってから15分後の王座の間。
 暫く沈黙を保っていた大扉が静かに開かれる。
「お待たせしました。移住が多くて読み込みに時間が…」
 数枚の紙を手に入室したのは八雲だった。沢也は彼が部屋の奥まで辿り着くのを待って、調べてもらったデータを受け取る。
「本島の人間だな」
 ほぼ一瞬で読みといた沢也の言葉に、椅子を挟んで隣に座る蒼の微笑が傾いた。
「わざわざ調べる…と言うことは、そう言うことと取って構いませんか?」
「いや…」
 半端に途切れた言葉の代わり、大扉を振り向く事で沢也は答える。控え目に開いたそこから顔を出したのは、茂達と倫祐の無表情だ。
「こちらに来ることになるとは思いませんでした」
「成る程。把握しました」
 入室して周囲を見渡す茂達を見るなり、蒼は納得して仕事に戻る。
 茂達や倫祐がわざわざ連絡してくると言うことは、それなりの理由があっての事だろう。
「挙動不審だったか?」
「ええ。圓君よりも遥かに」
 冗談とも皮肉とも取れる報告に苦笑して、茂達から現物を受け取った沢也の表情が変わった。
 若干眉根を寄せながらも冷静な横顔に、蒼が静かに呼び掛ける。
「沢也くん?」
「少し調べておく」
 そう言ったきり作業に集中してしまう沢也に肩を竦め、蒼は倫祐と茂達に視線を流した。
「念のため見廻りを強化してください」
「了解しました。何かありましたら直ぐに報告します」
 それだけ言ってキビキビと仕事に戻っていく茂達の後に倫祐が付いていく。その全てを見守っていた八雲も、蒼に頭を下げてはそろそろと退出した。





 翌日。



 早朝の駐屯地に爆音が駆け抜けた。
 それは大きな石が割れて飛び散るような、続けて近付いてくるのは慌ただしい足音のようである。
「な…何事?!」
 驚いて椅子から飛び上がった帯斗は、乱暴に開け放たれた扉のせいで更にビクリと肩を跳ねさせた。
 息を切らせて扉を支える青ざめた顔の男を見て、茂達が分厚い眼鏡の下で目を細める。
「貴方は昨日の…」
 破壊音が彼の言葉に被せられた。
 身を縮めた男が扉を閉めると、同時にドアが吹っ飛ばされる。
 木片が辺りに散らばった上に、外からは砂ぼこりが舞い込んで視界を悪くした。
「ちょ…いきなりなにするんだ!」
「おい、あんた追われて…」
 帯斗と正宗の声が扉を破壊した男と、先に入室した男とに注がれる。しかしそれに答えが返ってくることはなく、二人は早々に追いかけっこを再開した。
 次に破壊されたのは通り側の壁である。辛くも難を逃れた男が走り去り、一拍置いてもう一人が追って行く。
 助けを求めに来たのかと思いきや、そんな素振りもなく…しかも去り際に睨み付けられては腑に落ちない。呆然とする帯斗の頭に手を乗せて、正宗は緩い苦笑を浮かべた。
「何故逃げるのかは、茂達が知ってそうだね」
「説明は私が。正宗はあちらを」
「あいよ。行きますか?隊長」
 素早い問答の後、上から降ってきた倫祐を目視した正宗が声をかける。ぎょっとする帯斗から手を離し、頷く間も惜しそうに駆け出す彼を、正宗は急いで追い掛ける。
「茂達さん…!」
 業を煮やして足踏みをした帯斗の呼び声に対し、呼ばれた当人は冷静にイヤフォン型通信機を差し出した。
「参謀に報告しました。昨日からの調査報告も一緒に聞けると思います」
 補足を受けて気を落ち着かせ。帯斗は頷き、通信機を耳に押し込んだ。

 一方追いかけっこを追い掛ける正宗は、イヤフォンに流れてくる報告を口に出しながら倫祐の背中に付いていく。
 本当なら一人で走った方が効率が良いのだろうと言うことは直ぐに分かったが、何の事情も知らせぬままでいるのもどうだろうかとの判断で黙って後に続く事にした。
 倫祐も倫祐で一人スピードを上げるでもなく走り続けている。
「追われてる方は、先日本島で住民カード偽造、不正譲渡の疑いで捜索対象になった人物だ。本人が持っていたカードも、顔写真を入れ換えた偽物だった」
「昨日私と本隊長が見かけたのが、強化剤の取引場所と疑われる場所だった為、参謀にマークして頂いてました。恐らくは強化剤を手に入れるつもりだったのでしょう」
 沢也と茂達の声が連続して告げた。大体を把握した帯斗が先程見た様子から報告する。
「でも、強化剤を使ったっぽいのは追ってる方でしたよ?」
「追われてる方は見たところ普通だったね」
「茂達くん達がうろうろしてたから買えなかったんじゃない?」
 正宗の同意の後、定一の声が割り込んだ。確かに、と短い納得が連なる。
「考察は後回し。強化剤を使用したってことは、少なくとも無事で済ますつもりはないんだろう。まずは追い手を止めろ」
 続く沢也の指示…もとい命令に了解の声が重複した。用の無いものが通信機の通話を切ったことで、ノイズが減ってクリアになる。
「で、現在地分かる人ー?」
「今追ってますよー」
 気が抜けるような義希の声に正宗が答えると、一緒に居るであろう定一が反応した。
「そっち、見えてるのかい?」
「遠目ながら。因みに現在メインストリートを海に向けて進行中。時々破壊音が聞こえるから、そっち方面にいる人は避難指示を」
「てか正宗ー!倫祐は?一緒じゃないん?先に行かせて対応さしてー!結構ヤバげな音が近づいてきてるー」
 絶叫にも似た指示を密かに笑い、正宗は前を行く倫祐にのんびりと報せる。
「隊長。義希さんが「止めてくれ」って叫んでます」
 要約されたそれに微かに頷いて、倫祐はすっと姿を消した。
 正宗がそれをなんとか目で追うと、先に聞いていた通り…屋根の上をぴょいぴょい走る彼の姿が見える。
「こっちで避難指示請け負うから、正宗くんと茂達くん達は本隊長のフォローお願いね」
「いっさんずるいっす!楽な方に逃げましたねー?!」
 のんびりした定一の指示に、帯斗の文句が続いた。
「心配するなよ、帯斗」
「私達はそのために来たのですから」
 通信機越しでも見事に繋がった二人の声が、彼に募る焦りを静める。
 そこに響いた衝突音が、通信機に大きなノイズを呼んだ。



 ぶつかり合ったのは鉄パイプと細身の剣だった。
 響いた金属音、加えて陥没した石畳を目の当たりにして怯える男と。
「近衛隊か」
 ひしゃげたパイプを放り楽しげに笑う男との間で、倫祐は剣をだらりと下げる。
 遠巻きながらに居合わせた義希には、強化剤を使用した男の力が異様に強く、倫祐がいつもの武器が痛むのを懸念している様子が見てとれた。
 無言で立ちはだかる倫祐を無視して、追う側の男が追われる側の男に問い掛ける。
「おい、まだ逃げるのか?」
「逃げてなんかない…」
「はは。存分に逃げてくれていいぜ?その分街が壊せるなら一石二鳥だ」
 会話の間も余裕そうな男から目を離せないのは近衛隊の面々だけではなく、直接威圧をかけられた男も彼を凝視していた。
「くそ…何が目的だ…?」
 気が弱そうな、細い男が舌を打つ。
「決まってる。お前を殺す、それだけだ」
 気が強く、筋肉質な男が不敵に笑った。
 辺りを緊張が包む。
 息を潜めて見守る者も、こっそりと避難指示に従う者も。皆が無意識に渦中の三人から出来る限りの距離を取ろうとしていた。
「はいはい、物騒なこと言わない」
 そこに割り込んだのは正宗の声だ。たしなめるようなそれを振り向き、追う側の男が口角を上げる。
「兄ちゃん、怪我したくなきゃ退いてな」
「そう言うわけにはいかないかな。お仕事だしねぇ」
「オレはそいつに用があるだけなんだが?」
「え。あんだけ派手に駐屯地壊しといて何言ってるわけ?」
 細い目の上にある眉を持ち上げ驚きを表現する正宗の隣に、茂達が到着して短く問うた。
「因みに原因は何ですか?」
「話す義理はねえ」
「彼を殺害したら大人しくなるのでしょうか?」
「さぁ?どうかな」
 笑いながら話を誤魔化す強気の男の意識がそちらにそれた途端、今まで立ち尽くしていた弱気の男が急発進する。
「あ。逃げた…速いなぁ」
 正宗の呟き通り。今まで逃げおおせていただけあって、足だけは速いであろう彼の背中はあっと言う間に見えなくなった。
「ほらほら、どうしてくれんだよ」
 残った男は追い掛けるでもなく、遊んでやるよとでも言わんばかりな口振りと共に、近場の建物から鉄パイプを引きちぎる。吹き出た水もそのままに、凄いスピードで振り回されたそれは、またも倫祐の剣に受け止められた。
 ギィンと、耳に残る音が響く。あの分厚いパイプを受けて良く剣が折れない物だと、関心する人物を茂達が呼ぶ。
「正宗」
「ああ」
 合図に同意した正宗と茂達が逃げる男を追った。それを横目に倫祐と向き合った男は、パイプを持つ手に力を込める。
「そんな細いのでやり合おうって?なめるのもいい加減にしろよ!」
 苛立ちにも似た高笑いが空に響き、町に再びざわめきを呼び寄せた。





cp63 [エゴイズム]topcp65 [file8”同僚"前編]