エゴイズム




 昼下がりの王座の間。
 社長出勤していった沙梨菜を見送った三人は、それぞれに棒立ち状態から直ると、思い思いの場所に定着する。その間、手近にあったポットで紅茶を製作した蒼が、離れて座る有理子と義希にそれを運んだ。
「沙梨菜はああ言ってるけど…そう言う問題じゃないと思うのよ」
「まあ、運命は運命でも殺される運命ってのは…ちょっとなぁ…」
 息巻くと言うよりは愚痴を溢す感じで呟いた二人が、紅茶片手に対照的な表情を向かい合わせる。
「それもそうだけど。そうじゃなくて!」
「え?違うん?」
 怒り混じりの有理子の声と、驚いたような義希の声が不協和音を呼んだ。
 片やストレートの、片や砂糖とミルクをたっぷりいれた紅茶を飲むことすらせずに、ゆっくりと、助けを求めるような眼差しで蒼を見据える。
 無言の問いを受けた彼は、一人紅茶に息を吹き掛けながら小首を傾げた。
「どうでしょう?僕にも彼の本心は分からないんですが…多分、どちらも正しいと思いますよ?」
「どちらも…って?」
「有理子さんや沙梨菜さんの言う、危機感を植え付けて遠ざけようとする愛情。義希くんの言う、殺してしまいたいくらいの愛情。彼の中には、そのどちらもが存在しているのではないでしょうか?」
 細かい解説を聞いて、全てを納得した義希の感嘆が会話の溝に落ちる。続く沈黙を埋めたのは、有理子の深い溜め息だ。
「分かりたくないわ。好きなのに、殺したいだなんて…」
 呟きには蔑みや嫌悪よりも、哀愁や困惑の色が滲み出る。蒼はそれを見越して笑みを強めると、静かに紅茶を啜った。
「確かにそうかもしれません。…ですが沢也くんには良識がありますから」
 カップをソーサーに戻し、スプーンでベージュの液体に渦を描く。そんな彼の仕草を眺めながら、二人は密かに同意した。
「彼が彼女を殺めれば、城の立場が危うくなる。例え隠蔽したとしても、収入源が減ってしまう。更に言えば、彼の事を理解している僕達も…やっぱり、心の何処かで彼を責めなければならなくなる」
 カタリと音がして。意識を戻された有理子と義希は、顔を上げた蒼の笑顔と向き合う事になる。
「それを、彼の良心が許すわけが無いんですよ」
 成る程、と義希は思う。有理子は同時に安堵すらしたかもしれない。
 二人の肩から力が抜けるのを認めた蒼が、紅茶を一口飲んで窓を見た。
「…こうして見ると、何時までも片思いなのは、実は沢也くんの方なのかもしれませんね」
 独り言宜しくそう言って、彼は徐に席を立つ。
「それでもきっと、彼は自ら望んでここに居るんですよ」
 窓辺に辿り着きカーテンを開けると、細やかな結露が視界を覆った。蒼は海を臨む事を諦めて背後を振り向く。
「そうすれば、彼女を殺さずに済むから…でしょうね」
 彼の言葉は、義希に…有理子に、素直に浸透した。二人は頷く代わりに紅茶を飲んで気持ちを整える。
「彼は、自分の愛情が一生伝わらなくても…それでも、彼女に生きていて欲しい。そう、思っているのではないでしょうか?」
 蒼は窓に一筋の線を引き、静かに話を締め括った。彼の人差し指に集められた水滴が、不規則ながらも重力に従っていく。
 背後の二人が口を開く前に、蒼はまた振り向いて笑顔を傾けた。
「…なんて、人のことばかり考察している場合では無いんですけどね」
 不意をつかれた二人が色々と言い損ねて口をぱくぱくさせる間を利用して。再び窓と向き合った彼は誰にも聞こえないような声量で呟いた。
「僕もいい加減、身を固めないと…」
 何時までも、彼等の足を引っ張る訳には…。続く言葉を頭の中でだけ流し、傍らに置かれた見合い写真の群れを見据える。
 結露に遮られて反射こそしなかった蒼の表情を、後ろから盗み見た有理子が控え目に呼び掛けた。
「…蒼くん」
「ありがとうございます」
 気遣いを察した彼は、彼女が何も言わないうちに感謝を口にする。
「大丈夫です。ちゃんと、分かっていますよ」
 身を乗り出した有理子を制するようにそう言って、見合い写真を一つ手にした蒼は小さく肩を竦めて見せた。



 それから直ぐ、義希は有理子を引き連れ自室に帰り現状打破を図る。
 面積がないせいか、王座の間よりも暖かい部屋の空気を入れ替えようと、窓を開けに行く彼女を彼が呼び止めた。
「有理子」
「分かってる」
 義希の放つ空気だけで状況を理解した彼女が言葉を遮ると、彼は彼女の背後から正面に回って顔を覗き見る。
「なんか色々溜め込み過ぎてないか?」
「…そうかも」
「ならそれ、全部吐き出してくれよ。その方がオレも楽だし。お前にとってもその方がいいだろ?」
 思案しては小さく頷いた有理子は、彼の横を抜けて窓を開けた。
 冷たい空気が頬を撫でる。彼女はそれに逆らって声を出した。
「些細な事なのよ」
「うん」
「いちいち怒るようなことじゃないの。分かってるのに」
「うん」
「だから愚痴を言わないつもりでいたのに」
「顔に出ちゃって困ってた?」
 窓際から有理子を退かし、ベッドに座らせた義希がクスリと笑みを溢す。その横顔をムッとした顔で見据えた彼女に、彼は朗らかな笑顔で続けた。
「別にいいんだぞ?オレにまで気ぃ使わなくたって」
「気…使ってたのかしら?」
「言いたいこと我慢してたんなら、そうなんじゃん?」
 互いに後ろ手に手を付いて、天井を見上げながらの会話は、義希がそのまま顔を横に向けた事で短い沈黙を呼ぶ。
「あるんだろ?心配事。ついでに話してみてくんない?」
 先程よりも長い間は、有理子が俯く間中続いた。そのうちに寒くなってしまった義希が早々に窓を閉めて戻ったところで、有理子が口を開く。
「沙梨菜のこと」
「ああ。確かに心配にもなるけど…」
 でも言うほど心配じゃあないかなと、顔に書いてある内情を読み取った有理子は、一息置いて一つ目の結論を言った。
「だからつい、沢也に辛く当たっちゃうのよ」
「うーん。沢也は気にしないと思うけど…てか寧ろ有理子がそーする意味もわかってそう」
「それが余計ムカつくんだけど…」
 ため息まじりに呟いて、視線を流す彼女の横顔を義希の瞳が追い掛ける。
「今日、あんたと蒼くんの意見を聞いてね」
「うん?」
「そう言う考え方もあるんだなって、思ったのよ」
 消え入りそうな声は自身への批難で溢れていた。義希は頷きかけた首を半端に止める。
「わたしは自分とあいつが似てるような気がしてたから、きっとそうなんだって…自分の考えを疑わなかった」
「普通そうじゃん?こーして話してみてみないと、分かんないことばっかだ」
 やっときちんと首肯した彼は、振り向いた有理子に気の抜けるような苦笑を見せた。
「だからさ、蒼も言ってたけど…オレ等の考えてる事も「多分」なんだよ」
「そっか…そうよね…」
 細く長く息を吐いて、有理子は肩の力を抜く。義希もそれに倣っては次に天井を仰いだ。
「でもまぁ、有理子の気持ちもわかるかな。こっちから聞きに行ってもいいんだけど、あいつは嫌がるだろうから。向こうから相談してくれるのを待つしかないんだし」
「…沙梨菜は?大丈夫そう?」
「沙梨菜は大丈夫だろ。なんだかんだ、沢也もちゃんと見ててくれてるからな」
 矛盾していそうでしていないような義希の見解は、有理子のものと一致する。それにより頷いた彼女を、彼は短く促した。
「他は?海羽のこととか」
「あの子のことはいつもよ」
「そうだな…正直今はオレも心配」
 今も秀に連れ回されているであろう彼女を想像して複雑な顔になった義希は、俯きため息を吐く有理子の頭を撫でる。
「こればっかりは、わたしだけの力でどうにかなるものじゃないから…」
「だなぁ。みんなして堪えるしかないよなぁ…」
 沈んだ調子で呟く彼の手から離れた有理子が、テーブルの上に乗っていたポットの中身を覗いた。
「まだありそう?」
 義希の問いに頷きながら、有理子は二人分のほうじ茶を用意する。
 温かいそれをはふはふする彼の隣に座り、彼女は唐突に呟いた。
「蒼くんに幸せになって欲しい」
 湯飲みの中の薄茶の液体に波紋が広がる。義希は有理子の手の中で揺れるお茶を見据えた後、テーブルに置かれた見合い写真の一部を振り向く。
「あの人はきっと、私達のことも気にかけてくれている」
「ああ…そうだな。蒼はそう言う奴だ」
「そのせいで焦って失敗して欲しくない。好きでもない人と、幸せの欠片もない結婚なんて…して欲しくない」
「有理子…」
「…分かってる。蒼くんは、言われなくても分かってるって、分かってるのに」
 無意識に力を籠めた掌が湯飲みを割るようなことはなかったけれど。それでも彼女がどれだけの感情を抱えているかは見てとれた。
「わたしがこんなこと言える立場じゃ無いってことも、分かってるのにね」
 自身を嘲笑うようにそう言って、有理子はゆっくりと湯飲みに口をつける。義希が言葉を選んでいると、彼女はまた言い訳のように続けた。
「蒼くんにはね、幸せに、なって欲しいの。幸せで居て欲しい」
「大丈夫だって。心配すんなよ。蒼は、お前にそう言われたら…喜ぶと思うぞ?」
「そんな訳…」
「バカだな。あいつがそんなに卑屈に見えるか?」
「…そんなことないけど」
 有理子はそこで短く言葉を切って、躊躇いがちに口にする。
「でもやっぱり、心の何処かでは思う筈よ。あなたは、僕を選んでくれなかったのにって…」
「それでも嬉しいと思う。少なくとも、オレが逆の立場だったら嬉しいし」
 確かめるように何度も頷いて、天井から顔を下ろした義希は徐に有理子の肩を掴んだ。
「だから心配すんな。お前は自分の思ったままを言葉にすればいいんだよ」
「…馬鹿」
 なんとなく泣きそうになって、それを誤魔化す為に呟いた言葉の酷さに気付いた彼女は、愚かだと分かっていながら更に誤魔化しにかかる。
「…なんつーか、お前らしいな」
 顔を伏せてしがみついてきた有理子を受け止めた義希は、そのまま抱き抱えてはぽつりと言った。
 慌てた有理子は引き寄せられながら身を捩り、弁解する。
「だって、でも!それだけじゃ…」
「分かってるって。きっかけが何であれ…嬉しいよ。オレは」
 なはは、と不思議な笑いを伴い彼女を捕まえた義希は、腕の中で大人しく項垂れる有理子の謝罪を聞いた。
「ゴメン…」
「謝るくらいなら、さっくり結婚でもしとく?」
 さらりとした茶化しにぎょっとした顔を上げた有理子は、返答に困って瞳を泳がせる。対して義希は端から分かっいたように楽しげに笑った。
「まだ無理だろ?分かってるって。お前は何だかんだ言って相当奥手だからな」
「…そう言うこと言う?っていうか、何でアンタはそんなに余裕ぶってるのよ。何かムカつく」
「うあ。だってお前、浮気とか絶対無理だし」
「ハイハイ、どーせわたしは甲斐性無しですよ」
「そーじゃないって。寧ろ引く手数多だろうに。それでもお前がなびかないのはさ…」
 息継ぎの間に表情を引き締めた義希が、脇に置いたままになっていた二つの湯飲みをルビーに回収する。有理子はその間を瞬きで繋いで密かに固唾を飲んだ。
 有理子の肩の上に顎を乗せ、落ち着いた彼の口からぼんやりとした声が落ちる。
「やっぱり、蒼と言う超高級品を振り切ってまで、オレなんかを選んだからなんじゃないか?」
「…高級品、か。確かに。あんないい人、なかなか居ないわよ」
「だろ?だから、相当衝撃的な出逢いが無い限りは…」
 中途半端に台詞を区切った義希は、数秒かけて息を吸い込み大きく目を見開いた。
「もしかして、あった?」
 一連の態度への答えを見つけたかのような反応に、呆れた有理子がバッサリ切り落とす。
「有るわけないじゃない」
「だよな。よかった…」
「何よ。いきなり」
「いやいや、世の中、何があるか分からんからさ。まぁでも、もし衝撃的な出逢いがあったとしても?お前が浮気なんかするとは、到底思えないけどな」
 半ば一人勝手に納得しながらへらへらする義希の背中の肉を摘まみ、有理子は彼に見えぬよう口を尖らせた。
「悪かったわね。臆病で」
「ソコがまた良いんだけど」
「馬鹿」
 茶化した代償としてつねる力を強められた彼は、涙目になりながらも何とか難を逃れる。そうして一息付いた後、元の調子で呼び掛けた。
「なぁ有理子」
「何よ」
「ついでっつーか、良い機会だから教えてくれよ」
「何を?」
「どうして、オレを選んだんだ?」
 世間話のように問う彼に、やはり言葉を詰まらせた有理子が顔を逸らす。
「お前は、オレも蒼も、同じくらい好きだったろ?」
 義希はそれを追い掛けて顔を覗き込むが、目が合う事はなかった。
「蒼の罪を許せない程…」
「うん。そうじゃないわ」
「じゃあ、何が…」
「言わない」
 断言されて固まりつつも、彼は冷静に食い下がる。
「何で?」
「…自分が嫌にやるから」
「何だよ?ますます気になる。っつーか、今更オレ等がお前を嫌いになることなんてないんだからさー。教えてくれたって良いだろ?」
「……」
「…な?」
 ゆさゆさ揺すっての説得はどうにか成功したようで、有理子は小さいながらも頷いて了承した。
 義希が彼女を解放して向き合うと、俯き気味に言葉が放たれる。
「…蒼くんは」
「うん」
「わたしがあんたを選んだとしても、傍に居てくれそうだったから。一人でも平気そうに見えたから」
「…オレは?」
「あんたは何処かに行ってしまいそうで、怖くて仕方がなかった。一人にしておくのが怖かった」
 単調な語りが義希の顔色を珍しい種のものに変えた。真顔と揺らぎの中間にありながら、何処か遠くを見ているように見えるのは、彼が過去を思うからだろうか。
 瞳の揺らぎが瞬きに隠れるのを恐る恐る見詰めながら、有理子は先を説明する。
「…蒼くんの優しさは平等に見えるけど、やっぱりちゃんと線がある」
「線?」
「そう。どこまで優しくして平気なのか、どこまで踏み込んで大丈夫か、これ以上やったら深入りしてしまう…そう言う、駆け引きの線」
 義希が成る程、と言いたげに頷くのを待って、彼女は彼から目を逸らした。
「だけどあんたは、人を選ばない。見境無く優しくして、線引きもロクにしないのに…それでも誰からも愛されて、どんどん流れて行ってしまう。知らないうちに、遠くまで行ってしまいそう。だから…」
「繋ぎ止めたのか」
 有理子の不安定さの理由の一つが自分だったと自覚して、彼は自身の行動を省みる。
「そうだな。オレは蒼みたく見る目は無いし、そんなに器用じゃないし。でもやっぱり人と接していたいから、どうやってもこうなっちゃうん…」
「わたしだけじゃ、駄目なの?」
 能天気な言い訳は、有理子の小さな声に遮られた。
 泣き出しそうな彼女の瞳を自分の瞳に映しながら、彼は動揺を手の動きで表現する。
 有理子は義希に取られた手の甲に続く感情を吐き出した。
「わたし達だけじゃ、満足出来ないの?」
「満足とか、そう言うんじゃないよ」
「…うん。ごめ…分かってる…分かってるけど…」
 声どころか、呼吸すら困難になりかけている彼女を再び引き寄せて、義希はふわりと笑みを浮かべる。
「ホントに心配性だなぁ。有理子は」
 嬉しそうな声が有理子の困惑を呼んだ。それに構わず視線を泳がせる彼女の頭を横に流した義希は、耳元で静かに問い掛ける。
「そんなにオレが好き?」
「う…煩いわよ」
「はは。オレは有理子が好きだよ」
 悪態が照れ隠しであると悟られて、ついでに直球過ぎる台詞まで吐かれては堪らない。顔を赤くして黙り込む彼女を強く抱き締めて、彼は心の底から声を出す。
「好きで好きで仕方がないよ」
 息が苦しくて、耳もくすぐったい。それでも有理子は動く事も出来ずに。
「言葉だけじゃ伝えきれない程好きだよ」
 囁くように話す義希は、いつもと違う空気を放ち、彼女の体温を吸収していった。
「そうやって意地張ってるとこも、誰かを心配してるとこも、自分のこと責めてるとこも、全部纏めてさ」
「…馬鹿」
 やっと出た一声がこれかと、自分に嫌気がさしながら、有理子は彼の背中に腕を回す。
「もう…馬鹿…」
「うん。分かってるよ」
 掠れた声に頷いて、義希は優しく彼女の頭を撫でた。
「ありがとな。有理子」
 山とある悩み事も。
 言いたかったことも。
 全部分かったから、と。
 心の中で呟いた義希は、震える有理子をきちんと抱き止めて安心したように息を吐いた。



 二人の居る部屋の、扉を一枚隔てた向こう側。



「盗み聞きか?」
 書類片手に、壁を背に座る蒼の目の前に沢也が立つ。問い掛けに肩を竦めた彼は、数十分前を思い返して反撃に出た。
「沢也くんこそ」
 立ち上がり、足音もたてずに自分の場所へと帰る彼に、沢也はやれやれと息を吐いては脱力する。
「気付いてたのか?」
「ええ。まあ」
「その上であんな話したってことは、根掘り葉掘り聞くつもりだな?」
 有理子と義希にした、沙梨菜と沢也に対する蒼の見解。沢也はそれを廊下で聞き終えた後、再び自室に戻って仕事をしていた…と言うことになるか。
 とにもかくにもタイミングを見計らって戻ってきた彼の予想は、八割方正解だった訳で。蒼は誤魔化すでもなく肯定した。
「いいじゃないですか。どうせ今日は残業ですし」
「そんな長々と話すこともねえよ」
「では今ここで、30文字以内で答えてください」
「何について?」
 素早い切り返しに暫し思案して、蒼は徐に人差し指を立てる。
「あなたの「検証」の進展状況を」
 くるりと回った指に嘲笑を注いだ沢也は、席に付きながら問いに答えた。
「良く分からない」
「それはまた。あなたにしては随分と曖昧な回答ですね?」
「だが少なくとも、お前の見解とは程遠い気がする」
「それはまた。あなたらしいスパッとした切り捨て方ですね?」
 にこにこふわふわと相槌を打つ蒼は、見合い写真を一つ手にしてさっと開く。
「では、あなたの見解は?」
 対して沢也は流し目を受け入れずに書類と向き合うと、短いため息の後に長文を並べた。
「近距離でも遠距離でも殺意がうまれる事は理解した。しかしその理由に行き着くにはもう少し実験と考察を繰り返さなければならない。一つだけ言えるのは、俺もあいつに対する執着心を持っていたらしいってこと。それだけだ」
 まるで何かの説明書のような物言いに、蒼は密かに苦笑しながら写真のを閉じる。
「有理子さんのあれは独占欲だとお見受けしましたけど。あなたのもそれに近いのでしょうか?」
「いいや。そう言う類いのものとは、少し違うんじゃねえか?」
「疑問系と言う事は、まだその可能性も残っていると言う事ですよね?」
「どうだろうな」
 短く間を置いて、沢也は頭の中を探るように背凭れに身を預けた。
「自分を客観的に見るのは難しい。だからこそ他者の意見は無下にしねえできちんと向き合ってみたつもりだ。少なくともムキになっての反論ではない」
 いつもよりはゆっくりめな解説を聞いた蒼は、眉を下げて首を傾ける。
「相変わらず複雑ですね。あなたの思考回路は」
「そうでもねえよ。ただ今は、そんな考察よりもやるべき事を優先させたいだけだ」
 積まれた書類の嵩は着々と増えているのだからと。そう言いたげにデスクへ手を伸ばした沢也は、また一つ見合い写真を引き寄せる蒼にため息を浴びせた。
「お前も早く選んじまえよ?」
「分かってはいるのですが…」
「つーか、この先まだ届くんだったよな?」
「寧ろここにあるのは、募集前にも関わらず先出しされた分です」
 にっこりを見事に困った風に変化させる彼の言葉を受けて、沢也は存分に眉をしかめて念をおす。
「募集、出したんじゃねえのかよ」
「正式にはまだです」
「なら、そこにある奴以外から選べばいい。先走って勝手に送り付けてくるような馬鹿は選考してやる価値もない」
 バッサリもバッサリと言った調子で断言した彼の横顔を見た蒼は、暫しの硬直の後、心なしかすっきりした表情で写真の山を見据えた。
「それもそうですね」
 開きかけの写真をぱさりと山の天辺に乗せて、適当な紙に筆を走らせる。
 あっと言う間に出来上がった「選考済」の貼り紙を山に付けた蒼は、大きく伸びをして紅茶のポットを持ち上げた。






cp62 [正義と悪意]topcp64 [file8”同僚"前編]