正義と悪意




 澄んだ空気はやけに冷たく、吐いた息を一瞬にして凍らせる。

 早朝。
 換気中の王座の間を抜けて、自室に入った義希が最初に見たのは、白くなった有理子の溜め息だった。
「まだ怒ってる…って感じじゃないな…」
「それどころじゃないって感じ」
 問い掛けに肩を竦めた彼女は、手にしていた新聞をテーブルの上に投げる。
 今しがた通って来た王座の間でも、蒼と沢也が微妙な顔付きで新聞紙を眺めていた訳で。流石の義希も察してテーブルを覗き見た。
「…年末に起きたおどろ…?」
「驚異」
「きょうい…の早期解決!実は大臣が仕組んだはっぴゃくちょうだった…」
「八百長だった」
「…やおちょう?って。なにこれ?」
 大きく書かれた見出しを読み上げ切れずとも読み上げた義希は、数秒後に理解して新聞を掴み取る。
「例のゴシップ紙。今更詐欺事件のこと取り上げて沢也をこき下ろしてみたり。蒼くんの見合いが捗らないのがどうのこうのって卑下してみたり…」
 ついでに倫祐のロボット説をも掘り起こしている辺り、かなりアグレッシブと言うか露骨と言うか…。
 どれだけの人間がこの記事を信じるだろうかと頭の中で思うよりも早く、唖然として目を点にした義希の口から可笑しな笑いが漏れた。
「これ…どうするん?」
「どうもこうも、反響があれば対応するくらいしかできないわよ。発行元への苦情も形だけで意味無いし」
「それは…つまり…」
「貴族に買収されてるから。いいからあんたはちゃんと寝なさい?今日も夕方からなんでしょう?」
「うん…まあ…」
 それなりの覚悟を持って帰宅してきた義希からしてみれば、話し合いどころではない現状に不満こそあれど文句を言うわけにもいかず。言葉を濁せば有理子からは僅かに威圧を含んだ言葉が返ってくる。
「何よ。お腹でも空いた?」
「いや、大丈夫。帰り際にボスがラーメン奢ってくれたから」
「そう。なら、おやすみ」
 有無を言わさぬ態度に負けて、頷いた義希は有理子が退出した室内でポツリと呟いた。
「おやすみ…」
 誰に向けたとも取れぬ挨拶は、虚しく場に残される。


 義希が日常に戻るのを背で感じながら、有理子は一つ深呼吸して蒼の元へと足を運んだ。
 内容からして秀が絡んでいるのは間違いないのだが、それを証明する手立ては何もない。いや、目の前の二人は元より犯人を暴くつもりなどないのかもしれないが。
 有理子が結論と目的地に辿り着くと、沢也の手から複数の新聞が放たれた。それは乾いた音と共にデスクに散らかる。
「何かしらあるだろうとは思っていたが…」
「思ったより公な感じの作戦でしたね?」
 何でもなさそうにそう言って、渦中の二人はのんびりとそれぞれの飲み物を啜った。
「もう少し焦るとか怒るとかしたら?」
「なんで」
「なんでって…」
「有理子さん、義希くん…何か言ってませんでしたか?」
「え?あ、うん…特になにも…」
 湯気の立ち上るコーヒーを飲む沢也の眼鏡が曇る。傍らで小首を傾げる蒼の手の中のティーカップからは、細い白が控え目に排出されていた。
 有理子が蒼の肩を竦める仕草を不思議そうに眺めていると、眼鏡を外した沢也が呟く。
「じゃあ、今日の昼くらいからか」
「何が?」
「突撃取材の横行ですよ」
 蒼のにこにこは普段と変わらず、人差し指の回転速度もいつもと大差ない。有理子は若干気抜けしながら不安になって、先程の義希宜しく不服そうに頭を掻いた。


 その後、激怒したリーダーを電話でなあなあに宥めたり、嫌味と自慢を振り撒く秀を海羽が回収して外出するなどややあって、沢也の予想的中が判明したのが昼過ぎの事。


 報告に訪れた小太郎が休憩がてら愚痴を溢す。
「あー、もー…うざってぇ…」
 長テーブルに突っ伏して顔面の中心に皺を寄せる彼に、沙梨菜が並んで顔真似した。
 そこに有理子がコーヒーを差し出すと、直ぐ様小太郎の両手が伸びてくる。
 体を起こしてはコーヒーに何度か息を吹き掛ける彼は、つい先程まで突撃取材の餌食になっていたらしい。地の果てまで追い掛けて来る勢いだったぜ、と何処まで冗談なのか分からないような証言を武勇伝宜しく語り尽くしたところである。
 彼の制御装置とも言える蒼は会議と取材で席を外している為、何処か偉そうで覇気のない小太郎の矛先はパソコンと向き合う沢也へと向かった。
「もういい加減、黙らせたらよくね?」
「出来るならとっくにそうしてる」
「だから、出来るだろ?なんとかしろし!」
「なんとかって…」
「2年前の事件で「こう」なったのも、元はと言えばお前のせいみたいなもんなんだぜ?それができてマスコミ黙らせられねえとか言わせないし」
 ドヤ顔の捲し立てに盛大な溜め息を浴びせた沢也は、その延長線上に長文を並べる。
「確かに俺は、大それたことをやったんだろう。自分のしたことを過小評価する気はねえ。だけどな、だからと言って、全てを自分の思う通りにできるわけじゃない。当たり前のことだろう?凄いことをした人間は、次も必ず凄いことをするだなんて…そんな考えは端から見ている人間が勝手に考えることだ」
「勝手って…んなことねえだろ。このおれ様が言ってんだ。もっと自分を評価してやれし」
「そう言う問題じゃない。確かに俺や蒼は、この国を変えてしまうほどのことをやらかした。いや、その活動に荷担した。それは単なる事実であって、俺だけの力でおきたものじゃねえってことだ。現にお前もその一員のくせして、俺に丸投げしてんじゃねえか」
 淡々と続く言葉は反論と言うよりは、まるで説得のように響いていた。最後の一言に言い返せなくなった小太郎が押し黙ると、また沢也の溜め息が落ちる。
「分かったらもう少し待て。んでもって俺や蒼を、もう少し人間扱いしてくれ」
 安堵に似た声は、渋々ながらも小太郎を頷かせた。
 彼は沢也から今後の指示を聞いた後、重い足取りで業務に戻る。
 残った三人のうち、沙梨菜は小太郎から貰った家族写真を手に沢也の背中にひっついた。すると彼は逃げるように自室へ引き籠ろうとするので、当然彼女もそれを追うことになる。
 一人王座の間に残された有理子は、蒼が帰ってくるのを待ちながら財務課の仕事をやっつける事にした。


 沢也の部屋はいつも通りの汚さを誇る。
 連なる本の山岳は扉の対角線上にある窓を埋め尽くす勢いで。崖下を流れる川の如く出来上がった細い道を5歩で越え、二人は唯一の平地であるベットの下へと辿り着く。
 ローテーブルにノートパソコンを置き、一息付くやいなや資料と向き合う沢也の隣。さっと腰を据えた沙梨菜は、ベットの上に整理途中のアルバムを置いた。
 あと数センチ右に寄れば触れる程の距離で、反対側を向く彼の様子を窺う彼女の口から、遅すぎる控え目なフォローがこぼれ落ちる。
「小太郎は、多分…沢也ちゃんを励まそうとしたんだよ」
「分かってる。だがあいつには隊長って立場があるんだ。他の隊員と一緒になって、蒼を神格化され過ぎても困る」
「もぅ…沢也ちゃんはいつだって色んなこと考え過ぎだよぅ」
 返ってきた単調な答えに眉を下げ、沙梨菜は沢也に向き直りその腕を取った。
「もっと怒っていいと思うよ?沙梨菜だって、これは流石にやりすぎだと思うもん」
 彼女が横目に捉えたのは、ゴシップ紙の一面を飾る沢也の批判記事だ。嘘つきは地獄へ行け等と、子供の喧嘩のような文句がこれでもかと並べ連ねてあるそれを手に取り、沢也は短く息を吐く。
「別に。記事は確かに嘘っぱちだが、実際俺は沢山の人間を殺め、壊し続けて、立場を変えた今もそれを続けている。それだけ怨みを背負って生きてるんだ。此処に書いてある通り、死ねば確実に地獄行きだろう。本当の事書かれて怒ってられるほど暇じゃねえんだよ」
「でも、それは…沢也ちゃんがみんなの事を考えて、最善を尽くした結果だし…」
「そうだとしても。発言、意志、決断、行動…その全ては自分の責任だ。例え誰かに何かを吹き込まれ、流されていたとしても。最終的に決断しているのは自分自身だからな」
 面倒だとでも言いたげに、小太郎の時とは違う調子で語る沢也を、沙梨菜は上目に見詰めた。やはり反論出来なくなった彼女が口を尖らせるのを確認して、彼は続きを口にする。
「その全ては自分に返ってくる。当たり前のことだろう」
「でも、それは…」
「正義だとでも言うのか?俺の決断の全てが?」
 先読みの問い掛けに頷く沙梨菜を鼻で笑った沢也は、やっと資料から目を離して彼女を振り向き断言した。
「正義なんてもの、存在しない」
「…存在…しない…?」
「そう。例えどんな理由であれ、どんな正義を主張しようとも、正義から見放された存在にとって…正義は悪でしかない。こちらの正義にとって、相手側が悪でしかないのと同じに」
 呆然と復唱する彼女が言葉の意味を理解するのを待つ彼は、短い間を利用してコーヒーを飲む。コーヒーカップが口から離れ、テーブルに置かれるのを目で追う沙梨菜は、促しの合図として首を縦に動かした。
 沢也はまた資料を持ち上げて先を話す。
「その正義とやらを真に振りかざすことが出来るのは個人だけだ。全ての正義は自分を守るために存在している、正義という名のエゴでしかない」
「うん…?」
「大多数…例えば国単位で振りかざす正義は、大半を作為的に巻き込んで演出されていることが多いだろう。ある者は真に、ある者は偽りで、ある者は流され。またある者は反発し、排除される。排除されたくなければ正義に従うしかない」
 聞きながら、二人が想像するのは巻き込まれる側となる人々の事だ。今とは逆の…こうなる前の自分達のこと。仲間たちのこと。
 沙梨菜は理解して、それでも頷く事が出来ずに固まった。沢也はそれを見越して問い掛ける。
「…本来ならば全ての国民の為にある正義。しかしそれは本当に正義と言えるのか?」
 反応、出来なかった。立場が逆になるだけで、考え方が変わってしまうことに酷く驚いたせいもある。沢也の言う当たり前が、自分の中では当たり前になりきれていなかったのだと。そんな事実を唐突に突き付けられた沙梨菜は、様々な言葉を頭の中に浮かべられるだけ浮かべはじめた。

 短い間に漠然と浮かんできたのは、風見鶏の姿。
 沙梨菜はきっと、他人の意見と言う風に煽られてくるくると回り続けている。どんなに小さな風にでも靡く、忙しない鳥だろう。
 だけど彼は違う。
 多少の風には動じる事もなく、しっかりと風向きを見据え続けている。
 きつくネジを絞められた、落ち着きのある鳥だろう。

 そうして妄想に浸り、瞬きすらままならなくなった彼女を見ないまま、沢也は更に話を繋ぐ。
「人それぞれ、持つ正義は様々だ。全ての人間に適用される正義なんて存在しない。例え似たような赴きを持とうとも、本質が全く異なるものが殆どだ。何故なら正義は、自分の為だけに存在しているモノだから」
 カタンと小さな音がした。肩を揺らした沙梨菜に対し、控え目に資料を提示しながら、彼は静かに嘲笑する。
「俺がこうして国民の為に、と働きかける意味が分かっただろう?こうすることで、自分の立場を守りやすくするためだ」
「そうかもしれないけど…それは国民の為でもあるんじゃないの?全部が全部、沢也ちゃんだけの為なの?」
「名目はそれと変わりない。だけど根本が違うんだ。覆い隠せるようなもんじゃねえ」
 丸め込まれた彼女は、揺るがない沢也の態度に過去と同じ覚悟を見た。
 言葉通り、覆い隠そうとしないつもりなのだと受け取った沙梨菜が頷いて見せると、彼はさらりと話を変える。
「だからお前も、いい加減身の振り方を考えろ」
「…え?」
 頭が上手く働いていない状態で不意打ちに対応しきれる訳もなく、沙梨菜は口を開けたまま彼の横顔になんとか焦点を合わせた。
「この程度でこの状況だ。事が過ぎれば火の粉は周りにも降りかかるようになる」
「だから、離れろって事…?」
 まただ、と頭の何処かで何かが呟く。だからこそ、彼女は直ぐに理解した。沢也が何をしようとしているのか。
 彼の首肯により質問が肯定された事で、確信となった憶測を沙梨菜は早速否定する。
「嫌だ。そんなの平気だもん。どうしてそんな事言うの?」
「お前が平気でも、他はどうだ?お前に関わる全ての人間が迷惑を被る事になるんだぞ?」
 妖しい笑顔でそう言われ、日頃お世話になっているプロジェクトメンバーの顔が彼女の脳裏を駆け抜けた。

 そうかもしれない。
 いや、きっとそうなんだ。
 そうなったら確かに困る。
 困るけれど、だからって彼から離れたら回避出来るの?
 少なくとも今より確率は下がるだろう。けどやっぱり、それだけのために捨てられるような感情じゃない。
 こんなに悩まされても、議論している間だけは自分と向き合ってくれる事実が、嬉しくて堪らないくらいなのだから。

 歌と。自分と。
 どっちを取るかと、彼は聞いているのだろうか?
 ううん。他人までもを利用して、あたしを遠ざけようとしているんじゃない?

 それは彼の悪意だろうか?
 それとも、正義だろうか?

 いや。違う。
 本当はそんなのどうだっていいんだ。
 彼がどう思っているかよりも。あたしは。


「沢也ちゃんのいない世界なんて、考えられない」

 そればかり考えているのだから。


 そこで沙梨菜は、先程の沢也の話を心の底から理解したように思えた。
 沙梨菜の正義は彼であると同時に、彼の意思が正義であるとは限らない…つまり結局は自分が正義なのだと。
 夏に、沢也が言っていた事を思い出す。彼は彼女に都合の良い人間ではない。同時に彼女も、彼に都合の良い人間ではないのだ。
 それならば、どうするか。
「沙梨菜は、沢也ちゃんと一緒にいたい。例えどんな場所でも、沢也ちゃんがいない世界に比べたら…」
 そう。答えは出た筈なのに、どうしてこんなにも不安なのだろう。

 それはきっと。

「比べたら?」
 続きを口に出来なかったのは、銃口がこちらを向いたせい。
 鋭い瞳の藍は深く、今にも吸い込まれてしまいそうだった。
 間違って言いなりにならないように、目の前に続く細く深い闇を覗き込む沙梨菜は、考えを整理する為に言葉を仕舞った。
 沢也は彼女の違和感に気付きながらも、銃口を外して結論を言う。
「分かったら、深入りすんじゃねーよ」
 威圧から解放された沙梨菜は、テーブルと向き直る沢也の顔を凝視した。そこから読み取れた微量な感情を、感じたままに纏め上げる。

 これだけしつこく側に居続けているのだ。たったの少しでも、気付けることはある。
 気付いた、と言うよりは殆ど直感かもしれない。それでも不思議と、間違っていない気がした。

 不安なのは、あたしが彼の真意を理解していないからだ。
 そして、彼自身も…ちゃんとは分かっていないのだ。

「沢也ちゃんは、いつもそうだよね」
 間を置いて始まった沙梨菜の言葉に、沢也は目だけで振り返る。同時に眉が吊り上がったりもしたかもしれない。
 それに構わず彼女は続ける。
「そうやって、すぐに遠ざけようとする」
 当たり前だろ、と始まる前に、しかし確かに一呼吸挟んで。
 沙梨菜はゆっくりと身を乗り出した。
「だけど、沢也ちゃんは、沙梨菜が他の人の所に行ったら…沙梨菜を殺すでしょう?」
 半分は願望。もう半分は、先程感じた確かな殺意から来る憶測。
 前に倒れるか倒れないか、ギリギリのバランスでその場に踏みとどまった彼女は、その時初めて。

 沢也の風見鶏が回るのを見た。

 それほど顔に出していた訳ではない。しかしいつも平静を装う彼にしてみれば、十分過ぎる動揺だった。
 沢也自身もそれを自覚していたのか、不自然な沈黙を持って不適な笑みを浮かべた。
「お前、そういう所ばかりは鋭いよな」
 静かな呟きが目の前で紡がれる。それはそのまま耳元まで移動してきた。
「その通り。どう足掻こうとも、お前は俺に殺される運命なんだよ」
 冷たい手が首を絞める。沙梨菜は全てを受け入れながら、沢也の手に自分の指先を添えた。
「お前はそれほどのことを俺にしてきた…その報いだ」
「それなら簡単だよ」
 彼女は呟く。か細い声が彼の強い声と被った。
「沙梨菜は、ずっと沢也ちゃんの傍に居る」
 決意を聞いた沢也は無意識に力を緩める。彼女はその手をしっかりと握り締め、口元に移動させた。
「沙梨菜には解るから。沙梨菜にしか、分からないから」
 何が?と、聞かれるかと思ったが何もなく。代わりに沢也は沙梨菜の手を振り払う。
 残った余韻は彼女の頭に言葉となって流れた。

 どんな些細な感情でも、あたしにはあなたの事が解る。
 あなたの中に、あたしに対する正義が確かに存在するってことも。
 あなたが危険なんかじゃないってことも。

 全ては沙梨菜の正義のままに。

「そこに悪意がねえんだから、質が悪いよな」
「へ?」
 唐突な囁きを聞き逃した沙梨菜は、返答の代わりに追い払う仕草をする彼を笑顔で見詰めた。
 諦めか、呆れか。それとも怒りか苛立ちか。分からないけれど、とにかく不機嫌そうな沢也の舌打ちが追い討ちとなり、彼女を部屋から閉め出した。

 退出した沙梨菜は、廊下を経て再び王座の間へと舞い戻る。迎えたのは有理子と蒼、それから普段であれば寝ている時間の筈の義希だった。
 浮き足立った彼女の様子を見た蒼が、元からあった不思議な空気を払うように人差し指を振る。
「何か良いことでもありましたか?」
 沙梨菜は彼の思惑に乗っかるように、自分の話を割り込ませた。
「沙梨菜は沢也ちゃんに殺されるの。そういう運命なんだって♪」
 にこにこふわふわうふふな調子での発言に、一瞬和みかけた三人が同じタイミングで我に返る。
「ころ…な、何でそんなに嬉しそうなん!?」
 思わず心配を前に出した義希が、ハッとして有理子を振り向いた。有理子は有理子で義希の様子に特別反応を示さなかったものの、何処と無く不機嫌そうではある。
 沙梨菜は三人それぞれの様子からぼんやりとした何かを察し、何度か頷いてはまず自分の弁解にかかった。
「皆には分かりにくいかもしれないけどさ、沙梨菜は沢也ちゃんに沢山愛を貰ってるんだよ?」
 何時にない穏やかな声が彼等を振り向かせる。沙梨菜は順に顔を見渡して曖昧に微笑んで見せた。
「沢也ちゃんの愛の形は、もしかしたら凄く歪んでるのかもしれない。沙梨菜はそれでも受け止めたいけど、沢也ちゃんは絶対表に出さないんだよね」
 静まる空気。彼女は最後に見据えた掌に言葉を落とす。
「迷惑にならなくても、もしかしたら、沙梨菜が壊れてしまうかもしれないから。だからああやって沙梨菜を遠ざけて、他の人を探すように言ってくれるんじゃないかな?」
 勝手な見解は自分の感情を整理するようにして続けられた。
 納得したような、感心したような雰囲気が広がる中で、沙梨菜は素早く顔を上げて嬉しそうに言う。
「そう考えるとね、やっぱり沙梨菜は沢山愛されてるなって。気付いたの」
 終いには言ってる本人が堪えられなくなってかな切り声を上げる始末。それでも義希は心配そうに呼び掛けた。
「沙梨菜…」
「だからね、なーんの心配もいらないよ?」
 彼女の出したVサインが気を使ったようにも見えて、有理子も思わず言葉を濁す。
「そう…なのかしら…」
「もう!二人とも心配性なんだからぁ。カップルは似るってホントなんだね?」
 ぴよんと二人の腕に飛び付いて、ぐいぐいと距離を縮めた沙梨菜は、不意に垂直に直ってピシッと敬礼した。
「じゃあ、沙梨菜はお仕事にいってまいります!」
 そうしてヒラリと身を翻す彼女の背中を、蒼の声が追い掛ける。
「お気をつけて」
 優しい声に全てを託し、沙梨菜はそっと扉を閉めた。







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