新年




 並ぶ文字はハッキリと、そして個性的に。

 美しい形が理路整然と並ぶ「初志貫徹」
 柔らかく曖昧ながらもしっかりとした「有言実行」
 力強く、怨念が籠っていそうな「悪霊退散」


「…悪霊って…」
「仕方ないじゃない。ズバリは書けないんだから」
 王座の間に掲げられた書き初めの一つを見て呟く義希に、作者である有理子がふんと鼻を鳴らして見せた。
 大ぶりの花をあしらった紫色の振り袖は、金と白の豪華な帯も手伝って有理子を華やかに仕立て上げている。
 その不機嫌な表情と、片手に収まる酒瓶さえなければ完璧なのにと。呟きかけた義希は無理に言葉を飲み込んで変な咳をした。
「文字は違えど心は一つ、ですよ」
 青い袴に淡いグレーの着物を着た蒼の声が、二人の背中にかけられる。振り向いた有理子が肩を竦める横から顔を出した沙梨菜も、ピンクの着物とふさふさのファーを着込んでいた。
「沙梨菜も出来るだけお力添えいたしまする!」
「なら今すぐ口を慎め」
 片手を挙げての意気込みを諫めた沢也だけは、いつもの礼服でパソコンを操作している。これから出勤の義希はともかく、彼も接待がある筈なのにと口を尖らせた沙梨菜の隣で、
 有理子が訝しげな顔をした。
「あんたも着物着なさいよ」
「俺がそんな格好したところで誰が喜ぶんだよ」
「沙梨菜」
「無用過ぎて話にならん」
 新年早々溜め息を連発する彼の呆れ声が、パソコンのメール着信音と被って届く。
「海羽だって昨日からずっと我慢しまくってるんだから、あんたもちょっとは我慢して合わせなさい!」
「確かにあいつには同情するが…。俺らが揃ってその格好してみろ?有事の際に身動き取れねえじゃねえか」
 沢也の言うことは確かに正論だ。正論も正論だが、それでも納得しきれないのは彼だけがその言い訳で苦しいのを回避しているからだろうか。いや、そうではない。と、苛立ちの原因を一人究明する有理子が思ったままを口に出す。
「海羽みたいにごってごっての帯と髪飾り付けられてみてから言いなさいよ」
「うるせえ。てめえこそ俺に八つ当たりしてねえでそこに書いてあること実行したらどうなんだよ」
「分かってるわよ!もー!おめでたいのに腹が立つのが余計腹立つー!!」
 そうして彼女が癇癪を起こす程に蔓延したイライラは、何を隠そう昨日から見事に引き継がれており。大宴会で多少は晴れた気もあっと言う間に曇りに変わって今にも雨が降りだしそうだ。
 そんな現状然り。冒頭の「書き初め」然り。その理由はただ一つ。言わずもがな彼のせいである。



 当の本人は周囲の鬱憤など何処吹く風と言った具合に、今日も元気に貴族営業中だ。
「海羽さん、きちんと歩いて下さい。折角の着物が汚れてしまう」
「あ、はい…すみません…」
 初日の出を見に出掛けて帰宅した海羽は、朝からろくに睡眠も取れぬまま、秀に連れられ初詣のためリムを訪れている。
 クリスマスパーティーの時よりも派手で重い衣装と眠気にぼんやりしながら佇む海羽は、進まぬ列の先を見据えて微かな目眩を覚えた。
 大晦日からリムの町が賑わうようになったのは、殆どのモンスターが姿を消した去年のこと。
 昔の風習を色濃く残した町特有の習慣が、他の町村に伝染した感じだろうか?
 国中から集まった人々が、リムのメインストリートを埋め尽くす。お目当ては町の奥にある社だ。
 賽銭を投げ、願い事を心の中で唱えながら手を打って、祈って、礼をして帰ってくる。
 ただそれだけのためにこれだけ人が集まるのだから、きっと凄いことなのだろうと、ハッキリしない頭で考える彼女の口から小さな溜め息が漏れた。
 前を行く秀が並ぶ人々に悪態を繰り返す様を見る度に、彼に気付かれぬよう頭を下げるよう心掛けていた海羽ではあるが、それがどれだけ相手の…そして自分の気休めになるのだろうかと。数を重ねるうちにそんなことを考えてしまった事に、密かな罪悪感を覚える。

 そうして自然と俯く海羽の数歩隣を、参拝を終えた帯斗と諸澄が通り過ぎてはこそりと呟いた。
「なんかすげえの居ねぇ?」
「確かに凄い。滅茶苦茶眩しい」
 雰囲気が違い過ぎて知った人だとは気付かぬ二人は、その後も変わらぬ調子で話を続ける。
「お前、何頼んだんだ?」
「そう言うの、言っちゃダメなやつだろ?」
「良いだろ?別に。減るもんでもねえし」
「減るんだよバカズミ。真面目に御利益減りまくる」
「またまた。どーせ言えないような願い事したんだろ?」
「あー。そうかもな…」
「何だよ。調子狂うな…呼び出したのお前だろ?せめてもっと楽しそうにしろっつの」
 丈の長いコートの裾を靡かせて、頭の後ろに手を組んだ諸澄が盛大に溜め息を吐いた。精一杯の皮肉にも帯斗の反論は無く。
「なぁ」
「ん?」
 代わりとも言える問い掛けは、酷く沈んで聞こえた。
 出来上がった間を利用して帯斗を盗み見た諸澄が、深刻そうな横顔を認めて顔をしかめると同時に彼の口が開く。
「ズミはどう思ったんだ?」
「何が?」
「何って…あの仕事してて」
 つまり、自然観察班の事だろうと理解はしたものの、理解しきれなかった彼は呆れたように天を仰いだ。
「今此処でする話かよ…」
「ならいつする話なんだよ?」
「お前まさか、その為に俺を呼び出したのか?」
「そうだけど…まずかった?」
「本当、真面目だな…お前は」
 あーあ、としっかり項垂れては一人愚痴を呟き始める諸澄を横目に、帯斗も短く溜め息を付く。

 自然観察の仕事は、思った以上に過酷だった。
 崩れた自然の形状は衝撃的で、荒れた土や雨の臭いがそこら中に漂って鼻を刺激する。
 折れた木も。積み重なった岩も。掬われた根も。被害に遭った動物達も。その全てが死と隣り合わせで、危険が見に染みて伝わって来たのだ。
 だからこそ行って良かったと、帯斗は思う。勿論あんなことが起きてはいけない、二度とあって欲しくはないとも思うことも出来た。
 それだけで分かった気になれたような気がして、鬱蒼とした感情からは離れられたけれど。逆にもっと「知らなければ」いけないような、焦燥感に支配されて落ち着きが無くなったように思う。
 そうした自己分析が正しいかどうか、落ち着かない気持ちのやり場に…と思って諸澄を呼び出した帯斗は、あてが外れて思考を別に回した。
 そこでふと思う。
 諸澄は何故、真っ先にあの場に呼ばれたのだろうかと。
「そう言えば。ズミは何を悩んでるんだ?」
「別に」
「俺は話したんだから、話してくれたって良いだろ?」
「お前に聞かせるようなことじゃねえや」
「何だよ。ソレ」
「俺の事より、問題はあっちだろ?」
 話をはぐらかされて不服そうにする帯斗に対し、諸澄はそっぽを向いて続きを話す。
「どうやって理解するつもりだ?」
「知らないけど」
「元々でかすぎて嫌いなんだもんな?」
「五月蝿い。ズミだって顔が怖いとか乙女みたいなこと言ってたろ?」
「乙女だぁ?ふざけんな。あんなん乙女じゃなくても怖いだろうが」
 ばっと振り向き舌を打ち、また視線を流した諸澄は、噂の人物を思い浮かべて眉根に力を入れた。
「あんな、なんの感情も無い顔…怖くない方がどうかしてる」
 呟きは喧騒に掻き消されそうな程に小さかったが、拾い上げた帯斗は諸澄の顔を下から覗き混む。
「前々から思ってたけど。ズミってさ、感受性が強いよな」
「何だよ。感受性って」
「感動しやすかったり、人の感情に敏感だったり、感化されやすかったり」
 互いに正面に直りながら、見えてきた村の出口を見据えると、様々な色から解放された目が森の緑で落ち着いた。
 帯斗は唸る諸澄を置いて一歩前に進む。
「だから、お前は分かるんじゃないか?」
「はぁ?」
「ちゃんと話してみればさ」
「話す?どうやって。ってか俺が分かってどうすんだよ!お前が言い出した事だろ?」
「そうだけど。でも轟さんが言ってたろ?」
「俺らの悩みは云々って?あんなん信じてるのか?」
「ズミだって実感したんだろ?あの仕事して。変わらなきゃって。それって轟さんのおかげじゃないのか?」
「そりゃ…そうだけど」
「なら、もう少し信じてもいいんじゃない?」
 説得の正しさに、控え目な熱意に言い返せなかった諸澄は、帯斗に追い付き溜め息を吐いた。
「分かった。あのロボと話せばいいんだな?」
「流石ズミ。話が分かる!」
 帯斗が突き出した拳に、そっぽを向いた諸澄の拳がコツンとぶつかる。揃って仰いだ空は見事な青だった。
「でも確か、また出張だって言ってなかったか?」
「…だから、帰ってきたらだよ」
 白い息を上げて今後の打ち合わせを諦める。そんな二人の足元を白猫がのっそり通り過ぎて行った。



 所戻って王都の城下町。
「ハルカも大変よね。年明けたばっかりだって言うのに…」
 出勤前にデートがてらと買い出しに着いてきた義希が、有理子の溜め息を聞いて肩を竦める。
「今日は帯斗と諸澄もリムに居るんだって」
「へぇ。なら、あっちで海羽に会ってるかもね」
 八百屋を出て、駄菓子屋に入り、雑貨屋を経て辿り着いた中央広場。
 前を行く彼女は城を出てこの方こちらを振り向かず、どうにもこうにもよそよそしい。
「なぁ。有理子」
「何よ」
「怒ってる?」
「別に」
 回り込んで顔を覗き見ようものなら逸らされて、それすなわち怒ってはいないけどその手前だと受け止めた義希はさっと手を伸ばす。
「持とうか?」
「大丈夫」
「お腹すいた?」
「お腹一杯」
「じゃあ、何?」
「だから、何でもないってば」
 素っ気なくそう言われてはスタスタと。置いていく勢いで先に進まれては敵わない。
 立ち止まった義希はムッと口を尖らせて、早足の有理子の腕を無理に掴んだ。
「ごめん。流石にもう限界。気になって気になって仕方ないから、踏み込むぞ?」
「馬鹿。こんな日に、こんなところでおっ始めることないでしょ?」
「そうだけど、でもでもでもでも」
「あー!もう、うるさーい!」
 有理子が控え目に叫びつつ、注目を振り切るようにして腕を動かすと、義希の腕がパッと離される。
 不思議に思って顔を上げれば目の前に彼の姿はなく。
「ちょ…大丈夫?」
 たまたま脇で転んだであろう女の子を助け起こしにかかっていた。
「はい、あの、私は大丈夫ですから…」
 慌てて立ち上がった彼女は、着物の汚れを払いながら有理子を横目に捉える。申し訳なさそうなその表情を見て、逆に申し訳なくなった有理子が溜め息を漏らすのに気付いた義希の顔色が変わった。
「もしかして」
「もしかしなくても」
 有理子は女の子に礼をして、固まる義希を回収する。そして早足に広場を抜けながら、小声で捲し立てた。
「誕生日に出掛けた時も、クリスマスパーティーの準備中も、パーティーの最中も、今も!やたらと皆に気を利かせて、いらん世話して、世間話して…昔のナンパ癖、全然直ってないじゃない!」
「いや、今のはただの親切であって、ナンパでは…」
「あんたにとってはただの親切でも、相手にとってはそうじゃないかもしれないじゃない。だからわたしが、メイドさん達や財務課の子達から心配される羽目になるんじゃない!」
 えっ?!と擬音が付きそうな勢いで目を丸くした義希は、やっとのことで足を止めた有理子に問い返す。
「それは…その…。まじで?」
「ほら見なさい。全く気付いてなんてないんだから」
 呆れて溜め息を吐く有理子からは、最早怒りすら感じられない。
 思い返して落ち込む彼の様子を盗み見て、彼女は静かに気を落ち着かせる。
「もういいから行きなさい。里帰り期間終わってないんだし、小太郎を待たせるんじゃないわよ?」
「…わかった」
 そう答えるしかなかった義希は、着物姿のまま荷物を抱える有理子の背中を力なく見送った。


 そんな彼がそのままの調子で駐屯地の扉を潜ると、当然の反応が返ってくるわけで。
「…何があったし?」
「いやぁ、まあ…ははははは…」
 誤魔化しきれない誤魔化しを繰り出す義希を訝しげな眼差しで見据えるのは小太郎だ。殆どの隊員が正月休みの最中にあるため、交代時間の今も室内には数人が居るだけである。
 テーブルの上には朝早くにボスが差し入れてくれたであろうおせちが鎮座していた。
 出汁の香りにつられて、昼食もしっかり過ぎるほど食べた義希の腹の虫が鳴いた所で背後の扉が開く。隙間から見えた黒に反応した義希が半端に口を開く横から。
「倫す…」
「本隊長さん!」
 と、勢い良く飛び交ったのは圓の熱意ある呼び声だった。
 驚いたのは義希だけではないようで、呼ばれた本人である倫祐も心なしか及び腰で戸を閉める。
「おせち、美味しかったです!特に栗きんとん、最高でした!」
 詰め寄りこそしなかったものの、瞳を輝かせて息巻く圓が指差すそれを、義希が早速開けにかかった。倫祐はその間に小さく頭を下げて応答する。
「圓はすっかり倫祐に胃袋掴まれたなぁ?」
「はい。お城の料理も美味しかったですけど、本隊長さんの料理も素晴らしいと思います」
「私のは不味かったってのか?」
 不意に割り込んだ低い声の主は、伊達巻をかじる義希の首に巻かれたままのマフラーを取りにかかった。
 問われた圓はその様子を眺めつつ、盛大に首を振る。
「勿論ボスのも。佃煮の味付けが深くて…」
「料理教室かここは!」
 再び食の世界に入り込まんとする彼に小太郎が歯止めをかけた事で、話題は仕事方面へと逸れていった。
「倫坊は今日からクリフだろう?こんな所でのんびりしていていいのかい?」
 義希からコートとマフラーを剥いだボスの問い掛けに、倫祐は頷いて答える。
「迎え来るん?」
 かまぼこを頬張る義希の問いにも頷き。
「リーダーか」
 最後の小太郎の呟きにも、彼は首肯だけを返した。
「んじゃ宜しく言っとけや」
「オレもオレも!」
「あの、じゃあ…僕も…」
 三人揃って挙げられた右手に、頷く代わりに煙草をくわえた倫祐が、喫煙室に消えていく。
「ほれ義坊!いつまでも食ってねえで引き継ぎしちまいな!」
「むぐっふ!」
 ばしんと背中を叩かれても根性で吹き出さなかった彼を称えつつ。小太郎と圓は書類とイヤフォン型通信機をテーブルに乗せた。


 一方城に帰還した有理子の方はと言うと。


 沢也が桂剥きして「ツマ」にした大根をお造りに添えて、元旦から出勤してくれたメイドさん達に頭を下げる。
 着物は動きにくいことこの上ないが、この立派なお造りにスーツを合わせる程無粋な事もないかと、思い直して厨房を出た。
 接待は宴会セットを流用し、赤を青に変更しただけの掘り炬燵スタイルである。ついでに野点用の傘やら梅の花等を置いてあるので、実際の所それなりに立派に見えた。
 王座の間に入り、手短に礼をして客人の前にお造りを置くと、あちらから丁寧な挨拶が返ってくる。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます夏芽さん、お久しぶりです」
 いつもと同じ、シンプルな正装で正座する彼は、小首を傾げて苦笑した。
「昨年はメールのみのやり取りでしたからね」
「本業の方もお忙しいようですから」
「はい。お陰さまで。しかしたまには風景画や人物画に没頭したいところです」
 蒼の言葉に苦笑を濃くした夏芽のぼやきは、酒瓶が差し出された事により中和される。
「短い間ですが、ゆっくりなさって下さいね」
「お言葉に甘えて」
 有理子の労いを素直に受けた夏芽が、隣の孝と会話を始めるのを待って、続く配膳が開始された。
 幸いこの時間は、蒼や沢也のせめてもの休憩も兼ねて、来訪者は二人だけの静かなものである。それでもお重を一つ広げて置くと、テーブルの上が更に華やかになった。
「蒼くん、またお見合いするそうですね?」
「はい。クリスマスに言質取られてしまいましたから」
「それはまた…苦労されたことでしょう」
 困ったように肯定する蒼に、正面の孝が眉を下げる。その斜め向かいで沢也が溜め息を吐いたところに、下座に居る有理子が質問を落とした。
「でも、何で夏芽さんが知ってるんですか?」
「最近は見合い写真の修正とやらを頼んでくる人も居るんですよ」
 なんとなしに答えたつもりであろう夏芽は、俄に硬直する空気に瞬きを返す。
「あの合成…」
「夏芽さんの仕業だったんですか?」
 同じような仕草で額を押さえる沢也と有理子を見て、夏芽は手を振り慌てて否定した。
「いえ、ぼくは断っているんですが…結局そうなっているんですね?」
 半信半疑な質問を受けた蒼が、山程送られてくる写真の中から一山取り出して見せると、孝と夏芽の目が丸くなる…を通り越して細くなる。
「恐れ入りました」
 全てを拝見して返却した夏芽は、気を取り直して食事に意識を戻した。
 彼と沢也が経済についての語りを始めるのを見計らい、蒼は孝と向き直る。
「それで、孝さん…」
「はい。スケジュールを、と言うお話ですね?」
 素早い切り返しに蒼が頷くと、孝も首肯して手帳を取り出した。
「新年の挨拶が詰まっているでしょうから、今月は避けるとしまして…」
「恐縮です。では来月中に、如何ですか?」
「そうですね。早い方が良いでしょう…」
 そう言ってふわりと頷く孝の様子から、何かを感じた蒼が詮索に入る。
「急ぎの用ですか?」
「急ぎ、と言うわけではないのですが。経験上早いに越したことはないと思いまして」
 ふむ、と頷く蒼の表情は相変わらず笑顔だったが、孝は言い分けるように続く言葉を並べた。
「なんと言うことはないのです。ただ、貴方の意見を伺いたいだけで…」
「僕の…ですか?」
「勿論、沢也さんも。しかしまずは貴方にと思っております。他の用件も兼ねまして」
「他の、ですか?」
 何処かワクワクとしても見える蒼の呟きは、孝を僅かに萎縮させる。
「楽しい話になる保証はありません。ですが、どちらも大切な話です」
「はい。承知しております」
「本当なら、此処である程度お話してしまっても構わないのですが…」
 言いながら大扉を横目に見据える孝を見て、蒼は直ぐ様答えを返した。
「いつ帰還するか予測が付きませんから。後日腰を据えて話すのが宜しいかと」
「やはりそうですか。あの方もなかなか懲りないようで」
「仕方がありません。懲りる部位がないようですから」
「それはまた、ある意味羨ましい限りです」
 皮肉を苦笑混じりに笑い、孝は背後の書き初めを振り向く。つられて夏芽もそれを眺めて、三者三用の文字に同意の頷きを繰り返した。


 その後幾つかの日程を調節し終え、孝と夏芽が家路に付いた頃。
 一組の来客を迎えたその後に、数人の連れを携えて聖が訪れた。
「お久しぶりです。陛下。昨年は大変お世話になりました」
「こちらこそ」
「今年も何卒宜しくお願い致します」
 暫く貴族院にも代理人が参加して居たため、顔を合わせるのは本当に久々となる。蒼と沢也が並んで座ると、彼は挨拶もそこそこに雑談に入った。
「しかし藤堂くんがあんなことになるとは、思いもしませんでしたよ」
 横から差し出されたお猪口を取り、酌を受ける彼は苦笑混じりに続ける。
「お陰さまで、年末は散々でした」
「事件と調整とが被りましたからね」
「狙ってやられたのですか?」
「まさか。たまたまですよ」
 冗談半分の茶々を軽く流した沢也は、小皿を正面の付添人に流すついでに腰を上げた。
 聖はそれを横目に蒼に話を振る。
「大きな事件も片付いたようですし。今年は何に着手する予定でいらっしゃいますか?」
「そうですね。まあ、色々と」
「そろそろ外に目を向けるべきだとの声もありますが」
「その辺りはまた、貴族院で協議させて頂きますよ」
「また進まぬ会議でお茶を濁すおつもりですか?」
「進まないのは双方が折れないせいでしょう。本当ならもっと有意義に時間を使いたいのですけど」
「仰る通りではありますが。そこがあなた様の腕の見せどころでは?」
「僕は体のいい仲介人ではありませんよ?」
「おや。手厳しいですね」
 腹の探りあいはそこで中断された。戻ってきた沢也が、二人の間に練りきりを並べたのである。
 国の紋章を型どったそれは白く、制作者である海羽の特徴を良く表していた。
 丸く小さなそれを前に、楊枝を手にした聖は思い出したように問い掛ける。
「ところで、秀くんは迷惑をかけていませんか?」
 短い間は、彼が練りきりを口にするのを待った事で出来たものだ。蒼は聖が顔を上げると同時に問い返す。
「迷惑、ですか?」
「迷惑なら迷惑と、本家に苦情をいれた方が良いですよ?彼は直ぐに調子に乗る悪い癖がありますからね」
「そうですね。考えておきます」
 曖昧な返答にも頷いて、聖はゆっくりと菓子を味わった。そして遅れて出てきた緑茶までを味わって一言。
「私の方からも釘をさしておきましょう」
 そう言って、彼は満足気に席を立った。
 後を追った二人に「何分予定が混み合っているもので」と言い分けた聖は、連れが支度を整えるのを待って退出に向かう。
「ああ、そうそう。海羽さんに宜しく言っておいて頂けますか?また顔を見に伺いますと」
「承知しました」
 部下が扉を支える間、振り向き気味にそう言い残す彼を、蒼と沢也はただ静かに見送った。

 結局その日、秀と海羽が返ってきたのはすっかり日が暮れてしまってからで。当然、倫祐が出張に出向いてしまった後だった事から、恐らくそれを狙って引きずり回したのであろうと。人知れず有理子の怒りを誘ったのは言うまでもない話か。
 新年早々振り回された海羽とハルカは、ゆっくり寛ぐ暇もないままに深い眠りに付いたのだった。





cp60 [大晦日]topcp62 [正義と悪意]