File2”D区画・路地裏” 義希がくれあの家から飛び出したのが、丁度午後4時頃のこと。 そこから時は遡り、時刻は午後2時少し過ぎ。 「この辺りが一番賑わう場所ですね。近くに噴水広場があるから」 城下町のメインストリート、その中程を歩く二人の男女のうち、女の方がそんな簡単な説明を口にする。 「本当だ。屋台も出てるみたいですね?」 彼女が示した噴水広場を遠目に眺め、頷いたのは細身の男だ。襟足を擽る黒い髪に、優しい印象の茶色の眼差しを持つ彼は、きょろきょろと辺りを見回してはその景色を記憶していく。 「友達情報だと、黄色いワゴンのクレープ屋さんがおいしいとか」 「ふむ。後で時間が余ったら寄ってみましょうか?」 「じゃ、残りの半分、パパっと回っちゃいますか」 互いに笑顔を向かい合わせ、並んで広場を横切らんとするその二人。 有理子と八雲。 彼等は八雲の赴任初日に交わした約束通り、現在城下町の観光案内の最中である。 仕事中は高い位置に纏める赤髪を下ろし、アネモネの髪飾りを胸に付けた有理子は、慣れた足取りで広場を目指す。それに並ぶ八雲が、うねる黒髪を靡かせながら思い出したように切り出した。 「それにしても、本当に良かったんですか?」 「え?何がですか?」 唐突な問い掛けに首を傾げた有理子に、八雲の困ったような笑顔が降り注ぐ。 「こうして案内してもらえるのは嬉しいんだけど、聞いた話によると…」 「何を聞いてきたか知りませんが、わたしはただ街を案内しに来ただけで、何もやましいことをしているわけじゃありませんから。良いもへったくれもないんです」 詳細を聞かぬうちに言い切って、有理子はプイッと前方に向き合った。心なしか速くなる進行速度に気付いた八雲の口から、思わず独り言が溢れる。 「その様子だと、噂は本当のようですね?」 「……八雲さん?」 「おっと、失礼。でも早いところ仲直りしておくに越したことはないと思いますが?」 悪びれずサラリと言ってのけた彼は、こめかみを押さえつける有理子を見下ろして微かに首を傾げた。 「何であなたまでがそんなことを…」 「何を仰いますか。ご自分の人気くらいは自覚なさった方が宜しいかと」 「人気……ですか…」 「回りの目がギラギラしていて仕事がやり難いんです。宜しくお願いしますよ」 余り深刻そうに聞こえない口振りで釘を指した八雲。 そもそも彼が勤める民衆課とは、国中から集められる民衆関連の書類をチェック、処理する事務専門の部署で、各町村に置かれた役所の一番上のポストに当たる。分野的にも沢也の取り仕切る仕事に一番近い為、沢也自身もちょくちょく出入りしているらしいが、課長は孝の部下として働いていた元執事が勤めており、彼の人柄のせいもあってか比較的おっとりした人種が多い。それ故に、回りの目がギラギラしているとは……有理子的には如何にも信じ難い話なのである。 「あ、その感じは……もしかして信じてない?」 訝しげな表情を覗き込むようにして呟く八雲を、有理子の膨れた頬が見上げた。 「当たり前です」 「ギラギラする理由は、何もあなたを狙っているからと言うわけでは無いんですけど」 「誰がそんなことを言いましたか。心配してくれてるんだろうな、とは思ってましたけど」 「それなら、やはり早期的に解決して欲しいです」 「それが出来たらどれだけ楽か…」 「このままだと、誰かしらがあなたのお相手を襲撃しかねませんよ」 「彼等がそんな過激なことするわけないじゃないですか」 「大人しい人ほど、怒ると怖いって良く言いません?」 「……それは、そうですけど」 そうして唸る有理子を横目に、八雲は広場の入り口に到達する。 広場の中央を占拠する5段重ねの噴水。水しぶきを上げるそれを取り囲むようにして広がるのが、噴水広場と呼ばれる城下町の中心部だ 。 メインストリートを始め、南通りや倉庫街から繋がる道など、主要通りの全てが交わるその場所には、日替わりで数々の即席屋台が並んでいた。 一口に屋台とは言ってもその種類は様々で、クレープ屋を始めとする食品関連や、風船売りに靴の修理屋まで、多種多様な業種が入り乱れている。それだけではなく、大体が街の外からやってくる商人が出店しているせいもあって、キャンピングカーや荷車、幌馬車などの大型屋台は勿論、シートを敷いて商品を並べただけの簡素な店などなど、その形までもが個性的なのだ。 日によってまちまちだが、時には大道芸や紙芝居なども行われており、商店街とはまた別の意味で賑やかな空間である。 その広場の管理も国が行っており、出店や催しものの許可を出すのも、民衆課の仕事の一つ。八雲は横切る片手間その雰囲気を飲み込んで、広場を出ると同時に話の軌道を元に戻した。 「そもそも、何故ケンカなんか?」 「そもそも、喧嘩している訳じゃありませんし」 そう言って溜め息を吐き出す有理子の横顔からなにかを察した八雲は、ふむと一言間を置くと。 「浮気でもされましたか」 言いにくい事を何の躊躇いも無く呟いた。面食らった有理子は口を尖らせながらも悔し紛れに喰ってかかる。 「そんなこと、知りません」 「冗談ですよ、怒らないで下さい」 「別に怒ってなんかいませんし」 「……もしかして図星ですか?」 「……痛いところ付いてきますよね、八雲さんって。っていうか、普通言いますか?そういうこと」 「すみません、思ったことは口を突いて出ていくタイプなもので」 「羨ましい限りです」 最初に話した穏やかな印象から、蒼に似ているかもしれないと予測したのが間違いだった。有理子は心の片隅でそう呟きながら、表面上でも隠しきれずに溜め息を溢す。 しかし八雲はそんなことは気にも止めず、既に街の景色に意識を移していた。それが若干気に触ったのか、瞳にじっとりとした影を落とし、有理子はぽつりと問い掛ける。 「それより八雲さんの方こそ、良いんですか?」 「何がです?」 「わたしに案内されたりして」 八雲は有理子の放つ含みのある言葉にも動じることなく、素早く一つ頷いた。 「それは勿論光栄ですよ。私には甲斐性と言うものがありませんから」 「特定のお相手は居ないんですか?」 「居たら今頃はその子とケンカになってますって。こんな美人さんと並んで歩いてるわけですし」 掌で自らを示された有理子は、沈黙を持ってその発言に抗議する。 「呆れないで下さいよ」 両手の平を空に向けた八雲に盛大なため息を浴びせ。有理子は力なくこう呟いた。 「呆れたって言うか…思ったよりおしゃべりなんですね」 「良く言われます」 臆面もなくにっこり笑って首肯した彼に苦笑して、有理子はぴたりと足を止める。 「それより、ここが鑑定所ですよ?仕事でも良く使いますから、しっかり覚えておいて下さいね」 「随分離れた位置にあるんですね」 「郵便の集積所はもう少し手前にもあるんですけど、民衆課は書類仕事の関係で此方に来ることの方が多いんですよ」 休日にも関わらず、染み付いた仕事モードで指差した建物に八雲を誘導した彼女は、文句も言わず続く彼と二人、縦に並んで忙しなく開かれる戸を潜り抜けた。 鑑定所とは、もともと「換金所」と呼ばれていた場所そのものである。 そもそも換金所と言うものは、モンスター繁栄時代に広まった「郵便局」の別の名前で、元々はその名の通り郵便のやり取りをするための施設として作られたものだったらしい。それをまた元の形に戻すと共に、モンスターによってもたらされたとも言える知識を合体、進化させたのが現在の鑑定所だ。 鑑定所は各町村に一つ、もしくはそれ以上存在しており、主に換金所の運営者と国の部署である町村課(各町村に設置された役所を運営する部署)の人間で構築されているが、王都には町村課が無く、その上の部署である民衆課の人間がそれに当たる。 民間人はこの場所から国の書類を入手、記入して提出することが多い。 要は郵便と国が発行する書類に関する窓口と、宝石の鑑定や金銭の管理などの役割を担う、国にとっても重要な施設と言える。そんな機関を民間人である元換金所の運営者に任せたのは、国の人手不足もそうだが、彼等が職を失わない為でもあったのだが、それはまた別の話。 さて、有理子は顔馴染みの職員に八雲のことを紹介し、そのまま鑑定所内で仕事に関する情報を話して聞かせる。 郵便の集荷時間が朝の7時と夕方の4時であること、伝票の書き方、金融管理の機械の取り扱い、民衆課の窓口係のローテーションなどなど、キリがないのではないかと不安になるくらい長い説明と質問の応酬、そして出るわ出るわの八雲と鑑定所員による脱線話が終了したのは、彼等がここにたどり着いてから実に一時間半後のことだった。 「ほら、八雲さんのおしゃべりが長いから…」 「ああ、日が暮れてしまう」 夕焼けに焼かれつつある町並みを切なそうに眺める二人は、その表情とは裏腹に早足でその場を後にする。 「先に聞いておきますが、監視塔とクレープ屋の他に見たい場所は?」 「そうだな。良い感じの雑貨屋なんかありませんか?」 「それなら、丁度帰り道にありますよ」 「じゃあ後ほど少し寄らせて下さい」 「了解です。とりあえず近道して、監視塔まで急ぎましょう?」 最早仕事もプライベートもいっしょくたになっている当たり、有理子に負けず劣らず八雲も仕事脳のようだ。現に何の打ち合わせもしていなかったのにも関わらず、仕事用のメモを持参してきているのがいい証拠だろう。 競歩の速度で進みながら、2人は有理子の指示した路地を人の流れの向こうに見据えた。 監視塔とは街の入り口に当たる橋の出口の両脇に聳え立つ塔のこと。そこをスタート、及びゴール地点として街をぐるりと囲うのが、海風から街を守る防風壁である。 それや橋そのもののメンテナンスを依頼することなどを含め、その場所に関する仕事も民衆課には山ほどあるのだから、せめて顔を出すだけでも今日中に済ませてしまいたい。 有理子は頭の片隅でそんなことを考えながら、大通りから小路に足を踏み入れる。 道幅も広く、見通しが良い賑やかな場所からうってかわって、両脇を壁に挟まれたその道は、二人がなんとか並んで歩ける程度の道幅しか無く、前方には乱雑に積まれた木箱やごみ箱等が並んでいて、足元が良く見えない。おまけに所々に各方から無秩序に小道が連結されているため、通り抜けるだけにしても余り気が抜けない場所だ。 それは勿論この街を歩き慣れた有理子だからこそ感じることであり、まだ街に来て日が浅い八雲にとっては単なる路地裏と大差ないのだろう。それを証拠に、見上げた先にある狭い空の色を確認したり、箱の上で眠る猫に手を伸ばしてみたり、先と変わらずリラックスした様子だ。 あのトラキジの子が可愛いとか、あんなところに窓があるとか、ここは食堂の裏口かな?とか、八雲が放つ他愛のない話題に耳を傾けつつ、周囲にセンサーを張り巡らせていた有理子が、路地の中央付近でピタリと足を止める。 「どうかしましたか?」 「いえ、なんでも」 驚いて問い掛ける八雲に肩を竦め、彼を背に進行を再開した彼女は、前方を向いたまま小さな声を出した。 「…八雲さん、武術なんかできたりしませんよね?」 「そうですね。こっちなら、少しは」 空を切りつけるように頭の上から降りてきた両腕。その動きを横目に捉えた有理子が、小首を傾げて問い直す。 「剣、ですか?」 「趣味でね」 「それなら、なんとかなるか、な…?」 照れたような返答を受けた彼女が頷き、口の中でそう呟くと同時。数メートル先にある交差点から、恐ろしい程の速さで光の筋が伸びてきた。 瞬時に反応し、有理子は予め手の中に呼んでいた小さなクナイを近場の木箱に投げつける。それは目的の場所に接触すると同時に、盾に似た円形のバリアを生み出した。 「伏せて!」 衝突寸前に響いた声に反応出来ず、引き摺られるようにしてごみ箱の影に座らされた八雲の視界を、眩い光が覆い尽くす。 通り魔。 その情報は二人の耳にも入っていた。 だからこそ有理子は自らの武器を、普段は持ち歩かないポケットルビーごと持ってきたのだから。 それでも八雲が油断していたのは、二人の関係性が恋人同士ではなかったから。 手配書に書かれた情報はこうだった。 最近多発している通り魔による傷害事件について。 今週に入って既に5件、手当てが早かった為幸い死者は出ていないが、被害に遭った5人中二人が重傷を負わされている。 狙われるのは主に仲睦まじく歩く男女……つまり、カップルだ。そしてそのうちの片方だけが、何らかの方法で怪我をさせられる。 犯行に使われる凶器は謎。傷口はナイフで刺されたような形状、もしくは切りつけられたようなものが殆どだが、そのどれもが多少の火傷を伴っているらしい。 裏路地から大通りまで、各所で発生しているにも関わらず、犯人の目撃情報はなく、それらしい武器の類いも発見されていない。 閃光が収まると、周囲には喧騒だけが残される。硬く目を閉じて身を縮めていた八雲は、小さな間の後に金属音を聞いた。 顔を上げると、何かを投げた体勢から立ち直り、次の武器を取り出す有理子の背中が見える。 「舌打ちしてる余裕があるなら、早いとこ逃げたら?」 その先にある曲がり角、伸びた影に向けて挑発を飛ばす彼女が三本目のナイフを投げると、お互いの中間地点で弾けるような音がした。 「お前、何者だ?」 「見た通りだと思うわよ?あなたは、今噂の通り魔ってところかしら?」 「……近衛隊、では無さそうだが…」 「あなたと違って、一般人でないことは確かよ」 攻撃が防がれた上に、言い当てられた事で動揺したのか、顔半分を壁から覗かせた人物は、歪めた顔で有理子を睨み付ける。 「有理子さん、あんな事を言ってしまった手前悪いんですが…」 状況を把握した八雲が有理子の背中を詰まんでこっそりとした挙手が、僅かな緊張を緩和させた。 「腕前は期待しないで下さいね…?」 困ったような笑顔が有理子の視界に映り込むと同時、犯人の手元から飛ばされた何かが、彼女の腕を掠めて地に落ちる。 「見られたからには、生きて帰すわけにはいかない」 体を捻ることでギリギリ避けたが、服を割いたそれは有理子の右腕に赤い筋を残していった。確かに落ちた筈なのに、既に目視することができない武器の正体は。 「やっぱり、マジックアイテムか…」 有理子がそう声に出して確認すると、前後の二人も各々の反応を示す。 「近衛隊に連絡を…」 「するなら沢也の方が確実です」 「分かりました、すぐに…」 頷くと共に片手で携帯を操作し始める八雲を妨害せんと、彼に攻撃が向けられた。 「そう簡単にさせるか!」 男が指先を僅かに動かして標準をずらす間にも、防御の準備を終えた有理子は、バリアに弾かれた飛来物を見届けて眉をしかめる。 「甘く見られたものね」 目を見開く男に聞こえぬよう息を吐き、彼の手元を注視する彼女が未然に攻撃を予測できる理由には、相手も気付いている筈だ。 恐らく、犯人が放っているのは光の刃だろう。手元に握った何かを操作すると、装置が作動してランプが点灯する。攻撃が来るのはその数十秒後…つまり、かなりのタイムラグがあるのだ。 最初こそ偶然だったものの、すぐにそれに気付いた有理子は、タイミングを見計らってバリア付のナイフを投げているに過ぎない。 男は暫くの間沈黙していたが、八雲が携帯を耳に当てるのを見て動きを再開する。 腰の脇に左手を、それに添えるようにして右手を。そのまま前傾姿勢で駆けてくる様子からして、恐らくは… 「下がって下さい!」 一本のバリアナイフを投げ、それが発動している間に大きなナイフを二つ取り出して、有理子は男を迎え撃つ。 透明な壁に向けて腕を振り、もう一度元の体勢を立て直した犯人の手に握られているのは、少しばかり立派なボールペンだ。 有理子がそれを認識し、目の前に迫る男のフードに隠れた瞳を目視した瞬間、視界の端がキラリと光る。 咄嗟に前に出したナイフが受けたのは、ボールペン本体から伸びた光のナイフ。それは有理子のナイフにヒビを入れると共に消え失せた。同時に、男も彼女と間合いを取る。 「しくじったら命はない、か…」 今まで死人が出なかったのが奇跡に思えるくらいの殺傷力。しかし確実に当てに来る所から躊躇いが無いのは認めるが、どうにも動きがぎこちない。 「そのアイテム、何処で拾ったんですか?」 「お前には関係ない」 「それが無ければ私でも勝てそうな気がするんだけど」 連絡を終えたのだろう、後方から挑発的な言葉を投げ掛ける八雲に、男の大きな舌打ちが答える。 「これが無きゃなんにも出来ないとでも言いたげだな」 「違うんですか?」 「分かってるさ。その手には乗らない」 男はポケットから取り出したカプセルを口に放り込むと、激しく震える右手を左手で押さえ、マジックアイテムをきつく握りしめた。 「やはりそう簡単に捨ててはくれないか」 その間にも悠長にそんなことを呟く八雲に向けて、男は覚束ない足取りのまま歩を進める。二人の間に立つ有理子は、フラフラと此方に歩いてくる男の様子に寒気を覚え、そのまま数歩後退した。その直後。 「走って、八雲さん!」 「しかし…大通りに出すわけには…」 スピードを増して二人に迫る男の表情が、捲れたフードの下で大きく変化する。 「この世の為に死ね!幸福者!」 低い声に合わせて引き抜かれた刃にナイフを飛ばしかけた有理子は、その瞬間自分を素通りしようとする男に気付いて冷や汗を流した。 足場の悪い中、それでも凄い速度を保ったまま八雲に向かっていく彼の足を止めようと、有理子が咄嗟に投げたナイフがバリアを生み出す。阻まれた行く手をマジックアイテムで切り開き、再度構えを直した男は、不安定な体勢を左右の壁で立て直した。 目の前で背を見せつけられ、伸ばしかけた腕を一振りに遮られ、遠ざかる背中に向けて投げた5本のナイフも叩き落とされ、それでも諦めずに有理子は追加の一撃を放つ。その間にも八雲との距離を詰めた男は、嬉々とした眼差しをぐるりと反転させる。 彼が飲んだのは、恐らく強化剤だろう。マジックアイテム同様裏社会で出回っており、身体的能力を無理矢理引き出す上に、極度の興奮状態に陥る一種の麻薬だ。 八雲もそれに気付いたのだろう、逃げる途中拾い上げた傘を手に近場のごみ箱を蹴り付ける。 足元を掬われた上に、背後からは有理子のナイフ。それでも男は八雲から視線を逸らさなかった。 転げるようにしてごみ箱の前に出ると、足下を狙ったナイフがそれに阻まれて鈍い音を立てる。路地の入り口で振り向いた八雲に、中距離から男のボールペンが光を発射した。 「そこまでだ!」 八雲と男の間で攻撃を相殺したのは、銀色の輪っか。夕陽を背に大通りに佇むのは、叫びを上げた帯斗と、チャクラムを弄ぶ定一だ。 「もう到着したのか?」 「うちの通信網を甘く見てもらっちゃ困るな」 男の舌打ちにふんぞり返って答える帯斗を見て、傘を盾に固まっていた八雲の口から安堵の溜め息が漏れる。 「降参するなら今のうちよ」 そう言って両手にナイフを構える有理子を体半分振り向いた男は、茶化すように指先のボールペンを回した。 「そうだな。目撃者を消す意味は無くなったが」 パシリと受け止めたそれを高い位置に掲げ、彼は堂々と言葉を繋げる。 「腹いせに、役目は果たさせてもらおう」 「役目?」 「そうだ。てめえらみてえな幸せそうな奴等の、片割れをぶっ殺して悲しい目に合わしてやる……それが俺の役目」 「勘違いしないでください。私達は…」 「役立たずは黙れ!」 男がピシャリと八雲の口を封じたことで、束の間の静寂が訪れた。沈黙の上を流れる湿った風に合わせて、八雲に狙いを定める犯人の横顔に、暗がりから有理子の嘲笑が注がれる。 「要は大掛かりな逆恨みってとこか」 「んだと?!」 「それなら殺るのはわたしでも良いわけだ」 挟み撃ちの形を崩すわけにはいかない現状で、慣れない仲間同士飛び道具を扱うのは危険だ。有理子はそれを悟られぬよう注意しながら、無理にでも男の興味を自分に向けさせようとする。 「ねえ、そうでしょう?早くかかって来なさいよ」 上手いこと眉を逆立てた犯人に口端を緩めた有理子を、再び寒気が襲った。 「この状況で挑発してくるとは…」 男の手元が発光を始める。それは夕陽が放つ光をかき集めるようにして増大を続けていた。 「良い度胸してんじゃねえか!」 彼の持つアイテムは、ペンの頭に付いたミラーで光を収集して効果を発動させる。つまり、日光が当たる場所で使用すれば必然的に能力が高まると言うわけだ。 有理子はまずそのミラー目掛けてナイフを投げる。続けて男の後方と前方に向けてバリアナイフを。これでこの一撃はなんとか防げる筈だ。 小さすぎる鏡には命中しなかったものの、弾かれたボールペンが男の手元に落ちる。それは有理子のバリアと路地の壁に亀裂を生んだ。 「通行人を遠ざけて下さい、早く!」 「心配には及ばないよ、参謀から指示は出てるからね」 慌てる八雲に悠長な返答をするのは、相変わらず指先でチャクラムを回す定一。業を煮やした八雲が彼を振り向くと、定一の視線は犯人の遥か向こう側を捉えていた。 「これで…」 引き抜いた光のナイフを振りかぶる男、その刃目掛けて飛んだクナイが地に落ちる。 「何かにぶつかると消失するんでしょう?それ」 「だからなんだって?」 通り魔は有理子の言葉に動じることなく呟くと、発射口を有理子へと向けた。そして、狂ったようにペンの頭をプッシュする。 「あの夕陽から蓄積した光、全部くれてやるよ!死ねえぇぇぇ!」 機関銃のように乱射された光線は、薄暗い路地を明るく照らし出した。 その全てを弾き飛ばさんとナイフを構えた有理子の腕は、不意に後方へと引っ張られる。 「間に合った…」 呟きは光の壁の内側で。 自らを庇うように立ち塞ぐ金髪を見上げながら、有理子は思わずその名を呼んだ。 「義希…」 彼は振り向かず、代わりに前へと跳躍する。 「なっ…」 「殺すなんて、そんなこと、させるかっ」 目を見開く男の腹部に斧の柄を打ち込んだ義希が、そのまま突進をかけたことで二人は横倒しになる。 その拍子に犯人の手から転げ落ちたボールペンが、数秒間の回転を経て、立ち尽くす有理子の足下で観念したように動きを止めた。 cp05 [蚊帳の外]← top→ cp07 [君との距離] |