Eve 12月22日。 パーティーの準備は城内の人員総出で行われた。 元々はボーナス付きの有志だったものが、去年から「給料など要らないから手伝わせてくれ」との要望により全員参加になったわけで。そのような要望が殺到した理由は様々だろうが、まかないとしてパーティー用の料理のおこぼれが食べられる事が主な要因であろうか。 今回準備初参加となる民衆課の八雲曰く、イベント特有の空気と滅多に触れる機会のない高級感に加え、普段交流のないメンツと一緒に仕事が出来る新鮮さが良いらしいとのこと。 それに止まらず「関わりの浅い上司に近付かんとする淡い下心も無きにしもあらずです」とは、八雲がこっそり義希に送った警告である。 彼と彼女は公認の仲とは言え、喧嘩の噂やら結婚の気配が無いことなどから、様々な根も葉もうっすらある憶測がみんなの心の中にあり。沢也はともかく、沙梨菜や蒼も未だ決定的な相手が居ないことも手伝って、仲良くなっておいて損はない精神が、少なからず蔓延しているようだ。 尤も、敢えて波風を立てようなどと言う物好きはなく。だからこそ、端から見てどうにも手が出せそうにない海羽等には、近付いてくる異性も居ない様子。 従って、忠告を受けていながらものほほんと準備を眺めていた義希ではあるが、自身もその対象であることに気付く素振りはなく。人知れず有理子をやきもきさせていたりとかいないとか。 とにもかくにも、当日の昼間を含めた三日間。いつもと変わらぬ平和な街の警備を終えて城に戻った義希は、のうのうと自室で着替え、人の集まり始めた頃を見計らって、会場となる王座の間に顔を出した。 常設してある蒼と沢也のデスクや棚の全てをルビーに収め、王座だけを残した広いスペースの中央は、本日から二日間、パーティー専用のダンスフロアとなる。 その周囲を幾つかの、色とりどりの食料で満たされた大きな丸テーブルが取り囲み、社交の場として賑わいを見せていた。 真っ白な小皿。シルバーのカラトラリー。きらめくシャンパングラスにワイングラス。大量に用意されたそれらから一つずつを拐い、偽物のシャンパンとローストビーフをもっさり盛りつける。カラフルなミニケーキを横目に狙いを定めつつ、義希はふわふわとした足取りで入り口付近の壁際へと歩み寄った。 有理子は沙梨菜と海羽と応接室で着替えの真っ最中だと、部屋を出る前にメールを貰っていた為、警備的なものも兼ねて壁の花と洒落こむ彼である。 しかしながらこの楽しい日に、沢也ならともかく、有理子からのメールの文面が若干不機嫌そうに見えた義希は、天井に回答を求めてみたが勿論掲載されているわけもなく。代わりにいつも以上に青い布のかけられた天井の、いつも以上に眩しい照明に目をやられかけた。 慌てて顔を下ろした義希は、男女のペアが行き来する会場を微笑ましく眺める。 過去に参加した孝主催のパーティーとは違って、ここにはギラギラした雰囲気がなく、つまりはこれを狙ってあの招待状の制度を作ったのだと悟った彼は、なんとなしに苦笑した。 同時に有理子の不機嫌の理由に気付けそうな気もしたが、その思考は敢えなく中断されてしまう。 何故ならフロアの向こうから、着飾った有理子が歩いてきたから。 やはり仏頂面の彼女は、義希の前までやって来るなり眉をしかめて言い放つ。 「口、開いてる…」 「だって!それ、おま…有理子…」 右足側に大きなスリットの入ったロングドレスに、わたわたと手を振り乱す義希を呆れ顔の有理子が見据える。 「今更何動揺してんのよ…」 「ボスだろ?ボスの仕業だな?」 「そうだけど…」 詰め寄る勢いの問いに肯定を示せば、彼はわなわなと震えながら踞るようにして体を縮め、それを反動にして大きく伸びて大袈裟なガッツポーズを決めた。 「ボス最高!神か!後で大量のご馳走と酒を供えに行かなければ…」 「同感」 呆気に取られる有理子を他所に、背後から同意を示した人物は義希に駆け寄りハイタッチを交わす。 「小太郎!いっけめーん!」 「だろ?流石おれ様ー☆」 「やだくれあったらー!また綺麗になった?うなじが眩しいわー」 「有理子ちゃんこそ。スリットがやらしー」 ゴールドな小太郎の自画自賛と、有理子とくれあの賛辞が終わると、男二人のテンションが最高潮に達した。 「うはー!まじやべー!パーティー最高!」 「なー?クリスマスイブやはー!うえーい!」 ガスッ。二人の奇声はこの綺麗な音によって強制終了させられる。後に残った脳天の痛みを堪えながら振り向いた彼等に、両手でチョップをかました張本人の怒りが注がれた。 「アホとバカが騒いでんじゃねえよ!」 もとからの不機嫌を更に酷くしたような形相を前に、腰の引けた義希が涙目で訴える。 「沢也…酷いし…」 「てめえこの…って…お前…誰だよ…」 あの小太郎が抗議を何処かに追いやるほど驚かせたのは、沢也の背後から顔を覗かせた人物だ。 「ふふーんだ。大人な沙梨菜を見て、腰を抜かしたなぁ?」 「さ…沙梨菜…?」 「見た目と言動が合ってなくてキモい!」 「むきー!それは言わないお約束なのー!」 揃って指を指してくる彼等に口を尖らせて、沙梨菜はふんと仁王立ちになる。 ボスからの提案で、全身を沢也に合わせたコーディネートで身を包む彼女は、いつものピンクでひらひらな服の時とはガラリと印象が変わって見えた。 それでも沢也が余りにも無関心なので、堪えかねてくれあがフォローに入る。 「でも本当、あか抜けたわねー」 「普段も可愛いけど、これはこれでまた…」 「有理子ちゃん、ヨダレ…」 黒地に金の刺繍が走る有理子のドレスと、薄い紫と濃い紫のコントラストが美しいくれあのドレスとを見比べて、沙梨菜は複雑そうに微笑んで見せた。普段着ない落ち着いた色合いの、裾の広がっていないタイトなドレスは、目の前に居るスタイル抜群な彼女達にこそ似合うように見えたからだ。 「沢也が隣に並ぶと、余計落ち着いて見えるな?」 背後からの声に振り向くと、淡い若草色のワンピースを着た海羽が首を傾ける。沙梨菜が「ほんとに?」と食い付く前に、彼女の隣を風が駆け抜けた。 「海羽ー!あいらーびゅー!」 「わ…有理子、くすぐったいぞ?」 「かわいいー!わたしが隣に並んで歩きたいー」 唐突に始まったじゃれあいを見て、思わず笑顔になる女性陣を他所に沢也が一言。 「ケダモノか…」 「お前の女好きが移ってんじゃね?」 「そんな馬鹿な…元々だろ…?」 「楽しそうで何よりです」 小太郎、義希と続いたこそこそ話に割り込んだのは、蒼の穏やかな声だった。驚いて振り向いた二人より先に有理子がちょっかいをかける。 「蒼くん…また派手にやられたわね…」 「はい…頭が重いです…」 普段と同じ白と青を基調に、しかし盛りに盛られた装飾品は、彼の言葉通り頭の上まで侵食していた。一見してシンプルではあるが豪華にも見えるその佇まいを、揃って無意識に観察していると、我に返った沙梨菜が辺りを見渡す。 「で、倫ちゃんは?」 「隊長なら、下町で見かけたけど?」 不意に訪れた回答は、その場にいた全員を振り向かせた。その様子に流石に驚いた彼に歩み寄った義希が、手を取ってぶんぶんと振り回す。 「正宗ー!お前も来てたん?」 「ええまあ。見事に当ててくれまして」 困るでもなく肩を竦めた正宗は、隣に佇む彼女の背をぽんと叩いた。可愛らしい彼女の控え目な挨拶を皮切りに、それぞれが自然と自己紹介を終えると、小太郎が上目に納得の声を上げる。 「だから門前に銭が居たのか」 「はい。変わって貰えて助かりました」 いつもと違って派手目の、しかしけっして目立たないスーツを着た彼を、下から沙梨菜が覗き込んだ。 「まさむー。倫ちゃん来そうだった?」 「もうすぐじゃないかな?」 軽い返答に安心した沙梨菜に、正宗の彼女が握手を求める間。短く思案した小太郎がくれあの腕を引き寄せる。 「正宗が言うならそうなんじゃん?おれ等は時間ないし、先に回り始めようぜ?」 「そうね。そのうち会えるわよね?」 当然のようにそう言って、颯爽と去っていく二人を全員で見送った。その中で、一人微妙な顔をする彼の肩に義希の手が乗せられる。 「正宗…?」 「あぁ、いえ、なんでもないですよ?」 「吐いてけ。黙ってられる方が気持ち悪い」 誤魔化しを沢也に拾われて、今度こそ困った正宗は言われた通りに話すことにした。 「まあ、その…大したことじゃないんですがね?」 前置きする間にも集まった注目に、僅かな緊張を覚えながらも彼は続ける。 「会えないような、気がして…」 頭を掻いてそう言った正宗は、察したような数人の反応を見て口をつぐんだ。 「悪かったな。言いにくい事言わせて」 「パーティー、楽しんでくださいね」 重圧から解放するような沢也と蒼の言葉を受けて、安心したように微笑んだ正宗は、彼女を連れて人混みに紛れる。 入り口近くに留まって会話を続ける彼等の回りには、遠巻きに挨拶待ちをする人々がかなりの数見てとれた。 いつの間にやら増えに増えた来客に驚きながらも、義希は動揺のままに声を出す。 「沢也…」 「まあ。予測はしていたが」 隣の彼が淡々と息を吐くと、更に隣から沙梨菜の唸り声が上がった。 「でもそれって小太郎達が、って事なんじゃないのぅ?」 「どちらにせよ、いらっしゃると言うことでしょうね」 蒼が簡潔に纏めた事で、重い空気と覚悟が時間差で訪れる。 溜め息混じりに四人が振り向くと、いつの間に外に出ていたのか。有理子が開け放たれた大扉から入ってきて、小さく手を翻した。 「海羽は?」 「廊下で待つって」 義希の問いに肩を竦め、有理子は彼の腕を取る。 「何かあったらメールな」 「了解です」 「あいさー」 返事の後三方向に別れた三組は、それぞれが関与する要人達への挨拶合戦に向かった。 一方、三階の廊下で有理子と別れた海羽はと言えば。 続々とやって来る一般の来客を横目に、城下町を写し出す窓と向き合っていた。 現在地は王座の間の真正面、突き当たりを右に折れたデッドスペース…を利用した倉庫の扉の前。右を向けば突き当たり、左を向けば王座の間に向かって右折していく人々の波と、色々な意味で目立つ場所でもあるかもしれない。 しかしながら普段は殆ど使われない、5メートル程の廊下の延長線上で、闇に包まれつつある外の景色を眺める彼女に気を止める来客は少ないようだ。 小雪の舞う中、門の前には確認待ちの人々が長蛇の列を作っており、茂達と銭、加えて第二の門番二人の苦労が窺える。 この人混みの中からたったの一人を見付けるのは至難の技だろうが、それでも彼女は人の流れを目で追いかけた。 時折訪れる不安から、着ている物や窓に映る自分自身をきょろきょろと確認したり、左方向で曲がり角を折れていく来客達の様子にそわそわしたり。 落ち着かない理由はハッキリしているのに、どうすることも出来ないのがもどかしい。それはいつもの事の筈なのに、今日の落ち着かなさは異常な程強く感じられる。 隣に並んで居られるとか。腕を組んで歩けるとか。一緒にご飯が食べられるとか、ダンスを踊れるかもしれないとか。 去年までのパーティーを思い起こしながら、この先に当てはめて想像してしまう自分に酷く困惑する彼女は、俯いた先で大きく深呼吸をした。 もしかしたらそんなものは夢物語で、実際には有り得ないかもしれないし、そもそも来てくれるとは限らないと分かっていながら、それでも期待してしまうのは何故なのか。 自分で自分が分からなくなり、考えるのを止めようとした時。不意に、周囲が暗くなったような気がした。 まだ僅かに出ていた日がすっかり落ちたのかと思うも、目の前の光景に変化はなく。それが右に向けて伸びる長い影のせいだと理解したのが数秒後の事。 ハッとして顔を上げた海羽は、恐る恐る首を回す。 辛うじて影のかかる位置、それこそ海羽が立つ場所から十歩近く距離を置いて立ち止まった倫祐は、振り向いた彼女に瞬きを浴びせた。 暫くの間、固まる体とは裏腹に、彼女の思考は目まぐるしく回転する。 本当に来てくれたと喜びながら、仕事だと割り切って来てくれただけだと気を落ち着かせ、しかしやっぱり夢かもしれないと気を取り直す。 そうこうする間にも、彼の背後では頻りに人が通過していく訳で。またもハッとした海羽は、やっとの事で体を動かし、わたわたと口を開いた。 「えと…あの…」 泳ぐ視線を倫祐の爪先付近に固定させ、一番最初に思い付いた言葉を声にする。 「ありがとう…あの、来てくれて…」 そうして目線を持ち上げると、彼は僅かに間を置いて頷いた。 海羽は返答に安堵して息を付き、足元に神経を集中させる。 「あの、あっちにみんな居るから、一緒に…」 王座の間を示してそう言うと、倫祐はまた頷いて踵を返した。 まだ間に距離はあるが、二人揃って人の流れに乗ったのも束の間。 不意に立ち止まった倫祐が、ゆっくりと左側に首を回した。 「倫…祐…?」 後続が支えるのに気付いた彼は、海羽の部屋へと続く脇道へと体を滑り込ませる。 そこで海羽は気付いてしまった。 彼が立ち止まった、その理由に。 何故なら倫祐が足を踏み入れたその場所は、魔法によって通行止めされていた筈なのだから。 昇格テストの際にも使用したその魔法は、魔術初心者でも使用できる簡単な物だが、解除には決まった呪文と印を描く必要がある為、基本的に城の魔術師にしか解くことができない。 それなのに、倫祐が通過できたと言うことは。 人の流れに押された海羽は、棒立ち状態から前につんのめる形で通路に立った。呆然とする彼女の様子からも異常を感じ取ったであろう倫祐が、最初に違和感を感じたその場所を凝視する。 すると、まるで内側から様子でも窺っていたように、海羽の部屋の扉が開かれた。 「…どうして…」 海羽は呟く。全ての疑問に対して。しかし問われた当人は、あっけらかんと関係のない答えを返してくる。 「簡単な事です。この大切な日にあなたにお会いするためならば、どんな大金でも惜しまない…それがこの私なのですよ」 独特な靴音を響かせて部屋から出てきたのは、いつも以上に豪華な衣装を身に付けた秀だった。 「そうじゃなくて…どうして僕の部屋に…」 「そんなことはどうでもいいではないですか。単なるサプライズですよ!さあ、そんな貧相なドレスなど脱いで、こちらの用意した高級で洗練されたデザインの物にお着替え下さい」 「あの…だから…」 「まさかこの男と過ごすなどと、嘆かわしい事を仰いませんよね?」 急激な威圧に怯んだ海羽は、倫祐の顔を見ることが出来ずに下を向く。彼女の仕草など見向きもせずに、倫祐へ嫌悪の眼差しを向ける彼は、鼻で笑うようにこう続けた。 「このような者にあなた様のエスコート役など勤まるわけがありません。さあ、こちらへ。お召し代えを…」 「でも、仕事が…」 「ご心配には及びません。この私が、しっかりと。貴族としてエスコートさせて頂きます」 大袈裟に声色を変化させ、恭しくお辞儀をした秀は、海羽を迎えに行かんと歩を進める。 途中、倫祐の目の前を通過した彼が小さく舌を打った事で、海羽の肩がびくりと震えた。 「ロボットは去れ。目障りだ」 心ない一言が、勝ち誇った笑みからもたらされる。 言い返すでもなく、無表情に踵を返した倫祐を、泣き出しそうな海羽の声が追いかけた。 「倫祐…あの…」 「さあ、参りましょう」 続きを伝える間もなく腕を引かれ、自室へと連れていかれる彼女に頷いて、倫祐はふらりと人の流れに乗る。その間、周囲から注がれるヒソヒソ話を耳の端に捉えながら。 抵抗の末、倫祐の行く先を確認した海羽が秀に従う中。 王座の間に入室した彼を一番最初に発見した沙梨菜が、ウインクで合図して呼び寄せる。そのまま暫く脇で待たせて、貴族との挨拶を終えた沢也と共に話を聞く事5分弱。 なんとか現状を把握した沢也が倫祐を解放した後、携帯片手にメールを打ち始めるのを見上げつつ。沙梨菜は不服そうに頬を膨らませた。 「招待状、誰のものかチェックしてないの?」 「もともと秀対策用ではないからな。これだけの為に招待状と身分証を照らし合わせるシステムなんぞ、開発する程の資金はねえし」 「じ…人力で…」 「この真冬に、寒空の下?」 「やってられないよね…門番さんもお客さんも…」 「だからそれは仕方ないとしてもだ。何故施錠魔法が解除されたのかって話だ」 彼が言葉尻に送信したメールの内容は、「海羽の部屋の施錠魔法について、何か知っている者は会場入り口付近まで」と至って簡潔なもの。送信先は城に勤務中、若しくは来客として会場に赴いている職員の全てである。 門番から秀についての報告が無かった辺り、恐らく変装をして金で雇った女に付いて来たのだろうが…それにしてもやることが非常識過ぎだ。 しかし貴族に常識を求めること自体間違っているのかと、考え直した沢也が溜め息を付いた所に女の声がかかる。 二人が振り向くと、それはマジックアイテム課の動物好きな召喚師であった。 「何か知ってるのか?」 腰の引けた彼女に沢也が問うと、相手は姿勢を正して話にかかる。 「あの、申し訳ありません…。解除したのは私で…その、急病人が居るかもしれないと聞いて、つい開けてしまいました」 「そうか。分かった」 「あの…」 「きちんと説明しておかなかったこっちの落ち度だ。次から気を付けてくれればいい」 不機嫌そうながらも淡々としたお許しに、ほっと胸を撫で下ろした彼女の頭が下がった。 「ありがとうございます…」 「パーティー、楽しんで来てねー?」 沙梨菜の明るいフォローに頷いて、彼女はペアの元に駆けていく。その背中が見えなくなった所で、沙梨菜は沢也の影に隠れて密かに表情を変えた。 何故なら、着替えを終えた海羽が秀と共に入室したから。 「沢也ちゃん…」 「黙ってろ」 「でも…」 「仕方がないだろ?システムに反してる訳でもねえのに、追い出すわけにもいかん」 「それでも…あんなやり方…」 「だったら、無理にでも追い出して無理矢理倫と参加させるか?」 それを聞いて、沙梨菜は思わず押し黙る。沢也は彼女の思考を先読みして棒読みに言った。 「会場巻き込んで阿鼻叫喚の図にしておきながら、自分は楽しむなんて無神経なマネ出来るほど…あいつは秀に染まっちゃいねえよ」 だからこそ倫祐は何もしなかったのだと。想像して息を詰まらせた沙梨菜の指先に力が籠る。 「一日くらい放っておいてくれても良いのに…」 「一日でも放置して、倫に接触させちまったら敗けだとでも思ってるんだろ?」 「何でそんなに敵視するの?」 「海羽が倫に洗脳されてるとでも思ってるんじゃねえ?」 「それってさ、逆に考えれば…」 秀の姿を虚ろな目で追いながら、沙梨菜は背後から沢也の横顔に問い掛けた。 「あの人、倫ちゃんには敵わないって、分かってるってことだよね?」 「直感的には、そうなのかもな」 職員への伝達メールを終えた沢也は、彼女の持論に同意して溜め息のように解説する。 「それでも認めたくないのがあいつであり、貴族だからこそああして我が儘を通してくる。だから余計厄介なんだろ?」 貴族だから。そこまでを聞いた沙梨菜は沢也の腕を抱き締めた。二人の状況を自分に当てはめてしまった結果であると、恐らく彼に悟られるであろう事を理解しながら。 沢也は急激に近付いた体温に過剰反応で答える。 「離れろ」 「だって…」 震えるまましがみつけば、予想通り彼は力を抜いた。 「分かったから黙れ。次開いたらその口縫い付けるからな」 舌打ちと共に放たれた言葉は、正面から取引先の重役がやってくる合図であり、彼が仕事モードに頭を切り替えた証拠でもある。 沙梨菜は黙って頷くと共に、沢也の腕に顔を埋めて固い笑顔を製作した。 やっとの事で人混みから離れ、沢也からの報告を読み終えた蒼が、珍しい事に大衆の前で溜め息を吐く。勿論誰にも気付かれないよう細心の注意を払ったが、そのせいもあって一向に気は晴れなかった。 諦めて通常の微笑を強めた彼の元、前方から歩いてきた人物が緩やかに手を持上げる。 「お忙しいですね」 その言葉からして、先程まで女性に囲まれていたのを見られていたのだろうと。蒼は思わず苦笑して肩を竦めた。 孝は構わず穏やかに笑い、連れの女性を椅子に座らせ飲み物を持たせる。蒼はその様子を見守りながら、ばつの悪さを消化した。 「このような日にお一人ではさぞかし大変でしょう」 「ええ。まあ」 「その後如何ですか?」 「良くもあり、悪くもあり…色々ですね」 隣に並んだ孝の、ゆったりした口調につられるように話す蒼は、伏せ目がちに笑みを強める。 孝は彼の心情を察したのか、先を聞くこともなく話題を変えた。 「あの方は相変わらずのようですね」 視線の先を見やると、酷く目立つ出で立ちの男女がフロアを縦断する光景が目に映る。先との違いに最初こそ目を見張った蒼ではあるが、沢也からの報告を思い起こして苦笑した。 覚悟はしていたし、報告をしてくれた彼等に比べれば衝撃も少ないのだろうけれど。実際に目の当たりにしてしまうと、やはり堪える。 蒼は孝から逃げるようにして去っていく秀の背中を目線だけで追い掛けて、次にその後ろを俯いて歩く海羽の姿を目に焼き付けた。 「正直なところ、早く終わらせてしまいたいのですが…」 「あの家は大きいですし。彼と違って、家主はやり手ですからね」 「はい。跡取りもしっかりしていますから、あちらからすれば体のいい厄介払いなのでしょう」 蒼の見解を受けた孝は、悲しげに瞳を細くする。 「そうなると、彼も気の毒だ」 「本人は気付いていらっしゃらないようですけどね」 やはり苦笑のまま答えた蒼は、またも表情を変えた孝を見て姿勢を直した。 「そんな中恐縮なのですが…年寄りの我が儘を一つ、聞いては頂けませんか」 「はい、何でしょう?」 改まった発言に内心驚きながら、いつものように返答する彼に孝は言う。 「長い話になりますので、後日ゆっくりと。できれば私の方で招待させて貰っても…」 「光栄です」 「ありがとう。助かります」 祖父と孫のように笑いあった二人は、そのまま頭を下げて別れを告げた。 「では、本日はこれで」 「楽しまれて下さい」 束の間の休息を終えた蒼は、再び挨拶回りへと戻る。普段見合いに呼ばない種の貴族達がこぞって娘を紹介してくるのに笑顔で応える彼は、進まぬ商談に焦りを覚え、人知れず溜め息を吐いては天井を仰ぐのだった。 そうして沢也や蒼がフロアの外周を延々と巡っている頃。周りから促されてフロアの中心部で踊らされていた二人は、躍りながらも現状を把握してひっそりと会話する。 「暫く来てないと思ったら、あれ準備してたんかな?」 回転の最中、海羽の姿を横目に捉えた義希があからさまに顔をひきつらせた。体よく視点が回った有理子も、海羽に着せられた孔雀のような衣装を見てギリギリと歯を食い縛る。 「ふざけんじゃないわよ!よりによって、あんな服…」 「まあ、高いんだろうけど。あんまりにも海羽っぽくないよなぁ?」 「良く分かってるじゃない。あれじゃあ海羽の可愛さが引き立たない!まるで服が主役みたいじゃない!本当、信じらんない!」 地団駄が踏めない代わりに思わず義希の左手と背中に爪を立ててしまった彼女に、彼は涙目ながらも笑顔で呟いた。 「有理子は相変わらずだなぁ…」 「何しみじみしてるのよ!」 次第に震え始める彼女の指先に、俯く頭に。気付いた義希は足の運びを間違えそうになりながら、その顔を覗き込む。 「有理子…?」 「だって、あの子…ずっと楽しみにしてたのよ?それなのに…」 悔しげに、涙を堪えながら強く吐き出された有理子の声は、最後には細く萎んで囁くように弱くなった。 「たったの数時間すら一緒に居られないなんて…何がクリスマスイブよ…」 彼女の小さな嘆きは、フロアの片隅で演奏を続けるオーケストラのワルツに飲み込まれてしまう。それでも傍に居る義希にだけは確かに届いたその思いは、彼の中で彼女を支える力に変わった。 cp56 [支度]← top→ cp58 [in the black] |