支度 緑生い茂る山々の一画。さらけ出された地面がやけに目立つ。 朝を待ち、雅紀が操る飛竜に乗って現地を訪れた帯斗は、崖崩れにより薙ぎ倒された木々を見て、上空からの光景を思い出していた。 案内役の園道に続いて森を歩くうち、聞き慣れた大声が耳に入ってくるようになる。 「あの…俺は何をすればいいんすか?」 「今地均ししてるから、それの手伝いを」 「先に来た二人は…」 「作業中。もうすぐ昼休憩だけど」 淡々とした園道の返答にソワソワしながら、普通の森とは違う空気に緊張する…そんな帯斗の固さを解したのは顔見知りの二人であった。 泥まみれの彼等は帯斗を見るなり手を振って、小さめのスコップを握らせる。 「オチビはこれな」 「チビ?今チビっつったな!?」 「うっせ。柄にもなく緊張してんじゃねえよ」 「ズミだってどーせ柄にもなく、可哀想な動物見て泣いてたんだろ?」 うぐぐと言葉を詰まらせる辺り、図星を付かれたであろう諸澄を轟が笑い飛ばした。 「そういや、お前等本当に連絡なかったのか?」 不意な質問に喧嘩も忘れて目をぱちくりさせた二人は、鍬を掲げる轟から仰け反る形で距離を取る。 「招待状だ!」 補足を聞いた彼等は、鍬が下りたのを確認しもせずに地に膝をついた。 「何故このタイミングで…!」 「それを聞くっすか…!」 男性陣に招待状が回ってこないと言う事は、即ち誘ってくれるような女性が居ないと言う事になるのだが。 「ぬわははは、無かったのなら良いではないか!」 「良くねえだろ!」 「よくないっす!」 「そうかぁ?気がねなく仕事に打ち込めるだろうが」 サックサックと地面を均しながら、豪快にテンションを上げていく轟を他所に、帯斗と諸澄のテンションは地に落ちる勢いで下がっていった。 「くっそー!何だか知らんが感謝しやがれロボット野郎がぁあぁああ!」 出発前に定一から聞いた話を思いだし、無意味に叫んだ諸澄の頭上にリーダーの真顔が迫る。察して密かに踵を返す園道の背後には、リーダーの発する黒い渦が充満し始めていた。 諸澄と帯斗がリーダーから謎の圧力を加えられている頃。 彼等と入れ違いで王都に戻った噂の張本人は、大通りの片隅でぼんやりと立ち止まる。 「くしゅっ」 固い表情が繰り出したくしゃみが、通行人を訝しげな顔に変えた。 それに気付きながらにスルーした倫祐は、鼻を擦って進行を再開する。 行き先は城の中庭。目的は廃材運び。 先程挙動不審の義希から伝言された事を頭の中に流しながら、淡々と歩みを進める彼の背中を後ろ指が付きまとった。 街の外れまで来てやっとそれが収まったところで、倫祐は無意識に煙草をくわえる。丘の麓で火を付けて、煙を靡かせながら緩やかな坂を登ると、頭が妙にぼやけてきた。 煙草の吸い過ぎだと言う事は分かっていたが、かと言って本数を減らすことも出来ずに居る彼は、ぼやける思考を他所にきっちりと煙草を吸い終えてから城門に差し掛かる。 門番二人に頭を下げて、帳簿にサインをし、入って直ぐに右に折れると、城壁に立て掛けられた廃材がチラリと見えた。 それは来客から見えぬよう、突き当たりの更に先に置かれているようで、彼はそれ目掛けてゆっくりと足を運ぶ。 段ボールに入った細々したものから、大きいものでは割れた床板の一部など。様々な形の廃材をポケットルビーに収めた倫祐は、踵を返そうとして動きを止めた。 「あの…」 上から降ってきたのは控え目な呼び掛け。目の前に落ちた影を伝って見上げた倫祐は、水晶に乗った海羽の姿を呆然と見据える。 「こ、これ!持っててくれないか?」 海羽はわたわたと地に降り立つと、瞬きを繰り返す倫祐に封筒を差し出した。 「クリスマスパーティーの招待状なんだけどな…」 言われて見下ろす倫祐は、やはり瞬きをしながら躊躇いがちに手を伸ばす。 「えと、気が向いたら…で、いいから…その…」 顔を上げられずに、しどろもどろに良くわからない単語を並べていた海羽は、彼が封筒を受け取ったのに気付いて安堵の息を漏らした。 「じ、じゃあ…あの…」 待ってるから。 そう小さく呟いて、海羽はパタパタと去ってしまう。 残された倫祐は、城の正面に向かう彼女の背中をぼんやりと眺め。続けて封筒をくるくるとひっくり返しながら思案するも答えはなく。 しかし一つだけ心当たりを見つけ、詳細を聞こうと義希を探すことにする。 城門を抜け、丘を下り、雑貨屋の前に差し掛かった辺りで直ぐに彼の姿を見付けた。どうやらあちらもこちらを探していたらしい。すれ違わなくて良かった、と言って腕を取られたが最後、説明も無しに何処かへと引き摺られて行く。 そろそろ昼だし、食堂にでも連れていかれるのかと思いきや。辿り着いたのは服屋の前であった。 そこは南通りの中程にある小さくも品のよい店で、ショーウインドウにはドレスやスーツが飾られている。 倫祐が無表情ながらにぽかんとそれを眺めていると、義希が振り向き笑顔で言った。 「もうすぐみんなも来るから。ちょっと此処で待ってようぜ?」 同時にバケット丸ごとサンドイッチを押し付けてくる彼に、頷きながらも小首を傾げた倫祐は、受け取る代わりに海羽から預かった封筒を差し出した。 「お。良かったー。ちゃんと受け取れたみたいだな?」 倫祐の手からそれを受け取る事なくサンドにかじりついた義希は、口にいれた全てを飲み込んでから真面目な顔で言い放つ。 「それ、絶対あの人には渡すなよ?」 あの人とはつまり秀と言う貴族の事だろうと当たりは付いたが、そもそもクリスマスパーティーの概要を知らない倫祐はパタリと首を横に倒した。 「24、25日で毎年やってんだよ。クリスマスパーティーっつうくだらねえ行事」 急に会話に割り込んできたのは沢也の声だ。振り向いた二人は、沢也の隣を歩く帽子に眼鏡の人物に視線を移す。彼は眼鏡をずらして空色の瞳を覗かせると、いつもの微笑といつもの幼声で補足した。 「パーティーはペアでの参加が条件なんです。城からの招待状を配付するのは女性だけ、男性は女性から招待状の片割れを受け取ることで入城出来る、と言う仕組みになっているんですよ」 「つまり、それさえあればパーティーに参加できるし、あの人は来れないしでいっせきにちょーなわけ」 蒼の説明に続いた義希のドヤ顔を振り向いた倫祐は、なんとなく納得して首を直す。真っ直ぐにはなったものの頷かない彼を見て、沢也が直ぐ様後押しした。 「そう簡単にはいかないかもしれないが。まあパーティーと言えど、蒼は勿論、俺や海羽を含めたメンバーは、来賓への挨拶の為に参加するようなもんだから。お前もそれに付き合ってやれって話だ」 「仕事の合間に、たまにはゆっくり…とまではいかないかもしれませんが、パーティーを楽しんで下さいね」 キッパリにっこりと圧力をかけられて、どうにもならなくなった倫祐はとりあえず頷く事にした。 「じゃ、れっつこーでぃねーと」 いつの間にやらパンを平らげた義希が服屋のドアを押す。残された三人は顔を見合わせ、倫祐がパンを仕舞うのを待った。 入店した四人を迎えてくれたのは、今にも倒れてしまいそうな細い壮年男性だ。彼はポッキリグッキリ折れそうな挨拶の後、ポケットからメジャーとメモ帳を取り出す。 「そいや今、城はどうしてるん?」 「変装椿と有理子で留守番。秀は海羽と魔導課に籠ってる」 「じゃ、先にこの二人を…」 「お揃いだな」 義希と沢也の会話に割り込んだのは良く知る声だった。振り向いた彼等のうち、沢也が溜め息混じりに返答する。 「仕事中じゃ無かったのか?」 「なに。大事な客人が山程来てるんだ。少しくらいサボってもバチは当たらんだろう」 仁王立ちでそう言うのは、細い店主の長年の連れであるボスだ。沢也は店主に腕を差し出しながら呆れた声を出す。 「俺たちを前に言うことかよ」 「まあまあ、いいじゃないですか。折角ですから採寸して頂きましょう」 蒼が場を宥めると、ボスも店主からメジャーを受け取り真っ直ぐに伸ばした。 二人はそれぞれ沢也と蒼の採寸をあっと言う間に終わらせて顔を上げる。続けて残りの二人に歩み寄ったボスが、倫祐を見付けて目を丸くした。 「お、お前も参加するのか?」 問い掛けに対して半端に頷く彼を前に、顔をしかめた彼女は堂々と詮索を始める。 「何だか心配だね。相手は誰だ?知った顔か?」 「大丈夫。オレらの仲間だから」 「そうか。ならいいんだが…」 義希のフォローに納得して、ボスは倫祐の採寸に取り掛かる。 「しかし、毎年こうして来て頂いて…何だか申し訳がない…」 「仕方がなかろう。貴族の手前、毎年同じ衣装を着回す訳にもいくまい」 「本当、勘弁して欲しいよな」 夫婦の会話を聞き付けて溜め息を付いた沢也の隣、身動きが取れないながらも義希がポツリと口を挟んだ。 「ってかオレはボスが服屋さんだったことに驚きを隠せない…」 「助かりますよね。気心が知れているのとそうでないのとでは、雲泥の差がありますから」 最後に蒼が纏めたところ、恐縮ですと言わんばかりに縮こまった店主が立ち上がる。 「どいつもこいつもそれなりに背があるから何着せても良さそうだ。ん?そういやおチビの小太郎は不参加か」 ボスが採寸表から人数を数える作業に移行するのを見て、義希が小さく肩を竦めた。 「いやいや、奥さんと二人で来るって言ってた。子供は親に見てもらうんだって」 「そうか。なんだかんだ愛妻家だな。あのチビは」 満足気に頷いて、ボスはくるりと店内を見渡す。 「さあ、好きなの選んできな。どうしても決まらんならあたしが見繕ってやる!」 言われて服に目をやったのは二人だけで、残りはそれぞれにボスを見据えた。 「任せる」 率直な依頼をする沢也の隣で、倫祐も軽く首肯する。 「全く、お前らときたら…呆れたもんだね」 そう溢しつつもテキパキと、似合いそうな服を数点ピックアップしたボスは、立ち尽くす二人にそれぞれ押し付けて蒼と向き直った。 「陛下。今年のお相手は?某財務大臣は義坊と組むんだろう?」 彼女の言葉通り、去年までは相手の居ない有理子がペアを勤めてくれていたのだが、今年からはそうはいかない。 かと言って特定の相手を選ぶ気にもなれなかった彼は、首を振って答えを口にする。 「申し出は全て断りましたので、今年は一人です」 「おお、それは寂しい…。ならせめて衣装を派手にせんとな」 「お手柔らかにお願いします」 瞳をギラつかせたボスを手短に宥めつつ、振り向いた蒼に沢也が問い掛けた。 「雛乃、ごねなかったか?」 「さあ?どうでしょう。手紙で頂いたので、手紙でお返ししましたから」 「だ…大丈夫なん?」 「まあ、元々かなりふざけた手紙なんだ。無礼に返事してやっただけでも感謝して欲しいよな」 毒の籠った嘲笑を浮かべながら一着を選出した沢也は、それを店主に預けて棒立ちの倫祐を手伝いにかかる。 「義坊は赤だろう。赤」 「え。赤いスーツはちょっと…」 「あほたれ。誰が原色を薦めとるか」 横目に眩い真紅のスーツを見据えた義希を一蹴し、手に取った一着を押し付けて。店の隅で沢也を見据える倫祐を眺めたボスは、顎に手を当て短く唸った。 「お前は黒いから何でも良さそうだが…」 「倫祐は黒じゃん?」 「だな」 「ですね」 「確かに、他を着せる気にはならんな」 受け取ったスーツを嬉しそうに振り回す義希の一言に、同意した三名が揃って彼を振り返る。 瞬きで間を繋ぐ倫祐がカウンターから出てきた仕上がり品に目をやると、他の意識もそちらに反れた。 「参謀は味気なさ過ぎだ。相手が派手好きなんだからもう少し…」 「何で相手を決めつけてんだよ」 店主からスーツを預かり、試着室の扉に手をかけた沢也の舌打ちが響く。ボスは彼の不機嫌を鼻で笑い、悠々と反撃に出た。 「他に当てがあるのかい?」 「沢也くん。ここは素直に認めてしまわないと先が長くなりますよ?」 装飾過多の衣装に眉を下げる蒼の助言を皮切りに、癇癪をおこしそうな沢也の溜め息が試着室を満たし始める。それは彼が着替えを終える頃には当然外にまで溢れだしていた。 「そうだとしてもあいつに合わせるつもりはない」 沢也が扉を開きながら断言すると、ボスの口から大きな溜め息が吐き出される。店主に裾を調整してもらう沢也の出で立ちを眺めつつ、義希がまた一言。 「確かに沢也がピンクとか嫌かも…」 「敢えて正反対にして合わせるのもありでしょうか?」 「仕方がない。相手と相談させてもらうとするか」 悩まし気な三人の呟きを交えつつ、蒼と倫祐の衣装も決定し、合わせも終った所でお開きとなった。 ボスに連れられて城に戻る二人を見送った義希は、倫祐と共に駐屯地へと舞い戻る。何故なら倫祐の昼食がまだ済んでいないから。 ついでに付いてきた義希が「たまには自分で報告書でも作るかなぁ」等とぼやきながら扉を開くと、ふわりと花の香りが漂った。 デスク中央に置かれた花瓶に目をぱちくりする義希を他所に、優雅に振り向いたのはヘルプとして派遣された花形である。 彼は基本的に参謀タイプの人間らしく、パトロールの効率化を提案したり、薬草や解毒剤の知識を根付かせたりと、他の郵便課メンバーとはひと味違った方法で手助けをしてくれていた。他にも駐屯地に常駐しては片付けや傷の手当てをしているらしく、同じく駐屯地に居ることが多い圓の良い話相手になっているらしい。 そうして義希が花形の存在を確認する間に、彼は背後の倫祐に歩み寄りふわりと笑う。 「倫祐くん。今日の夕飯の買い出しは如何しますか?」 問われた本人はいつも通り声を出さず、しかし頷いて椅子を引いた。義希も詳しく聞いたわけでわないのだが、恐らく花形は王都に住む中で一番親しい倫祐の部屋に下宿しているのだろう。 自然と和やかな顔になる義希が倫祐の向かいに座ると、その隣から恐る恐ると言った調子で圓が訊ねた。 「…自炊、されるんですか?」 義希と花形が振り向く間、圓は無意識に倫祐の手が書き連ねていく食材リストを凝視する。 食に目がない圓を微笑ましげに眺めながら、義希が代わりに返答した。 「倫祐の作るメシはうまいぞー?」 「そうなんですか?」 「ええ。とても美味です」 花形もすかさず同意すると、いよいよ圓の顔付きが変わる。 「あ。食べたくなった?」 「…図々しいかもしれませんが…聞いてしまったからには是非食べてみたいです…」 「だってさ。倫祐」 なんとも言えぬ真面目な表情を見せた圓に瞬きを浴びせ、次に促す義希に首を回した倫祐の横から花形が提案した。 「では明日、お弁当でも持参しましょうか?」 「まじで?オレの分も頼むー!」 「四人前ですか。倫祐くん、それを踏まえてメモの制作をお願い致します」 ウキウキと挙手をする義希と、隣で首肯を繰り返す圓と、既に通常営業に戻った花形を順番に見据え。倫祐は微かに頷いて了承を示す。 翌日。重箱に詰められたおかずの数々が、義希と圓により着々と消費されている頃。 「これまた綺麗な娘さんばかり来たな」 ボスは昨日同様、自らの夫が経営する店の中程で来客を迎えていた。 笑顔と言うよりはドヤ顔に近いボスの言葉に、有理子は両脇の二人を押し出しながらきっちり頭を下げる。 「流石ボス、お目が高い!」 「安心しな!もっと綺麗に仕上げてやるから」 「期待してます。あ、それから…先日はうちの男共がお世話になりまして」 「全くだ。しかしいいのか?男に合わせる形で」 「はい。どのみち要人優先にするつもりでしたので、そのついでです」 メジャーを取り出すボスに腕を預けた有理子は、にこにこと衣装を物色する沙梨菜とオロオロする海羽を見据えて頬を緩めた。ボスはそのまま有理子を試着室に招き入れて採寸を続ける。 「今回、陛下はお一人なんだって?」 「ええ。まあ」 「周りが五月蝿そうだが」 「仰る通りで…」 「まあ、貴族なんぞと並んで歩かれるより気は楽か」 性質を悟られているだけに、的を得たボスの発言に有理子は思わず苦笑した。 彼女の寸法を測り終えたボスは、入り口から隠れて見えるその場所で沙梨菜を手招きする。 「あんたにはちょいと相談があってな」 「うん?何でも言っちゃってー?」 始まった会話を聞いていては失礼になるかと、変な気をきかせた有理子は海羽の元へと足を運んだ。彼女は何やらブツブツ言いながら、店の隅で小さく蹲っている。有理子が近付くと、影に気が付いたのか顔を上げ、泣き出しそうなそれを傾けた。 「ヒール…どれくらい高さあった方が良いかな…?」 良く良く見れば、問い掛ける海羽の目の前にはかなりの高さのピンヒールが置かれている。有理子は短く唸って彼と彼女の身長差を頭の中に思い浮かべた。 「高い方が良いのは確かだけど…」 「練習したら歩けるようになるよな?」 「練習って言うか、慣れかしら?でも無理して高いヒール履かなくても…」 「でも…恥ずかしい思いさせるわけには…」 「すっ転んだ方がよっぽど恥ずかしくない?」 「そう…なんだけど…」 なかなか折れない海羽の様子から、また秀に何か吹き込まれたのだと勘ぐった有理子は、困ったように息を吐き出す。するとそこにボスが歩み寄り、有理子の背中を影らせた。 「あんた魔導課の子だったな?ペアは誰だ?」 言いながら、海羽の腕を引き試着室に押し込み、さらさらと採寸を始める彼女に。海羽は戸惑いのまま必死で口を開く。 「え…あ、あの…」 「まさかまたあの貴族とか言わないだろうね?」 「いえ、今回は…その…」 「なら良い。どんな奴だ。そいつに合いそうなの見繕ってやろう」 赤くした顔を俯かせた海羽を、下からボスが覗きこんだ。慌て鏡と向き合った彼女は、しどろもどろに回答を始める。 「背が高くて…」 「高くて?」 「黒髪の…その…」 「海羽。ボスは知ってるわよ?倫祐のこと」 率直に答えを示した有理子を振り向き、海羽はわたわたと手を振り乱した。 「わ…ま…え、あの…その…」 「そうかい。それなら、これだ」 採寸も中途半端に、満足気に笑みを浮かべたボスが、店のある場所からあっと言う間に一足のミュールを持ってくる。 それは白く、上品な光沢と太めのヒール、細いアンクレットの付いた一品であった。 「シンプルだが、なかなかに可愛いだろう」 ドヤ顔のボスの手の上を三人が覗きこむ。その顔は一様に複雑な色をしていた。 「可愛い…可愛いけどでもやっぱり、高いね…ヒール…」 「ダンス踊るならこれくらいあった方が良いだろう?」 「でもこの子、ヒールある靴慣れてないから…」 「こんだけ軸が太くてもダメかい?」 「ドジっ娘だからね」 「うう…」 沙梨菜が結論を呟くと、当人の口から苦悩が漏れる。 「まあいい。ならばもう一つ用意しておくまでだ。そのどちらにも合う衣装を選出してやろう」 ボスはネガティブを吹き飛ばすように声を張り、店のあちらこちらから衣装を取り出しては三人に合わせにかかった。 最終的に全てが終了するまで三時間以上を要したが、すっかり満足した四人に疲れは見えず。寧ろ生き生きした様子で解散と相成った。 その翌日からパタリと秀が来なくなる。 詰まった業務でとんでもないことになっているのでは…との憶測も出来たが、そうだと断定できないのが彼の恐ろしい所だ。 しかし探りを入れた所で何ができる訳でもないので、王座の間はいつも通りの日常を送っていた。 日も傾き、夕食も終え。まったりモードで仕事中の三名が開いた扉に目線をやる。温まった部屋に冷気が入らぬよう、最小限に開いたそこから入ってきた有理子が、三つの視線に小さく肩を竦めた。 沢也はそのまま書類に目線を落とし、蒼は静かに席を離れて給事に向かい、海羽は傍らの毛糸に手を伸ばす。 「海羽。マフラー編んでるの?」 「うん。こっそり編んでたんだけど…時間が微妙になってきちゃったからこっちまで持ち出す事に…」 困ったような言い訳を微笑ましげに聞いていた有理子は、海羽の編む黄色いそれを見て小首を傾げた。 「それ、倫祐にあげるには派手じゃない?」 「これは小太郎の」 「小太郎のって…まさかみんなに編んでるの?」 「そうだよ?」 「あなた…無理しすぎ…」 絶句と心配とが入り交じった有理子の声に、海羽はやはり困ったように目を伏せる。 「息抜きなんだ」 「そうなの?」 「うん…考えたくない時とかに丁度よくて…あ。仕事もちゃんとしてるから大丈夫だぞ?」 「それならいいけど…ちゃんと眠れてる?」 「うん」 即答にも関わらず不安な表情を変えない有理子を見て、海羽の頬が僅かに膨らんだ。 「あ。信用してないな?」 「だって…」 「大丈夫だぞ?無理なときはちゃんと頼るから…」 言いながらテーブルに手を付いた海羽は、よっこいしょと掛け声を付けながら立ち上がる。いつもより高い位置にある彼女の頭を見上げ、次に足元を見下ろした有理子の表情が和らいだ。 「慣れた?」 若干覚束無い足取りをなんとか立て直し、ふわふわと歩く海羽は疑問系で答える。 「歩くのはなんとかなるかも?」 「じゃあちょっと踊ってみる?」 有理子が同じく席を立つと、いつもと同じくらいの身長差になった。何故なら有理子も高いヒールを履いているから。 「まずは手を取って」 「こうか?」 差し出された手を海羽が握る。有理子はそれを引いて彼女を引き寄せた。 「そしたらこう」 「こう…」 片方の腕を伸ばし、逆の手は互いの背中へ回す。一般的なダンスの体勢が完成すると、海羽の体が硬直した。 「ち…近くないか?」 「実際はもう少し遠いわよ?あいつのがわたしよりでかいから」 「でも、近いよな?恥ずかしくないのか?」 「これも慣れだわね」 毎年蒼とそれをやっていた有理子が肩を竦めると、海羽は納得しながらも唸りを上げる。 一番大扉に近い位置で繰り広げられる二人のダンスは、ちぐはぐでゆっくりながらも少しずつ形になっていった。 蒼と沢也が仕事がてら、遠巻きにその様子を見守っていると、不意に上から声が訪れる。 「分かったよ」 到着と同時にそう言ったのはハルカだった。従ってその声を人語とし聞き取れたのは沢也と結だけである。因みに海羽は遠くに居る上ダンスと歩行に集中しているので、ハルカがやって来たことにも気付いて居ない様子だ。 ハルカは沢也のデスクの、なんとか空いているスペースに収まると、彼を見上げて早口に報告する。 「今日一日裏から見てたけど、どこ行っても海羽のこと監視してる連中が居た。ついでにさっき、そいつらが報告電話してるとこも聞いたから、指示してるのは秀で間違いないよ」 「とうとうそんなことまではじめたの?あの人達」 「靡かないから痺れを切らせたんだろ?」 呆れた結の声に沢也も同じ様な調子で返すと、蒼から説明を求める眼差しが飛んできた。簡潔な通訳を聞いた彼は苦笑と哀愁の間と言った微笑を窓に向ける。 「こうなると、次に何をしてくるか分かったものではありませんね」 「沙梨菜の時みたいに盗聴機がー…なんてことにはなってないよね?」 「定期的に確認してはいるが、今のところはねえな」 続くハルカの質問に沢也が回答すると、結が口を尖らせ愚痴を溢した。 「あーあ…いつまで経っても安心できないね…」 「あっちも正念場なんだろうよ」 「また冷たいこと言う」 「仕方ねえだろ。こればっかりは」 沢也がハルカの茶々にも返答した所で、彼の独り言を聞いていた蒼が察したように口にする。 「急がば回れ…ですね」 聞き付けた結とハルカは、複雑な表情を以て溜め息を付いた。 「分かってるつもりなんだけどね…」 「うん…分かっててもこっちがやきもきしちゃうよね…」 最後にもう一度重なった溜め息を合図に、蒼を振り向いた沢也が苦笑を浮かべ、短く言う。 「だそうだ」 「意地悪しないでちゃんと通訳してくださいよ」 困ったように髪を弄る蒼の懇願は、相変わらずダンス中の有理子の呼び掛けに打ち消された。 「沢也ー。ちょっと適当に音頂戴ー?」 「俺は簡易楽団じゃねえっつの」 「いいから早く。録音のでいいから」 「当たり前だ馬鹿野郎」 誰がバイオリンなど演奏するか、と呟きつつ。沢也は言われた通りパソコンから探した曲を適当に流す。有理子と海羽は緩やかなメロディーに合わせて足を動かし、しかしよろけて仕切り直す…を繰り返した。 楽しげな光景を眺めながら、眩しそうに瞳を細めた結が呟く。 「練習するのはいいんだけどさ」 「ん?」 「相手の人は踊れるの?」 自身の相槌を待っての質問に、答え兼ねた沢也は答えられそうな人物…もといにゃんこに視線を流した。それに気が付いたハルカは、のほほんとした調子でしっぽを揺らす。 「なんとかなるんじゃない?」 この場に居る一番古い知人の彼が知らないとなれば、もう本人に聞くしかない。それにしても適当過ぎる答えに呆れた沢也が短く息を吐いた。 「練習させとけよ」 「見本もないのにどうしろってのさ」 「大丈夫じゃないですか?倫祐くんなら」 三人が眺めるものから予測して、口を挟んだ蒼を沢也が振り向く。 「見よう見まねでなんとかしてくれますよ」 「前にもあったが。どっから来るんだ。その自信は」 「なんとなくです」 にっこり笑顔の断言に呆然とした彼等のうち、結が長めに息を付いた。 「そのなんとなくが当たるんだから怖いよね…蒼の場合」 呟きに同意したハルカが首を縦に振り続ける中、沢也の悪戯な笑みが蒼に告げる。 「怖いってよ。お前」 「それはどうも」 「その笑顔だよ!」 蒼の浮かべた満面の笑みを見て、ハルカがすかさずツッコミを入れた。一頻り笑った四人は、いつの間にか振り向いた有理子と海羽に気が付いて曖昧な反応をする。 「沢也。次」 途切れた曲をそのままに、停止していたプレイヤーから新たな一曲を選び出し。エンターキーを押した沢也は、ワルツに合わせて揺れるハルカのしっぽを盗み見た。 上達しているんだか、疲れてきているんだか、一見して分からぬ彼女達の動きを目で追い掛けながら。恐らくは同じことを考える四人の溜め息が、王座の間の高い天井に時間差で届けられた。 cp55 [.]← top→ cp57 [Eve] |