亀裂 12月初日。 「沢也ちゃーん!はっぴぃばーすでぇぇぇえい♪」 「分かった。すぐに準備する」 「え?」 入室と同時に飛び出した沙梨菜の祝福は、無情にも流され無視された。 戸惑う彼女を他所にせかせかとデスクを片付ける彼は、どうやら出掛ける準備をしているらしい。 「あのぅ…ど、どちらへ?」 「義希か?倫祐をこっちに回せ。出来るだけ急いで」 繋がった携帯にそう告げて、自室へと引っ込んでいく沢也を王座の間に居た数人が見送る。 数日前から準備をして、さああとはサプライズを実行するだけだと勢い勇んでいただけに、状況に付いていけずに口をパクパクさせる沙梨菜を有理子が椅子に座らせた。 ストンと座るも反応はなく、目の前に手をヒラヒラさせても瞬きすらしない彼女を諦めて、有理子は仕方なく沢也の出発準備を手伝うことにする。 その一分後。 「蒼、後は任せた」 「了解です。お気を付けて」 全てを終わらせて退出する沢也を蒼が見送ると、沙梨菜の瞳から滝のように涙が溢れ出た。 「沢也ちゃーん!かむばーっくぅ…」 床にへたりこみ、片手を伸ばす彼女を有理子が宥める。そこに義希が入ってきて、沢也が去っていった方角と沙梨菜とを見比べて頭を掻いた。因みに彼は数日前に完治して、本日仕事に復帰したばかりである。 「随分急いで出掛けたな…?」 「はい。始まったんですよ」 「始まった?」 義希の疑問符に答えずに、蒼は微かに俯いて笑顔を薄くした。 「それより僕の方が問題かもしれません」 「問題って?」 「忙しさにかまけて後回しにしてしまいましたから」 持ち上げた微笑を強くして、彼は曖昧なまま話を繋げる。 「分かって頂ければいいんですけど」 その声は最初から答えを分かっているかのような、そんな響きを持って義希の耳に届いた。 解説もせずに仕事に戻る蒼と、沙梨菜に説明を終えた有理子と、佇む義希とが微妙な空気に馴染んだ所に変化が訪れる。 「お待たせしました。そろそろ行きましょう?」 ふわふわとした空気を纏って扉を開けたのは、私服姿の雫だった。振り向いた三人が固まるのを、同じように硬直して眺める彼女に蒼が申し出る。 「すみません、雫さん。沢也くんが急な出張で、彼の代わりに会議を…」 「また…またお仕事ですか?」 前回を知っている有理子が沙梨菜の手を握り締めた。雫を振り向いた義希が、震える彼女を宥めようと足を踏み出す。しかし、彼の差し伸べた手はあっさりと払われた。 「約束したじゃないですか!今日は…クリスマスパーティーの…」 「すみません。また今度、日を改めて…」 「私の事、大事じゃないんですか?」 真っ直ぐに蒼を見据える雫の瞳は涙で潤み、今にもこぼれ落ちそうになっている。蒼はそれをいつもの微笑で見据えながら、何処か寂しげに呟いた。 「そう言う訳では…」 「もういいです!」 煮え切らない態度に耐え兼ねて、走り去る雫を義希の視線が追いかける。勢い良く閉められた扉の振動が収まると、王座の間は静寂に包まれた。 「…蒼」 「大丈夫ですよ。義希くん」 「オレ、追っかけてもいいよな?」 何事も無かったように仕事に手を出した蒼に対し、それが偽りであると見抜いた義希の眼差しが突き刺さる。 「ちょっと、義希…」 「駄目って言われても、行くからな!絶対連れてくるから!」 蒼から目を離さずに言い切って、止めに入った有理子に頷き、義希は転げるようにして雫の後を追いかけて行った。 一方その頃。 沙梨菜のサプライズでもある昼食のご馳走を食べぬまま、城を飛び出した沢也が何をしているかと言えば。 「ぶっ壊れたらそん時はそん時だ。一応予備で車やら何やら持ってきてはいるから、安心しろ」 沢也が運転するスクーターの後ろに乗った倫祐が、彼の言葉に頷いた。沢也はそのまま矢継ぎ早に説明を続ける。 「幸い現場はそう遠くない。しかしこれを皮切りにあちらこちらで同じ様な現象が起きる可能性があるから、数日は本島に残って貰うことになる」 前置きにも首肯で答えた倫祐は、沢也の背を詰まんで体を回転させ、スクーターのケツに後ろ向きで座った。 因みに現在地は海上80メートル付近。高スピードで移動中。 内心ひやひやさせられた沢也は、倫祐の動きが収まったのを認めてスピードを上げた。 「今んとこ、リーダー達が総出で土砂崩れの対策をしてくれている。僅かな見張りと物資担当が臨機応変で人員を移動、管理する手筈となっている。被害確認が済んだら、逃げ出した動物たちへの対処や逆ギレした貴族の寄越した使用人だの用心棒だのを大人しくさせんとならねえから、そのつもりで居てくれ」 風の音に混じって、背中伝いに届く声が倫祐の中で響く。伝わるかどうかも分からぬまま首肯を続ける彼に、沢也もまた伝わっているかどうかも分からぬまま話し続けた。 「俺は出来るだけ現場を回ってこいつで証拠を押さえてくる。それが纏まって、貴族が降参するまでの辛抱だ」 締め括りと同時に、倫祐は沢也を振り返る。それに気付いた沢也が同じように振り向くと、互いに数度の瞬きが交わされた。 「お前が良くてもこっちが困るんだよ」 辛抱も何も、別に本島に長期滞在で構わないとでも言いたげな倫祐に、それだけを簡潔に伝えた沢也はもやもやを頭の中で消化する。 彼の悩みなど知るよしもない倫祐は、彼の言葉を本音と社交辞令の間と、なんとも勝手な受け取り方をして一人納得した。 二人の目前に陸地が迫った頃。 煙草屋のカウンター内で啜り泣く雫のポニーテールを、困ったような千世の眼差しが見据えていた。 営業妨害宜しく唐突に飛び込んできたと思えば、蹲って動かなくなってしまったのだから仕方がない。 理由は前回を経験して察している。しかし説得の方法が思い付かず、千世は人知れずため息を付いた。 「雫は彼にどうして欲しいの?」 手探りに問い掛けると、雫は意外にもしっかりとした声で答えを返す。 「もっと私を見て欲しい。もっと愛情を注いで欲しい」 合間に声を詰まらせて、彼女は千世を振り向いた。 「私の言ってること、おかしいかな?たまには仕事よりも、私を優先して欲しいと思うのは…いけないこと?」 熱の籠った問い掛けは千世の表情を曇らせる。あなたは間違っていない。間違っていないけれど、間違っている。矛盾していそうで矛盾していない事実を説明しようと、千世が口を開きかけた所に影が落ちた。 「見つけた…」 声はカウンターの外側から。振り向いた二人は膝に手を付く義希と向かい合う。 「ごめんな、帯斗に、聞いて…」 走り回るうちに声をかけられ、事情を説明すると場所だけを教えてくれた。それを細かく説明しようにも、息が覚束無い上に宥められて、義希はとにかく深呼吸をする。 すーはーすーはー、数秒後に落ち着いた彼は、カウンターの陰に隠れて啜り泣く雫に手を伸ばした。 「このままじゃ駄目だ。取り合えず戻ろう」 呼び掛けに戸惑う彼女の腕に触れ、頷いた義希は更に続ける。 「会議まで、まだ少しなら時間がある筈だから…」 「行ってきなさい」 躊躇う雫を千世が後押しした。瞳を泳がせていた彼女は、暫しの思案を経てなんとか了承する。 その瞳は寂しさと怒りとで満ちているように見えた。 城へと向かう間中、口を開かない彼女の俯く横顔を見据えながら、義希はぼんやりと思う。どうしてだろう、と。 そしてその答えは、王座の間に到着すると同時にもたらされた。 雫は大扉の前に。蒼は王座の前に。二人の距離はかなり離れているが、それでもお互いは向き合っていた。 「どうして、追いかけてきてくれないんですか?」 雫の第一声を聞いて、部屋に居た有理子と義希が彼女を見る。 確かに、雫の心情的にはそうかもしれない。だけど蒼がそれを出来ない理由も、二人には良く理解できた。 「本当は私のことなんか…好きじゃないんですよね…?」 「そんなこと無いだろう?だって…」 「義希くん」 思わず割り込んだ義希を蒼が制する。彼は静かに首を振るだけでその先を言わなかったが、義希は敢えて口にした。 「良くない。良くなんてないからな!」 どうであろうと。ただ、伝えておくべきだと感じた事を。 「蒼はちゃんと、君のこと見てるよ…君のこと思って…」 「嘘よ!」 代弁した義希の言葉を否定して、彼を押し退ける。そうして徐に顔を上げた雫は、蒼に向けて震える声で言った。 「本当にそうなら、自ら追いかけてきてくれる筈だもの」 困惑する義希と有理子を他所に、雫は想いをぶちまける。 「私より国の方が大事なんでしょう?私が一番じゃないんでしょう?」 「そうですよ」 ここにきて初めて口を開いた蒼は、あろうことか断言した。彼は硬直する雫に、いつもの笑顔で言い捨てる。 「それに耐えられないと言うのなら仕方がないですね。僕は一人の人間でありながら、この国の王でもあるんです。国を蔑ろにはできません」 「そんなに肩書きが大事ですか」 「いいえ」 か細い声をも静かに否定して、蒼は僅かに微笑を変化させた。 「大事なのは、国そのものです」 聞き終えて、絶望したように腕を垂れた雫は走り去る。呆然と見送る義希と有理子の耳に、蒼の独り言が届いた。 「やっぱり、こうなってしまいましたか」 囁くような声色は、立ち尽くす二人を振り向かせる。視線を受けた蒼は、いつものように人差し指を回して見せた。 「彼女は悪くないんです。こうなる前に対処できなかった僕の落ち度ですよ」 「蒼くん…」 震える有理子の呼び掛けに、寂しげな笑顔で答えた蒼は、小さなため息だけで気持ちを切り替える。 「大丈夫です。それよりも会議用の資料…頂けますか?」 良く知っている間柄だからこそ分かる蒼の微笑の色を見て、有理子は黙って頷いた。義希もまた、彼女に倣って仕事に戻る。 数時間後。 昼下がりの会議は順調に終了した。 メールでそう報告を受けた沢也は、携帯を閉じて倫祐に向き直る。 崖崩れの現場はある意味騒然としていたが、二人が予想していたような物ではなかった。 傾斜のある森の中、真剣な眼差しで坂の上方を見据えていたリーダーが沢也と倫祐に気付いて笑顔になる。 「おーい!調教師が来たぞー!」 「調教師?!」 「なに言ってんすかリーダー!忙しすぎて頭やられちまいましたか?」 リーダーの呼び掛ける先で、暴れる鹿を押さえ込んでいたのは大悟と伝だ。彼等は息を切らせながら鹿の足の赴くままにこちらへと下ってくる。 「どうどう」だとか「るーるーるー」だとか言いながら鹿を宥めていた伝が、お手上げと言った様子で頭を掻きながら沢也の隣に付いた。 一方鹿の角を掴んだまま振り回されていた大悟は、倫祐が角に触れた瞬間に揺れが収まったことで目を白黒させる。 すっかり大人しくなった鹿は、倫祐に額を撫でられていたかと思えば、何事もなかったかのようにその場で膝を折った。 「…ぱねえ」 「調教師!調教師!」 「言ったろ?更に獣医付きだぜ?」 ドヤ顔のリーダーがふんぞり返ると、輝きを増す二人の視線が沢也を捕らえる。呆れて口元を歪ませた彼は、ため息のように呟いた。 「仮に医者だとしても、ヤブだけどな」 「ヤブでもいいから、あいつら診てやってくれ。写真はオレがやっとくからさ」 沢也の手からひょいとカメラを取り上げて早速シャッターを切るリーダーは、軽い調子で森の向こうを指し示す。そこには花形が座っており、怪我をした草食動物達が纏められていた。 「構わないが、まさかお前等あれ全部引き取るなんて…」 「無茶言うなよ!いくら親子でもオレは親父のような拾い癖は持ち合わせてないんだ。だいたいそんなことしてみろ?かみさんに大目玉食らっちまうだろうがぁぁあああ!」 沢也の疑問に対し、リーダーが詰め寄るように捲し立てる側から、倫祐の周囲に不安げな動物達が溢れかえる。足元に擦り寄ったうさぎを抱え、棒立ちに戻った彼の背後には新たな鹿が忍び寄っていた。 異変に気付いた沢也が振り向くと、リーダーも釣られて首を回す。大悟と伝が言葉を失うのも無理が無いくらい、崖崩れの影響で暴れていた動物達は落ち着きを取り戻しつつあった。 「こいつは随分と動物に好かれる体質みてえだな…」 「昔からだ。気にするな」 「機械クラッシャーと言い、どんなとんでも機能内蔵してるんだか…」 「お前までロボット扱いか?皮肉にしちゃあ度が過ぎる」 「敏感になりすぎ。単に不思議現象が起こりすぎだとぼやいただけだろ?」 小声の言い合いはそこで短く中断される。横目でリーダーの顔を盗み見た沢也は、湧き出た呆れをため息に変えた。 「いい大人が口を尖らせるな」 だって、とでも言いたげなリーダーが口を開きかけると、梺の方角から公久の大声が呼び掛ける。 「リーダー!門松さんが二つ先の山で呼んでますー!」 「はぁ?なんで直接電話してこな…」 苦言を溢し切る間にも、その理由は明らかとなった。 「直接呼んでるな」 沢也が呟く通り、何処からともなく「リーダーぁぁあああ」と絶叫する門松の声が聞こえてくる。ついでに用件までが空伝いに伝達された辺りで伝が叫んだ。 「有り得ねえ!」 「門松さんの喧しさなら有り得ますって!」 「お前等、この深刻な状況でよくそんなご機嫌でいられるよな…」 「オレのせいじゃない!オレのせいじゃないからな!」 続けて大悟、沢也、リーダーとがそれぞれのトーンで感想やら返答終える。その間も門松の雄叫びは続いたままだ。 「分かったから早く行って黙らせろ。ここにいるから何かあったら連絡寄越せ。ああ、間違っても山彦は使うなよ?」 「できるかっての!」 沢也のボケとも取れる発言にしっかりとツッコンで、スクーターを借りたリーダーは、それにまたがり携帯を耳に当てる。数秒後に門松の声が収まると、周囲からはあからさまなため息が漏れた。 沢也は倫祐をはじめとする周辺に動物の保護継続を命じた後、花形に付いて治療に精を出す。 その後事態の収集を確認した彼が一人城に舞い戻ったのは、深夜を越えた頃だった。 帰宅を待ちわびていた妖精達が、デスクに座ってコーヒーで一息付く沢也の周りに集まり、プリントアウトされてくる写真を眺めながら長い唸りを上げる。 「これは酷いな」 「無理に山を削った結果ですわ」 「治るまで、最低でも数年はかかる」 烏羽、桃、最後に一番植物系の魔法に通ずる翡翠(ひすい)が呟いた。 崩れた崖の殆どは、周辺の木々を無作為に斬り倒されて半分が禿げ山になっており、崩れて悲惨と言うよりはそちらの惨状の方が酷いようにも見える。 「悪いな。肉を切らせて骨を断つ感じになっちまって」 「限定的な地域なのだろう?それなら我々も黒龍も納得できる」 「烏羽の言う通りですわ。彼等が勝手に行った事に変わりはありませんもの」 憤りを滲み出させながらも冷静に言葉を並べる烏羽と桃の隣で、翡翠も黙って頷いた。名前の通り緑を基調とする彼は、倫祐と同じで元々口数が少ないらしい。 「経過はきちんと観察する。悪いがまた意見を聞かせてくれ」 「勿論ですわ。ね?烏羽」 沢也の頼みを快く受け入れた桃は、笑顔で烏羽を振り向いた。彼は彼女を通り越した先を見据えたまま、いつも以上に低い声を出す。 「余り無理はしてくれるなよ?」 その言葉で桃と翡翠も蒼を振り返る。視線を感じた彼が微笑を向けると同時に烏羽が浮き上がった。 退出する彼等を見送った沢也は、扉を閉めてデスクに戻り、資料を探す蒼に問い掛ける。 「大丈夫なのか?」 間を置かずに頷きはしたし、微笑も浮かべてはいるが、長いこと近くに居るだけに流石に違和感を覚えた。そうなれば、何があったかは大体想像が付く。 「悪かったな」 自分が抜けたことで狂いが生じた事は確かだろうと、呟く沢也に蒼は首を振った。 「あなたのせいじゃないです。それに、あなたの方こそ…とんだ誕生日になってしまったのではないですか?」 「自分が生まれた日なんて、対して特別じゃねえよ。俺からすれば、いちいち騒ぎ立てるお前等の方が不思議だ」 「半分は同じ考えですよ。でも僕は、一年に一度くらいは特別な日があってもいいような気がするんです」 にこにこと、話を明後日の方向に反らす彼は、沢也のため息に気付きながら話を続ける。 「だから貴方にも。特別な一日を過ごして欲しかったんですけどね」 そう言って微笑を強める辺り、それはきっと本心なのだろうと当たりを付けつつ。沢也はプリンターから吐き出された写真を纏めにかかる。 「これで解決するなら、これ以上ない特別な日だけどな」 「相変わらず色気がありませんね」 「あって堪るか」 「じゃあちょっとだけ色気のあるお話をしてもいいかな?」 整えた写真を捲っていた彼は、突然割り込んだ声に驚いて飲んでいたコーヒーを吹き出しかけた。 「何時だと思ってんだよ」 「それはこっちの台詞だよう」 「ガキは早く寝ろ」 「二つしか違わないのにぃ…」 噛み合わない会話を諦めて、沢也に取りつき一息付いた沙梨菜はポケットルビーから何かを取り出す。 「まあいいや。はい、これ」 散らかったデスクに乗せられたホットサンドに、沢也の歪んだ眉が向けられた。 「大丈夫。沙梨菜お手製じゃないよ?時田ちゃんにお願いして作って貰ったの」 続く弁解でこちらを向いた訝しげな表情に手を振り乱し、彼女は更なる言い訳を並べる。 「迷惑かけてないからね?ちゃーんとお金も払ってきたし…」 やっとの事で戻ってきた平常時の呆れ顔にほっとして、沙梨菜は擦り擦りと沢也の腕にこめかみを寄せた。 「ほんとはもっとゴージャスなお昼だったんだけど、夜食にはちょっと重いよね…。だからそれはまた今度」 当然煩わしそうに腕を持ち上げた沢也から離れ、後ろに手を組んだ彼女は、口を尖らせ肩を竦める。 「沙梨菜は、ほんとは一緒に居たいけど。沢也ちゃんは邪魔して欲しくないだろうから…今日はこれで寝るよ」 沢也は若干押し付けがましい申し出を有り難げもなく受け入れて、しっしと手を翻した。あんまりな扱いに涙目になりながらも、沙梨菜はすごすごと去っていく。 「おやすみなさい」 「良い夢を」 答えぬ沢也の代わりに蒼が返すと、彼女は笑顔で扉の向こうに消えていった。 沙梨菜の気配がすっかり消えた頃、静かな中に沢也のため息と舌打ちが落ちる。 「余計な気ぃ遣いやがって」 「何のお話ですか?」 「あいつにあんな気の使い方が出来るわけないだろ?」 「少しは信用してあげてくださいよ」 困ったように笑う蒼を横目に見据えて、沢也は再度ため息を溢し。 「ほんと…人のこと構ってる場合かっつの」 言いながら、徐にホットサンドを手に取った。蒼はその行く末を見守りながら笑みを強める。 「仰る通りです」 苦笑でも嘲笑でもある同意を口にして、席を立った蒼は長テーブルに数枚の用紙を乗せた。 同意書と、違約金に関する請求書。及び植林やインフラ整備など、自然復興にかかる査定表。 今回崖崩れの起きた現場は橡の所有地。夕方近くに門松が見付けた地割れは、隣接する「来栖」と言う貴族の所有地だ。 ある意味ターゲットとなった両家は、数ヵ月前に「土地開発」の同意書に記名している為、本日の、そしてこれから先に起こる全ての自然現象に対して「自己責任」が発動することになる。因みに同意書には、警告として「自然の保守」を推奨し、それを無視して開発を進め自然災害が発生すれば「違約金」と「復興費」を支払わなければならないと明記されていた。 よって、これから二人がやらなければならないのは、被害の実態を事細かに文字に起こし、請求金額を確定する作業だ。 「取り合えず、今日の分だけでも」 「はい。この先更なる被害が見込めますから。やれるだけやってしまいましょう」 眠気を払うために有理子から譲り受けた栄養ドリンクの蓋を開け、二人揃って傾ける。 一気に飲み干した人工的で不思議な味を別の飲み物で洗い流し、それぞれがそれぞれの作業に着手し始めた。 途中、起きてきた椿や有理子の協力も得て、朝が来るよりも早くに完成した請求書第一弾は、門松の代理で集荷をしている雅紀の手により回収。速達でそれぞれの貴族の元へと届けられる。 その内容は、既に両家の資産の半分を消し去る威力となっていた。 これにより、年末の決済と未だ終息していない「藤堂」の件に加えて、開拓派の家二つが潰れかける訳で。 「貴族院は暫く話し合い所じゃなくなりそうだな」 「そもそも開催できるかも分かりませんけどね」 「あっちも忙殺なら、こっちも忙殺だからな」 沢也の苦笑が三人に伝染する。彼の言う通り、いくら貴族からの干渉が静かになろうとも、これからも自然観察と請求書の制作は継続される為、郵便課(諜報部)と上層部は常に忙しく。且つ12月末にはクリスマスと決済が待ち受けているのだから、休む暇など有りはしないのだ。 「決済終わったら宴会…絶対宴会してやるんだから…」 直接決済に関わる財務課長が決意を露にする。それを苦笑いで見据える沢也と蒼の間から、椿が顔を出して人差し指を回した。 「それならば、先に手配してしまいまえばいいのではないですか?」 色んな意味で恐ろしい提案に、有理子は目を輝かせたが脇の二人は身を震わせる。 「確かに一部のやる気は引き出せそうですが…」 「無理にでも終わらせて強制参加させる気かよ…」 それぞれに項垂れる二人の呟きは華麗にスルーされ。 「善は急げ!思い立ったが吉日!早速手配するわよ!」 「お手伝いしますね」 有理子と椿は酒と食材、ついでに振り袖や正月小物を発注するべく尽力し、あっと言う間に宴会の予定を組み込んだのだった。 cp53 [招待状]← top→ cp55 [.] |