招待状





 光の色を吸い込みながら、高い高い天井へと昇っていく。決まった形はなく、周囲の環境に合わせて微妙に変化するせいか、時に紫、時には灰色、はたまた白と表現される事もある。
 沢也は自身が吐き出した煙草の煙を観察しながら、頭の一部で分析結果を、また別の所では、こうしていつも煙草の煙を眺めている人物を思い浮かべていた。
 そして口からは、思考とは殆ど関係のない質問を発する。
「なんでまた、煙草なんか買ったんだ?」
「成り行きですよ」
 答えた蒼は、眺めていた海から視線を外して観音開きの窓の片方を閉じた。
「本当は倫祐くんにと思っていたんですけど、先日渡しそびれてしまったので」
「そこにタイミング良く俺の愚痴が溢れたと」
 数分前に呟かれた沢也の愚痴とは即ち「煙草吸いてえ」だった訳で。蒼は直ぐにその存在を思い出して、ルビーから取り出し手渡したのである。
「倫がこっちに居る間中、兄貴に始末を丸投げするつもりみてえだな」
「後が恐いことになりそうですけど」
「なんとかなると思ってるんだから恐いよな。色んな意味で」
 二人の噂は勿論、定例会のあった日から連日押し掛けてきている秀の事だ。
 事件の余韻も未だ収まらず、年末が近い事も重なって、他の貴族達は揃って忙しくしていると言うのに。
「それだけ自信があるのでしょう」
「その根拠が壊滅的に間違ってるんだけどな」
 やれやれと。煙草を持ったまま伸びをした沢也は、手元から昇り行く煙に意識を戻す。
 現在、海羽は秀に連れられて下町に出ており、倫祐の方も義希の代わりに通常業務中の筈だ。
「どう手を回すかな…」
「変に小細工するよりも、真っ向勝負が吉だと思いますよ?」
「俺もそう思うんだが…」
「沢也ちゃーん!海羽ちゃんの招待状、どぉなった?」
 言葉の途中、バターンと開いた扉の向こうから元気一杯に問うた沙梨菜を指差し。
「女共がうるせえんだ」
 げんなり顔で沢也は言った。
「うるさくないもんー!シチュエーションは大事だよ?ロマンだよマロンだよ?あー、モンブラン食べたぁぁああい!」
 口を尖らせ騒ぐ彼女を蒼が宥め、沢也が仕事への出発を促す。
「沢也ちゃん。海羽ちゃんのこともそうだけど、ちゃーんとご飯食べてね?」
「うっせ。早く行け」
 去り際に念を押す沙梨菜を動物を払う仕草で追い払った沢也は、ため息を別の言葉に変えて蒼に問い掛けた。
「お前はどうするんだ?」
「どうしましょうね?」
 主語の無い質問ながらに意味を理解した蒼の即答に、鋭い眼差しが返される。
「誤魔化すなよ」
「分かってます。お仕事ですからね」
「その含みのある言い方は、俺にも圧力かけてやがるな」
「「も」ですか?」
「お前自身にも、かけてるんだろ?」
 短くなった煙草を最後に一口吸い込んだ沢也は、天井に向けて長く煙を吐き出した。蒼はその情景を眺めながら上の空に口にする。
「成る程、そう言う事ですか。無意識って怖いですね…」
「心中察するが、結論は早めにな」
「分かりました。他への断りも必要ですからね」
 何時もと変わらぬ微笑を竦め、了解を示した蒼の背中は、煙草を揉み消す沢也に見守られながら扉の向こう側に消えた。


 丁度その頃。
 王座の間を出て突き当たりより先にある三階の廊下付近に、城下町に抜ける丘をぼんやりと眺める海羽の姿があった。
 城の入り口こそ見えないものの、城門から向こう側は見渡す限り遮るものがない。だからこそ、ついつい足を止めてしまう。いくら待っていても、通らない事を分かっていながら。
 僅かな可能性を捨てきれない自分にため息を浴びせ、同時に「渡しに行く」勇気を持てない自分にも呆れる。
「招待状」
「え?」
 隣に立った秀の突然の発言に、内心ドキリとした海羽はひっくり返った声で答えた。
 対して秀はいつものように意地悪な笑顔で、きちんと続きを言葉にする。
「そろそろ完成したのではないですか?」
「…なんのお話ですか?」
「惚けないで頂きたい。クリスマスパーティーの招待状の事ですよ」
 知っていてわざと言っているのか。いや、知っている訳がないのに。この人の前では、いつも言葉が詰まるのだ。分かりきっているはずなのに、何と返していいか分からなくなるほど、自信に満ちた表情をしているから。
「まだ出来てませんよー!ね、海羽ちゃん♪」
 固まった海羽に助け船を出したのは、王座の間から歩いてきた沙梨菜だった。慌てて相槌を打つ海羽を疑いもせず、秀はあからさまに眉をしかめる。
「無能な上司を持つと困りますねぇ。そんな雑用すら満足に出来ぬとは」
 お決まりとなった小言に肩を竦め、俯く海羽の頭を撫でた沙梨菜は、後ろ髪を引かれながら仕事へと向かって行った。
「海羽さん。招待状が完成したら真っ先に連絡下さい?例え真夜中でも取りに伺います」
「あの…でも…」
「さあ、戻ってお茶にしましょう。本日のお茶うけは最高級のイチゴババロアですよ」
 海羽の腕を引き、言葉を途切れさせる事なく歩みを進める秀は、困惑顔の海羽を振り向く事なく王座の間に辿り着く。

 去年までは嫌でも頷くしか答えは無かった。しかし今年はそうじゃない。
 拒否をすることそのものが理由ではなく。他に望みがあるから、拒否をするのだ。
 秀に意思を示すのにも、倫祐へ意思を示すのにも。どちらにも勇気と気力が必要になる。

 分かっているのに。
 分かっているのに。

 強く否定できない。
 夜に会いに行く勇気が出ない。

 頑張らなきゃ。
 頑張らないと。

 それを望んでいるのは、僕自身なのだから。

 海羽が頭の中でそう考えながら、秀と向き合い紅茶を覗き込んでいる時。



 何も知らない倫祐は、ぼんやりと、遠巻きに。和菓子屋の軒先を眺めていた。


 そこはメインストリートから一本外れた南通りに建つ、良く言えば落ち着いた、悪く言えば古くさいごく一般的な和菓子屋で、入り口に扉が据えられていない…倫祐のような大柄な男にとっても比較的敷居の低い店だ。
 外からでも分かるように、奥に長い店舗の縦半分がショーケースとカウンター、もう半分が簡易的な休憩スペースとなっている。
 元より買い物が苦手な倫祐は例の噂の効力も手伝って、流行りに流行った洋菓子店に足を運ぶ気になれず。甘いものが食べたくなった折りには、なるべく店の近くに人通りもなく、且つ客の少ない時間帯に店を訪れては、まとめ売りの為梱包された和菓子だけを購入しているのだった。
 噂が蔓延している間は店に迷惑がかかる可能性も否定できない為、常連になるような事態は避けたい。とは言え、そうそう(美味しく且つ彼が入店しやすいと言う意味での)条件の良い店は見当たらず、なんだかんだで両手の指では足りなくなる位は来店している事になるだろうか。
 従って店の主である老夫婦にも、どうやら顔を覚えられてしまったようだ。…噂を知っていたのなら、最初から知っていた可能性もあるのだろうけれど。
「あら…いらっしゃい」
 フラフラと近寄る倫祐に気付いたのは、店番をしていた女主人だった。例外なく脇に積まれた饅頭や最中の詰め合わせを重ねてカウンターに乗せる倫祐を横目に、会計を済ませた彼女は何かを絞り出すようにして声を出す。
「…あの…」
「おい坊主」
 言葉を遮ったのは、店の奥から顔を出した店主だ。彼はゆったりと女主人の横まで来ると、倫祐に向けてずいっと何かを押し付ける。
「喰いな」
 差し出された右手には苺大福。無表情ながらにポカンとする倫祐にそれを持たせ、店主はぶっきらぼうにベンチを指差した。
「ごめんなさいね。うちの人は試食をして欲しいだけなんですよ。頼まれてくれませんか?」
 慌てて弁解するのは彼の伴侶であり、店の受け口でもある彼女である。断る理由も、方法ですら満足に持ち合わせて居ないことから、倫祐は好意に甘える事にした。
 頷いて紅い布が掛けられたベンチに座り、大福をもちもちしているうちに、女主人が緑茶を持ってカウンターの外に来る。
 倫祐が頭を下げると、彼女は固い微笑を伴い斜め隣に停止した。
「此処のところいらっしゃらなかったけれど…何かあったのですか?」
 躊躇うように数秒置いて発せられた質問に、内心驚いた倫祐は無言で瞬きを返す。
「不躾ですみません。でもね、ここは余り流行らないのに、あなたはいつも足を向けてくれていたから。つい気になってしまいまして…」
「どうせ飽きたんだろ。和菓子なんて、年寄りが喰うもんだ」
 彼女の言い訳に続き、奥から怒ったような主人の声が聞こえてきた。二人の性格を何となく認識した倫祐は、半端にしていた咀嚼をなんとか終わらせて、半端な弁解を試みる。
「出張で」
「あ?」
「出張?遠くに行ってらしたの?」
 突然の返答に面食らった主人の驚きと、女主人の問い返しが時間差で訪れた。倫祐はまた首肯だけで肯定する。
 何処と無く安心したような、取り越し苦労に気抜けしたような空気が漂う中、あっと言う間に完食した倫祐は苺大福の皿を差し出した。せめて感想だけはと口を開きかけると、主人が暖簾を掻き分け顔を出す。
「わざわざ言わんでも分かる。旨かっただろうがよ」
「ごめんなさいね。あなたがいつも生菓子を買わないものだから、変にムキになってしまって…悪く思わないで下さい」
 理由を聞いた倫祐が納得しながら申し訳ない気になるのを他所に、店の空気は殊更和やかになった。
 緑茶を飲み干し立ち上がる彼に、老婆は丁寧に頭を下げる。
「また来て下さいね」
 倫祐は当たり前の筈の営業文句を久々に聞いた気がして、思わず振り向き礼をした。
 人の少ない街道を進みながら、手に持ったままだった商品をポケットルビーに仕舞いこむ。そのまま路地を抜けて大通りに出ると、いつものように人差し指を向けられた。
 彼は気にせず歩を進め、数分後には駐屯地へと繋がる路地に入る。
 数歩先で足を止め、思い出したように煙草をくわえると、微かに苺の味がしたように思えた。


 苺大福の苺はあんこの甘さと対抗させるべく、どちらかと言えば酸味のあるものが好ましいだろうが。

 城で振る舞われたイチゴババロアは酸っぱさよりも甘さが強く、口当たりの良さからしても確かに高級で洗練された味がした。


 それでも余り食べる気のしない海羽が、秀の目を盗んでこっそりこしらえたイチゴパフェの底にあったババロアを口にしながら、休憩中の蒼は自分の席からぼんやりと空を眺める。
 和解から一週間以上が経過した。
 彼女は相変わらず気付かない。気付かないまま、無邪気に笑う。
 それが本心なのか、無理をしているのか、正直なところ蒼には判断がつかない。
 このままで良いとは思えずに、話をしようと試みても上手いことかわされて。踏み込もうとすればするほど逃げていく様子を見るうちに、彼女にとってはこれくらいの関係が心地好いと言うことだろうかと、半ば諦めモードに陥ることすらあった。
 それでも、無理にでも話をするべきだと理解はしている。しているのに踏み出せないのは、自分がまだ遠慮の中に居るからだろうか。
 静寂の中に混じった喧騒が、彼を思考の世界から遠ざける。遠ざかっても僅かに残された思念をそのままに、蒼はノックに返答した。
 入室したのは予想通り、ティーセットを持った雫である。彼女は彼の隣まで来ると、いつもの笑顔で話を切り出した。
「クリスマスパーティーがあるんですよね?」
 内心複雑な心境に陥りながら、しかし顔には微塵も出さずに雫を見上げる。そんな蒼に対して彼女は臆面もなく、楽しげに話を繋げた。
「さっきメイドさん達から聞きました。大きなパーティーだって」
「はい、そうなんです。一般からは抽選になってしまいますが」
 蒼の説明通り、クリスマスイブは一般から抽選で当選した男女を含めての。クリスマス当日は貴族限定での社交パーティーが通年行事として定着している。
 招待状は基本的に女性に対して二枚送付され、女性はそのうち一枚を任意の男性に手渡す事で、ペアとして参加することが出来る…簡単に言えばそんな仕組みだ。
「陛下は勿論参加なさるんですよね?」
「そうですね。そうなると思います」
「その場合、お相手はどのようになるのですか?」
 昨年は王都に居なかったと言う雫も、どうやら概要を聞いてきたようで。誤魔化す事も出来なかった蒼はそのままを口にする。
「僕の場合は特別で、逆になるんですよ」
「つまり、陛下が女性に招待状をお渡しするのですね?」
「そうなります」
 終始変わらぬ笑顔が頷くと、雫もまた首肯して朗らかに言った。
「私にくれませんか?」
 流れから予測していたとは言え、直球も直球な発言に戸惑った蒼は思わず天井を見上げる。
「…ダメですか?」
「ダメ、と言う訳では…」
「それなら…」
「ですが、余りお奨めしません」
「またそれですか?」
 苦笑に似た回答を聞き、雫は不服そうに頬を膨らませた。蒼は微笑を元に直して説明を始める。
「一般参加が主とは言え、その日も貴族の来訪がありますから」
「貴族が居るのと、私が行く事と、何か関係があるのですか?」
「僕の場合はどんなパーティーでもお仕事ですから、あなたに招待状をお渡しした場合、協力して頂かなくてはならなくなります」
「構いません。いつものようにしたらいいのですね?」
「そうとは言い切れません」
「陛下は心配症ですね。大丈夫です。私、きちんと対応しますから」
 その後もしきりに口を挟もうとしたものの、大丈夫で押しきられては説得の隙もなく。蒼は仕方無しに、身をもって貴族の面倒さを分かってもらうしかないと諦める事にした。
 彼の本当の心情に気付かぬまま、安堵した雫が次の質問に移る。
「そうと決まれば、準備が必要ですね。陛下はお城でされるのですか?」
「いえ。知り合いの呉服店が下町にありますので、まとめてそちらに…」
「でしたら、一緒に行きませんか?今度の空き時間に」
 身を乗り出しての進言に、蒼は身を引くことこそしなかった物の言葉を詰まらせて僅かな間を作ってしまった。
 当然、雫は難色を示されたと感じて垂直に直り、口を尖らせる。
「この前の埋め合わせ、まだしてもらっていません」
「分かりました。ですが、もう少し良く考えてからでも…」
「大丈夫ですってば。それよりも、約束です。今度は絶対ですよ?」
 そう言って、彼女は小指を差し出した。蒼は細い指を見据えたまま微笑を傾ける。
「絶対はちょっと」
「どうしてですか?約束してください」
「そうしたいのは山々ですが、イレギュラーが発生しない補償はありませんので」
「イレギュラーなんて関係ないです」
「しかし…」
 押し問答は大扉の外からの呼び声に遮られた。声の主である沢也の声色からして、急な来客だろう。
「すみません、少し行ってきます」
「約束ですよ」
 起立して、歩き出さんとする蒼の手を掴み、雫は無理矢理指切りをした。
「雫さん…」
「無理にでも約束して頂きます」
 真剣でいて寂しげな眼差しが蒼を貫く。彼は困ったように肩を竦め、最後の抵抗として押しの弱い釘を差した。
「あまり期待しないで下さいね」
「期待します。楽しみにしていますから」
 殆ど抜かれたと言っても良い釘を、どう打ち直して良いかも分からず。蒼は心残りをそのままに、静かな王座の間を後にした。

 二人はその後、顔を合わせる事なく残りの勤務を終える。

 雫は仕事帰りに千世の元へ寄り、いつものように半一方的な世間話に花を咲かせていた。
 話題は仕事の事から当たり前に蒼の話に流れていく。
「今度またデートするの」
「根に持っているのに?」
 締め括りの呟きに毒を吐いた千世は、振り向く雫を制して接客に戻った。注文の品を迷いなく選び取り、代金と交換に手渡す作業は僅か数秒で終了する。雫は客が去っていったのを見届けて、千世に向き直り言い分けた。
「そうだけど。でも彼も謝ってくれたし、まだ好きだし。信じてみようかなって…」
「そう言う問題ではないと、何度いったら分かってくれるのかしら?」
 呆れたような溜め息に、カッとなった雫は身を乗り出して捲し立てる。
「私は陛下であり、紫さんでもあるけれど、蒼さんと言う一人の人間とお付き合いしているの!そこに職業は関係ないじゃない!」
「え…」
 長文の最後に聞こえた小さな声は、可愛げはあったが確かに男性の物だった。恐る恐る振り向いた二人と、カウンターの向こうで目を見開く帯斗が向き合う形になる。
「あ…」
「聞いてしまったかしら?」
 口をパクパクする雫に対し、千世は落ち着いた様子で彼に尋ねた。帯斗が頷こうと頭を動かすと、雫がぐいっと乗り出してきてその腕を掴む。
「お願い!秘密にしてくれない?極秘事項なの…」
「その極秘事項をぺらぺらと口にする方が問題なのよ」
「分かってる。でも…」
「あの、俺、誰にも言わないっすから…」
 言い合いを宥めるようにして割り込んだ帯斗の言葉に、雫がホッと胸を撫で下ろした。
「本当?ありがとう」
「ごめんなさいね」
「いえ。でも、今のって何処まで本当なんすか?」
 帯斗が半信半疑と言った調子で訊ねると、二人は顔を見合せて瞬きをする。
「一応殆どって事になるかな?付き合ってるってところ以外は…」
「付き合ってないんすか?」
「うん。そう。まだ、ね…」
「まだ、っすか。じゃあそのうち…」
「なるといいなって、思ってる」
苦笑のような照れ笑いのような、なんとも言えぬ表情を返してくる雫に、帯斗はしっかり頷きを返した。そうして次に躊躇いがちに問いかける。
「じゃあ、あの…紫さんは…」
「うん…ここだけの話、陛下の変装なの。息抜きなんだって」
「息抜きっすか」
「そ。ずっとお城に居たら息が詰まっちゃうでしょう?」
「確かに、そっすね…」
 雫の解説に帯斗が納得した所で、夕方の時報が鳴り響いた。それは橋にある関門の天辺に据えられた大きな鐘の音で、この時期は決まって5時を報せてくれる。
「そろそろ行かなくちゃ。悪いけど宜しくね?」
「了解っす」
 タイムセールを思い出し、脱兎の如く去らんとする雫の背中に答えを注いだ帯斗は、最後にカウンターに向き直って小魚の小袋を手に取った。
 千世はお釣りを手渡しながら、背の低い彼の顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「大丈夫…っす」
 取り繕いきれなかった笑顔を誤魔化して、小魚を受け取らんとした帯斗の頭が背後から小突かれた。
「よー。チビッ子帯斗ぉ」
 その上のし掛かられた事によりカウンターに突っ伏した帯斗は、力任せに悪戯を押し退けてムキーと抗議する。
「んな怒るなよ。パトロール、終わったんだろ?早く帰るぞ?」
 帯斗の怒りにそぐわぬ反応で頭を撫でたのは、気だるそうな諸澄だった。三週間がかりで怪我を治したばかりの彼は、微笑む千世に適当なお辞儀をした後に、帯斗のジャケットを引っ掴み駐屯地へと足を向ける。
 最初こそ抵抗していた帯斗も、次第に普通に歩いて彼の後ろに付いていった。
 互いに無言で駐屯地に辿り着き、こざっぱりしたデスクに腰を据える。先客は一人リサイクル合戦の延長戦を楽しむ轟だけで、鋸の鳴く音がやかましい以外は実に静かな物だった。
「招待状、そろそろだよなぁ?」
 先に口を開いたのは諸澄だ。報告書に綺麗な文字を書き連ねながらあからさまなため息を付く。
「そだな」
 対して気のない返事をした帯斗は、真剣ながらに歪んだ文字を書き連ねては同じように息を吐いた。
「今年もなんも無しっぽいんだろ?」
「ズミこそ」
「黙れチビスケ」
 諸澄の悪態は帯斗の持つ鉛筆が酷い音を立てた事で途切れる。半分に折れた鉛筆を持ち直し、なにも言わぬまま報告書を書き続ける帯斗を見て、諸澄が呆れた声を出した。
「辛気クセえなぁ…何なんだよ最近変だぞ?まだ気にしてんのか?」
「分からなきゃ移動させられるかもしれないんだ。必死にもなるだろ?」
 俯きながら机を叩き付けた事で、室内に静寂が訪れる。帯斗は自分を抑えるように歯を食い縛り、ぽつりと一言呟いた。
「…悪い」
「なんだなんだ深刻な話か?若いのに立派なこってぇ」
 重い空気を破壊する勢いで金槌を掲げた轟が、金槌ではなく爆声により緊張を霧散する。
「あんたは能天気でいいよな。帯斗も、んな死とか暗いこと言ってねえでこいつみてえに…」
「それじゃあ駄目なんだよ!」
 呆気に取られた諸澄が便乗しにかかるのを、帯斗の叫びが遮った。
「お前だって本当は分かってるんだろ?何でそう…」
 立ち上がり、上から必死に解こうとする彼を見上げる諸澄は、次の瞬間耐え切れずに顔を俯かせる。
「ちょ…泣くなよ!」
「うっせえ!オレだってアドバイス出来るもんならしてやりてえよ!」
 泣いているのを誤魔化してそっぽを向き、帯斗と同じく叫んだ彼は悔しげに続けた。
「オレは正直、お前が羨ましいくらいだ。それくらい無頓着で居られるなら、それに越したことはねえだろうがよ…!」
「そんなことあるか!あの参謀が、俺のこと…危ないって言ったんだぞ?」
「オレだってもっと考えろだなんだ言われたっつーの!」
「つまり、互いに話し合いが必要だって事だな!よおし、此処は自分に任せて貰おう!」
 小競り合いに割り込み二人を離した轟は、大音量に驚いて黙る彼等に眩しい程の笑顔を見せる。
「まあそんな顔をするな!お前等は正反対の悩みを抱えてる可能性がある。だから今は分かり合えんでいるが、しかし互いに解決への糸口を知っているかもしれんと言うことだ」
 ローマ字で表記されそうな笑い声を半ば呆然と聞いていた二人のうち、先に正気を取り戻した諸澄が食ってかかった。
「んでお前にそんなことが分かるんだよ!何も知らないくせに偉そうに仕切るな!」
「うむ。そうか。それもそうだな。一理あるぞ!」
 頷き過ぎるほど頷いて、轟は何の前触れもなく携帯の通話を開始する。
「参謀。頼みがある」
 直ぐに繋がったであろう相手…沢也にそう告げた直後。
「諸澄って隊員なんだがな。少しの間オレに任せてみてはくれないか?」
「はぁ!?」
 唐突過ぎるほど唐突な発言は諸澄にすっとんきょうな声を上げさせた。その後も入り込む隙がない轟の相槌は、通話を切った事により終了するが。
「定一氏と四人で良く話し合って決めてくれとのことだ!」
「四人でって…俺もっすか?」
「ふざけんなよ!何で第二がでしゃばっ…」
「何となく察したよ。じゃあ早速話し合おうかね」
 とりつく島もないとはこの事かと頭を過る間なく、喫煙室からのっそりと現れた定一の一声で全てが確定する。何故なら、何時もなら面倒臭がって放置しそうなあの定一が、「早速」と言う単語を使ったからだ。
 明るく同意する轟の背後、驚愕ながらに置いてけぼりを喰らった19歳コンビに定一の欠伸が向けられる。
「面倒ごとは早めに潰すに限るだろう?」
 いつものやる気ない定一の、いつもよりハッキリとした声を聞いて、二人は渋々了承しては喫煙室に収納された。




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