定例会




 穏やかな時が流れる。
 それは例え束の間でも彼女に安らぎを与えたし、彼女自身もそれを自覚していた。
 沢也や咲夜、魔法課とマジックアイテム課の手助けもあって、山脈のようだった書類の束も半分以上無くなっただろうか?お陰でのし掛かる心労も書類の嵩と同じだけ減ったように思う。
 しかしそちらに余裕が出来た事で余計な事を考える時間が増えてしまい、海羽の表情を陰らせていた。

 最後に顔を合わせたのが嵐の日。会話に至っては七夕以来となる。
 元々余り話をすることなど無かったかもしれないが、海羽は何日も彼の顔を見ていない事に不安を覚えていた。
 それが何処から来るのか、そしてどう言った主旨のものなのか、測りかねて短く唸る。

 一度顔を見る前は二年間も我慢できたのに、今はどうして駄目なのだろう。
 余裕が欲を呼ぶのならば、常に忙しくしていた方が良いのだろうか?

 そんなことを考えながら、備品の買い出しを終えた海羽は現在、城門前で帳簿にサインをしている最中である。
 茂達の支える下敷きに圧力をかけぬよう、うっすら丸々と記入された小さな彼女の名前は、数十分前に書いた退城のサインと並んでいた。
 事務的な挨拶を終えた茂達は、ぺこりと礼をして去っていく海羽から視線を直す。
 背後からすっかり気配が消えた辺りで、相方の正宗から珍しい種の溜め息が零れた。
「ぱっとしないよなぁ…」
「何がだ?」
「あの子だよ。言い方は悪いけどさ…なんて言うか…」
 地に刺した槍に寄り掛かり、やるせなさそうに呟く彼に対する返答はない。それが先を促す合図だと知っている正宗は、一息置いて結論を言った。
「もっと顔をあげてさ、笑顔の一つでも見せたら、絶対可愛いだろうに」
「正宗」
「そんな顔をしてくれるな、茂達よ」
 分厚い眼鏡の上で微妙に歪んだ茂達の眉。正宗は声色とそれだけを見て彼の内情を読み取り、困ったように言い分ける。
「これは一人の女の子としてと言うよりも、どちらかと言えば父親的観点に近いわけで」
「そうか」
「分からんかねえ」
「いや、そう言うことであれば同意出来んこともない」
 視線だけを俯かせて言う茂達に、正宗の殊更細くなった瞳が向いた。
「珍しいな。お前さんが女の話に乗ってくるとは」
「言ったろう。父親視点で見ていると」
「とは言えそう歳が離れている訳でもないんだがなぁ」
「それは最もだが。流石に心配にもなるだろう。幾度となく顔を合わせていながら、自分の脳内に彼女の笑った顔が記憶されていないのだから」
「俺の中にも無いなぁ。あの愛想笑いを笑顔に数えるなら、別だけんども?」
「それは難しいだろう」
「同意が得られて嬉しいよ。茂達」
 互いの見解一致を確かな物にして、二人は三階の廊下を見上げる。

 その先では小さく溜め息を漏らした海羽が、丁度窓際から逸れて曲がり角を折れた所だった。
 両腕で抱える紙袋の中身は主に雑貨で、自分のものも含めたおつかいの品々が顔を覗かせている。
 海羽は王座の間の扉前で今一度立ち止まり、買い物メモと自身の記憶を照らし合わせた。
 数十秒程かけて全てを確認するうちに、彼女は室内から微かに聞こえてくる沢也の声に反応する自分に気付く。焦って取り落としそうになった紙袋をなんとか抱き止めて、僅かに開いた扉と扉の間に体を滑り込ませた。
「なんでも良い。お前か小太郎で居場所が分かるようにしておいてくれ」
 電話相手にそう言って、何度か相槌を打つ。その後沢也が通話を終わらせる間に長テーブルの端に紙袋を固定した海羽は、口から溢れださんとする言葉をなんとか押し込めた。
 沢也はあからさまに挙動不審な彼女を振り向き、不器用な笑顔を見せる。
「聞いてたみてえだな」
「あの…うん…。えと、帰って来てるのか…?」
 と、言うか呼び寄せたんだが。と口の中だけで呟いて、沢也は海羽に頷いて答えた。
「渡すなら今のうちだろ」
「うん…あの、そうなんだけど…でも…」
 どもる海羽から目を逸らし、彼は引き出しから二つの封筒を取り出す。
「試作も兼ねて。第一号だ」
 群青の蝋で桜の封印が成されたそれは、12月の一大イベント専用の招待状だ。
「急いでくれたのか?」
「取り合えず身内の分だけな。残りはサンプルを見本に民衆課に投げる」
「八雲さんが泣くわよ?」
「いや、喜ぶだろ」
 入室するなり割り込んだ有理子の唸りをスルーして、溜め息を吐いた沢也は海羽に封筒を押し付ける。
「とにかく、今日中に全員集合させて定例会を…」
「わ、分かった。その時に渡したら良いんだな?」
「頑張りなさい?」
 意気込みはテンパり気味に、言葉を遮られた沢也は続きを溜め息に変えて仕事に向き直った。
「ちょっとまた…あの、買い出し…定例会やるなら、何かあった方が…」
「行ってらっしゃい」
 半端に引かれたままの椅子に躓きかけながら、しどろもどろに申し出る海羽の背中を有理子が支える。
 静かになった王座の間で、おつかいの品を仕分け始めた有理子のやれやれは、沢也の長い吐息と見事に重なった。

 二人の心情をなんとなく察しつつ、それでも動揺を抑えきれなかった海羽は、落ち着かぬまま駆け足で城門に舞い戻る。
「おや。またお出掛けですか?」
 息を切らせた彼女を見た正宗が、先の話を思い出して微妙な顔付きを浮かべると、海羽は茂達からペンを受け取りながらわたわたと言った。
「す…すみません、何回も…」
「いえ、構いませんが」
「買い忘れかな?」
「あ、はい…ちょっと、その…材料を」
 俯き気味に呟いてサインを終えた彼女を、二人の敬礼が見送る。
「お気をつけて」
「いってらっしゃい」
 見事な時間差で連なった挨拶を振り向いた海羽が、微かに浮かべた笑みを前に両者が硬直した。それに気付かず駆けていく後ろ姿に聞こえぬ声量で、正宗が問う。
「…同一人物…だよな…?」
「少なくとも彼女が双子であると言う情報は入っていないが」
「もしや今のはかなりのレアか?茂達」
「それよりも自分はあのようになった原因の方が気掛かりだ」
 ふむ、と一息ついて。空を見上げた正宗は独り言のように口にした。
「…まあ、見当は付くけど」
「例の貴族のことか?」
「それは当たり前として」
「…ならば、勘か」
「そう。勘だけど」
 茂達の微笑に頷き頷き、体勢を直した正宗が徐に肩を竦める。
「あれはきっと、恋だね」
 冗談にも聞こえる真面目な見解は、長年の相棒である茂達を直ぐに納得させた。何故なら鋭すぎる正宗の勘の中でも、人間関係に関するものは外れた試しが無いからだ。


 一時間程が経過して。


 小麦粉や卵等の追加を仕入れて戻った海羽は、城の厨房を間借りしてタルトを作る。城内林檎祭りは絶賛継続中で、そろそろ残った全てがジャムのストックの犠牲になりそうな勢いで飽きが生じていた為、林檎の使用は大歓迎されたのだが。何だかんだで匂いを嗅ぎ付けた人々の熱望を受けて、メイドさん総出で食後のデザートの下拵えにまで発展する始末となった。
 漂う香りは王座の間は勿論、外に居る門番達の鼻先にまで届き、そのうち城全体を包み込みそうだとの戯れ言を生み出す。
 沢也が若干の不機嫌に陥った頃、やっと下拵えから抜け出した海羽がタルトワンホールを持って王座の間に帰ってきた。
 それが八人分。沢也の分は別で甘くないものを。続けて有理子の手を借りて紅茶やコーヒーも用意する。
 そうして当初の予定通り、定例会はティータイムに開催された。

 今回は主に乱雑する国内の問題、国や周囲の動向についての見識を合わせる事を目標と定めている。従って室内に響くのは基本的に沢也の声と、理解が追い付かなかった数名が頭から昇らせる小さな爆発音だけだ。
 無理矢理横道に逸らされる沢也の話を、茶々を省いて要約したのが以下である。

 まずは国と孝、夏芽等が共同で行っているリサイクル事業について。
 先日の不用品回収から数週間を経て、新たな技術開発が始まったことを知らせた。
 この件に関しては妖精も協力的で、国中に広がって欲しいとの見解を示している。近々孝と夏芽を招いて、妖精を交えた会合を開こうと検討、調整している最中だ。
 本当なら極秘事項を始め、もっと頻繁に話し合う事を必要としているのが前述の二人なのだが、敵となる貴族達に悟られる危険性を考えると、なかなかそうも言っていられない。
 そこらの匙加減は大変難しく、且つ全てを機械、魔法任せにするような無責任な真似が出来ない案件な為、細心の注意を払う必要があった。
 此処で言う極秘事項とは即ち、「烈の遺産」とも言えるもの…彼が身勝手で精製した妖精のクローンから取り出した「心」の所在である。
 心の管理には孝、夏芽の両者と国の上層部、更には妖精、黒龍までもが関わっており、これが崩れればどうなるかは、集まったメンバーも重々承知していた。
 貴族院の面々がその存在をどれだけ認識しているか、正直な所定かではない。しかし妖精と同じくらい…いや、それ以上に守るべき存在であることは確かなのだ。
 何故ならクローンの心だけでなく、本物の心も保存されていたのだから。
 これは憶測でしかないが、烈が持っていた「心」は元々組織の管理下にあったもので、その全てを烈が取り出した訳ではないのだろう。だからこそ見た目に差違のない「本物」と「偽物」を区別出来ずにただ保存しておいたのではないか…と言うのが妖精と沢也の見解である。
 烈は元より人間や妖精に置ける個々の差等に興味がなく、本来妖精の力を持っていれば見分けが付くものも付かなかったのだろうと烏羽は言った。
 確かに悪魔になったとは言え、元となっているのは妖精の力なのだから、最悪対峙する前に「心」の力が使われていたかもしれなかった事実を想像してゾッとしたのが、国として機能し始めた頃だろうか。
 蒼の父親が何を思って「本物」を保存していたのかは今となっては分からないが、正直な所とんでもない爆弾を残してくれたものだと…発見当初は愚痴を溢しあったものだ。
 とにもかくにも、現在進行形で調査している妖精と悪魔の具体的な違いや、「心」に関する重要事項、その他諸々は今後も定期的に話し合う事として。
 次に話題に上ったのはリリスに集めたハンター達のその後について。
 小次郎からの報告によれば、毎日きっちり監視下に置いた所、なんとか改善方向に向かいつつあるのではないかとのこと。未だやる気の見られない者あり、さっさと就職して出ていく者ありと、既に差が出てきているらしい。
 そんな愚痴を溢した小次郎と共に製作した強化剤の試作品の方はと言えば、細かな調整を経て使用許可を取り付ける最終段階にまで達した。こちらは沢也と海羽の指示のもと、技術課の科学に明るい人物と、マジックアイテム課の薬学に詳しい人物とが共同で仕事を進めている。
 どちらも若干の時間は要するが、アクシデントさえなければすんなりと事は運ぶだろう。
「じゃ、つまり問題ないってこと?」
 半分以上を諦めつつもニュアンスだけは理解した義希が問うと、沢也は頷いて眼鏡を持ち上げた。
 未だ包帯から解放されない義希の座る椅子だけが特別にソファであり、その隣に固定された有理子共々頭が数個分低い位置にある。少量とは言え固形物を食べられるようになった為、二人の間にもタルトがワンピースずつ置かれていた。
 話が一区切りしたことで、室内は安堵の空気に包まれる。しかしそれも束の間。
 沙梨菜と小太郎、倫祐の前から空になった皿を回収した海羽が、トレーから紅茶のポットに持ち変えた所に携帯の着信音が聞こえてきた。
「どうした?」
 電話を取ったのは例によって沢也だ。彼は顔色こそ変えずに相手の話を聞いていたものの、最後の返事の直前に漏らした泥のようなため息と、低すぎる声色が周囲の表情を曇らせる。
「了解。報告感謝する」
 それだけ伝えて通話を切った沢也は、ふわふわと紅茶を注ぐ海羽の動作が止まるのを待って告げた。
「秀が来たそうだ」
 一瞬の沈黙を融かしたのは海羽の首肯と、ポットを置く音。その直後、例の足音が遠く聞こえてくる。
「わざわざ走ったのかしら…」
「そこの廊下はわざと低速移動するだけで、普段は早足なんだろ?」
 悠長に構える隙を与えぬ相手の動きに慌てつつ、有理子は義希を部屋に送り戻した。ついでに沙梨菜が倫祐を避難させようとしたが間に合わず。
「海羽さん!ご無沙汰しております。私に会えず寂しかったでしょう?さあ、今すぐ出掛けますよ!」
 バターンと扉を開くなり笑顔の早口で捲し立てた秀は、室内の状況を見て固まった。
「これはこれは…皆様お揃いのようで」
 気にせず持ち場に戻りつつあった全員を引き留めるように咳払いをし、大きな瞳を細くする。退出しようとした小太郎が出口を塞がれて所在無さそうにする中、秀は全てを無視して海羽に歩み寄った。
 間近に迫った彼女の腕に目的の品を見付けられず、眉をしかめた彼は直ぐに沙梨菜に背を押される倫祐を指し示す。
「あれに取り上げられましたか?」
「え?」
「ブレスレットです」
「いえ、あの…部屋に…」
「外せと強制されたのですね?」
「あの…ちが…」
「そこで待て」
 海羽の話など聞くこともせず、倫祐に命令した秀は、海羽を引っ張って部屋を出て、一分後に舞い戻ってはブレスレットの付いた海羽の腕を掲げた。
「あなたにはこのような高価で美しい品を贈ることなどできないでしょう?」
 してやったり顔の彼は、周囲から注がれる大量の瞬きに気付くことなく踵を返す。
「さあ参りましょう。この良い日和に部屋に籠って会議などしていられますまい」
 先程同様引き摺られていく海羽は、前を行く秀の後ろ姿を見据えたままポカンと口を開けていた。
 扉が二人と残されたメンバーとを遮った事で、空気の抜ける音が連続して連なる。
「今日が会議だって知ってたのかな…?」
「いや。あっちから倫が消えたとでも報告を受けて、すっ飛んで来たんだろ」
「執念深過ぎてキモいな」
「昔の小太郎くんより酷いですよね?」
 沙梨菜の疑問を皮切りに、沢也、小太郎、蒼と続いた台詞は、小太郎がどもったことで滞った。
「と…兎に角、おれ様は帰るぜ?くれあに土産も渡さねぇとだしな」
「倫、お前は戻る前に少し付き合え」
 誤魔化すように手を振る小太郎は、頷く倫祐と沢也を待たずに帰路に付く。沢也は沙梨菜に腕を振り回される倫祐を救出し、小太郎を追うようにして階下へと誘導した。

 途中、顔色を窺ってみるもいつも通りの無表情で、何かを言いかけてみても逆に首を振られてしまい、沢也は若干肩の力を抜くことにする。
 辿り着いたエントランスは外の明るさをそのまま映し出し、絨毯の青を綺麗に浮かび上がらせていた。
 沢也が中庭に続く扉を開き、後に続く倫祐がそれを支える。殆ど無音で行われた二人の行動は、背を向けた門番を振り向かせるに至らなかった。それに気付いた沢也はどちらにともなく声をかける。
 釣られた二人は連れ立って歩く二人に丸く…なったのかなっていないのか分からぬ瞳を向け、沢也の進行に合わせて正面に直った。
「形式的なもんだが、本隊として初めての顔合わせだ」
 宣言に納得した正宗と茂達は、当たり前のように時間差で台詞を繋げる。
「てことは、本日付けで?」
「正式に移動と言う事になりますか」
「まあ、実質もう本隊への移籍は済んでるんだがな」
 曖昧な沢也の回答に肩を竦めた正宗と、吐息を吐いた茂達の視線がゆっくり気味に倫祐に固定された。
「さて、お前等の上司はこの通り無口なんで。質問があるなら今のうちに」
 瞬きを繰り返す彼の代わりに沢也が言うと、まずは小さく茂達の左手が持ち上がる。
「自分達は街に降りる事がまずないので、通常時の隊長の戦闘方法を拝見した事がありません」
「ああ、確かに。普段どんな戦い方してるのかは、見てみたいかもしれないです」
 正宗の同意までを聞いた沢也は、短く思案して聞き返した。
「本気で戦わせたいのか、それともあくまで街に居るとき程度で構わないのか」
「…街で本気になるような事はないと?」
「今のところないだろう。あったら少なくとも建築物に被害がある筈だし」
「どちらも見てみたい、ってのは無しですか?」
「無しではない。しかしそうなると、今日中には無理だ」
「道場が破壊されるから、ですか?」
「正解」
 続く問答はそこで途切れ、三人はそれぞれに唸りを上げた。その間も呆然と佇む倫祐は、正宗と茂達の間辺りを眺めている。
「因みに大臣はどのようにして意思の疎通を?」
「どのようにと言われてもな…」
 当然とも言える正宗の問いに、腕を組んだ沢也は横目に倫祐を見上げ、振り向いた彼と短くアイコンタクトを交わし、門番二人と向き直った。
「このように、だ」
 困ったような回答の真意は、正直なところ分からなくもない。しかし出会ったばかりの人物とそれをやれと言われると…全くの別問題である。
「どうしてもとなれば筆談くらいはやる。そう心配するな」
 不服そうな二人の思考を読んだような補足に、納得と苦笑の合わさった表情が向けられた。沢也は倫祐に念を押すように見上げ、彼が頷くのを待って二人に告げる。
「他に無ければ今日はこれで」
「はい。また今度ゆっくりと」
「承知しました。後は自力で集めます」
 別れ際は簡潔に、沢也が踵を返した事でさらりと流れていった。
 倫祐を送るべく下町方面に歩を進める彼は背を向けたまま、横目に見た無言の質問に答える。
「何を?って…お前の情報だろ。茂達の性質は資料で見ただろうに」
 微量小首を傾げていた倫祐は、言葉を聞き終えて小さく首肯した。
「…そんなん集めてどうするんだって顔だな。…まあ、どうもしないと言えばどうもしないんだろう。どうかする時はどうかするかもしれないが」
 遠ざかる城門。沢也の話を脳内に納めつつ、気付かれぬ位置まできて密かに茂達の様子を盗み見た倫祐の前方で。歩調を緩めた沢也は、周囲を窺い結論を口にする。
「俺とはまた違うタイプだが、あいつも情報を集めるのが好きなだけで、明確な目的までは持っていないんだろうって事」
 納得したのか、そうでないのか、いまいち掴めぬ仕草で相槌を打った倫祐は、振り向いた沢也の真剣な表情を見て警戒を強めた。
「戻る前に一つだけ」
 呟く彼の背景となる空の、微かな光の変化を目の端で捉え、倫祐はもう一度、今度はしっかりと頷いて見せる。それを受けた沢也は一息置いて問い掛けた。
「海羽やハルカが人避けバリアを張っていたとして。お前はその内側に居る人間の気配を感じ取れるか?」
 長めの質問に、彼は控え目に頷いて肯定する。
「そうか。…何時、気付いたんだ?」
 沢也は即答に対して、細めた瞳を横に流した。
「農作業中」
 小さく、しかし聞きやすい回答は沢也の頭の中に過去を呼ぶ。
「外から帰って来るとき?」
 確認に頷いた倫祐は、そのまま俯き気味に呟いた。
「悪い」
「何がだ」
「黙ってて」
「いや。理由は想像出来るし、納得もいく。ただ…」
 敵にも同じように分かる人間が居たところで、あの魔法に対抗するには我慢比べしかなく。可能性だけのその事実を仲間に伝えても、悪戯に恐怖を煽るだけ。ただ、見解が進み、時代が変化した今とはまた別の話。
 沢也は台詞の途中に浮かんだ思考を頭の隅に沈め、続きを待つ倫祐と真正面から向かい合う。
「お前でなくとも、それ専用の機械になら…感知される事があるかもしれない。それだけは覚えておけ」
 ピクリと、彼の指先が波打った。沢也はそれが理解の合図と受け取って城へと引き返す。
「真意は実験結果次第だ。追って報告する」
 振り向き気味に言う彼に、倫祐は頷くようにして煙草に火を灯した。



 秋も深く。
 陽が短く感じられるようになった今日この頃。
 それなのにやたらと長く感じた午後の一時から抜け出した海羽は、長テーブルの上に並べた封筒を見てため息を漏らす。
 部屋の窓枠に出しっぱなしになっていたそれが、秀の目に留まらなかったのは不幸中の幸いだろうか。しかしやはりこのまま持っていては、何時か見つかってしまうような気がして、誰かに預ける決心をした所である。
「結局渡せなかったわね」
 義希の食器を下げにきた有理子が、俯く海羽を見付けて声をかけた。
「時間はまだあるさ」
「うん…次頑張るよ」
 書類の山の向こうからの沢也のフォローを受けて、封筒を持ち上げた海羽は静かに席を立つ。
「沢也。預かっててくれないか?」
「構わないが。俺でいいのか?」
「いざとなったら、沢也から渡してもらえないかなぁと…」
 しどろもどろな願い出に、ため息で了承した沢也は掌を差し出した。
「ごめんな?」
「海羽のせいじゃないじゃない」
「そう…だけど…でも…」
「心配しなくても、俺から渡さずに済むよう全力で手を回してやるよ」
 逃げ腰を見抜かれた海羽は、赤くした顔を左右に振り乱して有理子と沢也の表情を窺う。
「…う…うん…あ、ありがと…」
 なんとか息を整えた海羽の一言はとても小さく、今にも泣き出しそうに聞こえた。




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