子守唄



 事件から2日が過ぎていた。

 自室のベットで包帯に巻かれた彼は、同居人である彼女の持つスプーンの上を見て涙目になる。
「なあ有理子ぉ…肉食いたいぃ…」
「もう暫く我慢」
「でも…どっかの主人公が言ってたぞ?肉食わないと治るもんも治らないって…むぐっ」
 卵粥を無理矢理口に押し込まれた義希は、慌てて口を動かしながら有理子に困った顔を向けた。
「内蔵損傷してんだから無茶言わないの!そもそも無茶やって怪我したのはあんたでしょう?」
「だってだってだってー!」
 もう二日もお粥しか食べてないのに!と、とうとう涙を流し始める。そんな義希を呆れた目で眺めていた有理子は、飛び込んできたノックに返答した。
「お肉はもう少し我慢かな…」
 入室した海羽は、項垂れる義希の様子を見て僅かに肩を竦めて見せる。
「どっかの主人公より、ここに居る海羽の言うことをちゃんと聞きなさい」
「ふぁい…」
「食後にこれくらいなら、食べても良いから…」
 そう言って海羽が差し出したのは林檎のシャーベットだった。何でもメイドさんを始めとした城内の職員が揃って林檎地獄に見舞われた為、城にも恵みが回って来たのだそうで。
 秋の深まりを感じながら、義希は有理子からスプーンを受け取りしみじみと。
「海羽のお手製シャーベットがあるなら喜んで食べるー」
 と、啜る勢いで食事を再開した。
 二人がそれを宥めてゆっくり食べるよう言い聞かせたのは言うまでもない話だろう。

 このように義希は、暴走したマジックアイテムの放った飛び交う木の葉や蔦をもろに受けた影響で、腕や足のあちこちに切り傷を付け、締め付けられて内蔵を痛め…と散々な状態で休養中である。
 しかしその甲斐あって犯人に情が伝わり、見事主犯逮捕と相成った訳で。手厚く看病してやれと方々から言われている有理子は、仕事の片手間義希の我儘を聞いているのであった。
 隊長がこの調子では、いくら事件が根本から解決したと言っても近衛隊での不安が大きいだろうと、もう一方の計画に回す人員を最小限に止め、事件翌日から倫祐やリーダーなどを交代で応援に出させている。
 今日は恐らくリーダーがうきうきと、下町の見回りをしていることだろう。


 ではもう一人の隊長がどうしているのかと言うと。



「てな訳でよ。今日はリーダーに任せて休むことにしたんだわ」
「そう…随分騒がしいと思ったら、そんなことが起こってたの…」
 と、言った具合でくれあに報告する小太郎は、つい先程忙殺に任せて丸一日空けた家に帰宅、丁度母親と入れ違いで椅子に座った所だ。
 元より姉弟のように育てられた為に嫁姑問題は皆無であるが、どうにもくれあの笑顔に力が無いように見えて、彼はドヤ顔を引っ込める。
「お前、最近おれやお袋以外と話してるか?」
 本当は知っている事を質問にすると、当たり前に否定が返ってきた。小太郎は寝ている我が子と妻とを見比べては、深々と溜め息を吐く。
「だよな」
 遅れてやってきた同意は彼にしては控え目で、悩ましげに聞こえた。
「大丈夫よ。あと少しすればお散歩にも行けるようになるし…」
「…その、あと少しの間に潰れちまったら意味ねえだろ?」
 無理して笑うくれあにそう言って、小太郎はゆっくりと立ち上がる。
「ちょいと電話してくる。そこに居るからよ、何かあったら呼べや」
 夕刻の過ぎた庭は既に暗いにも関わらず、上着も着ずに出ていこうとする彼をくれあが呼び止めた。小太郎は彼女が立ち上がる前に上着を取りに戻り、大きな窓に手をかける。

 子供は本当に可愛いし、母親の手も借りられているけれど、それとこれとはまた別だろう。
 状況が状況だと言うことも理解してはいるが、だからと言ってなにも言わずに済ますのは嫌だと、小太郎は我儘を通話に繋げた。


 彼がかけた電話を取った蒼は、いつもの面子といつものように残業と夕食の最中にある。
 全てを半端に放置して小太郎の話を聞き、義希の部屋から戻った海羽や沢也などの意見を頼りに、結論を出して通話を切ったのが5分後のこと。
「明後日だな?」
「はい。明後日です」
 席に着きながら海羽が問いかけると、蒼はフォークを持ち直しながら首肯する。
「それまでにはこっちも落ち着くだろう。まあ、ある程度だけどな」
 ハンバーグの刺さったフォーク片手に書類を読むいつものスタイルで呟く沢也の隣では、沙梨菜がうきうきと体を揺らした。
「楽しみだなぁ。でもでも、沢也ちゃん…怒ってる?」
「何で」
「だってぇ…バリア解いてくれないしぃ…生返事だしぃ…」
「少なくともお前がウザくてキレそうなことに変わりはねえ」
 二人の間は食事開始と同時に透明な壁で区切られており、俯き気味の沢也の顔を覗こうとした沙梨菜は現在、額をそれに押し付けた状態にある。
 沢也が壁越しに手で押し返す仕草をすると、まるで作用があったかのように沙梨菜の体が元に直った。
「仕方ないなぁ。じゃあ大人しく明後日の準備でもしときます」
「さっさと失せろ」
 とうに食事を終えていた沙梨菜は、居座る口実に残しておいたジュースを飲み干して片付けを始める。
 スキップ気味の彼女の退室と同時にバリアを解除した沢也の向かいで、メールを読み終えた海羽がカタリと携帯を置いた。
「秀さん、もう暫く忙しくて来られないって」
「そりゃめでてえ」
「一石二鳥と言いますか、相乗効果と言いますか…どちらにせよありがたい事ですよね」
 実際に諸手を挙げることこそしなかったものの、心情的には正にそんな感じで感想を述べた三人は、それぞれにゆったりと食事を再開する。

 表向きには法事だの知り合いの結婚式だのと言い訳しているが、秀が来られない理由は単純に「藤堂が捕まったから」に他ならない。
 孝や夏芽を始めとした保守派の貴族達の活躍で、身柄を拘束された藤堂を奪還する勢力を丸め込む事に成功、「主犯確定」と明言する段階にまで至った現在。
 あれだけの事件を起こして暴れてくれたにしては、最後は随分呆気なかったと思いもした蒼と沢也であるが、どうやら地道に事件を解決してきた事で、相手側は本当に人材不足に陥っていたらしく。特に圓が被害にあった詐欺事件の逮捕者等は、貴族間の仲間割れによる策略により「唆されて」犯行に及んだ節があり、元は「第二の不正マジックアイテム事件」の為に集められ、待機させられていた人材だったのではないか…と言う話が浮上していた。
 逮捕当日の様子からしても、秀と藤堂がいがみ合っていたのは明白で、何があろうと海羽が最優先だった彼が来られない程忙殺されていると言うことは、つまりそう言うことだろうと邪推される。
 どちらにせよ、厄介な貴族が一人片付いた事に変わりはなく、且つおこぼれで平和な日常までくっついてきたのだから、秀の問題行動もたまには役に立つ物だと、仕事に追われる二人は適当な皮肉を頭の中に並べ連ねた。
 因みに藤堂が潰れた事による影響はかなりのもので、現在も秀に限らず殆どの貴族達が忙しなく活動している状況にある。
 藤堂救出に失敗した一派は手のひらを返して「関与していない」アピールを開始。藤堂と懇意にしていた家々も同じように火の粉を払い、同時に対立関係にある家々に火の粉を飛ばす。
 藤堂と敵対していた面々は揃って別の家に畳み掛け、隙あらば芋づる式に逮捕者を出そうと狙っていたり。ついでに藤堂が携わっていた事業や、財産に関するアレコレ等もひっそりと取り合いになっているとかいないとか。

 とにもかくにも貴族界は大混乱。城は今のところ平和。
 それならば出来る限り邪魔な仕事は片付けてしまうに越したことはない。

 この事件に関しては、重要な所以外の聴取は司法課に一任してあるし、必要書類も粗方纏まった。
 残るは溜まった通常業務と、その他事件への対応と、来月のイベントに向けた調整、今後の対策諸々、それから。
「それはそうと、お前の方は?」
 仕事に関する打ち合わせ的雑談の切れ目、沢也が不意に呟いて蒼を視界に収める。海羽も振り向くと、彼はいつもの微笑を僅かに傾けた。
「何がですか?」
「惚けても無駄だ。どっかの心配性から報告受けてるから」
 沢也の嘲笑を受けても困った様子を見せず、しかし髪を回した蒼は短く言葉を詰まらせる。
「何処まで、ですか?」
「事件当日の事まで」
「それなら心配いりません。取り合えず和解はしましたから」
 即答のにっこりは妙に圧力を含んで沢也にのし掛かった。詳細の全てを省かれた沢也は、それでもなお詮索にかかる。
「取り敢えず?」
「はい、取り敢えず」
 それだけで全てを伝えようとする辺り、変に信用されているんだかいないんだかと、複雑な心境に陥りながら自身の見解を纏めた沢也は、溜め息で思考を切り替えた。


 その時の沢也の考えは概ね当たっていて、仲直りに成功はしたものの、全てが解決した訳ではない雫と蒼の間柄。
 表面上は事件前と変わらず、しかし何となく溝が深くなり距離が縮まったようなおかしな状況は、緩和しようにもどうにもならなかった。
 何故なら蒼にその気があっても、雫からすれば解決した事を蒸し返されていると取るからだろう。
 それでいて業務に支障がない辺りは、互いに流石と言ったところか。事件翌日の出勤時に謝罪と快諾をして以来、これと言った口論もなく常時通常営業である。
 だからこそ蒼は沢也の問いに、あれ以上の答えを返せなかったのだ。


「子守唄、ですか?」
 夕刻。帰り際に顔を出した雫が、王座の間で一人歌を口ずさむ蒼に問いかける。
「はい。この城に代々伝わるものなんですよ」
 蒼は何でもなしに真実を口にした。
「そうですか。どうりで知らない訳だ。それではまた明日…ああ、明日はお休みでしたね」
「お疲れさまでした」
 不意に早口に捲し立てて扉を閉める彼女を、蒼の声がゆっくりと追い掛ける。それは雫の耳に届いたのか、届かなかったのか。しかし蒼の耳には確かに届いた。
「わざわざそれを歌わなくても、皆がよく知る子守唄だってあるのに」と。扉が閉まる間際、声にならなかった部分まで、全て。
「僕にとってはそれだけじゃないんですよ」
 この唄は。この唄には。
 続く想いは口の中にも頭の中にも溢さず、替わりに先を歌う。
 蒼の細く幼い声は、王座の間を満たすことこそなかったけれど。唯一その場に居合わせた結にはしっかりと聞こえていた。
 表に現れることのない、控え目な蒼の言葉と共に。


 日は流れて「明後日」当日。


 寝たとも寝てないとも言えぬような夜を経て、朝日を浴びるのは身支度を済ませて赤子を抱えたくれあである。
 現在の彼女は朝番の小太郎の手を借りて万全な準備をし、玄関先で出発の瞬間を推し量っている所だ。
 先日いつものように小太郎が突然言い出した提案により、これから人混みを避けて城まで出向く事になっている彼女ではあるが、どうにも気が進まない…と言うのが正直な気持ちである。
 何故って、乳児を抱えて仕事に追われる王座の間に滞在するなんて…考えただけでも胃が痛くなってくるのだ。
 家にいてもなるべく泣かさないよう神経を張り巡らせているのに、よりによってあの鬼参謀の直ぐ傍でそれをしろだなんて…。
 みんなに会えるのは嬉しいし、城に行けるのも嬉しいけれど、それとこれとはまた別の話。会いに行きたい感情よりも、迷惑をかけたり怒られたりするのが嫌だと言う感情の方が勝っている訳なのだ。
 しかし折角小太郎が了承を得てくれて、スケジュールまで調整したと聞いてしまった手前、今さら行かないわけにもいかない。
 意を決したくれあは、大きな深呼吸と共に玄関の戸を開く。


 大通りと危険な路地を避けた、妊娠中に通ったのと同じ道を歩く彼女の腕の中ではやすらかな寝顔が静かな寝息を立てていた。
 それは街を抜け、丘を上り、茂達の持つ帳簿にサインをし、正宗と他愛のない世間話をして、城内に入り、王座の間の扉の前に立つまで一切揺らぐことはなく。
 ほっと息をついたくれあは、別の種の緊張を纏ってノックをした。
 高い音を立てた扉には「本日乳児在中の為関係者以外立ち入り禁止」との貼り紙がされている。綺麗すぎる文字と固すぎる文面からして、沢也が書いたものだろう。
 くれあがそう推理する間に、歩み寄った有理子がそっと扉を開いた。
「いらっしゃーい!待ってたわよー」
 そう小声で告げた彼女は、くれあが口を開くよりも早く入室を促す。従えば直ぐに扉は閉まり、静かな空間の明るさに目が眩んだ。
「ベビーベット、取り合えずここに置いたけど移動させたかったら言ってね?あと応接室に寛ぎスペース作ってあるから眠くなったらゆっくりしてね!それからそれから…」
「えーと…あの、有理子ちゃん…」
 部屋の角隅及び応接室が貸し切りな状態を目の当たりにして戸惑うくれあに対し、有理子はけろっとした表情を斜めに倒す。
「何か欲しいものある?」
「いえ、そうじゃないんだけど…これ…本当に大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。今日は来客全部キャンセルされちゃった、若しくは日にちずらしちゃってあるから!」
「え…」
「あ、この為だけにそうなった訳じゃないのよ?たまたま重なっただけだから気にしないで。それじゃあちょっとだけ出てくるから、何かあったらそこの眼鏡に言ってね」
 並ぶ言葉は全て小声に、言うだけ言って去って行く有理子の背中をくれあがポカンと見送った。
 広い広い室内に、残されたのは無言でパソコンを睨み付ける沢也と、赤子を抱えたくれあだけ。この状況で騒ぎ立ててはまずいだろうと、彼女の動きは自然とゆっくりになる。
 もっと慌ただしく騒がしいのだと思っていた城内は、早朝だからなのか怖いほど静かで、遠くに居ながら沢也の呼吸音すら聞こえてきそうだと、くれあは密かに思った。
 それだけ静かな場所に居るにも関わらず、喧騒の中でピクリともしなかった一実が声を上げる。慌てて腕を縮めるも、うにうにと口を動かしていた彼女はとうとう泣き出した。
 氷にヒビが入ったように、静寂が破れて途端に煩くなる王座の間。なんとか宥めようと原因を究明し、ベビーベットに寝かせ、手足を動かす我が子に声をかける。
「はーい、お着替えしまちょうねー」
 言った瞬間、くれあはハッとした。その拍子に持ち上げた頭をそのまま回転させる。
「う、うるさいわね!仕方ないでしょう?」
「別に何も言ってねえし、おかしな事でもねえだろうが」
 赤面しての言い訳に即答したのは、未だパソコンの画面と向き合う沢也だ。確かに彼の言う通りではあるし、しかし引くことも出来ぬまま、くれあは言い分ける。
「……つい、出ちゃったのよ。結構恥ずかしいものだわね」
 片手を払って顔の赤みを収めると、自然と溜め息が溢れた。向き合った娘は泣いたまま、くれあの事を待っている。
「ほとんど二人で居るもんだから、他人に気を回す事自体を忘れちゃってるのよね。脳も体も」
 独り言として呟かれた台詞はとても小さかったが、地獄耳の沢也にはしっかりと聞こえた。気の強い彼女が例え独り言でもそんなことを言う辺り、小太郎の言う通りかなり参って居るのだろう事が窺える。
 沢也が山のような新着メールを読みながら思案していると、一実の着替えを終えたくれあが彼女を抱えて振り向いた。
「直ぐに泣き止ませるから」
「放っとけ。それより少し休んできたらどうだ?」
 沢也の返答に、ハイハイと言いかけて固まったくれあは、響く泣き声に引かれて現実に舞い戻る。
「でも…」
「泣きが酷くなったらちゃんと面倒みる」
「面倒って…沢也くんが?」
「他に誰が居るんだよ…」
 確かに今は他に誰も居ないけれど。くれあは半信半疑のまま恐る恐る問い掛けた。
「…本当に平気?」
「困れば誰かしら呼ぶ。ガキじゃあるまいし…いらん心配してんな」
「もう。相変わらず可愛くないんだから」
 優しくされているんだか馬鹿にされているんだか分からなくなったくれあは、相変わらず振り向かない上に素っ気ない沢也に言い捨てて、一実をベットに寝かせる。
 どうにもならないならどうにもならないで、また出てくればいいだけだと、彼女は自分に言い聞かせて隣室に落ち着いた。
 一実は暫く控え目に泣いたまま、しかしそのうち修羅の如く喚き出し。休みながらも肝を冷やすくれあの心配を他所に、突然の静寂が訪れる。
 何が起きたのか。当然今度は別の心配に襲われて、彼女はそっとベットを降りた。
 音を立てぬようそろそろと扉に近寄り、静かに開いた扉の先にあった光景を前に、くれあは大きく目を見開く。
「…何だ?奇っ怪なもん見たような面しやがって」
「ごめん。でも何だか意外で…」
 書類の束を片手に、逆の腕で一実をすっぽり抱き抱える沢也の姿を目の当たりにしてしどろもどろになる彼女を他所に、当の沢也は何処までもマイペースだ。
「どうやって寝かせたの?」
「抱えただけ」
「嘘…私の時はそれだけじゃ…」
「母親だからだろ?」
 会話の間も書類から目を離さない彼と、その口振りから足りない言葉を推理するくれあと。数秒の間は実に静かに過ぎて行く。
「意地悪してるの?この子が?」
「甘えてるだけだと思うが…」
「甘えてる…?」
 くれあの鸚鵡返しに頷いた沢也は、変わらぬ調子で呟いた。
「俺に甘えても仕方ねえから諦めて寝たんだろ」
「分かるの?」
「医学書のテンプレ」
「あなた、育児書まで読み漁ってるの?」
「育児書っつか、精神学っーか…まあ、色んな所で繋がってるもんだからな」
 単調な台詞は彼の顔が上がると共に終了し、今度は呆れに似た眼差しが注がれる。
「寝不足なんじゃなかったのか?」
「そうだけど…」
「なら今は余計なこと考えずに休め。考えたくらいで解決する程単純なもんじゃねえんだし」
 来れば怒られるものとばかり思っていたくれあが、想像以上に理解がある言葉の余韻に浸っていると、沢也は急かすように手を翻した。
「直に有理子も戻るだろ。昼飯までゆっくりしてるこった」
 動物を払うようなそれに不思議とイラつく事もなく、くれあは素直に厚意を受けることにする。


 応接室に用意された大きなベットはフカフカで、直ぐにくれあを現実から遠ざけた。
 深い深い眠りに落ちる。落ちた先でも現実の喧騒を耳の端に捕らえながら。


 元々の疲れもあって熟睡していた彼女が次に目を覚ましたのは、ゆさゆさと身を揺らされた時だった。
「おはよー☆くれあ。ご飯出来てるよ?一緒に食べよー!」
 寝ぼけ眼のまま、沙梨菜に引き摺られて王座の間に出たくれあは、こすっていた目をもう一度良く擦り直す。
「これは…」
「ご馳走でしょ?」
 シーザーサラダに5種類のパスタ、カルパッチョにミネストローネ、バナナと林檎のパフェにアップルパイと、テーブルからはみ出す勢いで置かれた食事を前に胸を張る沙梨菜と。
「七夕の時の私より酷くない?」
「だって、くれあ今日誕生日でしょう?大丈夫大丈夫。人数居るからあっと言う間だよ☆」
 祝われながらもさすがに腰が引けて、背中を押して貰いながら席につくくれあと。二人を待っていた海羽が空の皿片手に配膳する。
「一実ちゃんは義希がめろめろで今ミルクあげてるとこ」
「有理子も一緒だから安心してな?」
 沙梨菜の説明に海羽の補足が入った所で、蒼と沢也も定位置に付いた。
「今のうちに食べてしまいましょう」
「でも…」
 義希くんが、と呟くくれあに、あれから数時間が過ぎた今も書類を手にした沢也が解説する。
「あの馬鹿、今は粥しか食えねえから遠慮する必要はない」
「ああ…そっか…大丈夫なの?」
「凄い元気なんだけどね」
「うん。元気だよな」
「少し分けてほしいくらいですよね」
 沙梨菜、海羽、蒼と続いた微笑とも苦笑とも取れる笑顔を見て、くれあは思わず吹き出しながらも安堵した。
「仲睦まじいけど、あの二人は何時結婚するのかしら?」
「うーん…どうかなぁ。有理子、奥手だしねぇ」
「この前の誕生日も、いつも通り喧嘩しながら帰って来たよな?」
 疑問をすり替えたくれあは、沙梨菜と海羽が天井を見上げる様に頷き、同時に我関せずになった蒼と沢也の微妙な変化を見抜いて苦笑する。
「思ったより複雑みたいね」
「へ?そうなの?」
「そう…なのかもな…?」
 きょとんと首を傾げる沙梨菜と、時間差で更に目線を上げた海羽との呟きの後、会話を遮るようにして蒼が言った。
「それより小太郎くん、遅くないですか?」
 見事に釣られた二人が時計を取り出す間、くれあはパスタを巻きながら問い返す。
「小太郎も来るの?」
「やだなぁ。当たり前じゃん」
 ミートソースを口に押し込むくれあの疑問を笑い、トマトを頬張る沙梨菜の向かいで沢也がやっとフォークを取った。くれあはパスタを飲み込んで相槌を打つ。
「そう。あっちも忙しいって聞いてたから…」
「忙しいっつーか、戦力不足なだけっつーか…」
 会話ながらに仕草だけで尋ねる海羽に、同じく仕草だけで答えた沢也が、パスタを盛って貰った皿を受け取っては溜め息を吐いた。対して海羽は座り直しながら再び天井を仰ぐ。
「義希のバリアストーンを誰かに預けたりとか…」
「それをするには色々と条件付けねえと、後々問題になるから」
「問題?」
 一口サイズよりも更に少ない量を消費して、頷いた沢也は息を吐くついでに解説した。
「近衛隊に貸し出し許可が出せるなら貴族にも可能だろうとか」
「だからこその隊長権限なんですよ」
「成る程…面倒なのね」
 続く蒼の補足でくれあが納得した所に、慌ただしい足音が響いてくる。
「悪い、途中でガキがスッ転んで喚いてやがって、親探すんで手間取ってたら遅く…」
 乱暴に扉を開くなり言い訳を繰り出したのは小太郎だ。彼は台詞の途中で目を見開き固まる面々に気付いて眉をしかめる。
「んだよ。文句あっかよ!」
「丸くなったねぇ…」
「あの小太郎くんが子供を助けるなんて…感慨深いものがありますよね」
「同感」
 沙梨菜、蒼、沢也と続いた遠い眼差しにカチンと音を立て、小太郎はその場で地団駄を踏み人差し指を振り乱した。
「んだと!何を今更!っか親にもなってねえテメエ等に言われたくねえしー。悔しかったらおれ様より良い父親になってから言いやがれ!」
「残念だけど、少なくとも沢也くんは小太郎よりも良いお父さんになれると思う」
 一人騒がしい小太郎を黙らせたのはくれあの呟きだ。口を開けて硬直する彼だけでなく、他のメンバーも半端な状態で手を止めている。
「…どう言う風の吹き回しだ!?くれあが眼鏡の味方するなんて…」
「それは勿論、沢也ちゃんだからだよう」
 小太郎の激昂に答えるように、沙梨菜がうっとりと立ち上がる。皆がみんなそれをスルーしてくれあの意図を聞きにかかろうとすると、隣室から泣き声が聞こえてきた。
「ごめんくれあ、義希が寝たら泣いちゃって…」
 次第に激しくなる泣き方に音を上げた有理子が数分後に顔を出す。
「義希くんもあやし上手なのね」
「わたしだとおっぱい思い出しちゃうみたいで…」
「それは仕方ないね…じゃあ沙梨菜がだっこしようか?」
 聞き付けた沙梨菜がスッと手を伸ばすのを遮って、小太郎が一言。
「自傷しながら泣くなし」
 本当に涙目の彼女を有理子が宥めにかかるのを横目に、くれあの腕に収まった一実に近付いた海羽が尋ねる。
「蒼、もう抱っこしたっけ?」
「いいえ。まだ…」
「おい!ふざけんなし!早く抱け!今抱け!」
 未だ泣き止まない我が子を妻の手から受け取り、小太郎は押し付けるようにして蒼に抱えさせた。
 特別あやすでもなく、彼が途中だった食事を終わらせた頃にはすっかり泣きが終息する。
「…落ち着いたな」
「単に男の人が好きってことない?」
 ホッとしたような海羽の声に朗らかな沙梨菜の疑問が乗った。
「蒼くんは特別睡眠作用あるから…」
「へー。良く知ってんなそんなこと」
 有理子の呟きに沢也が意地悪を被せた事で俄に場が賑わう。それでも一実が目を覚ます様なことはなかった。
 蒼はそっと席を立ち、一実を抱えたまま自分のデスクに向き直る。
「このまま暫く仕事しても…」
「いいの?」
「はい。寂しくなったら、仰ってください」
 振り向き気味に言う蒼に、くれあは素直な笑顔を見せた。
「ありがとう」
 二人がそうして穏やかに微笑みあう間にも、長テーブルでは不毛な議論は続けられており。
「これで小太郎が抱っこしても寝なかったら…」
「うっせ!少なくともあの鉄面皮よりは…」
「倫もちゃんと寝かせてたぞ。二歳児だが」
 沙梨菜の含み笑いを皮切りに出た反論も、言い終える間もなく沢也に切られ。
「うがぁあああ」
「五月蝿い小太郎!」
「起きちゃうから静かに!」
 巻き起こった癇癪を沙梨菜と有理子が控え目な怒声で制した。


 それから山程あったパスタの標高が零になるまで続いた昼食会の後、未だ機嫌の良い一実を蒼に預けたまま。小太郎とくれあは応接室で食後の昼寝と洒落こむことになる。
 とは言え小太郎の方は、あと数分で仕事に戻らなければならないのだが。
「ったくあいつら…散々こき下ろしてくれやがってよ…」
「あら。全部本当の事でしょう?」
「……だからってお前まで乗ることねえじゃん」
 口を尖らせ天井からくれあに視線を流した小太郎は、額に降りてきた掌に驚いておかしな声を出す。
「心配しなくても。あなたはあなたで良いお父さんよ?」
 子供のように頭を撫でながら、くれあは優しく呟いた。小太郎はそれでも納得いかなそうに瞳を細めて抗議する。
「じゃあさっきのは何だよ」
「人それぞれ、特技ってあるわよね?」
「どうせ寝かすのはヘタクソ…」
「ありがとう」
「あ?」
 不意にごろんと体をベットに預けたくれあの一言を解析するのに、小太郎は思わず一時停止した。彼が理解するのを待って頭と頭を寄せた彼女が感謝の理由を述べる。
「今日、セッティングしてくれて」
「別に。それくらいは…」
 当然だろ、とでも続きそうな台詞も中途半端に、照れ臭そうに顔をそらした小太郎をくれあが笑った。
 二人がそのまま夢と現実の狭間にたゆたっていると、何処からともなく歌が聞こえてくる。
 懐かしいような、しかし馴染みのない…だけど全く聞いたことが無いわけではない…。
 閉じた瞼の裏側で曲名を検索していた二人のうち、先に思い出したのはくれあの方だった。
「小太郎。子守唄」
「あ?…ああ…そうか。そうだな…」
 あの時は受話器越しだったが、確かに二人は彼の声でその歌を聞いている。だからこそ妙な懐かしさがあったのかと、不思議な感覚で歌を聞き続けた。
 大きい声で歌っている訳では無いのに、広い王座の間をゆったりと漂っているかのようなメロディーは、のんびりと、やすらかに、聞く者を眠りの世界に導いていく。
 沙梨菜のように上手いとは言えず、だからと言ってヘタクソだとも言い切れなかったけれど、不思議と安心するのは知った人の声だからだろうか。
 今にも夢の中へと落ちてしまいそうなそのうちに、くれあが耳打ちするように提案した。
「ねえ、あれ、覚えてきてよ」
「…おれ様が歌っても、たかが知れてんだろ?」
「拗ねてるの?」
「べっつにー」
 笑い混じりにそう言って、小太郎はむくりと体を起こす。時間だからと言うよりは、このままでは自分も眠ってしまいそうだったし、何よりくれあの声がこの上なく眠そうだったからだ。
「そのうち教わってくる」
「うん」
「ちゃんと寝てろよ?」
「うん」
 ベットから降りて、寝惚け気味の彼女に布団を被せ、人知れず安堵の溜め息を漏らす。そんな彼の気配が部屋から消える間際。
「おやすみ」
「ああ。おやすみ」
 寝言のようなくれあの呟きに確かに返答し、小太郎はそっと扉を閉めた。




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