file7” 暴走”


 
 
 穏やかだった昼下がりの中央広場に悲鳴が響く。

 それはまず巡回中の近衛隊員目掛けて発動された。
「野次馬散らして」
「らじゃっす!」
 定一の命令に帯斗が答える。無線イヤフォンで報告を受けた彼等は、逃げる民衆に逆らってやっとそこに辿り着いた所だ。
 広場の中心に佇む噴水の脇、見たこともない植物を腕から生やした男が諸澄と相対している。
 定一は自分も状況を確認しながら、隣の帯斗に周囲の情報収集を任せた。
 その間にも諸澄は得意の剣を用い、伸びてくる蔦や、ナイフのように飛び交う木の葉を手当たり次第切り落とす。
 いくら気を付けていようとも、相手は死角を狙って攻めてくるので、諸澄はなかなか上手く立ち回れないようだ。前に出ようとした足を無理矢理引っ込めて後ろに飛び、なんとか体勢を立て直す。
 危うい攻防を定一が後ろから手助けするもいたちごっこで、相手に遊ばれている印象を受けた。
「君、それはもしかしてもしかすると」
「マジックアイテムだ」
 男は定一の質問に素直に答える。彼の手に握られたコーヒー缶が不気味な光を放っていた。
 よくよく見ると缶の側面から宝石のような物体が覗いており、更にそこから伸びた蔦が、男の肩口にかけて螺旋状に巻き付いている。全ての攻撃は主柱となるそこを中心として発動するようだ。
 定一の視界には諸澄と犯人とを中心に、脇に倒れた隊員を回収する隊員、溢れる人だかり、散乱した商品等々様々な情報が飛び交っている。彼はそれとは別に浮かんだ疑問をポツリと呟いた。
「マジックアイテム事件は終わった筈じゃなかったかねえ…?」
「残り物が出てきたんだろ?いいから早く片付けようぜ」
「そう簡単にいけば苦労はしないんだけどね」
 蔦と葉を避けながらの会話は、定一が諸澄と距離を取ったことで途切れる。それはそのまま背後から走ってきた帯斗と継続された。
「被害は?」
「一般人はギリギリ助けたみたいっすけど…隊員の半数が怪我を。治療は近場の店の人が請け負ってくれてます」
「この人出でそれなら合格点。じゃあ君は後から来た子と立ち入り禁止のテープ張っといて?出来るだけ距離取ってね」
「わ、分かったっす」
 念のため、と今居る位置より更に先を指定して、定一は攻撃範囲の外側でパソコンを広げる圓に走り寄る。
「隊長さんは?」
「義希さんは向かってくれてます。他は仁平さんに確認中なんですが…」
 混線する会話をプログラムでクリーンに直しながら、城とコンタクトを取る圓のイヤフォンを借りた定一は、急ぎ気味に問い掛けた。
「仁平くん、参謀は?」
「ど…どうやら会議のまっただ中のようでして、その…」
 返答は曖昧なまま途切れる。恐らくは仁平もあちらと交信中なのだろう。定一がそう当たりを付けていると、前方で色が揺らいだ。
「いっさん!前!」
 叫びを上げる諸澄を通り越してまで伸びてきた蔦をチャクラムで追い払い、定一はのんびりと戦闘体勢に直る。
「待ってはくれないみたいだね」
 呟いて、イヤフォンを返した圓に後退指示を出し、彼は諸澄の加勢に向かった。


 定一からの応答が途切れた理由を察知した仁平は、現場の状況をチャットに打ち込む。
 右耳ではイヤフォンから聞こえてくる喧騒を、左耳では圓からの報告を聞き続ける彼の目は、沢也からの返答を待っていた。
 いつもなら向こうが会議中だろうと待つまでもなくリプライがあるのだが、どうやら今日はそうもいかないらしい。

 仁平が技術課でそう考える間も、沢也は会議室で不毛な会議の最中であり。集まった複数の貴族の中には「マジックアイテム事件の黒幕」とされている藤堂の顔もあった。
 今回は夏芽や孝と共同で起こした「リサイクル事業」に関する抗議への回答が主となっており、仲間内で出席しているのは最高責任者の沢也だけで、関与の薄い蒼は不在である。
 よって抜けるに抜けられない彼は現在、仁平からの情報などを王座の間に居るはずの蒼に流していた。
 テーブルの下でスマホをブラインドタッチする沢也の視線は基本的に上を向いており、届いた文章を読むにも1秒あれば事足りる。更には夏芽と孝のフォローがあるのだから、相手方は沢也が外部と連絡を取っている事には気付いていないようだ。
「それで、大臣はどうお考えですか?」
 藤堂が問う。その顔は確かに笑っていたが、瞳だけは笑っていなかった。
「孝さんに全面同意します」
 同じような笑顔で答えた沢也は、彼が「事件」を見届ける為に、そして自分の邪魔をする為にこの場に居るのだと改めて認識する。同時に送信されたメールは誰にも感知されることなく蒼の元へと届けられた。

 蒼は沢也からのメールを自分のデスクで受け取ると、半端に立ち上がったままそれを読み上げる。
「銭は非番で本島に出掛けちまってる。海羽にも連絡してみたが、どうやら携帯切らされてるらしい。返答がない」
 心の中で響いた声に頷いて、彼は質問を文字に直した。
「ハルカさんも今日は本島のヘルプでしたよね?」
「あっちもあっちで魔術師投入してきやがったからな」
「分かりました。僕が行きます」
「でもお前…大丈夫なのか?」
 会話の速度とまではいかないが、数回続いたやり取りは、沢也の曖昧な文章で短く途切れる。
 蒼は有理子に目配せすると、デスクから退きながら敢えてはぐらかした返信をした。
「紫で弓を背負って行くわけにはいきませんので、このまま向かいます。バイクお借りしますね?」
「ああ。いつもの場所に仕舞ってある」
 詮索を諦めたのか、沢也からの簡潔な同意を受けた蒼は、直ぐ様沢也のデスクに移動する。彼が目的を探し当てて引き出しを閉めた所で、大扉が開かれた。
「失礼します。あの、この後の事なんですけど。私先に町に出ていた方が…」
 戸を閉めるなり話始めた雫は、明るさを一転させ室内の様子に硬直する。
「…仕事、ですか?」
 張り詰めた空気を読み取った彼女の声が酷く沈んだ。
「すみません、埋め合わせはまた後日」
 蒼は頭を下げながら短く断って、急ぎ足に部屋を出る。後を任された有理子は、長テーブルに歩み寄り抱えていた書類を置いた。
「約束、したのに」
 殊更低い雫の声が、閉まった大扉に注がれる。有理子は慌てて彼女に歩み寄り、椅子に座らせては一通りの事情を説明することにした。


 そんな風に、会議とも呼べぬような小言を聞きながら沢也が仁平に折り返しの報告をし、蒼が窓からスクーターで飛び立つ間も。

 広場での攻防は変わらず続けられている。


 元より「怪我をしやすい」と評判の諸澄は、時間が経つにつれ熱が上がってきたようで、解決を急ごうと躍起になっていた。
 攻める隙も無いのに攻めようとするせいで、自然と定一の仕事が増える。
 諸澄が左右から迫る蔦の片方を切り捨てると、落ちた蔦は瞬時に朽ち果て消え失せた。男は切り口から先を再生させながら、淵の鋭い木の葉を撒き散らす。
 勢い任せに飛び交うそれは、諸澄の頬や定一のジャケットを掠めて舞い上がり、再び上から降り注いだ。
 緑の葉が雨のように落ちる様は見ようによっては美しいだろうが、渦中の二人には堪ったものではない。
 避けたからこそかすり傷で済んでいるが、まともに喰らえばナイフが刺さったのと同じくらいの怪我は負うだろうから。
 葉を掻い潜るようにして剣を払った諸澄は、男と距離を詰める事で難を逃れた。対して定一は右に飛ばしたチャクラムが作った道を追い掛けて、攻撃範囲の外に転げ出る。
 その間男に斬り込んだ諸澄は、集まった蔓によってあっさりと弾かれてしまった。
 定一は木の葉が去ったのを見届けて、諸澄の元に走り寄る。諸澄は定一が辿り着く前に自力で立ち上がり、舌を打った。
「ねえ君、ここまでするんだから、何か要求があるんじゃないのかい?」
「要求?」
 呆れたような定一の問い掛けに、男は笑顔を鋭くしかめる。それは徐々に憎悪に似た色を帯びて口から溢れ出た。
「…俺は俺の力を示しに来ただけだ。近衛隊だか何だか知らないが、人の領域に勝手に上がり込んでメチャクチャにしてくれやがって…」
「はぁ?何の話だよ!」
「あいつらが来るまでは、俺が一番偉かったのに。俺が一番強かったのに!」
 諸澄を無視して空いた右腕を払う。そんな彼の顔に見覚えこそ無かったが、定一は勘を頼りに推察した。
「ああ…もしかして君、リリスの警備隊の人?」
 定一の放ったそれは的外れでは無かったようで。つまりはつい数ヵ月ほど前に近衛隊から移動になった問題児三人が、彼の職場でそれなりの活躍をしていると言うことになるか。男は食い縛った歯をほどいて絶叫する。
「とにかく!」
「図星かよ!」
 諸澄による驚愕の声は耳に煩く、しかしそれを上回る声で男は叫んだ。
「うるさい!俺は「これ」でお前ら全員ぶっ倒して、街の奴等も、隊の奴等も見返してやるんだ!認めさせてやるんだ!」
 熱弁に合わせて立ち昇った木の葉が、相対する二人に向けられる。定一は顔を押さえることも許されぬ状況で、困ったように愚痴を吐いた。
「全くあの子らは…あっちに行ってまで迷惑かけてくれるねぇ…」
「でも、真面目にやってるって事だよな?なんか安心した」
 息を切らせながらも能天気な笑顔で、ははっと笑ったのは周囲をバリアで覆った義希である。彼の指輪が生み出す透明な壁は、向かい来る緑を数秒だけ受け止めた。
「義希さん!遅い!」
「悪い、でも町中混乱しててあちこちで事故りそうだったからさ…今小太郎が拡声器でアレしてくれてる」
 バリアは弾け、涙目の諸澄の怒りを間近で受けたにも関わらず、義希は相変わらず緩い空気を周囲に撒き散らす。定一はいい具合に抜けた気を欠伸に直し、攻撃が止んだのを見計らって脱力した。
「隊長さんはそんなことしなくて良いから、こっちを何とかしておくれよ」
「こうなると通信機の統制がきかなくて、これを聞いていても雑音にしかならないですからね…」
 義希が着いたのを見計らって近寄ってきた圓が、三人の背後から会話に参加する。彼の手にする小型のパソコンはその間も休むことなく働いているようだった。
「無事な隊員数人に交通整理の依頼を送りました。小太郎さんにもそのうまメールしてみます」
「圓くん、それより仁平くんの方は…」
 定一の問い掛けは中途半端に終わる。何故なら顔を上げた圓の目線が、犯人の男に固定されていたからだ。三人がハッとして振り向くと同時、圓は恐る恐る口にする。
「何だか様子が…」
 彼の呟きが示すのは、攻撃どころではない男の焦れた様子であった。それを見た四人が目を見開くのも当然。
 彼は手にした缶を振り乱しながら、缶が放出し続ける大量の蔦に飲み込まれかけているのである。
「くそ…なんだ?とまらねえ!」
「え?」
「あの野郎!欠陥品掴ませやがったな!」
 男はそれを最後に口を開けなくなった。彼を中心に形成された蔦はまるで樹木のように生え育ち、中央広場の一角を埋め尽くさんとしていた。
 四人は暴走するそれから逃れながら、犯人の様子を垣間見る。左右上下に伸びる蔦の合間からその姿を見付け、定一が声を振り絞った。
「君!出力を止めたらどうだい?」
「…駄目だ!半分気絶してる」
 後方に走る四人のうち、義希が言うなり立ち止まる。
「義希くん!」
「みんなを下げていっさん!このままじゃあいつがヤバイ」
 設定した安全地帯はまだ遠く、それでも引こうとしない彼に合流した帯斗が呼び掛けた。
「隊長…?何する気っすか!」
 彼の横から諸澄が抜けて行く。定一は停止して二人の背中を振り向いた。
 義希は犯人に向き直ったまま両手を掲げている。恐らくはバリアを使って、木の暴走から犯人を守る気で居るのだろう。
 しかしバリアは一枚しかない。それがどう言うことかは、他のメンバーも良く理解していた。
 蔦を避けながら喚く帯斗の声を背後に、義希は意識を集中させる。遠くにバリアを張るには些かコツが入り、小太郎が言うには「上からコップを被せる感じ」若しくは「布で包み込む感じ」らしいのだが、義希はそれを苦手としていた。
 この距離で、男を傷付けず、かつ彼の回りの蔦を切るとなると…かなりの集中力が必要となる。
「帯斗も下がって」
 名指しされた彼も全てわかっている。しかしわかっているからこそ、そのままにしておけないのではないかと、彼は疑わなかった。
 義希の頬を、腕を、赤が伝っていく。帯斗は目の前の光景を否定するように声を張り上げた。
「犯人っすよ?自業自得っすよ?なんでそんなまでして助け…」
「分かってる。だけど放っといたら死ぬだろ!」
 帯斗の真っ直ぐな言葉に、義希の真っ直ぐな言葉が突き刺さる。
 その瞬間、帯斗の体と頭は停止して、代わりに沢山の記憶が目の前を駆け巡った。
 同時に義希が発動させたバリアは、窒息しかけていた男の拘束を僅かに解放する。活動を続ける蔦が、バリアに沿って男を守るように定着した。
「死…」
 帯斗は義希のバリアが消え失せてしまうまでの様子を、呆然と眺めながら呟く。

 死ぬ?犯人だから死んでも…
 死ぬってなんだ?死んでもいいのか?
 悪いやつなら死んでもいいんじゃ、ないのか?

 それは確かに迷いだった。
 しかし自分が何に迷っているのかは、今この瞬間にも明確にならない。

 帯斗は現在自分が置かれた状況に焦りを覚える。それはリアルでなく、想像上の立ち位置で。
「馬鹿帯斗!」
 実際にはリアルでの立ち位置の方が、よっぽど危険だったと。彼がそれを理解したのは、諸澄の声を聞いた瞬間だった。
 弾かれて、宙を舞い、落ちた勢いのまま地を滑り。咄嗟に閉じた目は、現実を映し出すと同時に見開かれる。
「ズミ…おま!何やっ…」
 呼び掛けても返答がないのは当たり前だ。頭ではそう理解していながらも思考が付いていかず、帯斗は続けて首を回した。
 足を切られ、蔦に持ち上げられた諸澄の背景に広がるのは緑の群衆。帯斗の座っていた場所まではギリギリ蔦が届いておらず、振り向いた先にはいつもの街の景色がある。
 動けば僅かに痛みが走った。現在地を見る限り、相当吹っ飛ばされたのだろう。腕から滴る赤が痛みの理由を教えてくれる。
「義希さん…」
 不意に思い出し、探せば直ぐに姿は見付かった。諸澄と同じく蔦に捕まった義希もまた、ぐったりと頭を垂れて動かない。
「助けなきゃ…」
 帯斗は呟く。呟いて、ゆっくりと立ち上がり、足を踏み出した。その腕を定一が掴む。
「帯斗くん、戻って」
「ダメっす!助けないと…助けないと駄目なんす!」
「今の君に何が出きるんだい」
「何にも出来なくても、何にもしないわけにはいかないじゃないっすか!みんな、体張って…俺のせいでズミが…」
 パチン…と、高い音が響いた。挟んだ両頬をそのまま持ち上げて、定一は帯斗と目を合わせる。
「落ち着きなよ」
「…でも!」
 それでも尚食い下がる彼の肩に、白く細い手が乗った。
 二人が振り向くと、意外な声が静かに響く。
「…いらっしゃい?」
「千世さん…なんでこんなとこまで…!」
 別の意味で揺らぐ帯斗をそのままに、千世は定一に短く告げた。
「怪我人、家で請け負います」
 わざわざ隊員を振りきってまで危険地帯に足を踏み入れた彼女に対し、定一は困ったような笑みを浮かべ、そして。
「悪いけど、任せたよ」
 帯斗の背中を強く押して、全てを彼女に託した。

 後ろ髪引かれるままフェードアウトしていく帯斗を見送り終える前に、定一と圓は一番の問題と向き直る。
 蔦の密度は徐々に増しており、敵の攻撃範囲内に入れば一溜まりも無いことは明らかだ。
 破壊するにも例のマジックアイテムは蔦の中心に置かれているようで、位置を変えれば意識も朧な男の様子が見て取れる。
 定一はぐるりと周りを見渡して珍しく眉をしかめた。
「遠距離攻撃できる子は揃って負傷か」
「今、助っ人を…」
 言いかけた圓は膨れた蔦の集団に気付いて身構えた。数秒遅れで身を翻した定一がチャクラムを投げて応戦するも手数が足りず。
「圓くん!ナイフで蔦を…」
「定一さん!」
 捕らわれた圓は、パソコンとイヤフォンを定一に放り。
「すみません、あと…宜しく…お願い、します…」
 そう言って気を失った。蔦に触れた途端に力を無くしていく彼を見たことで、定一は気付く。
「これは…そうか…そう言う…」
 パソコンを抱え、自身のイヤフォンを耳につけ直し、彼は普段は使わない筋肉に力を込めた。
「残った隊員全員掛かりで立入禁止線を下げて!出来るだけ遠くにだ」
 通信機の向こうで響いていた喧騒は、その瞬間ピタリと収まる。数秒の沈黙を経て代わりに連なる了承の声を聞き、定一は僅かに肩の力を抜いた。
「いっさん!」
「小太郎くんも下がって。捕まったら体力吸い取られてああなるよ」
 路地から顔を出した彼に忠告しながら、敵を警戒しながら、定一は急ぎ足に走り寄る。そうして大声を出さなくて良い距離まで来ると、直ぐに本題を切り出した。
「銭くんに連絡付かないかな?」
 考えうる一番の狙撃主の名を聞いて、しかし小太郎は首を振る。彼の眼は目の前の惨状を捕らえている筈なのに、歪むどころか余裕すら見て取れた。
「その必要はねえ。そろそろ…」
「お待たせしました」
 小太郎の返答は聞き慣れぬ、しかし聞き覚えのある声に遮られる。ついでに広場がざわめいた事で、定一は確信し、上を見上げた。
「な…」
 不意に暗くなったのは彼の乗るスクーターのせいなのだと、ある意味関係のない解説が定一の頭を支配する。
「小太郎くん、ハンドルお願いします」
「おう。何処だ?」
「あの屋根の上に」
 驚く定一を置き去りに、蒼からハンドルを受け取った小太郎は、彼を背に乗せたままスクーターを上昇させた。
「心配すんな。もう直ぐ終わる」
 定一に告げて直ぐ、小太郎は指定の場所に蒼を到着させる。蒼はふわりと屋根に飛び乗ると、ルビーから弓を取り出し迷わず構えた。
「あんな小さな的を…その得物で仕留めるつもりなのかい…?」
 いくら弓と言えど、目標となるマジックアイテムまでは距離がある。その上障害物だらけだ。
 しかし蒼はお構いなしに矢をつがえる。もう的は絞れたとでも言わんばかりに、いつもの笑みを浮かべながら。

 傍目には緊張を感じさせない彼ではあるが、流石に緊張しないわけではない。小さく息を吸い、僅かに震える指先を調節する。

 一度で成功させなくとも、取り敢えず人に当たりさえしなければそれで良いと自分に言い聞かせて、蒼は静かに息を吐いた。

 標準はずれていない。
 あとはタイミングを計るだけ。

 広場は確かに五月蝿いほどに音を発していたけれど、蒼の耳にそれが届くことはなく。
 ただ自分の心音だけを聞きながら、蠢く蔦の合間を伺う彼の横顔を複数人が固唾を飲んで見守っていた。

 蒼は、誰に合図することもなく矢を放つ。

 養分を求めてさまよう蔦の合間を掻い潜り、飛行機雲のように直線を描く小さな羽は落ちることなく目的地に辿り着いた。

 あっと言う間の出来事は、瞬く間に終了して変化を知らせる。

 蒼の狙撃が成功した証拠として、朽ち行く蔦や葉の影はみるみるうちに姿を消して、残されたのは道具に気力を吸いとられた人々だけとなった。

 全ての行く末を見届けた蒼は、小太郎に背を叩かれたことでやっと成功を実感する。そして同時に。
「小太郎くん」
 ガシッと小太郎の服を掴み、いつもの笑顔を3割増しにして命令した。
「早く降ろしてください」
「このタイミングで色々台無しになるようなこと言うなし!」
 蒼の懇願と小太郎の絶叫は、幸いなことに歓声に飲み込まれて誰の耳にも届かなかったらしいと。
 下に降りて定一の歓迎を受けた小太郎は、一人安堵の息を漏らしたのだった。
「さて、ここからが本番だよ?小太郎くん」
「わーってる」
 最大限に力の抜かれた小太郎の肩を定一が叩く。見渡せば問題は山積みであることは明らかで、しかしとりあえずと彼は彼を振り向いた。
「僕は彼を城まで連行します。そのまま聴取とまではいかないでしょうが、見た所外傷は酷くなさそうなので。沢也くんの帰還を待ちながら介抱しますよ」
 質問を待たずに進言した蒼は、小太郎から返却されたスクーターを僅かに浮かせる。
「そりゃあつまり…」
「後の事はお任せしました」
 言い捨てて、倒れる犯人に向かっていく彼の背中を見据えていた小太郎は、勢いよく定一を振り向き笑顔を浮かべた。
「まずは広場の掃除からな!」
「掃除っていうか、怪我人を回収しちゃわないとね。民間にもお世話になっちゃってるし」
「ならほれ、台車でも猫車でも借りてきてさっさと城に収容すんぞ!」
「それはまた随分と酷い扱いだねえ…」
 2人がそんな会話がてら手近に居た圓を引き寄せていると、またも上から声がかかる。
「小太郎…ごめんな、遅くなって…」
「よう、海羽!事件は万事解決だ!これから怪我人搬送すっから手ぇ貸せや」
 水晶に乗ってやってきた彼女に小太郎が手を伸ばした傍から、遠方から秀の声が聞こえてきた。駆け足の速度で近寄ってくるそれを振り向いた三人は、それぞれがそれぞれの感情を顔に出す。
「…前々から思っていたんだけど、あの人はあれかい?ストーカーか何か?」
「ぶっちゃけ大体合ってる」
「そうですね。間違ってはいないと思います」
 会話に割り込んだのは後ろに犯人を積み終えた蒼であった。彼は驚いて身を縮める二人を置いて、中空の海羽を手招きする。
 物陰に彼女を引いて戻った蒼は、ドシドシとやって来る秀がすぐ近くまで着くのを待って笑顔を強めた。
「なんの騒ぎ…」
「秀さんまだこんなところにいらしたんですか?ここは危険です。今すぐ城にお戻りください」
「そう言う訳にはいきません。海羽さんがまだ…」
「彼女には先程お会いしました。先に戻って頂いてますからご安心を」
「彼女が私を置いていくものですか」
「僕がそう頼んだんです。なにしろ危険なものですから。すれ違いにでもなったら大変ですし」
「…でしたらその乗り物に乗せて頂きたい」
「すみません。凶悪犯を置いたままにはしておけませんので」
「何故そんなものを乗せたままこんなところにいるのですか!」
「これから連行する所だったものですから」
 最後まで笑顔で押しきられ、秀が口をつぐんだと同時に蒼は掌で道を示す。
「広場を抜ければまあ安全です。どうぞお気を付けて」
「全く、貴方が統制をしっかりしないからこのような事態が…」
 続く苦情をサラリと流し、空に飛び立つ蒼の背中を凝視する秀から盛大な舌打ちが漏れた。
 彼は脇にいた二人に存分な圧力を注いだ後、「道を開けろ!気が利かぬ」だの「どきたまへ平民が!」などと喚きながら去っていく。
 小太郎と定一が開いた口の塞がらぬまま眉をしかめていると、海羽がひょっこり顔を出しては問い掛けた。
「…だ、大丈夫か?」
「君、良くあんなのと一緒に居られるね…」
「好きでそうしてんじゃねえんだ。言ってやるなよ」
 定一の呟きを制した小太郎を下から覗き、海羽は寂しそうな笑顔を浮かべる。
「珍しいな?小太郎がそんなこと言うなんて」
 当然照れ隠しに必死になる小太郎を横目に、定一は海羽の様子を窺った。辺りを見渡していた彼女が振り向いたのに驚いた彼は、海羽の表情を見て小太郎の言葉を理解する。
「怪我した人、何処か一ヶ所に集められないかな?」
 曖昧に感情を誤魔化す彼女に頷いて、二人は仕事に思考を切り換えた。
 蒼の嘘は恐らくそう長くは持たないだろうからと、頭の中だけで納得しながら。





cp48 [境界線]topcp50 [残響]