魔法使い


 
 白髭白髪の長いモップのようなじいさん。
 一見して何も考えて無さそうな秀才男。
 熱心だが腕はいまいちの眼鏡っ娘。
 平均的過ぎて特筆する点のない中年男。
 自称妖精や動植物愛好家な女召喚師。

 新設したマジックアイテム課職員が記載されている薄っぺらな名簿を眺めながら、沢也は短い唸りを上げた。そんな彼を睨むようにして眺める実の姉が、一息置いて命令口調にふんぞり返る。
「さあ沢也。こっちの仕事さっさと終わらせて、海羽ちゃんのお仕事手伝いにいくわよ!」
「”手伝う”じゃなくて、”邪魔をしに”の間違いだろ?」
 小声の皮肉は一睨みで掻き消され、舌を打ってみてもどうにもならず、沢也は深く溜め息を付いた。
「安心なさい。その人達はこの咲夜様がきっちり面倒みてあげるから」
「…きっちりな…」
「何よ、その信頼感のまるでない相槌は」
「頼むから折角の新人にやっかいな精神病を付与したりしてくれるなよ…?」
「私を何だと思ってるわけ?」
「何だろうな…本当に」
 適当にあしらわれたことを不服そうにしながら、沢也を睨み付ける咲夜は不適に口元を歪めて見せる。
「ますます可愛くなくなったわね」
「そりゃどうも」
「見てなさい。ギャフンと言わせてやるから」
「へいへい、ギャフンギャフン」
「あーあ、折角来てやったのにぃー?待遇悪いしー、沢也がいじめるしー、帰ろうかなぁーぁあ」
 とうとうキレる一歩手前の駄々の捏ね方になったことを見極めた沢也が閉口すると、タイミング良く蒼が戻ってにこやかに言った。
「海羽さんのお仕事でしたら、ここからでも見えそうですよ?」
 彼が示したのは窓の外。城の裏手に当たるだだっ広い草原である。
 現在海羽は最終選考段階に入った複数の魔法陣を試すため、もしもの時を想定してわざわざ野原の真ん中で仕事をしているわけなのだ。
 水曜の午前中も残すところ4時間弱。これを過ぎればまた来週まで作業はお預けとなるのだから、出来ることなら邪魔をせずに集中させてやりたいのだが。
「相変わらず綺麗に陣をひくのね。惚れ惚れしちゃう」
「見学はこっちが終わったらだ」
「ちょっと沢也!ガーネットが居ないからって手荒なマネしてみなさい?後で後悔するわよー?」
 腕を掴んだだけでこれなのだから、首根っこを掴んでいたらどうなっていたことかと。額に手を当てて溜め息を付く沢也を、蒼の微笑が追い掛ける。
「今日は挨拶と業務説明だけですから。直ぐに終わると思いますよ?」
「あら。流石にそれだけじゃ心もとないでしょう?きちんとテストを用意してきたから安心しなさい」
「待て。何のテストだ」
 寝耳に水な発言に足を止めた沢也の目の前、突き付けられた紙の上には様々な魔法陣や呪文が書き付けられていた。
「あんたが心配するようなものじゃないわ。仕事とプライベートは別だもの。一応」
「一応って何だ。余計なことすんなよ?マジで」
「だから、信用しなさいって言ってるじゃない」
「そう思うなら普段から信用されるような態度を…」
「この私に説教するとはいい度胸だわ。あんたもこのテストに参加しなさい?点数悪かったら今度こそ婚姻届にサインさせてやる」
 姉弟の会話はそこで扉に遮られてしまう。沢也くんの運命や如何に、と脳内で適当なナレーションを付けた蒼は、静かになった王座の間でスピーチの練習を始めた。

 マジックアイテム課は一階から二階に到達して直ぐの場所、以前は司法課があった場所に引っ越してきたばかりである。
 沢也が咲夜を引き連れて三階から顔を覗かせると、野次馬なのか何なのか、複数の職員達がその部屋を覗き込んでいた。
「早速問題でも起きたかしら?賑やかで良いわね」
「濃いメンツだからな。なきにしもあらずだろ」
 動じない姉弟の姿を認めた人々が蜘蛛の子のように散っていく中、室内からは喧嘩のような言い合いが響いてくる。
「私の方が優秀な魔術師だ!」
「何よ。あなたなんか顔だけで何の取り柄もない召喚しか呼べないくせに」
「ふん。カッコいいだろう?」
「しかも全部同じ顔」
「その時々の私の好みと同期する仕組みだ!」
「何故偉そうなの?だいたい、それに何が出来るって言うのよ…」
「接客接待スキンシップ」
「…執事?執事なの?」
「そういうあなたはどうなんだ?その獣で何が出来るんだ」
「獣ですって?この愛らしいうさちゃんが、獣に見えるわけ?」
「動物を獣と言って何が悪い!」
「あなたの持論だとあなたの召喚も獣と言うことになるわね」
「ふふん、男はみんな獣なのだ!」
「何なの?馬鹿なの?」
 開いた口が塞がらなくなったのはウサギの召喚獣を携えた動物愛好家の女。対してふんぞり返るのは、小人大の男の姿をした召喚を引き連れた眼鏡の女だ。
 やっとのことで出来た入り込む隙間に沢也の溜め息が落ちると、室内にいた5人が一斉に部屋の入り口を振り返る。
「あ!大臣!」
「申し訳ありません。ついいつもの癖で…」
「いつもこんななの?」
「まあ…大体は…」
 喧嘩していた二人の声の後、咲夜の疑問に答えたのは平均的な中年男だ。他の二人は大した事でも無さそうに部屋の奥で寛いでいる。
「どっちが上かはテストで決めたらいいわ。他のみんなも一緒に受けなさい。今後の参考にするから」
 有無を言わさぬ命令は意外にもすんなりと受け入れられて、そのまま直ぐにテスト開始となった。

 30分後。

「疲れた」
 ぐったり顔で王座の間に帰還した沢也が、珍しくもべしゃりとデスクにへたりこむ。
「楽しかったですか?」
 おもしろそうにその横顔を眺める蒼の一言に、沢也特有の威圧が撒き散らされた。
「冗談ですよ。でも、なんとかなりそうですよね?」
「まあな」
 茶目っ気を引っ込めた蒼がそう言うと、沢也も機嫌を改めるために大きく息を吐く。彼はそのまま身体を伸ばし、縮むついでに言葉を並べた。
「じいさんはのろまな以外は無害過ぎて有り難いくらい。秀才は咲夜を見るなり「へびの臭いがする」とか言い出して冷や汗かいたが、互いに好意的で事なきを得たし。中年は良くも悪くも目立たず。問題の喧嘩コンビも咲夜が上手く纏めやがった」
「リーダーさんの言った通りでしたね?」
 やれやれと言った風な沢也に、蒼が小首を傾げて見せる。
「他人への対応なんぞ、弟の俺には見えないからな」
「彼女が嫌いなタイプが居なくてよかったです」
「同感」
 苦笑と安堵が入り交じる空気を溜め息で追い払った沢也は、次に傍らの書類を手に取り愚痴を溢した。
「しかし、あいつと同じ職場に勤める羽目になるとは…」
「此処には彼女最強のお気に入り、海羽さんもいることですし。暫くは引いて下さらないと思いますよ?」
 蒼の言うことは尤もなのだが、どういう因果なのかといまいち納得しきれない沢也の呟きは止まらず。
「問題さえ起こしてくれなければ良いんだがな…」
「起きたら起きたですよ。沢也くん」
「ふざけんな。これ以上面倒ごと増やされてたまるか」
 叫ぶにも叫びきれずに舌を打つ彼を見て、蒼は微笑ましげに笑みを溢した。
 沢也の言う面倒ごととは即ち、主にマジックアイテム課に先立って始動した財務課の職員指導のことである。
 何がどうと言うわけでもなく、有理子にうつつを抜かす輩が続出した為、財務課を男子禁制に。それに伴い小次郎から回された人材と既存の人材をローテーションし、面接やら書類製作やら無駄な手間を取られた…と言う至って単純かつくだらなさすぎる話だ。
「笑い事か」
「何時かは笑い話ですよ」
「ったく…どうしてこうもアホな事案ばかり発生するんだか」
「良いじゃないですか。有理子さんはご満悦な様子ですし」
「そりゃそうだろうよ」
 沢也は鼻で笑いながら、毎日が女子会だとか、可愛い女の子と一緒に毎日仕事が出来るパラダイスだとか、諸手を上げて喜んだ某財務課長を脳内から追い払う。
 そんなこともお構いなしに、蒼はスマホ片手にマイペースに話題を切り替えた。
「そういえば、小次郎くんとの会合、明後日でしたよね?」
「ああ。書庫、少しでいいから片付けておいてくれ」
「了解です。孝さんの方は大丈夫そうですか?」
「夏芽のフォローも入るから問題ない。後は秀さえごねなければ、半日くらいは押さえられるだろう」
 二人の会話通り。苦労の末なんとか予定をあわせて、明日の昼前から秀を孝主催の催し物に強制参加させる手筈となっている。ついでにハルカの仕事と沢也自身の仕事もガッツリ調整した為、色々な所にシワは寄ったが致し方ないだろう。
「警備や魔法に関する話し合い、でしたよね。姉さんに言って必要な資料を出しておいて貰います。あと他に、強化剤の方は…」
「そっちは小次郎に準備を頼んである」
「本当に一日で試作品を作るおつもりですか?」
「仕方ないだろう。四人全員集合なんてそうそうできやしねえんだから」
「そこは理解しているつもりですけど。無理はなさらないで下さいね?」
「俺はそれより、お前の見合いの方が心配で仕方ねえよ」
 お決まりになってきた心配合戦は、沢也の不機嫌な呟きで途切れた。蒼はふっと息を吐くと、笑顔を薄めて肩を竦める。
「胃薬くらいは用意しておきます」
「それは俺の台詞だ」
 沢也による溜め息混じりの反撃は、二人の正面にある入り口から響いたノックに中和された。
「失礼します。午後のお仕事の打ち合わせをお願いしたいのですが」
「お待ちしてました。そちらに座って下さい」
 返答に合わせて顔を出した雫に蒼が対応する。彼女は指示通り入り口脇に置かれたソファセットに腰かけてメモ帳を取り出した。
「本日のお客様はどんな癖があるんでしょうか?」
 十数秒かけて王座のある部屋奥から入り口側まで移動してきた蒼が席に着くなり、雫の口からにこやかな質問が飛び出す。若干毒を含んだようなそれを聞いて、部屋の奥から沢也が吹き出す音が聞こえてきた。
 当然、雫は慌てて言い訳る。
「あ、すみません。お客様の前ではけっしてこのようなことは言いませんので…」
「いや、悪い。だが何処で誰が聞いているか分からないから、注意はしておけよ?」
「心得ました」
 咳払いで落ち着く片手間答えた沢也に、彼女は深く礼をして答えた。
 続けて正面に向き直った雫に、蒼が本日の来客の趣向や特徴を説明する。全てを聞き終えるまで筆を走らせていた彼女は、顔を上げると同時に問い掛けた。
「飲み物に特別注文がない方の場合は、紅茶をお出しすれば宜しいですか?」
「そうですね。僕と同じものを用意して頂ければ」
「陛下は紅茶が一番お好きなんですね」
「はい。良くわかりましたね?」
「この前もアールグレイを、次の日はオレンジペコーを飲んでいらっしゃいましたから」
 言いながらも更にメモを取った雫は、最後に蒼の笑顔に臆面のない笑顔を注ぐ。蒼は紅茶を手に取る過程で俯き気味に質問した。
「雫さんも紅茶派ですか?」
「はい。集めに集めたフレーバーティーばかり飲んでます。陛下はストレートでしかお飲みにならないんですか?」
「いえ、時々ミルクティーにもしますよ」
「レモンは…」
「ホットには余り入れないですね。アイスでしたらたまに」
 フムフムと相槌をうちながら、蒼の補足までもを追記していく彼女の瞳は真剣そのもので、最近出会った中では最も真面目な印象を受ける。蒼も、そして沢也も。同じ感想を脳内に抱きながら雫の仕草を見守った。
「では、準備しておきます。お時間が来る前にもう一度参りますので」
「はい、宜しくお願い致します」
 起立した彼女に蒼が頭を下げると、満足気な笑顔が返ってくる。扉の向こうに吸い込まれていった彼女の足音が聞こえなくなった所で、蒼は小さく息を吐いた。
 沢也は正面から反らしていた視線を、傍らのランプに向ける。彼の耳にだけ聞こえた結の見解が、元から歪んだ彼の微笑を複雑な色に変えた。


 それからいつものように日が暮れて、落ちた日がまた昇った翌日の正午前。


 沢也が開発した厳重なセキュリティシステムで区切られたフロアのうち、丁度椿の部屋の正面に当たる余り広くない部屋が、本日の会議室だ。
 長方形の短い辺の片方を出入り口であるこげ茶の扉、逆側を窓に、長い辺の全てを本棚に占領されたそこは、要人しか使用できない書庫となっている。
 完全に隔離された空間が作れるせいで、本や書類が部屋の隙間を埋め尽くしていたり、置かれている古くて背の低いソファやテーブルは時折寛ぎスペースとして使用されているなどと、色々な意味で自由でシックな一室だ。
 小次郎を連れて入室した沢也は、扉の脇にある旧型ストーブの上に小さな扇風機を乗せ、強のスイッチを押す。続いて先に部屋にいた海羽がカーテンを結び始めた辺りで小次郎が席に着いた。
「悪いな。また呼び出しちまって」
「いえ。構いません」
「いいのか?部下が心配してんだろ」
「彼等は少々過保護過ぎです。私とてあなたの奥方候補と同じ歳なのです。多少なりと自由にしても問題ないでしょう」
「…悪い。誰とタメ歳だって?」
「沙梨菜じゃないか?」
 海羽が暴れるカーテンを丸め終えて割り込むと、額を押さえていた沢也が大きく溜め息を吐く。
「奥方候補って…お前なぁ…」
「この程度で狼狽えるなど、柄ではないのではないですか?」
「狼狽えてねえ。呆れてんだ」
 悪戯に悪戯を返された事で小次郎の性質を再確認し、沢也と海羽は正反対の反応を示した。
「まあいい。時間もねえし、さっさとはじめるぞ」
 沢也が長い溜め息の後に促すと、海羽と小次郎は首肯で答える。
「ではまず此方から」
 そう言ってよっこいしょ、と若者らしからぬ声を出した小次郎は、短いマントの内側から分厚い書類の束を取り出した。
 沢也と海羽は半分ずつ手に取ったそれを代わる代わる読みにかかる。
「お前、こっち方面も明るかったんだな」
「まさか。あなたがた怪物と一緒にしないでください。これは薬品に詳しい部下を集めて研究させた結果ですよ」
 バラパラと直ぐに内容を取り込んだ沢也の呟きに、小次郎が呆れたように肩を竦めた。その様子を前に焦った海羽が、半分も読めていない書類をわさわさと取り落とす。
「いいからゆっくり読めよ」
「う、うん…。なんだか随分複雑な薬だな」
 序盤を読んだだけで察した海羽の一言は、沢也と小次郎を頷かせた。
「ああ。大分作り込まれちまってる。この先もころころ成分変えてくるかもな」
「と、言うことは?」
「此処で鎮静剤を製作してみた所で、必ずしも効果が出る訳じゃねえってことだ」
 続く沢也の見解は僅かながら小次郎を唸らせる。
「でも、無いよりはましかもしれない」
「今んとこ、暴れるのは魔術で拘束する他ねえからな」
 書類を読み進めながらも海羽がフォローすると、沢也も頷き同意した。
 海羽が全てを読み終えるまでの間、沢也と小次郎は揃って厨房に足を向け、四人分の飲み物と茶菓子を揃えることにする。しかし二人とも何時もは他人任せな為、結局はメイドさんや有理子の用意してくれたものを運んできただけだったのだが。
 そんなことは露知らず、20分程かけて書類の内容を把握した海羽がゆったりと紅茶を啜る。
「どうです?だいたい分かりましたか?」
「うん。大丈夫そう。えと、材料は?」
「揃ってる」
 予めある程度は聞いていたのだろう。沢也がルビーから出した薬品の数々は、入り口手前を埋め尽くす程の量があった。
「では作業がてら雑談を。それくらいお手のものでしょう?」
「ああ。元よりそのつもりだ」
「ハルカももうすぐ来るから。ゆっくり話し合おう?」
 ごきゅごきゅとカップの中身を飲み干した小次郎が、テーブルの上のものを端に寄せる。クッキー入りのバスケット等を海羽が窓枠に移動させていると、丁度ハルカがやってきて中から一枚をさらっていった。
 沢也側のソファに落ち着いた彼がもりもりとクッキーを消費する間に、沢也の手によってローテーブルが実験専用台よろしく整えられていく。
 小次郎は沢也に手渡されたゴム手袋をはめながら、会議の議題を提示した。
「では手始めに、姿を隠す魔法についてお聞きしたいのですが」
 振られた二人のうち、ハルカはバスケットの中身を漁っていた為、自動的に海羽が応答することになる。
「僕の知識は元々瑠璃のものなんだ。つまり、えと…あの魔法も瑠璃が知ってたから使えるってことになるかな」
「てことはやっぱり、アレは人間が作ったものじゃなくて、妖精の術の一種…と言うことになるね」
「瑠璃は姿を隠すのが得意だったみたいだし、そのせいもあるのかもな」
 目当てを見つけてソファに戻ったハルカの言葉に、海羽は頷いて補足した。
「具体的にどう言った原理なのですか?」
 沢也から瑠璃についての簡単な説明を受けた小次郎が、相槌の後先を促す。海羽は茶色の瓶を開けながら天井を仰いだ。
「簡単に言うと、外から見ている人に裏側の世界を見せる魔法…ってことになるか?」
「そう。別の物を映し出すことで内側の物を隠すのを目的としているんだ。もっと詳しく言うとそれだけじゃなくて、術師が侵入者を選別し、敵とみなしたものがバリアに足を踏み入れると同時に、バリアの内側にいる間だけ裏の世界へ飛ばす事も出来る…って感じかな?」
 簡単な海羽の説明を、ハルカが具体的なものに変える。すると小次郎の左眉が内側に寄った。
「裏の世界へ飛ばす…?」
「そう。だけど逆に裏の世界では、そのバリアの中だけは不可侵だから。飛ばされた人にも実害はないってわけ」
 ハルカは軽くそう言って、左の肉球でイチゴジャムを掬い、スコーンに塗りたくる。小次郎はその間に考えを纏めて、試験管片手に質問を続けた。
「例えば。あなたが裏側の世界へ行った時に、私が彼女のバリアに侵入したとしたら」
 ハルカは小次郎の指先が海羽を捉えるのを横目に見据え、食事を中断してゆっくりと解答する。
「僕には君が見えるけど、君が居る空間…要はバリアの内側に侵入する事は出来ない。逆に君は、裏側の世界に居ることにはなるけれど、バリアの外に見えているのはこっちの世界だから。当然僕の姿も見えないことになる」
 ハルカの話は複雑ではあるが、よくよく考察すれば理にかなっていた。
 しかしやはり、問題となるのは「裏の世界」について。話は必然的にそちらへと流れていく。
 何時だったか、裏の世界に疑問を持ったくれあの質問に答えた時のように、沢也が話す大体の概要を小次郎は興味深気に聞き入った。
「最近、なんとなく分かるようになったよ。どうして僕だけが裏の世界に行くことが出来るのか」
 話が一区切りしたところで、ハルカがまだ沢也にも話していない見解を口にする。みんなが振り向くのを待って、中身が半分程になったバスケットの中に収まっていた彼は、尻尾をゆらりと振り回した。
「君達になくて、僕にあるもののせいじゃないかな」
「妖獣か妖獣じゃないか、以外にか?」
「そう」
 海羽の問いにハルカが即答する。その後ノータイムで沢也が呟いた。
「死んだことがあるか、ないか」
「流石だね。その通り」
 猫なりに笑って見せると、ハルカは上体を起こして左右に尻尾を振り乱す。
「僕は一度、あの世界に足を踏み入れた存在であり、生まれ変わる事が出来たからこそ、あっちとこっちを行き来出来る」
「つまり、裏の世界は死後の世界だと?」
「死後…と言うと語弊があるかもしれないけど。ぶっちゃけ僕は生き返っちゃってる訳だから、あっちの存在に干渉することは出来ないわけだし。詳しいことまでは分からないんだ」
 小次郎の解釈にハルカが釈明した
 所で一旦話が途切れた。薬の製作進行などややあって、沢也が会話を再開する。
「そういや、海羽は幽霊が見えるんじゃなかったか?」
 急な彼の発言にぎょっとしたのは小次郎だけではなく、海羽本人も相当狼狽えているようだ。沢也は彼女の手から薬品を取り除いた上で、左手で開始の合図をする。
「えと…幽霊って言うのは…この世界に未練とか、そう言うものを持っていて、死んだ後も残っている人の精神が形になったもので…だからな、えーと…」
「魔法と精神は関係性が深い故、見えることもあると」
「うん、そんな感じ…」
 纏めてくれた小次郎に頷く海羽は、ハルカから促された紅茶で一息付いた。
「結が自分を幽霊のようなものだと言うのに似ているな。あいつも魔力があろうと無かろうと、見える奴と見えない奴が居るだろう?」
「うん、そうだな。条件は一定じゃ無いんだと思うけど…ある程度予想はつくよ」
 沢也の言葉にも同意を示し、中空に視線を泳がせる海羽の考えはなんとなく三者に浸透していく。
 波長が合うとか合わないとか、妖精の力の割合がどれだけ残っているかとか、微妙な違いで結や幽霊が見えたり見えなかったりするのだろう。
 現に妖精の力を注入された筈の小次郎でも、不思議と結を見ることが出来ない。
「それなら、お前が裏の世界を覗く事が出来たとしたら?」
「分からないけど、ハルカが見えないなら、僕にも見えない可能性は高いぞ?」
「それは裏に存在するのが、人間の精神ではないからか…それともお前やハルカがこちらの世界の人間だからか…」
 沢也は海羽の返答を噛み砕き、声に出しながら考察を進める。全員が全員唸りを上げた所で、彼は囁くようにしてこう言った。
「…いや、違うな」
「うん?」
 腑に落ちないような表情は、ハルカの疑問符を受けて真剣なものへと変化する。
「あっちの存在が、こちらに干渉して欲しくないから」
 沢也は酷く真面目に言い切った。小次郎と海羽が声を上げるよりも早く、ハルカが素早く首肯する。
「うん、僕としてもそれが一番しっくりくるかも」
 唯一裏側の世界に行くことが出来るハルカの感覚を否定する理由などなく、そうなのかと納得する二人を他所に沢也の独り言は続けられた。
「それが正解なら、俺の疑問も解消するな」
 方々から無言の催促を受けた沢也は、フラスコの中の液体を揺らしながら話を進める。
「小次郎も聞いてるんだろうが。俺達は過去に数ヵ月だけ、組織から姿を眩ませるため草原の広範囲にバリアを張り巡らせて、畑を耕していたことがあってな」
「聞いています。あなた方が去った後、突然畑が出現したと騒ぎになりましたから。組織の圧力で噂は消滅させましたけどね」
 自分達の知らないところでそんな事が起きていたのかと、数年越しに驚いた海羽が頷く傍ら沢也は小次郎に問い掛けた。
「裏側の世界は、こっちと全く同じ構造をしていると言ったな?」
「こちらに建物が建てばあちらにも、崩れればあちら側も…ああ、成る程。確かに疑問ですね」
 直ぐ様言いたいことを理解した小次郎に、沢也は頷いては解説する。
「俺達が作った畑は数ヵ月間、裏側の世界に出現することは無かった」
「もし出現していれば、こちらで騒ぎになるようなことは無かった筈ですからね」
 ほうほう、とハルカと海羽が首を動かし続けているうちに、沢也の手元で揺れる液体が黄色から青に変色した。彼はそれに白い粉を足しながら更に続ける。
「仮説は幾つか立てたんだ。1つは裏側に反映されるまでにラグがある。もう1つは、先にハルカが説明したように、こっちでバリアを張っている間は何らかの副作用が働くってことなんだが」
 一息の間の中に、フラスコの狭い入り口からポワンと白煙の輪が生まれた。三人がそれを見上げるのにも構わず、沢也は一息に捲し立てる。
「恐らく反映にラグはない。あれば直ぐにハルカが違和感を覚えるだろう。だからつまりハルカの言う通り、裏側の世界からバリアの内側に干渉する術が無いんだろう。だから、バリアが切れてから製作を実行した」
「…あちらの世界の住人が、ですか?」
 消え行く煙に気を取られながらも、話の内容を理解した小次郎が訝しげに問い掛けた。
「ま、確かめる術は無いんだけどな」
 沢也は皮肉な笑みでそう言うと、溜め息一つで話を切り替える。
「どちらにせよ、こいつらが使える人避け透明バリアは、妖精が開発した術だけあって人間側には浸透していない可能性が高いってことだな」
「そもそも裏側の世界の存在を知っている人間がどれだけ居るか…それすら怪しい所ですからね」
「俺が見た限り、出回ってる魔術書にもその類いの記述はねえし…お前クラスの魔術師が知らねえってことは、そういうことなのかもしれないな」
 ふむ、と一つ頷いて、小次郎は沢也のモノクルの奥を覗いた。
「では出来る限り内密にしておく必要があると?」
「詳細はな。術の存在自体はそれなりに周知されている筈だ。下手に隠しだてする必要はねえし、こちらから探る必要もない」
「現状維持ですか」
「周囲に対してはそれで十分だろう。問題は…」
 また、ポムッと音がする。小次郎とハルカが沢也の手元に異変がないことを認めて首を回すと、海羽の前に置かれたビーカーが連続して煙の輪を吐き出しているのが見えた。
「もしも二人の他に、あの術を使える術師が存在したとしたら」
「その為の対策として、術の弱点を見出ださなければなりませんね」
 互いに細めた瞳を向かい合わせないまま、沢也と小次郎は意見を纏める。メロンソーダ色の液体の隣で錠剤を砕く海羽が、それを聞き付けてポツリと呟いた。
「あの魔法は、魔法陣の内側の存在を完全に消すものではないから」
 俯いたまま、小さな声で続く言葉は不思議と三人の中に入ってくる。
「もしかしたら、倫祐みたいな人には、そこに居ることが分かることもあるかもしれない」
 何時から、その感覚と付き合って来たのだろうかと。問いかけそうになって、しかし躊躇った沢也の前、小次郎も難しい顔を扉の方へと流した。
「どちらにせよ、実験には準備が必要だ。またこうして集まれるかは分からないが、出来るだけ早く答えを出せるようにしておこう」
 結論を語る沢也の前、海羽が滑らせたのは液状と粉末状の二種類。
 沢也は全員が頷くのを待って、全ての薬剤を合成する作業に取り掛かる。

 やはり忙しい事に変わりはないのだろう。
 それから一時間もしないうちに、小次郎は完成した薬品の半分を手に、夕方の集荷と共にリリスヘと帰っていった。





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