人員募集 九月も終わり近く。 王都の空気はすっかり秋に染まっていた。 それを証明するかのように、涼しげな風が広々とした王座の間を通り過ぎ、二色の髪を揺らしていく。 長テーブルに半端に向かい合って座る有理子と蒼は、順番に「爆弾事件」の報告書を読みながら深い溜め息を付いたところだ。 「結局私怨だったの?」 「そのようですね」 「沙梨菜が責任感じちゃってなきゃいいんだけど…」 「その点は、沢也くんにしっかりフォローしてもらうよう頼んでおきましたから」 「有り難う。ついでにこれに懲りて少しは優しくなってくれたらいいんだけど」 棒読みにそんなことを言う有理子の皮肉な微笑に、蒼は苦笑だけで答えては密かに肩を竦める。 有理子も有理子で半分以上は願望を込めた冗談だった為、それ以上議論を続けるつもりは無いようだ。別の種の苦悩を溜め息に乗せて口にする。 「それにしても。毎度尻尾が掴めそうで掴めないのよね…」 黒幕の。彼女の小さな呟きに頷いて、蒼は書類を一纏めにした。 「仕方がないですよ。今回の犯人さんのような方は特に、沢也くんに有益な情報は絶対に話さないでしょうし」 「まぁ…確かに」 「即席の計画でここまで暴れてくれたんです。次はどんな手で来るか、今から楽しみですよ」 「蒼くん、笑顔が怖いわ」 輝かしいそれの背後に黒さを感じた有理子が指摘すると、彼は黒だけを押し込めて素早く指を回す。 「それはそれとして。リーダーさんの方で、少量ながら強化剤の押収に成功したそうなので、技術課と沢也くん…それから海羽さんの手も借りまして、近々鎮静剤の開発を始めるかもしれません」 「そうね…無いよりはあった方が…」 「現状無くても問題ない程度の事案しか発生していませんが、この先どうなるか分かりませんからね」 蒼はサラリと不穏な憶測を呟くと、書類を綴じたファイルを手に席を立った。 「有理子さんも、いい加減仕事が溜まってきてしまっているのではないですか?」 不意に覗き込むようにして訊ねる彼を僅かに見上げ、有理子はポリポリと額を掻く。 「ああ…やっぱり分かっちゃう?出来るだけ民衆課に頼ってはいるんだけど、あっちもあっちで色々あるみたいでね…」 「少し負担を減らせるよう、手を回してみますよ」 スケジュール帳とにらめっこを続けていた有理子は、遠慮を受け付けぬ蒼の微笑に申し訳無さそうな苦笑を向けた。 それから三十分後、二階の会議室で貴族院による定例会が開始される。 補佐役の有理子を後ろに座らせ、いつもの誕生席でいつもと同じ実のない話を小一時間程聞いた頃。繰り返し議題に上がっている「開拓」に関する話題が持ち出された。 「いい加減、話を進展させたい所ですね」 「そうまで仰るなら、そちらが折れたらいいではないか」 「何を?そちらこそ少しは柔軟に物を考えたらどうかね?」 「陛下。黙っていないで妥協案の一つでも出しては下さいませんか」 「そうですね」 定期的に投げられる無茶振りを笑顔で受け止めて、蒼は何でも無さそうに提案する。 「自身の所有する土地に関しては、開拓の許可を出しましょう。但し…」 急な展開に驚く貴族達をそのままに、言葉を切った彼の微笑が僅かに変化した。 「全ては自己責任、と言うことで宜しくお願い致します」 子供のようなそれは有無を言わさぬ圧力を帯び、それをそのまま固形化したような文字列が蒼の手の中でヒラリと踊る。 「書類を用意しました。開拓を申請する方は良く目を通し、サインをして提出して下さい」 有理子によって二分され、二列に並ぶ全ての貴族達に配布した書類は、簡単に言えば今しがた蒼が説明した通りの約束をするための同意書だ。 貴族側は既に開拓を始めている事を、国が知らずにいると思っている。しかし実際はそれを知った上で条件を提示し、同意を確かなものにしている訳で。 つまり国側にはそれくらい、開拓をするリスクに対する根拠に自信がある。逆に開拓推進派にはリスクなどないと言う自信があるようだ。 よって、正式に国に開拓の申請をした貴族は当然、土地を買い漁り開拓を進めたがるだろう。沢也はそれをさせない為に、各地の地主の元を訪れ「貴族に売却しないよう」話を付けたのだ。 現在、国がレンタルした土地の全ては、倫祐を始めとした諜報部が警備を担っている。地主に断られた貴族達が、不正に開拓を進める事態を避けるためだ。 既に勝手な開拓が進められた地域の偵察の結果、早ければ数ヵ月後には何かしらの影響が出てくる可能性があるらしい。 そうなって初めて「自己責任」の効果が発揮されるのだが、結局は実際になってみるまでどう転ぶのかまでは見通しが立たない。相手は自然なのだから当たり前であるし、仕方がないので、人間相手にだけでも対策を施しておこうと言う腹である。 会議終了後。 二枚の同意書を得た蒼が、聴取や続く捜査の補佐に出向いていた沢也と合流したのがお昼過ぎのこと。 有理子と共に昼食を終えて書類整理をしていた蒼が、進まぬ箸をそのままにメールを読み漁る沢也の呟きを耳にする。 「で?今日の面接は?」 独り言だったのか、自ら答えを探し当てた沢也は追って口にした。 「…銭か」 「彼ですか。採用面接を思い出しますね」 「ああ。あいつだけは俺とお前でやったんだったな」 「結さんもいらしたんで、完全に白だと言うことは分かっていましたけど。倫祐くんの調査報告もなかなか面白かったですよね」 二人は苦笑にも微笑にも見える微妙な表情で肩を竦め合い、それぞれの頭の中で回想する。 それは国を設立した当初、一番はじめの人員募集を開始して2ヶ月程が過ぎた頃の事。 直接城まで出向いてアポイントメントを取りに来た人がいると、受付からの連絡を受け。沢也は暫く待てるなら今日中に面接をすると返答した。するといくらでも待つから是非頼むとの答え。 なんだかんだで小一時間程待たせて、蒼と二人で王座の間で待機していると、重い扉が軽快に開かれる。 有理子に案内されてやってきた人物は、ポツリと置かれた椅子の横まで来て一礼し、にこにこと二人を見据えた。 沢也が着席を促すと、男は緊張する様子もなく椅子に付く。その間にも蒼の首が僅かに傾いていた。 「あなたは…」 「あー、覚えててくれたんですか?」 蒼が短く口にすると、男は直ぐに身を乗り出す。 「はい。確かクリフのホテルのベルマンを…」 「そうです。組織運営のホテルでベルマンをしておりましたー、銭と申します」 彼は愛想笑いに似た笑みでそう言い切った。 蒼と銭、二人の様子からして、顔を見たことはあるけれど会話をするような仲ではない、と言ったように見える。どちらにせよ組織の関係者ならば、出来るだけ用心するに越したことはない。 沢也はそれを念頭に、話を前に押し進めた。 「ホテルのベルマンが、なんでまた近衛隊に志願したんだ?」 「ぼくは別に、ベルマンをしたくて組織に居たんじゃないんですよ」 ヒラヒラと手をはためかせ、銭が背中から取り出したのは小型のライフル。思わず身構えた二人を他所に、彼はそれを構える所か抱き抱えて頬擦りをした。 「銃と一緒に居たかったからなんです」 異様な光景に拍子抜けした沢也が溜め息ついでに問い掛ける。 「それが何故ベルマンに?」 「ぼくの上司がぼくの扱いに困ったらしく。つまるところー…厄介払いって奴ですね」 「扱いに、な…」 唸るような沢也の声に、銭は困ったように眉をひそめて言い訳た。 「何もぼくは小動物や人間を撃ち殺して楽しむのが趣味ってわけじゃないんですけどねー」 「それなら、銃で何をするんだ?」 「眺めて、愛でて、手入れして、時に使ってやるだけです」 「そうか。なら、お前の上司は何故お前を持て余したんだ?」 「命令に忠実じゃなかったから?」 単調な返答は、室内の空気を一瞬だけ固まらせる。しかしそれは直ぐに銭本人が緩く解説することで解除した。 「つまるところ、命令に背いて撃たなかった事が数度あっただけのことなんです」 見ようによってはへらへらと、軽く言って退ける彼に沢也の低い声が問う。 「何故撃たなかった?」 「ぼくが撃ちたくないものを代りに撃たせるなんて、銃が可哀想ですから」 「お前が銃を武器として使用するのはどんな時だ?」 「そうですねー…基本的に生物に向けることはありません。まあ、如何にも相手が悪である場合は、威嚇くらいしますが?」 「そうか。人を殺したことは?」 「ありますよー。ぼくはもともとそういう場所に居ましたし、銃は本来そういう使い方をされる為に作られたものであることも確かですから」 あっけらかんとしてはいるが、冗談のようにも聞こえない持論は羽根のような軽さで続けられた。 「納得した上で殺したんですー。全て綺麗に片づけることができないからこそ、銃のような武器が生まれたんですよ」 入室時から一度たりとも変わらぬ不思議な微笑が、沢也の表情を僅かに変えた。 「ただの銃愛好者ってわけじゃなさそうだな」 不敵な笑みを浮かべる沢也の隣には、銭と同じく変わらぬ笑顔を浮かべる蒼が行く末を見守るように座っている。 銭は二人の表情を見比べて頷くと、満足そうに言った。 「何も知らず、使いこなせずに、愛することなどできるものですか」 妙に堂々とした物言いを受けて、沢也は手元の引き出しに手をかける。 「一緒に居るため、と言ったな?」 「ええ」 「その為なら人を撃てずとも?」 「勿論構いません。銃の携帯を許して頂けるのでしたら出来る限り命令には従いましょう」 「分かった。だが、携帯する際には…」 「心得ております。人目に触れぬよう、危険が及ばぬよう、善処します」 簡単な確認を一通り終えた彼は、サインを施した書類を銭に差し出した。 「やはりぼくの見込みは間違いじゃなかった」 フロアの中央を分断するように置かれた長テーブルにふわふわと歩み寄り、銭は受け取った書類を天井に掲げる。そうして沢也の前に右手を伸ばした。 「理解して頂けて嬉しいですよー。同じ銃を携帯する者として」 背後に光でも浮かべる勢いでそう言った銭に、沢也と蒼は思わず目を丸くする。 それもその筈、銭がこの場に来てから、沢也は一度も銃を取り出してなどいないし、世間にもこれといって公表してなどいないのだから。 つまり銭は、ちょっとした仕草や手先の様子だけで、沢也が銃を愛用していることを見抜いたことになる。 「ほんと、狂ってやがる」 「褒め言葉です」 差し出されたままの右手を受けて握手をすると、銭は臆面もなく進言した。 「今度見せてくださいね?あなた様の相棒も」 「ああ」 「楽しみにしてます」 会話の合間に書類にサインを施した銭は、その日の翌日から第二近衛隊に勤務することになったのである。 長い回想を終えた二人が現実に戻り、図ったように同時に溜め息を落とした。 時間にして数分ほど、沢也の脇に置かれたスープはすっかり冷めてしまったが、淹れたばかりの蒼の紅茶は温かさを失っていない。 沢也は回鍋肉のキャベツを箸で摘まみながら、譫言のように声を出す。 「またアレをやるのか…」 「彼ほど特殊な方はそうそういらっしゃらないと思いますけどね」 「他にも何人かやったろ?全部蹴ったけど」 「心中はお察ししますが、どちらを採っても苦しいことに変わりは無さそうですから」 憎たらしげに肉をつつく沢也を宥める蒼の苦笑は、扉が開いた事でいつもの微笑に直った。 二人が振り向くと、有理子の後ろから銭が顔を覗かせている。 「ちょっと早いけど、下で会ったから連れてきちゃった。ってかあんたまだ食べてるの?ながら食べは行儀悪いってあれだけ…」 「あーうっせー小姑かテメエは!昼間っからこんな重いもん、ペロッと食えるかっつーの」 「蒼くんはちゃーんと食べてくれたわよ?義希なんてついでに餃子三皿も平らげてったし…あんたが万年不健康なだけでしょう?朝ならまだしも昼なんだから、しゃんとしなさいよね。恥ずかしい…」 「おまえなぁ…。わざわざ早めに連れてきてわざとらしく説教する理由は何だ…」 「決まってるでしょう?あんたへの恐怖心を和らげるため。わたしったらやっさしぃー♪」 「他の奴等はともかく、そいつにはそんなもん必要ねえ。いいからとっとと支出額纏めて来い」 怒りと呆れの混じった舌打ちにはいはいと返事して、有理子は銭を中に押し込み厨房に向かって行った。 「悪いな。こんな時間に」 「いえいえー、たまには陽の光も浴びておかないと吸血鬼化しちゃいますから」 気だるい空気溢れる王座の間の中央付近、昼食の残りと書類にまみれた長テーブルのうち、沢也の真正面に座った銭は意気揚々と手を合わせる。 「と、言うわけで。参謀さん愛用の銃を拝みに来ました」 そのままずいっと伸ばされた両手の平を見下ろしながら、沢也は呆れたように肉を白米の上に乗せた。 「それはそれで構わないが、仕事に関する希望はないのか?」 「そうですねー」 広げた手を胸の前まで引っ込めつつ、沢也が咀嚼するのを無意識的に凝視して、銭はつらつらと言葉を並べる。 「ぼくのことはともかくとして。もう少し役割分担のようなものがあってもいいかなーと思います。しかしそれには人が足りなさ過ぎでしょう?特に指示を出せるタイプの人と言いますか…」 「お前の見立てでは、纏め役に為りそうな同僚が居ないと?」 「ですです。ぼくみたいなのには向きませんから。せいぜい纏め役さんのフォローに回るくらいかと」 「お前が居てこそ小太郎がああして居られるんだ。それはそれで構わないだろう」 沢也は言いながら、皿の上でキャベツと肉を並べて見せた。 「つまり、小太郎とお前のようなペアがもう一組ありゃいいと」 「それでいて小太郎さんに逆らわないタイプの人が適任ではないかと」 銭の補足が終わった所に、有理子が飲み物を持って入ってくる。彼女が歩み寄る間、沢也は残った食事を口の中に押し込んだ。 「分かった。探してみる」 「言ってみるもんですねー。一蹴されるものと思ってました」 黙って配膳を終えた有理子が食器を片付け退出するのを待って、呟いた沢也に銭が返答する。 「一週間後、楽しみにしてろよ」 「はいー、それはそれとして、この引っ込みのつかない手にお恵みをばー」 目の前に置かれた緑茶をスルーして再び差し出された両手に、沢也は苦笑して拳銃を乗せた。 その後時間一杯、銭が銃を肴に緑茶を啜って言ったのは言うまでもないだろう。 その日から一週間の間に、城では大規模な人員募集が行われた。 数年ぶりの呼び掛けだけに、たった二日で募集を締め切る程の好反応を得る。 一般公募に関しては、先に沢也がぼやいていたように王座の間での直接面接を行い、募集から五日後には採用不採用を決定。後は各々の事情に合わせて出勤日を決めるだけの状態だ。 それに加えてもう一つ。 未就職の元ハンターをリリスに集め、本格的な問題解決に乗り出す事になっていた。よって、一月後には全ての物資支援を停止することになる。 今までの支援の代わりに新たに行われる支援の全ては、日頃から人材育成に携わる小次郎側に一任する手筈となっており、寮の提供など就職に必要な事は全て面倒を見るが、一年の間に必ず就職してもらうことを絶対条件としていた。 上手くいくかどうかは未知数だが、現状の対策をずるずる続けているよりはましだろう。 小次郎はこれを引き受ける代わりに、今までの彼の下で育成してきた人材を城で働かせる事を条件として上げてきた。あちらはあちらで飽和状態になりつつあるようで、移動希望を募った所、それなりの数が集まったので今回の運びとなったのである。 一般公募はそのついで、と言った所だろうか。 とにもかくにも、それなりの制限や制約こそあれ、他に比べれば給料の良い城での勤務を希望する者が多い事は多いのだ。 問題は、どこから資金を捻出したのか…と言うことなのだが。 一つは孝と夏芽が中心となって進めていた産業が想定より早く安定し、国営として成り立つようになってきたこと。 国と協力して進めてきたこの事業は、孝の屋敷の一部を本拠地に、妖精の知識を借りて新たな産業を浸透させる方針となっている。 例えば、沢也が魔法で灰にした大量の不要書類の数々を、妖精の知識を利用したマジックアイテムで再生紙に作り直したり、汚水の浄化だとか、他にもリサイクル関連を中心にした商品、サービスを大きな町を中心に展開している状態だ。 最初こそ開発や売り込みに手間取ったものの、定着さえしてしまえば安定した収入が得られる為、この先少しは楽になる見込みがある。 二つ目は、先日の昇格試験による経費削減だ。良いか悪いかは別として、昇給よりも減給が上回ったおかげで若干の余裕が出来たのは確かである。しかし隊員達の能力ややる気が向上すれば元より高くなる可能性もあるので、一概に余裕があるとは言い切れない。 従って、城内部の雑費や近衛隊を含む各部署から上がってくる経費に至るまで、できる限りでの節約が行われる手筈を整えた所だ。 勿論先に上げたリサイクルを積極的に取り入れて、一石二鳥を狙うつもりでもある。 最後の一つは、リーダーや孝、夏芽等、よく知った人物からの借金だ。 これは国からの申し出と言うよりは相手側からの厚意で、利子や期限も無く、いい加減王都の人事を落ち着かせたいと考えていた蒼や沢也にとっては、有り難過ぎる物となっていた。 これによって解決したい問題はまず3つ。 代わりとなる接待補佐を見付け、有理子に財務管理を一任、新たに部下としての人材を育成していくこと。 近衛隊の体制を確立させること。 魔導科の負担を減らすため、新たな部署を設置すること。 「移動、終わったの?」 溜め息と共に王座の間に入室した沢也を、有理子の問い掛けが迎え入れる。 「ああ」 「ボスや司法課のみんなには悪いことしたわね」 「いや。元々牢屋があっちの棟にあるから、いつかは移動しようって話はしてたんだ」 長いフロアを縦断する沢也に、長テーブルで仕事を進める有理子は納得して頷いて見せた。 二人の会話の通り、沢也は今しがた司法課を南棟の三階へ移動する作業を手伝って来た所だ。 そして昼食後、元々司法課があった場所にマジックアイテム課を設置しにいくことになる。 試験的ではあるが、新たに増設が決定したその課は主に魔法やマジックアイテムに関する仕事の末端を請け負う部署で、主要となる職員は小次郎の元で魔術を学んだ魔術師だ。とは言っても熟練の年配者から簡単な魔法しか使えない若手まで幅は広く、扱う品物のせいもあってそのまま任せるのは不安があるため、暫くの間は沢也の姉、咲夜が監督役として来てくれる事になっている。 正直な所、咲夜のような変わり者にそんな役が勤まるのかと、沢也…及び蒼や有理子も密かに不安に思っているのだが、海羽やリーダーをはじめとした常識人が揃って太鼓判を押してきた為、取り敢えず任せてみることにした、というのがつい二週間ほど前の事だ。 秀さえ居なければ、海羽と共に魔導課で働きたがっていた咲夜であるだけに、今回の役回りには乗り気らしい。 沢也はせめて貴族とのいざこざを起こしてくれぬよう、各方面から釘を刺させる為に尽力している最中であった。 そんな疲れ果てた彼がやっとのことで自分のデスクに座り込むのを見計らって、有理子は次の質問を投げる。 「それで…誰をわたしの代わりにするの?」 息つく間もなくメールを確認しながらではあるが、机に伏した沢也は気だるそうに適当な返事をした。 「そこは実際の業務を見た上で判断するしかねえな」 「接客に関しては実戦してみないと、本当の所は判りにくいですからね」 今まで黙っていた蒼が横から言うと、沢也も有理子も溜め息混じりに彼を見る。 「現にメイドとしては優秀でもお前の代わりになるような奴は居なかったんだろ?」 「そうね。だからこその追加募集なんでしょうけど…」 唸る二人に肩を竦め、席を立った蒼は昼食を求めて厨房に足を向けた。彼も立ち会っての面接はかなりの量行われたが、結局のところ採用されたのは数人のみで、そこから更に絞るとなると…残るかどうかも危うい所である。 「橘さんが愛想笑い出来る人ならなぁ…」 「逆に怖い」 「沢也くんが無理に笑ったのと同じような感じになりそうですね」 有理子の呟きに即答した沢也に蒼が続けると、有理子と沢也の表情が対照的に変化した。 しかし有理子の言うことは尤もで、全てのスキルを見てもメイド長の橘さんが一番の適任者なのである。 蒼がすっかり退室すると、彼女の口からは盛大な溜め息が漏れると共に、先程まで浮かべていた含み笑いも失われた。 先日の貴族院の見送り時、色々あって自粛しているお見合いの開催を急かされたのである。その上今回の人員補充も、当たり前のように全員が女性なのだから、この先の彼の気苦労を危惧しては頭を痛ませる有理子であった。 「一週間くらい様子を見る感じ?」 彼女が呟くと、沢也は黙って首肯する。それには余計な心配は無用だとの意味合いが含まれているようにも見えた。 「了解。橘さんにも協力を申請しておきます」 彼がそれ以上何も言わないので、有理子はそこで会話を終わらせる。終わらせはしたが、沢也と沙梨菜の間で起きた例の事件をも思い出し、その後の経過も心配しては密かにこめかみを押さえた。 cp41 [不透明な感情]← top→ cp43 [新しい風] |