昇格テスト:中編


 
 合格者が出たらしいと言う情報が、隊員達の間でじわじわと広まりつつあった。
 聞き付けた帯斗が知り合いを探して城内をうろうろしていると、三階の厨房から甘い香りが漂ってくる。
 時刻は3時過ぎ。
 小腹を空かせた彼は昼時と同じくして見事に釣り針に食い付いたのであった。
 ひょっこりと顔を覗かせた帯斗の目に、厨房の作業台にマフィンが詰まった篭を設置する定一の姿が映る。
「…いっさんまで…そんな、古典的な罠を…っ!」
 驚愕に任せて叫んだ彼を振り向いた定一は、何度か目を瞬かせると肩を竦めて見せた。
「僕までってことは、他にもやった人がいたってこと?」
「その上に篭仕掛けるんすよね?ズミがやってました」
「そんなことしてどうするのさ。篭被せたくらいでなんとかなるような相手だと本気で思っているわけじゃあないよね?」
「俺じゃないですって、ズミ本人に聞いてくださいす」
 バカにされたと取ったのか、黒いオーラを出した定一を慣れた調子で帯斗が宥める。その目はオーラを引っ込めた彼を通り越した先を見据えていた。
「…にしても、うまそうすね」
 ココアとプレーン色をしたもふもふふわふわなマフィンを狙う帯斗の瞳は獣のソレに近く。思わず彼とマフィンの間に入った定一は、言い訳のように口にした。
「うん。かみさんにね、念のため作っておいてもらったんだよ」
「お手製すか?」
「君的に言えばお袋の味になるんだろうけど」
「何を言うっすか。いっさん的には彼女の手作りマフィンってことじゃないすか!あげちゃっていいんすか?」
「いやあ、若いっていいねぇ…」
 驚愕の表情で熱弁を繰り広げる帯斗を生暖かい目で眺めつつ、定一は厨房の棚の影に足を運ぶ。
「え、いっさん?ちょ…何を…」
「何って。誰か別の人がつまみ食いしないように見張らないと」
「え」
「ん?」
 不思議そうな定一の返しを受けた帯斗が周囲を確認するも、特に仕掛けのような物は見付からず。
「いえ、俺にはいっさんの考えが分からないす…」
「そうかい。それならちょっと席を外して貰えると助かるかなぁ」
 思わず呟いた帯斗に、定一は苦笑で返答した。すると帯斗は渋るでもなく真面目な顔を頷かせる。
「なんか作戦があるすね?分かりました。健闘を祈るっす」
「物分かりの良い相棒で助かるよ」
「あ。でも、その前に一つ!」
「合格したのは正宗くんだよ。さっき彼の相棒に聞いたから間違いない」
「まじすか…くそう…先越された…っ!」
 定一が質問を先読みして答えると、帯斗は叫びながら厨房を出ていった。その背中と気配を見送って、定一はゆっくりと大きな欠伸と伸びをする。
 帯斗の見立て通り、定一は作業台にマフィンを置いた他はなにもしていない。それでも彼がそこで本隊長を待つのにはいくつかの理由がある。
 一つは今朝がた聞いた茂達の情報により、夜襲が選択できなくなったこと。それによって半分追い詰められたのも、理由として数えていいかもしれない。
 そしてもう1つ。
「いらっしゃい。おなか空いてるかと思って」
 わざわざ温め直してまで甘い匂いを振り撒いた甲斐があったと。棚の影から顔を出した定一は、遠巻きにマフィンを眺める倫祐を手招いた。
「お一つどうぞ」
 先程他の隊員が倫祐に食べ物を差し出した所、警戒もなくそれを手に取り、捕まえる間もなく逃げ去って、その後食料を口にするまでを、定一はしかと見届けていたのである。
 従って今回も例外ではなく。マフィンを1つ手に取った倫祐は、定一が動きを見せるより早く厨房から姿を消した。元より承知の上だったとは言え、余りの素早さに半ば呆れ気味なため息を吐き出した定一は、残されたマフィンを回収して微かに笑みを浮かべる。
「…さて、と」
 小さく呟いた彼が気配を殺し、物陰から様子を窺う最中。倫祐は廊下の角を曲がった辺りで、徐にマフィンにかじりついた。

 それから二時間余り。
 定一は倫祐との距離を一定に保ったまま追跡を続けていた。
 その間別の隊員とのやりとりを観察する中で、ある種の確信が芽生え始める。
 密かに唸る定一の前方では、また一人の隊員がターゲットと対峙していた。
 今回の隊員は近接型。第二近衛隊の若いので、主力武器は刀のようだ。
 相手が間合いに飛び込んで来るのを待って、身をかわす。先の吹き矢の隊員相手の時から変わらず、武器を手に取る様子は無い。
 隊長が適当に避けて、決まった距離を取るうちに隊員の方が諦めてしまう。所々違いはあるものの、大体はそのパターンだ。
 しかし。と、定一は思う。
 昨日からそうだったけど。
 彼はわざと見付かるような場所を歩いている。恐らくは隊員達の対応を観察する為なんだろうが…それにしても。
 なんと言うか、彼はそう。今、このテスト中だけじゃなくて。普段から僕らの事を「良く見ている」んじゃないだろうか。だってそうでなければ、どの相手に対してもあんなにギリギリの攻防が出来るわけがない。
 端から武器を持たぬ帯斗くんが相手の時の間合いと、遠距離型の飛び道具…あの時はボウガンだったか。彼と対峙した時の間合いの取り方は最初から全く違ったし、戦闘が始まってからの距離の取り方ですら各々に対応しているのだから正直驚いた。
 そうだとしたら。
 僕がこうして様子を窺って居ることにも、気付いているんじゃあないかな?それでいて何の反応も示さないと言うことは…僕の作戦にも気付いている?
 そこまで考えて、定一は倫祐の観察に戻る。エントランスで相対した隊員の攻撃をサラリと避けるその動きからしても、二時間前と変わった様子は見られない。
 頭を掻いて短く唸り、定一は脳内に言葉を並べた。
 …だけど本当にどうかしてる。
 マフィンに盛ったのは大人なら数分でコロリと眠れる薬な訳だし。そろそろ、音を上げても良さそうな頃なのに。これじゃあロボット説もあながち否定出来なくなってしまうじゃあないか。困った人だよ…本当に。
 ため息を欠伸で殺した彼は、思考を切り替えてポケットから通信機を取り出した。
「と、言うわけで。理不尽なんで理由を問いただしたいんだけど」
 かいつまんだ事情を文にして、テストの主催者である沢也に送り付けると、直ぐにリプライが返ってくる。
 沢也が寄越した回答は単純明快。
「倫祐は過去に大怪我をし、多量の薬を投与された経緯があって、どんなものでも薬の効きが悪い。理由はそれだけ。効き目が薄いだけで多少の眠気は出るだろうから。恐らくお前の目論みにも気付いている筈だ」
 短時間で打ち込んだとは思えぬ長文に納得した定一は、通信機をポケットにしまい直してエントランスを覗き込んだ。
「それなら、折角だから今…挑戦させて貰うよ」
 誰にともなく宣言して、庭に逃げたと見せかけて上手く隊員を撒いた倫祐が、城内に戻ってくるのを確認する。ふらりとエントランスの中心に向かう彼の頭上、懐に納めていた三つのチャクラムを勢い良く投げ付けた。
 通常の使い方とは違い、ナイフのような軌道で飛んだそれはあっさりと剣に弾かれる。それを見越して飛ばしてあった後続の四つは、それぞれ不規則な円を描きながら倫祐を囲んだ。
 うち幾つかは手元に戻ってくる筈だと構えていた定一が、全てのチャクラムを叩き落とされた事で体勢を変える。その間に手摺などを利用して上へと逃げる倫祐を、今度は二つのチャクラムが追い掛けた。
 倫祐は二階へと上り切る前に両方を叩き、エントランスに落とす。定一は走りながら残りの3つを前方へ飛ばした。
 それを待ち受けていたかのように。
 飛んでくる全ての銀色を弾いて階下、若しくは上階に押しやって、倫祐は二階の廊下を駆けて行く。定一は僅かな迷いを振り切って彼を追った。
 角を曲がると、黒い背中がまだ前方に見える。手近にあった壺を掴んで力の限りぶん投げるも、かする気配すらない。
 T字路で右に。更に突き当たりで右に。その先はまた、エントランスへと続く廊下になっている。
 定一がそれを想定して突き当たりを越えると、不意に倫祐の姿が消えた。気配を追うと、微かながら左側に動く物があるように思う。
 勘だけで扉を開いた定一は、誰もいない会議室の青さに目を奪われた。同時に、薄暗い室内の奥で揺れるカーテンに気付いて足を進める。
 開かれた窓の外側を覗くと、倫祐は城を囲う壁の上に立っていた。途切れることなく生える黒い鉄の柵を跨ぐようにして佇む彼は、定一の様子を窺って居るようでもある。
「ここまでおいで、って訳でも無さそうだねえ…」
 呟いて、定一は左手を腰に移動させた。彼が取り出した財布を認めた途端、倫祐は僅かに身構える。
 小銭入れからじゃらじゃらと取り出したコインを弄び、子供のように弾き飛ばす。しかし元より指先だけで武器を扱う彼の攻撃だけあって、威力はそれなりのようだ。
 倫祐は飛んでくるコインを上に弾きながら、できる限りを回収して会議室の窓辺に降り立つ。バルコニーに広さはなく、彼は当然定一の真横に並ぶ形となった。
 驚いて目を丸くする彼を他所に、倫祐は定一の手にコインを握らせる。そうしてそのまま何事も無かったように、城内へと戻っていった。
 狐に摘ままれたような顔でそれを見送った定一は、手元に残ったコインの山と、変色した魔法陣とを見比べる。
 数秒後に零れた苦にも楽にも取れる笑みが、いつもの彼の大きな欠伸に飲み込まれた。



 それからすっかり日が暮れるまでこれといった進展がないまま、訪れたのは二日目の夜。
「おはようございますー」
 時間帯にそぐわぬ挨拶を携えてやって来たのは第二近衛隊の銭である。
 迎え入れた白い大扉が閉まると同時、室内に居た二人がそれぞれに問いかけた。
「良く眠れましたか?」
「ええ、まあー、お陰様で」
「飯にはありつけたのか?」
「はい、茂達さんにお願いしてありましたから」
 彼は蒼と沢也に答えながら、パーマがかった白髪の片側を耳にかけ、しかし逆側の隠れた片目はそのままにして部屋の中央付近に立ち止まる。銭の持つ独特な雰囲気が徐々に部屋の空気に馴染んでいった。
「で、用件は?」
 沢也が急かすと、銭は周囲を見渡すようにして話を切り出す。
「職員の皆さんは全員?」
「ああ。寮及び自宅に帰った」
「昼間騒いでいた貴族さんは?」
「あれも返した。が、明日は居座るかもしれん」
「そうですかー。では最後に一つ」
 間延び気味の銭の声と、淡々と歯切れの良い沢也の声とを、耳だけで聞いていた蒼は話の切れ目で顔を上げた。すると、銭の緑色の眼差しが妖しい色に変化する。
「本当に実弾を撃ち込んでも?」
 自信に満ちた口振りに揺らぐでもなく、沢也はすぐに口を開いた。
「問題ないだろう」
「怪我をされると後味が悪いんですケドー…本当に平気なんですか?」
「ああ」
 続く即答に頭を掻いて、銭は大袈裟に腕を組んで見せる。
「困りましたね。では、遠慮なくやらせて頂きましょうか」
 言葉とは裏腹に何処か嬉しそうに呟いた彼は、二人の反応を待つでもなく歩を進めた。
 歩きながら取り出した愛用のライフルに弾を詰めながら、鼻唄まじりに向かう先は王座の間から屋上へと続く螺旋階段。それは蒼のデスクの脇、セキュリティシステムのかけられた扉の右隣に据えられた入り口からしか出入りすることが出来ず、普段は施錠がされている場所だ。
 現在は階下に向かう道は魔法で閉ざされているものの、上へと向かう階段は生かされている。
 円形の内壁に沿って巻かれた階段は緩やかに、しかしかなりの段差を持って屋上へと繋がっていた。
 蝋燭のような薄明かりの中、なんとか休むことなく昇りきった銭は、一息付いて扉に手をかける。
 城の中では簡素な造りの、しかし異様に頑丈そうなそれは意外にも静かに外側へと開かれた。
 外は内より蒸し暑く、夜の空に流れる空気は他の季節に比べると酷く揺らいで見える。
 銭はそんな夜空に浮かぶ雲のように、ふらりふわりと屋上を縦断する。その広さはかなりのもので、階下の王座の間と同じくらいはあるだろうか。とにもかくにも狙撃ポイントを探してふらふらしていた彼は、屋上の更に上にある屋根を見付けて足を運んだ。
 そこは恐らく見張り塔と呼ばれる物で、城の中心を挟んで反対側にも同じように突き出た屋根が見える。
 銭は屋上の入り口付近から延びる、やはり螺旋状の外階段を昇って周囲を見渡した。
 視界は良好。邪魔をするものは何もなく、城門や城の裏手も把握できる。あちら側の塔にもう一人居れば、城の周囲の監視はバッチリ…と言ったところか。
 街の明かりも、城の明かりも、王座の間を除いた殆どが消えてしまった今、暗闇に乗じて動く影も僅かなようだ。
 その中で一番気配が薄く、慣れた足取りで進む物が、丁度銭が居る場所とは逆側の屋根の上に現れる。
 柱の影に身を隠し、柵の下まで頭を下げ、銃口をそっと手摺に滑らせる、そこまで僅か5秒ほど。あちらにはまだ動きがなく、それを証拠に直ぐに照準が合った。
 銭は一秒だけ固唾を飲む間を置いて、引き金に力を加える。遥か前方、闇に潜むターゲットの足元目掛けて飛び出した銃弾は、風と音を伴って夜空を駆け抜けた。
 見えずとも、放った瞬間に「狙い」が間違っていないことが分かる程、彼はその銃を使いなれている。だからこそ、一撃で気が付いた。
 見えている。
 跳弾の音を聞き付けた彼は、頭で考えるよりも早く狙撃体勢から直った。
 続けて屋根を伝っていく影に断続的に撃ち込むも手応えはなく、辺りに障害を生み出せそうな素材も見当たらない。
 一発毎に弾を詰め直し、照準を合わせ、的確に狙撃する。それでも倫祐の素早さには敵わなかった。
 銭は次第に近寄ってくる彼に違和感を覚えると同時、妙な焦燥感に駆られ始める。その理由に気が付いた頃には、倫祐の姿は間近に迫っていた。
「あなたが仰りたい事はよく分かりました」
 銭は、両手を上げて降参のポーズを取る。
「こうなると、確かにぼくには勝機がありません」
 今は確かに攻撃されることはないけれど。
「なのでー、今回はぼくの敗けと言うことで報告して下さい」
 半笑いに言い切った銭に、倫祐は不服そうに頭を掻いて見せた。それでも彼は引くどころか。
「実際に何の用意も…いえ。こうなるかもしれないことにすら気付いていなかったぼくの落ち度ですから?こんなことで合格になっても、この子に会わせる顔がなくなってしまいますー。どうぞ勘弁して下さいよ」
 ライフルを抱えて懇願までする始末に、倫祐はどうにか納得して屋根から庭へと飛び降りる。
 銭はそれを追うことなく大きく伸びをして、パタリとその場に倒れ込んだ。


 3日目の朝。
 見張り塔の中で目を覚ました銭が図書館まで戻ると、残った第一のメンバーが揃って起床したところだった。
 残った、とは言っても。実際に合格したのは正宗と定一だけなので、殆どの近衛隊員はこの部屋か、講堂で朝を過ごして居ることだろう。
 欠伸混じりにソファーに向かう銭に場所を空けた帯斗は、意外そうにその顔を覗き込んだ。
「仕留め損ねたんすか?」
 半分期待していたのだろうか。緊張の籠った声色に頷いて、銭はすとんとソファーに身を倒す。
「いやあー、あれは無理ですよ。実戦なら確実に死んでましたね」
 あはは、と軽い調子でそう返された帯斗はと言えば、日に何度も逃げられて凹まされているだけに、実戦だったら何回死んでいることか…正直考えたくもないと口をへの字に曲げてしまった。
 昨日の定一と全く同じ体勢に収まった銭の様子から何かを察したのか、茂達が自作のスクラップを整理しながら問いかける。
「諦めてしまうのですか?」
「そうですね。そう頼んできました」
「頼んでって…どう言う事ですか?」
「そのまんまの意味です」
「銭さんなら合格すると思うんすけど…」
「そうかもしれないねー」
 割り込んできた圓と帯斗の茶々にもぶれず、銭は眠そうに瞳を細めた。
「少なくとも彼はそのつもりだったみたいですよ?」
「それなら何故?」
「ぼくが納得出来なかったからです」
「もったいなさすぎるっす…」
「あははー。まあ、そう思う人も居るかもしれないね」
 納得した様子の茂達と、全く納得出来ていない様子の帯斗と、半々と言った様子の圓にひらりと手を翻し。
「それでは、おやすみなさいー」
 銭は誰にも有無を言わさずむにゃむにゃと眠りに付いてしまった。

 三人は起こしては悪いと、場所を食堂に移しながら会話を継続する。
「銭さんもそうですけど。茂達さんがまだ残っているなんて。意外です…」
「茂達は特質上大器晩成型だからな」
 ずっと聞いていたのだろうか、不意に後ろから割り込んだ諸澄に、驚いた圓の裏返った声が響いた。
「お陰様で質の良いデータが山程集まりました」
「わざと残った感が否めないすね…」
 そんな中動揺の欠片もなく呟く茂達に、内心バクバクしながらも平然を装った帯斗がツッコミになりきらない相槌を打つ。
「で?どうすんだ?」
「どうもこうも、本日が最終日ですから」
 諸澄の詮索にそう答えた茂達は、その後も淡々と朝食を終えた。

 圓は他の全員が食事を片付けて部屋を出るのを見届けた辺りでやっと箸を置く。
 城の食事には贅沢なイメージを持っていた彼だが、メニューは至ってシンプルな和食である。城で働く者は例外なく同じものを食べていると聞かされて、何か特別な素材や調理法を使っているのかと訊ねてもみたが、逆に笑われてしまったくらいだ。
 どうしてそうも疑ってかかるかと言えば。
「それなら凄腕のシェフが居るに違いありません…」
 食事の度にテスト中であることを忘れる程、出てくるご飯が美味しいからだ。
 他の隊員も「旨い美味い」と頬張っては早々に皿を空にするし、食に煩い自覚がある自分が言うのだから間違いないと、毎食必要以上に噛み締めて完食する圓である。
 真面目な彼の中では、こうなったら厨房に秘密を探りに…いやいや、それよりも隊長を探さないと…いや、でも少しくらいなら…と言う葛藤がぐるぐると巻き起こっていた。
 結局の所、彼は自分に折り合いを付けて厨房に向かうことになる。隊長を探しに、まだ朝食が残されていると言う三階の厨房に。
「お腹は一杯ですから…摘まみ食いをしに行くわけではないですから…」
 誰に怒られる訳でもないのに言い訳を呟きながら、到着したのは王座の間の向かい側。昨日、定一がマフィンをセットした場所である。
 チラリと中を覗き込むと、作業台には幾つかの朝食が手付かずのまま置かれていた。そのうちの一番奥。
「あ!」
 バッチリ目が合った二人は、同じように瞬きをして首を傾げ合う。
 モクモクと卵焼きを口に運んでいた倫祐は、固まる圓がハッとして武器を取り出すまで悠長に食事を続けていた。それどころか。
「あの、食べ終わってからで…」
 圓が気をきかせて進言すると、倫祐は「じゃあお言葉に甘えて…」とでも言わんばかりに茶碗を手にする。
「その代わり、一つ教えて下さい」
 緊張を全身で表現視ながらも、勇気を振り絞って片手を挙げた彼は、倫祐が頷いた事で瞳を輝かせた。
「ここの食事、どうしてこんなに美味しいんですか?」
 その質問内容に、お互いの瞬きがかなりの回数交わされる事になる。そして最終的に、答えは別の所からもたらされた。
「そんなもの、海羽さんが作っているからに決まっているだろう!」
 突然の威圧感に振り向いた圓を見下ろすのは、ふんぞり返って腕を組む秀である。
「そこを退きたまえ。その中に奴が居るのだろう?一言言ってやらなければ気がすまん」
 戸惑う圓を押し退けて、厨房を覗いた秀の目に映ったのは。
「…誰も居ないではないか。独り言とは紛らわしいことを…一度病院にかかった方が良いのでは?」
 そう言われ、今一度厨房を振り向いた圓は、茶碗ごと消えてしまった倫祐を探してきょろきょろと首を動かした。そこに控え目な海羽の声が響いてくる。
「あの…ごめんなさい、お湯を沸かしたら戻りますから…先に王座の間へ…」
「いいえ。お茶は後にしましょう。おかしな方が居るようですので」
 秀の発言に俯いた海羽は、進行方向を変えられながら顔だけで圓を振り向いた。圓は、海羽が口の中だけで呟いた言葉に首を振って返答する。
 彼女と秀の姿が王座の間にすっかり消えてしまうと、呆然と佇む圓の背後をこっそりと倫祐が通り過ぎて行った。
 その後で、圓は厨房に一つしか出入り口が無いことを確認てはくりくりと首を傾げるのだった。


 ターゲットの行動に一貫性はなく、しかしその日毎に計画的な動きをしている可能性は高い。
 同時に合格するための条件も私見ながら心得た。恐らく隊長…及び陛下や参謀は、言葉通り近衛隊の士気と能力の再確認をしているに過ぎず、それなりの功績や気概さえ有れば誰もが合格に値すると踏んで良いだろう。
 それでも現状、たったの二人しか離脱していない所を見る限り、「それなり」の基準はかなり高そうだ。
 茂達は推察を脳内に並べ終えると同時に全ての準備を終える。彼は背後を振り向いて状況だけをサラリと確認し、槍を手に中庭へ出た。
 周囲を見渡すと数人の隊員の姿は見えたが、屋根の上にも隊長は居ないようである。
 見えはしないが、二日間のデータからしても、見晴らしが良く、見付かり難い上方に潜伏している可能性は高い。が、あちらの方が上手なだけあって探すだけ時間の無駄になるだろう。
 そんな考えに至った茂達は、捜索を諦めて二階と三階の廊下を周回する事にした。何故ならそれが一番出会う確率が高そうだから。
 彼の予測は的確で、実際に倫祐は相手の不利になる場所を選んでわざと遭遇し、出方を見ている。
 それを証拠に、茂達が二階に差し掛かると同時に倫祐と目が合った。
 茂達は槍を構える事で牽制し、相手に初手を一任する。倫祐は直ぐに足を下げ、奥に向かって駆け出した。
 会議室の前を曲がり、突き当たりの窓側を左へ。正面にある三階へ向かう階段を昇ろうとする彼を見て、茂達の手元が動いた。
 行く手を遮るように飛んだナイフは、カーブを描いて階段の手摺に突き刺さる。倫祐が誘われるままエントランスへと行き先を変えると、追い付いた茂達の手から槍が放たれた。
 外に出るなと言うように、扉の手前に突き刺さった槍が起動スイッチとなったのだろう。誘導するように飛び出す針の山や飛び道具、鎖や手錠の全てをひらひら避けながら、たどり着いたのはエントランス正面から向かって右手にある通路。その先には、道場や地下廊へと通じるフロアがある。
 現在、そちら側で自由に出入り出来るのは道場だけだ。倫祐が迷うことなく道場内部に足を進めれば、それを追って茂達も入り口に立つ。
「誘導に従って頂き有難うございます」
 安堵に似た調子でそう言って、茂達は静かに戸を閉めた。
 道場は王座の間の半分ほどの、槍を振るうにも充分すぎる広さがある。
「仁平さんには感謝しなければなりません。短い期間であそこまでのものを作って下さったのですから」
 聞かれてもいないのに罠に関する補足をした彼は、その場に佇むだけの倫祐に向けて槍を構えた。
「一戦願えませんか?」
 申し出を断る理由は幾つかあるが、しかし倫祐は受けることにしたようだ。無言の首肯を受けた茂達は、相変わらず動きを見せない相手を前に姿勢を低くする。
 刃を背後に回した状態で静止する彼に対し、倫祐は構えを取るどころか武器を取る気配すらない。
 茂達が仕方なく先攻に出ると、ギリギリの間合いで避けに出た。
 上から下へ、下から横へ、背後から真上に、そのまま回転させて仕切り直し。
 そうして攻める茂達には、次の瞬間自らの槍が確かに倫祐を捕らえたように感じられた。しかしその感覚が間違いであった事に、空振って始めて気が付く。
 いや、間違いではなかった。
 相手の動きがそれを上回っていただけなのだ。
 斬り込んだままの体勢で背中を押された茂達が、その確信に行き着いた時。
 倫祐はゆっくりと手を伸ばし、彼の右手の印の色だけを変える。それに気付いた茂達が顔を上げると、禁煙の文字の前を細い煙だけがゆっくりと横切っていた。





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