昇格テスト:前編


 
 7月半ばのとある夕方。
「リーダーか?一つ、頼みたいことがあるんだが」
 王座の間から書庫へと足を運んだ沢也が、携帯電話の向こう側に言葉を投げる。あちらの曖昧な頷きを待って、彼は依頼を口にした。
「3日間、団員数人ほど貸してくれ」
「いきなりだな。まぁ、日程次第でこっちは構わないが…何をするつもりだ?」
「なんてことはない。街の警備を頼みたいだけだ」
「は?近衛隊は?」
「テストにかける」
「…また良からぬこと考えてるな?大臣さんよぉ」
「そう悪いことでもねえよ」
「ま、そういうことにしておこうか。で?いつ」
「9月の頭。計画が発動する前に」
「分かった。それならそうできるよう、早めに準備しておこう」
 そうして了解を得て、一月半が過ぎた今日。

「やあ、3日間宜しく頼むよ。二人とも」
 沢也指示のもと、駐屯地を訪れたリーダー及び郵便課のメンバーを義希と小太郎が迎え入れた。
「リーダー直々に来てくれるとはなぁ」
「ふははは、こんな楽しそうなイベント、放っておけるわけないだろう?」
 ふんぞり返って笑うリーダーの背後、続々と入室する見覚えのある顔に義希の顔が綻んでいく。
「あの五月蝿い門松は?」
「門松は門松だからな。然るべき場所に置いてきた」
 キラリと笑顔を輝かせて宣うリーダーを前に、小太郎は無い頭になんとか閃かせた推察を呟いた。
「ああ、そうか。門番も出払う事になるんだったな」
「門番役か!でも一人?大丈夫なん?」
「こんな時だ。そうそう来客なんてないだろう?そんならうちと変わらんから大丈夫さ」
「そか。もともと門番的な感じだったんだもんな」
 相変わらずの調子で納得する義希を見て嬉しくなったのか、リーダーも彼を真似して首肯を繰り返す。それが一段落したところで、彼は背後の数人を前に押し出した。
「ほれ。義希は面識あったよな?」
「雅紀!大吾!それから名前も知らぬお仲間ーず!」
「扱いが酷い」
「抗議だ抗議だ」
 両手を広げての義希の感動にブーイングを飛ばしたのは、雅紀と大吾を除く三人である。
 嘗て海羽の相手をしたバンダナの男が伝(でん)、蒼の相手をした弓の人が園道(えんどう)、更に沢也と戦った方のロン毛が公久(きみひさ)と名乗った。以前の刺々しさがすっかり抜けきった彼等は、丸くなったと言われている小太郎よりも落ち着いて見える。
「それと、これが花形」
「以後お見知り置きを」
 次にリーダーが背を叩いて紹介した彼は、執事か何かの如く恭しく頭を下げた。
 髪も服も、カラフルな彼等に支給品である真っ黒な近衛隊のトレードマークを手渡すと、部屋の中に不思議と統一感が現れる。
 全員がジャケットを羽織った事を確認したリーダーは、義希と小太郎を振り向いてひらりと手を翻した。
「みんな交代で休み休みやらせて貰うから。あと、アジトから通いで来るヘルプもいるんで宜しくしてやってな」
「頼もしいなぁ」
 指示を出す必要の無い迅速な流れに朗らかな笑顔を浮かべる義希の隣、小太郎は近場の棚を漁ってファイルを抜き取る。
「んじゃ、まあアレだ。今問題になってる事件のだな…」
「報告書や街の地図は沢也に送ってもらって、みんな一通り読んでるよ。だから早速パトロールで構わない」
「頼もし過ぎる…!」
 余りにも軽く言われて目を丸くした小太郎の隣、感嘆の声を上げた義希が両手を合わせて拝み始めた。
 リーダーはそんな二人の様子から沢也に話として聞いていた事実を実感し、困ったような笑顔になる。
「だーって、金貰えてうきうき王都の散策も出来るなんて。宝探しや農業に比べたら割が良すぎてかえって悪いくらいだろ」
「うきうきって、お前なぁ…」
 やれやれと言った調子のリーダーに小太郎のツッコミが入ると、次々とワクワクな言葉の波が押し寄せた。
「久々にキナ臭い事件に絡まれちゃったりするのかねえ?」
「血が騒ぐな!」
「こらこら、余り羽目を外してはいけませんよ?」
「分かってますって、花形さん」
「もう昔の俺らの事は忘れて下さいって…」
「うまいもん喰えるかな?」
「それ言ったら料理担の姉さん方が泣くぜ?」
「いやいやいや、新しい味の追求をだな」
「そうそう、盗賊は常に探究心を忘れてはならんのだ」
 わいわいがやがや、賑やかでいてやる気に満ちた空気に触れて、小太郎もいい具合に肩の力を抜く。そこにリーダーの合図が飛ぶと、団員達は揃って口を閉ざした。
「準備は整ったな?」
 問い掛けに笑顔で答える仲間達を見渡して、リーダーは満足そうに頷いて見せる。そして自らも列に加わると、背後の二人を振り向いた。
「そんじゃあ、宜しく頼むぜ?隊長方」
 3日限りとは言え、お手本にしては出来すぎた仮の部下を前に、義希と小太郎は苦笑と期待を織り混ぜた笑みで指示を行うのだった。


 丁度その頃。


 正式なの近衛隊員達は王座の間の青い絨毯の上にずらりと整列していた。
「先に説明してある通り、示し合わせての同時攻撃や意図のある連携を行えば減点になる。偶然かそうでないかは、城に点在する監視カメラや職員の目撃情報などから判断することになるが、出来る限り同時接触を避けるのが身のためだろう。その辺りを念頭に置いて、それぞれ善処するように」
 静かな空間には沢也による念押しの解説が響き渡る。
 様々な感情が無音で轟くのを感じとりながら、蒼は自身の時計を横目にスケジュールを告げた。
「ターゲットの移動5分後にテストを開始、3日後の0時に終了とさせて頂きます」
「質問が無ければ早速始めさせてもらう。もしもテスト中に疑問が出た場合は直接聞きに来て構わない。配布した通信機にも俺宛のアドレスが入ってるから、そっちを使うのもありだ」
「テスト期間中は基本的に来客はありませんので、王座の間は常時開放しておきますから。どうぞ気軽に訪ねて来てくださいね」
 沈黙を持って答える隊員達を前に、沢也は手元のデジタル時計の秒数を確認、キリが良いところで倫祐に出発を促す。彼が無言でそれに従うと、隊員達の緊張が高まった。
「問題が出れば逐一報告するように。それを怠るようなら場合によっては減点にも繋がることを忘れるな」
「あくまで日頃みなさんが行っている業務の延長線上だとお考えください。いつも通りにやって頂ければ問題ありませんから」
 隊員達は飴と鞭を使い分けるような補足を受けて苦笑する。その間にも王座の間から倫祐の気配が消えた。
 現在、魔導科には海羽が一人で居るだけで、秀はまだ到着すらしていない。何故ならテストがあることを知らせていない上に、今が水曜日の午前中だから。他の貴族から情報を得ていない限り、彼はいつもと違う門番を見て始めて、この異常事態に気付く事になる。
「クレーム付けてくる変な貴族が居るかもしれないが、苦情の全てはこっちに回してくれ」
「御手数をおかけ致しますが、もしも揉めたら直ぐに沢也くんを呼んでくださいね?」
 ついでのような進言は困ったように。それでいて何でもなさそうに全員に浸透した。
 それを見越して、沢也は呟く。
「時間だ。健闘を祈る」
 静かな開始の合図は、隊員のうち数人を駆け足で退場させた。


 勢い勇んで出ていった数人を他所に、王座の間に残った隊員達はのんびりと準備に取り掛かる。
 武器の手入れをするもの有り、罠の準備を始めるものあり、夜勤明けの第2近衛隊員の中には仮眠に向かうものも居た。
 それぞれがそれぞれのスタイルでテストに向き合う中、早くも通常営業に戻った二人の上司をもの珍し気に観察する者が数人。
 中でも熱心に、しかし然り気無い程度の見物の傍ら。この先を思案するペアの一人が不意に訊ねる。
「どうするつもりだい?茂達」
 疑問を声にしたのは相棒である正宗だ。茂達は間髪いれずに頷いて答えを提示する。
「今回はお前に頼らず一人でなんとかしようと思う」
「気が合うね。俺もお前に頼らず頑張る気でいたんだ」
「おやおや、門番ペアは仲間割れかい?」
 穏やかなやりとりに割り込んだ欠伸と質問の主を揃って見上げ、二人は口々に解説した。
「まさか。こんな機会滅多にないですからね」
「自分の力を試す良いチャンスかと」
「予想通りの返答をありがとう」
 苦笑混じりにヒラヒラと手を翻す彼を正宗の声が追い掛ける。
「それよりも、いっさんはどうするんです?」
「まあ適当に頑張るさね」
「いつもの相方さんはもう発たれたようですが」
「ああ、彼は若いからね。休暇に釣られた口さ」
 成る程、と門番二人が納得するのを待って、定一は一際大きな欠伸をした。
「それなら俺も若いから、休暇に釣られて早めに動くとしましょうか」
「君、今年で幾つだったっけ?」
「帯斗くんを見倣って心は19歳ー、と言った所ですよ」
 身体を伸ばしながらヘラヘラと言う正宗は、定一の欠伸に肩を竦めて歩を進める。
「二人も頑張って早抜けして、たまには奥さん労ってあげなよー?」
 捨て台詞に返ってきた苦笑いを振り向かず、彼はゆっくりと王座の間を後にした。

 いつもの槍を肩に担ぎ、扉を出た辺りで周囲を見渡すも人影はなく。しかし遠くからはパタパタと複数の足音が確かに響いていた。
「勘だけでなんとかなるとは思ってないけど」
 正宗は独り言を口にして右に進む。突き当たりで廊下の走るままに左に折れ、正面の窓まで進行すると、いつもの仕事場が下方に見えた。
 彼はそのまま階下に降りて庭に出て、見慣れた場所までやってきては、元から細い瞳を更に細くして空を仰ぐ。
 真っ白な城壁の延長線、先程触れた窓より更に上。青い三角を模した屋根の上には、確かに黒い影が見えた。
「不思議と、見付けることはできちゃうんだよね」
 思ったとおり。
 様子見するなら、開始地点周辺に潜伏するのが一番だから。
 正宗は呟きの続きを胸中で終わらせて、仰いだ空から視線を逸らす。
「さぁて、どう接近しようか」
 彼が意識をそのままに、呟きながら城門に寄り掛かると、外側からにこりと門松の顔が覗いた。
「あなたでしたか」
「いつもお世話になってるっす」
「俺らの代わりに?」
「そっす」
「今日は特別暇でしょう?」
「そっすね。でも内側が楽しそうなんで、そう苦でもないっすよ。昔はもっと暇なとこにいましたし」
 背中合わせにそんな会話をして、再び見上げた先で影が動く。それは確かに正宗の方を向いたが、すぐに別の方向を向いてしまった。
「暇なところって、郵便屋さんになる前は何やってたんです?」
「こんな良いとこじゃないっすけど、まあ門番みたいなもんっすかね」
 ケタケタ笑う門松の返答に正宗の首が回る。その仕草が驚いた時のものだと受け取った門松は、正宗に向き直りこそりと呟いた。
「多分、この位置がギリギリ警戒ラインの外に当たるっす。これ以上近寄ると何かしらのアクションを見せるはずっすから」
 続く忠告を声も出せずに聞き終えた彼が屋根の上を振り向くと、門松は急かすように話を終わらせる。
「また暇になったら遊びに来てくださいっすね?門番について語り合いましょうぜ」
 眩しい程の笑顔に取り敢えず、頷いた正宗は城門を背に足を進めた。
 変わらず屋根の上に居る影は、ぼんやりと反対側を向いているように見える。その様子から警戒の色は全く見えず、だからこそ正宗は半信半疑で城に近付いていった。
 彼が気配を殺すように移動する途中、不意にターゲットが立ち位置を変える。視界から消えるように動いたそれを追うために、正宗は後退を余儀なくされた。
「…あれは、勘なんてもんじゃなさそうだな」
 様子を窺う所か、振り向く事すらしなかったと。
 自らの勘と感覚だけで察した彼は、槍を両肩に担ぎ直してため息を漏らす。
「大臣直々の提案だけに、一筋縄ではいかなさそうだね」
 認識を改めて、帽子を脱いだ正宗はゆっくりと城内へ戻っていった。


 開始から数時間ほど過ぎただろうか?
 情報収集に向かった茂達を見送った定一は、重い腰をそのままに武器の手入れに専念していた。
 その間にも繰り広げられる王座の間の日常を横目に、欠伸を漏らした彼は高い天井に問う。
「そろそろかねえ?」
 何を基準にしたのか分からぬ調子を不思議そうに眺めていた有理子は、無意識に手にとったカップが空である事に気付いてまた戻す。
 ふらふらと立ち上がり、のろのろと長いフロアの縦断を終えて。最後にやる気の無さすぎる欠伸を残して退出した定一の背中を白い扉が追い掛けた。
 見送った数人の心配を他所に、定一は迷うことなく道を選んで数時間前の正宗と同じ位置、窓の前で立ち止まる。そしてやはりぼんやりと目の前の空の色を確認した。
 彼がそのままそうしていると、向かって左側の窓の向こうに黒い影が現れる。
 恐らくは定一も最初から彼の居場所に気付いていて、倫祐も彼の意図に気付いていたからこそ降りてきたのであろうこの状況。倫祐が普通に窓を開けて廊下に降り立つのを待って、定一はゆっくりと武器を構えた。
 指先で銀の輪が回る。
 太陽の光を跳ね返す複数の円は、何の前触れも無く定一の指から離れた。
 時間差で放たれたそれはブーメランの要領で定一の元へと戻る。途中、弾かれると踏んでいた二つも彼の手元に収まった。
 定一が全てのチャクラムを指に引っ掛ける間に、武器を取り出すこともなく全てを避けたターゲットは、あっさりとその場から姿を消してしまう。
「ありゃあ厳しいなぁ…」
 懐に武器を納めて頭を耕した彼は、先程まで倫祐が立っていた位置まで歩みを進めた。
「でも、此処で諦めちゃあテストの意味がないからね」
 階下で始まったであろう交戦を感じ取るように、瞳を細めた定一の呟きが廊下の隅に落ちる。

 その後も攻守攻防は続いたが、どれも様子見程度のもので結局合格者は現れなかったようだ、と。遠巻きに騒動を見守っていた数人が二日目の朝に語った。
 彼等は一様に図書館のソファ回りで就寝し、早朝出勤してきたメイドさん達が作る朝食の匂いに誘われて起床したところである。
 寝惚けた顔が一番似合う定一が、隠す素振りすらない欠伸ついでに言葉を吐いた。
「半々、ってところかね」
 元から余り整ってはいない髪型を更に酷くしながらの発言に、固まった面々のうち一番定一に慣れた帯斗が問い掛ける。
「ターゲットを見付けられる人と、見付けられない人すか?」
 若干不機嫌そうなそれに頷いた定一の斜め下向かいで、茂達が手帳片手に補足した。
「後者は主にサボリ組のようですね」
「まあ、随分ぐうたらしてたみたいだし。そうでなきゃおかしいくらいだよね?」
 テレビを見る休日のお父さんスタイルでソファを陣取る定一を前に、床に強いた布団の上で身支度をする正宗の、嘲笑染みた笑いが周囲の小さな苦笑を誘う。
「僕もまだ出会えて…いえ、目撃すら出来てません」
 眼鏡を装着する片手間項垂れた圓に、定一の穏やかすぎる声が答えた。
「圓くんはかくれんぼ苦手なタイプでしょ?」
「ああ、鬼ループにハマってるイメージあるっす」
「何で分かるんですか?」
 帯斗の同意にショックを受けながらも肯定した彼の頭を、立ち上がった正宗がぽいんと撫でる。
「もっと視野を広げてごらんよ。此処は街と違って、襲いかかってくる人なんて居ないんだから」
「視野を…ですか…」
 圓が唸る間にも、立て掛けてあった槍を手に正宗は部屋を出ていった。
「今日こそは、って感じかな?」
「奴もたまには彼女と休暇を楽しみたいのでしょう」
「ま…負けてられないす!」
 定一と茂達の呟きを受けて色んな意味で焦った帯斗は、ジャケットを引っ付かんで駆け足に食事へと向かっていく。
「若いねえ…」
 見送った定一はそう呟くと、そのままごろりと枕に伏した。そんな彼を蔑むでもなく素朴な疑問をぶつけたのは、やはり茂達だ。
「随分と悠長ですね」
「まあねえ」
「相対してみて何か分かりましたか?」
「知ってたのかい?侮れないね…」
「色々と探りを入れていますから」
「成る程。それで僕もこうして探られているわけだ」
「参考までにお聞かせ願えませんか」
「うーん…そうだねえ…」
 定一は出し渋るように欠伸を連発する。その間に眼鏡を押し上げた茂達は、器用にもレンズ表面に光を滑らせながら提案した。
「ただとは言いません」
「何をくれる気だい?」
「昨夜の動きなど如何です?」
「うん、乗った」
 進んだ話を聞いていては悪いと思ったのか、そこで圓がいそいそと立ち上がる。茂達はそれを引き留めて定一に話を促した。
「僕の武器は遠距離型だと思われがちだけど実はそんなに飛距離はなくてね。どっちかって言うと中距離向けな訳」
 定一はそう言ってチャクラムを弄ぶ。くるくる回る銀色は天井から注がれる陽の光を規則的に跳ね返した。
「何が言いたいかって、そうさね。率直に言ってしまえばやりにくい相手なんだ」
「それはあなたが中距離型だからだと仰りたいのですか?」
「そうだね。このテストはあくまでも標的に触れることを目標とするわけだろう?僕は基本的に相手を殺るか、自らが逃れる為の隙を作るかのどちらかだけで生きてきた人間だから。誰かのアシストがあって始めて犯人逮捕と相成る訳さ」
「殺す気でかかる他無いと思いますが」
「本当に殺せてしまうような相手なら、あの参謀は攻撃を許可したりしないだろう」
「…あなたでもまるで歯が立たないと?」
「あの様子じゃこの隊の全員がそうだろうね」
 近衛隊の中でも主力の一人である定一の言葉に固まる圓の隣、真顔なのか不機嫌なのか分からぬ顔付きでペンを走らせていた茂達が小さく首肯する。
「して、どうするおつもりですか?」
「まあ、色々とやってみるつもりではいるよ。だからまず君のデータとやらを一つ聞かせてくれないかねえ」
 本当にやる気があるのか無いのか分からぬ口調で訊ねる定一に、茂達はそれでも真面目に回答を始めた。
「昨夜。流石に夜は疲れているだろうと、昼間の大半を休憩に当てた隊員数名がこの部屋を後にしました。私も夜の動向には興味がありましたので偵察に出向いたのですが」
 茂達はそこで短く息継ぎをして、僅かに首の角度を変える。
「結論から言うと、夜間を狙うのは得策ではありません」
「ん?どうして?」
「恐らくですが。彼はかなり夜目がききます。こちらがどう足掻こうと勝てる見込みはありません」
「えーと、寝込みを襲うような人は居なかったのかい?」
「少なくとも眠りについたターゲットを発見できた者はいませんでした」
 そこまで聞いて、定一は珍しく表情を曇らせた。陽の光を反射しやすい武器の特性上、夜間に動いた方が奇襲しやすいと踏んでいたのだろうが。相手の方が視界が良いとなれば、結局は自分が動きやすい昼間の方がまだましに戦えるとも言えるのだから。
「まったく、困った隊長さんだなぁ…」
 やる気なく唸る定一は、欠伸を最後に天を仰いだまま、数分後に結局浅い眠りに落ちてしまった。

 そうして図書館のソファに横たわり続けるのは定一。
 対して中庭に横たわるのは海老フライ。


 皿に乗せられた複数のそれの上空にはあからさまに篭が設置されている。
 揚げたてなのだろうか、良い匂いに誘われてやって来た帯斗は、目の前に広がる光景を壁の影から眺めて一言。
「…誰だろうか。あんな典型的な罠を仕掛けたアホは…」
 丁度お昼時とは言え、あまりにも酷すぎる作戦に思わずため息まで漏れた。
「隊長は不参加すから、ないっすよね…と、なると…」
 口の中で失礼を消化した彼は、罠の前に音もなく倫祐が立った事でそっと身を隠す。
 中庭の丁度角隅に当たるその場所には、真上に昇った太陽にじりじりと焼かれるような熱と明るさがあった。
 たまたま城の陰に居た帯斗には、その輝きの中で動く倫祐の仕草が誰かの影の様に見えてくる。
 気配すら隠さずにじっと見据えていると、やはりじっと罠を見据えていた倫祐が海老フライに向けて足を踏み出した。
「まさか引っ掛かる…いや、もしや罠の性能を確かめるためにわざと…!?」
 興味や焦燥、加えて不思議な興奮が入り交じった声は圧し殺したように。しかし次に響いたのは、倫祐が投げたクナイが罠の仕掛けをほどく音と。
「ぎゃああぁああぁ」
「やっぱりだー!」
 仕掛けた本人の雄叫びと、気の抜けた帯斗の小さな落胆だった。
 的確に切られたテグスを手繰り寄せるうちに、自らの動きを拘束する犯人を横目に海老フライを拐った倫祐は、呆気にとられる帯斗を置いてもしゃもしゃと去っていく。
 倫祐の後ろ姿が消えてしまってやっと、意識を取り戻した帯斗は涙目の同僚の元へと歩いていった。
「ああ、やっぱりお前かぁ…」
「帯斗!お前…見てやがったのか?」
 白く透明な糸を至るところに巻き付けながらショックを受ける彼に、帯斗の手がヒラヒラと翻る。
「こんなアホなことするの、隊長以外じゃズミしかいないって…」
「ふ…ふざけるな!俺は至極真面目に…」
「真面目にって…得意の剣はどうした?剣は」
 ギチギチとほどけぬテグスにもがく諸澄は、帯斗の手を借りながらなんとか頭を脱出させた。
 帯斗はその不機嫌そうな横顔と苛立たしげな態度から全てを察する。
「あー、負けたんだ?」
「黙れ!お前だって返り討ちにあったんだろ?人の事言えんのかよ!」
「別に喧嘩売った訳じゃないって」
 激昂する諸澄が暴れぬよう宥めた彼は、更に落ち着かせる為にと話を逸らした。
「ってか、怪我は?もういいのか?」
「あれくらい大したことない」
「まあ、ズミは怪我慣れしてっからな…」
 入隊時期も、年齢も同じ二人は苦笑とむくれ顔を向き合わせる。
 帯斗が傍らに落ちていた剣を引き寄せ諸澄に手渡すと、彼は解放された右手で剣を操りぶちぶちとテグスを切った。
 最後に残った糸を引き寄せ皿の上を確認すれば、海老フライの代わりにマジックで文字が書かれているのが明らかになる。
「次はタルタルソースで」
 覗き込んだ帯斗が読み上げると、諸澄は歯をギリギリ言わせながら青頭を掻きむしった。
「むっっっかっくっ!タルタル海老フライ取られたら立ち直れねえからわざわざソースにしたんだっつーの!」
「そんなことで立ち直れなくなるくらいならこんな罠作らなきゃいいのに」
「バカ言え!これ以上まともにやり合ってプライドへし折られまくって本気でべっこべこになるくらいならなぁ…」
「まあ、ズミの気持ちも分からなくはない」
 帯斗は立ち上がり、地に拳を叩き付ける諸澄を見下ろして。
「でも、これが現実だ」
 呟いた彼の瞳には、静かな闘志が灯っていた。


 そんな二人を尻目に。


 海老フライの尻尾を口の端からはみ出させた倫祐の前に立ち塞がったのは、縦に槍を持った正宗だ。
 現在地は城の二階、城門側の廊下の隅。外からは頻りに騒ぐ帯斗と諸澄の声が聞こえてくる。
「勘なんですけどね」
 佇むだけの倫祐に、正宗は笑い混じりに問い掛けた。
「わざと来てくれました?」
 言いながら槍を構えた正宗に対して、倫祐が答えを返すことはなく。しかし正宗は勝手にそうだと確信した。
 天井が高いとは言え、そう幅の無い廊下で長槍を扱うのはなかなか厳しい。だからこそ上から彼を見付けても、行動を起こさず様子を見ていたのに。
 正宗が心の中で呟くと、数メートル先にいる倫祐が前進を始める。彼がヤバイと感じたのは、一秒後にすれ違った瞬間だった。
 逃げられると、咄嗟に槍を横にしても既に遅く、振り向けば遠くの曲がり角を悠長に歩くターゲットの背中が見える。
 倫祐を黙視した正宗はそのまま勢い良く駆け出して、曲がった先にある階段の踊り場から一階のエントランスを覗き込んだ。視界を僅かに横切った黒い影、慌てて柵を飛び越えるも、思った以上に高さがある。
 吹き抜けの天井から注がれる日光を吸いこむ青絨毯の上、槍を放り投げてなんとか着地した正宗はハッとして上を見上げた。
 吹き抜けなので、勿論天井は三階より先にあるのだが、唯一手近な二階の廊下に当たる部分にぶら下がったターゲットが、上から彼を見下ろしている。正宗は咄嗟に槍を引き寄せ上に向かって振り上げるが、倫祐は振り子のように揺れながらまた上階に戻ってしまった。
「成る程。鬼ごっこだもんね」
 納得したように当たり前の前提を口にした正宗は、台詞が終わるより前に階段に足をかける。
 確かにまだ二日目だし、焦る必要が無いとも言えるだろうが。だからって振りきられる度に諦めてたら、何時まで経っても合格なんてしやしない。
 それは当たり前のこと。
 だが、この自由度の高すぎる条件下で時間やペース、自身の感情までを含めた全てを管理するのはなかなかに難しい事だ。
 参謀の意図は理解したつもりでいたけれど。気付いただけではダメって事か。
 駆け抜ける思考に合わせて足を動かすと、普段から走らずに居たツケが回ってくる。階段、廊下、また階段と、大きな円を描くように三階まで昇りきると、待っていたかのように窓を開ける倫祐の姿が目に飛び込んできた。
「試されてるな」と、正宗は思う。だからこそ勢い良く踏み込んだ。
 正宗が振るった槍の柄は、つっかえ棒のように窓枠を押して倫祐の退路を断つ。体よく廊下に留まったものの、更に奥へと下がる彼に触れようと、正宗は目一杯右手を伸ばした。
 あと数センチ。
 ひらりと身をかわした黒い背中は、そのまま王座の間方面に向かって逃げていく。
 槍を縦に回転させて引き寄せて、それを追い掛ける正宗が曲がり角に差し掛かった時。
「うわっ」
「おっと、大丈夫ですか?」
 ぶつかりかけて急停止した彼を支えたのは、民衆課の八雲だった。背の高い彼の向こう側には誰の姿も無い。
「誰かとすれ違わなかった?」
「いえ。誰とも…」
 早口の問い掛けに対する返答の後、上から黒が降り注いぐ。静かな着地音が響いたのは二人の直ぐ側だ。
 気配すら感じ取れなかった八雲は、正宗に腕を引かれた事で始めて状況に気付く。
 正宗が八雲を庇うように間に入り、駆け出そうとする間にも。ふらりと立ち上がった倫祐は、正宗に背を向けて逃げるふりをした。
「あ」
「え?」
 八雲の感嘆と、正宗の驚きの声が連なる。
 ぼんやりと倫祐を見据える二人の意識が、正宗の掌の上で変色する魔法陣に移行したその瞬間。
 目の前に居たはずの倫祐は、風のように消えてしまった。





cp34 [給料日]topcp36 [昇格テスト:中編]