給料日



 嵐の日に起きた爆弾事件の犯人も、前の事件の犯人と同じ供述をした。
 若いのと中年の、二人の男が従兄弟であることが判明した以外は、捜査に目立った進展はなく。
 しかし沢也の脳内では、憶測が確信に変わりつつあるものの、結局のところまだ公表されていない。理由は幾つかあるが、一番は「放置していても向こうからやって来る可能性が高いから」と言うのが大きいだろうか。
 それよりも問題なのは、嵐襲来の忙しい最中、駐屯地でぬくぬくとサボり続けた一部の隊員達だ。

 その怠けが尤も顕著な三名の、自信に満ちた顔色が変わる日が訪れる。

 残暑の続く九月はじめの金曜日。
「…どうなってやがる…!」
 静まり返る駐屯地に響いた驚愕の声は、その場に居たメンバーを振り向かせる。
「まさか…そんなわけねえだろ!報告書はちゃんと…」
「あのポンコツ…チクリやがったな…!?」
 給料明細をグシャグシャに握り締めながら、苦虫を噛み潰したような顔をする三人に、背後から義希が声をかけた。
「…どうした?」
 器用にも纏う空気や表情を怒りから憂いに変化させた彼等は、困ったような笑顔の義希にすがり付く。
「隊長…!見てくださいよ、これ!」
「俺達…今月どうやって生きてけば…」
 顔の前に並べられた三枚の明細は、一様に二桁の合計点、及びそれに見合う金額が記されていた。義希は間近に迫るそれを退けて肩を竦め、彼にしては静かで大人びた声を出す。
「さぁ…でも、そうなって当たり前なんじゃないのか?」
「隊長…そんな冷たいこと言わないで下さいよお」
「可愛い隊員達に、お恵みを…」
「悪いけど、オレは先月のお前らがどうやって過ごしてきたか知ってるから」
 蔑むでもなく、同情するでもなく。複雑な顔色で三人を見下ろす義希は、いつも通りのハッキリとした口調で事実を並べていった。
「多分、他の隊員達もオレと同じような気持ちなんじゃないかな?頑張って働いたからこその給料なんだし。働いたら働いた分だけ貰える…それだけのことだろう?」
「でも…隊長…」
「屁理屈は通じないぞ?自分が頑張ったから貰えたものを、何もしないで遊んでいただけの奴に譲る気にはなれないって」
 苦笑混じりの彼の持論は、三人だけでなくその場に居た隊員達の空気を変える。歯を食い縛り、それでも反論しようとするのはやはり一番遊んでいた三人だった。
「でも!やっぱりこんなの納得できませんよ!俺達がちゃんと参戦してたら…きっと手柄の奪い合いになった!」
「そうだそうだ!あの本隊長…今月は一体いくら貰ったんだ!?」
「随分倫祐を頼りにしてるみたいだけどさ」
 強欲だとか、卑怯だとか、続く言葉を遮るようにして呟いた義希は、振り向いた彼等に力ない笑顔を向ける。
「例えば倫祐が頑張って事件を解決しまくったとして…その手柄がぜーんぶお前らのものになるとするじゃん?」
「そうです。それでいいじゃないですか」
「俺達がやるよりも早く解決するし、労力だって少なくてすむし、平和的な解決方法じゃないですか!」
「じゃあ聞くけど」
 掴みかかる勢いの三人を宥めるように間を置いて、義希は小さく問いかけた。
「もしも倫祐が居なくなったら…お前らはどうするんだ?」
「…居なくなるって、そんな…」
「もしもだよ」
 例え話に戸惑いながら、なんとか思考を切り替えたのか。三人はぽつりぽつりと言葉を発する。
「…そりゃあ、そんときは俺達だって頑張りますよ?なあ?」
「そうですよ。その為に休んでるんすから」
「一ヶ月、なーんにもしなかったのに?いきなり走ったり戦ったりできるのか?」
 続く問いに、彼等は答えなかった。
「…オレには無理かなぁ…ってか、キツいかも」
 義希はそう締め括りながら、三人が、そして他のメンバーも頭では理解している事を感じ取る。
「まあ、そう言う事だから。明日から頑張れな?」
「…いえ、俺らは…」
「倫祐…今月半ばから出張で街には居ないぞ?」
「な…」
「それから次の集会で、沢也から大事な発表があるらしいから」
 不意に明るく捲し立てる義希の言葉を受け取りきれずに、驚いたように瞬きを繰り返す彼等の口からオウム返しが漏れた。
「大事な…?」
「そ。オレらも…小太郎と倫祐も含めてな、一昨日聞いたばっか」
 にっこりと、何の悪意も感じられない義希の雰囲気に押されて空気が固まる。固まらせた本人は肩を竦めて辺りを見渡した後、振り向き気味に扉に手をかけた。
「じゃ、うん…ほんと、頑張れよな?お前らは本気出せばちゃんと出来るんだから…」
 彼はそう言って、駐屯地を後にする。残された隊員達は、誰一人として口を開かぬまま、固まる空気の中で感情の行き場を探していた。


 翌日。
 月に一度の定期集会として、王座の間に集められた第一近衛隊員、及び第二近衛隊員は、王座に座る蒼の微笑を前に姿勢良く整列した。
 正装の彼が軽快に腰を上げると、隣にいた沢也が一歩前に出る。
「改正案施行から一月。改正後初めての給料には満足出来たか?」
 前置きもなく始まった質問に、隊員のうち数人の顔が僅かに歪んだ。沢也はそれを確認するでもなく言葉を繋ぐ。
「恐らくは、大半が不満だろう。何故ならお前らは結果と実力が見あわないと考えているからだ。実力はあるのに事件が足りない、だからこれだけしか手元に入らない…手柄を奪い合うような仕事環境はゴメンだ…等々、不平不満は山と出てくるだろうな」
 良く通る声は何時ものように淡々と、小さな間を持って続けられた。
「こっちはお前らのだらけた態度を改めたいだけだ。改正案はその為のもんで、そっから得た反応は良くもあり、悪くもあった。だが、このまま続けたところで二極化していくだけだろうと判断した。そこで」
 緊張と、不安と、不満と…僅かな期待が混じった不思議な空気の中、沢也は手元の紙を持ち直してこう告げる。
「昇格テストを行おうと思う」
 宣言を受けて、俄に場が動揺した。それでも沢也は単調に話を進めていく。
「テストに合格した奴は昇格。合格せずとも健闘すれば給料を上げてやる。成績が悪ければ停滞か減給になるから覚悟しておけ」
「減給って…そもそも歩合制なのにどうやって…!」
「今は一点につき千円だろ?それを900円…若しくはそれ以下にするだけだ。増給もそれと同じ。昇格すりゃ更にボーナスもくれてやる」
 急な反論にも調子を変えずに答えた参謀を前に、姿勢を崩した数人が元の形に直った。
「自分の力を試すにしても、現状を打開するにしても、どんな理由であれ参加するに越したことはねえだろ?」
 無表情に、無感情に、続けられた問い掛けに対する反応は、先程よりも重くなった空気。そして。
「テスト内容は…?」
 挙手をしての静かな定一の発言だった。
 沢也は一つ頷くと、至極真面目な調子で回答する。
「鬼ごっこ」
「…鬼…ごっこ?」
 ざわめきが波となって部屋を往き来する中、沢也は多少声を張って簡潔に命じた。
「餓鬼の遊びと思ってもらっちゃ困る。今からルールを説明するから、一度で頭に入れるように」
 そうして一時的に収まった動揺は、沢也が説明を続けるに連れて大きくなっていく。

 昇格試験の説明は以下の通り。

 期間は三日後の水曜日から三日間。会場は城の敷地内。
 期間内に標的に触れることが出来れば合格。触れる為には如何なる手段を用いても構わない。
 但し、許されるのは単独行動のみ。
 通信機は支給された物を使用。これは通話を制限し、メールのみ扱えるように細工を施したものであり、標的に内容が伝わることはない。
 標的は三日間、昼夜問わずに逃げ回るが、城の敷地内から出ることはない。
 標的に触れた者はその時点でテスト終了、残り期間は休暇とする。
 標的は受けた全ての攻撃や作戦を記録し、王及び参謀の見解と合わせて成績を決定する。

 余計な事を全て省いたような説明内容に、隊員達は様々な思考を巡らせる。中でもいち早く手を挙げたのは、第二近衛隊員の銭だった。
「標的とは?」
 簡潔な問いに、沢也は手招きで答えを示す。招かれた倫祐は沢也の隣に佇み、隊員達を振り向いた。
 その無表情に、無言の発表に、隊員達の動揺は大きくなるばかり。
 倫祐の実力を知る者も、知らない者も、彼の噂を信じる者も信じない者も。それぞれが納得する中で、納得出来ない理由がある者の手が挙がる。
「そいつが嘘の報告をしたら?」
 発言は、例の三人のうち一人からだった。沢也は間髪入れずに問い返す。
「例えば?」
「触ったのに触ってないと…」
「開始と同時にこいつに触れたら変色する魔法陣を利き手に描くことになるから、それは不可能だな」
「敷地から逃げだしたら?」
「誰も逃げられないようバリアでも張っとけばいいか?」
「成績とやらの方は?」
「城中に監視カメラでも仕掛けてやるよ」
 始めの問いを皮切りに、波のように押し寄せた質問の全てに即答した沢也は、続けて手を挙げた定一に発言を促した。
「どんな手段をとってもいいってことは、攻撃しても構わないってことだよねえ?」
「つまり殺してでも触ってやろうって意気込みでやれってことですね?」
 便乗して皮肉を吐いた隊員は、憎らしげに倫祐を睨み付ける。沢也はその眼差しに呆れたような答えを注いだ。
「やれるもんなら」
 質問した本人を含め、否定されるだろうと当たりを付けていた者が殆どだったのだろう。絶句するメンバーを尻目に、定一が躊躇いがちに質問を続けた。
「…攻撃するのはいいとして、反撃されて怪我する…なぁんてことにはならないよねえ?」
「反撃は禁止してあるが、当然防御はする。不慮の事故での怪我は考慮するが、不注意や無謀な作戦からくる怪我に関しては評価し兼ねる。勿論、救護班は揃えてあるから期間中に怪我や病気をした者は申し出るように」
「罠はおっけーなんですか?落とし穴とか、毒とか」
「構わないが、他に被害が出ないよう十分注意してやれ。これが原因で死人が出たら元も子もねえからな」
 別の隊員の質問対する回答までを終えると、列の至るところから唸り声が上がる。沢也はため息で一息置いて、重要な補足を口にした。
「言っておくが、試験中も近衛隊以外の事務員及び給仕の人間は通常業務中だ。お前らの仕事場でもある街中同様、無関係の人間が徘徊する環境で出来る限りの力を発揮するよう、それぞれ工夫するこった。勿論、城の奴等には試験の実施内容及び危険になる可能性があることは説明済みだ。訓練のつもりで業務にあたるよう言ってあるから、多少の戦闘は構わないがやりすぎには注意しろよ」
 言葉が途切れると、暫くの間沈黙が続く。こそこそと話をする者も居れば、考え込む者、ぼんやりと立ち尽くす者も居た。沢也と蒼、そして倫祐がその全てを見渡し終えた所に、すっと白い手が伸びる。
「その無関係な人たちを利用することは可能ですか?」
 穏やかにそう言ったのは、口元だけに笑みを浮かべる銭だ。沢也は瞳を細めてゆっくりと答える。
「相手に危険が及ばないものであれば」
「それは賄賂的なものも認めると取っても構わないかな?」
「双方同意の上であればいくらでも」
「隊員同士、顔を合わせての情報交換は?」
「勿論可能だ。メールに関しては一斉配信を制限している為、個々でのやりとりに限られるが。全てに置いて情報交換は許可する。ただし、ログは取らせてもらうからそのつもりでな」
「それも成績に反映されるんすか?」
「会話内容というよりは、作戦として機能しているかどうかを見るためのものだと受け取ってくれ」
「隊員側に違反があった場合は?」
「当然、ペナルティとなる」
「その場で失格になるようなことはないんですか?」
「余りにもモラルに欠けた違反でない限りは」
 一拍置いて、沢也は恐る恐る挙げられた手の持ち主に発言を促す。
「本隊長の持ち物は?」
 帯斗に問われ、沢也は横目に倫祐を見据えた。彼は一つ頷いて指輪の中身をフロアーに並べる。
 青い絨毯に並んだのは、彼の主力武器である大剣と、スペアのナイフや剣が数本、煙草のカートン、ライター、非常食…と、彼らしい至ってシンプルなラインアップだ。
「これだけだとよ」
 沢也がそう補足すると、定一の口から次の疑問が飛び出す。
「そちら側にバリアの使用は?」
「無しだ」
「ボクたちを含め、食糧支給や休憩場所はあるんでしょうか?」
「お前らには毎日三食分、食堂に食事を用意する。講堂と図書館は休憩場所として自由に使ってもらって構わない。倫にはどちらも自分で調達させる」
「城の中なら何処でも出入り可能なんですか?」
「プライベートスペースを含め、開けられたくない扉は魔法で封印しておく。それ以外は好きにしろ。必要であれば鍵を壊しても構わない。その他の物損は出来るだけ避けてくれると有り難いが、ある程度は仕方ないと考えている」
 後続の質問の後。ふむ、と小さな間を作った定一は珍しく真剣な声色で問い掛けた。
「昇格すると、役職はどうなるんだい?」
「その辺りは結果が出てから応相談って所だ。もちろん本人の意思を尊重させて貰うつもりでいる。部所移動を考えてる奴も、これを機に相談に乗るから腹を決めておくように」
 沢也がそう答えると、定一をはじめとして数人が肩の力を抜いて行く。他の隊員も雪崩れるようにして、わずかながら緊張を解いたことにより質問が止んだ。
「他に質問は?」
 沢也が最終確認を口にすると、そろそろと圓の手が持ち上がる。
「あの…試験期間中の三日間…街はどうなるんですか?」
「心配ない。お前らの代わりは手配してある」
 控え目な問いに肩を竦め、沢也は小さく笑みを浮かべた。彼はそのまま眼鏡を押し上げると、隊員全体に向けて言葉を放つ。
「辞退を申し出るなら今のうちに」
 その声に、隊員達は無言で答えた。
 沢也は短い沈黙をため息で絶ち、最後の命令を出す。
「無ければ解散。また三日後の同じ時刻に此処へ集合」

 そうして隊員達は各々の思惑を胸に、試験開始までの三日間を過ごすことになるわけだが。

 王座の間を後にする隊員達の後ろ姿を眺めながら、義希は三日前の出来事を思い出す。

 沢也の説明を受けた彼は、他の隊員達が取ったものと似たようなリアクションでそれに答えた。
「鬼ごっこねぇ…」
 唸る義希の傍らでは、小太郎も同じように眉根にシワを作っている。
「…それ、おれ達も強制参加か?」
「いや。どのみちお前らは纏め役として隊長をやらせてる訳で、そもそも歩合制を適用すらしてねえんだから減給も糞もねえだろ。参加なら参加で構わないし、参加しないならいつも通り街の警備に当たれ」
 沢也が言うように、義希と小太郎、及び倫祐…もっと言えば蒼や沢也を含む仲間内の全員は、他の職員と違って毎月決まった額しか給料を受け取っていない。
 妻帯者である小太郎はともかく、独り身であり城住まいの彼等の給料はそれこそお小遣い程度なのだが、それを言ってみた所で他人に真意を確かめる術などないので、これと言って公言はしていないのだ。
 従って倫祐がどんなに働こうとも、他の隊員達が思っているような多額の給料が貰える訳ではないのである。
 義希はそこまでを思い直しながら、また別の思考に身を委ねてそのままを口にした。
「しっかし…また思い切った内容だよなぁ…?ぶっちゃけオレも捕まえられる気がしないし」
「だーれも捕まえられなかったりしてな?」
「そうならないよう、こちらで調整しますから大丈夫ですよ」
 義希と小太郎の苦笑いに、蒼ののんびりとした笑顔が返す。沢也はそれに頷いて倫祐を振り向いた。
「判断は倫に任せる。お前が昇給に価すると思えばわざと捕まっても構わない」
 なるほど、と目を丸くする二人の間で、一任された倫祐は短い疑問を呟く。
「基準は?」
 改めてそう問われ、沢也は困ったようにネクタイに手をかけた。
「そうだな…俺辺りじゃないか?」
「それは厳しすぎませんか?沢也くんは自分を過小評価し過ぎです」
「同感」
「身体能力だけを見ても、殆ど不合格になりそうだな」
「そもそも余り合格者を出すつもりはないんだがな」
 方々から飛んできた非難に引き気味に呟いた沢也に、小太郎と義希が不満げな眼差しを向ける。すると蒼が人差し指を持ち出してフォローに入った。
「これは自分の力量を理解するための試験なんですよ。でももう少し低めの設定で大丈夫な気がします」
「戦闘面だけじゃなくて総合評価なんだろ?」
「ああ。だからこそ基準設定が難しいんだが…そうだな。誰より優れてる、って考えるより…」
「この人になら仕事を任せられそうだと思ったら…で構わないかと」
 蒼の言葉に、その場に居た全員が納得して首を振る。沢也は指先をネクタイから眼鏡に移しながら、再度倫祐に視線を向けた。
「試験中だけじゃない。普段からの様子も含めて評価してやればいい」
「一度に幾つもやることがあって大変かもしれませんが…」
「幾つも?」
 倫祐に対する蒼の発言に疑問の声を出したのは義希である。小太郎も不思議そうにまばたきをしては説明を促していた。
 蒼は沢也に目配せして、無言の同意を得た上で倫祐に進言する。
「倫祐くん、これを機に海羽さんの普段の様子も観察してみてください」
「どのみち秀を弾くのは難しいからな。あいつも海羽も、期間中は王座の間に常駐させるから、合間に良く見ておくように」
 合わせて沢也が補足した事で、倫祐の両隣は早々に納得を示した。
「なるほど…その為の鬼ごっこか」
「寧ろかくれんぼっつった方が良さそうな気すらしてくるぜ」
 周りが固まってしまった事で、暫く躊躇していた倫祐もなんとか頷いて了承する。
 その仕草に蒼と沢也が密かに安堵する傍ら、小太郎が別の不安を議題に乗せた。
「でもよ、これでほんとに上手くいくか?」
「さあな。それはやってみなけりゃ分からねえ」
「でもまあ、いいんじゃん?だって…」
 曖昧な沢也の答えに小太郎が口を尖らせるのを横目に、義希は朗らかな笑顔で、何の臆面もなく。
「楽しそうだから」
 能天気にそう言っては、仲間を呆れさせると共に妙な納得を植え付けるのであった。


 そんな隊長の楽天的な性格を知る隊員達は、試験前の業務中に彼を捕まえては情報収集を行う。
 中でも一番最後に義希に話を聞いたのは、いつもと変わらず通常の業務を終わらせてきた帯斗と定一ペアであった。
 彼等は大通りを歩行中の義希を呼び止めて、同じ目的地である駐屯地に足を運びながら話を始める。
「聞きそびれてたんですけど、隊長も参加するんですよね?」
 帯斗は世間話程度に義希の顔を覗き込んで問い掛けた。その手に握られた小魚の小袋を横目に、義希はひらひらと手を翻す。
「ん?ああ、オレはパス」
「えぇえ?!なんでっすか?逃げすか?」
「いやいや、元々実力的な差のようなものははっきりしている訳で…無謀なことに挑戦するよりは、人手が足りなさそうな方を手伝おうかなぁと」
「無謀って決め付けてる辺りが既に逃げっす」
「それはまぁ…うん、帯斗もやってみたら分かるって」
 帯斗の責めるような返しをのらりくらりと宥めすかすと、今度は逆隣の定一から質問が上がった。
「そいで、小太郎くんはどうするって?」
「小太郎も不参加だよ」
「ぅええ!?あの負けず嫌いでプライドの高い小太郎隊長が?!」
 本人が居ないのを良いことに失礼な叫びを上げた帯斗の反対側で、定一も意外そうな顔から欠伸を漏らす。
 義希は二人の反応に笑いを圧し殺しながら、小さく肩を竦めて見せた。
「三日間も家空けてる場合じゃないからって」
「ああ、そうか。そうだった。それなら仕方ないねぇ」
「あー、子供すか?そろそろでしたっけ?」
「そそ。いやあ、楽しみだなぁ」
 くれあの出産が間近に迫っていることを改めて認識した三人は、それぞれの思いを内側や外側に発散させながら歩みを進める。
 一番能天気な空気を醸し出す義希の腕を掴み、帯斗は申し訳なさそうに本題を切り出した。
「そんな中悪いんすけど」
「ん?」
「隊長なら知ってるすよね?本隊長の…」
「ああ、ないない。弱点はないぞ?」
「…弱点?そんなん聞いてどうするんすか…」
 言葉を遮っての回答に訝しげな顔をする彼に、義希は丸くした目を瞬かせる。
「お。帯斗は聞かないん?」
「帯斗くんはって事は、他のみんなにはそう聞かれたってことだね?」
「そ。ないって言ったら口止めされてるんだーって怒られちった」
 なはは、と困ったように頭を掻く義希を見上げ、今度は二人が瞬きを繰り返した。
「じゃあ、口止めされているわけじゃないんすか?」
「もちろん。じぜんじょうほうを仕入れる努力は至極当たり前の事だし、隠す必要もないから協力するようにって、沢也が」
「流石参謀。話が分かるねぇ」
「で、聞きたい事って?」
 どちらかと言えばワクワクと、話の先を促す義希に彼等は代わる代わる質問をする。
 内容は倫祐の攻守のタイプや素早さ等の技術的な物から、睡眠時間や好きな食べ物、隠れそうな場所等の作戦的なものまで様々で、答えられない部分も勿論あったが、義希の知っている限りで情報提供をしたことになる。
 全てを聞き終えた後、帯斗はブツブツと独り言を言いながら、圓を連れてまたパトロールへと出向いて行った。
 敢えて残ったであろう定一は、向かいで報告書を製作する義希の傍まで身を乗り出して声を落とす。
「因みに彼の性格は?」
 文字と格闘していた義希が驚いた顔を上げると、彼はそのまま小声で問いを続けた。
「この前言っていたろう?僕に似てるとかなんとか…」
「確かに、倫祐は基本的に面倒くさがりだけど…」
 義希がそう返答する間に、隊長が居座る駐屯地に居づらくなった隊員達が続々と退出し、二人だけの空間が出来上がる。
 定一は元の位置まで戻って欠伸を漏らし、斜め上に向けて続く質問を放った。
「僕の相手するのが面倒だと思ったら、捕まってくれたりするかねぇ?」
「どうかなぁ…面倒だと思う基準がわかんないけど」
「じゃあ、思わせてみようかね」
 曖昧な納得を意欲に変えて、しかし相変わらず欠伸を連発する彼に、義希はぼやけた疑問をぶつける。
「いっさんも倫祐はロボットだと思ってるんかと…」
「ああ、帯斗くんはまだ疑ってるねえ。若いから。僕は周りに合わせてるだけだよ。面倒だからね」
「じゃあ…」
 期待に目を輝かせる義希に頷いて、定一は苦笑にも似たため息を漏らした。
「いくら参謀がメカに詳しいとは言え、本当にあんな精巧なロボットが居るとしたら、この世の全てを信じられなくなってしまうよ。それにあの参謀が、この状況でそんな嘘を付いてまで、危ない橋を渡る理由が見つからないしなぁ」
 その言葉から不思議と沢也への信頼のような物を感じ取った義希は、定一の裏側を垣間見た気になって、ダメ元で聞いてみることにする。
「いっさんはさ、なんで組織に入ってたんだ?」
「知ってしまったからだよ」
 即答に驚いて、それでも頷いた義希から目をそらし、定一は更に話を続けた。
「組織内の抗争とかも知ってたけど、それは面倒だから関わらないようにしてた。自分が何をしているかにも気付いていたし、それがどう言う意味を持つかも分かっていたけれど…」
 彼は大きな欠伸で間を繋ぎ、息を吐くついでのように言葉を繋ぐ。
「だからって、「はい、やめます」なんて訳にはいかなかったからねぇ」
 確かに、と。義希は思う。声にこそ出なかったが、同意を感じ取ったのだろう。定一は浮かべた微笑を遠くの壁に注いだ。
「僕はずるずる組織で稼いで、家族まで持って。悪いこといーっぱいしたけど、面倒だからそのまんまにしてたんだよ。頭ん中空っぽにしてさぁ」
 次に視線を落とし、彼は懺悔のように呟く。
「僕はそれに関して謝った事なんてないだ。悪いと思っていても、何処にどう謝っていいか、どう謝るべきかも、考えてこなかったの」
 いつも穏やかな定一の声が、何時もよりも鋭い調子で義希の耳に届いた。それによって瞳を細めた彼に、定一は笑顔を向ける。
「だからねぇ、彼等が出てきて、この国のみーんなに頭を下げた時に。僕は思ったんだ」
 途切れた言葉の合間に表情を変えて、真顔に近い表情を傾げた義希に。
「僕の代わりに謝ってくれたんだって」
 定一は穏やかにそう告げた。
「勝手な言い分だけどねぇ、そう思ったら随分気が楽になったんだよ。だから僕は彼等や君等の言うことには、基本的に従うつもりでいるし、役に立ちたいとも思っているんだ」
 言いながらどっこいしょと腰を上げ、出口に向かう彼の背中は、「だから頑張らないと」と。確かに呟いた。
 そんな定一を見送った義希は、暫くの間顔に張り付いた笑顔が取れず、戻って来た隊員達に酷く不気味がられる羽目になった。





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