8月最後の週も半ば。
「いいなぁ…三日三晩飲みっぱなしなんて…」
 先日休暇から帰宅したばかりの有理子が口を尖らせて言う。じめじめした視線を背中に受けて蒼天から顔を下ろした沢也が、ため息に乗せてうんざりがちに返答した。
「そんならもっと早く言ってくれりゃあ…お前らを後続にして生け贄にすることも出来たわけだが?」
「そうは言ってもねぇ…実の弟を行かせない訳にはいかないじゃない?ねぇ蒼くん」
「はい、しっかりお祝いしてきて下さいね」
 本当は仕事をしていたいのに、と不満を態度で示す彼に、有理子と蒼は示しあわせたような対応をする。
 陽も昇り始めたばかりの早朝に、揃って空を仰ぎ続けるその意味は。門松、咲夜両名の結婚式及び披露宴代わりの大宴会に旅立つ二人を見送るためだ。
 休暇待ちの最後の一人である倫祐の特性的な問題で、二人は念のため飛竜で現地まで移動する手筈となっている。
「それはそうと、沢也の留守中、どうするの?」
 有理子が話をすり替えると、沢也は再度ため息を吐いた後に呟いた。
「俺は今日中に帰ってくる気でいる」
「咲夜さんが許すかしら?」
「ああ、問題はそこだ」
「まあ、国がかかってるんだし、言えば分かってくれると思うけどな」
「だと良いが…」
 沢也が能天気な義希の補足に不吉な同意を返すと、丁度そこに羽音が響いてくる。
「あ、来た来た」
 義希が翳していた両手をそのままぶんぶん振り乱せば、竜の背に乗る人物も片手を上げて返してきた。彼は大きな飛竜をあっという間に降下させ、数分後には一同の前に颯爽と降り立つ。
「ひさしぶり。元気してたか?」
「リーダーこそ!奥さんと渚ちゃんも元気にしてる?」
 ぼさぼさ頭を耕しながらはにかむリーダーに、義希が懐かしそうな声を浴びせた。因みに渚とは即ち、リーダーの愛娘の名前である。明るい義希の声に苦笑したリーダーは肩を竦めて首肯した。
「ああ。二人とも相変わらず」
「あはは、やっぱ大変?」
「まあ。でも倫祐ん時よりはましだよ。可笑しな話だが、実質二回目だからな」
 国が設立された年の10月に生まれた彼女は、今年で丁度2歳になるだろうか?一般的には可愛い盛りだと言われている年頃なのだろうが、可愛さと大変さはまた別物らしい。
 苦笑交じりに見送りメンバーに答えるリーダーのTシャツを引いたのは、早くもお疲れ顔の沢也だ。
「積もる話もあるだろうが、また今度にしてくれ」
「へいへい。そういやくれあちゃんとこ、もうすぐだろ?頑張ってって伝えてな?」
 彼の様子だけで内情を察知したリーダーは、早口に告げると直ぐに飛竜を浮かばせる。
「最悪明日の昼までには帰る」
「大丈夫ですよ、ゆっくりしてきて下さい」
「お前が平気でも、溜まりにたまった書類の山が消える訳じゃねえだろうが」
「ごもっともで…」
「あはは、ま、適当に休ませるから安心して預けてくれよ」
 リーダーは蒼や有理子の心配をさらりと汲んでは朗らかに言った。
「倫祐もゆっくり休んでこいよな?なぁ?」
 風が巻き起こる中、またも手を振り乱す義希の言葉に。倫祐はチラリと視線を向けて、小さいながらに確かに首肯してみせる。
 飛竜は三人を背に、渦巻く大気の流れを連れて大空へと飛び立った。


 飛竜の盗賊団は現在全団員を郵便課に所属させ、表向きは郵送業を主に、農業や警備、その他様々な事業に携わっては日々の生計をたてている。
 飛竜の離着陸の関係もあって、拠点を嘗て忍の里と呼ばれたあの場所に移したのが、王都の再建を終えてすぐの事。どうやら少しずつ準備は進めていたようで、リーダーの子供が生まれる前には全てを完了させたとか。
 倫祐が綺麗に整えられた故郷を見たのは、四月の帰還から数日後の事。何時ものごとく感想こそ漏らさなかったが、きっと感謝してくれてるんだろうと、沢也は日々集荷に訪れる門松の私見で聞いていた。
 王都からは見えずとも、海を挟んで向こう側。崖の間に在るため陸路で近付くのは難しいが、空から見ると木造の民家や倉庫、様々な種類の畑などが並んでいるのが分かる。
 しかし今日の目的地はソコではなく。過去、盗賊団がアジトとして使っていた場所だ。
 そちらは現在、簡単な倉庫兼別荘、及び避難場所にもなっており、定期的にメンテナンスして昔のままを保っているらしい。
 今回の宴会は規模が規模だけに、せめて雨風がしのげる場所で、そして昔を思い出しながら、など色々な理由から会場を設定したのだと、主役である門松が熱く語るのを嫌と言うほど聞いたのも、やはり義弟の沢也である。
 そもそも結婚式だの披露宴だの面倒なことはやらないと宣言していた筈なのに。いくら身内だけの集まりとは言え、唐突にも程があるだろう…と。文句の一つでも口にした沢也なのだが、姉三人に加えて母親とリーダーの奥方まで加わってのごり押しでは最早どうすることも出来やしない。
 そんな経緯を思い出しただけでも頭が痛くなりそうなので、移動の間だけは静かにしていようと決めたのも束の間。
「そいや沙梨菜ちゃんはどうしたんだ?見なかったけど」
 リーダーによってもう一人の頭痛の種の存在を呼び起こされた沢也は、無感情の棒読みでいつも以上に適当に返答する。
「ああ、レコーディングが纏まらないんだとかなんとか、義希が言ってたが」
「ふうん?で?そっちの方はどうなんだ?上手いこといってるのか?」
「どうもこうもねえよ。ただでさえ姉貴達がうるせえんだ、お前まで口出すな」
「おいおい、心外だな。これからその姉貴とやらに会いに行くに当たってだな、大まかでも事情くらい把握してないとフォローができんじゃないか」
「どのみち面白半分の癖に」
「いいだろう?それくらいに聞けるくらいの間柄の方が、話しやすいこともあるものさ」
 羽根より軽い調子で言う彼に、沢也は小さくため息を浴びせた。しかしそれ以上反論するわけでもなく、寧ろ素直に回答する。
「向こうにも互いの関係にも変化はない。ただ、俺の方が少し変わったかもしれない」
「おお?とうとうほだされたか?」
「いいや。そうではないと思う」
「沢也にしては曖昧な返答だな。まぁた難しいこと考えてるだろ?」
「難しいかどうかは別として。前より冷静に関係を見られるようになったと自覚はしてる」
「で?冷静に見た結果は?」
「さあ。まだ検証途中だから、なんとも」
 さらさらと流れる会話。合間に倫祐を振り向くも、いつも通り置物と化していて反応のはの字もない。
 沢也はリーダーの唸りに被せるようにして続く見解を語る。
「一つだけ分かったのは、俺が検証と称して行動を起こすことで、よくも悪くもあいつに影響を与えてしまうから、変な誤解が生まれる可能性が大きくなるってことか」
 つらつらと並べられる沢也の言葉に、リーダーはとうとう呆れたようにしかめた顔を振り向かせた。
「お前なぁ…もう少し普通に恋愛出来んのか?」
「残念ながら俺は恋愛なんぞしているつもりはないぞ?」
「ないのかよ!しろよ!その為の分析じゃないのか!」
 全くもう、と言った具合に前に向き直るリーダーの背中。沢也はやはり小さなため息を吐いた後、独り言のように口にする。
「…まあ、今よりも自分を理解する事が出来たなら、そうなる可能性も出てくるのかもしれないが…」
 限りなく0に近い1%。リーダーに聞こえぬように呟いて、沢也は話を締め括った。するとリーダーの口から哀愁の籠ったため息がこぼれ落ちる。
「不憫だねぇ…お前らは」
 小さなその声を聞き届け、沢也は棒読みに皮肉を飛ばした。
「女の尻に敷かれてる奴に言われたくねえ」
「いやいやいやいや、それは聞き捨てならんなぁ。俺のが年上だぞ?リーダーだぞ?ちっとは敬えって」
「頭領になってもリーダーと呼ばれ続ける奴に…」
「それは言わない約束だ!」
 事実である沢也の台詞を遮ってまで叫んだリーダーの声が、深い森の中へと抜けていく。

 夏の陽射しは何時しか薄れ、上空には雲が増えてきた。ここ数週間、昼間は晴天続きだった事もあり、いい加減雨が降って欲しい思いはあるものの、流石にこの状態で降られたくはない。
 遠目にクリフの街並みを認めながら小高い岩山の真上に到達した飛竜は、開いた天窓からゆっくりとアジト内部に降下、着陸する。
 過去に訪れた時となんら変わらぬようでいて、所々修繕の跡が見られる大空洞の様子を一頻り楽むと、リーダーは沢也と倫祐を主役の元へと案内した。
 広い空間には所狭しと団員達が座っており、転がる酒瓶の数からしても既に宴もたけなわと言った感じである。これがあと3日も続くのかと、沢也は半ば恐ろしくなった。
 しかしそんなものは恐るるに足らず。
「はぁ?今日中に帰る?何言ってくれちゃってんの?」
 予想していたとは言え、顔を合わせて数分で咲夜の威圧を受ける羽目になった沢也は、無意識に額を押さえては盛大にため息を付いた。
 ウエディングドレスとまではいかないものの、普段は黒ずくめの咲夜が白い衣装を着ているだけで、とてつもない違和感に襲われる。その隣からこそこそと歩み寄って来る門松も、同じく白い服を纏っていた。
「姉さんの言うことは素直に聞いておくのが一番っすよ?」
「そりゃお前の意見ってより、殆ど言わされてるだけなんじゃねえのか?」
「それは言わない御約束っす」
 小声でそう釘をさし、彼はそそくさと咲夜の隣に戻っていく。
「と、言う訳だから。久々に一家全員揃ったんだし、ちょっとは孝行しなさいよね」
「そうよ?沢也くん。仕事だけが孝行じゃないんですからね?」
「こうも揃って責められては、貴様も嫌とは言えんだろう?」
 これでもかと三人の姉から微笑まれては、嫌と思えど口に出すことまでは出来ず。沢也は渋々引き下がって別の手を考えることにした。
「流石の鬼参謀も形無しだな」
「たかが齢20の人間にそんな渾名を付けてくれた奴等には是非、あいつらの目の前で本人に似合いの渾名を考えさせてやりてえくらいだ」
 横から囁かれたリーダーの茶々に小声で返し、沢也は空いたスペースに置物倫祐を引き摺っていく。リーダーも苦笑混じりに付いてきては二人の間に腰を据えた。
 場所は、高砂になっている中央から左手にずれた先にある壁際で、すぐ脇には厨房に繋がる通路へ続く扉がある。
「左弥さんだっけ?あの隣に居る人は…」
「旦那」
「へえ。また随分とガタイがいいんだな」
 リーダーの視線の先には柔和に微笑む大男。彼は沢也の回答通り、一年程前に左弥と結婚した彼女の夫である。
 飽き性で家族一偏屈な彼女がよく結婚する気になり…尚且つよく結婚出来たものだと思った上に、あの姉に付いていける人間とは一体全体どんなものかと。報告を聞いた当初、沢也は随分肝を冷やしていたのだが、会ってみるとなんてことはない、寧ろ今までに会った中でも上位に入るほどの常識人だったのだ。
「元ハンター。ただし、正義感の強い人で人助けのようなことしかしてこなかったらしい。因みに元炭坑夫で、元農夫で、元警備員で、それから…」
「あー、なんだ?つまりは…」
「左弥と同じ飽き性、って訳ではないらしい。やりたいことが多いだけっつーか…器用貧乏っつーか…」
「成る程な。だから左弥さんとも沢也とも相性が良いのか」
 リーダーの呟きを聞いて、沢也は思わず彼を見る。確かにその通りで、環境変化の大規模調査をすることになったのも、左弥の夫がきっかけだったりするのだ。
「知ってて聞いたのか?」
 訝しげな沢也の問いに、リーダーは惚けたように肩を竦めて見せる。
「うん、まあ…門松から聞きかじった程度の情報だったんだけどな」
「流石は真性のお喋り…」
「ああ。お陰で重要なことを隠すのに苦労する」
 肩を落として息を吐き、彼はそのまま正面の高砂に指先を向けた。
「で。あの人が紗綾ちゃんだっけ?」
「ああ。あいつは飽きずに母親と暮らしてやがる」
「飽きずにって…そう言う問題じゃあないだろうに」
 あんまりな物言いにリーダーが苦笑を浮かべると、そこに門松がすっ飛んできて声量も最大に報告する。
「リーダー、霞さんが呼んでるっすよ!交代じゃないっすか?」
「あ、やっべ!忘れてた!」
 門松の台詞が終わるのも待たずに叫んだリーダーは、門松よりも数段速く向こう側へと駆けて行った。その先で手を振る穏やかそうな人物を視界に納め、沢也はぽつりと口にする。
「うちの奴等に比べれば大人しそうに見えるけどな」
「霞さんは団の中で唯一、リーダーの背中に気付かれないよう紙を貼れる程素早い人っすからね」
「…初耳だな」
「そりゃそうっすよ。普段はのんびりしてますし?うちの中でも新しい奴等はまだ知らないくらいっすし」
「大人しい奴ほど怒ると恐いと」
「そんな所でしょうね」
 なはは、と独特でいて大きな門松の笑い声が天窓に抜けていった。沢也はため息に合わせて傾いた体を垂直に直し、やはりため息を合図に話題を変える。
「に、しても。何とか抜け出せねえかな…」
「俺としても姉さんが満足するまでは帰せませんぜ」
「立場弱すぎ」
「女はたててなんぼっすよ」
「まあまあ、いいじゃないか。ゆっくりしてけって。そんでもって我が子を愛でろー」
 会話に割り込む勢いのまま、どいーんと運ばれてきたのはリーダーの娘。否応なく膝に乗せられて、目の前でドヤ気味のでれでれ顔をするリーダーに、沢也は隠すことなく苦笑を浮かべた。
「完全な親バカじゃねえか…」
「まあまあ、そのうちお前もそうなるって」
「なって堪るか…」
 そんな沢也の小さな舌打ちを掻き消す勢いで、呼び出された門松が咲夜の元へと飛んでいく。その姿を細めた瞳で指し示し、リーダーは一言。
「その前にああなるか?」
「もっと御免だ」
 即答を大いに笑い、酒で喉を潤して。リーダーは残った笑いに言葉を乗せた。
「いやぁ、でも正直意外だよ」
「何がだ」
「咲夜ちゃん。あんな騒がしいので良かったのかね」
「知るかよ…姉貴の趣味なんて興味ねえし」
「だってどう見ても静かなタイプを好みそうだろう?不思議に思わない方がおかしいって」
「お前らに感化されたんじゃねえの?」
「まじ?それならそれで、少し嬉しいかもしれん」
「そもそも、あいつ等は結婚なんてするタイプには見えなかったが」
「それはお前。沢也のせいであり、沢也のためだろうが」
 リーダーの優しい声に、沢也は一拍置いて頷いた。
「…そうだな」
「お。何だ、今日は…素直の大安売りか?」
「いや。トラウマになっていたのは、俺だけじゃなかったってことだろ」
「ふーん…トラウマねえ…」
 自分が独りでなくなったからだろうか。国を動かすようになったからだろうか。
 あの姉達から詳しいことまでを読み取ることは出来ない。だが、自分が過去から遠ざかり、別の道を見付けたことを、奴等は感じ取っているのだろう。
 沢也は一人そう結論付け、自らと家族の変化を再認識する。と、そんな彼の無表情の前に小さな小さな掌が伸びてきた。
 沢也はそれをそっと掴むと、抵抗感が無いことを確認して引き下げる。
「眼鏡は触るな」
「ああ、子供は眼鏡好きだぞー?いっそ外しといた方がいい」
「眼鏡より先に子供をどっかにやってくれ」
「何だよ。可愛いだろ?目の中に入れても痛くないだろ?」
「おい倫、何とか言ってやれ…」
 親子揃っての悪戯に音を上げた沢也を、倫祐は久方ぶりに振り向いた。
 ずっとぼんやり遠くを眺めていた彼は、沢也の膝に座る小さな人に焦点を合わせる。
 リーダーの娘、渚は、リーダーに良く似た癖のある茶髪を持つ、くりくりとした銀目と落ちそうな頬っぺたが特徴的な子供だ。年齢からして子供と言うよりもまだ赤ん坊寄りではあるが、時に驚くほど素早い動きで悪戯を繰り出す事もあるらしい。
 沢也に脇の下を掴まれて倫祐の膝の上へと移動した彼女は、彼に向き直ってはじっと無表情を眺め続ける。
 終いには頭の中に知った顔を見付けられなかったのか、それとも端から探してなどいなかったのか、倫祐の頬を摘まんでは横へと伸ばし始めた。
 倫祐は倫祐でそれに抵抗することもなく、更なる仕打ちに文句を言うでもなく、されるがままになっている。
「相変わらずだな。倫祐は」
「そうだな」
 笑い混じりに呟くリーダーに、沢也はいつも通りの返答をした。しかし彼は倫祐から目を逸らさずに僅かに瞳を細くする。
「…なんかあったのか?」
「そう見えるのか?」
「ん?うん、まあ…何となくだけど」
 恐らくは、自分からも違和感を感じ取ったのだろうと察した沢也は、リーダーの曖昧な返答に曖昧な答えを返した。
「あるっちゃある。ただ、あいつの本心までは見抜けてねえ」
「聞いてみたらいいだろ」
「そう言うけどな…」
「言わないか?」
「その通り」
「うーん…お前の見立てではどうなんだ?」
「俺の見立ては関係ねえよ。本人から直接聞かない限りは、正解にはならないんだからな」
「ま、その通りだが…」
 頭を掻いて唸る彼は、そうまでして聞かなくても問題ないだろうと言った風に見える。沢也はそれに同意の頷きを返しながら、半分だけ否定した。
「普段はいい。だがな、いざって言うときに…困ることもあるんだ」
「だから知りたい、と?」
 現に困った過去の自分を思い出し、沢也は苦笑を縦に振る。リーダーはそうかと短く頷いて、徐に人差し指を立てた。
「なら、酒でも飲ましてみ?」
「酒なぁ…」
「沢也お前、倫祐より酒弱いだろ?」
「俺だけでなく人類の大半がそうだと思うぞ」
「俺もそうだ!だがしかし、倫祐を酔わせる手段を知っている俺は勝ち組だ☆」
 妙なテンションで胸を張るリーダーではあるが、彼はまだ酔っぱらいも二号目辺りだろう。ふざけた発言で無いことを承知の上で、しかし沢也は半ば呆れた表情を浮かべた。
 リーダーは沢也の微妙な反応に不服そうにするでもなく、L字形にした指を顎の下に当てて見せる。
「因みに倫祐は、酔うと饒舌になる」
「いつの記録だよ…それ…」
「まあまあ見てなって」
 ため息混じりの返答に手を翻し、リーダーは未だ我が子に弄り倒される倫祐に歩み寄り、一本の酒瓶を取り出した。
「ほらよ、お前が付けてくれたこいつと同じ名の酒だ」
 言いながら倫祐に酒瓶を握らせて、娘と盃を回収したリーダーは、それを沢也に預けに行く。その過程をぽかんと眺めていた沢也は、向こうから注がれる視線に気付いて彼を振り向いた。
 恐らく、倫祐本人も自分がどうすれば酔っ払うか知っているのだろう。その上で、自分に指示を扇いでいるのだとしたら、黙って頷くだけでいい。
 沢也が臆測を行動に移すと、倫祐は小さく首肯して酒瓶に口を付けた。
 何時だったか、同じように酒を飲む彼を見たことを思い出し、沢也は密かに納得する。何故ならあの後の倫祐は、彼にしては確かに良く喋ったのだから。
 してやったり顔のリーダーを他所に、倫祐は頻りに酒を煽る。沢也は眼鏡を取りに来る渚の意識を反らしながら、その行く末を見守った。
 最終的に折れた沢也がスペアの伊達眼鏡を渚に与えるまでに至った頃。
 リーダーは頃合いだとばかりに戻ってきては二人の間に収まり、少し離れた位置に居る倫祐を呼び寄せる。
「して、倫祐。最近海羽ちゃんとはどうなんだ?」
 いきなりの直球勝負に思わず吹き出しかけた沢也は、それを堪えて倫祐の様子を窺った。しかし彼はいつものように小首を傾げる。
「うまくいってるのか?」
 リーダーが重ねて訊ねると、倫祐を真似て渚の首も斜めになった。
 沢也とリーダーがその仕草に釣られていると、倫祐の口が僅かに動く。
「そんなに分かりやすい?」
「ん?」
「俺の行動」
 振り向いた二人に真顔が答えた。二秒ほど、固定された空気をリーダーの困った声が動かす。
「えーと、待て?話が見えん」
「どうしてみんなして…」
 海羽の話を振ってくるのか。
 倫祐の言葉の続きを察し、沢也はぐるりと思考を巡らせた。
 つまるところ倫祐は、自分が海羽に好意を持っているから、周りの人間は自分に海羽の話をするのだと考えているのだろう。そう考えると言うことは、自分の感情が他人に察知される可能性よりも、海羽が自分を好きな可能性の方が低いと思っている…ということにもなる。
 倫祐は自分に表情がない事を忘れてしまうような馬鹿じゃない。つまり、倫祐はそれほどに低く、自分の価値を見積もっている。
「倫」
 そこまで考えて、沢也は思わず彼に呼び掛けた。倫祐が伏せていた顔を上げると、リーダーも戸惑い顔を沢也に向ける。
「逆かも知れないだろ?海羽がお前を…」
「有り得ない」
 静かな沢也の言葉を遮って言い切ったのは、穏やかな倫祐の声。驚いたリーダーが再び彼を振り向く間に、沢也がため息のように返答する。
「有り得ない…か。根拠でもあるのか?」
「幾つも」
 ある。倫祐は静かにそう言った。
 リーダーは沢也に肩を竦め、渚を抱えてその場を後にする。その背中を見送りながら、沢也は呟くように問い掛ける。
「可能性として、どれくらいだ?」
「沢也と同じ」
 回答に振り向くと、倫祐は未だに瓶から酒を飲んでいた。
 あの風の中、良く聞こえたものだと一人感心しながら。
「限りなく0に近い1…か」
 そりゃあ、気付かない訳だ。と、同時に納得した沢也の呟きに、倫祐は確かに頷いて答える。
 そんな彼の無表情を前に、本当に酔っているのか疑問を覚え、沢也はもう1つの質問を投げ掛けた。
「…お前、気付いてるか?」
 沢也にしては小さな声に、倫祐は瞳だけを振り向かせる。
「今の、お前は海羽の事が好きだと、暗に認めたことになるぞ?」
 そう続けると、彼は一瞬の躊躇いを残して頷いた。
 普段なら、誤魔化すだろうか。それとも端から答えないだろうか。分からないけれども、良い機会だと踏んだ沢也は、そのまま会話を続けることにする。
「いつからだ?」
「さあ」
「さあってことは無いだろ」
「多分、ずっと」
「ずっと…か」
「気付いたのは再会してから」
 倫祐は、迷うことなく言葉を紡いだ。
「きちんと認識したのはもっと後」
 遠く向こうを眺めたまま。
「風邪を引いた日」
「…そうか」
「だけど」
 彼はそこで下を向き、握り締めた酒瓶の中に向けて言葉を落とす。
「気付かない方が、良かったのかもしれない」
 少しでもそう思ってしまう自分自身に嫌悪感を抱きながら。
 倫祐の静かな感情は、賑やかな宴の喧騒に紛れるようにして。
 しかし確かにそこに、存在していた。

 そのうちに瓶の中身を空にした彼は、そのままこてんと眠りに落ちてしまう。
 安らかと言うよりはまるで電池が切れたような状態を横目に、沢也は苦笑とも微笑とも取れる笑みを浮かべた。
 そこにリーダーが舞い戻り、沢也の隣に腰を落ち着ける。どうやら渚は母親の元に返したらしい。
「どうだった?」
「…饒舌っつーか…」
「ん?」
「素直になる、の間違いじゃねえ?」
 確かにいつもよりは話したけど、と補足する沢也に、リーダーはひらひらと手を振り返す。
「馬鹿言え。倫祐は元から素直だぞ?ただ、自分の率直な気持ちを押し込めた発言をしやすいだけで」
「そりゃ素直って言えんのか?」
「他人を優先したいって気持ちを素直に出してるだけだろう。ま、面倒臭いって感情にだけは、何事も勝てないらしいけどな」
「何事もってことはねえだろ」
「面倒を上回った感情だけが、外に出てくるってことさ」
 そうか。あの性格は昔からなのか。
 沢也は頭の中で独り言を呟きながら、リーダーの注いだ酒に口を付けた。
「また聞きたくなったらああすると良い。本人もそれで察するから」
「こっちが話を聞きたいことを?」
「そ。逆に話したいときは、自分からそうすることもある」
 誇らしげに語るリーダーの隣。沢也は不意に瞳を細めて小さな息を吐いた。
「…自覚があるんじゃ、海羽の前では」
「間違ってもやんないだろうな」
「…厄介な鈍感だ」
「同感」
 同じように息を吐き、揃って流した苦笑の先では変わらぬ宴の光景が。
 全ての悩みを吹っ飛ばす勢いの盛り上がりを前に。お互いに思うところを表情をだけに押し止め、二人は静かに掲げた盃の中身を飲み干した。






cp30 [欲]topcp32 [file5”嵐”前編]