仕事が押した関係で、沢也と沙梨菜の帰還が予定より一日遅くなった。
 よって、義希と有理子は二人と入れ違いに出発することになる。
 沢也が運転していたスクーターを二人に差し出すと、有理子は訝しげな顔でそれを断った。
「義希の運転とか無理。折角の休暇なのに心休まらないとか、どんな罰ゲームよ」
 魔力を補充しようと手を伸ばしかけた海羽が、彼女の言葉を受けて停止する。その隣で朗らかな蒼の微笑が有理子の背後を捕らえた。
「有理子さん、義希くんが絶望にうちひしがれてます」
 時間を惜しむ沢也が足早にその場を立ち去る中、追いかけ損ねた沙梨菜が涙目の義希を支える。
「だって…」
「義希くん、沢也くん達を見送ってからと言うもの、自分も二人乗りしてみたいと繰り返し仰ってましたから…」
 渋る有理子を宥める蒼は、困り顔ながらも何処と無く楽しそうに見えた。
「そうかもしれないけど、無理なものは無理!ってことで門松さん、宜しくお願いします。小次郎くん、ご一緒させてね」
「ううう…よ…よろしく…ぶえぇ…」
 短い唸りの後に出た有無を言わさぬ有理子の言葉に、情けない義希の嗚咽が漏れる。
 蒼はそんな義希の肩を叩き、何時もより数段穏やかな笑顔を竦めて見せた。
「遅くなってしまいましたが、義希くんの誕生日プレゼントがてら…お二人でゆっくりなさってください」
「うん、あんがとな。蒼」
「何かあったら直ぐに知らせてよね?」
「休暇ん時くらい仕舞っとけよ。その心配性」
 小次郎に渡し忘れた書類を手に舞い戻った沢也が皮肉を飛ばすと、有理子の頬がぷっと膨らむ。それに苦笑する義希と、受け取った書類を仕舞い込む小次郎、最後に有理子が飛竜の背に収まったのを確認し、門松が明るく合図をかけた。
「んじゃー、いくっすよー?お三方ぁ」
 大き過ぎる声は、背を向けて城門に向かう沢也の耳にもハッキリと届く。彼が半端に振り向き見上げると、浮上した飛竜のシルエットが陽の光と被って見えた。

 飛び立った四人は空の青を背景に、夏の暑さと強い陽射しの中で風を堪能しながら目的地を目指す。
 普段余り接点が無いメンツなだけに、話は自然と共通する行き先についてに流れていった。
「貴女はリリスの出身だとか」
 小次郎が靡く前髪を押さえながら有理子に尋ねる。有理子は肩を竦めてそれに答えた。
「そうよ。とは言え、丘の近くに住んでいた上流階級の人達とは違って、他から移り住んだ平民だったんだけど」
「現在は町中が平民ですよ。一部の間では、おかしな概念が根強く残っているみたいですけれどね」
 皮肉な笑みを浮かべる二人の会話を横から眺めていた義希が、宙を仰いで懐かしそうに呟く。
「そーいやリリスって、他の街とはまた雰囲気違ったよな」
 過去に一度味わった居心地の悪さを思い出す彼に、有理子は頷いて補足した。
「前の王様が失踪した当時、没落した貴族達が集まって作った街なのよ」
「つまり、あの丘に近い所に住んでいる人ほど貴族としての地位が高かったってことっす。今もそんな雰囲気醸し出してる輩を時々見掛けますぜ?」
 仕事柄どの街にも出入りしている門松がそう言うと、納得する義希の傍らで有理子の口からため息が溢れる。
「あの街の人。小次郎くんの言うこと、ちゃんと聞いてる?」
「まあ、いくら余所者とは言え逆らえないでしょうね。嘗て同じように君臨していた魔術師が相手では」
 リリスに勤め、リリスを統べる生活をしているだけあって、小次郎も昔の事は調べているようだ。含みのある言い方が、義希と有理子を始めとした彼等が絡んだ事件を思い起こさせる。
「そう言えば…さ。隼人はどうしてるんだ?」
「私の下で働かせていますよ」
 義希が躊躇いがちに問うと、小次郎は待っていたかのように回答し、こう続けた。
「彼は忠実です。私が居なければ動く事すら儘ならないのですから、当然と言えば当然でしょうが」
 複雑な表情でそれを聞き終えた有理子は、責めるでもなく問い掛ける。
「…どうして助けたの?」
「当然のことです」
 小次郎はそう言って、皮肉でいて悲しげな、子供らしからぬ笑みを浮かべた。
「彼のような犠牲者が居てこそ、今の私の力があるのですから」
 重い言葉と、彼の真意が重なってその場に落ちる。義希は全てを受け入れた上で質問を上乗せした。
「あの機械は誰が作った物なんだ?」
「魔力を増幅させる装置の開発指示を出したのは、私の両親です。それこそ私のこの力の為に。しかし、その全貌は把握していなかった。だからこそ末端で隼人のような被害者が出てしまったのですよ」
 ため息で間を繋ぎ、流れていく風を追いかけるように振り向いて。小次郎は一際やるせない表情を浮かべる。
「当時の組織内部は殺伐としていましたからね。善悪に欲が勝れば、人間は誰しも悪魔に成りうる、その典型的な一例です」
 大人びた台詞を、過去に同じような事を言った蒼のものと重ね合わせ、正面に直った小次郎は話を別の方向へと逸らした。

 それから三時間後。

 乗り物が大きい為にスピードは変わらないように感じるが、スクーターより遥かに速くリリスへと到着した三人は、仕事に戻る門松を見送って街の入り口に立つ。
 嘗てはどちらかと言えば静かで落ち着いた雰囲気だった街道が、今や様々な人で溢れていた。
「人が増えたな…」
 義希が思ったままを呟くと、小次郎は首肯して遠く向こうの建物を指し示す。
「学校を建てましたからね」
「街の外からも来てるの?」
「そちらが主ですよ。下宿している者も居ますが、金額的になかなか難しいようです。この辺りは地価が高いですから」
 小次郎の言う通り、高いだけあって街の景観は以前と変わらず見事な物で、美しさと気品だけを取れば王都の街並みよりも見映えがするかもしれない。義希の目には足元の石畳が描く模様ですら、高級感が溢れているように見えた。
 そうして三人が街中に足を踏み入れると、小次郎の目の前を誰かが立ち塞ぐ。
「お帰りなさいませ、小次郎様」
 恭しく礼をしたのは、小次郎と同じようなマントを羽織る一人の男。彼を見るなりため息を吐いた小次郎が、不機嫌そうに言い放つ。
「迎えはいいと言った筈ですが」
「そう仰らずに。皆心配しております」
「全く、何時まで子供扱いするつもりです」
 憤りを通り越して呆れたようなその声は、義希と有理子に微笑を呼んだ。その間にも深いため息で気を取り直した小次郎が、二人を振り向き問い掛ける。
「宿はどうするのですか」
「まあ、適当に探すわ」
「先に申した通り、この辺りは無駄にお金が要りますが…」
「たまには贅沢してみようかなって。あなたにそこまで迷惑かけられないし」
「どーしても困ったら、直接お邪魔するよ。あの丘の上のだろ?」
 能天気な二人の算段に肩を竦め、小次郎は浅く了解を示し。
「承知しました。よい旅を」
 簡潔にそう告げて、部下に連れられて日常へと戻っていった。
「ああ。あんがとなー」
 義希の感謝の声が通りに抜けていくのを最後まで見送って、有理子は彼の腕を掴む。
「宿探しの前に寄りたい所があるんだけど」
「ああ。オレはこの街よく知らないし、お前の好きに回ってくれて良いよ」
 義希の了解を得て、有理子は人混みを避けるように路地に入った。
 二人の旅の目的は、所謂原点回帰と言うものだろうか?要は互いの故郷を見て回ろうと、旅立つ前に大まかなプランを立てたのである。しかしながら出発の仕方からも分かるように、詳細は未定の行き当たりばったりの旅であることに変わりはないのだが。
 有理子は過去に海羽の家があった場所を横切り、今は別の建物となってしまった経緯を説明する。
 二年前に義希が旅立った後、有理子と海羽は一度だけ、この地を訪れ身辺整理をしたそうだ。
 有理子は主に母親と朝水の墓参りが目的だったが、海羽はそれに加えて無人の家と土地の売却を行ったと言う。
 庭園を駆ける賑やかな声は、子供特有の明るさを持って夏の空へと昇っていた。
「保育園かぁ。海羽のことだから、格安で売っちゃったんだろ?」
「売ったって言うか…寧ろ創始者よね」
「へ?」
「土地代全部、この建物建てるのに寄付しちゃったから」
「まじか…無欲にも程があるだろ…」
 白を基調とした、教会のような建物を見上げる義希の呟きに、有理子は淡い笑みを浮かべて首肯する。
「確かにお城に住むことは決まっていたから先の心配は要らなかったけど…それでも少しは手元に残したら良かったのにね」
「まあ、海羽らしいけどな」
 苦笑ながらに肩を竦め合い、二人はゆっくりと路地を抜けた。
 その先にあるのは街道の終着点。そして、大きな墓地への入り口だ。
 並ぶ十字架を見渡しながら、義希は有理子の後に続く。真っ青な空の下に並ぶ白が無機質に、それでいて淡く光り輝く様子を前にして、彼は僅かに瞳を細めた。
 有理子はその中でも一際大きな十字架の前で足を止める。見上げるほどの高さがある割りには、回りのものより控え目に見えた。他のものが装飾過多なせいだろうと、なんとなく納得する義希を余所に。荷物を置いた有理子はフラりと歩み去る。
「手伝おうか?」
「平気。すぐ戻るから待ってて?」
 墓参りに関しては手ぶらで来た為、水や花に当てがあるのだろうと踏んだ義希は、言われた通りにその場で待つことにした。
 陽射しが容赦なく降り注ぐ場所から直ぐ傍の木陰に移動すると、いくらか涼しく感じられる。キラキラ輝く世界を日陰から眺めているだけで、視覚的にも気温的にも別の世界に居るようにすら思えてきた。
 義希は有理子の母親が眠る墓を横から見据え、同時に体の内側に向けて言葉を放つ。
「帰って来たぞ?」
 小さな声は蝉の声に紛れて虚しく消えた。返答は当たり前に無く、それが良いことなのか悪いことなのかも区別が付かぬまま。彼は静かに汗を拭う。
 蜃気楼のようにぼやけて見えるリリスの街は、赤と茶を基調とした温かな色合いを放っていた。彼が数時間前まで居た王都は、此処とは反対に青や白を含む色が多い。
 義希がその対照的な色彩を頭の中で比べていると、不意に小さな水音が落ちる。
「暑い。こんな日は大変でしょうね…門松さん。あんなに太陽に近い所を飛んでるだもの」
「なぁ?焦げるかと思ったよ」
 遠く騒がしくも静かな空気に冗談を飛ばすと、有理子は悲しげな笑みを浮かべた。
 二人はその後無言で掃除を終え、有理子が摘んできた花を供える。
「また来年、来られたら良いんだけど」
「そうだな。出来れば毎年来たいよな」
 顔の前で手を合わせていた義希がポツリと答えると、有理子は横目に彼を見据えた。
「…言わないの?」
「何を?」
「ここにはまだ、お母さんの名前しか入ってないのよ」
「うん。まあ、そうだな…」
 控え目な声を聞き終えて、義希は思わず言葉を濁す。その表情から、彼が自分と同じ考えで居ることを悟った有理子は、何も言わずに屈めていた腰を上げた。
「朝水の所にも」
「うん」
 義希も静かに頷いて彼女の背中を追う。
 そうして墓参りを終えた二人は結局小次郎の助けを借りることもなく、何とか見つけた宿で一夜を明かした。



 翌日も憎たらしい程の快晴。
 爽やかながらに暑さの厳しい朝の空気に、だれた義希の唸りが落ちる。
 暑さにも寒さにも弱い彼は年に半分はこの状態なので、半ば慣れてしまった有理子は呆れ気味の門松に肩を竦めて見せた。
 門松は空っぽのカバンを靡かせながら、背に乗った二人が落ちぬようにと静かに竜を上昇させる。
 今日の旅路はリリスから1時間弱。それでも若干歩かなければならないのと、門松の仕事の都合もあって早朝の出発となったのだ。
 暑さと眠気に負けて移動時間の半分程を眠りに費やした義希が、到着間際に目を覚ます。
「建て直したって言ってたけど、一人でやったにしては早すぎじゃない?」
 起きるのを待っていたのか、風に乗って届いた有理子の疑問を振り向かず、寝ぼけ眼の義希は微妙な表情で答えた。
「ああ、一人でなんかやってないよ。たまたま通り掛かった商人が知り合いでさ。人集めて貰ったんだ」
 口調と様子から何かを察した有理子が瞳を細めると、間を不思議に思った門松が振り返る。
「知り合い…ね」
「まあまあ、そこはサラリと流して」
「おやおや、竜の上で喧嘩すると危険っすよ?やるなら降りてからで頼みますぜ」
 カラカラとからかうように笑う門松に対し、二人はばつが悪そうに身を縮ませた。その空気を読んでか読まずか、一人陽気な彼は話題を元の軌道に戻す。
「アンバー村でしたよね?最近酪農を始めたみたいっすよ?」
「ああ、あの辺は良い牧草が生えるらしいんだ」
「へえ、うまくいってるの?」
「規模的に、そろそろうちの誰かを派遣しようかって話も出てるくらいっすよ」
 郵便課は各町村、及び企業などから出る全ての荷物を請け負っている為、必然的にそれぞれの地域の様子に詳しい。あのお喋りな団員達のことだ、業務を終えてから酒の肴に情報交換でもしているのだろう。
 門松が操る飛竜は遠距離用だが、大きな町毎に近距離専門の職員を配置しているそうだ。小さな村でも物流が盛んであれば例外ではないようで、門松はそう遠くないうちに拠点が出来るだろうと話を締め括る。
「のどかって言えば聞こえは良いけど、やっぱり少しは活気も欲しいもんなぁ」
「若い衆が頑張ってるみたいっすから、あとは流れに任せりゃ良いようになりますって。ああ、だからってじいちゃんばぁちゃんも負けてないっすよ?この前簡単な柵の作り方伝授したら、飛ぶ勢いで喜んでくれましたし」
 早口に言いながら遠くを眺めていた門松が、目的地を認めて二人を振り向いた。
「まあ、何にせよ気持ちの良い村っすね」
 輝くような笑顔に直射日光が注ぎ、門松の内情を映し出す。義希と有理子は眩しさに細めた瞳を頷かせ、森の中に僅かに見える牧場を覗き見た。

 比較的広い草原がある村の南側に下ろしてもらった二人は、王都に行くと言う門松を見送ってアンバーを目指す。
 そこから約2時間ちょっと。暑さに負けじと虫と格闘しながら、時折森の木陰で涼を取り、なんとか入り口まで辿り着いた。
 時刻は昼前。渇いた喉を潤すついでに昼食を食べ、村に唯一の宿の一室を借り、のどかな村の空気を楽しむ。村特有のゆるやかな時の流れに任せて存分に休憩し、午前中の疲れを癒した二人は、その後移動に必要とした半分以下の所要時間で村全体を回り終えた。
「昔のまんま、とは行かなかったけど。それに近い感じで作り直したんだ」
「ほんと…あんたがエレベーターを知らなかったのにも納得出来るわ」
「うっ…それは忘れてくれよ、まじめに」
 散策の出発点となった街の広場に戻った有理子の茶化しに、義希は出合った当時を思い出して苦笑する。
 敷き詰められた緑と、連なる真っ白な冊と。広いようで狭い空間には木造の建物が疎らに並んで、それぞれに調和を生み出していた。
 有理子はくるりと辺りを見渡し、穏やかな光景を目に焼き付けながら。
「でも、門松さんが言った通り…」
 そう言って、小さく息を吐いた。
 安心したようなそれに笑みを溢したのも束の間。義希は流れてきた香りに鼻をひくつかせた。
「なんか、旨そうな匂いが…!」
「そこは昔と違うの?」
「うん。食は充実してたけど、こんなはいからなものは無かった…」
 早々に発見した各種バーベキュー串の屋台を前に、だらしなくもヨダレを垂らす勢いで手を挙げた彼は、にこにこ顔のおばちゃんに意気揚々と進言する。
「おばちゃん、全種類頂戴?」
「はいはい、ありがとう。少し待っててね」
 のんびりと言い終えて、タレに浸した商品を袋に納め終えたおばちゃんは、代金と引き換えにそれを手渡し。
「熱いから気を付けてね」
 と、穏やかに微笑んだ。
 受け取った義希は笑顔で頷いて、有理子の手を引き丘の上に足を向ける。
 一連の眺めをぼんやりと眺めていた有理子は、暑さでだらけながらも明るい彼の背中に軽い疑問を注いだ。
「その欲は平気なの?」
「ん?」
 不意な問い掛けに、義希は口に物を詰めながらすっとんきょうな声を出す。
「悪魔よ。どういう基準で封印が解けちゃうのかってこと」
「うーんと、そうだなぁ…」
 続く補足に珍しく表情を曇らせた義希は、有理子を振り向かぬまま小首を傾げた。
「話したいのはやまやまなんだけど、ここじゃちょっとまずいかも」
「宿は?」
「宿もちょっと」
「じゃあ、何処?」
「明日でもいい?」
「わたしは別に…いつでも良いけど…」
「じゃ、明日。人気の無いとこで」
 そう話を纏め上げると、丁度丘の天辺に到着する。
 彼の母親が眠る墓は、過去に訪れた時と同じ位置に、しかし若干の変化を持ってそこにあった。
 恐らく村人達も時折整備してくれているのだろう。目立った汚れも傷みも無く、並んだ石は綺麗な曲線に周囲の光を馴染ませていた。
「あのあと直ぐに作ったんだ」
「うん」
「琥珀は…」
「村の名前ね?」
「そ。元々そうなんだけどさ。妖精は墓って感じしないし…」
 義希は言いながら、二つの丸石にペットボトルの水をかけ、散歩の途中に摘んだ白い花を供える。
「蒼がさ、ずっと預かっててくれたんだよな」
「うん?」
「琥珀の意思」
 義希は言いながら、手の中にオレンジ色の石を呼び出す。その色は生きていた時の琥珀そのものだった。しかし。
「意思…じゃないか。これは意思になりきれなかった琥珀の最後の姿だ」
 宝石には何の力もないようだ、と海羽が言った。妖精の影が見えることも、不思議なことが起きることもない。ただの”琥珀”。
「それでも、彼女はそこに居るわ」
 有理子は願望を込めた言葉を躊躇いがちに口にする。義希はその気持ちを汲み取って無言で首肯した。
「母さん、親父。また来るよ」
 村は、丘は、夕陽に染まる。
「琥珀と一緒に」
 義希が握る小さな石と、同じ色に。


 その翌日。


「何もこんなとこまで来なくても…」
 有理子のぼやき通り、二人は過去に小太郎とくれあが秘密の場所としていた崖に居た。送ってくれた門松も、理由を知りたがってはチラチラと義希を振り向いたが、昔来たことがあるからどうなってるかと思って、等と適当に言いくるめて先程別れた所だ。
 義希は有理子の訝しげな顔を振り向いて、苦笑混じりに言い放つ。
「こんなとこでもなきゃ、何処で誰に聞かれちゃうか分かんないからなぁ」
 確かに、見渡す限り周囲に人影はなく。視界の半分には遥か下方に落ちる海が広がっているのだから、気配を察知出来ない自分達が内緒話をするには好都合ではある、有理子はそう思いながらも困ったように肩を竦めた。
「それなら別に、帰ってからでも良かったのに」
「うん、でも帰ったらきっと忙しいだろうから」
 うーんと数センチ上に伸びて、眼下に広がる海から水平線へと視線を移した義希は、軽くも重い調子の笑みを浮かべる。
「いい機会だし、ちょっとでも話しておこうかなーと」
 そう言って、彼は徐に両手を広げた。
「…その手は何?」
「人避け演出の為の準備?」
 有理子の疑問に答えながら、義希は促すように腕をパタパタさせる。
「全く、仕方がないわね…」
 有理子は小さく呟いて、大人しく彼の正面に足を向けた。
「あれま、意外とすんなり…」
「わたしはあんたほど馬鹿じゃないもの。半分は冗談じゃないってことくらい、分かるようにはなったわよ」
「喜んで良いのか泣いて良いのか…」
「はいはい。それで?どんな基準があるわけ?」
 ぎゅむっと抱き抱えられながら、有理子はため息を落とした義希の胸元に、昨日の続きとなる問いを投げる。
「半分はオレの憶測?みたいのも混じってるけど」
「うん」
 彼女が前置きに言葉で頷くと、義希は一拍置いて話を繋げた。
「昨日の飯は、オレの稼いだ金で手にいれただろ?」
「そうね」
「その程度の欲なら大丈夫なわけだ。問題なのは…自分の力では手に入らないものまで欲しがった時」
 聞き終えて、有理子は暫し思案する。そして形状もそのままに新たな疑問を呟いた。
「わたしがお金を貸してあげる、って言ったら?」
「それはおーけー。嫌がる有理子から無理矢理奪うのも、おーけー」
「それなら、どうしたら駄目なのよ」
「んー…例えば無理矢理奪おうとして、奪えなかった時。それでも欲しいと望んだら、それはアウト」
 義希は有理子の肩から頭を離し、空に向けて更に回答する。
「例えば泥棒したとして、捕まっても法律通りに処罰されたなら、それはギリギリセーフかな」
「捕まっても抵抗しようとしたり、捕まらないよう自分の限界の範疇を超えた力を望んだら、駄目って事?」
「そゆこと」
 なんとなく納得した有理子に、義希は臆面もない笑顔を頷かせた。しかし彼女の表情には影が落ちる。
「…それなら、例えばわたしが誰かに捕まったとして」
「助ける為に、特殊な力を求めたら…それは、アウトになる」
 義希は、やはり明るくそう言い切った。大きな瞳を揺らがせて、彼の瞳と真っ向から向き合う有理子に。義希は楽観とも哀愁とも取れぬ微笑を向ける。
「ごめんな。世界中の人を敵に回しても守ってやる、とか言えなくて」
 その真面目な声色に思わず吹き出した有理子は、呆れたように、しかし朗らかな笑みで応えた。
「馬鹿ね。わたしがそんな台詞で喜ぶとでも思ってるの?」
「いやー、言ったら逆に怒られそう」
「あら、よくわかってるじゃない」
 あはは、と陽気に後頭部を掻いていた彼が、不意に視線を流すのに気付いた彼女は、それを追って自らも海を振り返る。
 義希はそれを待っていたかのように、声を落として話を再開した。
「この件に関してはさ、沢也や蒼とも随分話し合ったんだ。はっきりした決まりがある訳じゃなくて、なんて言うかさ…」
「曖昧だから?」
「うん、そう。そんな感じ。だから、良いも悪いもひっくるめて、実際に有りそうなことを一つ一つ確認したりしてさ」
 複雑な色を帯びた義希の横顔を横目に見据え、有理子は沈んだ声を風に紛れさせた。
「…確かに、これを第三者に悪用されたら…」
 大変なことになる。
 少し気を抜けばこの日常は一瞬にして、消え去ってしまう。
 こんな特殊な事情がなくとも、それは当たり前の事実としていつも隣にあるはずなのに。
 ふとした瞬間に思い出した時にだけ、妙に怖くなるなんて。
 有理子は一瞬のうちに感じた違和感を振り払い、振り向いた義希の微笑と向き直った。
「だから沢也はオレに、この話をしないよう釘をさしたのだ」
「もしもするなら、絶対に人がいない事を確認できるような見通しの良い広い場所で?」
「そそ。あとは絶対に音が漏れない空間とかな」
 おどけたようにそう言って、大袈裟に肩を竦めた彼の瞳はまた、海の方へと流れていく。
「蒼も、沢也も、海羽も、妖精達も。あの忙しいなか、悪魔を倒す他の方法を色々と探してくれた」
「うん。だけどね、それでも、見付からなかった」
 全てを見てきた有理子の言葉は重く、現実を映し出した。
「今は妖精達がその方法を研究して、開発しようと努力してくれているんだってな?」
 色んな事情でなかなか会えないけど。義希は小さく呟いて、次に笑顔で有理子と向き直る。
「だからさ、オレも頑張るよ」
「頑張るって…あんたねぇ…」
「うん、言葉はおかしいかもしんないけどさ。海羽を見習う勢いで、無欲に生きようかなと」
「そこまでしなくても。あの子には寧ろ、もう少し欲を持ってほしいくらいだもの」
 別の意味で表情を曇らせた有理子の、相変わらずな部分を微笑ましく見据えながら。
「じゃあ、現状維持で」
 大きく大きく、天に向かって伸びた義希に、有理子の深い首肯が同意した。





cp29 [弟]topcp31 [宴]