真意 まだ記憶に新しい長雨の季節が嘘のように、じりじりと世界を焦がす夏の太陽が眼に眩しい。 その場で唯一清涼感を与えてくれる噴水を背に、並んだ二人はだれた表情でホットドックにかじりつく。傍らに積まれた一つの包装を剥きながら、間抜けな横顔を横目に捉えた小太郎がため息混じりに問いかけた。 「なぁ義希」 「んー?どった?」 あっと言う間に口の中へと消えたホットドッグを胃に追いやる側から返答し、もう一つを迎え入れる彼から目をそらし。小太郎は眩しそうに空を見据える。 「祭りの日よお」 「ふん?」 「あいつ、見たか?若しくは会ったか?」 「あいつって?」 ぼんやり顔の小太郎の質問に、二個目のホットドッグを飲み込んだ義希は小首を傾げた。それを受けた小太郎はさっと周囲を見渡すと、義希の耳元に言葉を落とす。 「蒼」 小声の補足を聞いて、たっぷり数秒間記憶をほじくり返した彼は、その間にも3つのホットドッグを消費した。 義希がそうする間、小太郎は落ち着かない様子で視線を泳がせながら咀嚼のために口を動かす。 「ああ…そういや、それっぽいの見なかったなぁ…」 ずずずっとコーラを吸い込む片手間に呟いた義希の、虚空を眺める瞳を振り向かせ。小太郎は徐に人差し指を突き付けた。 「だよなぁ?隊の奴等もなーんも言わねえし。そもそも、城の出入りは門番が管理してるってのによ。どうやって外に出てんだ?」 やはり普段の半分以下の声量で捲し立てた彼にうーんと唸り、残った氷を噛み砕いた義希がぼりぼりと提案する。 「聞いてみたら?」 「答えるか?あいつが」 「いやいや、門番の方」 「あー…あいつらはなぁ…」 「ん?なになに?」 ポリポリと頭を掻いては渋い顔をする小太郎の横顔に耳を寄せ、義希はあからさまにワクワクと顔を綻ばせた。小太郎はそんな彼に呆れながらも左手の平を空に向ける。 「元は組織の奴等なんだが。今はすっかり…」 「口が裂けても言えません」 透き通る青空に突き刺さるかのようなその声は、真っ白な城の前に佇む城門付近から上がった。 威圧と嫌悪の籠った視線と声色に一歩後退し、それでも食い下がろうと口を開きかけようものなら、片割れであるもう一人の男が悠々と遮りにかかる。 「残念でしたね、お客さん。ここで教えられるのは、近衛隊には国を売るような馬鹿は居ないってことだけだ」 右手に携えた長槍の柄で地面を叩き、元から開いているのか怪しい瞳を更に細めた門番を見て。来客であった筈の人物は、握りしめた金をそのままにそそくさとその場を後にした。 その後ろ姿をやれやれと見送って、目の細い方が困ったように口にする。 「いくらなんでも潔すぎじゃないか?あの人」 「こそこそ嗅ぎ回られるよりは幾分かマシと言うものだろう」 分厚い眼鏡の方が言いくるめるのに頷きながら、ため息混じりに髪をいじって。 「ああ言うのが居るからこその、お忍びか…」 「正宗」 呟いた彼の名を呼んだ茂達の声色には、批難の色が含まれている。 正宗は十数日前の出来事を脳裏に蘇らせながら、空気で威圧を伝えてくる相棒に頷いて見せた。 「分かっているさ。他言は無用な」 「相手が隊長であろうと言わぬ約束だったろう」 「そう怒るな、口が滑っただけだ」 そう。それがこの国を統べる者、直々の命である。 何を隠そう七夕の日に普段とは違う出で立ちの蒼を見送ったのは、この門番二人組なのだから。ついでに言えば入退城の書類に細工を施しているのも彼等である。 「心配しなくとも、いざと言うときに失態はしないって」 「仕方のない奴だ」 「信用問題だ。しっかりやらせてもらうさ」 幾ら上司からの命令と言えど、隊長にまで話せない秘密事を、一門番が知り得るなどそうそう無い話だ。 つまるところこの二人は、国が出来て一ヶ月後から今日まで、国王と大臣から直接この場を任されている、言わば強者である。 それ程に信頼を得た門番ペアを、第二近衛隊長である小太郎が称すると、皮肉なことに「忠犬」となるわけで。 それを聞いた義希が思わず爆笑したのは言うまでもないだろう。 このように小太郎をはじめ、門番の二人やその他もろもろからそれなりの支持を得た国の中枢を担う二人組。 こちらはこちらで、自身の噂話など知る由も…もとい知るつもりもないままに、部下達の噂話に花を咲かせていた。 「そういや、祭りは満喫できたのか?」 やっとのことで根強く残っていた祭りの後始末の全てを退治した沢也が仕事の片手間問いかけると、珍しくペンを手にした蒼が笑顔を頷かせる。 「ええ。あなたの分も、沙梨菜さんの勇姿を始め…この目と耳に焼き付けてきましたよ?」 「勇姿は良い。隊長含め、近衛隊はきちんと動いてたろうな」 「半々、と言った所でしょうか?ボスや隊長ペア、それから門番のお二人から上がってくる報告に遜色無さそうですね」 紅茶を啜りながら、不要な紙に悪戯描きをした蒼が満足そうに顔を上げれば、沢也は書類の束を捲っている最中だった。しかし彼がそれでも話の内容を呑み込めることを心得ている蒼は、独り言のように話を続ける。 「義希くんはやはり義希くんだけあって、隊だけでなく街にもすっかり馴染んでしまったようですね。至るところで好感度の高い評価が聞けましたよ」 「まあ、あいつはそう言う意味では心配ねえだろ」 言い終えた所で、息を吐いた沢也が同意する。同時に崩れた書類タワーがデスクの前に白い川を作った。 「小太郎くんも一年統率してきただけあって、信頼はありますが完璧な抑制にはなっていないようですね」 「見た目不真面目だから仕方ねえか。悪いのは目付きだけで威圧は皆無だしな」 「もう少し勉強させたほうが迫も付きますかね?」 「アホか。時間の無駄になるだけだろ」 吐き捨てるようにそう言って、次々と紙の山を空いたスペースに薙ぎ倒していく沢也を見て。蒼もゴミを片手に立ち上がり、出来上がりつつある紙の海にそれを放る。 その際顔を覗かせた落書きを、たまたま目撃してしまった沢也の口から盛大に息が吹き出され、蒼は頬を膨らませる羽目になった。 ちらちらと、涼しげな炎が紙の白を焦がす。冷たく熱いそれを眺めながら、二人は情報交換を重ねていった。 町人や街の様子、各施設の運営、街の裏の顔の広がり具合、その他隊員達の活躍や怠け具合など。 文字として蓄積されていた物が灰になる代わりに、脳内に積もっていく別の情報を整理しながら、魔力の放出を止めた沢也が小さく呟いた。 「噂の方は聞いたか?」 「はい。各所で」 「思ったより…」 「ええ、酷かったですね」 収束に向かう炎の勢いに冷静な返答を浴びせた蒼は、ため息に合わせて振り向く沢也に細めた瞳を向ける。 「町人は元より、隊内部も相当だったな」 「逆に言えば、町人達への広がりも隊員達が助長してしまっている可能性が高いですね」 その言葉に納得し、沢也は残り火もそのままにコーヒーを手にした。 「街が平和なのは良いことなれど…」 「平和ゆえに、彼の力量を測る場が少ない、と言うことでしたら」 いつの間にやらデスクに向かい、トントン、と判をインクに押し付けて。ふっと顔を上げた蒼の人差し指が回る。 「いっそ場を設けてしまっては如何ですか?」 「それが解決策になるかはわからねえがな」 「そう言いながら、何か企んでいる顔じゃないですか?それ」 遠く向こう、扉の先の先を見据えるような沢也の細めた瞳に苦笑して、蒼は書類に視線を落とす。 「近衛隊のだらけ、給与削減、やる気向上、倫祐の信用向上、そして…」 「海羽さんの生活監視、ですか?」 「正解」 「もしかしてとは思いますが、その全てをまとめて掃除なさるおつもりですか?」 「問題は残るがな。まぁ、然して障害にはならないだろう」 冗談のようにそう言って、ぐっとマグカップを傾けた沢也は次に大きく伸びをした。関節がミシミシばきりと鳴く音が断続的に響いた後、ため息のような宣言が出る。 「さて、行くか」 「どちらへ?」 「何処もくそも…」 「沢也」 台詞の途中、不意にひらりと落ちてきたのは、ふわふわと柔らかい物体だった。呼び声と共にそれを受け止めた沢也は、腕の中から見上げてくる声の主に苦笑を注ぐ。 「珍しいな。お前がこの時間に来るなんて」 「今日の夜、開けといて」 皮肉を無視しつつ、欠伸混じりに言いながらも、嬉しそうにするハルカを見て。丸くなった沢也の瞳が瞬いた。 「倫祐が来るから」 その顔に満足気な顔で告げた彼に息を吐き、珍しく素直に微笑んだ沢也が小さな感想を漏らす。 「それまた、珍しいな。あいつからそんな伝言よこすなんて」 不思議そうに瞬きを繰り返す蒼を他所に、いつもの表情を取り戻した沢也はハルカに深く頷いた。 「了解、それまでに仕事落ち着かせとく」 聞き終えて睡眠へと戻っていく彼を見送って、沢也は再び席へと戻る。途中、蒼の疑問に返答しながら。 涼やかな夜風を浴びながら、真上に昇った二色の月。 半分ほど雲に隠れたその様子を数秒見上げ、溜め込んでいた煙を昇らせる。 途中闇に紛れてしまうまで、月の方へと流れていく一筋の白。揺れて、燻り、掻き消える、不規則な動きを見飽きたように踵を返した彼は、俯いたままタバコの火を消した。 城に続く丘の道には街灯もなく、しかしぼんやりと、光るように浮かぶ白い外壁は遠目にもよく見える。その中でも一番高い見張り棟の天辺の、尖った屋根が丁度月の位置と重なって見えた。 急ぐでもなく歩みを進め、気配も無く城門まで辿り着き。彼は今一度煙草に火を点す。 次の瞬間。 ふわりと流れた煙だけがその場に残された。 夜の十時を越えると、夜勤の門番も駐屯地へと帰り街の警備に当たる。そこから朝、いつもの門番二人が出勤してくるまでは、城の警備は施錠とセンサー、監視カメラ。及び海羽と妖精のバリアに委ねられているわけだ。 倫祐はそれに引っ掛からぬよう、城壁を飛び越えて中庭に入る。その後悠々と城の裏手に回り、徐に上を見上げた。 ひょい、ひょいと外壁を跳び登り、あっと言う間に三階まで到達した彼は、一息置いて窓を叩く。分厚いそれはカッカッ、と鋭い音を立てて彼の存在を知らせた。 やや間があって、カーテンの向こうから顔を覗かせた蒼が鍵を外す。観音開きのそれを外側に押しやって、内に引いた彼に招かれて倫祐は室内に進入した。 「お疲れさまです」 ふんわりと、いつもの笑顔で迎えられた彼は頭を下げて応答する。その間にも沢也が椅子から立ち上がり、ため息混じりの苦言を漏らし始めた。 「そんなとっから入られちゃ、厳重警備も意味ねえな」 「何を仰いますか。貴方の作った人選センサーがあれば、大抵の人は城門付近で黒焦げですよ」 「言葉が通じさえすれば見つかった段階で直ぐに帰るだろ?実際、いまのところ黒焦げた奴は居ないわけだしな」 並ぶ会話に目をぱちくりさせながら、勧められるまま椅子に腰掛けた倫祐を、蒼の顔が覗き込む。 「不思議そうな顔してます?」 無表情の中に見付けた色を嬉しそうに観察しながら、彼は一瞬だけ沢也に目配せを送った。 「つまり、夜の間は俺が選んだ人間以外侵入できないシステムが作動してるってわけだ。だからわざわざ窓なんて使わねえで、正面から堂々と入ってこい」 呆れたような解説を聞いて小首を傾げた倫祐に、沢也は更に補足する。 「心配しなくても、壊れたりしねーよ。認証に接触の必要はねぇからな」 それでもなお躊躇いながら頷く彼の前、どかりと腰を下ろした沢也は椅子の背凭れに体重を預け、適当に足を組んだ。 「さて。わざわざそーまでしてやって来たって事は…あるんだろ?聞きたいこと」 右肘を背凭れの後ろに垂らし、そう問い掛ける彼に。倫祐は黙って頷きを返す。 蒼がそんな二人の間に灰皿を置き、カップを取りに踵を返すと同時に沢也がため息を吐き出した。 「お前、何処まで分かってるんだ?」 静かな問いに、倫祐は僅かに首を傾けて対応する。 「分からない、か。まぁ、そうだよな。悪い」 沢也の次の返答を聞いて、一人納得した蒼は二人にコーヒーを手渡して自分のデスクに下がった。 沢也はそれを啜りながら、持ち上がらない倫祐の視線に質問を続ける。 「自分の噂のことには、気付いているな?」 静かな間に、また首肯が落ちた。沢也もまた頷いて提案する。 「あんな出鱈目な話、何時かはボロが出るだろう。お前が平気なら、放っておくのが一番良いと考えてるんだが…」 言い終わらぬうちにやはり無言の同意を示した倫祐に、沢也はふっと息を吐き不器用に微笑んだ。 「そうか。何かあったら何時でも報告に来ること。それだけは約束してくれ」 躊躇いがちに、しかし何とか首を縦に倒した倫祐を見て、安心しながらも身を乗り出した沢也は、元から低い声を更に低くする。 「で、その噂の出所だが…」 ぱちりと、倫祐の両目が瞬いた。 「海羽と一緒に居る、あの男。お前、あいつに何か言われたらしいな?」 数秒の間。沢也は倫祐が頷くのを待って話を繋げる。 「大体の事情は分かってる、って顔だな。…とにかく現状、海羽はあいつに縛られて生活していて、俺達はそれを黙認している」 沢也がゆっくりと説明を口にする間に、倫祐の視線が持ち上がった。言葉尻にそれを認識した沢也は、苦笑と共に問い掛ける。 「…その理由を、聞きに来たのか」 倫祐は頷かなかった。しかし何時もより強く見える眼光は、暗に肯定を示している。 沢也はため息で表情を切り替え、ついでに足も組み直した所で倫祐に向き直った。 「そうだな。弁解の余地はねえ。俺も蒼も、不本意ながらあいつの好意に甘えてるってわけだ」 瞬きすらせず、説明を求める彼に向けて、沢也は一息に話を続ける。 「あの男、曲がりなりにも貴族だからな。あれを切ることで国が負う損害ってのが…結構厄介なんだ。今も、その対応に追われててな…如何せん人手が足りない。よって、この事態が解決するのもいつになるか…」 横目に仕事の山と、封印作業に追われる蒼を順に眺め。沢也は最後に目に止めた窓に向けて過去を呟いた。 「…元々な、この体制になったときに雇った奴等の半数が、貴族の息がかかった人間だったんだ。脱税やら書類操作やら、色んな問題が発覚したのが一ヶ月後。直ぐに解雇、処罰して、そっからは審査を厳しくした。その時に貴族の世界を追われた人間が、複数人居るわけだが…そいつらも厄介で。今は小次郎監修の元、工場で働かせてる…まぁ、言っちまえば囚人なんだが、全部捕まえるまでに二月はかかったか」 捲し立てを区切って一息付いて、正面に直り、いつもの皮肉な顔を作った彼は倫祐に掌を見せる。 「そんな経緯があって、現在も人手不足は進行中。加えて、開国だなんだって考えもなしに騒いでる貴族が全体の約半数。他にも山のように問題があるわけだが…」 広く、何処かくたびれつつも、形のよい指が一つを残して丸まった。 「その全ては、一人の黒幕の仕業であると踏んでいる」 一を示す人差し指を見据える瞳が僅かに細くなる。沢也はそれを確認すると、椅子の後ろに手を引っ込めた。 「お前の噂も、執拗に海羽に付き纏う人物も、全てはその人間が仕組んだことの一つだってことだ」 それだけではない。現在この国で起きている犯罪の半分くらいは、その黒幕が絡んでいる可能性が高いであろうと。沢也はその詳細を長々と、倫祐の無表情に話して聞かせた。 先程並べた過去の事件の断片から、最近起きた事件まで。事細かに語られる言葉の羅列は、時間にして110分程続いただろうか。 そうして沢也の言葉が終わるまでぼんやりと虚空を眺めていた倫祐は、話が終わって間も無く前触れもなく立ち上がる。そして何も言わぬまま頷くと、置きっぱなしだったコーヒーにそっと触れた。 喋り通しで息を切らせかけている沢也に対して、たったのそれだけで返答を終わらせてしまう辺りが倫祐らしい。そしてそれで良しとしてしまうのは、この近辺でも沢也と蒼くらいだろう。 僅かに続いた沈黙は、倫祐がカップを置いた事で途切れた。 「今日は非番だろ?」 沢也が今にも帰らんとする彼を呼び止めるように問うと、確かに頷きが返ってくる。 「なら、少し手伝え」 そう言って指し示した書類の束。と言うか山。 振り向きもせず固まった倫祐は、悠長にコーヒーに砂糖を入れて、一口啜ると一言。 「貯めすぎ」 呟いて立ち上がり、呆然と沢也のデスクの前に立つ。 指示待ちの彼が振り向くと、沢也はやはり悠長にコーヒーを飲みながら、小さく息を吐いた。 笑ったようなそれにつられて蒼が声を立てて笑うと、倫祐の首が不思議そうに傾いてゆく。 「尤もすぎて返す言葉もねえ」 「時々片付けに来てあげて下さいね?義希くんだけだと平仮名と片仮名の部分だけしか整わないので」 「秀のことが気になるなら夜だけでも構わない。とにかくもう少し顔を出せ」 歩み寄りながら指先で指示を出し、命令を終えた沢也に向いたのは。困ったような、納得したような、無表情ながらにそんな色を持った倫祐の顔だった。 「これでも今朝、不要分は処分したんだがな」 「とりあえず漢字の表題をあいうえお順にファイリングして頂けると助かります」 「本当なら全部パソコンに飲み込ませちまえば良いんだが…」 「そんな事をしている暇がないですからね」 「倫が機械に強けりゃな…」 「でもこれで、書類が必要になるごとに貴方の手を煩わせずとも済みそうですね」 「今日中に終わるかよ」 「終わりませんかね…?」 首肯する間も与えられず、放られてくる分厚いファイルを手に床に腰を据えた倫祐に。推し図ったような二人の視線が同時に突き刺さる。 倫祐は二人の笑顔から放出される無言の圧力に抵抗するでもなく、自分の力量と目の前の仕事量とを天秤にかけて、そのまま無言の了承を示した。 積もりに積もった埃ごと。綺麗に掃除され、整ったデスク回り。 どれくらいさっぱりしたかと言うと、少し顔を動かせば、蒼の微笑が直ぐにでも確認できる程に。 その代わり灰皿に積まれた山盛のまま吸い殻を片付けながら、 沢也は見通しの良すぎる視界にため息を落とした。彼の目にはその先で変化する光の具合ですら、ため息を吐き出しているように映る。 倫祐は残った分の一部を書庫へ、他をデスクの後ろに積み終えると、蒼の出した茶菓子を口に押し込み、つい先程何処か満足そうに帰宅していった。 「貴方が直接顔を合わせて話すべきだと主張した意味が、身に染みて分かりましたよ」 沢也の様子を一頻り眺め、一息付いた蒼が入り口に向けて呟く。巨大な白は持ち前の凹凸を持って、夜の終わりを刻々と映し出していた。 「手紙っつーのは、一方的に押し付けるには絶好の手法だが…返事が欲しいときには向かない。特に倫みてえに、言葉を表に出さないような奴には」 一つの頷きを間に、珍しくぼんやりとした口調で言い切った沢也は、やはり扉を見据えながら小さな息と、自らの見解を吐く。 「あいつはそこまで馬鹿じゃない。だから、俺達が秀をよく思っていないことは理解した筈だ。…だがその代わりに、そこまで図太くもない」 短い間に読み取った倫祐の心情と、今まで読み解いた倫祐の性格を合わせた沢也の分析は、蒼の瞳を振り向かせた。 「お前が思ってるよりずっと、あいつは繊細だってことだよ」 沢也は疑問の眼差しを横目に微笑を浮かべ、囁くように補足する。 「いつまでもいつまでも迷って、答えすら見つけられずに。一人、自分の中に迷路作っちまうような…」 「それなら、気付ける僕達だけでも、話を聞いてあげたら良いんじゃないですか?」 「聞けるならな」 蒼の提案に被せるように、鼻で笑うように、呟いた沢也は困ったように扉に背を向けた。 「聞いたって、話しはしないさ。あいつは、自分の迷いを肩代わりさせるのを嫌うからな」 半分ほどに減った書類と、厚さを増して並ぶファイルとを眺めながら。 「そんなの、迷惑にすらならねえのに」 呆れたように追加して、振り向き様にパソコンを付けた彼に微笑んで、蒼がしみじみと呟く。 「優しいんですよね。彼」 「ああ。お前や義希とはまた別の優しさだけどな」 当たり前に返答し、真面目な顔でディスプレイを眺めていた沢也の手が、一瞬だけ止まった。 「だからこそ、脆いんだよ」 言い終えて、再度キーボードを叩きながら、沢也は途切れ途切れに口にする。 「ちゃんと見てたとしても、崩れちまうかもしれない。…それこそ、昔の海羽みたいに」 「そうなる前に、何とかしないといけませんね」 「後は、あいつの優しさに賭けるしかねーな」 「崩れることで周りに迷惑がかかるからと、その優しさを持って耐え抜いてくれることを…ですか?」 問い掛けに、沢也は答えなかった。それを肯定と受け取って、蒼は小さくため息を付く。 「ずるいと言うことは、分かっているんですけどね」 「それでも許してくれそうだから、なのかもな」 独り言のように呟く沢也に苦笑を返し、くるりと振り向いた蒼は遠い瞳を窓辺に投げ掛けた。 「その分、僕達も許せることがあるとすれば」 光が昇る。その瞬間を認めて瞳を細めた彼は、嘆くように囁きを続ける。 「彼が、負けてしまった時だなんて…皮肉ですよね」 目の前に広がる夜明けの色に、記憶の中の夕焼けの色を被せながら。笑顔を消した蒼のその横顔に、沢也は無言の同意を示した。 cp17 [赤に問う]← top→ cp19 [File3”キッチン雑貨店前”] |