赤に問う


   特有の鳥の鳴き声が響く朝。
「おかしい」
「……なにがよ?」
 お日様もすっかり頭を出し切った午前8時。すっかり身仕度を済ませた有理子が、ベットの上で座ったまま真顔で呟く義希を振り向き目を瞬かせる。
 義希はあんぐり開けた口をそのまま動かして、精一杯訴えかけた。
「同じ部屋に住んでるのに!何故か構って貰えてる気がしないっ!」
「そりゃあ、あんたが帰宅するなり光の早さで寝ちゃうからでしょ?」
「なんてこったいぃいぃぃ」
 帰宅して、風呂入って飯食って。現状と同じくベットに座り、仕事をする有理子の背中をぼんやり眺めている…所までは覚えているが、毎日毎日その後の記憶がない。
 改まってそう自覚した義希は、起き抜けの頭を一生懸命捻って打開策を生み出した。
「こうなったら今からでもっ…」
「ほら、よーく見てみなさい?」
 ぴよんと飛び付かんとする彼に、付き出されたのは目覚まし時計。たっぷり数秒かけてそれを読んだ義希は、目を丸くしたまま口だけを動かす。
「ちこくだ」
「でしょ?」
 当然、と言うように時計を持った手を腰に当てる有理子に、涙目の義希が情けない声でクレームを付けた。
「なんで起こしてくれなかったんー?!」
「わたしはあんたのお母さんじゃありませんからー」
「うわぁぁん!有理子の意地悪ー!今に見てろぉおぉえあうー」
「いってらー」
 転げる勢いで洗面所に入り、四十秒で仕度して仕事に向かう彼を見送って。有理子は深いため息を落とす。

 昨日も、一昨日も、その前も。
 義希がこの部屋に来てからと言うもの、毎日同じようなやり取りが続いていた。
 こうなる前は、彼と暮らすことになれば賑やかで喧しくてもしかしたら耐えられないかもしれない、などと考えることもあった有理子ではあるが、実際こうなってみて気付いたのは、前も後も然して変わらないと言うこと。
 唯一の変化と言えば、部屋が綺麗になったことくらいだろうか?
 長いこと浸っていた仕事から顔をあげれば、いつの間にか部屋が片付いていて、いつの間にか義希が眠りについている。
 そんな光景を目にしたのも、もう何度目か。
 今もまだ、目の前を占領している紙の束よりも、彼の顔を見ている時間の方が圧倒的に少ない。
 それが良いことなのか、悪いことなのか。これが普通なのか、異常なのか。不満なのか、満足なのか。
 それすら分からずに。

 ただ、毎日のようにため息が出るのはきっと、わたしが現状に納得していないからだ。
 この平穏で、変わらない毎日に?
 違う。
 これではまるで、彼を見張っているかのようで…いたたまれないのかもしれない。
「分かってる筈なのにな…」
 有理子はそう言って、そっとアネモネに触れた。どんな時でも冷たさを失わない感触が、彼女の感覚を刺激して。
「そっか。そうかもね…」

 わたしは、怖いんだ。

 心の中でそう納得して、有理子は書類に向き直る。
 桁の多い数字の羅列、マス目が真っ黒のカレンダー、減らした側から増えるやるべきことリスト。
 自らの分も合わせて三つある卓上カレンダーを横目にため息を付き。今日も詰まりに詰まった予定に合わせて、書類整理に見切りを付けた彼女は重い腰を上げた。


 有理子の管理する仕事のうち、半分を占めるのが蒼の接待の補佐である。来客に合わせてスケジュールが組まれるその仕事、デスクワークを凌駕する勢いで時間管理が厄介なのは言うまでもなく、長居や突然の来訪は元より、遅刻や待ちぼうけなども予想以上に多いのだから困りものだ。
 尤も後者の場合、必然的に事務仕事へと切り替えられるだけなので寧ろ有り難いくらいなのかもしれないが。
「有理子さん、おはようございます」
「おはよう、蒼くん。今日もギッチリアポ詰まってるから、今のうちに休んでおいてね?」
「大丈夫ですよ。昨日は久々に熟睡出来ましたから」
 そう言って伸びをして、沢也がひっ散らかした書類をごみ袋に放り始める蒼に、有理子の苦笑が注がれる。
「こっちは今日明日でなんとかしとく。後の片付けは義希にでも押し付けりゃいいだろ」
「あいつに要る要らないの区別が付くの?」
「その後の話だ。本とペンの区別くらいは出来るだろうよ」
 揃って失礼な発言をする二人に肩を竦め、蒼はスッと天井に人差し指を向けた。
「そうでした。区別と言えば…今日のお客人。最初の二人は麦茶とほうじ茶の区別もつかない舌の持ち主なので問題ないのですが…」
「ああ…前に来たとき暴れた人ね…」
 手帳を確認するまでも無く、納得した有理子が漏らした苦笑が新たな苦笑を呼ぶ。
 何時だったか、来訪したその人はお茶と言うお茶を受け付けず、やれコーヒーを出せだやれ茶菓子はマシュマロだと不平不満を垂れ流し、仕舞いにはコーヒーが不味いと言って口をきかなくなってしまった…ということあったのだ。幸い、後から来た時田の助けで事なきを得たのだが、あの時ほど財政難を呪ったことはない。
 劣悪な記憶が横切る微妙な空気の中。蒼は普段使いの安い紅茶を揺らしながら、ため息を吐く沢也に問いかける。
「と、言うわけで沢也くん。お楽しみ用のコーヒー豆、少し分けて頂けませんか?」
「構わねえが、あの程度で納得すんのか?」
「淹れる方が良ければ問題ないと思いますよ?」
「話は?」
「今からつけてきます」
 言うが早いか立ち上がり、沢也のデスク脇にある扉へと入っていく蒼を見送って、有理子はホッと息を付いた。
 扉の先には秀が来襲するまでの短い朝を、仕事に当てる海羽が居る。このように先方が味に煩い場合は、彼女の手を借りることも少なくないのだ。
 この仕事に付いてからと言うもの、お茶を淹れる機会が格段に増えた為、紅茶から緑茶、果ては梅昆布茶やジャスミンティーまで。ある程度のお茶を迷うことなく用意するスキルは身に付いた有理子ではあるが、流石に味も完璧、と言う所までには至っていない。それはそもそも彼女が、おいしいお茶を準備してもてなそう、と言う心持ちに欠けているせいかもしれないが。


 そうして午後を回って、丁度ティータイムの頃合い。
 遅い昼食を終えた王座の間の直ぐそばで、束の間の休息がてらお茶の準備が行われた。


 金のハンドルがくるくると回る。
 砕かれた固い豆が独特な香りを放ち、銀色の厨房を穏やかに満たしていった。
 ステンレスと大理石の調理台、巨大な調理器具。火の落ちた業務用のオーブンを正面に、木製の作業台でコーヒーミルを回すのは、マントを脱いで長袖を捲った海羽だ。
「今日も貴族の人?」
 その問いに、有理子はヤカンを見守りながら返答する。
「うん。コーヒーとマカロンが好きな人」
「そっか。それなら、前もって時田さんに習ってくれば良かったな」
 手元ではごりごり音を立てながら、残念そうに虚空を見据える海羽を見て、有理子も天井付近に視線を流した。
「そう言えば、お店はもう出来たのかしら?」
「もう少し、って…確か沢也が言ってた気がする」
 再建の際、区画図の確認をしに一度だけ訪れた暗い建物を想像して、そこに喫茶店が出来ること自体が俄に信じられなくなった有理子は、揺れ始めたヤカンを注視する。
 その間にも挽き上がった豆をフィルターに移す海羽の横顔に、憂いを感じた有理子は思わず問いかけた。
「…そう言えば、あの人は?」
「ああ、うん。来客があるって言ったら、街に出てきますって」
「逃げたの?」
「違うよ。おべっかってやつだって」
「おべっかって…誰が言ったの?」
「秀さんだよ?お菓子をね、仕入れに行くって言ってた」
 高級な?、最後にそう付け足されたことで納得した有理子が苦笑する。
「ああ…そう言うことね…」
「喧嘩にならないなら、良いよな?」
「そう言う問題じゃあ…」
「そうかもな。でも、無いなら無いでその方が…」
 俯き気味に呟いて、ドリップのセットを終えた海羽は、次にオーブンの中の様子を覗いた。オレンジの火に照らされたマカロンの生地が膨らみ始めるのを確認しながら、彼女は呟く。
「いつか義希が言ってただろ?」
 振り向かない海羽に瞬き、未だ沸騰しないポットを放置して有理子は話に耳を傾けた。
「どうやったら、争いが無くなるのかな……って」
 垂直に直りながらそう言った海羽は、振り向いて言葉を続ける。
「僕もな、最近同じこと考えるんだ。どうやったら、わかりあえるようになるのかなって…」
 その瞳は有理子を捕らえること無く俯いたまま。しかし次の問いと同時に、海羽は有理子と真っ直ぐに向き合った。
「義希は、出来たんだろう?」
「そう…なの、かな?よくわからないけど…」
「でも、出来たから戻ってきたんだよな?」
 曖昧な返答に微笑んで。有理子の微妙な表情の変化に気付きながらも頷いた海羽は、再度床に向けて感嘆を落とす。
「凄いよな…僕には、出来ないかもしれない」
 ヤカンの口から吐き出された湯気が、独特な高い音を奏でた。有理子が慌てて火を止めると、海羽はオーブンの覗き窓に憂いた瞳を流し。掠れた声と息を吐く。
「烈と違って、相手は僕を攻撃したりはしないのに」
 有理子は、その台詞を確かに認識して胸を痛めた。海羽は自らの言葉に慌てて振り向くが、有理子は彼女が何も言わぬうちに首を振って制する。
 その否定には幾つかの意味が籠められていたが、それを丁寧に説明している暇は無さそうだ。
「ごめん…有理子…」
「分かってるわよ。あなたの言葉に悪意が無いことは」
 そう。海羽はただ真実を口にしただけ。
「でも、本人に攻撃するつもりがなくても…」
「有理子も、嫌なんだろう?お父さんのこと…悪く言われるの」
 被った言葉はそれぞれの耳に、確かに届いていた。しかし実際に意味を認識したのは有理子だけだろう。
 有理子はヤカンから保温ポットにお湯を移しながら、海羽はオーブンからマカロンを取り出しながら会話を続ける。
「嫌じゃないわよ。今のは、わたし自身への嫌悪感」
「どうして…有理子は悪いことなんか…」
 作業から顔を上げてまでそう言った海羽に首を振り、口を開きかけた有理子を廊下から沢也が急かした。
「今行くから。お茶は後から海羽にお願いする」
 取りあえずそう返事して、出入り口に向けて足を動かしながら。有理子は海羽に言い分ける。
「わたしもちゃんと向き合わなきゃね。あなたみたいに、逃げないで…」
 不思議そうに、しかし何も言えずに瞬きを返す海羽を振り向いて。
「でも、あなたはたまには逃げなさい?わたしはいつでも待ってるわよ?」
 誤魔化すように微笑むと、有理子は厨房の戸を引いた。
「コーヒーとマカロン、宜しくね?」
 最後にそれだけを言い残して、廊下に出た有理子は誰にも見つからないよう小さな小さなため息を付く。



 失うのも怖い。
 だからと言って、向き合うのも怖い。

 そんな事を言っているうちは、海羽の悩みを聞く資格なんてないのだろうと。

 ちゃんと聞かなきゃ。
 又聞きじゃなくて、本人から直接。

 これはあいつだけの問題じゃないんだから。
 いつまでも怖がって、忙がしさを理由に、見てみぬふりするなんて…許される訳が無い。
 だから平気じゃ居られない、それも分かっていた事なのに…。



 まとめ上げた考え事を散らすように首を振り、頬を叩いて渇を入れた有理子は、客人を迎える為に階下へ降りた。
 今の彼女の役割は、一階の3分の1を占める玄関ロビー脇、クローク部屋の前で来客を待つこと。合流の後、神経を尖らせては慎重に手荷物を預かって。蒼の準備が整うまでの間、クロークの隣にある応接室で客人の相手をしなければならない。
 今回は割かしスムーズに段取りが流れ、一階の待機所とも呼べなくもない応接室に居た時間も短くはあったが、それでもやはり、貴族の相手をするだけでどっと疲れが出るもので。
「そう考えると、夏芽さんは本当に特別だったのね…」
 三階にある応接間の扉の向こうに消えていった蒼と客人には聞こえぬよう呟いて、有理子は王座の間にいる沢也の元へと戻る。
 短い廊下を経て戸を開けば、相も変わらず部屋の片隅を散らかしまくっている彼を見てため息を漏らし、彼女は大きく伸びをした。
「蒼くんも海羽も、言い方は悪いけどバケモノだわね…」
「まあな。四六時中貴族と一緒に居なきゃなんねーとなりゃ、普通はストレスで禿げるだろうよ」
「禿げたら困るわね」
「バケモノなら大丈夫だろ」
「あら、酷いこと言うのね?」
「お前が先に言い出したことだろ…まあいい、それより来月再来月の予定、分かる範囲で良いから出せ」
「今すぐ?」
「今日中でいい」
 会話をしながらもパソコンから目を離そうとしない彼にもう一度ため息を吐き付けて、有理子は仕方なく了承する。
「…分かったわよ」
「代わりに質問には答えてやる」
 返答の直後に飛んできた言葉に図星を付かれた彼女は、振り向き気味に皮肉を漏らした。
「相変わらずのエスパーっぷりね…」
「何か言いやがったか?」
「いいえ…」
 しらをきる有理子に舌を打ち、沢也は振り向かぬままキーボードから万年筆に持ち変える。有理子は彼の走らせる筆の音を聞きながら、静かに覚悟を決めた。
「あんたと蒼くんは、烈の事について…義希から…」
「勿論聞いてる」
 何の前触れも無く放った質問を、遮ってまで答えた沢也の顔は未だ上がらない。有理子は自室の前からその様子を観察しながら問いを重ねる。
「…黙ってたのは?」
「聞かなくても分かりきってることを、敢えて聞くって事は…」
 俄に向けられた眼差しに押し負けて、有理子は思わずそっぽを向いた。
「分かってるわよ。直接、聞けばいいんでしょう?」
「そう言って欲しかったんだろ…?」
 背中に注がれたのは、思いの外優しいため息と。
「背中なら幾らでも押してやるよ」
 呆れに似た微笑だった。
 有理子はやはりそんな彼の瞳に負けて、ばつが悪い思いを隠しきることが出来ずにドアノブを掴む。
「もう結構よ」
 慌ててそれだけを付け加えて、彼女は隙間から滑り込んだ室内に重い息を落とした。



 そうして忙しなく時は流れ。
 あっという間に夜がやってくる。



 夕食はトマトのカッペリーニ、食後にパステルカラーのマカロンと、いつもより高級なコーヒー付きで。
 お楽しみ用として保存されていただけあって、コーヒーは何時もより香り高く、紅茶派の蒼が思わず手を出す程であった。

 城の中でも比較的広い部屋である自室の中央に、ドカリと置かれた大きな丸テーブル。半分を書類に占領されたその上に、浅く長いため息を落とす。
 ふわふわと、天井に昇るのは気の抜けた義希の欠伸。それを背に感じながら、分けてもらった高いコーヒーを啜っていた有理子は、意を決して彼を振り向く。
 が。
「…また寝ちゃうの?」
 既に半分ほど夢の中、と言った具合でクッションに顔を埋めていた義希が、呆れた有理子の声で跳ね上がった。
「なになに、構ってくれるん?」
 有理子はふにゃふにゃと目を擦りながらも、身を乗り出す彼にコーヒーを差し出す。義希はそれを断って大きく上に伸びると、ベットから椅子まで移動してきた。
「高級なコーヒーは好きなやつが飲まなきゃ勿体ないぞ?オレはどうにも苦手だからさ…いつもの安いやつでいーや」
 能天気なその声に、何となく気抜けしながら席を立った有理子は、彼のためにインスタントのココアを準備する。
 珍しいその光景に、「高いコーヒーさまさまだなぁ…」などと呟きつつ、瞳を細めた義希は短く問いかけた。
「何かあったん?」
 目の前に置かれたマグカップを素通りし、有理子の瞳をしっかり見詰める彼の光に。やはり有理子は押し負ける。
 海羽に配合して貰ったココアの粉を、お湯で溶いただけの飲み物に口を付けながら、義希は静かに返答を待っていた。
「一つ、聞いておきたいことがあるの」
「ん?なに?」
 真剣な眼差しに頷いて、そっとカップを置く彼の瞳は色違いに。しかし同じ優しさをもって瞬きを繰り返す。
 有理子はそれを見据えているうちに落ち着いて行く気持ちに気付きながら、控え目に質問を始めた。
「…あんたの中に、烈が居るのよね?」
 震えたように小さなその声を聞いて、何時もとは違う種の笑みを浮かべた義希は、背もたれに寄りかかり、次にゆっくりと首肯する。
「ああ、今のところ寝てるよ」
「…寝てる?」
「そう」
 疑問符にまた頷いて、義希は視線を天井へと向けた。
「オレさ、みんなと離れてる間ずっと、烈と話してたんだ」
「…うん…?」
「色々聞いたよ。どうしてあんなことしたのか、どうしてああなっちゃったのか、これからどうしたいのか、どうするべきなのか…」
 軽く。本当に軽い口調でそう言ってのける義希に、僅かながら驚いたような…尊敬したような、そんな色を持つ有理子の瞳が瞬く。
「そんな感じに毎日毎日向き合って過ごしてて、あるときあいつは決めたんだよな。オレが何時まで経っても折れないから、暫く寝ることにするって」
 言い終えて有理子と向き直った義希は、彼女の表情が曇ったことに首を傾げた。
「まだ、諦めた訳じゃないのね…」
「いや。ほんとはもう、分かってくれてるんだと思うんだ」
 慌てて手を振って、弁解した彼は更に続ける。
「だけどそう簡単には受け入れられない。だから、こんな形を取ったんだと思うぞ?」
「だけど…あいつはただ、待っているだけかもしれないわよ?あんたが…」
 変わるのを。この世に悪意を抱くのを。欲を持つのを。飲み込んだ続きをそのままに、目を伏せた有理子に義希はただ頷いた。そして虚空に小さな息を上げると、珍しく大人びた微笑を作る。
「変わらない人間なんて居ないかもしれないけどさ。オレ、この感覚だけは変わらないと思うんだ」
 そうして俯いた義希は、懐かしそうに自身の右胸を眺めた。眺めて、満足したようにまた上を向く。
 天井を仰いでいた瞳は、ふとした瞬間に不可思議な物を見るように茫然とする有理子に降りてきた。
「お前が居て、みんながいて…ただそれだけで幸せなんだよな」
 あはは、と何時ものように笑った義希は、有理子に構わず語りを繋げる。
「平和でも、平和じゃなくても…オレはオレに出来ることを精一杯やるだけでいい。力とか、魔法とか…自分に相応しくないことなんて要らないんだよ。高望みはしない。したって、それで解決したって、みんなも喜ばないってこと…何となくわかるから」
 いつしか自分の掌に向けていた目を、有理子の瞳の奥へと戻し。義希は臆面も無く笑って見せた。
「あいつが目覚めてさ…その時にオレが今のまんまだったら、きっと分かってくれると思うんだ」
 うん、と。有理子は頷く。その瞳には涙こそ浮かんではいたが、それが溢れ出すことは無かった。
 義希はその揺らぎを吸収したかのような笑顔で、穏やかに宣言する。
「だからオレは変わらない。何時までも何時までも忘れない。忘れたくない…」
 最終的に願望へと変化してしまう辺りが彼らしい。有理子がそう思って笑みを漏らすと、それに安心したのか義希もまた微笑んだ。
 そうして冗談のように言ってのける。
「お前が傍に居てくれれば、絶対に大丈夫なんだけどな」
 続いたはにかみを受けて、固まった有理子は次第に表情を崩し、呆れたようにこう言った。
「相変わらずね…あんたの、そう言うところ」
 会話の糸が切れたように。一度膨れ、また笑う。そんな彼を前にコーヒーを口にした有理子は、真っ直ぐに注がれる眼差しを、不思議と恐れず受け入れることが出来た。
 それを見越してか、それとも端から考えてなどいないのか。同じくココアで一息付いていた義希がまた、口を開く。
「あいつが話したこと、聞きたくなったらいつでも話してやるよ。…まあ、オレが噛み砕いた感じになっちゃうかもだけど」
 有理子は返答に困って目をそらした。義希は追い掛けて首を倒す。
「オレはお前にも、烈のこと分かって欲しいって思ってる。だから…」
「分かってるわ」
 遮って、向き直り。苦笑した有理子は、取りあえず肩を竦めて誤魔化した。
「気が向いた時に…また、聞くから」
「うん」
 義希は頷く。まるで疑念など抱かずに。
 それが心地よく、窮屈でもあった。それでも嫌な気は微塵もしない。
「…ありがとう」
 独り言のように、無意識に溢れた言葉を聞きつけて、義希は瞳を輝かせる。安心しきったその表情に、有理子も思わず微笑んだ。


 目の前で柔らかく笑う赤を見て、有理子は思う。


 ああ、本当にもう…大丈夫なのだと。





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