当たり前 祭りの翌日から2日ほど。慌ただしかった人の出入りも収まって、のんびりと空を仰ぐ二人の門番。 うち一人が欠伸を漏らす傍らで、もう一人が来客の対応をする。 「ずいぶん大きくなりましたね。上ってくるの、大変じゃないっすか?」 茂達に差し出された帳簿にサインするくれあの横顔に、正宗の軟らかな声が問いかけた。くれあはペンを置いて顔を上げると、肩を竦めてそれに答える。 「そうね。でも、良い運動になるから」 「確かに頂きました。お気をつけてどうぞ」 「ありがとう」 その間にも確認と開門を終えた茂達に会釈して、彼女はゆっくりと三階に向かった。 見送りがてら二人が背後を見上げれば、各階の廊下に並ぶ窓ガラスが容赦なく太陽光を反射する。城門の真上を占める目映いそれらから目を反らし、正宗と茂達は揃ってため息を漏らした。 「あの隊長にあの美人とは、これ如何に」 「彼女が怒るぞ?正宗」 「それとこれとは話が別だ。お前もそう思わないか?茂達」 「妻が怒る」 「あくまでもノーコメントか」 「しかし、身重で毎週、ここまで通ってくる程に優秀なのだろうか?」 「何が?」 「医者以外に何が居るんだ」 「医者っつーと、大臣様かね?」 「あの方が妊婦の検診をするとは思えないのだが」 「ふむ。じゃあ、ボスとか?」 「彼女にそんな特技が?」 「いや、多分無いだろうから…」 「あったら面白そうだとでも言いたげだな。正宗。して、お前の閃きが告げるには?」 「腕とか以前に、仲が良いと見てる」 「なるほど。すると…」 茂達はそう呟くと、今一度首を背後に回す。三階の廊下を横切るくれあの金髪が、光の合間で風に靡いた。 「やっぱり大臣かなぁ…」 「もしそうなら、俺は大臣のデータから女嫌いの項目を削除しなければならんな」 「つまり、オレ達が知らない何かがあると」 「そう言う事だろうな」 そうして二人は空を仰ぐ。その中に浮かぶ答えを探すかのように。 くれあはそんな噂をされている事など知るよしもなく、長い廊下を4分の3進んだ所で右に曲がる。その突き当たりには王座の間があるのだが、彼女はその手前で左に折れた。 両脇を壁に圧迫されたその道の、一番奥に据えられた扉をノックする。 薄暗い廊下に霞んだ声が落ち、続けて足音が近付いてきた。 「いらっしゃい、待ってたぞ?」 僅かに開いた扉の隙間から顔を覗かせて、くれあの微笑を確認した海羽は、彼女を室内に招き入れる。 廊下の延長のように狭まった入り口を抜けると、眩しさに目が眩んだ。この部屋に来ると、いくら覚悟していようといつもそうなる。くれあはなんとなくそれが悔しくて、思わず口を尖らせた。 入り口に通じる通路の右手は壁で、その反対側の壁に当たる部分はほぼ全面が窓になっている。王座の間にはほど遠いが、背の高い窓が映し出すのは、遠く見える城下町。いうなれば、そこは城門の上に並ぶ窓ガラスの延長線上に当たるのだが、幾らか窪んでいるせいで正面からは見えにくい。 光の溢れる光景を横目に、いつものように壁際に据えられたベットの上を陣取ったくれあは、お茶の準備を終えた海羽に視線を流す。 「あら、あなた治ったの?」 「へ?何が?」 診察しようと伸ばしかけた手を止めて、くれあの眼差しを下から見上げた海羽は、瞬きで疑問を訴えた。 「顔よ。顔!何だか前より柔らかくなってない?」 「そう…かな?」 「ほら、ちゃんと笑えてるじゃない!何かあっ……って、あったとしたら一つしかないわよね」 海羽が詳細を語らぬうちに一人納得したくれあは、お腹に手をかざす彼女の赤くなった頬を見て笑みを強める。 海羽は魔法特有の診察を終えると、注意事項を伝えて湯飲みを差し出した。 「順調だな」 「本当、いつ見ても不思議ね。あなたの魔法は」 「そうかな?」 「だって、撫でるだけで分かるなんて…まぁ、私は助かってるけど」 「確かに、よく知らない人には変な顔されることの方が多かったな」 「だから今も外来は受け付けてないの?」 「そもそも僕は医者として働いてる訳じゃ…」 「その方が儲かりそうなのに…ああ、お金は必要ないって話?」 「そう言う訳じゃ…」 「分かってるわよ。真に受けないの」 悪戯な皮肉を慌てて引っ込めて、くれあは海羽の頭に手を乗せる。 「沙梨菜の所、寄っていくのか?」 「今日は行かないの、沙梨菜ちゃん忙しそうだから」 「そうか」 「それに今日は小太郎が早く帰ってくるから、私も早めにおいとまするわ」 「そっか、良かったな?また何かあったら連絡くれよ?」 「分かってる。じゃあ、とりあえずまた来週」 話がてら立ち上がり、廊下に進む二人の影が真っ白な壁に落ちていた。 くれあは去り際にもう一度、海羽の顔を確かめて満足そうに笑う。 「気をつけてな」 「はいはい、ありがとう」 閉まった扉に背を向けて、二人は静かにその場を離れた。 このように、耳の早い門番にすら気付かれない程、海羽の能力は公にされていない。 勿論魔導課に所属するだけあって、海羽が魔法を使えると言う事も、妖精の意思を継いでいると言う事も周知の事実ではあるが、城に所属する者の大半は、彼女が魔法を使っている場面に遭遇したことがないのだ。 それ故に、海羽が治癒や医療に関する知識などを得意としていること自体を知らない者も多い。 同時にそれだけの間、国は平和を保っているとも言えるだろう。 そんな世界で生活していながら、それでも彼女の力を求める者達は、いったい何を星に願ったのか。 片付けられた笹の葉飾りを見上げる彼が吐き出した煙は、雲一つ無い空に偽物の雲を作っていく。 昇り行くそれを気にも留めず、暗がりに立てかけられた飾りに焦点の合わない瞳を向けていた倫祐は、背後に現れた気配に首を回した。 「お前…会ったんだって!?」 ぜえぜえと息も絶え絶えにそう言ったのは、急いで駆けてきたであろう小太郎だ。 城の中庭を右に折れた辺りに集められた、祭りの不要品を片付ける合間。部下に呼ばれて離れたボスを待つ倫祐は、煙草片手に答える。 「まじかよ!で、どうだった!」 首肯も途中だと言うのに食い付いた小太郎から引き気味に、倫祐は煙草に口を付け。そのままパタリと首を倒した。 「だーからっ!顔、変だったろ?あいつ」 右掌を天に向けて問う小太郎に、倫祐の首は尚も傾く。 「は…あ、あー。まぁそれはいい。で、何か話したか?次はいつ会うんだ?っつーかあいつの現状お前がなんとかしろし!」 面倒になった小太郎が、笹の葉飾りの中から自分とくれあの短冊を探し出す片手間促せば、倫祐は徐に首を振った。 「何でだよ!」 小太郎が苛立って振り向くと、倫祐は心なしか瞳を細めて口を開く。 「何で来ないのかしら」 遠く真向かいで沈黙を保つ扉に向けて呟かれたのは、有理子の棒読みにも似た呟きだ。その背後でため息の返答をした沢也は、振り向いた彼女に頬杖で問いかける。 「誰が」 「倫祐」 「何で」 「今なら邪魔者もいないし」 「約束でもさせたのか?」 「違うけど、小太郎が言ってたんだけどな…」 「何を」 「会いに来るって、言ってたって言ってたわ」 口を尖らせ憤る有理子に呆れた息を浴びせ、沢也は尚も問いを続けた。 「海羽はこの前会ったっつってたんだろ?」 「そうだけど。一回会えばそれでお終いってことは、ないでしょう?また会いに来たらいいのに」 「知るかよ」 「って言うかまだ説明出来てないんでしょ?」 落ちたトーンは否応なしに沢也を頷かせた。それを見た有理子は沢也のそれが移ったかのようにため息を吐くと、横向きに座り直して片肘を付く。 現在二人は祭りの後始末の大詰めに追われまくっている最中だ。周囲を取り囲む短冊に託つけた要望書やら勝手に制作されたアンケートなど、主に来年の開催に向けて送り付けられた書類の束を掻き分けて、必要な資料を探し出す。そうして沢也が崩す側から整理をし、不要必要の分別をしていた有理子のこめかみには青筋が浮かんでいた。 しかしながらそれを上回る勢いで血管を浮き上がらせている沢也の仕事の方こそ、急ぐべき内容であることは確かなわけで。お互い怒るに怒れず、書類宜しくストレスを上乗せしているのである。 「あんたがもう少し自由に動ける身だったらねえ。別に倫祐から来てくれなくても大丈夫なのに」 「俺は怪我人か」 「っていうかこれ以上スケジュール詰めたら沙梨菜が心労で倒れるわ…」 「その前に俺が過労で倒れる。っつーか、お前に小言言われるくらいなら今から…」 「沢也くん、急ぎの書類なんですけど見て頂けませんか?」 苛立ちに任せて立ち上がった彼を止めたのは、彼から見て右側に据えられた扉から顔を出した蒼だ。彼の手に握られた分厚い用紙の束を見て、沢也の口から大きな舌打ちがこぼれ落ちる。 「ほうら、やっぱり。あんたがもう少し自由に動ける身体だったらねえ…」 「うるせえ。仕方ねえだろ…比較的自由に動ける深夜は向こうも仕事中。昼間はできるだけ休ませてえし…」 「ああ、そのお話ですか。難なら緊急で呼び出しましょうか?」 頭を抱えた二人に朗らかに提案した蒼は、承諾も待たずに沢也の前に書類を滑らせた。沢也は沢也で返事と同時に目を動かし始める。 「そう直ぐに済む話かよ。もう昼前だぞ?どのみち邪魔が入っちゃ意味ねえし」 「そもそもそこまで暇がないわ」 「分かってんなら早く片付けるぞ。いつまでも祭り気分の馬鹿に付き合ってる場合じゃねーんだよ」 つもり積もった苛立ちが崩れたように早口になる有理子と沢也。蒼は一人苦笑しながら自分の席についた。 「おれ様のことかぁあああぁ」 そこに飛び込んできた小太郎の叫びが、場の空気を見事に散らし、その上に更なるイライラを被せる。 「何の用だ?」 「べっつにー。ちょっとひやかしに来ただけだし」 「テメエ…ただでさえ忙しくてイライラしてるってえのに…」 「ならこれでも見て落ち着けや」 肩を震わせる沢也の前まで早足に歩み寄った小太郎は、苦情を隅っこに追いやって携帯のディスプレイを付き出した。 「写真撮るの忘れててよぉ…危うくくれあに殺されるところだったぜ」 黄色と紫、仲良くならんだ短冊が写し出された携帯を睨み付け、沢也が一言。 「相変わらずだな、お前等は…」 家庭円満、子宝祈願、家内安全、安産祈願、などなどところ狭しと並べられた常套句に、もはやつっこむ気も失せた彼が顔を反らせば、小太郎の不服顔が反撃する。 「お前だって相変わらずじゃねえかよ。折角の七夕ライブだってのに、結局城に引きこもりやがって…」 「当たり前だ。夜には仕事も切り上げなきゃなんねぇって時に遊んでなんかいられるか」 「そりゃテメエにとってはそうかもしんねーけど。沙梨菜がびみょーな顔してたぜ?」 「知るか。いいから邪魔すんな、するなら出てけ。それか死ね」 「誰が死ぬか!これからって時によう」 「あーもー!うるさーい!何なのよどいつもこいつもー!」 ダーン、と。有理子によってテーブルに叩き付けられた携帯は、血相を変えた持ち主(小太郎)によって回収され、何とか無事を確認された。 それによってどうにか収まった場に蒼の困った声が落ちる。 「どうやら、イライラの原因は先にやるべき予定を消化できないことにあるようですね」 「先にやるべき?」 「倫祐への長文説明、及び諸々の解説やら詰問やら」 沢也が疑問に答えると、投げ掛けた張本人である小太郎は押し黙ってしまう。その表情からして、彼のイライラの原因も倫祐であるようだ。 それを察知した蒼が話を促せば、先程城門付近で彼と話をしたと言う。 「会ったっつーから、これで解決かと思ったのによお…あんにゃろう、現状どうにかする気はねえとかぬかしやがって…」 「…何で?理由くらい聞いてきたんでしょう?ねえ」 「笑ってたから」 詰め寄る有理子に、倫祐の顔真似のつもりか真顔で言い切った小太郎は、固まる空気とは逆に表情筋と指先を忙しなくうごうごさせた。 「だからなんだっつーんだよ!んなん当たり前じゃねえか!会ったんだからよ!そりゃ笑うってもんだろ!?」 雄叫びは天井を示す自らの人差し指に向けて。ストレスの半分程をそちらに散らした小太郎が脱力と共に正面に直ると、沢也のわざとらしいため息が迎える。 「確かに、俺らからしてみればそうだな」 「見せてやりたいわね。普段の海羽がどんな顔して…」 有理子が中途半端に言葉を止めるので、小太郎は訝しげに顔をしかめた。振り向くと、彼女は口元に手を当てて難しそうな顔をしている。 「気付いたか?」 沢也がそう問えば、有理子は躊躇いがちに頷いた。一人間の抜けた顔で二人を見比べる小太郎に、仕事の片手間沢也が解説する。 「分からないか?知らなくて当たり前なんだ。あいつが居ない時の海羽を、あいつが見る術なんて限られてるんだからな」 大口を開けて聞き終えた小太郎は、数秒の固まりを持って前髪をかきあげた。 「…そんなん…覗き見でもなんでもさせりゃいいじゃねえか」 「そうですね。しかし、彼女のその様子が一時的なものだと判断されては意味がありません」 「ああ。常日頃、そんな顔してんだって認識させるくらいじゃねーと」 顔は机上を向いたまま。揃って提案を脚下した二人に舌を打ち、小太郎は前髪をそのままに悪態を付く。 「っつーか、そもそもあいつはなんでまた…もしかしてあの海羽のわっかりやすい態度に気付いてないとか言わねえよなぁ?」 「気付いてないに一票」 饒舌な嫌みに挙手で答えたのは、演説の最中に入室した義希だ。彼は重い空気に似合わぬ朗らかさでほわほわと仲間に歩み寄る。 「何しに来たし」 「おいしい匂いに釣られて」 言われてみれば確かに、王座の間の正面にある厨房から空腹を誘う香りが漂っているような気がした。大方海羽とメイドさん達がお昼ご飯を製作しているのだろう。 それはそれとして、鼻だけを昼飯に向けておきながら小太郎は話をもとに戻した。 「ったく…しっかし、気付いてねえにしても、別に秀の言うこと聞く必要なんてねえだろうに…」 「秀の?」 独り言に似た呟きに疑問符を返した義希を筆頭に、沢也や蒼も手を止めてまで小太郎を凝視する。視線を受けた小太郎は、ぐるりと一周見渡して、額にあった手を頭の後ろに回した。 「聞いてねえの?あいつ、秀に城に立ち入るな的な事言われてたらしいぜ」 説明に納得したのか、重なったため息に沢也の呟きが混じる。 「まあ、予想はしていたが…」 「彼の場合、秀さんの言い付けを守っていると言うよりは…」 「秀の言葉に惑わされてんだろうな。あの記事宜しく」 蒼の肩竦めに頷いた沢也は、瞳を見開く小太郎を横目にキーボードを叩いた。蒼も既に資料整理作業に戻っている。 「はぁ?あれを信じこんでるってーのか?あの馬鹿は」 「あの記事って、もしかして婚約云々の…?」 「倫ならあり得るだろう」 驚愕の叫びに続けて義希が苦笑した所で、落ち着き払った沢也のため息が纏めた。 話が途切れたことで出来たおかしな空気。それぞれがもやもやを拡散させる間にも、不要になった書類がワサワサと音を立てる。 早速単純な思考回路を纏め上げた義希が顔を上げると、隣で小太郎のうなり声が上がった。 「ってか、いっつも思ってたんだけどよ。あの秀って奴、一体何がしてえんだよ。海羽に好意があるにしろ、もっとやり方ってもんが…」 「あれがあいつの思う精一杯のアピールらしいぞ?」 小言を遮って答えを提示した沢也に視線が集中すると共に、記憶を呼び起こす為の短い間が訪れる。 「え?あれで?」 「正に小太郎の再来だな」 「お、おう。なるほど」 沢也の皮肉に思わず納得する義希の後頭部に、小太郎のきつい一撃が炸裂した。 「うっせえ!古傷抉んなっつーの」 「おまけに、下らない噂まで流すところを見ると…昔の小太郎くん並の意地の悪さですね?」 「だーかーらー……って、今なんつった?」 頭を掻きむしっていた小太郎が、蒼の言葉を飲み込み終えて聞き直す。 「気付きませんでしたか?」 噂まで流すところを見ると。つまり、倫祐のロボット説を噂にしたのは秀であると、蒼は言っているのだ。 「んなアホなことすんの、ここ最近身近に居るのアホの中でもあいつくらいなもんだろ」 固まる二人の考察を沢也が後押しすれば、ようやく脳が回り始めたのか、彼等は時間差で頷き納得を示す。 「そっか…そう言われてみれば、確かに、なんつーか…」 「根も葉も無さそうでいて、悪意があるって言うんですかね?」 義希の唸りに蒼が苦笑で答えると、小太郎も頷いて同意を示した。 「根回しも早いから広まるのも一瞬だ」 「でも、何で分かったん?」 沢也の舌打ちに感心しつつ、新たな疑問を打ち出した義希はそこで有理子の隣に腰を下ろす。沢也は小太郎と有理子が振り向いたのを認めて、やはり仕事をしながら解説を始めた。 「そもそも民間の間でそんな噂が流れるにしても、せいぜい一ヶ月程度で薄まっていくもんだろう」 「ああ、もう7月だもんなぁ…」 「かれこれ二ヶ月ちょっと、ですか?人の噂も七十五日と言えど。これだけ続いているとなれば、誰かが故意に流している可能性が浮上してくる訳です」 「しかも、暫く見ねえうちに酷くなってるとくりゃあ…んでもって、そんなことして得する奴なんて、限られて来るわけだ」 「んじゃあ裏が取れた訳じゃないんだな?」 「取ろうにも取りようがねえ。そもそも、そんなもん暴いた所で大した罪にもなりやしねえ」 「それならそれは推測のままにしておいて、別のところに労力を使うべき…ということですね」 沢也と蒼、交互に続いたそれが終わると、小太郎や義希の顔が自然と俯いてしまう。 静かな溝に流れてくるのは、和風だしの柔らかな香り。それに惹かれたように、しかし真剣な眼差しを持ち上げた義希が、作業を続ける二人に尋ねた。 「オレ等は、何がしてやれるかな?倫祐は何も言わないけどさ、あんだけ噂されてればきっと…しんどいと思うんだ」 面倒くさそうに顔をしかめたが、小太郎も沢也と蒼を振り向き答えを待つ。沢也は目配せで蒼に一任すると、メールの確認作業に入ったようだ。 書類から義希と小太郎、そして有理子に向き直った蒼は自身の見解を口にする。 「そうですね…。敢えて言うとすれば、普段通りに接してあげてください。そして…けっして、見棄てないであげてください」 揃って目を瞬かせる二人に、回転していた蒼の人差し指がぴたりと向けられた。 暫し思案して、蒼が言わんとしていることを飲み込んだ義希がふんわりと微笑んで強く首肯する。 「うん。そっか。…そうだよな」 「行ってくる」 その語尾に被せるようにして言い放った小太郎が、縦長の部屋の端まで駆けていこうとするのを義希が慌てて呼び止めた。 「へ?どこに?」 「今ならまだその辺に居るはずだ、行ってはっぱかけてくる!」 「葉っぱ!?葉っぱはだめだろ虐めだぞそれ」 「お前は黙れ」 「あんたは黙ってなさい」 「ナニコレイジメー?」 背後から二人にピシャリと言い渡されて、涙目になる義希に構わず沢也が続ける。 「小太郎、てめえも余計なことはしなくていい」 「はぁ?余計ってテメエ…おれ様が折角…」 「はい、貴重な報告を頂けましたので。それだけで十分ですよ」 蒼のフォローに目を輝かせ、納得した小太郎はその場で立ち止まった。 「秀の言葉が理由なら、後は呼びつけるだけでいい。あいつはお前らほど馬鹿じゃねえからな」 「なっ…あ、あんな記事信じる方が馬鹿だし!」 「まあ、ある意味では小太郎の言う通りかもね」 沢也の一言で激昂した小太郎に同意したのは有理子である。常日頃から海羽を気にかけ続けている彼女からすれば、理由はどうあれこの状況は納得できないのだろう。 彼女の膨れっ面を見て、小首を傾げた蒼が必要書類を揃えながらため息を漏らした。 「忙がしさにかまけて、情報交換を怠りすぎたみたいですね」 「いつでもできる、って頭があんのが、そもそも駄目だな」 「これからはどんなに忙しくても、定期的に集まらない?」 「だなー。オレは賛成。丸一日かけて話すれば、それなりに情報もきょーゆーできると思うし」 「お前らの休暇も兼ねてな。くれあも良い気分転換になんだろう」 そうして一周回った同意のパレードに沢也が無情な水を差す。 「まあ、だとしても結局問題は残るがな」 「秀さんですか」 「うげ…そうだった…」 「うー…なんにしても邪魔っけなんな…」 不思議そうな顔のまま硬直した二人が蒼の回答で肩を落とすと、沢也の眉間のシワが数本増えた。 「だからこそ仕事急いでんだが…そうすっとこうやって支障が出る…と」 「兼ね合いが大切と言う事で。このままでは堂々巡りですから」 そう言って蒼が締めくくると同時。真っ白な扉がバターンと開かれる。 「大臣さーん、追加のアンケート、こちらで宜しいですか?」 腰から頭の天辺までが紙の山に隠れてしまってはいるが、届いた声からして入室したのは八雲だろう。長身の彼が埋まる程の量を前に目を細めた沢也は、静かに立ち上がると民衆課のある方角を指差した。 「いっそ全部燃やせ」 「それが出来ればとっくにしてます」 「国民の声は無下に出来ませんからね」 妙なテンションで答える八雲と、妙に真面目に釘をさす蒼と。二人に苦笑した沢也は諦めて部屋の隅に指先を移動する。 「ってか義希、仕事は?」 「お前こそ、くれあは良いん?今日七夕の埋め合わせじゃなかった?」 「っていうか暇なら手伝いなさいよ」 「みんなー、ご飯できたぞ?」 「わあ、では休憩と言うことで…私はこれで」 「逃げるな八雲。行くならその山も持ち帰れ」 「民衆課は既に紙の雪崩が始まっていますから」 「此処も時間の問題ですね」 「シチューやスープにしなくて正解だったな」 「そう言う問題か?!」 わやわやと、集まりながらも遠ざかるのは、逃げるようにして食堂に集まる仲間の背中。 残った沢也は、同じく動こうとしない蒼に向けて呟きを落とす。 「当たり前のことが、当たり前でなくなってくると…」 「気付けることも、気付けなくなってしまうものですね」 「正念場か」 「ですね」 今日の平穏な昼食を諦めた二人が見据える先には、それよりも平穏な毎日が。 いつ訪れるとも知れないけれど。 それでもけっして諦めたりはしないと。 彼等は今日も机に向かう。 当たり前に。当たり前に。 cp14 [Milky Way]← top→ cp16 [恋唄] |