ありがとう


 初じまりはほんの小さな歌声だった。

 二年前。街を復興する為に有志で集まってくれた人達と一緒に、風化した煉瓦を剥がし、土をならし、また新しい道を作っていく……そんなウキウキする作業の合間。ほんとに何となく、いつもそうしているように口ずさんだ一小節の歌が、奇跡的にみんなの胸に届いた。

 それが切欠で、あたしは今もこうして歌を歌い続けている。

 自分の歌で休憩中の一時が盛り上がるのなら、そう思ってリクエストを提案したのが、初めて反応を貰った次の日の事。
 日に日に増していくリクエストに答えてるうちに、誰かがチップをくれるようになって、誰かがファンクラブのようなものを結成してくれて、そのファンクラブがそのまま現在のプロジェクトメンバーになって、また新しくファンクラブが出来上がって…今に至るわけ。
 そんなトントン拍子に事が運ぶと怖くなるよね。実際、計画の途中で沢山の困難に出会ったりもしたけど…今となっては、それも良い思い出。苦しかったことも楽しかったことも、全部引っくるめて今があるんだって、そう思うの。

 最初はね、ただ誉められた事が嬉しかった。次にあたしなんかでも、誰かの役に立てたら良いなって思うようになった。
 今はね、みんなに感謝してる。あたしの歌を聞いてくれる全ての人に。あたしを支えてくれているみんなに。

 だからあたしは、これからも歌を続けたいと思う。
 誰かのために、そして自分の為に、歌っていられます様に。




「うをおおのぉれえええええ!あんっっっっっなに可愛い沙梨菜ちゃんを無下にするとはあああ!」
 街の入り口であり橋の出口でもある位置から数百メートル。グラスグリーンの芝生が生い茂る殺風景な広場に集まる複数の人物のうち、鉢巻きとハッピを着込んだ男たちが輪になって唸りを上げる。
 例年より遅い梅雨明けに安堵したように晴れ渡る空のもと。王都ブロッサムは現在、数日後に迫った七夕祭りの準備に追われていた。
 彼等が羽織るピンクのハッピの背中には、でかでかと可愛らしい文字で沙梨菜の名前が…更には愛だとか命だとか、それっぽい文字が刻まれている。
「あんの鬼畜大臣、許せん!」
「っつーか、あの沙梨菜ちゃんからの好意を受けている時点で許せるわけもない!」
「そうだ!良く言った兵長!」
「そのくせ何時になく許すまじきあの鬼畜な態度……」
「毎度毎度見るたびに…いや、話に聞いただけでも許せんが、こう何度も目の当たりにすると……」
 薄いピンクの鉢巻きを巻き付けた額を寄せ合いぐるりと円にして、こそこそとそこまでを話していた面々のうち一人が、握りこぶしと共に垂直に直った。
「次こそは…次にそうなった暁には、ガツンと一発いってやる所存である!そうだろう同胞よ!」
「さーいえっさあああああ」
「親衛隊の名に懸けてぇぇえ」
 妙な気合いの籠った掛け声は、橋を渡る人々の頭上にクエスチョンマークを浮かび上がらせたが、彼等にはそんなもの取るに足らない出来事らしい。周囲の視線も気にせず、どこぞのスポーツチーム顔負けのファイトを注入しあった沙梨菜親衛隊の十数人は、広場の反対側に設営中のステージに目を向けた。
 かなり遠目にではあるが、そこでは打ち合わせ中の沙梨菜と沢也のいつものやり取りが見て取れる。
 親衛隊メンバーは、そんな二人を羨ましくも憎々しい眼差しで眺めている最中と言うわけだ。

 そもそもこう言った場に沢也自らが赴く事など無いに等しいのだが、今回は「通り魔事件」などの影響もあって、近衛隊との入念な打ち合わせをした上での警備をすることになったらしい。現在、ステージ前では沙梨菜関連のイベントに滅多に絡むことがない沢也を筆頭に、補佐の有理子や近衛隊長三人、更には近衛隊数人を巻き込んでの現場検証が行われている。
 それはそれとして、日頃から沙梨菜を応援する立場の親衛隊メンバーは、彼女の片想いですらも応援することが出来ることを条件に集められた精鋭部隊のようなものであり、いくら沙梨菜の想い人とは言え…いや、想い人だからこそ、あろうことか沙梨菜のコメカミに銃口を突き付けるようなことなど、見過ごせる訳がないのだった。
「さあ、沙梨菜ちゃんに次に何かしてみろエセ大臣…」
「この限定仕様沙梨菜ちゃんペンライトの錆にしてくれる……!」
 めらめらと燃える炎を背景に、円陣を組んだまま熱い眼差しを注ぐ親衛隊メンバー。
 じりじりと、隊形を崩さぬまま。
 沙梨菜といろんな意味で憎むべき沢也の居る方へと進んでいた彼等を寒気が襲う。
 その瞬間、数十メートル先に佇む打ち合わせ中のメンバーが一斉に親衛隊を振り向いた。
「テメエ等……それ以上騒いだら殺すからな」
「は……い、いえっさ!」
 言わずもがな不機嫌な沢也の一言で、親衛隊の背後の炎がすり変わるようにして氷になったのは言うまでもないだろう。
 初めそろそろ中ダッシュ、あっと言う間に対岸まで走り抜ける親衛隊を、慣れきったメンバーの和やかな空気が見送った。
「毎回この落差が面白いのよね、あの人たち」
「お前はそれが見たくて付いてきただけだろ?」
「あら、バレてたの?」
 軽快に笑う有理子の言葉に溜め息を浴びせた沢也は、にべもなく笑う彼女を見て舌打ちを追加する。
 遠巻きに眺めつつも縮こまり、「八つ裂きにされる…」だの「氷付けになる…」だのと震え上がる親衛隊の声を聞きつけてしまっては、義希と小太郎も苦笑いせざるを得ない。
「まぁ、八つ裂きにされちゃ困るからこの辺にしとくわ」
「ほんと…沢也には強いな……お前…」
 にへらっと話を流す有理子を怯えた目で見つめる小太郎が、義希に脇腹をつつかれて慌てて口をつぐむ。
「脳みその割合頭の面積1%未満のクソ隊長、無駄な話をしてる暇があんなら、俺の指示を一つでもまともに覚えやがれ」
 どす黒い渦と共に放たれた皮肉に怯えつつ、ささっと手を挙げたのは小太郎に横髪を引っ張られた状態の義希だ。
「オレは北側!」
「おっ…おれ様は南側」
「で、あたしが東でこいつが西、と」
「正確には崖側全域が倫祐だ。小太郎は倫とボスのサポートもこなせよ?」
「わーってる」
「あたしは義坊のサポートだな?」
「そうなるな、悪いが頼んだ」
「沙梨菜はー?何か気を付けることとか……って言うか沢也ちゃんは来ないの?」
 サラサラと流れていた会話の糸をブツリと切断した甲高い声の主を、ギギギっと嫌な効果音付きで振り向いた沢也がうんざりも籠めて睨み付ける。
「知るか、消えろ、ついでに死ね」
「わー、ほらほら沙梨菜ぁ、昼行こう?な?」
「えー、でもぅ…」
 恐れおののいた義希が沙梨菜の腕を引くが、彼女にはまだ渋る余裕すらあるようだ。目の前を埋め尽くす勢いで広がる黒い渦を横目に、小太郎も沙梨菜の襟首をひっ掴む。
「いーから早く行くぞ!くれあも待ってるし。沢也にはちゃーんと餌を与えるよう言ってあっからよ」
「そうそう、これ以上沢也の機嫌……ごほん、仕事の邪魔しないようにするためにもさ…」
 反論の隙を作らない隊長二人の連携を見ていたボスが、笑いを圧し殺して一言。
「必死だな」
「どのみちどうにもならないとは思うけどね…」
「暴動が起きたら止めるのはおれ等なんだっつーの」
 あっけらかんと呟く有理子が見詰める先に気付き、小太郎がボソボソと不満を漏らす間も、沙梨菜の視線は一ヶ所に固定されたまま。
「ねえねえ沢也ちゃーん」
「仕方ないわね。ほら、沙梨菜。ご飯はちゃんと与えるから、安心して行ってきなさい?」
 そう言って有理子が頭を撫でると、彼女はやっとのことで義希の誘導に従った。
 三人が昼食に向かうのを見送った四人の中で、最初に深い溜め息を吐き出したのは勿論沢也である。
「どいつもこいつも餌だの飯だの……俺は何処ぞのペットか」
「そう?ペットなんて可愛らしいものじゃないでしょ?」
「猛獣だとでも言うんだろ?」
「流石エスパー、お見事だわ」
 有理子の笑顔が贈る乾いた拍手と棒読みに、口元と眉をひきつらせた沢也が銃を突き付けた。
「お前もいっぺん死んどくか?」
「あーら、だって。まともにご飯も食べないで仕事の鬼になってるのは本当でしょう?猛獣も鬼も大差ないじゃない」
「うるせえ。鬼だろーが獣だろーが、そんなもんは関係ねえんだよ。これ以上打ち合わせの邪魔してみろ?蜂の巣にしてやる」
「まあまあ、大臣も補佐官も落ち着いて。それより、設営に邪魔なのはどの木だったかい?」
 何時もは強気のボスが困ったように宥めると、沢也は舌を打って目頭を摘まむ。そして眼鏡を掛け直すと、指先で進行を促した。
 ステージの丁度裏側、舞台袖の部分に当たる防風壁ギリギリの位置に佇む一本の木。遠目にもはっきりと見てとれるそれは、今にも壁と同化してしまいそうな程の成長を遂げていた。
「こりゃまた立派だなぁ」
 見上げるボスが目を細めれば、一息付いて沢也が振り返る。
「倫」
 呼ばれた彼は一つ頷くと、指輪から剣を抜いて刃を返した。
 沢也とボス、有理子までもが後退したのを確認し、倫祐はふっと空を仰ぐ。そして。
「お見事」
 ボスが思わず感嘆を漏らす速業で、木の根を囲う土ごとV字型に掘り起こした。突然の事に驚いたかのように揺れた木は、壁に支えられるようにして動きを止める。
「これなら環境課の難問もあっちゅー間に解決するかもしれん」
 沢也は待機していた作業員に木の運搬を依頼して、顎を擦りながら頷くボスの横に並んだ。
「防風林の植え替え作業か」
「ああ。それともう1つ」
「古民家の解体作業だろ?撤去には人手が必要だが、こいつにかかれば解体は一瞬だ」
「しかしリサイクルは?」
「勿論可能だ。知り合いに大工が居てな、効率的な解体法を教わったんだと」
 ほうほう、と納得を見せるボスの脇から覗くのは、怪訝そうな有理子の顔。
「いつそんな話したのよ?」
「門松の方から聞いたんだ」
「ああ、なるほどね」
 無言を貫く倫祐の脇腹をつつきながらジト目を注ぐ彼女に、沢也の複雑な溜め息が注がれる。
 さてどうしたものかと、彼を連れて場を抜ける隙を窺っていた沢也が口を開くよりも早く、ボスがパパンと手を打った。
「そいじゃあ、パパーっとやっちまおうかね」
 言うが早いか倫祐の腕を掴んで引き摺っていく彼女を止めることも出来ず、沢也は有理子から目をそらす。
「あ、ボス。良かったら、これ」
 有理子も諦めたのか、それとももとから話す気など無かったのか、離れ行くボスにカラフルな紙の束を差し出した。
「短冊か。いいねぇ、久方ぶりに書いてみるか」
「ほら、倫祐。あんたも」
 手に握られた束の中から赤とオレンジの二枚を抜いたボスの隣、ぼんやりとそれを見下ろす彼の前に、有理子は短冊を滑らせる。倫祐は一度瞬いた後、一拍置いて手を伸ばした。
「書いたら、例の場所ね?」
 一枚、確かに抜き取られたのを目視して、有理子は笹の葉飾りの設置場所を指し示す。味気の無い真っ白な四角は、有理子がそう言い終えると同時に彼の指輪の中へと消えてしまった。




 ダイニングテーブルにもっさり盛られた昼食は、色とりどりの星たちで飾り付けられている。
 パプリカピーマンにーんじん、ついでにキウイやパパイヤまでもがくり貫かれてきらきらと輝く様に、招かれた二人及びその家の主人が目を点にしていた。
「いらっしゃい、ゆっくり休憩していきなさいな」
 くるりと笑顔で振り向いて、食材宜しく周囲に星を撒き散らしたくれあは、ふわふわうふふと三人に歩み寄る。
「お…おい、くれあ…これ……」
「ふふふ、じゃーん♪星の形抜きー☆」
 青冷める小太郎の目前に突き付けられたのは、特に珍しくもない、在り来たりな銀色の形抜きだ。妙なテンションでそれを振り回す彼女と、白くなりつつある小太郎を見て、義希が慌ててつっこんだ。
「くれあさーん、七夕まだまだ、あと3日あるからぁああ」
「あら、そんなこと分かってるわよ。それともなぁに?七夕でもなければこの形抜きを使ってはいけなくて?」
「いや…そーんなことは…ないけども……」
「でも流石に多いかなぁ?ねえ、大食いに定評のある義希さんー?」
「まぁ…喰えないことはないだろうけど…時間がなぁ…」
「そーゆう問題かぁあぁあ!うちが破産するわぁああ」
 と、復活した小太郎が盛大に〆た所から昼食会が開始される。
 この時期になると本島からも人が集まり始め、至るところで軽食及び座る場所の争奪戦が行われる事を懸念して、予め買いだめをしていたくれあが小太郎に提案し、本日開催と相成ったこの昼食会。
 屋台やら何やらも普段より増えているにも関わらず、何処へ行っても並ばなければご飯が食べられないなんて…と連日不貞腐れていた義希もご満悦の様子である。
 何だかんだで空腹の三人が、ガツガツと料理を貪る様子を満足気に見詰めながら、くれあは小太郎の胸ポケットからメモ帳を抜き取った。
「まだまだ終わらなさそうね?」
「まあな、設営だけならまだしも、ついでの補給やら空き巣対策やらやることなんぞ山積み状態だし?」
 汚い字で綴られているにも関わらず、殆どが消線されていない箇条書きを瞬時に読みといて訊ねる彼女に、小太郎がため息で答える。
 その隣でゴクリと音を立てて食料を飲みこんだ義希が、脳内のメモ帳から曖昧なスケジュールを堀り当てた。
「小太郎、今日は通しだっけ?」
「そ。お前は城の方の手伝いもあんだろ?夕方には上がっとけよ」
 そうだったー、と有理子に頼まれた用事を思い出して項垂れる義希の頭を撫で、沙梨菜がぺやっと提案する。
「じゃあくれあは沙梨菜んとこおいでよ?一人じゃつまんないでしょ?」
「あら、沢也くんは放置でいいの?」
 何気ない茶化しに珍しく固くなる三人の顔を、瞬きをくりかえすくれあが見渡した。
「あの野郎も忙殺されてっからな…」
「正直、今日会話できたのが奇跡に近いよねー」
「ここ数日ガン無視だったもんな?」
「ま、ただでさえ忙しいってのに、よりによっての沙梨菜のイベントにまで首突っ込まされちゃあなぁ」
「でもなぁ、沢也のことだからそうでもしないと、部屋に隠って出てこなかったろうし…」
「なあ?アホだろ?折角の祭りだってのによぉ」
「じゃあ、蒼ちゃんには感謝しなきゃだね?」
「そう言う蒼は、今年も祭には参加できるの?」
 和やかに纏まった会話に質問を投げ込んだくれあは、会話の最中義希の手から受け取った茶碗にご飯を山盛りにする。
「ああ、去年同様」
 小太郎が当然のように頷くのを見て、山盛りご飯を崩しながらも義希が驚愕した。
「うっそ…まじで……?大丈夫なん…?」
「大丈夫大丈夫、お忍びってやつだよ♪」
「時々変装して街に出てんだとよ。おれ等の知らん間に」
「運が良ければ会えますよ、なーんて言われちゃってるわけだけど、沙梨菜もまだ見たことないんだぁ」
「へー…そうなんだぁ…」
「だからお前も気を付けろよ?」
 開けた大口にそのまま白米と唐揚げを放り込む義希の首傾げに、小太郎が箸の先を向けて忠告する。
「失態を目撃されねーように」
「それは大変。なかなか厄介だこと」
 想像して頬袋を作ったまま青冷める義希に、小太郎とくれあの苦笑が注がれた。


 そんな噂をされていた事など当人たちは知るよしもなく。


 数時間の時を経て打ち合わせを終えた沢也の帰宅を迎えたのは、何処と無く意地の悪い蒼の微笑であった。
「お疲れ様です。楽しまれたみたいですね?」
「どの口が言いやがる。この腹黒大魔王」
「わー、これはまた強そうな称号、ありがとうございます」
「嬉しそうにしてんじゃねえ」
「それはそうと、問題は解決しそうですか?」
「そもそも問題ですら無かったことを無理矢理問題としてねじ込んできた奴等を抹消すればなんの問題も無くて良いと思うんだが?」
「親衛隊の皆さんにはいつもお世話になっていますし、先の事件のこともありますから、彼等の言い分も尤もだと思いますよ?」
 またか……と、沢也は思う。今日こうして出かける羽目になったのも、何だかんだでいつも言い負けるのも、この凄味のある笑顔のせいなのだ。そう勝手に結論付けて、彼は殊更大きな溜め息を吐く。
「あーあ。どうして通り魔の被害者が善良な市民ばっかで、あのオレンジ頭は無事なんだ?」
「何を分かりきったことを。貴方が此処に隠りきりなんですから、当たり前じゃないですか」
「それはなんのブラックジョークだ」
 この話題に関しては何を言おうと無駄だと分かっていながら、悔し紛れに呟いた自分を呪いつつ、沢也はぎりぎりとこめかみを押さえつけた。
「それはそうと、お姉さんへの御祝いはきちんと渡して下さいましたか?」
「ああ、朝のうちに。悪かったな、気ぃ使わして」
「いえ、それなら良かったです。早ければ夜にでも届くかもしれないですね?」
「さっき届けてきたっすよ!」
 ばたこーん、と開け放たれた扉から会話に飛び込んできた門松が、その騒々しい登場の仕方にも慣れきってしまった二人に頭を掻いて見せる。
「おかげでちょいと遅刻しちまって、悪かったっす」
 悪びれもなくそう言って、テクテクと沢也に歩み寄る彼は待ちきれないと言った具合に、長過ぎるフロアの途中から何かを持った手をぐいっと伸ばした。やっとのことで到着した門松に無理矢理押し付けられた封書を横目に、沢也は口端をひきつらせる。
「…何だよ、これ」
「義弟くんに届け物。姉さん二人からっすよー」
 にかっと白い歯を見せて親指を立てた門松。彼が言い放ったように、現在の沢也と門松は義理の兄弟に当たるのだから、世の中どうしてこうも狭いものかと、その不可解な境遇に沢也は思わず頭を抱えた。
「式は挙げないと仰ってましたよね?」
「そっす。身内だけでやるにしても一般の会場じゃ狭すぎるっすから」
「身内もクソも、主にお前の仲間だろ?」
「何言ってるっすか。今は咲夜さんの仲間でもあるっすよ」
「それはノロケか?」
「いいからいいから、早く開けて下さいよ。反応を報告するよう命令されてるんすから」
「早くも尻に敷かれやがって」
「そんなのはじめからっす」
「どや顔で言う台詞か」
 長年漫才でもしてきたかのような会話の後、溜め息と共に妙に分厚い封書を破った沢也の顔色が、一瞬で悪くなる。
 二つあった封筒の中にはどちらにもそれなりの枚数の札束が、それぞれの差出人からの有り難いお言葉付きで収まっていたのだ。
「しっかりやれ。利子の代わりに彼女への良い返事を所望する」以上が左弥から、そしてこの度門松との結婚を決めた咲夜からは「なけなしのお金だからね?無駄遣いしやがったら許さないから。あと沙梨菜ちゃんと仲良くしなさい、ってゆうかー、いい加減素直になれば?^^」と、最近お決まりとなってきた煽り文句を見て、沢也の指先が震え始める。
「勘弁しろ…頼んでねえぞ」
「リーダーに依頼してたじゃないっすか。ちょろっと話したら直ぐに用意してくれたっすよ!良いお姉さん方で良かったっすねー」
「この真性のお喋りが!その口縫い付けてやろうか?」
「まあまあ、折角の好意なんすから大人しく受けて下さいっす。じゃないとおれが殺されちゃうんで。ああ、あとリーダーから、正式な書類も預かってるっす」
 様々な抗議の念を籠めた眼で門松を睨め付けながらも、沢也はなんとか言葉を飲み込んだ。そして受け取った書類を横目に小さく舌を打つ。
「詳細か…口頭でよけりゃ今すぐにでも」
「残念ながら記憶できる自信が皆無っすね」
「なら後でメールする」
「伝えとくっす」
 すちゃっと敬礼し、蒼が用意した封書を全て鞄に納めた門松は、そのまま騒がしく去っていった。
 始終笑いを堪えて二人のやり取りを見守っていた蒼は、門松の姿が見えなくなると同時に沢也にコーヒーを手渡す。沢也は黙ってそれを受けとると、同じく何も言わない蒼を見上げて瞳を細めた。
 山と積まれた書類越しに肩を竦めた彼は、自分のカップにティーポットの中で抽出されきった紅茶を一滴残らず注ぎ入れる。
 沢也が蒼の意図に気付いたのはその数十秒後。
「さーわーやーちゃーん!」
 ばたこーんと飛び込んで来たのは何時もの声。オレンジ頭がトテトテと、オレンジの尻尾を靡かせながら寄ってくる様子を見た沢也の口からは、長すぎる溜め息が吐き出されている。
 沙梨菜は長い室内をやっとのことで縦断すると、沢也のデスク脇に積まれた書類を避けて沢也の真横に取り付いた。
「沢也ちゃん、夕飯ちゃんと食べた?食べてないんでしょ?ねえー」
「うるせえ…こいつ何とかしろ。でなきゃ今すぐ殺す」
「まあまあ、沢也くん…そろそろ夕飯にしましょうか?」
「そーだよう!ごはんごはーん♪沙梨菜もお腹すいたぁ!みーうちゃーん♪」
「分かったっつーの!いいから、ほら」
 耐えかねて話をぶったぎり、沢也は沙梨菜に掌を見せる。首を傾げて瞬く彼女に、彼はぶっきらぼうに棒読んだ。
「売上寄越せ、先月分。ついでに貯金も」
「ほんと!?使ってくれるの?」
「訳アリだ。客には黙っとけよ。んで、数年後に耳揃えて返す」
 中腰からガタリと立ち直り、瞳を輝かせる沙梨菜から目線を離した沢也の表情は、思いの外険しい。それでも沙梨菜は嬉しさを隠しきれず、頬が緩んだまま口を尖らせた。
「別にいいのに。寄付ってことで」
「客が納得しねーだろ。ただでさえ、王族直営のプロパガンダだなんだってうるせえのに…」
「愛を叫ぶプロパガンダですか、そう悪くはないですよね?」
 のほほん、と効果音が付きそうな表情でそんなことを抜かす国のトップに、沢也の目から様々な意味の籠った視線が送られる。
「そう睨まないで下さいよ、あなたが言いたいことは分かっているつもりですから」
 プロパガンダは元より、アイドルで金を稼ぐ国家、だの。大臣を崇拝するアイドルで国民を洗脳、だの、スキャンダラスなタイトルの記事が出回ってしまっては、それはもう頭が痛くなるのわけで。そしてそれは蒼自身も例外ではないのだ。
 彼は未だ沢也から離れない彼女を、長テーブルの椅子に座ってちょいちょいと呼び寄せる。そして、耳元でこそりと囁いた。
「何処ぞの馬の骨に、あなたのファンをお城のお財布呼ばわりさせる訳にはいきませんから、沢也くんの言う通りにしておいて下さいね?」
「そっか、分かったよ」
 あっけらかんと頷いて、笑う沙梨菜に肩を竦め。蒼はふいっと人差し指を立てる。
「沙梨菜さん、そう言えば今度新曲のレコーディングがあるんでしたよね?」
「うん♪お祭りの後だけどね。今回は凄く良い歌が書けたのー☆でも、なんで?」
「実は少しお願いがあるんですけど」
「うん、いいよ?なあに?」
「ついでと言っては難なんですが、知り合いの為に一曲お願いできませんか?」
 首を倒す沙梨菜に、回していた指を止めた蒼が差し出したのは音楽データの記録媒体、そして曲目リストだ。彼女はそれを受け取りながら、逆の手でVサインを作る。
「まっかしてー♪」
「お代は後程、僕の方から」
「えー、お金なんていらないよ?」
「お金以外でしたら、どうですか?」
 お互い逆側に傾けていた首を垂直に直し、チラリとデスク上の書類の合間を盗み見た。恐らく、聞こえていたのだろうが、返ってきたのは溜め息だけ。蒼は沙梨菜に顔を寄せ、更に声量を落とす。
「取引成立ですね?」
「へへ、ありがとね。蒼ちゃん」
「こちらこそ」
 そこまでを最小限の音量で交わし終えた二人は、同時にふうと一息付いた。
 沙梨菜は姿勢を直して敬礼し、二人に向かって宣言する。
「そいじゃ、くれあを迎えに行ってくるねー♪ご飯までには戻るから!」
 てへぺろっな突然の発言に、無視を決め込んでいた沢也も黙っていられるはずがなく。
「はぁ?なんだよいきなり……勝手に連れてくるな。お前が向こうに泊まればいいだろ?」
「エー、それだと小太郎が帰ってきた後は三人で寝なきゃいけなくなっちゃうよぅ」
「知るか」
「まあまあ、良いじゃないですか。いって来てください、沙梨菜さん」
 いつも通りの流れをにこやかに宥めた蒼に肩を竦め、沙梨菜は来たとき同様テトテトと入り口に走っていった。
「いってきます、蒼ちゃん」
 手を振る蒼ににっこり頷いて、彼女は扉を潜り抜ける。


 城を後にした沙梨菜の鼻を擽るのは潮風の香り。同時に耳に届いたのは、街から流れてくる賑やかな音。
 忙しなく、しかし和やかに進む宴の準備は、夕刻を迎えた今も途切れることはなく。
 祭りの空気は、もうすぐそこまで迫っているのだ。
「くれあがああなるのも分かるなぁ…」
 ふふふ、と独り言を漏らして、それをそのまま鼻唄へと変え、沙梨菜は一人街に向かっていく。
「去年はもっと、大変だったからなぁ」
 義希も倫祐も居らず、二回目とは言え国の運営も軌道に乗っていなかったのだから当然と言えば当然なのだが。それでもなんとか開催まで漕ぎ着けたのは、街の人たちの力があってこそ。そのことはみんながみんな理解している。

 そうしてくれあの家まで行く途中、彼女は見上げる高さの笹の葉飾りの前を通る。
 夜になりかけの空に向けてゆったりと伸びるそれを仰ぎ、沙梨菜はきょろきょろと首を動かした。
「良かった、ちゃーんとあるね♪」
 一点を凝視して、嬉しそうに頷く彼女の視線の先にあったのは、ピンクに似た赤色の短冊。
 沙梨菜の名前の横に書かれていたのは、「ありがとう」の大きな一文だった。
 去年の彼女が短冊に書いた願いは叶い。
 彼女は今も、歌を唄い続けている。
「だから、ありがとう♪」
 小さく言い直し、沙梨菜は空に浮かぶ月に微笑む。
 雲の上から見下ろす月達も、同じように微笑んだような気がした。





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