file9"報告書:第一"





 
 リーダー来訪の翌日。
 沢也は自ら本島に飛んで、秀の部下を聴取してきた。と言うのも、秀と同じ空間に置いておくのは、いくら壁越しとは言え危険だと判断したからだ。具体的に何がとは言えないが、何かあってからでは遅いのだから、安全そうな方を選んでおくのが正解と言えるだろう。
 結論から言えば、監視カメラに映っていた秀の部下は書類送検された。暫くはお天道様の下を歩けぬ生活を送ることになるわけだ。キメラ製作に関与していた事を、認めざるを得なかったのである。
 沢也は城に帰るなり、秀に全てを報告した。秀本人がその男と面識がある証拠も提示した。
 しかし彼は案の定、「それが何だ!」と言い捨てる。その額には汗が滲んでいた。

 この先秀がどう出るかは分からない。しかし幾つか考えがあった。

 沢也と蒼は、その幾つかの考えが何時でも実行できるよう、直ぐに手回しをする。
 一つ、海羽の部屋の守りを強固にすること。これは既に半分が済んでいる。後は咲夜の手を借りて、常時発動できる省エネ仕様のバリア装置を作るだけだ。それと海羽本人のバリアがあれば、秀がどれだけ暴れようとも、あの部屋には辿り着くことなどできやしない。
 二つ、秀の部下の全てを念入りに事情聴取すること。
 一人の逮捕者が出たことで、疑心暗鬼になっている彼等の話を良く聞き、現状を包み隠さず話すこと。逮捕者を増やすことよりは、こちらへの信頼を少しでも増やしておこうと言う算段だ。
 三つ、秀の生家を密かに観察すること。秀の家は秀による予想外の被害から火消しに追われているが、恐らく上司である聖からは、秀を切り捨て海羽を味方に付ける新たな作戦に着手するよう言われている筈だ。保身よりも本来の役目を果たせと、彼ならば言うであろう。それにより、秀の父親と義理の兄がどう動くかどうか、見ておかなくてはならない。
 四つ、常に世間の流れを把握しておくこと。義希や小太郎、沙梨菜の耳と目を頼りに、時には新聞やテレビ、ラジオなどのメディアも利用して、今回の事件への関心等を調べておく。少なくとも事件が解決するまでは、知っておいても損はない。
 秀の方はそれだけで済ませるとして。

 後はもう一つの心配事……乙葉の方だ。
 結婚式前後の動きからしても、そろそろ本格的に仕掛けてくる事は間違いないだろう。問題はどうアプローチしてくるかだ。
 乙葉を引き入れるにしろ、使い物にならなくするにしろ、海羽の時とは勝手が違ってくる。
 乙葉本人には何の力もない。ついでに蒼に嫌悪感を抱いている。こちらが唯一信頼できるのは、彼女の正義感と愛国心。それくらい、この城の者と彼女は付き合いが浅い。まだ一年も一緒にいないのだから当然だ。
 対してあちらは引き入れに失敗してしまえば、遠慮なく壊しに掛かることが出来る。唯一の心配はメディアや世間の目ぐらいなものだろう。
 さて、どう対処するべきか。
 一番良いのは勿論、蒼にべったり張り付いていて貰うことなのだが。


「城の中でそんな危険があるとは思えません」
 開けっ広げて説明した結果、乙葉からの第一声はこれだった。
 セキュリティ付の扉の向こうに居さえすれば問題ないのでは?と、暗に瞳が語っている。
 沢也は隣の蒼に目配せして、大きく長い溜め息を吐いた。
「なら、お前は何があろうとあの区域から出ないんだな?」
「そうは言っていません。会議や業務で城内を歩く程度なら、問題にはならないと思うのです」
「その会議にやって来る貴族に狙われるんだぞ?」
「城内でどのようにして事件を起こすのですか?貴族が直接手を下すとは思えません。しかもお城の中となれば、逃げ場は殆ど無いでしょう。それとも、裏切り者がいるとでも?」
 淡々とした持論を聞いて、沢也は片目を歪めた。
「意外と無いんだな」
「何のお話ですか?」
「危機管理がなって無いって言ってんだよ」
 ハッキリとそう言われ、乙葉は二度ほど瞬きをする。沢也はその間にカップを煽り、空にした。
 長テーブルに向かい合って座る二人と一人の前には、それぞれコーヒーと紅茶が置かれている。蒼と乙葉のカップは、まだ温かい紅茶で満たされていた。
「例えば俺なら、城内で堂々と殺しておいて、城の人間に罪を擦り付ける。貴族ならそれくらいやっても、まあ逃れられるだろうからな。なんたって利害関係で動く味方が山といる」
 沢也はコーヒーメーカーに歩み寄りながらペンを回す。乙葉はその仕草と声色に引かれるまま、目だけで彼の背中を追い掛けた。
「そう簡単に犯罪が許されるようなセキュリティなのですか?そちらの方が問題では?」
「ここの要人は貴族共より強いからな。銃だろうがナイフだろうがフォークだろうが、使う前に押さえ込むくらい訳ない。リスクを犯してまで事務員を殺すほど、あっちの頭も悪くないだろうし。大した問題ではなかったんだ。今までは」
 帰りは書類をひらひらさせながら、沢也は静かに席に座る。そのまま少しコーヒーを飲むと、乙葉もカップを手に取った。
 持ち上げて、口をつける。その瞬間、彼女の顔色が変わった。
 沢也は口元を緩めて、僅かに肩を竦める。
「甘いだろ?」
「はい。とても」
 いつの間にやら砂糖が追加されていた事は、味をみれば明らかだ。乙葉はずっと沢也を見ていたのだから、彼の仕業ではない。
 チラリと横目に蒼を見据える。彼は何時もと変わらぬ様子で、暢気に紅茶を飲むばかり。
 視線に気付いたのか。いや、今気付いた振りをしたのだろう。蒼がティーポットを乙葉の方に滑らせた。乙葉はそれを渋々受け取って、カップに波々追加する。
 これが砂糖でなく、毒だったとしたら。確かに自分は死んでいたと、改めて自覚して。
「分かりました。確かに私には、自衛手段がないようです。大人しく指示に従いましょう」
 スプーンで砂糖を撹拌しながら、乙葉は静かに承諾した。

 その日から、特殊セキュリティシステムの外側限定で、蒼と乙葉はセットで行動することになる。
 蒼も最初こそ懸念したが、致し方がないと直ぐに折れたのだ。何しろ倫祐が起きるまでは、蒼が一番強固なボディガードなのだから。
 有理子や沙梨菜では毒にまでは対応しきれないだろう。だが、長いこと危険に身を置いてきた蒼は違う。少しの動作で相手の意図を汲むことが出来るし、少しの動作でその意思を削ぐことも出来る。
 沢也でも出来ないことはない。しかし結婚式を終えた今、沢也と乙葉が常に一緒に居るのは不自然だ。またスキャンダルを産みかねない。
 こうなるのを仕組んだかのような現状に、沢也や有理子は内心ホッとしていた。こうでもならなければ、あの二人は進んで接点を持とうとしないのだから。


「って、有理子が言ってた」
 丘の途中。城下町を見渡せる道の真ん中で、義希がのほほんと話を締め括る。話し相手である沙梨菜が、ふむふむと鼻を鳴らして空を仰いだ。
 彼等は互いにアメリカンドッグを手に、報告がてら間食している最中である。
「じゃあ、お城の中は取り敢えず問題ない感じなのかな?」
「そだな。問題だらけなんは、寧ろ下町の方かもしれん」
 情報収集に走る二人は、目の前の町並みを見て温く笑みを浮かべた。
 事件から二週間が経過した今も橋は直っておらず、通行するには臨時の渡し船…ならぬ渡し飛行自動車が必要だ。技術課の職員が日替わりで二人ほど運転手として派遣されているが、帰る頃には生気が薄くなっている。それほど忙しいと言うわけだ。
 更には自動車で馬車や自動車を運べる訳もなく、こちらは城が雇った魔術師達で対応していることになる。本島から呼び寄せた魔術師は優秀で、定期的に透明な橋を生み出して通行者を渡してくれていた。
 マジックアイテム課が急ピッチで用意したバリア補助機能も手伝って、20分に一度はバリアの橋がかかるスケジュールが組まれている。大掛かりな魔法だけに4人がかり。しかも10分程しか持たないのだから、効率は良い方ではない。しかしそれがなければ、海路の方がパンクしていたことだろう。
 海側の経路も普段より増便してはいるものの、天候次第で使い物にならなくなるのだから油断は出来ない。
 何より修繕に時間が掛かることが分かった今、何処と無く町の雰囲気がピリピリしているようにも思えた。
 最短で二ヶ月。幾ら優秀な大工の人手があろうと、それくらいはかかるとの見通しだ。あれだけ大きな、しかも海面からかなりの高さを有する橋なのだから、仕方がない事は仕方がない。しかしそれによって、この先の予定を大幅に狂わされた店や業者は少なくない。
 それでも民衆から大量の苦情が沸かないのは、皮肉なことにテレビ放映が功を奏したからだ。命令を下した当人が捕まり、虐げられる側だった近衛隊が助けられているとあっては、ヘリコプターを飛ばしていた放送局もさぞかし困惑していることだろう。
 どんな敵に、どのようにして立ち向かったか。包み隠さず全てを見せていた事で、町の反応は当日から良心的だった。労いや感謝の言葉をかけられたことも、少なくない。
 そしてそれは倫祐についても同じだった。
 テレビ局は倒れた倫祐の姿を映すなり、慌てて放送を止めたらしい。それはそうだ。彼がロボットだと散々扱き下ろしていたのは、そのテレビ局の上にある新聞社なのだから。
 しかし民衆は見逃さなかった。遠目だった事が幸いしたのだろう。倫祐の容態がどれだけ酷いかまでは、見てとれなかったけれど。夥しい量の血液だけは、しっかりと映像に残されていた。
「あんだけしつこかった噂が、今やころっと英雄談に変わっちゃうとはなぁ…」
「ね?なんか、なんだろうね?良いことなんだけどさー」
 義希のぼやきに沙梨菜も同意する。日頃から噂の中に居た彼等が、なんとなくモヤモヤしてしまうのは致し方ないことかもしれない。
「沢也ちゃんには当然だって言われちゃったよう。なんたって、噂の根源が檻の中なんだからって」
「まあ、そっか。そーなんだけどさぁ…そうじゃなくて…」
「うん。ね?そうじゃなくてさー」
 分かっては居ても、溜め息が出る。互いに肩を竦めて、静かにアメリカンドッグを消費した。
「でも、まあ、いっか。これで倫祐が指さされるようなことは無くなったんだもんな?」
「そだよね。それよりも、問題はあれだよね」
 明るくも困った空気の中、残った串が義希のルビーに回収される。沙梨菜が言うあれとはつまり、今この瞬間にも義希の携帯に報告が入った物のことだ。
「まーた出たか…」
「困ったちゃんだよねぇ…」
「何時でかいのが出てくるか、気が気じゃないよ…」
 二人は会話ながらに足を進める。下り坂なので、自然と速度が速まる中。舌を噛まないよう気を付けながら、報告会は継続された。


 駐屯地にメールを送信した定一は、圓からの返信を待たず正面に直る。目の前で剣を払った諸澄が、飛び掛かってきたドーベルマンをヒラリとかわした。
 石畳の上を滑った獣は、四本足で体勢を整えグルルと唸る。その前足と口元は真っ赤な血で濡れていた。瞳は裏と表を行き来して焦点が定まらないし、震えと苦痛に苛まれているような動きは、最早この世の物とは言い難い。
 パトロール強化中だったことが幸いして、荒れ狂う犬に最初に遭遇したのは彼等のようだ。裏通りも表通りも騒ぎになっておらず、接触した諸澄から血が出ていない事、犬が歩いてきた方角に血痕が残されている事からしても、同一事件に間違いは無さそうだ。
「また殺られてるのか?」
「薬射った側から噛み殺されちゃうなんて、何とも馬鹿げた話だよね」
 諸澄の舌打ちに定一が頷く。彼の指先で回っていた銀色が、不意に宙に飛び立った。
 綺麗な軌道を描くチャクラムは、諸澄の横を抜けてドーベルマンの背後を取る。正面では諸澄が構えを取った。
 一瞬だけ逸れた気をそのままに、獣は諸澄に突進をかける。強化剤を打ち込まれているだけあって、物凄いスピードだ。しかし、きちんと構えた諸澄が剣を振るっただけで、あっさりと真っ二つになる。
 定一は撃退を見届けるなり前に出て、指先でチャクラムを回収した。斬られた犬は砂へと姿を変える。
「随分と呆気ないな」
「その方が助かるけどねぇ…」
 ざらざらと砕け落ちる砂を見下ろす諸澄が、溜め息と共に回収を始めた。死骸に強化剤の成分が残っていて、おかしな方法で広まっては敵わない。一番最初の事件の直ぐ後に、参謀直々にお達しがあったと言うわけだ。
 最初の発生から三日が過ぎている。今倒した犬以外にも、既に5体が近衛隊によって討伐されていた。うち二体は彼等の手によるものである。
 定一は周囲に異変が無いことを確認して、俯く諸澄に視線を移した。旋毛越しに涙目が見えてしまい、彼はその頭に手を乗せる。
「大丈夫?」
「別に。何ともない」
「強がりは相変わらずだね」
 震える声に溜め息を注ぎ、定一は肩を竦めた。砂の入ったビニール袋と塵取り、小さな箒を手に立ち上がった諸澄が、口を尖らせ無言の圧力を注ぐ。
「まあ、泣きながら戦われたら近衛隊的にも格好がつかないから、せいぜい頑張って強がってよね」
「っっっー」
 ヒラヒラと手を振って、ドーベルマンがおかしくなったであろう現場に向かっていく定一を、諸澄は反論すら出来ぬまま追い掛けた。血痕は薄暗い路地の奥、開きっぱなしの裏口に続いているようだ。
「これで慰めてくれる彼女でもいれば、まだ救われるのにねぇ?」
「うるせぇ…何でそうー」
 もぎゅっと、頬っぺたが摘ままれて反論が殺される。定一は正面を向いたまま、諸澄にその場で待機するよう命じた。
 床に投げ出された足が見える。直ぐそこに死体があるのだ。そう考えただけで、諸澄の瞳にはまた涙が浮かんでくる。
 定一は落ちていた注射器を拾うついでに、またしても不可抗力で見てしまった彼の表情に苦笑を返した。
「優しいってのも、なかなか大変だね」
「やさ…」
「おや。気づいてなかったのかい?」
 あからさまに戸惑い、狼狽える諸澄のさまよう瞳。驚きの余り丸くなった定一の瞳。二人は目を合わせぬまま、表面上では淡々と仕事を進める。
「まだまだ子供だねぇ」
 呟かれた呆れにつっかかりかけた諸澄が、駆け付けた応援に気付いて合図を送った。定一は担架とカメラを先に通して、正式な鑑識が訪れるのを待つ。
 5回目ともなればチームワークも小慣れたもので、一つの事件はあっと言う間に調書になった。

 本隊長不在の今。
 激闘を目の当たりにした近衛隊メンバーは、戦力不足を身に染みて感じている。
 またあの手の化け物が出たらヤバイ。それでなくても、少しでも気を抜けば、あっと言う間に状況は悪化してしまう。
 それが容易に想像できるようになった事で、隊の結束力と向上心は自然と高まった。

 そこに現れたのが、キメラ紛いの動物達である。

 調べを進めるうちに分かったのは、どうやらキメラ化の薬が拡散されていると言うこと。
 幸いにも、今のところあれほど大きく凶悪なものは出ていない。人間も、多種多様な動物も混じりあっていないのだから当然だろう。
 事件は一様に、何等かの手段でキメラ化の薬を得た人物が、小動物に薬を与え、死亡するところから始まっている。二人目の犠牲者が出て直ぐに、事件の概要を世間にも公表したのだが、今のところ抑制にはなっていないようだ。
 怪しい薬が何処からか送られてきた、という感覚ではないのだろうか?過去にあった爆弾事件とは、また一味違うらしい。
 現在、同一事件による被害者は薬品投与をしたであろう5人と5匹だけ。当事者以外に被害が出ていないのは幸いな事だが、巻き込まれた動物達はたまったものでは無いだろう。
 人員不足の為、調書や報告書の全ては圓と、怪我人の帯斗によって作られている。定期的に海羽の魔法を受けている為殆ど完治したようなものではあるが、まだ激しく動く許可は出されていないのだ。
「帯斗さん、誤字です…」
「ぇ、5時っすか?」
「いえ、ここ…誤字が。字が間違ってます」
「ああ、あぅ…どう違うっすか?」
 向かいからの指摘に頭を抱えた帯斗は、圓の手元で完成した文字を見て小首を傾げる。
「成る程…?」
 横棒が一本多かったり、手へんが獣へんになっていたりするのだが、気付かぬ所を見る辺り、どうやら帯斗は漢字が苦手らしい。圓は小動物宜しく頭を捻る彼に、微笑ましく頷いて見せた。
「難しいですよね。進捗なんて、日常会話じゃ滅多に使いませんし」
「い…意味は分かってるんすよ?どんくらい進んだかって事、ですよね?」
 不安げに問い掛けてくる帯斗を安心させてから。圓は報告書を見直して短く唸る。
「思ったより時間がかかりそうですね…もっといっぺんに現れるかと思ったんですが」
 三日で5体。確かに多い気もするが、わざわざ薬をばら蒔いたにしては威力も数も少ないような気がしてならない。帯斗も圓の見解に頷きながら、同じ様に唸っては首を捻った。
「わざとずらしてるって事すか?出現時期を」
「でも。それだと確実ではありません。こちらとしては、同時に何体も出現された方が困りませんか?」
「そうっすよね。そもそもどうして王都にばかり?本島では騒がれてないんすよね?」
「そのようですね。参謀はどう考えているのでしょう?」
 完成した書類を纏めて封筒に入れながら、二人は小さく肩を竦め合う。

 その翌日の朝には、沢也から正式な通達が降りた。

 キメラ化の薬は、国に反感を持つ者へ無作為に配られている可能性が高い。爆弾事件の時に製作された、沙梨菜のファンクラブ系列の名簿とは全くの別件で、例のゴシップ紙が調べた意識調査を元に選出されている疑いがある。意識調査そのものは去年の特別号に葉書が付属され、郵便課も配達に加担したのだから、実施されたことに間違いはない。しかし内容も結果も未だに公表されておらず、用途すら不明のままだ。
 全ての被疑者が死亡してしまっている現状、事実を確認する術もなければ、ゴシップ新聞社にガサ入れするほどの証拠もない。名簿の存在が想像でしかない以上、薬が配布されたであろう人物の特定は難しい。ついでに「うちにも薬が送られてきた」との報告も上がってきておらず、事件を抑制する手段も限られる。
 唯一の救いは、キメラの出現時期がバラけていることだ。これは郵送されてきた薬を、それぞれがそれぞれに使っていることと、郵送は郵便課委託ではなく、独自に雇った人間に配達させている為、配る事そのものに時間がかかっているのだろうと予測が立てられた。
 一人が請け負うと目立つ為、複数に依頼したのだろう。皮肉なことに、橋が壊れていることが幸いしたようだ。海路にしろ、陸路にしろ、空路にしろ、現在王都には入島規制がかかっているのだから。
 本島で同様の事件が起きていない事から、故意に王都を狙ったものだと仮定された。それを踏まえて幾つかの防衛策を発案、実行に移す。

 一つ。動物連れの一般人を入島させないこと。
 二つ。野良動物を保護すること。
 三つ。薬の配達員を捜索、確保すること。

 それでも成果が得られなかった場合は、ペットを飼っている住人を新種の予防接種(実際はビタミン剤)投与の名目で動物病院に集め、細かな名簿を作らなければならなくなるかもしれない。
「陸路も今なら簡単にチェック出来るでしょう?」
「そうですね。海路と空路は本島から応援が来て下さるとのことなので、こちらではそれがメインになりそうです」
 定一の声に圓が反応する。指示書を読み上げていた彼が結論を口にするのを待って、義希が中空に確認を上げた。
「橋の向こう側に立って、持ち物チェックする感じ?」
「ついでに渡し船の運転も買って出るべきかね。技術課も忙しいだろうし」
 腕を組み、圓の後ろに回って書類を覗き込んだ定一に視線が集まる。
「いっさんが…」
「珍しくやる気に…」
「君達、聞いてなかったのかい?」
 帯斗と諸澄の丸くなった目に、定一は直ぐ様呆れの溜め息を注いだ。三人のやり取りを前に、唯一答えに行き着いた圓が肩を竦める。
「ペットの名簿を作るのは大変そうですからね…」
「帯斗くん。良く考えて?いつぞやのチワワの飼い主みたいなの相手にしなきゃいけないんだよ?しかも王都中の」
 うんうんと頷きながら、人差し指を帯斗の頬っぺたに埋める定一の眼差しは真剣そのものだ。最後まで解説を聞いた帯斗の瞳もまた、同じ様な色を帯びていく。
「是非とも頑張りましょう」
「良くわからんが、それなら交代制がいいんじゃないか?圓、適当に当番表作っちまえよ。今なら文句言う奴も居ないだろ」
 真顔を頷かせる帯斗の隣、やる気が無さそうながらもテキパキと話を進める諸澄に、圓が静かに同意した。
「問題は野良の対処だね」
「ゲージは沢山預かってるけど」
 定一のぼやきを受けて、義希がルビーの中身を明け広げる。入り口付近を埋め尽くしたのは大小様々なゲージと、大きな虫取網だ。
 呆然とその様子を眺めながら、帯斗がぽつりと疑問を溢す。
「捕まえたらどうするんすか?」
「纏めて里親募集するって。それまでは城の何処かが動物病院化するだろうって」
 多分、二階か三階の倉庫じゃないかなと義希は付け加えた。定一がゲージと網を持ち上げつつ、訝しげに顔をしかめる。
「参謀、そんなことしてる暇あるのかい?」
「いや、沢也も多少は手伝うんだろうけど。大体は義理の兄さんが」
 のほほんとした回答に、居合わせたメンバーの目が丸くなった。
「えっと、誰のすか?」
「沢也の」
「門松さんか?」
「いやいや、あの人は大工じゃん?」
「他にもいるのかい?」
「あれ、みんな知らないん?」
 帯斗、諸澄、定一と続いた問いに順に答え、最後に圓の無言の肯定を受けた義希は、あややと頭を掻いて天井を見上げる。そして詳しい説明をすっ飛ばして、朗らかに笑った。
「大丈夫大丈夫。イイヒトだからさ、気軽に遊びに行ったらいいよ」
 ぽんと頭を叩かれた帯斗は、そのままパトロールに出掛けていく義希をぽかんと見送る。その隣から諸澄の手が伸びてきて、ずしりと頭にのし掛かった。
「仕方がないチビッ子だな。付き合ってやるよ」
「だっ…誰がチビッ子だ!ズミこそどーぶつと遊びたいだけのくせに!」
「はいはい、痴話喧嘩はお仕事が終わってからで頼むよー」
 じゃれあう二人にすっぽりと網が被せられる。定一は驚く二人のうち諸澄にだけ網を被せ直し、そのまま回収、連行して行った。
 圓は完成したローテーションをプリンタから受け取って、最終確認にかかっている。一人取り残された帯斗は、慌てて圓の正面に落ち着いて、近場の書類に手を伸ばした。








cp108 [大丈夫]topcp110 [file9"報告書:第二"]