大丈夫 キメラ討伐から1週間後の昼間。 やっと仕事が一段落した、と訪れたリーダーを沢也が案内する。 彼は空飛ぶスクーターに乗って来たらしく、風を受けて冷たくなった耳を頻りに摘まんでいた。 前を歩く沢也は、雑談がてら目的の部屋をノックする。中からの返答に合わせて扉を引くと、中空に浮かぶ倫祐が良く見えた。 その下で両手を翳して魔法を操っていた海羽が、二人を見るなり微かに笑みを浮かべる。倫祐は、その間も力なく両手足を垂れたまま、ゆっくりくるくると回転していた。 ずっと寝たきりでは血流が悪くなってしまう為、定期的に魔法で浮かせて動かすのだ。知識のある沢也はともかく、一緒に入室したリーダーはさぞ驚いたことだろう。 ポカンとする彼に、沢也が簡単な説明を施す間にも、倫祐は無事ベッドの上に下ろされた。 リーダーは倫祐の寝顔を見下ろして、寂しげでいて、優しい表情を浮かべる。 「安心しな。尻尾は掴んできたよ」 静かに上下する胸元を確認するように、保たれていた静寂が穏やかな報告に破られた。 「あとは沢也と蒼の腕次第」 にかりと笑って片手を沢也に向けたリーダーは、一息で元の調子を取り戻す。 沢也が溜め息で相槌を打つと、彼は窓際で様子を見守る彼女に呼び掛けた。 「海羽ちゃん」 パチリと、瞳が瞬く。リーダーはゆっくりと海羽の前に歩み寄り、その頭を撫でた。 「ありがとうな」 ポンポンと、軽く乗せられた掌。海羽は曖昧に微笑むことを返事とする。 「って、まだ終わった訳じゃないんだったか」 その表情を見て、リーダーはポリポリと首元を掻いた。そして寝たままの倫祐の枕元に立ち、徐に手を伸ばす。 「全く…心配ばっかかけやがって」 にやにやと、悪戯っ子の笑顔で倫祐の頬をもっちもっちし、沢也の苦笑と海羽の焦燥を誘った。 一頻り弄んで満足したリーダーは、恐る恐るながらに倫祐の変顔を眺めていた海羽を振り返る。 「なんかあったら、遠慮なく言ってくれ。出来る限りの事はするからさ」 そう言って屈託もなく微笑むリーダーを前に、海羽はふわりと肩の力を抜いた。 大丈夫だ、と言われた気がして。 大丈夫なのだと、理解したから。 「ありがとう…ございます」 深く下げられた海羽の頭をまた撫でて、リーダーは何度も頷き、そして言った。 ありがとう。ありがとうな、と。 海羽に見送られたリーダーは、先に外に出ていた沢也に肩を竦めて見せた。何処と無く複雑そうな表情の彼が近くに来るのを待って、沢也は持論を口にする。 「誰もあいつを責めなかったからな。不安だったんだろう」 「責める?どうして」 「あいつが自分から言い出す訳ない。自分のせいで、こうなっただなんて」 歩を進めながら、沢也は真顔で呟いた。リーダーは彼の横顔を追いかけて顔をしかめる。 「海羽ちゃんのせいじゃないだろうに」 「そう。誰のせいでもない。誰に多く責任があるから、でもない。この話を持ち出しちまったら、どうやったってそんな話になるだろう?あいつもそれを、分かっていたわけだ」 つらつらと、抑揚も無く続く言葉は酷く冷たく、静かに響いた。リーダーは黙って頷き、続きを促す。 「誰かに許して欲しい訳でもない。慰めて欲しかった訳でもない。称賛も要らない。ただひとつ、不安だった」 王座に続く、大扉に手をかけて。振り向いた沢也は表情を変えずに言った。 「選択が正しかったか、否か」 リーダーはただ瞬きをする。沢也は真っ直ぐ過ぎる視線から逃げるように大扉に直った。 「俺にも分からない。これであいつが何年も目を覚まさなかったら?そんなこと考えたくもないが、どうしたって考えとかなきゃならねえ」 扉の片側を引き、リーダーを通す。自らも入室し、後ろ手に扉を閉めながら言葉を繋げた。 「俺は、これが仕事だからな。友人だろうが仲間だろうが、国の戦力として割り切るしかねえ。だけどあいつは違う。どうしたって。倫祐として…個人で考えちまう」 リーダーは促されて応接室に足を運ぶ。沢也はその背中に溜め息を浴びせた。 「それでも俺には…いや、俺だけじゃねえ。他の奴等もだ。言えなかった」 「大丈夫だ、って?」 リーダーは扉を開くと同時に呟いた。 「絶対に目を覚ますから、信じて待てって?」 ふっと笑って、振り向いた彼に。沢也は頷く代わりに小さな息を吐いた。 「そりゃそうだろ。俺が冷静で居られたのは、倫祐の容態を直接見ないで済むように、お前が手を回してくれたからだ」 揃って入室し、扉を閉めるなりリーダーは言う。奥のソファに座った沢也が、体よくこちらを向くのを待って、彼は続けた。 「そんでこうして、綺麗に治して貰った後で、顔を合わせた。そりゃ、言えるさ。言わなきゃ駄目だろう?俺にしか言えるもんか」 語気を強め、沢也の向かいに座り、前のめりに笑顔を浮かべる。沢也はその様子を、冷静に見据えるばかりだ。 「お前ら全員が、あいつを救い出してくれたんだ。絶望的な状態から。ただ眠っているだけの状態まで」 二人の目の前にコーヒーが現れる。ルビーからそれを出した沢也は、音も立てずにカップを持ち上げた。 リーダーは落ち着き払った沢也を困ったように笑い、カップを手にしてソファに背を預ける。 「例え気休めだとしても。お前等がその気休めですら口にするのを躊躇うような状況だとしても。俺は信じてるし、本当に大丈夫だと思っている。今日実際に、あいつに会って確信したよ。だからお前も気に病むな」 「俺は病んでない」 「またまた。そんなわけないだろ?まだ子供の癖に」 へらへらと茶化すリーダーの、ひらひら振られる掌が今にも頭に伸びてきそうで、沢也は短い溜め息の後に話を切り替えた。 「それで?尻尾とやらは?」 リーダーは沢也に肩を竦め、コーヒーを一口飲んでから、懐に手を差し入れる。 「キメラ化した魔術師の一人。そいつの家を調べたら出てきた」 複数の写真と報告書。うち一枚の写真を沢也の手元に滑らせて、リーダーは元の位置に落ち着いた。 「その男に見覚えは?」 「秀の部下だ」 「ご名答」 沢也はリーダーが示した通り、端子をパソコンに差し込んで中身を開いた。監視カメラの映像らしい。音声までが鮮明に残されていた。 最初の写真は、この映像の一場面をプリントした物のようだ。キメラ製作の細かな指示が、手渡されたであろう書面に記載されていた。現物が手元にあるのは、音声として流れている指示に、魔術師が従わなかった結果である。 「読んだら直ぐに破棄するように」秀の部下が出したのは極めて簡単な物だった。どうしてそれが守られなかったのかは、結果を見れば明白であろう。 「せめてもの抵抗として、それを残してくれていた訳だ」 「それにしては遠巻きだな。秀が直接会いに来たことは無かったのか?」 「ここからは推察に過ぎないがな」 リーダーは前置いて、短く息を吸う。沢也が頷くと、リーダーは一息に説明した。 「恐らくは、あったのだろう。何故なら室内に荒らされた跡があったからだ。このカメラは小さいだけあって容量が少なくてな。オーバーした分は別の記録媒体に移す他無かった。俺達の前に踏み込んだ奴等が、それを持ち去ったと考えるのが妥当だろう」 「そうだとして。何故カメラや書類は無事だった?」 「現場を見るに、きっと素人だったんだろう。足跡やら指紋やら、痕跡が多い割りに探しきれてない。警備団に侵入がばれやしないか、ひやひやしながら仕事をしたのかもしれない。正直、ちょっと同情するレベルだ」 「成る程な。すると誰の手の者だ?通信機は全て取り上げてあるから、秀からの指示でないことは確かだ。秀の部下の指示、または……」 「秀の兄貴じゃないか?あの男は人望も手腕もあるが、使える手駒が少ない。なんたって全部秀に横取りされてるんだから」 「有り得なくはない。秀を庇っているわけでは無いんだろうが、あんまり過ぎると本家にも火の粉が飛ぶからな」 「どっちにしろ、足跡と指紋から犯人を探してみよう。証拠は見付からない可能性が高いが、念には念を入れてさ」 「分かった、任せる。で、この映像にある秀の部下は…確か海羽のストーカーに参加していた筈だ。怪しげな機械の所持と、不法侵入で引っ張って、リリスに送った」 「そう。小次郎くんが覚えてた。そいで、これが俺んとこの畑担当が撮った写真」 今度はパーカーのポケットから写真が飛び出した。沢也はそれを受け取って、内容を確認する。 紙の表面で、秀と、先の監視カメラに映っていた部下が、平らな機械を手に話していた。 「丁度、海羽ちゃんをストーカーしてた時の奴だよ。八百屋の二階から激写したらしい」 「お手柄だな」 他にも何枚か、上からのアングルでかなり鮮明に顔が写っている。沢也は全てを念入りに眺めながら、話を先に繋げた。 「例の機械からも秀の指紋が出てる。しかも全種類から」 「これで無関係だー、とは言い張れないだろ?」 「だが、まだその男との接点が確立されただけだ。あいつなら難なくシラを切るだろう」 うんざり気味に溜め息を吐いた沢也に、リーダーの唸る声が被さる。 「じゃ、次はこの男の身辺調査か?」 「いいや。それは既にやってる筈だ。秀が駄目なだけあって、部下は優秀なようでな」 「埃が出なかった、と」 沢也の頷きを見るなり、リーダーの口がへの字に曲がった。 「ただ、ネタは上がった。この部下はもう逃げられないだろう。それを知った秀が、こいつに全てを擦り付けようとしたら?」 顎に手を当て、頷く毎にリーダーの顔が真剣になっていく。沢也の口が止まったところに、彼は静かな答えを落とした。 「こいつが口を割るかもしれない」 「そう。ついでに証拠も提示してくれりゃ楽なんだがな」 「はー。なるほどなぁ。ま、どちらにせよ、話してみないことには始まらないか」 「その話をする前に」 ソファに凭れかかったリーダーが、沢也がパソコンを回転させた事でまた身を乗り出してくる。 「こっちの裏も、何とか取れた。小次郎から送られてきたUSB端子の中身と、筆跡鑑定の結果だ」 ディスプレイに映し出されているのは、どうやら日記のようだ。 ペン型のタブレットで直接データに記したのだろう。汚い字での走り書きや、所々に魔法陣が見てとれる。成る程、キーボードで陣を記録するのは難儀だ。日常的にこうしてメモを取る習慣があったに違いない。 筆跡鑑定の結果は同一人物。これには健康診断の血液検査とキメラから取れたDNAの一部、本人が提出した魔術使用許可書や魔力検査の結果など、関連の書類が山と付属されていた。要約すると、キメラになった魔術師の一人が、この日記のようなものを書いたと見て間違いない、と言うことだ。 「あのクソ貴族、絶対殺す」「秀とか言う名前のくせにちっとも優秀じゃねえ」「社会的に抹殺してやる」「いっそ八つ裂きにしてやろうか」「跡形もなく溶かしてやる」「ふざけるな」「お前がキメラになればいい」「何の役にも立たない能無しが貴族で、どうして俺はこんなことを」「死んでも忘れない。許すもんか」「この国も、国を作った奴も、秀とか言う馬鹿に恨まれている男も、こうなった原因の全てを」「俺は許さない」 走り書きは全て、上記のような恨み辛み。実験が上手くいかないからと言って、お前がキメラになれと強制されてしまったら、こうなっても仕方がないのかもしれない。だからと言って、許すわけにいかないのはこちらも同じなのだが。 ……これは少し、さっきの話と似ているかもしれない。責任問題に発展させてしまえば、それこそ全てが悪くなる。この男のように、秀から広げて元を辿り、国まで悪とするならば。元を正せばこの世の仕組みそのものが、悪だと言っているようなものだ。 それはきっと間違いではない。しかしそれでは全てを根絶やしにしなければならなくなる。 少なくとも、ここに居る人々はそれを「否定した」。烈と言う敵を封印する事で、全てを存続させたのだ。 だから、キメラになった彼等の意見を否定してでも、全てを根絶やしにしない為の力を行使しなくてはならない。 人々は、そんな不確かで曖昧な理論を、「正義」と名付けて片付けるのだろう。 「全く。困ったくらいにストレートだなぁ」 「同情してる場合か。こいつはもうこの世には居ない。俺の仕事は、この先、こいつみたいな惨めな奴が、惨めなまま死なないようにすることだ」 「また難題をこさえるな。お前は」 「俺は神じゃねえ。だからって何もしなくて良い立場じゃねえし。なら、全てを救えなくても、足掻くくらいはしないとな」 真顔で資料を整理する沢也の呟きに、リーダーは短く相槌して顔を上げた。子供の癖に大人びた奴だと、呆れた調子でコーヒーを飲む。 「それで。この日記の男と、カメラを仕掛けていた男は別人なんだな?」 「その通り。もう一人も、今小次郎達が調べている」 テーブルの上が綺麗になった。恐らくはコピーデータであろう二つの端子とパソコン、資料が纏めて沢也の手元に吸い込まれていく。 「話に行くのか?」 「まあ、取りあえずな。何時までも放置してると、司法課にも悪いだろう」 沢也はそう言ってカップを煽った。閉じ込められていると言う彼が、大人しくしているとは思えない。悪いとは、つまりそういう事だろう。 「じゃあ、お手並み拝見と行こうか」 「勘弁してくれ。どうせこの程度じゃ何にもなりゃしねえよ」 一緒に立ち上がったリーダーを顔だけで振り向いて、沢也は長く深い溜め息を吐き出した。 秀は現在地下室に拘束されている。 証拠もないのにどうしてそんなことが出来ているかと言うと、キメラとは別件の処置を施しているからに過ぎない。 あの日、上空を飛んでいたヘリコプターは、キメラ討伐までの全てを記録、リアルタイムで放送していた。 その中に、秀の不可解過ぎる迷惑な動きや、あろうことか国王を囮に逃げようとしたところまでが、しっかりと映し出されて居たわけで。 「国民の為に自ら危険な場所に立った国のトップを、自分の勝手で殺しにかかるとは何事か!」と言った調子で、国民の半数から怒りの電話が降り注いだのは、テレビ局だったり民衆課だったり、はたまた本島の第2支部だったり各町の鑑定所だったりと、それはもう大変な騒ぎになったのだ。 こうなってはもう、事態を収拾する為には映し出された犯人を吊し上げる他ない。あの日、あの場所に行くまでの間に民衆の中を練り歩いていた経緯もあって、秀の身元はあっと言う間に広まった。 それこそ、放送を見て慌てた本家が火を消す暇など無いくらいに。 戦闘を終えた頃には既に、噂は本島の端まで到達していたかもしれない。これが通信器機の恐ろしいところだ。 民衆課は電話が収まると共に、説明内容と抗議内容の報告書を制作。蒼の手に渡ったのは、丁度沢也が倫祐の治療に入った後だ。民衆が戦いのあと、祭りが続行される王都に対する抗議を遠慮した結果である。 蒼はその場で秀を拘束、気絶したまま牢屋に放り込んだ。ついでにそのうま、馴染みのテレビ、ラジオ局に流して貰う手配までした。 指令を受けた局は、細かな現状と合わせて秀の処置をニュースにし、夕方には電波に乗せた事になる。 以上の経緯は本人にも、本家にも、その上司にも説明済みだ。その上で騒いでいるのは当人だけである。 「こんなもの、嘘っぱちに決まっている。状況証拠だと?そんなものがなんになると言うのだ!こんなことをして、ただで済むと思うな!」 「そう言われましても」 持ってきた資料とパソコンを提示するなり、秀は勢いよく怒りを噴出した。対して沢也は冷めきった態度で呆れたように笑うばかり。 そもそもどう、ただで済ませないつもりで居るのか。恐らくも何も、ずばり実家を頼るつもりなのだろうけれど。 「因みにあなたの家も、その上司も、あなたの拘束に対する苦情は出されていませんよ。寧ろ我々は関与していないと、わざわざ電話を頂いたくらいです」 「そんなわけがないだろう。貴様如きの嘘、見破れぬとでも思っているのか?」 「どうせ合成だとか仰有るんでしょうけどね」 ふんぞり返る秀の目の前でパソコンを触る。簡単な操作を経て数秒後に流れてきたのは、通話の記録音声だ。 内容は先に沢也が言った通り。蒼と秀の父親、それから聖との、「秀には関与しない」宣言をはじめとした会話である。 秀の父親は知らぬ存ぜぬを貫き通し、身柄も処置も城に一任すると語ったし、聖は端から「あちらの家の問題ですから」とバッサリ切り捨てた。 その全てを聞くうちに、秀の表情が黒く淀んでいく。最後には鋭い眼差しが沢也に向けられた。 「言っておきますが、合成で音声を作るのにも素材が必要なんです。しかしながら、我々はあなたのお父上と交流する機会など滅多にない。つまりは、そう言うことです」 「そんなものどうとでもなる!父上がこんな、私を見捨てるような真似をするとでも?私はあの家の跡取りだぞ!」 嘲笑うように、誇らしげに。まるで堪えてなどいない秀の様子を前に、沢也は憐れむ気持ちで一杯になる。 「何だ、その目は…!」 まだそんな事を言って居られるのか。どこまで妄信的で、理解力がないのだろう。そんな感情が呆れた眼差しから滲み出ていたようだ。 沢也は溜め息一つで感情を殺し、徐に席を立つ。 「分かりました。直接ご足労願いましょう」 「ご足労…?」 「あなたのお父上に」 「わざわざそんなことをせずとも、私をここから解放するだけで済む話。相変わらず頭の足りん男だ」 「そりゃどうも」 嘲笑に無表情で礼をして、沢也は直ぐ様踵を返した。その背中を秀が呼び止める。 「おい!」 慌てたように机に手を付いた彼が、粗末な椅子から立ち上がった。沢也は振り向き、真顔を注ぐ。 「まだ何か?」 「貴様…この私を、馬鹿にしているのか?!」 その怒りは、解放の命令が通らなかった事に対するものだ。散々説明してあると言うのに、解放してしまえばどうなるかなんて、考えても居ないのだろう。 沢也は一気に面倒になり、感情の封鎖を解いた。 「今更気付きました?」 殺気にも似た感情が笑顔と共に放出される。 威圧を受けて絶句した秀を置いて、彼は聴取室を出た。 後の事をボスに任せ、深々と頭を下げてから、リーダーと共に地上に出る。 まだ日は高い。そろそろおやつ時だろうか。昼を半端にしてしまったから、また有理子や沙梨菜に適当なものを口に押し込まれるかもしれない。 「なかなか面白いもん聞かせて貰った」 エントランスに出るなり、リーダーが笑った。沢也は目を細めて悪戯を回避しにかかる。 「面白い?何処が。ひたすら不快なだけだろうに」 「沢也の敬語。あんまり聞けるもんじゃないからなぁ」 「冗談はいい。時間は?」 「夜までに帰れば怒られんだろ。今後の打ち合わせ、していかないとな」 研究所が潰れた事で、大っぴらに調査が出来るようになった。本島には捜査員、またはその見習いが山ほど居る。忍ばなくて良くなったと言うことは、即ち諜報部の仕事が減ったと言う訳だ。 リーダーに肩を竦め、沢也は王座の間を目指す。リーダーもその後ろに付いて行った。 「八百屋の方はどうする。動き、全くないんだろう?」 「秀があの家の生まれだって事は、敵対する家や俺らが民衆に流したからな。苦情と抗議の対応、火消しで忙しいんだろ」 「じゃあ、常駐しなくてもいいな?」 「構わないだろう。どのみち野菜のやり取りで交流は残るんだからな」 育て上げた夏野菜を仕入れて貰うのだと、電話越しに語られたのを思い出し、沢也は小さく笑う。 元忍者の里の一角は、今や立派な畑と化しているらしく、茄子やキュウリ、トマトの苗がところ畝ましと植わっているとか。それを聞いただけで、何時かの夏を思い出した沢也であった。 リーダーは穏やかな彼の空気を珍しげに観察しながら、三階の廊下に足を着ける。 「となると。俺達は農業に勤しんで良いのか?何人かは、リサイクルマシーン作るのに駆り出すけども」 「農業もいいんだが、こっちも数人借りておきたい。こうなっちまった以上、あっちも次の手を打ってる筈だからな」 「そりゃ今も見張ってるさ。他にも派遣するのか?」 「幾つか候補がある。恐らく殆どが動き始めるだろう」 ふむ、と納得して、リーダーは押し黙った。後は部屋に着いてからの方がいいと考えたのだろう。沢也もその意図を汲み、暫く黙って足を進めた。 彼等が話を再開したのは5分後の事。有理子によってサンドイッチとコーヒーが振る舞われた後だった。 「小山内、橡、来栖のところだ」 沢也は有理子からサンドイッチ詰め込み攻撃を受けながら、簡潔過ぎる指示を出す。リーダーは自らサンドイッチを食べながら、その様子を笑った。 「もうそれ以外に使える駒が残っていない。もっと言えば海羽に干渉を続けるのは得策じゃない。あっちだって、妖精の力が消滅しちまうのは避けたいだろうし」 「つまり、ターゲットを変えてくると?」 互いに咀嚼を終えてから、コーヒーで口の中を洗い流して話を繋げる。沢也は深い溜め息の後頷いて、セキュリティ付の扉を横目に見据えた。 「一番付け入りやすいのは、新顔だろう」 リーダーは瞬時に乙葉の顔を思い浮かべる。ついでに結婚式の映像と、蒼の微笑までもが呼び起こされた。 「やっと落ち着いたばかりだろうに」 「本人はいつも落ち着いてるんだがな」 苦笑に肩を竦め返して、沢也はまたコーヒーを飲む。リーダーもそれに倣ってカップを煽り、全てを飲み干しては息を吐き出した。 「そう言うことなら、分かったよ。倫祐分の戦力も必要になるだろうし、何があるか分からないからな。残りは農業に当てて、余裕を持たせとく」 「それがいいだろう。もう暫くは静かな筈だ。今のうちに休んでおいてくれ」 話に決着がつくと、リーダーは目の前の皿を空にして席を立つ。もう少し倫祐の顔でも拝んでくるか、と大きな伸びをした。 念のため魔法で封鎖がされている為、部屋の前まで沢也が同行することになる。 「そっちはどうなんだ?」 王座の間を出て直ぐに沢也が聞いた。リーダーは肩を竦めてそれに答える。 「倫祐のことか?みんな心配はしているが、でも俺と同じ。あいつなら大丈夫だろうって。なんたって一度は諦めちまったのに、戻ってきてくれた事があるんだからな。そう簡単にへこたれたりしない」 「それもそうか」 「だから、一番心配なのはお前等や海羽ちゃんだ」 とうとう頭に手を乗せられて、沢也は煩わしそうに顔をしかめた。 「俺達は海羽の手前、泣き言は言えないし、言うつもりもねえよ」 リーダーの手を払い、廊下を進みながら彼は続ける。 「海羽は何時だって待つばかりだ。毎度見ていて心苦しい。だがな。そりゃ、心労は嵩むだろうが、遠く離れている訳じゃない。あいつなら大丈夫だ。どれだけ長かろうと、待ち続けるさ」 静かに、最後まで調子を変えずに語られた見解を、リーダーは無言で噛み締めた。 沢也の指先がバリアの表面に紋章を書く。パスワードとして機能したそれは、リーダーが通り抜ける間だけバリアを消滅させた。 「帰りは海羽に頼め」 「りょーかい」 「帰る前に顔出せよ?土産、用意しとく」 「土産て。誰への?」 「お前。中身は追加の設計図」 「そりゃ、高い土産だな」 バリアの向こうでリーダーが苦笑する。彼は沢也が悪戯に笑って立ち去ろうとするのを、半端に呼び止めた。 「昔話でも聞けば、多少は気が紛れるかね?」 足を止めた沢也を見ないまま、リーダーは照れ臭そうに問い掛ける。普段はからかって遊んでいる癖に、自分の弟分に好意を寄せられているのが恥ずかしいのだろうか?それともそれを知っていて倫祐の事を語るのが気恥ずかしいのだろうか? 大人ながらの感覚だ、と沢也は考える。例えば大地や門松に、楽しませようと姉の昔話を自分からするのは……ああ、確かに、そうかもしれない。 短い間にぐるりと回った思考。沢也はやはりそっぽを向いて回答する。 「気が紛れるかどうかは別として、喜びはするだろうな」 「そうか。じゃ、せめてもの手助けに」 そう言って踵を返したリーダーの背中。沢也は苦笑混じりに肩を竦めた。 「あんまり気に病むなよ?」 「馬鹿。俺だって病んじゃないさ」 同じく苦笑して、リーダーはヒラヒラと手を翻す。 沢也は彼が扉をノックする前に、その場から静かに退散した。 海羽がリーダーにどんな話を聞いたのか。それは二人のみぞ知るところ。 cp107 [なおす]← top→ cp109 [file9"報告書:第一"] |