なおす






 深夜。
 いつもであれば静かな王座の間が賑わいを見せる。
 理由は単純に、咲夜を筆頭に長テーブルに人が集まっているから。
 テーブルの中央には真っ白な剣。倫祐の得物だ。
 宝石部分のヒビを修繕する為、こんな時間に会議を開いているのである。
「さあ、あなた達。修理に必要な材料は覚えているかしら?」
 王座を背に仁王立ちする咲夜の問いは明るく。対して彼女を見据える面々はテンションも低めに答えを連ねていった。
「エリマキトカゲのしっぽ」
 義希が呟く。
「輝くキノコ」
「ルビーの原石」
 沙梨菜と有理子が俯き気味に。
「人骨」
「モンスターの血液」
 小太郎と沢也が適当に吐き捨てる。
「星の砂」
 最後に蒼が実物を提示した。
「あら、良く覚えてるじゃない」
「苦労しましたから…」
 苦笑ながらに小首を傾げた有理子に、咲夜の満足気な顔がうんうんと上下する。
「でもよ、モンスターの血液。どうすんだ…?」
「そこはほら。彼等の力を借りるところでしょう?頭使いなさいよね、小太郎くん」
 名指しながらに頭の横で指をくるくるされた彼は、言葉に詰まってそっぽを向いた。流石の小太郎でも、咲夜に喧嘩を売ろうとは思えなかったらしい。尤も、昔の彼ならばもしかしたら食いついていたかもしれないが。
 それはそれとして。
 咲夜が言った彼等とは、テーブルの上を陣取る妖精達の事である。小太郎の頭の中では妖精の知恵を借りると予測が立てられたが、実際にはもっと直接的。要は彼等の血液を借りてみようと言うのが咲夜の考えだ。
 妖精達も既に了承済みで、準備の傍ら壊れた剣を心配そうに眺めている。

 あれから3日…いや、4日が過ぎようとしていた。

 大手術を終えた倫祐は、担架で海羽の部屋に移動。今も眠り続けている。外も中も全てきちんと繋ぎ終え、あとは本人の自己治癒力に託すのみだ。勿論、眠っている間も定期的に治癒魔法を当てる必要があり、完全に終わったとは言い切れない。加えて、魔法を使っての手術の後遺症で何時目を覚ますか分からないのだから、安心とはまだまだ遠い状態と言える。
 手術で魔力の全てを使い果たした海羽とハルカも、彼の隣で死んだように眠り続けた。その二日の間、彼等を看ていたのは沢也だ。
 流石の彼も疲れたようで、昨日海羽が目覚めるなり丸一日寝倒したことになるか。しかし今日の朝早くには起きてきて、通常通り仕事に溺れていた訳で。今も今とて、咲夜の指示にヘイヘイと従っては欠伸交じりに働いている。

 殆どの材料は咲夜が揃えてきた。不足分を補うのは蒼と妖精達である。
 星の砂を蒼のコレクションから拝借し、妖精達から少量ずつ血液を分けてもらった。
 咲夜はその間中、控え目とは言いがたい爆発音を響かせ続けている。
 骨や尻尾を液体に浸した時に一度、キノコと血液を掛け合わせた時に一度。間に幾つか小さな爆発を交えつつ、全てを混ぜ合わせた時にもう一度だ。
 その後は平和に撹拌が続き、薬剤は無事陶器のすり鉢から瓶に移動される。
 慌ただしく動いていたのは沢也だけで、他は邪魔だからと遠巻きに眺めることしか許されなかった。小太郎に至っては、もう役目も無さそうだからと遅番に戻されたくらいである。従って爆発の中でもうたた寝していた数名が、咲夜の発した「よし!」と言う声にビクリと跳ね起きる羽目になった。
「さあ、じゃあ始めるわよ。テーブルを端に移動して。剣はこのままの位置で床に置く」
 大扉側に居た面々が急かされる前に作業を始めた。近衛隊の面々が沢也を怖がるのと同じで、彼等は未だに咲夜に頭が上がらないのである。
 やはり仁王立ちで王座の前を陣取る彼女は、文句もなく働く友人達を満足げに見守っていた。
 その隣から、実の弟がなんとなしに問いかける。
「お前。魔力はどっから調達してるんだ?」
「あら。バレてたの?確かに私は魔力なんて持ってないけど。知識だけはそれなりに持ってるつもりよ」
「どーいうこと?」
 たまたま話を聞き付けた義希が割り込むと、姉弟は全く同じタイミングで二度の瞬きを浴びせた。
「どうもこうも。こいつは元々魔術師なんかじゃねえ。ただの鉱物学者。もとい魔術オタク」
「でも、コレ、直してくれたじゃん。魔法で!」
「僕は海羽さんの魔力を使ったのだと思っていたんですが…違うんですか?」
 沢也の解説に驚く義希の後ろから、いつもの調子で蒼が見解を注ぐ。咲夜はそれに頷いて、次に否定するように首を振った。
「半分正解。半分不正解」
 今、この場に魔力に対する充分な知識があり、かつあの場に居合わせたのはこの姉弟だけだ。海羽は四六時中倫祐の側に付いているのだから。
 咲夜は作業が終わるのを待って、徐に剣の前に立つ。
「あの時魔法陣を引いたのは海羽ちゃんだったわね?私はその魔力に自分の魔力を注いだの。そうして魔法は発動した」
「でも、今魔力なんて無いって…」
 口を尖らせての義希の呟きを、咲夜の耳が拾い上げた。向けられた人差し指から何かが放出されたかのように、彼の体が後ろに反れる。
「私はあの家にマジナイをかけていたの。あなた達、変な家だなーって顔、してたじゃない。あの装飾には意味があったってこと。俗に言う風水よ。分かる?南に緑の物を置くと幸せになれる、とか。そういうの。それをきちんと突き詰めていくと、実際に威力を発揮する。殆ど魔術みたいなものね。だけどその類いのマジナイにはとんでもない手間がかかる。膨大な量の品物の準備に配置、そこから微調整。更にはその場に止まらなければ意味がない。ごく限られた、限定的な魔術なのよ。分かる?」
 みんなの顔を一周して、長文の間に戻ってきた咲夜の視線と問い掛けに。頭の回っていない義希は生唾を飲み込み聞き返した。
「つ…つまり?」
「あなたは相変わらずね。義希くん。ま、そこがあなたの良いところかもしれないけど?」
 ニヒルに笑って仁王立ちに直った咲夜は、溜め息一つで話を元に戻す。
「私はあの場所にマジナイをかけ、魔力を産み出し、日常的に使用していた。だけどそれはあの場所でしかできないこと。あれと同じシステムを、他の場所に設置しても、馴染むまでに一年はかかるでしょうね」
「日常的にって…でも、それって凄いことなんじゃ…」
「あら。そうよ?だけどね。今、弱りきった沢也が持つ魔力、こんなのよりも少ない量しか保てないの。何たって器が無いんだから。常に垂れ流し。しかも私にしか使えない。そりゃそうよ。私の為のマジナイなんだから」
 有理子の呟きに即答して、最後には肩を竦めた咲夜に、驚いたような眼差しが集まった。見開かれたそれらを軽く見渡して、彼女は呆れたように言う。
「それくらい限定しなければ出来ないってこと。そう易々と魔力を産み出せたりしたら大変でしょう?きっと今頃、世の中魔術師で溢れてるわ」
「まあ、確かに…」
 昔、誰かが同じような事を言ったような、言わなかったような。誰からともなく連なった納得は、咲夜が手を叩く音に収められた。
「さて。そう言うことだから」
 そう言って、彼女はくるりと首を回し、隣に佇む弟の肩を叩く。
「あとはあんたに任せた」
「そんなこったろうと思った…」
 丸投げされた沢也は、泥のような溜め息を吐き出しながらも、咲夜から立ち位置と二つの小瓶を譲り受けた。
 彼の手には古めかしい本が開いた状態で乗っており、状況からして魔法書であろうことが窺える。如何せん、見える位置には見たこともない言語しか書かれていない為、回りにいる誰もが断定することなど出来なかったのだ。
「失敗したらどうなる?」
「直らないだけ」
 質問へ返しながら部屋の隅に移動し終えた咲夜が、振り向くなり不穏な一言を付け足す。
「で、済めばいいわね?」
 安心が不安に変わった。空気まで重くなった気がするのは気のせいでは無いだろう。
「どう思う?」
 沢也が次に問い掛けたのは、中空に浮かぶ妖精、烏羽だった。彼は沢也の手元に移動して、ゆっくりと内容を再確認する。
 彼以外の妖精達は、沙梨菜と有理子、乙葉と蒼の肩の上で休憩中だ。沢也と海羽同様、まだ本調子では無いのだろう。器が大きい分、満たされるまで時間がかかると言うわけだ。
「大方問題ないだろう。ただ、今回はこの代物だからな」
 結論と共に顔を上げた烏羽は、目だけで剣を示す。仮にも妖精の化身だ。失敗は許されないと言いたいのだろう。
 沢也が溜め息で頷くと、烏羽は直ぐ様解決案を示した。
「俺も力を貸そう。これなら補助魔法の範囲内だろう」
「大丈夫なのか?」
「彼等ほど消耗はしていない。バリアを張っていただけだからな」
 烏羽は何でも無さそうに言うが、その規模が尋常ではないわけだが…と、沢也は思う。なんたって城を含む下町の半分を覆っていたのだ。いくら装置の力を借りたとは言え、それはもう「バリアを張っていただけ」と表現して良いものではない。
 そんな沢也の無言の疑問は軽く流され、烏羽はさっさと話を進める。
「陣の修正はこちらが持つ。君は発動まで陣をしっかり維持してくれ」
 簡潔な指示の合間、烏羽の体から光が溢れる。口の中で短い呪文が唱えられた後、彼は続けた。
「合図したら発動の呪文を」
「分かった」
 沢也はそれに短く頷いて、直ぐに陣を製作しにかかる。元々微少な魔力で発動する代物だけに、陣そのものはかなり複雑だ。
 左手に本を持ち、右手の指先で床に線を引いていく。何時ものように、後で拡大するつもりなのだろう。遠巻きに見ている面々からは、彼が何を書いているかまでは見えなかった。
 ただ、普段沢也が描くものよりは確実に大きい。それだけは、見るに明らかである。
 全ての線を引くのに、5分ほど時間を要した。その間にも烏羽が細かい修正をしている様が見てとれた。
 沢也の放つ青白い光を、烏羽の真っ白で、強い光が消していく。それが線に直るとまた、光は青さを取り戻した。
 短い合図の後、沢也は両手を使って魔法陣を広げる。本と見比べながらの修正が暫く続いた。
 足りないところは沢也が。修正は烏羽が。念入り過ぎるほど、慎重に描かれていく陣の全景が、記憶の中のものとぼんやり重なった。
 あのとき海羽は、これを一瞬で引いたのだ。咲夜の感嘆が当然のように思えてくる。
「妖精でもこれを一瞬で引くことは難しいの?」
 有理子が肩の上のすずめに聞いた。彼女は小さく首を傾げ、丁寧に解説する。
「あれは妖精の作った魔術ではありません。咲夜さんオリジナルの要素、つまりは人間のテイストが混じっています。だから私達も一瞬では難しいです。確認しながら製作した方が安心ですし、安全です」
「妖精の魔術なら、得意な子は一瞬で陣を作るよ。例え複雑なものでもねっ」
 補足がてら誇らしげに胸を張ったのは、すずめの姉のつぐみだ。沙梨菜が相槌を打つと、その場だけ花が咲いたように明るくなる。
「では海羽さんは、陣を引くのが得意なんですね」
「そうですわね。発動に迷いがありませんし、きっと沢山の陣をご存知なのでしょう」
 蒼の呟きを、乙葉の肩の上の桃が拾った。その更に向こうから有理子が顔を覗かせる。
「あの子、料理のレシピとかも直ぐに覚えちゃうのよ。きっと記憶力が良いんだと思う」
「沙梨菜的には、好きになるほど集中するタイプに見えるなぁ。海羽ちゃんは」
 二人の見解を聞いた乙葉が目を瞬かせ、横目に蒼を見上げた。
 その向こう側で彼の姉がにこにこと言う。
「しかし、沢也さん。これは初めて使う魔術なのですよね?大丈夫でしょうか」
「大丈夫。沢也はその点上手いから」
 蒼の肩の上で翡翠が答えた。桃がそれを補足する。
「発動に必要な魔力量、維持に必要な魔力の調節、呪文の唱えかた、終息させるタイミング…他にも幾つかありますが。総合的に見て、沢也さんはセンスに長けていらっしゃると、私も思いますわ」
「沢也くん、器用ですからね」
「さっすが沢也ちゃん!やっぱり凄いなぁ…沢也ちゃんだなぁ…」
 蒼の同意に沙梨菜の感嘆…のような何かが続いた。くねくねと揺れる彼女を生暖かく見守りつつ、軽く流す様子を乙葉と椿が見守る。
「皆さん、仲良しなんですね?」
 朗らかな姉の発言に蒼が微笑を竦めると、肩の上の翡翠が頷いた。乙葉も二人に同意して、静かに正面に直る。
 椿の反対側、沙梨菜の隣では、位置的に蚊帳の外にされた義希が口を尖らせていたが、雑談はそこで中断された。何故なら沢也が立ち上がったから。
 どうやら追加の線を描き終えたらしい。あとは烏羽による微修正を待つだけだ。
 本を片手に、陣を見据える沢也の額に汗が伝う。これだけ大きな陣を保つのはなかなか大変なようだ。
「いい勉強になるでしょう?」
 咲夜からヤジが飛ぶ。沢也は口端を歪めただけでそれに答えた。
 一見して不機嫌そうに見えるが、仲間たちは自然と理解する。
 彼は今、楽しんでいるのだと。
「いいだろう。やってくれ」
 ハッキリと合図して、烏羽が飛び退く。沢也は中央に薬剤をばらまいて、その上に剣を乗せた。
 後で掃除が必要だろうか、と頭の片隅で呟きながら。彼は懐からもう1つの瓶を引き抜く。
 真っ赤な粉が手元から落ち、周囲の光を吸い込むように輝きを増した。
「我が魔力と引き換えに、再形成を望む。真紅の結晶よ、生き返れ」
 風が窓を揺らす。赤い光が白い天井に昇っては、光に紛れて消えていった。
 魔法陣の外側から内側へ、流れては昇っていた色彩の眩しさが、不意に弾けて辺りを満たす。
 広い室内が真っ白に染まった。
 瞳を細めて事の顛末を見守っていた沢也が、目の前で起きた現象に息を呑む。
 今、自分が魔力を注ぎ続けている剣から、ふわりと白い人影が浮かび上がる。片眼に靄がかかった、真っ白な妖精だ。
 彼女は長い髪を風に靡かせて、天を仰ぐ。時間が経つにつれ、靄に隠れていた目元が次第に姿を表した。
 閉じた瞳が開かれる。
 綺麗な赤が二つ、緩く微笑んだ。
 光が弾ける。
 元の色を取り戻しつつある王座の間。眩しさから解放された面々が、魔法陣の拡散をぼんやりと眺めていた。
「……今のが?」
「見えたのか?」
 烏羽の問い掛けに、沢也は頷く。一瞬の出来事だった筈だ。それにしては酷く鮮明に覚えている。
「彼女が雪那だ」
 烏羽は呟いた。何時になく遠くを見据えて微笑みながら。
 彼はそのまま綺麗に治された剣の元まで飛んでいく。そうして宝石の表面にそっと触れた。
「これでまた戦えるな」
 烏羽は雪那を知っているのだろうか。それでもまだ、戦わなければならないのだろうか。
「……」
「良いんだよ」
 何か言いかけた沢也の後ろから、結が答えを注ぐ。
「それが彼女の望みなんだから」
 振り向くと、寂しげでいて嬉しそうな結の顔が見えた。
 沢也は彼の言葉を勝手に分析して納得する。
「そうか」
「そうだよ」
 思い浮かべた事を読み取ったのか、結は満足そうに頷いた。

 雪那は何も、戦うことそのものを望んでいる訳ではない。
 ただ、剣であることで…剣の姿を保ってさえいれば、倫祐の役に立てることは確かだろう。

 その後、雪那は倫祐の元に戻された。
 傷の無い、綺麗な姿のまま。彼が目覚めるのを待つことになる。



 これで一つ、心配事が片付いた。
 しかしまだまだ問題は山積みだ。


 翌々日の早朝、小次郎から捜査報告書が届けられる。
 届けにきた門松は、そのまま集荷をして直ぐに飛竜で飛び立って行った。昼には別の団員と交代して、橋の修理に助っ人参戦するのだと。鼻息も荒く、騒がしく去る彼から元気を貰った蒼は、その場で大きく伸びをする。
 必然的に上へと逃げたA4の封筒が戻ってくるのを待って、沢也は受け取り封を切った。
 分厚いのは主に写真のせいらしい。概要は一枚の書類に全て納められていた。残りは資料が10枚ほど。
 沢也は一番重要な概要を、蒼と、居合わせた義希、有理子にも聞こえるように読み上げた。
 小次郎の字は、兄の小太郎のものと違って読みやすい。

「爆心地は壊滅状態。
 僅かに残った瓦礫等から、何らかの実験施設であったことは間違い無さそうだ。
 地上二階地下一階建ての、比較的小さな建物。その地下部分からは大量の動物の亡骸が見付かった。本島で捜索届けが出されているであろうものも散見される。しかしながら量が量な上、どれも死後数日が経過しており、感染病対策が優先された。その場でバリアを発動、焼却処分とする。
 残された骨からは多量の強化剤が検出された。今までに類を見ない、狂気的な量だ。
 実験そのものは建物の地上一階部分で行われていた物と思われる。試験管やビーカー等、器具の欠片が散乱していた。その他鉄製の檻のようなものが発掘されており、例のキメラはその中に居たと推察される。
 爆発の原因は不明。ガス等の科学的な痕跡が残されていない事から、魔力によるものである可能性が高い。
 二階部分は全てが吹き飛んでおり、紙や本の類いも発見されなかった。
 唯一の手掛かりは四散したノートパソコンに付属されたUSB端子だろう。中身は実験に当たっていた魔術師の日記のようだ。
 一先ずその現物を送付します。その他細かい調査については、追って連絡致します。

 追伸……残念ながら端子そのものが歪んでいて一部しか読み取れない為、そちらの優秀な技術課に復旧作業を一任させて頂きます」

 読み終えると、全ての感情を押し込めたであろう義希が、複雑な表情のまま封筒に入っていたであろう物体を持ち上げる。
「で、これがそれ?」
 一見してそうは見えないが、食いしん坊な彼には直ぐに分かったようだ。何故なら。
「随分とじゅーしーなUSB端子だな」
 漫画肉の食品サンプル型の端子だったから。
「爆発で焦げるにはうってつけの飾りですね」
「見てくれはいい。問題は中身だ」
 蒼のにこにこに溜め息を浴びせた沢也が、多少歪んで焦げて、ついでに溶けたそれを義希から取り戻したところに騒音が訪れる。
 ばたこーん、と。漫画のような効果音と共に顔からスライディングしてきたのは、緑色のザンバラ頭だった。
「で、でででででで出番だと、う、うぅうかがいまして…その…」
「呼ばないと拗ねるだろ?」
 この早朝に呼び出された仁平は、開始に遅れまいと随分急いだのだろう。息も絶え絶えに顔を頷かせた。
 沢也はルビーから長テーブルにパソコンを移動させ、メロンソーダと椅子をセッティング。這ってきた仁平を座らせた。
「取り合えず、今読み込める分のバックアップは取ってある」
「さ、さすが、お仕事が、は、早くて、助かりますですますです、は、はい…。熱で中、身がぶち壊れ、ていなけれ、ば、いいのですが…………」
 どこから駆けてきたのか、未だに呼吸も整わないまま漫画肉を受け取った彼は、それでも爛々とした目でパソコンを起動する。
 その正面を陣取った義希は、欠伸を噛み殺してパソコンの背面を眺めた。寝坊助の彼がこの時間帯に目を開けているだけでも奇跡のようなものである。
 短い起動音。薄っぺらい物の内側でカタカタと準備がされていく。ディスプレイの強い光が、何時の間にやら装着された仁平の眼鏡に映し出され、文字が上へと滑っていくのが見えた。
「歪んでるのを直すんじゃないん?」
 立ち上がったパソコンに、仁平が端子を差し込むのを見て義希が問い掛ける。仁平は少し顔を上げて、瞬間的に義希と目線を合わせた。
「い、いえ…物理的には、そ、そうですね、あまり、手を加えるか、価値は無いように思いますです、はい…」
「言ったろ?大事なのは中身だって。読み込めないもんを無理矢理復元するのが、こいつの仕事だ」
 補足がてら、沢也が仁平の頭に手を置くと、スイッチでも入ったかのように口元が緩む。それを間近に見た義希は沙梨菜を思い出した。
 椅子にも座らず、テーブルに腕と頭だけを乗せ、仁平がキーボードを叩く様を見守る。眼鏡に映るディスプレイの動きは忙しないのに、異様なほどに静かだった。
 気付けば沢也は既に別の仕事を始めているし、蒼もデスクに戻っている。有理子に至っては、何時の間にやら自室に引っ込み電話をしているようだ。
 義希は腰にぶら下げた時計を覗き見て、出勤時間まであと10分程あることを確認する。次にその間中、ここに居ても良いものかと自問した。
 本人も気付かぬうちにこぼれ落ちた唸り声に釣られたかのように、仁平の顔が微かに上がる。
「あ、あの、よよよ義希さんは、こっ、ここ小太郎さんとは、な、な仲良しでいらっしゃいますですますか?」
「うぇ?小太郎?えーと。そだな、仲良しだと思うー」
 唐突な問い掛けに若干手間取ったものの、直ぐに笑顔で応対する義希。対して仁平はにへらと笑う彼を眩しそうに眺めては、しどろもどろに話を進めた。
「彼の、その、戦闘スタイルといいますですか、ふっ…普段の、癖のようなものといいますか、そう、言ったものですね?な、ななな何かお気付きでしたら、ささささ参考までにお聞かせ、願えませんかと思いましまして………はい…」
「クセ?癖かぁ…そうだなぁ…」
 先と同じ様にうーんと唸り、片手を顎に添えてから、義希は口を開く。
「昔は髪が長かったから、良く前髪をこう…」
 頭が回りきらなかったのか、仕草で答えることにしたようだ。前髪を片手で頭の上まで持っていき、思い出したように大口を開ける。
「かきあげるよな?な?」
「そうですね」
 遠巻きに同意を求められた蒼が、義希の一連の動きを笑うように肩を竦めた。ほうほうと頷く間にも、仁平の手元は休むことなく動いている。
 それを目の当たりにしたからか、義希の脳も段々エンジンがかかってきたようだ。人差し指を上下させながら、上目に言葉を並べていく。
「あとは…結構力任せに動きがちって言うか…思い切りが良いって言うか…」
「瞬発力はありますよね」
「危なっかしいとも言う」
「ってか何回目だっけ?作り直し」
「少なくとも4回は。跡形もなく」
「遠慮を知らな過ぎ。乱暴。手入れは適当。注文多し」
「それで仁平に投げたん?」
「今回は割と仕方がないとは言え、余裕ありませんからね」
「んなことより、もっときちんと答えてやれよ。インパクトの時にやたら捻り入れるのとか」
「あ、そか。うーん…防御は苦手そうだけど、こう、横向きに受けるのは得意そうだなぁって?」
「フェイントも大好きですよね?右で斬りつけておいて、左で突くとか」
「ああ、やるやる。良くそんなとっから…って動きするよな?」
「基本的に力学は無視だ。無駄な動きは多いが、ポテンシャルだけは高いから、無理くりだろうとなんとかなっちまうんだよな」
「で、壊すと……」
 義希、蒼、沢也と周回していた会話が、義希の発言で終了する。
 誰からともなく温い溜め息が漏れたところに、仁平が満足そうな声を挟んだ。
「はい、大変、あの、参考になりましまてすた…」
「どっち……?!」
 あやふやになった語尾を振り向いた義希は、仁平が回転させたノートパソコンを見て更に目を見開く。
「復元も、あの、なんとか……はい…」
「え!もう?!」
「しっ……死にかけた回路を、ううぅ迂回して、サルベージするだけ、で、済みましたから…」
「手応えが無くてがっかりだったな」
「はい…もっと大仕事に、なるものかと…」
 沢也の苦笑にしょぼんと肩を落とす辺り、冗談ではなく本気でそう思っているらしい。義希は感心と尊敬を籠めて笑顔を傾げた。
「でも、小太郎の腕は大仕事なんじゃん?」
「はい…!し、しかしながらボクには生物の知識はありませんですますからして…接続部は沢也さんに、ま、任せきりな、感じなのですけれども…」
 勢い勇んで頷くも、最後には申し訳なさそうに萎縮してしまう。そんな仁平の寂しげな瞳を眼鏡越しに覗き混んだ義希が、珍しく察して頭をかいた。
「なんか、色々大変なんだな?」
「その通りだ。分かったなら、あの馬鹿にもっと大事に扱うよう促してこい」
「うい。じゃ、そろそろ行くかなぁ……」
 仁平からデータを受け取りながらの沢也の指示に、義希は大きな欠伸をしながら了解した。








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