短冊





 

 珍しく沢也が駆けてきた。
 海羽はその気配で顔を上げ、小さく息を吸い上げる。
「誰か、B型の人を…」
 聞き終わるよりも前に、彼は通信機の向こう側に指示を伝えた。すると数秒も待たずに駆けてくる人影が。
 沢也の横に急停止したのは小太郎だ。片腕の彼は上着を脱ぎ捨てると、口を駆使して腕をまくる。
「勝ち逃げされてたまるかってんだ…」
 小さな呟きが舌打ちに混じった。涙目の彼の後ろから慌ただしく沙梨菜が駆けてきて、腕捲りを手伝う。彼女もB型なのだ。
 海羽は二人に感謝して、小さな魔法陣を3つ書いた。真っ赤なそれは、二人から倫祐に血液を送ってくれる。
「お前…大丈夫なのか?」
「海羽ちゃん…顔色が良くないよ?ねえ、沢也ちゃん…」
「心配するな。対策はしている」
 小太郎と沙梨菜、二人に見上げられた沢也が小さく息を吐いた。
「海羽、もう暫く踏ん張れ。そこから更にもう一踏ん張り必要だが…そん時は俺も手伝う」
 言い捨てて去ろうとした彼が、一歩目で立ち止まりもう一度振り返る。
「あとどれくらい必要だ?」
 主語のない問い掛けで、小太郎と沙梨菜が海羽を振り向いた。彼女はぼんやりとした眼差しで、中空に答えを放つ。
「止血は大体済んだから…でも、あと二、三人は…」
「だとよ。念のため5人残れ。後はあっち。城に走る」
 沢也の言葉でまた、座り込む二人の首が動いた。監視塔の側面から顔を覗かせていた何人かと、二人の目がばっちり合う。
 慌てたように首を引っ込めては、話し合いを始める彼等を放置して、沢也は浅い溜め息を吐いた。
「ハルカ。お前も無理すんなよ?」
「そう?なら、ごめん。お言葉に甘えて」
 名指しされたハルカがぐったり気味に頷くと、秀を囲っていた防音バリアが溶けていく。途端に汚い言葉が飛び交い騒がしくなった。
「この私を魔法で押さえ込むとは…どう言うつもりだ!おい、こら!聞いているのか?!」
 早速始まった抗議をさらりとスルーして、沢也は町の中へと歩を進める。
 暫く付いてきた中傷や罵倒がすっかり聞こえなくなった頃には、目的地に到着していた。
 丁度年始めに修繕した防壁兼展望台の一部分。怪我人を集めた一角だ。
「正宗。足見せろ」
 圓をはじめとした隊員達が救急箱片手に走り回る中、沢也は真っ直ぐに彼の元へ行き、膝をつく。当人は慌てて片手と首を振り乱した。
「大丈夫ですよ」
「馬鹿言え。倫を除けばお前が一番重症だ」
 茂達は既に他の業務に向かったらしく、彼の隣には同じく怪我人である帯斗と諸澄が付いている。
 正宗の右足にはキメラの歯形の裂傷があり、見ているだけで痛そうだ。止血はしてあるが、それ以上どう処置すべきか分からないと、先程無線に連絡があったばかりである。
 因みに帯斗は左腕の骨折、諸澄は腰と背中に浅い裂傷と打撲。どちらも圓による応急処置済みだ。
 沢也は正宗の足を眺め、骨にまで傷があることを確認した後、詠唱に入る。顔をあわせてほんの数秒で始まったそれを、正宗は困ったように止めにかかった。
「それなら尚更。隊長に取っておいてくださいよ。その魔力」
 正宗の言葉を聞き入れず、沢也は指先で描いた光の陣を拡大して、発動の為の呪文を唱える。
 数秒間、静かに連なる言葉の波が収まった。淡い光が傷口を覆い、治癒力の向上と痛み止めを施していく。
「あいつのことは海羽に任せておけば大丈夫だ。俺の力が必要になるのは、オペ室に移ってから」
 沢也が掌から魔力を送り続けるのを、三人の眼差しが興味深そうに見守っていた。魔法の内容を知らない彼等からすれば、これだけの事が出来るのに何故?とでも言いたげである。
 沢也は訝しげとも取れる視線に、暇潰しがてら回答した。
「俺の回復魔法なんてたかが知れてる。あいつの医術魔法がどんだけのもんか、お前らは知らんだろうがな。こんな少ない魔力、大事に取っておく必要は無いってことだ」
 言葉が切れると同時に光も収まる。傷口は先と殆ど変わっていなかったが、多少痛みは和らいだ筈だ。
「もう暫く辛抱しろ。怪我人纏めて城に輸送する。それまで大人しくしているように」
「でも、大臣…」
 食い下がってきた帯斗を立ち上がりがてら睨み付け、沢也は溜め息混じりに釘をさす。
「お前らも。こきつかって欲しいなら城に着くまでじっとしてろ」
「城に着いたらどうなるってんだよ」
 諸澄が口を尖らせ抗議すると、沢也が出す威圧が強まった。
「着けば分かる。いちいち説明してる暇なんかねえんだ。黙って従えクソ野郎」
 舌打ちと共に去っていく彼の背中を、怯んだ二人と朗らかに笑う正宗が見送る。

 その間にも通信機には指示や報告が飛び交っていた。

「義希くんは避難者の誘導に回ってください。あなたの判断で数名連れていって構いません」
「らじゃ」
「橋の修繕には郵便課のみなさんが、資材を持って来てくださいます。作業に慣れている方、機械に強い方は橋の側で待機、無理のない程度で瓦礫の処理を進めてください」
 喋りながら、周辺の安全確認から戻った彼を上空から呼ぶ声が響く。
「蒼くん…!」
 半ば乱暴に彼の側へと降り立ったスクーターは、有理子の運転するものだ。
「来たか」
 通信機越しに沢也の声。蒼は橋の側から歩いてくる彼に頷いて答える。
 橋の入り口では相変わらず、秀が抗議を続けていた。有理子は季節外れのスプリングコートをそっと前に引きながら、近付いてきた沢也に問い掛ける。
「どうするの?」
「どうもこうも」
 呟いて、彼は徐に上空を見上げた。煩わしかったテレビ局のヘリコプターは、もう飛んでいない。キメラを倒すなり撤退したのだろう。遠くで音がしている気配もなかった。
 三人揃っての確認を終えると、沢也は蒼に目配せする。彼はいつもの笑顔を頷かせると、建物の影から照準を定めた。
 真っ直ぐに伸ばした両腕。左中指にはバリアリング。右手には雷魔法の陣入りグローブ。
 何の合図もなく、蒼は遠目に見える秀をバリアで囲う。唐突な出現に驚きながらも、怒った秀はバリアを叩いた。
 綺麗な青が弾ける。
 痙攣を経て、どさりと地に伏した秀の体からは俄に煙が上がっていた。
「加減、したんだよな?」
「さあどうでしょう?」
 歩み寄りながら、二人はいつもの調子で会話をする。呆気に取られていた周辺の面々が、恐る恐る秀を覗き混んでいた。
「喚きすぎて疲れたんだろ。放っといていいぞ。そのうち目を覚ます」
「もっと早く疲れてもらえば良かったですね」
 沢也の適当な指示のあとに、笑顔の蒼がにこにこと言う。秀の現状と言い、彼等の対応と表情と言い、目撃した面々はドン引きである。
「二人とも、怖すぎ」
 唯一意図を知っている有理子が、二人の背中をポンと叩いた。振り向いた彼等の苦笑いを受けて、彼女は小さく肩を竦める。
 どうして秀を気絶させる必要があったのか。その答えは彼女のコートの中にあった。
 周辺に居たメンバーも、それを見るなり納得する。
 普段なら絶対に人前に出ることがない妖精が二人、有理子の懐から飛び出した。
「桃も来たのか」
「どうしてもって言うから…」
 バリアを巡らせつつぼやく沢也に、有理子がしれっと肩を竦める。
 その間にも、桃とつぐみは海羽の側まで飛んでいった。
「海羽さん…」
 心配そうな声が響く。桃は顔を上げない彼女の頬に手を置いて、自らの額を寄せた。
「消耗し過ぎですわ。先にお渡しします」
「その間に準備しちゃうよ」
 桃の体が輝き始めるのを見て、つぐみが宣言する。ピンク色に輝く桃と海羽の真下に、ゆっくりとつぐみの陣が出来上がりつつあった。
 蒼が王座の間に現状を報告する。あちらでも同じように、すずめが陣の用意を始めたようだ。
 強かったピンク色が次第に白に成り変わる。色が失われると同時に、桃がへたりと膝を着いた。
「ありがとう…桃…」
「これくらい、大したことはありませんわ」
 うっすらと目を開けて感謝する海羽に、桃は誇らしげに笑って見せる。その頭上で淡いオレンジ色を生み出していたつぐみが、くるりと回って片手を挙げた。
「準備、できたよっ」
 合図を聞いた沢也が秀を引きずり陣に入る。
「蒼、お前もこっちだ」
「ですが…」
 周辺を見渡し躊躇う彼の背を、有理子が横からぽすりと押した。
「大丈夫。後は任せて?王様がこんなとこにいたら、大騒ぎになっちゃう」
 海羽と、倫祐の容態を目の当たりにした彼女は、震えを堪えて笑顔を作る。その後ろから更に二人が後押しした。
「うん、沙梨菜も、ちゃんと働くからさ」
「心配すんなって!ここの指揮はおれ様に任せろし!」
 沙梨菜がピースを前に出し、小太郎がにかりと白い歯を見せる。
 有理子の心配症も気にかかるだろうし、何より戦闘中、殆ど何も出来なかったのが後ろめたいのだろう。それでも蒼は躊躇いがちながらに頷いて、沢也の隣に立った。
 魔法陣が淡く光る。つぐみの詠唱が馴染みの無い言語で、断続的に響いていた。
 沙梨菜と小太郎が一歩下がる。少し遅れて有理子も二人に並んだ。
 光が泡のように溢れ、陣の中に居る人々を包み込む。そうして全てが弾けた頃には、監視塔の下には瓦礫と血溜まりだけが残された。

 一方光に変わった彼等は、同じようにして先とは別の景色が生まれるのを眺めている。
 青空と海を臨める騒がしい崖の上とはうって変わって、こちらは落ち着いた室内だ。
 沢也の指示通り、応接室に運びこんだベッドの上に移動した沢也と蒼は、秀を引きずり下ろして一息付く。
「助かった」
「ありがとうございます。無理を言ってすみません」
 転送魔法を使用した妖精姉妹に揃って頭を下げると、彼女達は満足そうに胸を張った。
「何言ってるの!」
「寧ろ、頼ってくれて嬉しいです」
 気丈に振る舞ってはいるが、長距離間を転送させるのはかなりの魔力を消耗すると聞いている。蒼は姉妹と桃を肩に乗せて、足早に部屋を出ていった。
 残された沢也は秀の足首を引っ張る片手間、壁際の海羽に問い掛ける。
「進展は?」
「もう、少し…」
「分かった。ハルカを置いていく。終わったら呼べ」
 ベッド片隅でぐったりする彼を顎で示し、海羽が微かに頷いたのを確認して、沢也も扉へと足を向けた。
 気絶した秀が重い。元気でも静かでも邪魔なものは邪魔だなと改めて思う。
 彼は応接室を出てもずりずりと引き摺られ、最終的に王座の間の角隅に放置された。勿論応接室からかなりの距離があるところに。
 シュールで無情も良いところだが、無情に関してはあちらが先なのだから、例え文句を言われようがまあ問題はないだろう。
「飛竜は?」
 沢也は数分ぶりに通信機を繋げて質問を投げた。本島にとんぼ返りさせた飛竜は、また王都にとんぼ返りして直ぐに資材を積んで橋に向かわせている。そろそろ休憩させてやらなけりゃ、等と考えていると、リーダーが軽い調子で応答した。
「心配ない。もう着くよ」
 風の音が煩い。まだ着陸はしていないようだ。
「積み荷下ろしたら怪我人を運べ。それが終わったら暫く休憩だ。避難民の輸送は機械に任せる」
「りょーかい。まあ、こっちは交代で、適当にやるから。お前らも休んでくれ」
「そう言う訳にはいかない。こっちもこっちでやることは山盛りなんでな」
 気遣いに溜め息混じりで答え、沢也は自分のデスクの前に立つ。
 通話を切り、耳の端で会話を聞きながら、ぐるりと考えを巡らせた。
 秀の身柄はここにある。人員は十分。拘束は何時でも可能。あとは証拠の確保だけ。治療の他、最優先事項はそれだ。現地に到着した小次郎達からの連絡は、まだない。こちらが出来るのはキメラの成れの果てを浚って成分分析するくらいだろうか。
 パソコンを起動してメールを打つ。二人の姉を大地共々呼び出して、マジックアイテム課に籠らせるのが良いだろう。
 他にもテレビ局への確認や民衆課にかかってくるであろう、問合せ電話の対応等々…水面下で片付けるべき仕事は山とある。
「暫く任せたぞ」
 沢也は深く長い溜め息の後に、八雲と亮に城内の指揮の全てを投げた。
「了解です」
「お任せ下さい」
 電話とメール、通信機に書類と全てを駆使して奔走していた彼等が即答する。
 そうして沢也がすっかり仕事に飲み込まれた頃、妖精の庭から降りてきた蒼が、通信機の向こうに問い掛けた。
「城下町はどうですか?」
「半分ってとこか?でも順調。みんな指示に従ってくれるし」
 民衆を誘導中の義希が明るく答える。同意の声が幾つか連なった。
「こっちも順調…つか轟が張り切っちまって手がつけられねえ」
「門松さんも向かってますから…」
 壊れた橋の側に居る小太郎にしようとした助言は、あちらから聞こえてきた騒ぎに中断される。
「煩い」
「煩いっすー」
「うるせー…」
「着いたみたいですね」
 声の大きな大工二人が揃った事で、苦言と苦情が殺到した。
 困ったように笑う蒼に、飛竜を操るリーダーが申し訳なさそうに進言する。
「あー、蒼。なんだ…こっちの指示は俺が受け持つよ。あいつらからは通信機回収しとくから」
「お願いします」
「小太郎は戻そうか。腕があれだろ?」
「お願いします。くれあさんも不安でしょうし」
「おま…くれあの事は言うなし!」
「ほんとの事ですよ?」
「くそ…逆らえないの分かってていってやがる…」
「分かっているのなら、駄々を捏ねずに戻ってきてくださいよ。こちらにも仕事はありますから」
 蒼がいつものように小太郎を丸め込めると、リーダーは一緒に乗っていた園道に飛竜を任せて、自らは地に降りたようだ。門松と轟を叱る声が、小太郎の通信機越しに聞こえてきた。
「仁平さん、良かったですね。実験体が戻って来ますよ?」
 王座の間で話を聞いていた八雲が城の回線に情報を落とす。沢也によって両方が繋がれた状態の蒼は、続く慌ただしい金属音に苦笑した。
「ままままま待ち遠しいこと、こっ、この上ないです…!」
「お手柔らかにお願いしますね」
 鼻息荒く期待する仁平をなあなあに宥め、一息付く間に飛竜への積込が完了する。
 橋の修繕にはリーダーが総監督、轟と門松を筆頭に、第二近衛隊のメンバーが多く残って作業するようだ。銭と定一はスクーターを引き継いで、資材や人員の移動に専念する。
 その他第一近衛隊の多くは避難解除誘導、町の見回り警護に当たっている事になるか。本隊の茂達は一人城門を守ってくれている。
 問題となるのは、大掛かりな荷物や馬車が本島に渡れない事くらいだろう。荷物だけならともかく、車輪のある乗り物を空路で運ぶのは厳しい。となると、海路の手配が必要だ。
「本島に渡りたい人はどれくらい残っていますか?」
「もう殆どいないよ」
 即答したのは大地である。沢也の指示で先程キメラの残骸(を入れたルビー)を取りに来たばかりの彼が言うのだから、実際そうなのだろう。でなければクレーム対応の為、誰かが残らなければならない。
「民衆は祭りを続行する気満々だぞ?」
 続く左弥の言葉で蒼は納得した。しかし八雲が困った声を出す。
「えっ…しかし…」
「この状況じゃあなぁ…?」
 大地も同じく同意すると、不意に沢也が割り込んだ。
「馬鹿。祭りは意地でも開催する。抜かりなくやれ」
 こちらも城の中だけでなく、城下町に居るメンバーにも繋がっている。方々へ困惑が広がった。
「祭りって…本気でやるのか?」
「何もこんなときに…」
「いえ。こんなときだからこそ、ですよ」
 不安の声を蒼の穏やかな声が制す。短い沈黙の後、帯斗がぽつりと呟いた。
「そうでしたね。今日は七夕すよ」
 ああ、と。納得の声が連なる。城内でも誰かの呟きを皮切りに、同じ様な声が響いていた。
「そうか。そうだったね…」
「こんなときこそ神頼みか…」
 独り言のような言霊が定一や諸澄から上がる。
 振り返れば真っ青な空。天気は夜まで崩れないそうだ。
 蒼は念のため海路の確保を進めながら、用意してあった短冊を長テーブルに運ぶ。色とりどりの長方形は、部屋の中でやけに目立った。
 大扉は解放してある。目に付いた人がフラりと立ち寄っては、まちまちに拾っていく。
「飛竜が着陸しました」
「手が空いている方は一階へ。怪我人を三階まで運んでください。みなさんなんとか歩ける筈なので、肩を貸してあげる程度で大丈夫ですから」
 城門前の茂達からの伝達を蒼が指示に直すと、了解の声が重なって届いた。
 今一度窓の外を覗くと、飛竜の影が城の裏手に落ちている。
 城の前にはまだ避難してきた人々が残っているのだ。いくら半分は済んでいようと、相当な数だろう。
「沢也…」
「終わったか?」
 中空から降りてきたハルカに沢也が答えた。彼は作業を中断して経過を確認する。
 蒼がそれに加わって、沢也の仕事の引き継ぎをする間に、飛竜から降りた怪我人が続々と到着した。
「軽傷含め、怪我人はこれで全部だな?」
 人の動きが止まるなり、沢也が訊ねる。何人かが頷いて答えると、彼は応接室を指差した。
「そっちに全員詰め込め」
 残っていたメイドや城の職員の手を借りて、休んでいたメンバーが再び移動を始める。沢也は応接室の扉を開く前に、念のためと前置いた。
「ああ、血が苦手な奴は部屋の奥見ないよう気を付けろ」
 忠告は忠告として、やはり気になるのだろう。奥の様子を窺わない者は誰一人として居なかった。あの蒼ですら心配そうに眺め尽くすくらいなのだから、そんなものなのかもしれない。
 沢也が海羽と打ち合わせを始める間にも、移動は完了しつつあった。そこに、ハルカが妖精を連れてやって来る。
 全員の視線がそちらに集中した。
「翡翠」
 名を呼ばれた彼は、頷くと同時に魔法陣を発動させる。丁度小さな彼の身長と同じ直径を持つ円が、彼の正面で回転を始めた。
 生み出されたのは白。光の葉が室内に満ちる。
 宙に舞ったそれは、次第に落下してそれぞれの患部に吸い込まれて行った。
 葉が消えるのと同じように、痛みも溶けるようにして消えてしまう。幾つかの葉を吸い込んだ辺りで、諸澄の裂傷が跡形も無く消え失せた。
「すげえ…」
 彼の感嘆が他のメンバーにも広がっていく。衝撃波に飛ばされ、打撲や捻挫をした隊員達も殆どが完治してしまったようだ。
 一分程続いた葉の放出が、ふとした瞬間に途切れる。沢也はぐったりした翡翠を掌に乗せ、入り口近くに待機していた蒼に預けた。
 正宗と帯斗以外は自力で立ち上がり、自ら仕事に戻っていく。沢也は二人の怪我の様子を確認し、出来るだけ安静を言い渡した。
「出来るだけ、ですね?」
 正宗が問う。帯斗も同じ様な顔をして居た。
「今日だけだぞ?明日からはきちんと安静」
「っす!」
「りょーかいです」
 沢也の微笑に、二人は敬礼で答える。正宗は包帯と松葉杖、痛み止めを。帯斗は左腕を首から吊り下げて、同じく痛み止めを処方された。
 彼等が互いをフォローしながら出ていくと、丁度そこに蒼が戻ってくる。翡翠は桃やつぐみすずめ姉妹と同じように、烏羽に託してきたのだ。
「後のことは僕が引き継ぎましょう」
「頼む。念のため通信機は繋いどくが、反応はできねえからそのつもりで」
「大丈夫ですから」
 入り口を背に、蒼は何とも言えない表情を浮かべる。心配と期待と、謝罪と緊張と、感謝と。その他沢山の感情が入り交じったその微笑に、沢也はいつものように、不器用に笑って見せた。
「分かってる。こっちは任せろ」
 蒼はそれに頷いて、そっと部屋を後にする。
 沢也は上着を脱ぎ捨てて、腕時計を外す。イヤフォンの邪魔な部分はクリップで胸ポケットに固定した。
 眼鏡をかけ変える。ピアスから大量のタオルと、薬剤。それから銀色の医療器具を取り出して、海羽の隣に並べた。
 翡翠の魔法で多少は良くなったが、まだ治すべき箇所は山とある。
 重要な臓器の損傷は、今海羽が必死に繋ぎあわせているにても、だ。
「時間が経って痕になった傷は治せないんだよな?」
 呟くと、海羽が微かに頷いた。沢也は傷口を覗きながら溜め息を付く。
「中も結構酷そうだ。苦肉の策だが…確実に助けるにはあれしかない」
「倫祐の中の魔力を使うんだな?」
 外から治すより、内側から治す方が効率がいい。その理論を形にした治療魔法の存在は、お互いに知っていた。
 ただ、これには使い手の技術と手数、患者の体力や気力が必要不可欠となる。前者は二人でなんとかなるだろう。問題は…
「副作用として暫く眠ることになるが…まあ死ぬよりはましだろう」
「どれくらい…?」
「さあ…そこまでは」
 最悪数年…いや、もっと長く眠り続けた事例もあった。しかしこのままでは時間が掛かりすぎてしまうのも確かである。しかも外傷までは綺麗に治らない。
「どうする?」
 沢也の問いに、海羽は行動で答えた。瞬時に引かれた魔法陣を見て、沢也も覚悟を決める。
「分かった。お前は魔法を維持してくれ」
 頷いた海羽は倫祐の体力と気力、魔力の安定化、治療魔法、それから内側の縫合の継続。沢也は自らの手で手術を進めていく。傍らで眠るハルカから時折魔力を供給してもらえば、なんとか持つ筈だ。



 静かな戦いが続く。
 その間に色とりどりの短冊が空に掲げられた。

 城下町。噴水広場の大笹が、夜空に向かって伸びている。
 沢山の祈りはそれぞれの文字で。

 みな、彼の無事を願う言葉を刻んでいたと言う。



 手術が無事に終了したのは、丁度日付が変わった頃だったそうだ。









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