ツクラレシモノ:中編





 
 その生物は巨大だった。
 モンスターでもこんなに大きな狼は見たことがない。例えるなら黒龍のような。それくらいの体積と、重量感があった。
 加えて首が三つもあるのだ。死角が少ない上に、魔法を使うのだから近づくのも容易ではない。
 どうやって、こんな生物を作ったんだろうか。
 門松は考える。今まで走るのに必死で、考えることまで頭が回らなかったのだ。最初から脳裏にこびりついていた疑問を、フルスロットルで解析にかかる。
 首には継ぎ目。いや、毛に隠れて見えにくいが身体中に縫合された痕がある。
 元は本当に狼だったのかもしれない。とにかく、日々動物に囲まれている彼にも判別が付かないほど、見慣れない生き物だと言うことだ。
「今、倫祐さんが接触しました。海羽ちゃんも一緒に」
 園道が電話の向こうに報告する。相手はリーダー…いや、沢也だ。
 門松がその思考に至れたのは、北側の空を飛竜が横切って行ったから。センターサークル経由では、この時間が妥当だろう。
「燃料補充。城だそうです」
 園道が沢也からの指示を伝えた。確かにもう、それくらいしか飛べそうにない。速度を出せば橋の手前で力尽きるだろう。
「倫祐くーん!あと、頼んだっすー!」
 唐突に放たれた門松の大声に、驚いた園道が携帯を取り落としそうになる。両手で電話を受け止めた彼が手を振る門松の目線を追うと、下方で倫祐の頭が微かに動いた。
 頷いたのだと、園道が気付いたのは、王都に進行を初めてから数分も後の事だった。


 首がうねる。
 一つを切り落とそうと近付くと、半球状のバリアが現れた。
 距離を取り、煙草の灰を落とす。
 その間にも、別の首が口内に光を集め始めた。あれが凝縮して、殺人的なビームになる。力加減は時間に比例する。規模も、タイミングも、キメラのみぞ知るところ。
 いや、頭が三つもあるのだから、実際はビームを放つ真ん中の首しか知らないのかもしれない。
 倫祐は瞬間的に考えながら、地面を蹴る。キメラの頭上に移動すると、あちらの首も傾いた。
 どうやら、障害物として認定してくれたらしい。
 光が量を帯びないうちに、ナイフを呼び出し投げ付ける。向かって左の首がバリアを巡らせ、三つのそれを弾いた。
 続けて下降するのは倫祐本体だ。首を落とすつもりで大剣を振る。
 透明の壁に、剣がめり込んだ。
 キメラの顔が歪む。いや、実際に歪んだかどうかは…ほんの一瞬だったので定かではない。
 もう一度。
 切り返して振り切った剣は、強化されたバリアに弾かれた。しかし真ん中の首の動きは止まっている。口の中の光も拡散したようだ。
 その代わりに。
 右側の首が咆哮を上げる。音の代わりに風が巻き起こり、埃や木々を吹き飛ばす。
 キメラを中心にして、円形に跡が出来た。倫祐は風に乗ってその外側に着地する。
 距離が出来た。また、レーザーの準備。
 風圧と同時に、違和感が倫祐を支配した。矛盾しているのは、数だけではないのだと頭が判断する。
 多すぎるのだ。目の前のキメラから溢れてくる気配が。そしてもう1つ。
 短いレーザーが断続的に放たれる。倫祐はそれを剣で弾いて足を踏み出した。
 次第にレーザーの感覚が長くなる。次第に威力が増していく。
 獣にしては学習能力が高過ぎる。妖精の影響を受けている訳でもないのに、魔法を使えるのはおかしい。
「倫祐…」
 海羽の声が震えていた。倫祐は振り向かぬまま首肯する。
「人間だ」
 呟きが間に落ちた。海羽は短く息を吸い込む。
 会話にすらなりきらない話の合間に、ケルベロスの口内に集う光の強さが増した。
 また、あれを放たれては防風壁が無事でいられるか分からない。
 倫祐は海羽の背後を指差し、自らはまた中空へと飛び込んだ。獣の視線が、彼を捕らえる。口の向きもまた、彼の姿を追いかけていた。
 海羽は指示通り、橋側に飛びながら意識を集中させる。ギリギリ魔法が届く距離で停止、両手を伸ばした。
 バリアの首が海羽を見据える。倫祐は風の力を借りて急速に下降した。
 6つの瞳が倫祐を振り返る。
 数秒間。引き付けて、眩い光が放出された。
 青空に光が昇る。一本の白い柱のように。


 一方王都内部、橋の手前では、集結した近衛隊員達が小さな画面を覗きこんでいた。上空のヘリが撮影している映像を、数人が食い入るように眺めている。
 ズームが過ぎて画像は荒いが、光の柱から無傷で出てきた倫祐が何とか確認できた。着地と共に彼の黒さが増したことからしても、恐らく海羽の魔法陣に守られていたのだろう。
 息を飲んで固まっていた帯斗が、長く深い息の後にもどかしそうに言った。
「何でわざわざ上から行くんすか?完全に不利じゃないすか!」
「こっちに来ないようにしてるんだよ」
 あのビームが。小さくそう加えた定一の解説に、彼等の後ろから小型テレビを覗き込む面々も納得する。
 小さな画面の中では、現実と僅かな時間差での中継が続けられていた。あのヘリコプターが無茶をしてくれるお陰で助かる部分もあるが、問題点も山とあるだろう。
「これ、例のゴシップ紙の提供みたいですねー」
 にゅにゅっと割り込んだ白髪の人物に、居合わせた全員の肩が跳ねた。
「おや銭くん、おはよー。耳が早いね」
「おはよーございますー。いえ、耳が早いとかではなくて、ほら、あそこに」
 定一の挨拶に律儀に敬礼した後、瞳だけを緩ませて、銭は空を指し示す。
「書いてありますから」
 ん?と疑問の声が連なった。どうやらヘリコプターの機体にそう書いてあるらしいと、半数が気付いて目を丸くする。
「ゴシップ紙提供ってことは、あちらさんに都合の悪い部分だけカーット、とかもやってくれちゃいそうだねぇ」
「それに、こちらが映して欲しくない部分もー?遠慮なく放映してくれちゃいそうです」
 成る程確かに。例え丘の上のテレビをOFFにしてみたところで、本島の市民には全て筒抜けだ。それに、録画されているのだから繰り返し放送されるに違いない。
 まして、敵の攻撃はあの威力だ。調子に乗ったヘリが万が一被害にあいでもしたら。……悪い方面の想像を適当に霧散して、定一は自分の膝に頬杖を付く。
「轟くんはまだかかりそうだね」
「はいー。あとうちのやんちゃな新人くんもー、遅刻かと。何でも先程起きたそうで」
「この騒ぎで寝坊とは、やんちゃなだけあるね」
 のほほん、ぼやんと話しながらも何処か棘の滲み出る二人を前に、呆れを恐怖に飲み込まれた帯斗が震え上がった。その傍らで空を眺めていた諸澄が、首を傾け城を振り向く。
「さっき飛竜が入ってったし、門番達も来るんじゃないか?」
「じゃ、それで全部すかね」
 現在、橋の両側に建つ監視塔の周辺に近衛隊のほぼ全員が集まっていた。主力メンバー以外は圓と無線でやり取りしたり、道にバリケードを張ったり、防衛ラインを設定したり、土嚢を積んで防壁を強化したりと忙しない。
 その、一番街の内側で作業をしていた一団が、ざわっと色めき手を止める。何事かと振り向いたテレビを囲む面々も、同じように声を上げて固まった。
 メインストリートを駆けてくるのは、寒色系の二人。先導する人物が、定一達の集まる位置の数歩手前で立ち止まる。
 息の乱れもなく、普段通りの微笑を浮かべた国の最重要人物が。
 絶句して口を開ける隊員達。蒼の背後、息を乱しながらも携帯を耳から離した沢也が、膝に手をつき息を整える。
「沢也くん、もう少し仕事を減らして運動した方がいいですね」
「ざけんな…俺は元から、こんなもんだっつの…」
「そうでしたっけ?昔はもう少し走れませんでした?」
「お前が無駄に、速いだけだ」
 ニコニコぜーぜーなやり取りが一段落するなり、定一が困ったように身を乗り出した。
「あんた達が死んだら、誰が国を動かすんだい?」
「そうっす。何のための近衛隊ですか!」
「陛下も!結婚したばかりだってのに、何ノコノコ出てきてんすか…?!」
 帯斗、諸澄と続いたのは遅れた驚愕。それは次第に拡散されて、方々から同意の声が上がる。
「言いたいことは分かるが、魔法防御は必須だと思うぞ?」
 沢也の良く通る声が一撃で全員を黙らせた。確かに、あのビーム相手にどう立ち回るかは大きな問題である。
「本来なら前線に立つべきところなんですが…お言葉に甘えて、今回ばかりは隊長のみなさんにお任せしましょうか」
 ニコニコと笑う蒼の人差し指が回った。名指しされた彼等は橋の向こう、野原の上だ。
「しかしみなさんには、先に謝っておかなければならないことがありまして」
 勢いを無くした人差し指が、蒼の頬の表面を滑る。その理由は直ぐに周知された。背後から海羽を呼ぶ声が響いてきたのである。
 急ぐ彼等を呆れたように見送った秀が、悠々と遅れて到着した。先と違う構図は、隊員達を激しく脱力させる。
「やっぱ置いてくるべきだったか」
 無理に笑った口元をひきつらせ、沢也が小声で呟いた。
「まあ、いいんじゃない?」
「いっそとばっちりでー、吹っ飛ばされてくれたらいいんですけどね」
 定一と銭も当人に聞こえないよう最大限の毒を吐く。
 その空気を察してか、秀の足音がツカツカと近付いてきた。
「海羽さんは何処だ!」
 沢也の前で足を止め、お決まりの靴音を立てて催促する。
 しかし彼が答えを得ることは無かった。何故なら帯斗が叫んだから。
「いっさん!」
 呼ばれた本人が動く。雪崩れるようにして、秀以外の全員が移動を始めた。
 帯斗が持つテレビの中に、橋の向こうの野原が映し出される。衝撃波で徐々に後退していた二人のうち、水晶に乗った海羽が森の中から飛び出してきた。
 沢也は定一から新しい無線を借りて、装着。何やら携帯端末と繋げ始める。その間蒼もイヤフォンを耳にいれた。
「第一陣、第一防衛ラインに集合。隊長を中心に攻撃、出来るだけ橋に近付けるな」


 沢也の指示が王座の間にも響く。
 あちら側からこちらの通信網に直にアクセスしたのだ。
 元よりパソコンの持ち主なのだから、それくらいの事は朝飯前と言った所か。
「始まったようだな」
 技術課から間借りしてきたディスプレイが4台。うち大画面の全てを占領する現地の様子を仁王立ちで眺めながら、左弥が隣の旦那に振った。
「テレビ局に注意は?」
「問題ありません。厳重に忠告しました。通話記録と録音がこちらに」
 八雲の隣で亮が記録端末を持ち上げる。それに頷き、大地は隣の妻に聞いた。
「放映、止めなくていいの?」
「何分、試聴希望者が多くてな」
 嘲笑にも似た満足げな左弥の笑顔が、城門前の丘を映し出すディスプレイを横目に捕らえる。大地もつられてそちらを眺め、うんうんと頷いた。
「随分、落ち着きましたね…」
 八雲が沢也のデスクから遠巻きに会話に参加する。夫婦はそれを振り向き何時ものペースで肩を竦めた。
「そりゃそうでしょ」
「国王直々に出向くような事件とあらば、緊張感は高まります」
「混乱状態にならなかったのは幸いですね…」
「これだけ迅速に避難できるくらいだ。元からの信頼が厚かったってことじゃないか?」
 大地、亮、八雲と続いた最後を、先程到着したリーダーが纏め上げる。
 ディスプレイには現地と丘、それから避難民を受け入れた、二階の監視カメラ数台分の映像が、分割して映し出されていた。
 有理子はその二階の、メイド達を手伝っているし、沙梨菜は乙葉に呼ばれて妖精達の会議に参加している。
 城内の通信も落ち着いて、今は雑音が流れるだけだ。
 そこに再び沢也の声が落ちる。
「八雲、避難状況は?」
「順調です。飛竜が到着したので、郵便課本拠地との往復を開始、20人ずつ送迎中です」
「乗り手は園道に任せた。門松には声が枯れるまで叫んでもらわないとな」
 リーダーが八雲の隣から補足すると、あちらから短く笑ったような声が聞こえた。
「ハルカは?」
「今、向かってる。そっちの若いのも何人か向かわせたよ。こっちは俺達でなんとかやるから、安心して戦ってくれ」
 まるでピクニックにに向かう子供を送り出すようなリーダーの口振りに、沢也は思わず苦笑する。

 それから幾つか情報のやり取りをして、沢也は通話をOFFにした。彼の耳には、近衛隊のやり取りだけが届いている。
「銭」
 沢也は待機中の彼を呼び寄せて、ルビーから拳銃を一丁手渡した。銭は瞳を輝かせてそれを受けとる。
「わー?貸して頂けるんですか?」
「お前の銃に適応させる暇が無かったんだ」
 続けて沢也の手に現れたのは、注射器型の特殊な弾丸だ。
「強化剤の鎮静剤、ですね?」
「正解。問題は刺さるかどうかだ」
「やだなー。刺さるに決まってるじゃないですか」
 銭は、何の説明も受けぬまま銃を操作して弾をセットする。流石銃オタクだと居合わせた面々が感心する程慣れた手付きだ。
 小気味の良い音が途切れると。銭の瞳が僅かに細くなる。
「だってあんなにツギハギだらけなんですから」
 真っ直ぐに標的を見据えたまま、ふわふわと歩き出す彼の背中が、頼もしくもあり、何処か恐ろしくも感じた。
「待機組は防壁の影に隠れとけ。最大威力でなけりゃ、光にしろ風にしろ崩れはしない筈だ」
 沢也の指示が周囲に行き渡る。その間も銭はのんびりと橋を渡っていた。
 小太郎が倫祐に沢也の意向を伝える。彼は上からの攻撃を中止して、地に足を下ろした。
「折角の薬がバリアに阻まれちゃ意味ねえ。どーするよ?」
「わざとバリアをはらせて、壊したところにどーん!とか?」
 衝撃波の合間に交わされた小太郎と義希の会話が、そのまま作戦として採用される。ビームと衝撃波、加えて頭や尻尾による打撃の応酬で、じっくり話し合ってる暇など無いのだ。
 義希の言葉を聞くなり、倫祐が前に出る。剣を大きく横凪ぎすると、バリアが展開された。反撃の短いビームは小太郎のバリアが防いでいる。
 最初は力を抑えていたのだろうキメラも、倫祐や第一陣の隊員達と相対するうちに本気を出しつつあった。何故最初から全力で戦わないのか…その理由はキメラしか知る由もない。
 上から降り下ろされた大剣がバリアに弾かれる。強化されたそれを貫こうと、小太郎が義手を押し込んだ。
 その手で球状のバリアを呼んで、倫祐と共に衝撃波を凌ぐ。その間に、海羽のバリアに包まれた義希が追撃をかけた。
 ピシリと、透明にヒビが走る。すかさず倫祐が剣の柄で叩いた。
 ガラスが砕け散るように、壊れたバリアの隙間を銃弾が駆け抜ける。続けざまに三発、放たれた薬弾の全てがケルベロスの体に刺さった。
 くるくると銃を弄び、顔の横で制止させた銭は未だ橋の上。中心より本島寄りではあるが、あの位置から良く命中させるものだと感心の声が上がる。
 しかし彼の功績とは裏腹に、キメラの動きは収まらない。監視塔の下で橋の向こう側を観察する帯斗が呆然と言った。
「効いてない…?」
「単純な話、量が少なすぎるんだ」
「焼け石に水、ってやつっすか?」
「今のを何度も、となるとなかなか辛いね」
 定一の言うことは尤もで、交代で攻め立てようにもタイミングを間違えばこちらが大打撃だ。一気に片を付けるに越したことはない。
 攻防は続く。ビームの「タメ」を阻止しながら、バリアを破りに向かう変則的な作業だ。その合間に通信機を受け取った彼女を沢也が呼ぶ。
「海羽」
「あ、はい、あの、沢也?」
「俺だけじゃない。全員に通じてる」
「そっか…」
 困ったように口をつぐんだ海羽の意図を察し、沢也は短く助言した。
「通信機の通話、OFFにしろ」
 海羽は言われた通りに通話を切る。すると携帯に沢也から着信が。
 海羽は納得してそれを取る。彼女が話しやすいよう、義希と小太郎が動きを変えた。
「オッケー。周りに知られたくないなら、距離を取って話せ」
 沢也のアドバイスを受けて数歩下がった海羽は、口元に手を被せて報告する。
「あのキメラなんだけどな…倫祐とも話して、多分なんだけど…」
「人間が混じってる」
 言葉を遮っての簡潔な結論に、海羽が数秒固まった。
「気付いてたのか?」
「薄々な。魔法を使うとなれば、疑いたくもなる。他にも勘づいてる奴はいるだろう」
「そうか…そう、だよな…」
 沢也の見解に納得し、深呼吸する。彼女の心情は顔を見ずとも良く分かった。
「会話は難しそうだろう?」
 沢也が問うと、携帯の向こうで頷く音がする。躊躇いがちなそれに、沢也も真面目に指示を返した。
「お前は防御に徹しろ。無理はするなよ?」
「待って?あ、ここからは、みんなにも聞いてもらった方が…」
 ガサガサと音がする。海羽が通話をオンにしたイヤフォンを取り落としたのだろう。
 沢也も携帯の通話を切って、イヤフォンを付けた。海羽の持ち出した作戦の卵が方々で議論を呼ぶ。
「拡散系の薬や毒はまずいんじゃない?」
「武器に塗りますか?」
「逆に暴れたりして」
「神経系の麻痺毒なら問題ないだろう。ただ、さっきの鎮静剤の効果を見る限り、過度な期待はしない方がいい」
 沢也はそれだけ言い捨てて、まだ騒がしいイヤフォンを一度耳から離した。そうして首だけ後ろを振り向き腰を上げる。
「俺も出る。蒼、こっち任せた」
 携帯を持った手を伸ばすと、今まで微動だにしなかった蒼が手を持ち上げた。イヤフォンごと無線を交換し、会話もなく了承する。

 野原に舞っていた草も海に落ち、今や埃が舞うだけだ。
 立て直しがてら、きちんと作戦を練り上げる他ない。

 沢也が速足に橋を渡る。途中飛んでくる風や光を避けるなり弾くなりしながら、順調に、向こう岸まで。
 その背中を遠巻きに眺める秀が、見るも明らかに嘲笑した。
「無駄なことを」
 傍らのベンチに腰かけていた彼は、徐に立ち上がり橋に近付いていく。
「怪我したくなかったら大人しくしてた方がいいんじゃないですかね?」
「怪我?この私が?」
 秀はハッと鼻で笑うと、横目に定一を見下した。

 怪我などするわけがあるまい。あれが、この私に歯向かう訳など無いのだから。
 何故?それはそうだろう。
 そうなるように、造り上げたのだから。
 あれはこの王都と、忌々しいロボット人間を焼き尽くす為だけに産まれたのだ。…いや、自らそう望んだとでも言うべきか。
 大金を叩いたのだ。こちらの注文とは程遠い、クズしか造れない無能など、元々死ぬしかない運命。ならばせめて有用に使ってやらなければ。なあ、可哀想ではないか。
 慈悲深い私の命令を聞いて、魔術師達は泣いて喜んだよ。
 自らキメラになるなんて。そんな斬新なアイデア、愚民には無かったのだろう。

 そうしてキメラに憐れみの眼差しを向けたまま、秀は徐に前へ進む。ビームの飛び交うメインストリートの中心付近へと。
 一歩、二歩、キメラに近寄る彼を止める者は居なかった。忠告は散々した。あの自信が何処から来るのかと、不思議そうに眺めるばかりである。
 秀は、三つあるキメラの頭のどれかと目を合わせる為、橋の手前まで来た。これだけ距離があろうとも、立派な衣装と風格を見ただけで自分だと分かるよう、繰り返し「分からせて」きたのだ。
 分からないわけがない。あの獣は私の姿を見ただけで立ち竦む。
 秀は心の中で唱えた言葉を漏らさぬまま、クツクツと笑った。その声が聞こえたかのように、キメラが振り向く。
 三つの瞳が橋の先に居る秀の姿を捕らえた。
 風が唸る。耳が痛い。思わず耳を塞ぎ、顔を背ける。その瞬間。
「なっ…」
 吹き飛ぶ。体が、宙に浮いた。遅れて体の全面が押し潰される。苦しい、と感じる間にも落下は続く。
 ふざけるな、服が汚れてしまう、と彼は思った。
 どさりと体が投げ出される。しかし思いの外痛くない。加えて違和感が秀を包み込んだ。
「だから言っただろうに…」
 すぐ後ろで声がする。定一が吹っ飛ばされた秀を受け止めたのだ。
「離せ!汚い手で私に触るな!」
「な…」
 秀は血相を変えて叫び、腕を払う。前に出ようと身をのりだした帯斗を、定一が手で制す。
 秀は彼等を無視して橋の向こうを凝視した。
「私が分からないと言うのか…?」
 独り言が地に落ちる。背後の二人にも、その声は届いていた。
 それにも構わず、歯を鳴らして震えていた彼が、何時しか不気味な笑い声をあげ始める。
「元が欠陥品なのだ。所詮はその程度だったと…」
 嘲笑と呟きが不意に途切れた。思い出したように顔を上げ、秀は呟く。
「海羽さん…」
 橋の向こうでは相変わらずキメラが暴れ続けていた。彼の中でのシナリオが書き変わる。
 秀は近場にいた帯斗から無線機を強奪し、力の限り叫んだ。
「海羽さん、やはりいけません!あんなものの相手など、か弱いあなたに出来るわけがありますまい!今すぐ城に戻りましょう」
 急な大声に隊員達の顔が歪む。誰かが悪態を付きかけて舌を打った。
「戻って頂いて構いません。僕はこれが仕事で…」
「何を仰る!あなたは女性なのですよ?こんな埃臭い…危険な場所で体を張る必要などありません」
 少し遅れて反応した海羽に、秀は優しい声で諭しかける。
 しかし彼女は答えない。現にそれどころではないのだろう。
 業を煮やした秀は、再度橋に足を踏み出した。それを蒼が止めにかかる。
「これ以上邪魔をするおつもりなら、下がっていて頂きます」
「どこまで非道なんだ!貴様らには慈悲と言うものが…」
 蒼の胸ぐらに掴みかかった秀の顔が光に照らされる。
 瞬間的に増大した光源の正体など、いちいち考えるまでもない。
 ビームが迫っている。
 この男には魔力がない。逃げなければ。こいつを盾にすれば私だけでも助かるだろう!
 秀は一瞬の間に浮かんだ考えを実行に移した。蒼を放り出し、光に背を向ける。しかし光は、彼が走るよりもずっとずっと速い。
 橋の中間辺りに居た筈のものが、もうすぐそこにある。
 秀は振り向いた反動で体勢を崩し、尻餅を付いた。迫り来る光になす術もなく、ただただ両手で頭を覆う。
 熱い。喉が焼ける。屈辱で頭がどうかするよりも早く、恐怖が彼を支配していた。
 肩を震わせる秀が、風の圧力で更に傾き地面に丸まる。しかしいつまで待ってもそれ以上の衝撃は襲ってこない。
 代わりに呆れたような定一の声が聞こえた。
「無駄な魔力を使うことないよ。許可さえ貰えればこっちで押さえさせるから、言わせたいだけ言わせとけばいい」
 指輪にバリアを収納し、振り向いた蒼が笑顔を強める。
「ありがとうございます。ですが、もうその必要もありませんよ」
 そう言って、彼は定位置に戻っていった。
 定一が振り向くと、地べたに座り込んだまま、橋を見据える秀の姿がある。腰が抜けたように動かないその様を、帯斗も呆れた表情で見据えていた。
「そこに居ると危ないですよ?五体満足で居たければ、大人しくしていて下さい」
 遠くから蒼が声をかける。秀は顔を歪めて元のベンチに戻ろうとした。
 しかし立ち上がる事もままならず、這うようにしてその場から移動する。
 幸か不幸か、彼の移動中に追加の攻撃が飛んでくるようなことはなかった。






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