人は生きる意味を追い掛けて死ぬ。


 自分が此処に居る意味を。


 それこそが生きると言うこと。


 翼は、その為に必要なものなのだ。




「epilogue」



「これは?」
「三葉」
「これは?」
「ハルジオン」
「じゃあこれは?」
「猫じゃらし」
「じゃあ、これ」
「なっつ」
「正解」
 指先が猫から腕へ。
 迫り来る顔は、頬の横で停止した。
「ご褒美。もう、少しは驚いてよね」
 郁はそう言うと、なっつと悠治を残してその場を離れていく。
 悠治はそれを見送って、頬に触れた感覚をぼんやりと追い掛けた。

「あれ」から数年。

 今日、こうして牧場に足を運んだのは、この世界に新しい命が生まれたから。
 牛や猫じゃない。
 彼等と同じ、人間の。
 牧場を経営する夫婦の子供だ。
 遠目に赤ん坊を抱いた郁の姿を認めながら、根が生えたように座り込む悠治の口からため息が漏れる。
 何故と問われても、特に意味はないのだが。ここ数年生きることを実感し、体感し、考えすぎていたせいかもしれない。
「随分仲良くなったんですね?」
 不意に、声が聞こえた。それが風の悪戯などではないことには、直ぐに気が付いた。
 悠治は隣に大人しく座る猫を見据える。そうして短く呼び掛けた。
「…楓か」
「にゃー」
「鼻」
 悠治が指摘すると、なっつはフフッと声を立てる。そうして鼻をいじる手をそのままに、楓の声で返答した。
「癖って直らないものですね」
 懐かしい声色に、悠治もふっと笑みを浮かべる。楓は鼻から手を離すと、小首を傾げて願い出た。
「郁には内緒にしておいてくださいね」
「心配していたぞ?」
「だからです」
 そうか、と、悠治は答える。それだけで理解できてしまう不思議をそのままに、悠治は思ったままを口にした。
「それならあの時、連れていかなければ良かったんじゃないのか?」
「君、あの場所から一人で帰れましたか?」
「いや、無理だろうな」
 思い返して即答し、勝手に納得した悠治は半端に額に手を当てる。
「そうか。俺のせいか」
 楓はそんな悠治を猫ながらに笑うと、正面に直って釘をさす。
「責任は取ってあげて下さいね」
「楓が言えた台詞じゃあないだろう」
「良いじゃないですか。良い雰囲気なんですから」
「楓とだって、あんな感じだったんだろう?」
「まさか。僕では役不足ですよ」
 ふふふ、と笑って。困った顔の悠治から顔を逸らした楓は、ポツリと独り言を呟いた。
「年齢的に、君と彼女が最初のアダムとイブになるかもしれないと思ってたんですけどね」
「あだむ?」
「いえ、こちらの話です」
 そうして話を濁した楓は、流れた悠治の視線を追いかける。
 悠治は笑い声の上がる場所を、絶えず賑やかなその場所を、ぼんやりと見据えていた。そうしてふとした瞬間に、ふっと笑顔を浮かべる。

 生きることはきっと難しい。
 それでもこうして見ていると、そう悪くないのではないかと思えてしまう。
 これも生きる、と言うことの一つなのかもしれない。

 悠治は不思議な感覚に浸りながら、脇で同じように瞳を細める友人に問い掛ける。
「ずっとここに居るのか?」
「さあ、どうでしょう」
「たまには、いるんだな?」
「そうですね。多分」
 楓は曖昧に、しかし真実を口にすると、立ち上がる悠治を見上げた。背の高い彼の影に隠れ、瞳孔が広がる感覚を覚えながら。
 悠治は見下ろしたなっつと過去の楓の姿を被せ、小さく肩を竦める。
「暇なら、話し相手くらいにはなる」
「ありがとうございます」
 歩いていく悠治を追いかけず、その場に座り続ける楓は、思い出したように空を見上げた。
「ところで」
「はい?」
 唐突に振り向いた悠治が問い掛ける。
「翼は手にいれたのか?」
 風が流れた。それが収まるのを待って、楓は答える。
「いいえ」
 静かな返答は、悠治の瞳を細くした。楓は遠巻きにそれを認め。
「僕にはもう、必要ありませんから」
 やはり曖昧な真実を伝えた。
 悠治は納得したのか、数秒後に頷いて進行を再開する。
 再び吹き付けた風が、彼の着るシャツを靡かせた。
 後ろからその様子を眺めていた楓は、昔より低い視点から見たそれに思いを馳せる。



 まるで翼みたいだ。と。










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