冷たい風が通り過ぎる。
 乾いた煉瓦に積もる埃が風に巻かれ、湿った土の上に落ちたことで次第に姿を消していった。

 錆びた銅像は位置を変えることなく、空を示し続ける。
 かつての栄華を”地下室”から眺めていた生き残りの少年は、街に対して無感情に地に足をつけていた。
 強すぎる憎しみの記憶を語りきったエニシアは、恐ろしい程の冷静な眼差しでアイシャを見据えた。
「彼女がどうしてあんなことを言ったのか、分かった?」
「ああ」
 平坦な返事の後、エニシアは続ける。
「彼女は彼女の為に、そして僕の為にあんなことを言ったんだろう」
 面倒に任せて思い出すまいとしていた記憶の中にあった答えから、必要なものだけを拾い上げる…エニシアの手がそんな風に動いたように見えた。
「人間を憎むなら、人間である自らをも憎むべき」
 アイシャは呟く。エニシアの記憶の中の彼女と被せるように。
「彼女はいつもそう言っていたわ」
「自らが憎いなら、自分を殺してしまえばいい。それが僕の答えだった」
「だけどあなたは気付いた筈よ」
「死んだら、楽だろうね」
 頷いて、エニシアは微笑む。
「生きるよりずっと、楽だと思う」
 嘲笑と苦笑を混ぜ合わせたような笑顔は、何処と無く明るく、そして闇を帯びていた。
 彼はその表情のまま自らの手を見下ろすと、永いこと理解できなかった彼女の想いを正確に口にする。
「人が憎いなら、生きることで、人間である自分をも苦しめろ…ってことか」
「そう。人を憎み、生きるのを苦にしているあなたになら、それが出来るわ」
「彼女の望みは、「人を憎み続けること」だったってこと?」
「そうよ。あなたになら、理解できる。そうでしょう?」
 アイシャの妖艶な笑みが、エニシアの頬を微かに動かした。
「どうしてそう思うんだ?」
「彼女があなたを選んだからよ」
 迷いなく答えたアイシャは、半端に背後を振り向き言葉を繋げる。
「だからこそ、ジャッジは何よりも望んでる。あなたがデスとして生きることを」
「僕は誰かの為に生きるなんてごめんだよ」
「どうして?」
「もうあんな思い、したくないからね」
 強く吐き出された回答を受け入れたアイシャは、数秒の間の後に右手を上げた。
「さあ。あとは、あなた次第よ」
 突き付けられた人差し指。
「選択しなさい。エニシア=レム」
 続けて響いたランスの声。
「彼女の意思を受け入れるか、拒否するか」
 顔を上げれば、青の輝きの向こうに見える複数の視線に迎え入れられる。円の中心で決断を迫られたエニシアは、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「ずるいよ」
 ハッキリと、そう言った彼は次に正面のアイシャに問う。
「そう思わないか?」
「そうかしら?」
「まるで最初から、こうなるように仕組まれてたみたいだ」
「そうかもしれないわね。彼女、頭が良かったから」
 一息置いて、アイシャは更に続けた。
「だけど彼女は、信用できない人間に簡単に刺されたりするような、馬鹿ではなかった」
 彼女の言葉に、回りにいた何人かも同意を示す。
「あなたへの気持ちに、嘘偽りは無いってことよ」
「それ、慰めてるつもり?」
 真剣な言葉を受け流すかのように笑い飛ばし、眉をしかめたエニシアは、地面に向けて吐き捨てた。
「やめてくれよ、気持ち悪い」
 その仕草を受け取ったアイシャは、皮肉混じりに微笑んで足を下げる。
「決めたのね」
 反対に前へと足を踏み出したエニシアは、ランスが製作した魔法陣に自然と誘導された。
「僕は、誰かの為に生きたりなんかしない。そんな綺麗事言うくらいなら、最初からこう言えばいいんだ」
 全てを睨み付けるように前置きし、エニシアは宣言する。
「僕は僕の為に、人を憎み続けるよ。彼女のように、精神がイカレて、壊れてしまうまで」
 アイシャに、カードとして生きる者たちに。
「それが僕の存在意義」
 そして、フルーレに。
 エニシアの言葉が終わると、それを受け入れたように魔法陣が色を変えた。
「デス候補エニシア=レム、決意表明完了。反対意見がある者は武器を取りなさい」
 広がり、白く染まった光の中で、複数の人影が動きを見せる。一番始めに目についたのは、光の中でも目立つ色合いのサンだ。既に臨戦態勢に入った彼女の背後にはムーンも控えている。
 更に視線を巡らせれば、チャリオットにタワー、デビルやハングットマンも加勢するようだ。それぞれの獲物を手に構える彼等の手前、赤と白が翻る。
「あなたを拒否するカードを全て倒すこと。それがカードになるための最後の条件よ」
 空中に浮かんだランスの代わりにアイシャが説明すると、エニシアの口元が狂喜に歪んだ。
「へぇ…面白いね、そのルール」
 瞳孔が開く。振り向いたエニシアから溢れる風を受けて数人が足を引いた。
「尚、現カードによる補助行為・妨害行為も容認します」
 審判体勢のランスが簡潔に付け加えると、今まで座ったままだった面々も腰を上げる。
 円形のフィールド。数人の敵に囲まれた現状で余裕の笑みを浮かべるエニシアは、なかなか動かぬゲームに痺れを切らせていた。
「どうしたの?はやくかかっておいでよ」
 挑発が空に昇る。
 思惑通り、それが開始の合図となった。



















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